ルドガーinD×D (改)   作:トマトルテ

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この手紙を読んでくれているのは、ルドガー、お前だろうか? そうだとしたら、俺の記録データも読んだことだろう。……言い訳はしない。あれに記したことは、すべて事実だ。ルドガー、お前は、俺をできる兄貴と見てくれてたが、実態はひどいものだったよ。

俺は、お前を利用して力を得て尚、フル骸殻にも至れず、カナンの道標どころかクルスニクの鍵すら発見できなかった。ユリウス・ウィル・クルスニクは、なにひとつなせない情けない男だったんだ。プライドを折られ、周囲の期待も裏切った俺は自暴自棄になった。

いっそ時歪の因子化してしまえば楽になる……そう思って無茶苦茶に分史世界を破壊した。リドウと遊び半分で破壊の数を競ったことや、時歪の因子を捜す手間を省こうと、街ごと住民を惨殺したこともあった……。でもな、そんな俺をお前の存在が救ってくれたんだ。

覚えているか?お前が7歳の時につくったトマトソースパスタを。お前の初めての料理だ。やつれた俺を心配して、たった7つのお前が、夕飯をつくって待ってくれていた……。あの日、お前の火傷だらけの手を見て、俺は決めたんだ。

お前を守るために生きようと。お前を一族の宿命には関わらせない。そのためなら、どんなことでもしようと。……だが結局、それすら果たせなかった。すまない……意地っ張りで無力な兄貴をどうか許して欲しい。そして願わくば……。いや、これ以上はお節介な兄貴の悪い癖だな。兄として、ただ信じているよ。



俺の弟―――ルドガー・ウィル・クルスニクは必ず正しい未来を選び取れるってな。



【ユリウス・ウィル・クルスニクより】





『……この部屋にも、もう帰って来ることは無いだろうな』


手紙を書き終えたユリウスはそう名残惜しそうに笑い、手紙を机の上に置く。身辺整理がされたその部屋はどう見てもそこの住人が自らの死を予感しているようにしか見えなかった。ユリウスは兄として出来る最後の大仕事の為にマクスバードへと歩き出す。


『ルドガー、お前がどんな選択をするのだとしても俺はそれを笑って受け入れよう。それが俺の、兄として―――掲げた理想だ』


一歩一歩、死へと歩みを進めているにも関わらず、彼の足に迷いはなかった。自分の勝手な価値観でしかないが弟を守ると決めた瞬間からこの世界は灰色からカラフルになった。

そして、例え一瞬だとしても、弟の描く世界が見られるならこの命を捨てることに戸惑いなどなかった。彼は既に、己の掲げた理想と心中する程の覚悟は出来ている。尚且つ、疑う余地もない程に彼はやりきれていた。なぜなら―――



――ユリウスの望む世界は、ルドガーが望む世界なのだから――





四十九話:Good bye my world

ルドガーがユリウスの手紙について、話し終えた後、重苦しい空気が部屋の中に流れる。そして、ミュゼがエルはこの事を知っていてルドガーを魂の橋にしない為にビズリーの元に行ったのではないかと言う。その事実にルドガーはまた守られてしまったのかと弱い自分に吐き気がする。そんなルドガーの元にガイアスが近づいていき話しかける。

 

 

『ひとつ確認しなければならないことがある』

 

 

重々しい言葉ではあるが、決して言いよどむことなく次の言葉が告げられる。

 

 

『ルドガー、お前はカナンの地に行くために―――兄を犠牲に出来るか?』

 

 

告げられたのは残酷な現実。その余りの言い方にジュードが止めようとするがミラがそれを手で制す。黒歌達もその言い方はあんまりだと思ったが、これは避けて通ることのできないことだと分かったので何も言えなかった。

 

 

『できるわけないだろ! 俺の……たった一人の兄弟なんだぞっ!!』

 

 

テーブルを叩きつけながら吐き出された言葉は余りにも痛々しい物だった。それを聞いた黒歌は心をナイフで切り刻まれた様な痛みを覚える。たった一人の兄弟を殺す。しかも、それが極悪非道な人間でもなく、自分を今まで守ってきてくれた兄なのだ。その心の痛みを黒歌は理解してあげることは出来ない。

 

そんなルドガーに対してミラが気持ちは分かると言い。ジュードが自分達はユリウスと話して来ると言って外に出て行く。ルドガーはそんな仲間達を見送ることもなく椅子に座り頭を抱える。

 

そして、どうしてこんな事になってしまったんだ。自分はただ、エルとの約束を果たしたかっただけなのに。また、大切な人達と当たり前の平穏な日常を送りたいと思っていただけなのに……どうしてなんだ。と答えの出ない問いに頭を悩まし続けていた。そんなところに、誰かがドアを叩く音が聞こえて来たのでルドガーは仲間の誰かかと思いドアを開ける。

 

 

『ルドガー……あのさ、取り立てなくなって、おめでとーって言いに来たんだけど……なんかあった?』

 

 

客人はノヴァであった。なにやら、自分の様子を心配するノヴァにルドガーは何かあったのかと聞いてみると衝撃の言葉が飛び出してきた。

 

 

『魂の橋は、ルドガー抜きで架けるとかなんとかって―――』

 

 

その言葉を聞いた瞬間、ルドガーはノヴァを押しのけて駆け出した。ルルも一緒についてくる。ノヴァが後ろから呼び止めようとする声が聞こえてきたがそんな物は全て無視をする。今はユリウスだ。何に代えてでもユリウスの元に行かなければならなかった。

