竜は今日も幸せな夢をみる   作:ものもらい

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18.ご主人様はちょくちょく問題を起こす

 

久々に泣きついて、そのまま眠ってしまった気がする。

 

すっきりしない目覚めに思わず眉を顰め、のろのろと体を起こせば膝を貸してくれていた桜妃(さき)の白い手がアーシェの頬を撫でた。

 

「おはよう」

 

―――窓から差し込む夕日で、桜妃の表情はよく見えない。

その白い肌とワンピースは夕日よりもなお昏い色に染められていて、まるで血に汚れているようでゾッとする。

 

けれどそれ以上にアーシェを不安に駆らせたのは、桜妃の平坦な、凍ったような声だった。

普段ののんびりした、聞いていて心地良い優しい声音の消えた彼女の口調はまるで、駄目な役者のようにひとつひとつに違和感がある。

 

「……どうしたんだ?疲れたか?」

 

ぜひそうであってくれ、と思いつつ、アーシェは桜妃の体調を気遣う。

 

「どうかしら。わからない」

 

まったく抑揚のない桜妃に、アーシェは浅く息を吐いた。

嫌な予感が、彼を震わせた。

 

 

「わからないの……此処はどこ?もしかして街に居るの?こんな場所知らない……それに、今はなぜ秋ではないの?私の髪は肩までしかなかったのに、どうしてこんなに長く伸びているの……」

 

桜妃はするりとアーシェの頬から手を離し、そのままじっと傷一つない己の手を見た。

 

「私の手は、こんなお嬢さんの手じゃなかった……もっと、苦労した…傷も豆もある、綺麗ではないけれど、いつだって私に自信をくれた手だった……」

「………桜妃」

 

震えだす桜妃に、アーシェは躊躇いがちに腕を伸ばすもしっかりと彼女を抱きしめる。

それでも震え続ける彼女をあやしながら、できるだけ穏やかな声で―――真実を()えた。

 

「ここは、俺たちのいた村よりも南西の、俺たちの住んでいた村のことなど誰も知らない人たちの住む、……少し煩わしいこともあるけれど、良い街だ。

秋は……あの秋は、もう十年も昔のことだよ。十年も……お前は俺の心を守ってくれていたせいで、ボロボロで、ずっと眠っていたんだ」

「……十年も…」

「そう。―――でもそれが、優しい夢であってくれたら、俺はなによりも嬉しい」

「アーシェ…?」

「……本当だ。……うれしいんだよ…」

 

本音を吐きそうになる唇を噛んで、しばらく俯いたアーシェはゆっくりと体を離すと彼女の美しい無垢の瞳を見た。

 

「…アーシェ」

「なんだ?」

「どうして、人形が揺籃(ゆりかご)の中に置かれているの?」

 

 

―――揺籃の中には、二人に似た高価な人形が玩具に囲まれて眠っている。

アーシェはただ不思議そうに尋ねた桜妃に答えようとして、そのまま泣いてしまった。

 

桜妃は今、無邪気に彼の「子供」を、殺したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――近くで、あの紙芝居が始まる。

あまり明るい内容ではないが、語り手が描いたのだろう絵は幻想的で美しかった。そのせいか、今日も子供たちはわいわいと語り手の元へと集まっていく。

 

 

「アーシェ」

 

防具も身に付けず、私服姿でぼんやりと紙芝居を眺めていたアーシェはのろのろと隣を見上げる。

心配そうに見下ろす保食(うけもち)が、チラッと紙芝居を見てからアーシェの隣に腰を下ろした。

 

「顔色、悪いぞ」

「…ああ……」

「何かあったのか?」

「うん……」

 

アーシェの輝きのない目は、煌きの中、遊ぶように舞う蝶を追う。

 

「桜妃が」

「うん」

「昨日、記憶が…戻ったんだ」

「……ああ、桜妃ちゃん、たしか記憶喪失なんだったか」

「そうだ……全てを思い出したわけではなかったし、昔のことを少し思い出す代わりに現在のことが思い出せなくてな……どうしてと言うあいつに、ひとつひとつ…問題のない部分だけ、答えたんだ」

「…どうだった?」

「その全てを理解した。疑うでも、否定するでもなく。俺の答えを全て受け入れた。

………まあ、今朝になって、その記憶は全て消えて()()()()桜妃に戻ったけど」

「えっ」

 

目を覚ました桜妃は、あののんびりしすぎた調子で「昨日、何してたっけ?」と首を傾げていた。

その姿に懐かしさを感じながら、アーシェは今度はやんわりと嘘を吐いた。「桜妃は昨日、丸一日眠っていたんだよ」と言えば彼女は疑うことなくそれを信じた。

念の為に現在住んでいる場所、季節と日にち、オトモたちの確認をしたが、そのことについては彼女はすらすらと答えてみせた。

 

