Fate/Next   作:真澄 十

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Act.14 酒宴

 ―――聖杯戦争開始から、およそ2日が経過。現在は3日目の早朝である。

 

 未だ脱落したサーヴァントは居ない。アサシンを除く全てのサーヴァントが戦闘を行ったにも関わらず、その全てが健在である。

 

 さらに言えば、アーチャーを除けば、負傷らしい負傷をしている者すら居ない。セイバーは軽症を負ってはいるが傷は浅く、一日ほど休養すれば今後の戦闘に問題は無い。

 アーチャーもライダーに片膝を折られはしたが、一日の休養を経てどうにか戦闘が出来る程度には回復していた。もしもこれが腕や胸への負傷ならば、さらに暫く身動きが取れなかっただろうことを考えれば不幸中の幸いだろう。

 

 アサシンも戦闘こそ行っていないものの、セイバー及びランサーとキャスターの戦闘を観察し、多くの情報を得ていた。

 まず、セイバーとランサーに対して対峙することは決してあってはならない。この二体に関しては、マスターを狙うのが大前提だろう。それも、傍に彼らが侍る状況では駄目だ。マスターを殺しても暫くの間はサーヴァントが健在だ。それが僅か数秒でも、万全を期するならば戦闘は回避すべきだ。

 つまり、サーヴァントとマスターが離れた状態で、かつアサシンが一方的に攻撃可能な状況を待つ必要がある。

 

 キャスターに関しては、対峙することも可能だ。エミヤキリツグは魔術師殺し。それに自身のみでは攻撃手段を持たないキャスターならば、十分な勝機がある。

 

 だがまだ動くつもりは無い。情報が圧倒的に不足している。アサシンは一体たりとも真名を知っているサーヴァントが存在しない。少なくとも、確実に討ち取れるという確証を得ることのできる情報を手中に収めるまでは、日陰で暗躍するつもりである。

 

 士郎や凛にとって不幸だったのは、キャスター陣営が脱落したと勘違いしていることだろう。セイバーも違和感を覚えてはいるようだったが、特に異論を挟まなかったことも要因の一つだ。とは言っても、あの状況だとこのような判断を士郎達が下してしまうのも無理からぬことだ。責めるのは酷であろうから、不幸だと言うほかない。

 

 ―――繰り返すが、未だ7組全てが健在。聖杯戦争はまだまだ混戦、あるいは乱闘の範疇である―――

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

 夏が目前とはいえ、早朝は過ごしやすいものです。アインツベルンの城はいつも雪に覆われていて、こうした小鳥の囀りさえも新鮮なものです。

 

 さて、ライダーはどこに居るのでしょう。

 

 敷地内に居ることは間違いなさそうですが、いかんせん広い屋敷です。ですが大方の目星はついているのでまずそちらに向かうことにしましょう。

 

 長い廊下を歩き、エントランスへ下り、表の様子を伺います。ああ、やはり表でした。

 

 おそらく日課なのでしょう。上半身を露出した状態で、青龍刀を振るっています。重い得物を縦横無尽に振るい、その度に大気が震えるのがここからでも分かります。いつからそこに居るのか、足元には汗で水溜りが出来つつありました。

 

 その鍛錬を邪魔していいものかやや逡巡しましたが、せっかく作った朝食を冷ますのも不本意なので声をかけることにします。

 

「ライダー、食事の用意が整いました」

 

 集中力が凄まじく、何度か声をかけてようやくライダーは私の声に気付いたようです。

 

「おう。風呂に入ったら直ぐ行こう」

 

 私は食堂に戻り、それからややあってライダーもやって来ました。柄にもなく鼻歌など歌っています。原曲は知りませんが、すごく音痴です。

 

 しかし…昨日からずっとそうでしたが、今日もまだ続いているとは思っていませんでした。

 

 ライダーの様子がおかしい。いえ、常日頃から奇怪な人物、もといサーヴァントであると断言できるのですが、昨日と今日は挙動不審といってもいいでしょう。

 

 やけに機嫌がいいのです。ニホンの酒、どうも米から造ったらしいそれを飲み干しながら、にやけ顔で鼻歌を歌うこともしばしば。

 

 昨日一日は無視を決め込みましたが、さすがにそろそろ聞かざるを得ないでしょう。実に不本意ですが。…というより、聞いて欲しいという目線を頻繁に送ってくるのです。

 

 ちらり。鼻歌を再開。

 

 ちらり。酒を呷る。

 

 朝から酒を飲むその感覚と肝臓の構造には甚だ疑問を感じますが、少なくとも脳は単純な構造であることは間違いなさそうです。“聞いてくれ”と如実に語っているのですから。

 

「……やけに機嫌がいいのですね、ライダー」

 

「おお!ようやく聞いてくれたか!」

 

 思ったことと口にしたことに不一致が無いのがこのサーヴァントの良いところであり、悪いところでしょう。すくなくとも今は悪い意味だと私は断言しますが。

 

「どうして俺の機嫌がいいか分かるか、沙沙!」

 

 何となく予想はしています。ライダーの機嫌がよくなったのは昨日の朝から。ということは一昨日の晩あたりに何かがあったのは間違いなく、そしてその時はセイバーやアーチャー、それにバーサーカーと戦闘をしたと報告を受けています。…今思えば、その報告の声も弾んでいたような気がしてきました。

 

「……セイバーやランサー、それにバーサーカーのことですか?」

 

「然り!いやあ、あの者達の強さと言ったら、俺の生前にも数えるほどしか居らんよ!」

 

 ちょっと声が煩いですよ、ライダー。ライダーが酒に酔ったところを見たことがありませんが、今だけは酔っているのかと疑いたくなってしまいます。

 

「沙沙は直接見ておらんから、分からんのも無理はない。それは見事な者達であった!敵ながら天晴れ、と言わざるを得んな」

 

「…そうですか」

 

 それのどこが嬉しいのでしょうか。正直なところ、私には厄介な敵が多いという憂鬱な情報にしか思えないのですが。

 

「まず、あのセイバーだ。あの研ぎ澄まされた剣戟…そう、例えるなら…誰だ、関羽雲長か?そしてアーチャー…夏侯淵といったところか…?そしてバーサーカー!呂布だな、あやつは!ああ、俺は多くの兵を見てきたが、まさしく唯一無二の者達であることよ!やめだやめだ、彼奴らを誰かに例えようとすること自体が愚かしい!」