 

ルドガーがマクスバード、リーゼ港に向けて走っていると、カナンの地へと一本の道が伸びているのが見えた。イッセーは、まさか、エルが、とも思ったがよくよく考えてみればクロノスへの切り札であるエルを橋の材料にするわけがない。

 

そして、リドウが、命がかかっていると言っていたことを思い出し、リドウが橋に変えられたのだと確信し、嫌いな奴ではあるが同情の念を抱く。そしてルドガーが走って行く先に遂に求めていた兄の姿が見えて来る。ただし―――

 

 

『全てが終わったら、ルドガーに伝えてくれ―――勝手な兄貴で悪かった……と』

 

 

今まさに自分の命を絶つために刃を首筋に当てている状態でだが。

 

 

『うああああっ!』

 

『ルドガー……!?』

 

 

悲鳴を上げながらルドガーはユリウスの腕に抱き着き、その手を止めさせる。その姿にユリウスは驚きながら刃を下ろす。そして、ルドガーは黙って兄を殺そうとしていた仲間達に、混じりけ一つない純粋な殺意の籠った目を向ける。しかし、ミラから他ならぬユリウスに頼まれていたというのを聞くとその殺意を消す。今まさに死のうとしている人間から頼まれたら断れるわけがない。

 

 

『なんでこんな悪趣味な方法なんだっ!』

 

 

怒り、悲しみ、憎しみ、全てが籠ったような怒鳴り声を上げるルドガー。そんな姿にリアスも本当にどうしてこんな方法しかないのかと、こんな残酷な方法にした人物を恨む。しかし、いくら恨んだところで現実が変わるわけではない。

 

 

『さて……これも人間の本質を問う手段なんだろう』

 

『すまない。こんなことをせずとも、人と精霊は信じあえるはずなのだが』

 

『はは……素直にありがたいよ、マクスウェル。だが、オリジンの考えは違うようだ』

 

 

ルドガーの叫びにも穏やかな声でそう返すユリウス。それに対してミラがマクスウェルとしてもこんな事は間違っていると思い、ユリウスに謝る。だが、ユリウスはそれに本心からのお礼を言うだけで皮肉の一つも言わない。そんな優し過ぎるユリウスを殺さなければならないルドガーは苦痛で顔を歪めさせる。ユリウスはそんなルドガーに笑いかけて言葉を続ける。

 

 

『……そんなに悩む必要はないさ』

 

 

そう言ってユリウスは左手に付けていた黒い手袋をとる。そして、その下にあった時歪の因子化(タイムファクターか)で手袋以上に黒く染まった手に全員が息をのむ。ルドガーはその手を見て悟る。ここまでユリウスの時歪の因子化(タイムファクターか)が進んだ理由は全て―――自分を守ってきたためだ。

 

文字通りその身を削ってユリウスはルドガーを守り続けてきたのだ。その事に黒歌は自分が妹に為にやってきたことなどユリウスがルドガーの為にしてきたことに比べれば足元にも及ばないと痛感する。

 

 

『どうせ、もうすぐ俺は死ぬ。だったら、この命を意味あることに使いたい』

 

 

左腕を胸に当てながら、自分の死を意味のあるものにしたいとユリウスが言う。

 

 

『俺の命を……お前の、カナンの地への道にしてくれ』

 

 

他の誰の為でもなく、愛する弟の願いの為に自分の命を使いたいとユリウスは言葉にする。そんな言葉にルドガーは兄への想いがさらに強くなり、なおさら殺すことが出来ないと思ってしまう。それは当たり前の事だろう。どこの誰が、自分の命を捨ててでも愛してくれる家族を殺したいと思うだろうか。

 

 

『なんとかする方法があるはずだ!』

 

 

ルドガーの他の方法があるはずだという言葉にレイアとジュードもみんなで探せば必ず見つかるはずだと言うが―――

 

 

『ぐううううっ!』

 

 

ユリウスの左手が時歪の因子化(タイムファクターか)の進行により、全ての部分が黒く染まってしまう。その余りの痛みに耐えかねてユリウスは崩れ落ちる。ルドガーは駆け寄りそんな兄を力強く抱きしめる。……ユリウスにはもう、時間が残されていない。

 

 

『何か方法があるだろ!? なにかっ!』

 

 

たった一人の兄弟の死を認めたくないが故にルドガーは叫び続ける。そんな姿に黒歌達はどうしようもない絶望感に襲われながらも黙って見つめる事しか出来ない。エリーゼがローエンに縋るように聞くが流石のローエンも何も知らない。そしてティポが大精霊であるミュゼに聞くがミュゼも悲しそうに俯くだけで何も分からない。

 

 

『兄さんが死ぬなんて……嫌だ!』

 

 

自分をずっと守ってきてくれた兄が死ぬことなど認められない。小猫はもし自分が同じような状況になった時、姉を殺せるかと考えるがそれはどこまでいっても所詮は仮定でしかない。ルドガーのように実際にその選択を突きつけられなければ分からないであろう。

 

 

『放してくれ……ルドガー。今やらねば……お前を犠牲にするしかなくなる……』

 

『俺だって兄さんを犠牲になんかしたくない!』

 

 

