ねこ丼は緊張していた。
というのも、どういうわけか本日の狩りに小刀祢ではなくねこ丼が連れて行かれたからである。
(うっひゃああああ……これからどうすればいいんニャ…どうニャるんニャ…)
野良アイルー時代、ねこ丼は先輩たちがハンターの持ち物を盗ろうとしてボロボロにされている姿を見ている。そのまま手当の甲斐なく死んでしまったアイルーも少なくない。
アイルーが見上げても顔がよく分からないような、大きな大きなモンスターと戦っているハンター。その恐ろしい武器の攻撃をモロに受け、死んでしまうことになっても――アイルーたちは家族を養うため、決死の覚悟で挑むのである。
だからこそ、下っ端は先輩を見習い、使用人が如くお世話をする。その合間合間に、ねこ丼はハンターたちの"狩り"を見たことが何度かある。
木の実の採集中に遭遇し、仲間を二、三匹踏み潰していったモンスター、それを楽々と倒し喜々として剥ぎ取る姿。もしくは生きたまま仲間を食った竜に負け、体を焼かれ倒れるハンターの姿―――そのどれも、ねこ丼に恐怖を覚えさせた光景だ。
しかし下っ端生活から脱却するにはハンターから何か奪ってこなければならない…それもできるだけ上等なものであればいい。
こき使われるのに嫌気が差していたねこ丼は何人ものハンターの隙を伺い、そして結局恐怖心から襲いかかることができなかったのである。
―――そんな時に出会ったのが
しかもその武器は弓。今まで大剣などを見てきたねこ丼にはとても弱そうに見えた。……だからこそ、襲った…いや、襲おうとしたのだが。
(あのご主人様ですら"弱い"ハンターに位置するニャんて……僕、化け物退治はできニャいニャー!)
小梅が「ダメダメ」と評していたのが信じられない。もしかして知らなかっただけで、どのハンターもジャギィの尻尾を掴んでぶん回して倒すことが出来るのだろうか……あんな攻撃を受けたらねこ丼なんて脳みそが飛び出して死んじゃいそうなのに。桜妃が相手にできないモンスターと戦えだなんて無理ゲーすぎる。
「……おい、大丈夫かニャ?」
「ニャ……だ、だいじょーぶ…ニャ…」
「そんな緊張するニャ。今回はキノコを二十本採取するクエストに行くだけニャー」
「……怖いモンスターは出ないのニャ?」
「んー…まあ大丈夫ニャ。ご主人様は強いのニャー」
怖いならご主人様にくっつくことニャ、と勝重は言う。
確かに、小刀祢は日頃からアーシェを「強い!めっちゃ強い!」と褒め称えている。それにアイルー四匹、ひきこもり一人を余裕で養えるほどのクエスト量をこなしているのだ。
むしろ、初めての狩りが桜妃とのものでないだけいいかもしれない―――ねこ丼は期待を込めて背後を振り返った。
そこには普段ほど厳つい装備ではないが、背負っている太刀は美しくも恐ろしい気配を感じるものがある。そしてそれを振るう、鬼のように強いハンターは、
「…………」
タコさんウインナーを食べていた。
「……やっぱダメニャ…きっと死んじゃうニャ…」
「こらっ、クエスト前に不吉ニャことを言うんじゃニャい!」
「だって…あれ……」
「あれって言うニャ!あのお弁当は奥様が作られた愛妻弁当!あれを食べニャいとご主人様はやる気が出なくてすぐ帰ってきちゃうんだニャー!」
「でも……何もあんニャに可愛らしいおかずを作らニャくても…」
「ご主人様はあの可愛らしさがお気に入りなのニャ。あんまケチつけてると太刀でブスッとされるニャー」
「ええっ、嫌ニャー!」
ニャーニャーと賑やかなアイルーたちを気にせず、アーシェは黙々と食べ続けた。
「――――ニャっしゃァァァ!!倒せた!倒せたニャー!」
「虫一匹倒すのにどんだけ時間かけてるんだニャ…ご主人様はもう掘り尽くして次のエリアに行きたがってるニャー」
「えっ…暇なら助けてくれニャー!」
「それじゃお前のためにならないニャー。まあ笛吹いてやるから怒るんじゃニャいニャ」
ニャーニャー鳴き合うオトモを置き去りに、アーシェはピッケル片手に次のエリアに移動する。
それに気づいた二匹が慌てて追いかけると、アーシェの歩みは遅くなった。
「キノコ、あと幾つニャー?」
「あと六個ニャ。ご主人様、頑張るニャー!」
「……」
こくん、と頷いたアーシェにニャーニャー鳴く二匹は、それぞれ二手に分かれて採取を始める。
勝重は木の実を、ねこ丼はハチミツを採取すると、アーシェは目当てのキノコをポーチに詰め込んでいく。時折虫と争うねこ丼の叫びを除けば穏やかな採集作業であった。
「ふ、…は…ははっ、ニャハハハ!勝った!勝ったニャ!旦那様!勝ったニャー!」
「うるさいニャ!たかが虫三匹倒せただけでなに喜んでるんだニャー!」
「でも僕―――」
「………ねこ丼、」
ふと、黙ってねこ丼と勝重を見ていたアーシェが立ち上がる。
ねこ丼は「あれ……名前呼んでくれた?えっ、そんなの名付け以来ニャー!」と喜びの声を上げる前に、アーシェはすらりと太刀を抜いた。
「………えっ」
ゆらりと恐ろしい刃をさらし、数歩歩いていたアーシェはついに走り出す。ねこ丼は訳が分からず無意識に頭を抱えて小さくなった。
「グアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!」
「ひっ!?」
辺りに羽と血が散る。
そう気づいた瞬間、ねこ丼は横からの衝撃で吹っ飛んで転がる―――それと同時に、ドスンとモンスターの足がねこ丼の居た場所に振り下ろされた。
(ニャ…ニャ!?)