 

 断言しましょう。ライダーは酔っています。それに私はカンウであるとか、リョフなどという人物は存じません。やめだ、などと言っていますが、一人で勝手に喋っているだけです。勝手に止めなさい。

 

「なんじゃ、沙沙は気乗りしないようだな」

 

 気乗りしません。ですが…まあ、ここはライダーに花を持たせるのも良いでしょう。調子に乗られると、それはそれで不快なので濁しておきますけれど。

 

「…そう見えますか」

 

「見える。己の武を試せる絶好の機会だというのに、勿体無い」

 

 己の武を試す…ですか。興味ありませんね。

 

 今日には姉妹兵がこちらに到着する予定なのですから、彼女ら相手に武を試しては如何でしょう。無論、度を越えないようにですが。

 

 …ああ、それは良いですね。姉妹兵の鍛錬にもなります。今後の鍛錬のメニューに入れておきましょう。あの無表情な姉妹兵たちの悲痛な叫びが聞こえた気がしましたが、気のせいでしょう。

 

 こうして、私達の朝の食事はつつがなく進行するのでした。

 

 しかし…私が同席しているときには飲酒は控えて欲しいものです。ワインやウイスキーの類でもそうでしたが、日本酒というものの香りは特に苦手です。昨日それをライダーに言ったところ、『酒の醍醐味がまるで分かっておらん!』と言われましたが、おそらく一生分からないでしょう。

 

分かる気もありません。

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

 アーチャーは、幼い彼女の体を優しく揺すって起こそうとしていた。基本的に日中で活動できないアリシアは夜更かししがちで、どうしても朝は遅くなってしまう。だが、そろそろ朝食が運ばれてくる。一度起きて食事を取る必要はあるだろう。

 

「ん……」

 

 僅かに目が開かれる。カーテンを幾重にも閉めたこの部屋は日光が入りにくく、朝になっても薄暗い。そのせいかアリシアはめっぽう朝に弱いのだった。

 

「……アーチャー、おはよう」

 

 まだ寝ぼけ顔だが、ちゃんと起きてくれたようだ。眠そうに目を擦っている。ベッドから足を下ろしてサイドテーブルへと向き直る。そこにあったくしを髪の毛に通しながらアリシアはアーチャーに問いかけた。

 

「あれ?アーチャー、今日は姿を見せているんだ」

 

「ああ、一日休んだら問題はないよ。転んでちょっと捻っただけだからね」

 

 嘘だった。転んで捻ったという程度では済まない。膝は、複雑骨折とはいかないが確実に割られていたのだ。

 

 だが霊体となって一日休めば大方の傷は回復する。アーチャーは全快とはいかないものの、弓を射ることに問題は無いと判断していた。

 

 だが、勿論のこと素早い動作は無理である。どうしても右膝を庇いながら歩いてしまうし、負荷をかければ鈍い痛みが依然として残っている。だが無視できない痛みではなく、膝を本格的に壊す覚悟で動けば以前と変わらない俊敏性を発揮するだろう。

 

「そっか。昨日は顔を見せてくれないから心配したよ」

 

 今日は顔が見られて良かった、と笑う彼女をアーチャーは愛おしく思った。

 

 無論のこと恋愛対象としてではない。だがこの無垢な少女を守ってやりたいと思うのは、人として当然の感情だろう。

 それに、彼女の笑い方はどこかイゾルデを思い出させた。恥ずかしげに笑うその様は、アーチャーの最愛の女性に瓜二つと言っても過言ではなかった。勿論顔立ちから髪の色まで違うのだが、その笑い方だけは彼女と見紛うほどだ。

 

 はにかむような笑み。無垢さを垣間見られる笑み。

 

 ―――ああ、絶対に守ってみせる。

 

「心配かけて済まなかったね、アリシア。ところで、昨日も夜更かししたのだろう?駄目じゃないか。大きくなれないぞ?」

 

「えへへ、ごめんなさい。…コホン。『規則正しい生活をしていなきゃ、アリシアちゃんの病気は治らないんですよ?』…へへー、先生の真似。似ていた?」

 

「はは、似ているな。でもそれは本当のことだぞ?今日からちゃんと消灯時間には寝ような」

 

 本当のことを言えば、規則正しい生活を送った程度のことでアリシアの病気は治ることはない。膠原病は対症療法しか確立されておらず、どうにか命を延ばすことしか出来ないのが現状なのだ。

 

「えー、だってつまんないんだもん」

 

 日中に起きていても、つまらない。アリシアの邪気のない一言に、アーチャーは打ちのめされる思いだった。アリシアに友達といえるものは居らず、それならば窓を開けることのできる夜間に外を眺めていることのほうが面白い。そうでなくとも、静かな夜に本を読みふけるほうが面白い。

 

 本当に、それでいいのか。

 

 そしてそれを甘んじて受け入れているアリシアのことが、痛々しい。

 

 いっそ自身の不遇を嘆き、周囲に当り散らすぐらいが正当な反応ではないのか。しかしアリシアはそれすらせず、ただ一人孤独に耐えているのだ。

 

 ―――“でも私、今はアーチャーがいるから寂しくないよ”。

 

 今は。つまり、アリシアはアーチャーに出会うまでは寂しさに震えていたのだ。アリシアにはそれをアーチャーに教える意図はなかっただろうが、それを汲み取るにはその一言は十分だった。

 

 だからこそ、アーチャーは負ける訳にはいかない。敗れてしまえば、後には死体すら残せない。きっと、アーチャーが突然居なくなればアリシアは心を閉ざしてしまうだろう。アーチャーはアリシアがどれ程自分に依存しているか自覚している。

 

 ―――ああ、少女を守るために戦うなど、まるで御伽噺の英雄ではないか。

 

 ふっ、と笑う。何を馬鹿なことを。アーサー王伝説に生きた自分こそ、紛う事無き“御伽噺の英雄”ではないか。アーサー王伝説は御伽噺ではなく英雄譚だが、この時代にあっては御伽噺のようなものだ。

 

 ―――英雄が登場する御伽噺の結末は、大団円と相場が決まっている。

 