彼は、この世界にたった一人の愛する兄を犠牲にするほどの価値は見いだせなかった。こんなにも悲しい犠牲を払ってまで救うほどの価値がこんな歪んだ世界のどこにあるのだと感じる。彼はもう、何も希望を見出すことが出来なかった。そして考える。今まで他人の世界を壊してきたのだ。この際、何もかも壊して兄を守ってたって構いやしない―――

 

 

 

――じゃあエルとルドガーは“アイボー”だね!――

 

 

 

そこまで考えた瞬間、彼の脳裏によぎったのは自分と同じ眼の色をした小さなアイボーだった。その事に気づいた彼は大きく目を見開く。そして次々と彼女との思い出が思いだされていく。さらに、彼女を自分に託していった者達の言葉も思い出されていく。

 

 

――お願い! エルをっ!――

 

――エルを……頼む。カナンの地を……開け……オリジンの……審判を越え――

 

 

もう二度と会えない、自分が初めて本気で恋い焦がれた女性。そして、異なる自分であると同時にアイボーの父親である彼の言葉を。……ルドガーは心の天秤に兄と少女をかけた。そして激しく揺れ動いた天秤がどちらを守るべきかと傾いたのは―――

 

 

 

――ホントのホントの約束だよ。エルとルドガーは、一緒にカナンの地にいきます――

 

 

 

―――何よりも大切なアイボーだった。ルドガーは兄を犠牲にして少女との約束を守ることを決めたのだ。彼は震えながらユリウスから離れ、力強い声で宣言する。

 

 

『兄さんの命で魂の橋を架ける……そして、エルを―――守る!』

 

 

その台詞に仲間達は改めてエルとルドガーの絆の固さに胸を熱くし、黒歌達は何に代えてでもエルを守るというルドガーの決して揺らぐことない決意に思わず目を潤ませる。そして、ユリウスは弟が今まさに自分を殺すと言ったにも関わらず。明らかに顔色の悪い顔に満足げな笑みを浮かべる。

 

 

『……覚悟できたか。なら……最後にもう一度だけ、お前の兄でいさせてくれ』

 

 

どちらが言うまでもなく、二人は双剣を構える。その構えはやはり同じ構えだった。これは一種の儀式なのだ。ルドガーがユリウスから離れて一人で歩いていけるか。ルドガーに―――大切な者を守り抜ける覚悟が本当にあるかを見極めるための。

 

 

『俺を倒せない弱虫じゃ……安心できないからな』

 

 

その言葉はルドガーを小さなころから見守って来たユリウスだからこそ言える言葉だった。兄弟は最後の戦いを行おうとする。そんな二人を思わず、止めようとするジュードだったがガイアスとミラにあれは二人だけの戦いだと言われて引き下がる。黒歌達も何も言わずに兄弟の戦いをただ見守る気でいた。

 

 

『前は、悪かったな、ルドガー。今度こそ……本気の試験だ』

 

『はあっ!』

 

 

二人の剣がぶつかり合い金属音が鳴り響く、それが最後の試験開始のゴングだった。同じ構えなのは兄に憧れて真似をした結果、同じ技を使うのは兄に教えて貰ったから。そんな様々な思いの籠った自身の剣技でルドガーはユリウスに斬りかかる。

 

そしてユリウスもそれに本気で相手をする。今の彼が剣を握るのは弟を守る為、剣技に磨きをかけたのはどんな戦いであろうと生きて弟の元に帰るため。兄弟のお互いを想いあった結果、生まれた剣技は二人の覚悟を乗せ今ぶつかり合う。

 

 

『ずっと子供だと思っていた……俺が手を引いてやらなければ……守ってやらなければと』

 

『ずっと甘えていいと思ってた……その手に引かれて生きてきた……守ってもらってきた』

 

 

お互いに思いの丈を話しながら、兄弟はぶつかり続ける。ユリウスはルドガーを今まで子供だと思ってきた。また、そうあってほしいという気持ちも心の中にあった。弟が強く育つことを願う一方、自分に守られる存在のままでいてほしい。そういった相反する感情をユリウスは持っていたのだ。

 

ルドガーはずっと子ども扱いされることに甘えてきた。強くなって一人前になりたいと思う一方で兄の庇護の元、幸せに暮らしたいと心のどこかでは思っていた。そんな相反する感情をルドガーも持っていた。しかし―――

 

 

『だが! 認めるよ、ルドガー。お前は、もう自分ですべてを選べる!』

 

『でも! 兄さんがいなくても俺は一人で歩ける! 自分ですべてを選び取れる!』

 

 

二人にはもう、そのような感情は残っていなかった。ルドガーは兄の庇護を受けて守られる側に居続けるのではなく、今度は自分が守る側となってエルを守り抜こうと決めたのである。ユリウスはルドガーがそのような大きな決断をしたことを見て、ルドガーはもう自分に守られる存在ではないと分かったのだ。

 

黒歌達はそんな兄弟の戦いをただ無言で時折、涙を流したりしながら見つめ続ける。特にアーサーは自分の今までの行いを改め自分もユリウスのようにルフェイを信じてみようと決意を固める。そして、兄弟の戦いが終盤に差し掛かってきた時、再びユリウスが口を開く。

 

 

『まだだ、ルドガー……この程度じゃ、とめられないぞ! 一族の悲劇も……ビズリーの野望も!』

 

 

