竜は今日も幸せな夢をみる   作:ものもらい

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2.ご主人様は引きこもり

 

 

 

拉致されて二週間が経つ頃になると、ねこ丼はすっかり誘拐犯の家に馴染んでしまった。

 

拉致した相手とはいえ、あのハンター二人はねこ丼に暴力を振るうことも奴隷扱いすることもない。家事をすればお給金だってくれるし、元々棲んでいたところと違って休日というのもある。寝床も綺麗で暖かいし、あのふわっふわなハンター・桜妃(さき)が作るご飯はとても美味しい。

これでは、(結局獣であるからかもしれないが)ねこ丼は「ご主人様―」と二人の後をてこてこ追いかけるようになってもしょうがないことであった。

 

 

「ねこ丼は早起きな子ニャねえ」

「ニャ、ねこ丼は毎日そんなんで、よく保つニャー」

「本当ニャー、僕なら三日で死んじゃうニャ。まったくどっかおかしいんじゃニャいのー?」

「先輩ひどいニャ…」

 

―――元々の習慣から、ねこ丼の起床は早い。

アイルーの群れでは、若いのが下働きをして年上の世話を焼くのが当然で早朝から深夜まであっちへこっちへと働くのである。そのため、この家での「仕事」はねこ丼にとってぬるさを感じるものであった。

そのせいかちょっとした仕事に全力をかけるようになってしまい、今や床はピカピカとアイルーたちの姿を映していた。

ねこ丼は床磨きの手を止めて「おはようニャー」と挨拶をすると、先輩アイルーたちも元気よく挨拶を交わしてくれる。

 

ちなみに、ねこ丼の床磨きを手伝い始めたのが「勝重」というオトモアイルーである。この家の主人にして無口なハンター、アーシェ専属だ。名前の由来は……アーシェが気に入っていた料理屋の名前らしい……。

郵便を確認しに行ったアイルーもアーシェのオトモアイルーで、名前を「小刀祢」という。由来は「小刀祢」という料理屋の前で拾ったから、ということらしい……。

 

そして、家のあちこちに置かれたり吊るされている花やハーブの水遣りと虫捕りを始めているのが「小梅」で、つい先日まで桜妃唯一のオトモアイルーだった。

いつの間にか桜妃のオトモにされていたねこ丼の先輩というわけだが、小梅はとても穏やかな性格をしているのでねこ丼は先輩アイルーの中でも小梅に一番懐いている。

 

なお、彼らはねこ丼が名前をもらうまで、それぞれ用事のために家にいなかった。

勝重は狩りで怪我をし治療のために家を出、小刀祢は手紙を届けに遠くへ行き、小梅はアーシェの言いつけでこれまた遠くへ出かけていた。出会った当初は緊張で会話もぎくしゃくしたものの、しばらくすると四人でお喋りしたり出かけたりするくらい仲良くなれた。

そんな賑やかさのせいか、ねこ丼は故郷のことを思う時間が少なくなっていたのだった。

 

「みんな、早起きねえ…」

「奥様!」

「奥様おはようニャー!」

「おはようございますご主人様」

「お、おはようですニャー」

 

目を擦りながら寝室から出てきた桜妃に、先輩たちは一斉に挨拶をする。

ねこ丼は一匹遅れて挨拶すると、桜妃は「おはよう」と言ってアイルーたちの頭を撫でていく。そして伸びをして、顔を洗いに部屋に入っていった。

出てきた頃には長い桜色の髪を後ろでひとつに結い、台所に立って野菜などを入れた籠に手を伸ばす。ひょいひょいと選んだそれを、小刀祢が受け取って水で洗い始めた。

 

「あとは、パンと肉と……たまご……」

 

機嫌が良さげだった桜妃の手が止まる。―――というのも、桜妃はどういうわけか卵が苦手なのである。

しかし本人は「甘い卵焼きが好き」とねこ丼に喋ったことがあるので、味が嫌というわけでもないらしい。……目玉焼き以外なら、彼女は少し食べるのだ。

それよりも苦手なのが卵の扱いのようで、彼女は卵を持てない。というか触れない。つまりは卵料理云々の前に、卵を割るという簡単な作業すらできないのである。

 

しかしそれを除ければ、彼女の料理はとても美味なのであった―――…たまに調味料入れ忘れているけれど。

 

「俺が割るよ」

「え?」

 

動きを止めた桜妃に、アイルーたちがどうしようと困っていると助けが入った。アーシェが起床したのである。

いつもは背に一本の長い三つ編みを垂らしているのに、今は髪をただ後ろで低く結っているだけの彼はひょいひょいと桜妃の背後から卵を取ると、一つを机の角で叩いて椀の中に入れようとした。―――が、力の加減を誤って殻ごと盛大に入れたのであった。

 

「……ここは俺に任せろ」

「わかったわ」

 

箸で懸命に殻を取る作業を始めるアーシェに、頷いた桜妃は洗った野菜を切ろうと背を向けた。

しかし急に動きを止めて、「ねえアーシェ、」と殻取り中の男を振り向かせたのである。

 

「なん、」

 