アリシアに気付かれないように、硬くその拳を握るのだった。

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 また夢を見た。昨日とは違う夢。また知らない風景だ。

 

 まるでスライドショーのように、場面が切り替わる。今見えたのは、どこか古風な町。いま過ぎ去っていったのは、十二単に身を包んだ女性の姿。頭に移る風景はどんどん時代を逆行していく。

 

 その風景に写るものは一つとして同じものはなく、そしていずれも私が知らない風景。でも何故だろうか、懐かしさを感じる。

 

 どこまで逆行するのだろうか。

 

 一瞬だけの風景が、写っては消え。消えては写る。

 

 ―――ああ、なんか歴史の教科書をペラペラと捲っているみたいだな。どこか現実感のない写真を並べられ、それを眺めているこの感じ。うん、きっとそれが近い表現だ。

 

 そして流れていった風景は、ある一つの風景で固定された。

 

 だけど、固定されたと思った瞬間に私は覚醒した。

 

 

 

 

 

 

「ん…」

 

 あまり清清しい目覚めではない。今みた夢の影響も少なからずあるだろうけれど、それよりも全身がべたついて気分が悪い。

 

 まるで、ずぶ濡れになるまで雨に打たれていたような――――

 

「んん!?」

 

 弾かれるように起き上がる。ちょっと待って、何でここに居るのか。私たちは確かにキャスターと戦っていて―――

 

 ――――戦って、どうなった?

 

「あれ…?」

 

 事の顛末が思い出せない。確か―――そうだ、士郎さんが固有結界を使ったんだ。アレ凄いよね本当に。固有結界なんて魔法に片足突っ込んでいるような魔術なのにとかそういう事じゃなくて…!

 

 おかしいな。そこから先が思い出せない。おぼろげに、頭が割れるような頭痛に襲われたことは覚えている。その後は確か…誰かに助けを求めたはず。誰に?…これも思い出せない。分かるのは全身に絡みつく疲労感だけだ。

 

 だが少なくとも、私がここで寝ているということは無事に戦いを切り抜けたということだろう。そうでなければ今頃私はこの世に居ない。

 

 時計を見る。時刻は1時ぐらいだ。外の様子を伺う限りは午後1時。昨日の雨が嘘のように晴れている。

 

 まあ、取り敢えず。士郎さんや凛さんを見つけて話を聞かなくては。風呂に入るのはその後にしよう。

 

 そう思ってベッドから立ち上がると、あることに気がついた。ずっと気付いてはいたのだが、眠りから覚めて再びそれを意識してしまう。

 

「…良い香りがする」

 

 

 

 

 

「ふむ…大体分かったが…何とも信じがたいな」

 

 セイバー、凛、士郎の三人の姿は居間にあった。凛と士郎の二人は短いながらも睡眠をとって、今しがた起きたところだ。

 

 昨日と同じような流れで、藤ねえと桜と一緒に朝食を取った後に休んだので十分な睡眠とは言いがたいが、特に二人は問題なさそうだ。士郎は昼食の準備を始めており、凛と全身のいたるところに包帯を巻いたセイバーが座って会議をしている。話題は、澪のことについてだ。

 

 ―――予断だが、藤ねえと桜には当然ながら何故澪が姿を現さないのか聞かれた。しかしそこは、“天体観測”が夜遅くまでかかってしまい、眠いのだろうと誤魔化した。セイバーの怪我についても帰り道で山道を転げ落ちたと説明した。昨晩の言いつけを守らなかったとして、烈火のような説教を受ける羽目になったがそこは仕方がない。

 

「それは私達もよ。まさか澪に言峰が、ねえ…」

 

「遠坂、やっぱり魔術師に霊が憑依することは考えにくいことなんだよな?」

 

 フライパンで何かを炒めながら、話を聞いていたらしい士郎が質問を投げかけた。

 

「ええ。魔力というものは、基本的に排他的なものよ。でなければ、ただの魔力の塊に破壊的な力を持たせることは不可能だしね。それを常に身に纏っているということは、言わば鎧を着込んでいるようなものよ。ただの霊にその鎧を打ち破る力なんてないわ。サーヴァントだって難しいでしょう」

 

「その通りだ。サーヴァントに限らず、ほぼ基本的に不可能と言っていい。それに私たちのような人間霊は自我が強い。憑依などしようとしても、宿主の自我とぶつかり合ってしまう。結果的に憑依が可能となっても、多くの力を体の支配に費やすことになり、一歩も動けないという事態にもなりかねない」

 

「例えば、澪は自分から憑依させた、ということは考えられないかしら?」

 

 霊であるセイバーが質問攻めにされる。セイバーしか疑問に答えられそうな者がいないので当然の成り行きだろう。

 

「やはり難しい。自分から招き入れたとしても霊と宿主の意思には齟齬が発生する。聞いた話ではミオはそのコトミネという男とそっくり同じような行動をしたらしいな。まず不可能だと断言できる。いかに強力な霊であろうと、いかに宿主と同じ思考を持とうと、完全に体を支配することなど絶対に不可能だ」

 

 生きている人間のほうが基本的に力は強い。精霊と人間となれば話は違うだろうが、人間霊と人間では死者のほうが圧倒的に弱い。意志がぶつかり合うということは、肉体の支配権を奪い合うということだ。そうなったら死者は敵わない。

 

 いかに意思を通わせたもの同士でも、わずかな考えの違いだけでその体は動けなくなる。これがセイバーの考えだった。霊であるセイバーの意見は異論を挟まれることもなく受け入れられた。

 

「そういえば、そろそろ目を覚まさないかしら。これ以上寝ているようだったらそろそろ何か考える必要がありそうね」

 

「…物騒な。ご心配なく遠坂さん。ちゃんと起きていますよっと」

 

 現れたのは澪だ。若干疲れが見えるが、見た限りでは体に異常は無いように思える。昨日からの定位置に腰を下ろし、会話に参加した。

 

「ミオ!大丈夫か?昨晩はいきなり倒れたから心配したぞ!?」

 

「あれ、私倒れていたの?あー…道理で昨晩の記憶が曖昧なワケだ」

 

「何も覚えていないの、澪?」

 

「いや…士郎さんが固有結界を使ったことは覚えているけれど…その後は全然ね」

 

「そう…」

 