時歪の因子化(タイムファクターか)の影響で身体中に痛みが走る中でもユリウスは力強い言葉でルドガーに語り掛ける。その様は、この程度ではまだ俺はお前を認めないぞと言っているようにイッセーには見えた。そして最後の力を振り絞って骸殻へと変身する。この骸殻でユリウスは完全に時歪の因子化(タイムファクターか)してしまうだろうが彼には一切の戸惑いはなかった。それどころか今までにない程の強い意志を宿していた。

 

 

『骸殻は、人の欲望に! 意志に反応する力! ルドガーお前は――!』

 

 

ユリウスの姿は今まで時計一つでは決してなれなかったスリークオーター骸殻へと変わった。ユリウスという男の潜在能力はそもそもクォーターまでしかない。しかし、彼は強い意志で壁を越えハーフ骸殻に至った。だが、それ以上には決してなることが出来なかった。

 

だからこそ、当初はルドガーの時計を利用しようと考えたのである。だが力を上げるのに本当に大事だったのは時計ではなく―――ルドガーだったのである。その証拠に弟を思う強い気持ちが彼に限界を二度も越えさせたのである。時計一つでも、家族の為なら、幾らでも強くなれるという、かつて分史世界の自分から聞いた言葉の通りに。

 

 

『その覚悟、試させてもらうぞ!』

 

『俺の覚悟をっ! うおおおおっ!!』

 

 

斬りつけられるルドガー。だが彼もまた限界を越えようとしていた。兄を越えるために、少女との約束を守る為に。叫び声を上げながらルドガーの骸殻もまた、スリークオーターへと変貌を遂げる。その事に朱乃はこれが兄を殺した時に至ったと言った理由なのだと理解する。

 

 

『マター・デストラクトオオオッ!』

 

『祓砕斬・十臥!』

 

 

十字型の斬撃をユリウスが放ち、ルドガーはそれに槍で一直線に突進する。そしてルドガーは斬撃を破り、そのままユリウスの元へと突き進む。その事に一瞬驚いたような顔を浮かべるユリウスだったが自分にその槍が届く瞬間これでもう安心だと言うかのように優しげな目でルドガーを見てから目を瞑り―――その槍に貫かれる。

 

 

 

 

 

その後、ルドガーの周りは白い光に包まれる。そしてルドガーがゆっくりと目を開けてみるとそこはトリグラフ中央駅だった。そのことにルドガーは思うところがあったが、行き場所は最初から分かっているかというように歩き出す。

 

 

「ここってもしかして……ユリウスさんの分史世界?」

 

「なんつーか……優しい世界だな」

 

 

祐斗の考えに頷いて同意を示しながらイッセーが辺りを見回してそう呟く。誰もが、忙しそうに充実したありふれた日常を生きる世界。よくよく見てみればビズリーやリドウなどの人物も普通に暮らしていた。もしかするとこの世界はオリジン審判が関係のない世界なのかもしれない。ルドガーの仲間達も幸せそうに暮らしている、そんな様子にルドガーは苦しそうな顔をして歩みを進めていくがその内にあることに気づく、それは―――

 

 

「エルが……いないにゃ」

 

 

そう、エルだけはこの世界にはいないのである。もしかしたら、エルはこの世界のルドガーの娘として生まれてくるのかもしれない。だが、それは娘であって、アイボーではない。だからこそ、彼はこの世界を壊してアイボーを守る為にカナンの地へと行かなくてはならないのだ。

 

そして彼は辿り着く、この世界の時歪の因子(タイムファクター)が居る場所―――自らの部屋の前に。意を決して中に入ろうとした時、突如として聞きなれた声が聞こえてきたので慌てて隠れる。黒歌達も見えないと分かってはいるものの反射的に一緒に隠れてしまう。

 

 

『うわ、もうこんな時間か! 行ってきます!』

 

 

慌てて飛び出してきたのはこの世界の“ルドガー”であった。駅の食堂に勤めているようだが相変わらず、時間にルーズらしい。そして顔つきも正史世界のルドガーと違って険しい物ではなく、非常に子供っぽく柔らかな物であった。一目で兄に守られて幸せな生活を送っていた昔のルドガーと同じなのだと分かる。

 

 

『ちょっと待て!』

 

『堅苦しいの苦手なんだって』

 

『いい加減慣れろ、これくらい』

 

 

そんな“ルドガー”をユリウスが呼び止めてネクタイを結び直してやる。それに対して“ルドガー”が若干、窮屈そうにするとユリウスが呆れた声を出す。そんなありふれた―――もう、二度と戻ってこない日常にルドガーは叫び出したくなるのを必死に堪えて体を震わせる。黒歌はそんなルドガーに触れられないと分かっていながらもそっとその手を握る。

 

 

『ま、そのうちにね』

 

『まったく、お前は』

 

『やば、遅刻! 夕飯、トマトソースパスタにするからさ!』

 

 

そう言って、手を振りながら笑顔で出掛けていく“ルドガー”にユリウスは少し溜息を吐きながら頭をかく。しかし、その顔には優しげな笑みが浮かんでいた。

 

 

『はぁ……あれでご機嫌とったつもりなんだからな。……ま、とられてるけど』

 

 

ユリウスはそのままルルと共に部屋へと戻っていく。この世界の自分がいなくなったことを確認したルドガーはユリウスに続く様にドアの前に立つ。そして、懐中時計を取り出して、エル、と小さく呟いてから覚悟を決めて部屋の中に入る。

 