急な襲撃に、体は震え思考は停止する。
そんなねこ丼を置き去りに、目の前の光景は荒々しい。暴れる色鮮やかな怪鳥の嘴は、いつの日か仲間のアイルーの背骨を叩き折ったものと同じで、思わずねこ丼は後退る。
しかしアーシェと勝重は動じることなく、怪我も追わずに怪鳥を切り刻んでいく。
派手さはない、教科書通りの綺麗な太刀捌き、勝重の勇猛果敢な攻めに怪鳥はまた鳴き声をあげた。―――不思議な鳴き声だ。
「ニャ……旦那様ッ!上、上ですニャー!!」
ねこ丼の叫びに、アーシェは一歩引いて上を睨む。上空にはリオレイアが叫び声を上げている。
それに気を取られたのは勝重も同じようで「うええええええ」と悲鳴のような声を出していた。
「ん゛ニャ!?」
その隙を怪鳥は突く。
勝重は吹っ飛び、持っていた武器が最悪なことにアーシェの方へ飛んでいった。
「っ」
武器自体は簡単に避けたが、味方の登場に勢いづいた怪鳥はしつこく攻撃を始め、リオレイアは炎の固まりを吐く。
それを余計な動きをせずに冷静に避けていたアーシェだが、運の悪さが続いた。――吹っ飛んだ勝重がパニック状態であたふたと逃げ惑い、火弾にまた吹っ飛んでアーシェの足を躓かせたのである。
「ご主人―――」
なんとかすっ転ばずに体勢を直したアーシェに謝ろうと立ち上がった勝重だが、謝る前にアーシェに蹴り飛ばされる。その光景に、ねこ丼は先ほど自分を救った衝撃の正体を知った。
弧を描くように吹っ飛ぶ勝重をなんとかキャッチしたねこ丼は、次の瞬間、アーシェが逃げ場を失くし怪鳥とリオレイアの火に飲まれるのを見た―――。
「だ…旦那様ァァァァァァァァァ!!!」
今日のクエストは採集だから、アーシェの装備は火に強いものではない。いや、耐性のあるものでもあんな攻撃をされたら無事では済まないだろう。
轟々と燃える炎に、二匹のモンスターは満足げに鳴いた。―――鳴く。それでねこ丼は勝重の持ち物を思い出した。
笛。
(勝重さん……ダメだ。……ええいっ!)
勝重の腰から笛を引き抜く。見よう見まねで吹いてみると、自分の体の痛みが引いた。
成功していることに安堵しながら、ねこ丼はただひたすら吹く。そしてそのために、二匹のモンスターに睨まれた。
「ひっ」
恐怖のあまり笛が手から落ちる。体は動かないのに怪鳥は近づいてくる。炎は――大きく揺らいだ。
「グアッ―――アアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
それは、力強い一撃だった。
怪鳥の首が気持ちいいくらいに吹っ飛び、首から下が重たい音と共に地に沈む。狩人はその勢いを殺さずに体をひねると、怪鳥の近くへと移動していたリオレイアの顎を切り裂いた。
「ギャア!」
仰け反るリオレイアから鱗が散る。痛みに驚いていると二撃目が迫っているのに気づき、体を引いた。
そして急いで飛び上がると、憎々しげに睨んでから別のエリアに逃げ帰ったのである。
「……生きているか」
振り返って尋ねるアーシェの姿はひどいことになっていた。
頭の装備は燃え尽きていたし、上半身の鎧も溶けて胸と二の腕が見えている。足装備は黒く汚れていた。
―――それなのに、その体に火傷の痕はない。元々あったのだろう古傷と、煤で汚れた箇所があるだけだ。流石に三つ編みは解けてしまっているが、長い髪もまったくの無事である。
「だ、旦那様……旦那様ぁ―――!!」
ねこ丼は涙と鼻水を垂らしながらアーシェの胸に飛び込んだ。
そして火傷した。
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