 凛の目が素早くセイバーと士郎を捕らえた。その目は“黙っておけ”と告げている。セイバーと士郎は澪に悟られないように軽く頷いた。本人が覚えていないなら無理に教える必要はない。本人にも分からないだろうから、無闇に気味の悪い思いさせることはない。

 

「まあ、一言で言えばセイバーと士郎の尽力によってキャスターとそのマスターは撃破という所かしらね」

 

 嘘ではないが、マスターに関しては澪が居なければ危なかったことは伏せておく。隠し事が苦手なのか、セイバーと士郎は口を挟まなかった。

 

「それは良かった。とりあえず早急に対処すべき事柄は片付いたということで良いんだよね?」

 

「まあ、そういうことだ」

 

 士郎が厨房から返す。いまは大皿に野菜を盛り付けており、新鮮な緑が食欲を掻き立てる。

 

「それにしてもお腹が空いた。昨日もハードだったうえに朝食を抜いたせいね」

 

「はっは。昼食はしっかり食べておくといい。しかし、見たところまだ風呂にも入っていないのだろう?昼食が出来るまでまだ少しあるらしい。今のうちに入ってはどうか?」

 

「そうするわ」

 

 

 

 

 

 

 今日の昼食は麻婆豆腐だった。辛さもほどよく抑えていて、それでいてピリリとくる。豆腐も崩れておらず、綺麗な形を保っていた。

 

 中華は専門外だと言っていた気がするけれど…なんで手の込んだ麻婆豆腐なんかを作る気になったのだろう。まあ、そこまで興味は無いので聞かないでおく。

 

「―――ところで」

 

 そんなことよりも興味があることがある。ちょっと唐突だったかも知れないけれど、聞けるときに聞いておこう。

 

「士郎さんの固有結界、あの投影魔術とも関係あるんですか?」

 

「ああ。良く分かったな」

 

「まあ、なんとなく。ちょっと記憶が曖昧だけど、見渡す限りの剣はちゃんと覚えているわ。士郎さんの投影魔術で生成した剣もものすごい出来だし、心象世界である固有結界も関係あるのかなって」

 

 あの剣たちが何なのかよく知らないが、かなりの業物だということだけは分かる。いや…“かなり”などというレベルではない。あれは多分―――

 

「あれって…宝具、ですか?」

 

「……」

 

 セイバーも気になっていたのか、レンゲを置いて士郎を凝視する。睨むわけではないが、静かに次の言葉を待っている。

 

「…ああ。俺の投影魔術は、固有結界の副産物だ。俺の固有結界は“無限の剣製”といって、一度見た剣はあの丘に召し上げられ、以降はずっと俺の心象世界に残る。投影は固有結界から下ろしてきているにすぎない」

 

 やや逡巡があってから士郎さんは答えてくれた。

 

「無限に剣、いや宝具を内包する世界…」

 

 固有結界―――自身の心象世界で世界を侵食する大魔術。これを扱えるものは、一発で封印指定を食らいかねない代物だ。何せ、“心象”というものは唯一無二のものだ。同じものは決して存在せず、同じ固有結界は決して再現できない。再現不可能のものを保存するための措置、それが封印指定だ。最悪、脳漿だけがホルマリンに漬けられて保存されているという事態も有り得る。

 

 そういったリスクを分かっていないはずは無い。こんなことを話してくれるのは、既に固有結界を見せてしまったからだろうか、それとも私達を信用してくれているからだろうか。後者だと嬉しいな。

 

「その…宝具はどこまで再現できるの?」

 

「本物にかなり近いと自負しているよ。俺の投影は、剣の辿った歴史や作り手や担い手の思いまで投影できる。完成度はかなり高いと思う」

 

「作り手や、担い手の思い…」

 

 つまりあの固有結界というのは、剣だけでなく剣に込められた思いが渦巻く場所、ということになるのだろうか。

 ああ、今思い出した。“体は剣で出来ている”…だったかな。なるほど、士郎さんは剣そのものを内面に持っているといっても過言じゃないのだろう。

 

「……」

 

 セイバーが難しい顔をしている。…ああ、そうか。投影魔術でセイバーの真名が分かっている可能性もあるのか。一度見た剣は固有結界に取り込まれるということは、セイバーの剣も丘にあるはず。つまり、士郎さんにはセイバーの名前が分かっているのか。

 

 …でも関係ない。セイバーが私に対しては自身の名前を伏せたほうが良いと判断したんだから。これでもこの男には信頼を置いている。士郎さんがセイバーの名前を知っていようと、私は知らないままで良いんだ。

 まあ、セイバーは難しい気持ちだろうけれどね。でも士郎さんなら信頼できるとセイバーも思っているのだろう。そうじゃなければここで士郎さんに剣を抜きかねない。

 

「無限に剣を内包し、剣を作り出す世界…ねえ…」

 

破格。これ以外に私にはそれを表す言葉が思い浮かばない。だってそれって、精霊に近い存在であるサーヴァントにも対向できるっていうことだ。あ、いやでも、士郎さんは作るだけなのかな。アーチャーや、昨日の戦いでも苦戦していたし。それでもかなり強いのは間違いないけれど、まだ人間の範疇だったとも思える。人間の範疇越えていたらそれはそれで末恐ろしいけれど。

 

 冷静を装ってはいるけれど、正直言って動揺は大きい。固有結界の担い手というだけでも信じられないのに、その固有結界の凄まじさには舌を巻いてしまう。

 

 でも、やっぱり何だか悲しい。あんな、あんな無機質な世界が内面にあるなんて。草一本無く、ただ荒野に突き刺さる剣の群れと、熱い風に運ばれる火の粉だけの世界。

あの世界には、およそ人間的な要素がない。もっと言えば、士郎さんを感じさせる要素がない。つまりは、士郎さんは自分なんてどうでも良いに違いないのだ。

 

 人間というのは、やはり自分が大事なのだ。悪い意味で言っているのではない。生物である以上、自己を守ろうという意思が絶対に存在する。

 

 だけれど、あの固有結界からはそういうものは感じられない。剣は決して自己を守る概念ではない。士郎さんには…自己というものが希薄なんだ。他人はもしかしたら、士郎さんは壊れていると言うかも知れない。

 

 なんて悲しい人なんだろう。遠坂さんが、士郎さんを守ってあげなくちゃいけないと躍起になるのも納得できようというものだ。

 