部屋の中ではユリウスがコーヒーを飲みながら、新聞に目を通していた。その横ではルルが暖かな日差しを受けてうたた寝をしている。そんなごくごくありふれた―――何よりも素晴らしい日常をルドガーは今から壊すのだ。

 

 

『なんだ、忘れ物か?』

 

 

ルドガーにそう穏やかな顔で尋ねて来るユリウスにルドガーは何も答えられずにただ、黙っているだけだった。そんなルドガーの心情を察して小猫の目から涙が零れ落ちる。何も言わないルドガーにルルが自分の飼い主ではないと分かったのか訝しげな目を向ける。

 

そして、そんなルドガーの様子にユリウスは全てを理解して―――笑った。今から殺されることを理解してなお、ルドガーに微笑みかけたのである。その愛の深さに朱乃の目からも涙があふれ出る。

 

 

『……そうか。トマトソースパスタ、食べ損ねたな』

 

 

その言葉に耐え切れなくなりルドガーは様々な感情から顔を歪ませ、声にならない声を上げる。そして黒歌は理解する。ルドガーがトマトソースパスタを作れなくなった理由を、自分より先に食べさせないといけないという人を。ユリウスは新聞を畳んで、立ち上がってルドガーの元に行きその肩に左手を置く。そんな様子をルルが不思議そうに見つめる。

 

 

『気にするな。弟のわがままにつきあうのも、案外悪くない』

 

 

優しい声でどこまでも自分を案じてくれる兄に顔を歪めていたルドガーはふとある景色を見る。夕日に染まる、空と海、そして、それを見つめる兄の大きな背中。どうしようもなく安心感を覚えてしまうそんな背中に自分は何度も守られてきた。

 

ルドガーは兄との記憶を思い出す。何の変哲のない、当たり前の日常の風景を。雷が怖かった自分の耳を塞いでくれた思い出。キャンプで遭難して二人で手を繋ぎながら必死で歩いた思い出。風邪を引いて寝込んだ自分をなれないながら看病してくれた思い出。

 

二人で一緒にテレビを見た思い出。二人で腕相撲をした思い出。買い物帰りの夜道をくだらない話をしながら一緒に帰った思い出。ルルと遊ぶが激しいスキンシップにルルが嫌そうにしていた思い出。かと思えば、休日にルルと一緒に寝ていた思い出。そして、一緒に夕食をした思い出。

 

今更ながらに気づく、どんな些細な思い出の中でも、ユリウスはいつもルドガーに微笑みかけてくれていたのだ。そんな当たり前で些細な事実が、日常がどれ程―――かけがえの無い物だったのかをルドガーと黒歌達は痛い程に理解する。

 

 

『……お前が教えてくれたことだ』

 

 

ユリウスは自分の傷だらけになった時計をルドガーに渡し、振り返ることなくそう話す。自分が大切な誰かの為に全てを捨てられるのは、お前が俺にとって何に代えても守りたい者だったからだと言うような言葉にイッセーは思わず男泣きしてしまう。

 

 

『もう行け、ルドガー。守ってやりたい子がいるんだろ?』

 

 

ルドガーの頭にエルの姿がよぎる。そう、ルドガーはエルとの約束を守りに行かなければならない。だが、進めるのは一人だけ。ユリウスは自分が進むための道になってくれるのだ。そして、ユリウスからは俺は俺にとって特別な存在のお前を守った。だから次はお前があの子を守る番だ、とでも言いたげな雰囲気が出ていることにルドガーは泣いてしまいそうだった。

 

 

 

『お前は、お前の世界をつくるんだ』

 

 

 

お前の世界を作るために俺を捨てていけという言葉にもルドガーはまだ動くことが出来なかった。だが、そんなルドガーの元にユリウスの歌が聞こえてくる。それを聞いた瞬間、黒歌は泣き崩れる。聞こえてきた歌は証の歌。ユリウスは言っていた俺がこれを歌うと―――ルドガーは泣きたいのを我慢できるのだと。

 

 

『……っ! くっ!』

 

 

ルドガーはそんな自分が泣かないように、悔やまないように、怖がらないように、悩むことなど何もないというように歌われた歌に泣き出したいのを必死に堪えて時計を二つ構える。もう、この暖かな場所には二度と戻れないのだと心の中で泣き叫びながら。部屋中が光で満ち、ルドガーはかつてユリウスが目指したフル骸殻へと姿を変え―――兄を刺し殺した。

 

 

『――――ッ!』

 

 

ルドガーは声も出さず、涙も流さずに刺し殺した兄の胸の中で泣き叫ぶ。ユリウスはそんなルドガーの為に最後の最後まで証の歌を歌い続ける。その目は刺し殺されているにもかかわらず、ひどく穏やかな物だった。そんな様子に黒歌達はルドガーの代わりに号泣しながら理解する。

これがユリウス・ウィル・クルスニクの弟へと捧げる―――愛なのだと。

 

 

 

――世界が壊れた、かつて幸せな兄弟がいた、もう二度と戻れない世界が――

 

 

 

 

 

正史世界に戻ったルドガーを待っていたものは温かな仲間達の言葉だった。仲間達に報告を終えたルドガーの前にユリウスの命で架けた魂の橋が現れる。その事に未だにルドガーが思い悩んでいる所に仲間達が声を掛ける。

 

 

『急ごうぜ。さっきの橋みたいに、すぐ消えちまうかも』

 

『きえないよー』

 