―――ちゅ、と。

頬にキスをした桜妃は、「えへへ、忘れるところだったわあ」と笑い、「おはようね」と言う。

キスされたアーシェは持っていた箸をどういうことか灰に変えると、「お、おはっ…は……っほん、………おはよう」といつもの表情の変わらない顔で挨拶を返し、卵の殻を取り除く作業を始めた。

そしてこの後、結局全ての卵を殻ごとぶち込むことになるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう行ってしまうの?」

 

悲惨な卵も小梅が綺麗に焼き上げ、今日の朝食も無事美味しかった。

のんびり食後のお茶も楽しみ、今日の当番である勝重が食器を洗い終わるとアーシェは重い太刀を背負って玄関に立った。

先程までアーシェの長い髪を三つ編みに結って遊んでいた桜妃は寂しそうに彼を見上げ、「今日はどこに行ってしまうの」と尋ねる。

 

「雪が降ってる所だよ」

「雪?いいなあ、行ってみたい」

「ダメだ、お前採集もせずにかまくら作って遊んで帰るだろ」

「そんなことしないもの。この前本で読んだ"幸せの黒兎"を探したいの」

「幸せの黒兎?」

「この前買った絵本に書いてあったのよ。黒兎さんを見つけて林檎をあげるとね、お宝が眠っている場所を掘ってくれるのよ」

「へえ」

「でもね、痛んだ林檎をあげると毒を吐く大きなモンスターの食卓に連れてかれるの。だからこれ、昨日買ったばかりの林檎、持って行って」

「いや、余計なもの持っていけないから」

「えー」

 

受け取られなかった林檎を見下ろした桜妃は、むう、と頬を膨らませた。

 

「…じゃあ、林檎のタルトを作る。だからちゃんと帰ってきてね」

「わかった」

 

はい指切り、と小指を結んで、アーシェはオトモを二匹連れて家を出る。

足音が聞こえなくなるまで動かずにいた桜妃は、名残惜しそうに玄関から離れ、ソファに腰掛けた。

―――このソファもだが、この家の家具は丸みを帯びているせいか柔らかな印象を与える作りだ。

高級感はないもののほっと落ち着くような可愛らしいもので、会話の種にねこ丼が先輩に聞いたところ、なんとこれらの家具のほとんどはアーシェが作ったものだという。

 

アイルーの中でも一番の古株という小梅が言うには、アーシェは生きていくため、鍛冶屋だろうが大工だろうが職を選ばずに下働きをして生活費を稼いでいたのだという。

元々手先が器用だったのもあり、本職ほど完璧なものはできないがそれでも十分な出来のものが作れるらしい。

生活が落ち着いた頃、やっとハンターとして食っていけるようになったそうで、師がよかったのか元々狩りの才能があったのかすぐに上級ハンターに成り上がれたそう。

 

そんな何でもできるひとが何で桜妃のように苦労知らずで世間知らずな、ふわっふわなハンターと同居しているのかと問うと、「胃袋をガッチリ掴まれたから」との返答だ。

 

「林檎、もっと買おうかな…」

「大丈夫、足りますニャ」

 

桜妃の呟きに答えて、小梅は林檎を受け取る。

そのまま台所に向かう小梅に「ありがとう」と笑った桜妃は、小さな欠伸をすると一度目を閉じ、ゆっくり瞬きをして―――寝た。コテンと、ソファに華奢な体が横たわる。

 

「……寝ちゃったニャ…これ、何度見ても慣れないニャー」

「しょうがないニャ。……こういうご病気なんだニャ」

 

ねこ丼はブランケット取ってくると、起こさないように(といっても滅多なことでは起きないのだが)おそるおそるブランケットを被せる。

―――まったく身動ぎもしないその眠りは、なんだかゼンマイの切れた人形のようだ。ハンターとは思えない容姿もだが、彼女の性格のようにふわっと広がるスカートの「お嬢さん」な服装もそう思わせるのかもしれない。

 

「ご主人様も可哀想ニャ…これのせいで、ずっと家に閉じこもり続けニャくちゃいけニャい……」

 

溜息を吐いた小梅は、鍵を取り出して玄関と裏口に施錠をする。

ここは比較的治安の良い街であるが、かといって泥棒がいないわけでもない。

留守の多いハンターの家を狙う泥棒は案外多いのである。

 

「でも、そんな体にゃのにどうしてご主人様はハンターなんてやってるんだニャー?」

「…こんなことになってしまう前から、ご主人様はハンターだったのニャ―――といっても、大きなモンスターを満足に狩れないダメダメハンターだったけど…」

 

鍵を隠し場所にしまうと、小梅は桶を手に取った。

 

「ご主人様は狩りは嫌いだけど遠出は好きなのニャ。未知のものに触れたりするのが大好きニャ。だから旦那様は、ご主人様の体調が良い日は自分がオトモするのニャー」

「……じゃあ、採集ツアー頼めばいいのに…」

「ご主人様の防具とか作らニャくちゃいけニャいから……それに、お金はいくらあっても困らないのニャー」

 

 

静かに眠り続ける桜妃を起こさないよう、小さな声でお喋りをしながら、二匹は掃除の続きを始めたのだった。

 

 

 

 

 

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