 ――――でもなんで私は、士郎さんの固有結界に興味を持ったんだろう。

 

 

 

 

 

 昼食が終わり、各々ひと段落ついている。士郎さんに悪いので片付けは私がした。居候の分際で今の今まで何も手伝わなかったのはちょっと気が引けていた。

 

 士郎さんと凛さんは、手持ち無沙汰なのかテレビを見ているようだ。今日は金曜日。平日の昼間にそれほど面白い番組があるとは思えないけれど、遠坂さんは食い入るように通信販売の番組を見ている。…バランスボール?止めときなさいって、どうせあんなもの邪魔になるだけなんだから。

 

 ――――で、私が何をしているかというと

 

「音響手榴弾でも食らえ!はっは、“先生”とやらも大したことはないではないか!」

 

「はいはい。さっさと攻撃する」

 

 セイバーとパーティプレイをしていたりする。ハードは新型と旧型で二台持っているし、ソフトはある事情により二つ持っている。早い話が友人である美希の忘れ物なのだが、一向に取りに来ない上に忘れているようなのだ。セイバーに貸しているのは私のだが、今私が使っているのは美希の物だったりする。

 

「はっは、槍使いと片手剣士!いやあ今思い出しても心が躍るな!」

 

「…はあ?」

 

 私はランス使いだったりする。あえて理由をつけるとすると、周囲にこれを使う人が居なかったからだ。だけどこれが案外しっくりきて、以来はランスとガンランスで続けている。

 

 最初に私の装備を見たときは、「そうか。セイバーよりもランサーがいいのだな…」といじけていたが、何があったのか今日は逆に上機嫌だ。何があったかは知らないが、聞こうとも思えないこの不思議。

 

「しかし、やはり槍使いが鈍足だというのがいただけん!槍使いは俊足であるべきだろう!」

 

「うっさいわね。ランスっていうのは騎乗槍なんでしょ。それを徒歩で使っているだから足が遅くて当然よ」

 

「ならば新作では軽い槍も作るべきだ!パイクという名前で、軽くて機敏に動けるランスを!盾なんかいらん!」

 

 うざい。確かにそういう武器があったら面白いとは思うけれど、残念ながら次回作にはそういう武器は無い。

 

「お、先生がお亡くなりになったぞ!…くらえ、ミオ!」

 

「あ、ちょ!剥ぎ取りさせなさいよ!」

 

 よりよって対人戦最弱と思われるランスに襲い掛かってこないで頂きたい。次はガンランスで粉々に吹っ飛ばしてあげるから覚悟していなさいよ。

 

「澪、セイバー。ちょっと出かけてくるぞ?」

「留守番、よろしくねー」

 

 そんなことを思っていると、士郎さんがおもむろに立ち上がった。どうやら凛さんも一緒に行くようだ。デートだろうか。うらやましいなコンチクショー。

 

「おう、今晩の宴だな?私も手伝うが」

 

「もてなされる側が手伝ってどうすんのよ。いいからアンタは澪と留守番してなさい」

 

 ――――んん?何の話だろうか。

 

「…何の話?」

 

「ああ、そうか。澪は聞いていなかったな」

 

 士郎さんが答える。まあ、何となく話の流れで分かってはいるんだけれどね。

 

「藤ねえ発案で、澪とセイバーの歓迎会をするんだよ」

 

 

 

 

 

 

 酒池肉林を体現すればこうなるのだろう。

 

まず酒。6人も居れば当然酒の好みもバラバラで、私の好みが分からなかった士郎さんは色々と揃えてきたらしい。ビールに日本酒、焼酎、ワイン、チューハイなどなど。6人とは言え本当に飲みきれるのか疑問に思えるほどの量だ。明らかに人の胃袋の積載量を超過していると思う。これだけ買えば相当な額だったと思うけれど、聞けば昔のバイト先の店で買ってきたらしく、割安で売ってくれたらしい。確かコペンハーゲンとかいう店だ。今度利用してみよう。

 

 次に料理。士郎さんが腕を惜しみなく振るったらしく、色とりどりな料理が並んでいる。和洋中と節操の無い献立だが、酒の席なんてこんなものだろう。ちなみに中華は遠坂さんが作ったらしい。昼食が麻婆豆腐だったが、遠坂さんが作った中華もまた食欲を誘う。ちなみに、料理もまた大きなテーブルが手狭に感じるほどの量だ。

 

 ちなみに、うち数品は私が作ったものだ。さすがに何もしないのも気が引ける。主賓ということで士郎さんは手伝わなくていいと言っていたが、居候の分際でそうもいかないだろう。といっても、本当に軽いものだが。これ以上胃袋に負担をかける料理を増やすのは破滅的だ。

 

「うんうん、やっぱり宴会はこれくらい豪気じゃないとねー!」

 

 明日は藤村さんに特に用事は無いらしく、既に酔いつぶれる気らしい。…こういうときは素面の人が割りを食うんだよね。さっさと酔ってしまうべきだろうか。

 

「ふふ。藤村先生、あまり飲み過ぎないようにしてくださいね?」

 

「わかっているってー!」

 

 多分わかっていない。そして多分割りを食うのは桜さんだ。性格的にそんな気がする。酔いつぶれた藤村さんを桜さんが介抱する姿が目に浮かぶ。

 

「おし、これで準備は完了だ」

 

 台所で料理などをしていた士郎さんが席に着く。しかし、ここまで来るとお母さんと呼びたくなるほどの生活力だよね。

 

「おつかれ士郎―!んじゃあ、リオ君から乾杯の挨拶しろーい!」

 

「はっは。いやいや、ここはマ…レディファーストだろう」

 

「…そういうことなら私から。えっと…今日は私たちの為に、こんな豪勢な酒宴を催してくれて、ありがとうございます」

 

「お堅いぞー!」

 

 うん、確かにお堅いと思うけどさ、野次はやめてよ藤村さん。とりあえず苦笑いでお茶を濁しておく。

 

「いつまでお世話になるか分からないけれど、それまでよろしくお願いします!」

 

「いよっ大統領―!」

 

 藤村さん、既に酔っている…のかな。空気に酔っているのか、酒に酔っているのか分からないのが恐ろしい。素面であのテンションなのか?