『ユリウスさんが支えてくれてるんですから』

 

 

アルヴィンの言葉にティポとエリーゼが反論をする。そんな言葉にルドガーは深く目を瞑り自分が殺した兄を想う。その時、ジュードがルドガーに一番、最初に橋を渡るように促す。その様子に黒歌達は自分達も彼等に負けないようにルドガーを支えていけたらと思う。

 

 

『まずは君が』

 

『これはお前の為に架けられた橋だからな』

 

『ああ……行こう、エルを助けに!』

 

 

ミラとガイアスの言葉に押されてルドガーは橋へと足をかける。エルを守ると決めたルドガーの横顔は兄の横顔とよく似ていた。その事に黒歌はルドガーの生き方はユリウスを真似したものなのだと理解する。

 

そして同時にルドガーの考える、守るという事を変えることは難しいことだと分かったが、ユリウスが最後はルドガーを認めて考えを変えたのだからルドガーの考えを変えることも不可能ではないと考える。そして黒歌達は見ることになるだろう彼が選択の果てに何を掴むのかを。

 

 




本編とは一切関係ない予定のIFルートです。まあ、黒歌達は可能性の未来を見たってことですね。感動の涙のまま終わりたい方は見ないことをお勧めします。




IF ユリウスEND


『兄さんが死ぬなんて……嫌だ!』


突如として巻き戻った時間に黒歌達は動揺するが、何故か直感的にこれはルドガーが別の選択をした場合の未来なのだと理解する。ルドガーは兄の死を認められずに抱きしめ続ける。そんな弟の姿にユリウスは心のどこかで嬉しくも思うがそれではダメだと思い、自分を放すように促す。



『放してくれ……ルドガー。今やらねば……お前を犠牲にするしかなくなる……』

『……わかってやれよ。これがお前の兄貴の望みなんだ』

『そんな風には割りきれないよ!』

『そうだろうけど! けど、他にどうしろって……』


アルヴィンがルドガーにわかってやれと冷たい言葉を投げかけると、レイアが涙ながらにそれに反論する。だが、アルヴィンの言う通りにカナンの地に行き、人と精霊の世界を救うにはユリウスかルドガーが犠牲になるしか他に道がないのだ。その事にレイアもどうしようもない無力感にかられて目を閉じて俯く。


『嫌だ……嫌だっ……!』


なおも、認められず、ルドガーは子供のように嫌だと繰り返す。
そんな様子にガイアスが厳しい言葉を投げかける。


『ここまできて目をそらすのか? いくつもの世界を破壊して、ここに立っているお前が』


王として、個ではなく、全を優先した物言いにリアスは改めて王というものの辛さを感じとる。だがそんなことなどルドガーにとってはどうでもよかった。彼は何も好き好んで世界を壊してきたわけではない。やらされてきたのだ。選ばされてきたのだ。彼等は自分の意志でついてきたが自分は違う。そうするしか方法がなかったから壊してきたのだ。


『嫌だ! 嫌だ! 嫌だっ! 嫌だっ!!』

『ルドガー……』

『何だよ…っ。全部お前らの勝手な都合じゃないか! 精霊なんて道具にでも何でもなればいいだろ! 世界はビズリーにでも救わせればいいっ!!』

『それが君の選択なのだな、ルドガー?』


ジュードの手を弾いてそう叫ぶルドガーに黒歌は彼の本質を見出す。彼はあくまでも全よりも個を優先させる人間なのだ。自分の大切な者がいれば他のことなどどうでもいいという自己中心的とも言える醜さも彼の一部なのだ。

だが、それを知っても彼女は彼に減滅などしなかった。彼は全の事などどうでもいいと言う代わりに、個を守る為なら全てを投げ出せることを彼女は身をもって知っていた。そんな彼だからこそ彼女は彼を愛しているのである。


『俺には……できないっっ!』

『家に帰れ、ルドガー。やっぱりお前には無理だったんだ。
 けど、俺は、そんなお前が―――ぐああああっ!!』


優しげな声でルドガーにまるで自分を犠牲に出来ない優しいお前が好きだとばかりに話しかけるユリウスだったが、時歪の因子化(タイムファクターか)が進行し、苦しげな声を上げてさらにルドガーにもたれかかる。だが、それでもルドガーはずっと自分を守ってくれて、ずっと傷ついていた兄を殺す選択など出来なかった。


『すまん……手をわずらわせることになった』

『俺がやる』


ユリウスにはもう、自分で自害する体力すら残っていなかった。その為に自分を殺すようにジュード達に頼む。そしてガイアスが長刀を抜き放ち、自分がユリウスを殺すと言う。汚れ仕事を自ら買ってでたガイアスをジュードが止めようとするがガイアスは止まらない。


『やめてくれ! やめてくれ!』

『……許しは請わん。俺達はこの世界の為にカナンの地へ辿り着かねばならないのだ』


悲鳴を上げながら、やめてくれと頼むルドガーにガイアスは心を鬼にしてこの世界の為だと言う。だが、ルドガーにとってはそんなことは言い訳にしか聞こえなかった。綺麗事を並べ立てているが結局は自分の望む世界が欲しいということだ。それが誰の為であろうとエゴであることには変わりがない。なら―――俺は俺のエゴを貫いてもいいじゃないか。



『兄さんを守る! うあああーーーーっ!!』



叫び声を上げて、ユリウスと共に立ち上がるルドガー。そして何かを決心したルドガーの顔に黒歌達はゾッとする。なぜなら、その顔が余りにもヴィクトルに似ていたからである。ルドガーはユリウスの懐から時計を奪い取り、ジュード達の方に向き直る。


『お前……っ!』

『まさか!』


ルドガーは時計を二つ同時構え、スリークオーター骸殻へと変身する。そして、突然の事態に困惑するジュード達へと襲い掛かっていく。祐斗はその姿が自分達に刃を向けて来た時よりも遥かに鬼気迫るものであることに愕然とする。そして確信する。ルドガーは、仲間達を皆殺しにするつもりなのだ。大切な者を守る為に……かつてヴィクトルがやったのと同じように。


『なにを!?』

『兄さんを守る! お前達を皆殺しにてでも!』


ローエンと斬り結びながらルドガーは雄叫びを上げる。そんなところにレイアが昆で上空からルドガーに襲い掛かってくるがルドガーはそれを軽々と躱し、すぐさま反撃に出る。


『やめてってば!』

『やめろだって? 俺のたった一人の“家族”を殺そうとしているのによくそんな口がきけるな!』

『ル、ルドガー……きゃあっ!』


レイアと互いの武器をぶつけ合うが骸殻の第三段階に移行したルドガーにレイアが力で勝てるはずもなくあっけなく吹き飛ばされてしまう。そして再びローエンへと襲い掛かっていく。応戦するローエンだったがこちらも骸殻の前になすすべなく吹き飛ばされてしまう。そしてローエンを吹き飛ばした直後にティポが術を撃ちだして来るがルドガーはそれを躱し、蹴り飛ばす。


『はあっ!』

『エリーゼ!』


その直後に飛び上がり、エリーゼに向けて巨大な衝撃波を飛ばすが間一髪でアルヴィンがエリーゼを抱きかかえて避ける事に成功する。ルドガーの戦い方は弱い者から消していくという冷徹な実戦方式であった。そして、ルドガーは再び飛び上がり、ミュゼを切り落とす。その後、橋に着陸したルドガーは向かい側に居るガイアスと無言で向かい合い。同時駆け出す。


『『おおおっ!』』


槍と長刀がぶつかり合い、激しい衝撃波を生み出す。そんな様子にユリウスは止めることも出来ずにただ茫然と弟の行為を見つめる事しか出来ない。そして、ルドガーは橋の上から飛び降りて来てユリウスを守るようにその前に立つ。そこにジュードが殴りかかって来るがルドガーはそれを双剣で受け止める。


『ルドガー……』

『何を辛そうにしているんだ、ジュード? これが他人の世界を壊すってことだろ』


未だに悩むジュードに対してルドガーは軽蔑するかのように吐き捨てる。今まで彼等はルドガーを支えてきてくれた。しかし、ルドガーを支えたのであって、その罪を共に支えてきたわけではない。彼等は自分達も同じ罪を背負うなどと綺麗事を言っていたが、結局の所、ルドガーを気遣っていただけだ。

同じ罪を背負っているのであれば気遣うのではなく共に苦しんでいなければおかしい。だが、彼等にはいつもルドガーを気遣う“余裕”があった。心をすり減らし、必死に泣き出したいのを堪えてきたルドガーと同じ罪を背負っているはずなのに。何故か。それは彼等が心の隅では世界を壊しているのはルドガーであって自分ではないと思っていたからである。

だからこそ、ルドガーは今、彼等に本当の意味で世界を壊すという重みを突きつけたのである。そしてその重みに打ち勝つにはエゴを貫き通すしかない。この戦いはお互いのエゴとエゴのぶつかり合いである。それに気づけなければジュード達に勝ち目はない。


『それが君の決断か』

『ああ、そうだよ、“マクスウェル”。こんな腐った世界の為に兄さんを犠牲にする気はない!』


ルドガーはこの歪んだ世界に兄を犠牲にしてまで救うほど価値があるとは到底思えなかった。精霊など、死んだ方が余程いい世界になるのではないかと思う始末だ。そして、彼はもう、こんなふざけた世界にしたマクスウェルであるミラ=マクスウェルをミラと呼ぶ気はなかった。彼のミラは“ミラ”だけなのだから。最後の最後に僅かに仲間への情を込めた視線を向けた後、殺意の籠った眼でかつて(・・・)の仲間達を殺しにかかる。





『お前は……俺なんかのために、すべてを捨てたのか?』


仲間達の死体が転がり辺りが赤く染まっている中、返り血がついた双剣を手に背を向けるルドガーにユリウスがそう声を掛ける。俺なんか、という言葉にイッセーはユリウスが自分という人間を卑下しているのだということが分かった。

ルドガーという人間が過激な一面を持っているのはヴィクトルの記憶を見たことから分かっていたのでこの惨劇には驚きはそこまで起こらなかった。だが、仲間や世界よりも大切だと言われたにもかかわらず自分のルドガーにとっての価値が分からないユリウスに、どんな過酷な人生を生きてくればこうなるのかと思ってしまう。


『全部……無駄だったか……うっ!? ぐああああっ!』


カナンの地を見上げてそう呟いたユリウスの元に時歪の因子化(タイムファクターか)の浸食が襲い掛かる。時計を落とし、苦しそうにもがくユリウスの左腕は全てが黒く染まり、首筋も染め上げ、頬までも浸食してしまう。その様にリアスは今までユリウスはずっと気力で進行を抑えていたのではないかと考える。