 

「よし、次は私だな」

 

 よっこいせ、とビールの大ジョッキ片手に腰を上げる。例によって甚平姿だ。まあ、もう夏は目の前だし、涼しげでいいとは思うけどね。

 

「私は口が下手なので、何を言えばいいのか分からん。だから一言だけ言わせて貰いたい。ありがとう!乾杯!」

 

「「「「「乾杯!」」」」」

 

 セイバーに続いて五人が一斉に酒を掲げる。こういうときのお約束で、最初は皆ビールだ。

 

「…ぷはー!うまーい!この一杯の為に生きていると言っても過言じゃないわ!」

「…おお!ビールとやらも旨いなあ!」

 

 大ジョッキを一息で開けてしまった藤村さんとセイバー。…すごいな。私は炭酸で咽てそこまで一気飲みできないぞ。

 

「セ…リオはビール飲んだことなかったの?」

 

 凛さんが投げかける。まあ…少なくとも数世紀前の人間だろうし、フランスの英雄らしいから専らワインなんじゃなかろうか。それよりも、涼しい顔して凛さんも既にジョッキ開けている。なかなかの酒豪だなこの人も。

 

「うむ。何かと難しいところでな。ワインくらいしか飲んだことがない。あ、申し訳ないサクラ」

 

 桜さんがいつの間にかワインを空けてセイバーのグラスに酌をしていた。酌を返せと目線でセイバーに教えたが、どうやら上手く伝わったらしい。

 

「ん…。桜さんって…」

 

 ――――この匂いは、

 

「はい?」

 

「……いや、何でもないや」

 

「おお、この芳醇な香り!なかなかの上物だな!」

 

「ああ、それな。俺の元バイト先で良いものが入ったからって勧められたんだ」

 

 そういう士郎さんはあまり飲んでいない。ああ、確か下戸だと漏らしていた気がする。舐める程度だと言っていたっけ。…この酒を消化する人材が一人減ったのか。大丈夫か本当に。

 

「むお!料理も旨い!いやあ、士郎の料理の食わせるだけで戦争が一つ止まりそうだな!」

 

 つられて一口食べてみる。ただの揚げ出し豆腐だが…すごく美味しい。何コレ、バイト先の居酒屋よりも美味しいじゃないの。

 

 ようやく一つ目のジョッキを乾かす。ちなみに私はそれなりには呑めるけれど、セイバーや藤村さんには負けそうだ。自重してジョッキは大ではなくて中にしておいた。さて、次は日本酒でも飲んでみようか。あまり呑むとえらいことになるから、コップに半分程度にしておく。

 

「お?その透明な酒は日本酒というものか?」

 

「透明じゃないわ。良く見なさい、山吹色をしているでしょう?」

 

「おお、本当だ!どれ、私にも一杯。…おお!おお!旨い!」

 

 セイバー良く呑むな。今のところ、注がれた酒はその場で飲み干している。英雄に相応しい豪胆さで杯を乾かしている。藤村さんも同じようなペースだが、サーヴァントに付いていくあたりその肝臓はきっと鉄で出来ているに違いない。

 やや速度は落ちるが、涼しげにかなり呑んでいる遠坂さんも侮れないが。

 

 まあ、楽しいには間違いない。乱痴気騒ぎが苦手な私だが、こういう和気藹々とした雰囲気はいいものだ。

 

 杯は次々に乾かされ、その度に陽気に誘われ、そうして夜は更けていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 日付を跨り、草木もそろそろ眠りだすであろう時間になってきたが、宴会はまだ続いていた。

 

「一番、藤村歌いまーす!」

 

「いいぞー!やれー!」

 

 俺は舐める程度しか飲まないから、最初の乾杯からは専ら烏龍茶でお茶を濁していた。セイバーがやたら勧めてきたからいつもよりも呑んでいるけれど、まだまだ平常心だ。

 

 意外だったのは、澪まで見境を無くしたことだ。

 

 普段からそれなりに要領がいいことが却って意外性を生んでいる。もはや、普段の藤ねえと変わらないほどのテンションだ。ちなみに今藤ねえを煽っているのも澪だ。

 

 遠坂は一人黙々と飲んでいる。いや、それは語弊があるか。正確には桜に絡んでいる。桜が適当に流しているから一人で飲んでいるような錯覚に陥るだけだ。自発的に誰も絡もうとしないのは、遠坂の目が据わっていることも一因だろう。かなり近寄りがたい雰囲気をかもし出している。あの一角だけ魔境だ。

 

 セイバーもかなりテンションが高い。顔色からは酔っている風ではなく、どちらかというと単にはしゃいでいるだけだ。

 

「とぉびこえてぇけよぉるをぉお」

 

「引っ込め騒音!」

 

「はっは!よく言ったミオ!」

 

「なんだとコンチクショー!」

 

「遠坂さぁん。呑んでいますかぁ?」

 

 見たら分かるだろ澪。あと今の遠坂に近付くのは止めておけって。俺も恐ろしいから止められないけれど。

 

「…ひっく。うぃ…。呑んでいるわよ、見たら分かるえしょ?それでね、桜。私はこう思うわけよ…」

 

「へえ、そうなんですか。言われてみればそうですね」

 

「れしょー」

 

 遠坂、呂律が回っていないぞ。あと桜を開放してやれ。イヤな汗がうっすら流れているのが分からないか。

 

「二番、八海山澪脱ぎます!」

 

「いいぞー!やれー、ミオー!」

 

 うおおい!しまった、澪は脱ぎ癖があるのか!?そしてセイバーは煽らずに止めろ!

 

「ぬーげ!ぬーげ!」

 

 藤ねえも煽るな!

 

「ちょちょちょ!澪、ちょっと落ち着け。いいから脱ぐな」

 

 必至になって押し留める俺の背中にブーイングを浴びせられる。いい加減にしろ。

 

「んー…士郎さん良いにおーい…」

 

 そこまで言うと、糸が切れたかのように崩れた。呑みすぎだろう。急性アルコール中毒でもなさそうだし、横にしておけば明日には回復するはずだ。

 

「あー、澪ちゃんずるーい!私も士郎にだっこされたーい!」

 

 歳を考えろ、藤ねえ。

 

「では私もシロウのだっこを所望する!」

 

 セイバー、お前もか。サーヴァントは酔えるに違いない。今そう確信した。

 

「そういう悪ふざけはいいから。ちょっと澪を部屋に寝かしてくる」

 

「士郎がお送り狼になったぞー!みんな逃げろー!」

 

「…シロウ、ミオは私は部屋に戻そう」

 

 いやいや、真に受けるなよセイバー。遠坂も般若みたいな形相でこっちを見るな。桜がビビッてるだろ。

 

 でも、セイバーが送るというのなら異存がある訳ではない。とにかく、そろそろこの宴会もお開きにしなければいけないだろう。藤ねえや桜に今から帰れというのも酷だし、部屋を用意することにしとこう。

 

「ん。じゃあ任せた。藤ねえ、遠坂。そろそろお開きにするからそろそろ呑むの止めておけよ」

 

「んー…いやー、食ったし呑んだわー」

 

「士郎―…あとで私の部屋に水持ってきておいてー…」

 

「おけ。水差しでも持っていくよ」

 

 さて、部屋は余っているけれど布団は敷いていない。さっさと二人の寝床を作っておくとするか。

 

 

 

 

 

 寝入ってから数時間しかたっていないが、おもむろに目が覚めた。酒が入っていると、夜中に喉の渇きを覚えたりトイレに行きたくなったりで目が覚めてしまうことが多い。今回は前者で、皆を起こさないようにそっと部屋から出た。

 

 台所で水を汲んで飲む。あらかじめ買っておいたミネラルウォーターはよく冷えていて、酒気をほどよく和らげてくれた。

 

 しかし、皆盛大に食べたもんだ。作った側ながら多すぎると思ったが、何だかんだでほぼ完全に平らげている。特に奮闘したのが藤ねえとセイバーだったかな。

 

「ん…?」

 

 コップを定位置に戻そうとしたときに、コップが一つ足りないことに気がついた。誰かが水を部屋に持っていったというのは考えづらい。皆の部屋には水差しとコップを置いてあるんだから、わざわざ台所に出てくる意味がない。

 

 ミネラルウォーターのボトルを冷蔵庫に戻そうとして、さらに気がついた。…余った酒の瓶が一つ消えている。

 

 ―――あれだけ呑んでまだ呑むヤツがいるのか。これは一言ぐらい言ってやらないといけないな。

 

 そう思ったところで、縁側の端に人影を見咎めた。あの背中には見覚えがある。

 

 そうか、下手人はあいつか。またぶっ倒れる前に諌めてやらないとな。月見酒とは風情があるが、風情よりも体調の方が大事である。

 

「…澪、お前倒れたのにまだ呑むのか?いい加減にしないと病院に連れて行くことになるぞ」

 

 がらり、と窓ガラスを空けながら諌言を放つ。部屋の電気を点けているから俺がここに来たことは分かっているだろうに、逃げも隠れもしないとはいい度胸だ。

 

「口を慎め、下郎」

 

 だが帰ってきたのは、思いのほか強い言葉だった。

 

「な―――」

 

「分からぬか。本来であれば余の姿を拝謁することすら叶わぬのであるぞ。それを弁えず、あろうことか諌言を弄するなどそちの身に過ぎた行いであろ」

 

「え、あ…ごめん」

 

 つい謝ってしまった。なんというか、こちらが折れずにはいられない空気を纏っている。

 

「分かればよい。…まあ、そちに恩を感じぬ訳ではない。特別に会話を許そう」

 

「はあ…」

 

 見れば冷蔵庫に仕舞っておいた余り物の開きを肴にしているようだ。といっても余り口を付けていない。その代わりに酒はそれなりに呑んでいるらしい。

 

「でも、酒はそろそろ自重したほうがいいぞ?…さっきかなり呑んだんだし」

 

「余は呑んでいない。久しぶりの酒じゃ。多少は見逃すがよい」

 

 そう言ってちびりと酒で喉を潤す。ずっとこのペースで呑んでいたなら、ちょっとした時間ここに居たんだろう。

 

「うむ。世は良くも悪くも移り変わっていったが、酒は相変わらず旨いものよの。さて、そちには聞きたいことがあっての」

 

 じっとその瞳で見据えられる。普段からは想像もつかないほどにその眼力は強く、ややたじろいでしまった。

 

「衛宮士郎といったな。そちは、何を目指す?」

 

 心臓が強く跳ねるのが分かった。俺の名前を知っていたからじゃない。文面だけ見れば将来の展望を聞いているだけに思えるけれど、もっと深いところを探られているような気になる。

 

「…正義の味方だ」

 

 こういえば大抵の人は吹き出すであろう言葉なのだが、彼女は微動だにしなかった。ただ、その瞳の深さが増したような錯覚を覚えた。

 

「ふむ。して、如何にしてそれに至る」

 

「俺が出来るのは魔術だけだ。人には無いこの力で、俺は人を救いたいんだ」

 

「はんっ」

 

 ここで嗤われるとは思わなかった。しかも、明らかな嘲笑だった。

 

「戯けが、“これしかない”と思い込んでいるだけであろ。そも、魔術とは人を傷つける為のもの。どこまで行ってもそれは変わらぬわ。人を殺し、人を貶めることで救われるものなど無い」

 

「……」

 

 咄嗟に反論できなかった。いや、言い返す言葉はいくらでもあった。だけど、その一切をあの眼差しが封殺してしまった。

 

「世には消防士や警察官という職があるであろ。そちらのほうが、確実に人を救える。市井が言うには、正義の味方とはこういう者達を指すのではないか。それを、“魔術しかない”と勝手に思い込み、自分にはその力があると増長しているだけじゃ」

 

「それでも、俺は…」

 

 この道を進むと決めた。確かにそういう道が在ったことは間違いない。だけど、決めたからにはこの道を疑うことはしない。この道だって、間違いなく正義の味方への道のりなんだ。それに―――

 

「俺はこの道を進む。この道でしか救われない人が居るんだ」

 

 法規を超越し、常人を超越た存在を裁くことが出来るのは同じような存在だけだ。つまるところ、魔術師を処断するには魔術師しかない。そして、道を外した魔術師に虐げられている人々を救えるのは、魔術師である俺しかいない。

 

「…ならば良し!」

 

 苦言を重ねられるかと思っていたが、意外にも彼女はからからと笑い出した。心の底から満足したような笑みだ。

 

「うむ。その信念や良し。ここでそれを曲げるようならば、切り捨てることも考えていた。だがまあ、なんと曇りなきよ。いや、そうで無ければ固有結界なぞ扱えんわな。なんにしても、これならば澪を任せられるであろ」

 

 切り捨てるって…寸鉄すら帯びていないにも関わらず、それが冗談に聞こえないのは何故だろう。とりあえず一命は取り留めたということか?