そして今、気が抜けたために一気にその命を削られた。弟が何もかもを捨ててまで守ってくれたにもかかわらず……。その虚しさに小猫は言葉が出なかった。どう足掻いても“ルドガー”は大切な人と長くいることが出来ないと言う事実が黒歌の胸を締めあげる。


『ルドガー……』


返り血を頬につけたまま苦しむ自分の元に駆けつけて来た弟にユリウスはそう呼びかける。そんな兄に対して弟は泣きそうになりながらも微笑みかける。


『例え残り少ない時間でも、1分1秒でも兄弟として一緒にいたい。そのためなら俺は、どんなことでもするよ。料理だって好きなだけつくってやるし、世界も絆も、いくらだって壊してみせる。だから……安心してくれ、兄さん』


『……ああ、だが、これも、俺の望んだ世界……か』


その言葉にユリウスは穏やかな笑みを浮かべて、ルドガーに自分の体を預けて目を閉じる。ルドガーはそんなユリウスを涙声になりながらも強く抱きしめる。そんなルドガーに対してユリウスも弱々しく抱きしめ返す。その力の無さが彼に与えられた残り時間の少なさを物語っていた。そして兄弟は立ち上がり、じっと見つめていた飼い猫と共に自分達の家へと帰っていった。





家に辿り着いた兄弟はユリウスが最近食べていなかったので食べたいと言うルドガーの手料理が出来るのを待っていた。ルドガーが作っている間にユリウスはルルにロイヤル猫缶を与えていたがそれをルドガーは咎めない。もう、残り時間が少ないことを分かっていたから好きにさせてあげたかったのだ。


『兄さん、トマトソースパスタができたよ』

『ああ……懐かしいな。もう、随分と食べてなかった』


ユリウスはしみじみと呟きながらルルから離れてルドガーに助けられながらなんとか椅子に座る。そして時歪の因子化(タイムファクターか)の進んでいない右手でフォークを持ち、パスタを絡ませ口に運ぼうとするが―――


『ぐうううっ!?』


右手に強烈な痛みを感じてフォークを取り落してしまう。そしてよく見てみるとその手は時歪の因子化(タイムファクターか)で黒く染まって来ていたのだ。そんな様子にヴァーリは彼の死期がすぐそこまで迫ってきていることを感じ取り、どうしようもない絶望感を感じてしまう。


『ほら、兄さん。俺が食べさせてやるから。兄さんは何もしなくていいから……』

『……ああ、すまないな。ルド―――うあああっ!?』


全身に焼けるような痛みが広がりユリウスはのたうち回り、トマトソースパスタの入った皿を叩き落としてしまう。そして、止めとばかりにその顔に時歪の因子化(タイムファクターか)が広がっていき、右目を赤黒く染め上げ、彼から視力の半分を奪い去る。そんなユリウスをルドガーは消えてしまわないように強く、強く、抱きしめる。


『大丈夫だよ、兄さん。すぐに……また……作るからさ』

『……いいんだ、ルドガー。俺にはもう、時間がない。全てを捨ててまで守ってくれて……俺は嬉しかったよ』

『そんなこと言うなよ! まだ…まだ……一緒に居られるだろ!』


もう時間がないと言う、ユリウスにルドガーが嘘だと思いたくて叫び声を上げる。だが、現実は残酷だった。時歪の因子化(タイムファクターか)が遂にユリウスの体から白い部分を全て奪い取ってしまう。ルルがその様子に不安げに寄り添ってくるがユリウスにはもう、愛猫を撫でる力も残っていない。


『はは……もう、お前とルルの顔も見えない』

『兄さん……兄さん……っ!』

『ルドガー……これで最後だ』


もう、何も見えない目でユリウスはルドガーを見つめて微笑みかける。



『最後までお前の兄貴で居られて……俺は本当に嬉しかった』



そう言い残してユリウスは黒い靄となって消え去る。ルドガーは空になった腕の中を茫然と見つめる事しか出来ない。そして住人が一人いなくなった部屋にはルルの悲しそうな鳴き声が部屋に響き渡る。そんな様子に黒歌達はヴィクトルを思い出す。彼には本物になると言う目標があった。エルがいた。だから生きることが出来た。なら―――空っぽになったルドガーはどうする?


『……兄さんのいない世界なんて……俺の―――本当の世界じゃないっ!!』


そう叫んだルドガーは銃を取り出して、自分の頭に突き付ける。そんな行動に黒歌は驚きを感じることはなかった。何となくそうするのだろうなと直感的に分かっていたのだ。自分に対してあれだけ執着して守ろうとしてくれたのだ。もし、自分が死んだ場合もそうなるのではと思っていた。だが、実際にそんな光景など見たくはない。彼女は目を逸らしたかったがここまで来て目を逸らすわけにはいかないと我慢して見る。



さよなら(Good bye)俺の世界(my world)



乾いた銃声がマンションの一室に響き渡る。そして吹き出す血が部屋を赤く染め上げる。この部屋に残ったのは床に落ちた、トマトソースパスタと冷たくなったこの部屋の主、そして飼い主を失った一匹の白い猫の悲しげな鳴き声だけだった。



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さて、どうだったでしょうか、もしここまで読んだ方がいらっしゃるなら感想を書いてくださると嬉しいです。

次回は世界と少女一人を救いに行きます!

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