 

「うむ、褒美にそちの質問にも答えてやろう。何でも良い、好きなだけ余に問うがいい。ただし答えられる範囲で、じゃがな」

 

 急に言われても、聞きたいことなんか直ぐには思い浮かばない。だけど取り敢えず聞いておきたいのは―――

 

「…名前は?」

 

 澪ではないだろう。言峰の例もあるし、澪ではない“誰か”なんだと思う。この人格に心当たりが無いし、名前は聞いてきたい。

 

「なんじゃ、そんなことで良いのか?…とはいえ、余の名前を明かすことは出来ん。それは澪自身が自力で辿り着かねば意味が無いのだ。余は澪の成長を望んでいるからの。まあ…今は澪子(みこ)とでも名乗っておこうか」

 

 空中に指で字体を書く。最初の一文字の読解に苦労したが、澪と子と書くことは理解できた。

 

「じゃあ、もう一つ聞いていいか?一体…澪に何が起こっているんだ?澪子といい言峰といい、全く分からないんだ」

 

「概ねの当たりは付けておるのであろ?そこから大きく外れてはおらん」

 

「だけど…」

 

「すまぬが、これも詳しくは話せん。澪が辿り着かなければいけないこと。…それよりも、本当にこんな質問でいいのか?何か悩みでもあると踏んでいたのだがのう」

 

 悩み…というと、あることにはある。だけれど、それを澪子に言ったところで解決するのかと言われれば疑問だ。だけど言ってみることにする。

 

「悩みと言われればある。…もっと強くなりたい。俺がもっとしっかりしていれば、慎二は」

 

「自惚れるなよ、衛宮士郎」

 

 俺の言葉は途中で遮られた。言葉は強いがその口調はその限りではなく、むしろ諭すような優しさがある。

 

「そちが如何に強かろうとあの男は助からなかっただろうて。あれはそちが与り知らぬ所で起こったこと。だがまあ…それを察知できていれば、と思う気持ちが分からんでもない。桜という女が居る手前、よくその感情を殺していたと感心もできる」

 

 内心のもやもやを言い当てられて、少したじろいでしまった。一体、どこまで分かっているというのだろうか。

 

 澪子は小さく呻いた。どうやら何かを考えているようだ。

 

「そうじゃの…余がそちに教えられることは殆どない。だが、“モノの見方”は教えられるな」

 

「モノの、見方?」

 

「そうじゃ。考え方という意味ではなく、物理的な意味でじゃぞ。…衛宮士郎、何故人間は遠くの物を見ることが出来ないと思う?」

 

 ちょっとだけ考えて、思いついたことを言ってみる。

 

「目のレンズの焦点が合わないから…だろ?」

 

「間違いではない。だが其れだけではないな。何故、街中では星が見えないと思う?」

 

 星が見えない理由?一般的には町が明るいからと言うけれど、思えば何で町が明るいと星が見えないのか良く分かっていない。

 

「分からんかの。町の光と星の光は同時に目に入ってくるのじゃが、そのときに町の街灯であるとかの光の方が強すぎるために目が微弱な星の光を認識できない。目には絶えず多くの光が飛び込んでくる。それらに紛れてしまうのじゃ。だから昼間には星は見えない」

 

「なるほど。…でもそれが、どう話に繋がるんだ?」

 

「まあ聞け。そこでじゃ、八海山の特性は『送受信』であると聞いているな。『送受信』を扱うということは、裏を返せば『送受信しない』ということにも繋がるわけじゃ。何を受け取り、何を無視するかを取捨選択できるということ。ここまで言えば何を言いたいのか分かるであろ。つまり、目的のもの以外を“見ない”ということじゃ。ああ、言っておくがこれは八海山家だけのことではないぞ。八海山のものは無意識にそれを可能するが、意識すればそちにも出来る筈じゃ。何しろ…未来のそちはそうやっているのだからな」

 

 また大きく心臓が跳ねた。澪子は…エミヤシロウ(アーチャー)のことを知っている!?

 

「どこでそれを?」

 

「7年前の戦い。多少は余も知っておる。本当に多少だが、エミヤシロウの投影魔術とそちのそれを見たときに分かった。全く同じものだとな。あとは推察を重ねれば自ずと答えは見えてくるというものよ」

 

「……」

 

 澪は7年前の聖杯戦争については、キャスターを垣間見ただけに留まっているはずだ。だとするとこの澪子という人格は澪の多重人格などではなく、完全に澪とは別の存在ということになる。

 

「聞きたいことはそれだけかの。では余はそろそろ休むとする。澪のことを任せたぞ、衛宮士郎。機会があればまた会おうではないか」

 

「…ああ、おやすみ」

 

 澪子が立ち去った後、しばらく縁側に腰を下ろして考えていた。

 

 エミヤシロウ(アーチャー)の鷹の眼。ランクにしてC相当。単純な視力の良さだけのスキルとは云え、2キロメートル先の標的を捉えるあのスキル。確かに、あれが俺にもあればアイツのような狙撃が可能になるだろう。正直に言って、今の俺の視力では弓を使わずに射出するだけで事足りてしまう。弓を必要とするほど遠方まで見通せないのだ。

 

 そのスキルを支えるものが、見るものの取捨選択。見たいものの映像だけを目に写しこむ。澪子は特別なことではないと言っていた。魔術師なら、あるいは俺になら、その気になれば可能だということだろうか。

 

 まだいまいち分からないが、取り敢えず今は棚上げしておくことにする。何しろ眠い。今日のところは、俺も休んでおこう。

 

「そうじゃ、忘れておった」

 

 腰を上げて、その場から立ち去ろうとしたときに澪がひょっこりと出てきた。

 

「またこやつが脱ぎそうになったら、そちが止めろ」

 

 苦笑いしか返せなかった。

 


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