そして、()()()()()()()揺籃で眠る子供(人形)に笑顔で挨拶をし、その陶器の頬に口づけたのだ。「今日も幸せな朝よ、子どもたち」と囁いて。

 

 

「……俺はさ、『あの幸せな日々だけは思い出して欲しい』ってずっと思っていた。

せめてそれだけ思い出してほしいって……でもそれは嘘だったんだ。俺は昨日、願い通りに幸せな日々だけを思い出し、今を忘れた桜妃を見て……どうしようもないほど、苦しかった…」

「…今を忘れたからか?」

「違う……俺は……俺だけはもう、立ち直って前を向いて、桜妃の手を引いて生きていると信じていたのに―――いつまでも幸せな夢の中にいた桜妃の姿に、俺は内心縋っていたんだ。

目覚めない桜妃に付き合っているだけ、桜妃のためと思って触れないでいたことは全て、俺を正気でいさせるためのもので……本当の本当は、俺は立ち直ってなどいなくて。

あの日桜妃から逃げた事実と、そのまま何も解決せずにずるずると都合のいい世界を作っていた自分の情けなさを嫌というほど理解してしまったんだ……死にたくなるほど見たくなかった真実を、知ってしまったんだ」

 

眩しさの中に蝶が消えて、もう一度保食へと顔を向けたアーシェの顔には精神的な疲れが見える。荒んだ顔でもしているのかと思われた彼は儚げで、笑おうとしては失敗している。

同年代とは思えない表情だった。

 

「……いつか桜妃が全て思い出して、それで受け入れられずに壊れてしまったらどうすればいいんだろう。そのとき俺は、何に縋って生きていけばいいんだろう……あの時だって本当は、足元がふわふわして頼りなくて、今にも立てなくなりそうだったのに。

……それに、もしも…もしも、あのことを責められて、捨てられたら―――」

 

俯くと、アーシェは両手で顔を覆った。

まるで、叫び出しそうな自分を押さえつけているようだった。

 

 

「アーシェ……何も知らねー俺じゃあ的確なことは言ってやれねーけどよ、それでも俺はお前の愚痴も悩みも幾らでも聞いてやるし、手を貸してくれって言うなら貸してやる。

だから一人でそんなに背負い込むな。あんまり後ろ向きなことばかり考えてると、現実になっちまうぞ」

「保食…」

「責められて詰られて捨てられるのが怖いってんなら、俺もどうにかお怒りを解いてもらえるように一緒に頭抱えて考えてやるし、お前がどうすればいいかも分からねーって泣くなら俺があれこれ世話焼いてやる。

―――だからお前は、辛いだろうが桜妃ちゃんから逃げずに、今からでも少しずつ話し合ってみろ。

急に思い出しちまったらパニックになるのは当然だろ?だから少しずつ、ゆっくりゆっくり様子を見ながら話すんだ。

たぶん最初は理解できないだろうが、桜妃ちゃんはお前の話なら、苦しくても最後まで聞こうと努力するはずだから」

 

 

な?と普段は女にのみかける優しい声をアーシェに向けた保食は、そのまま彼の背をポンポンと叩く。

そして「ただでさえお前は思いつめやすいんだから、無理すんなよ」と言われてじわじわと目が熱くなるアーシェは、ぐ、と唇を噛んだ後に掠れた声で頷いた。

 

「ああ……ありがとう保食。―――甘えさせて、もらうよ…」

「おうおう、どんとこいどんと!」

 

元気づけるように明るく笑う保食に釣られて少しだけ笑ったアーシェは、視界の端に舞い落ちていく白い花弁に気づいて昔の彼女を思い出す。

 

『―――私、この花が大好きよ』

 

当時のアーシェは見たことのなかったその花は、桜ほどの大きさの、薔薇のような花が枝に幾つも咲いていて「可愛らしい」と思った。

特殊な条件下でしか育たないという可憐な花の木は、桜妃の村ではよく植えられていて満開の時期になると祭りが連日行われる。

楽の音に合わせて踊るのは子供から恋人に夫婦、酔っぱらいと様々で、その中にかつて自分たちは居た。

照れ臭くて俯きながら踊りに誘ったあの日、上手に舞った桜妃は薄紅色の頬をして―――そう、教えてくれたのだ。

 

(あれから、もうあの花も見ていないな……)

 

逃亡中の合間に、偶然見つけたあの白い花。

少しでも気を紛らせてくれたらと手折ってみれば、花を見た彼女は泣いてしまった。かつての幸せな毎日からどん底まで落ちて汚れた自分という現実に、心に罅を入れてしまった……。

 

それ以来はもう見せないようにと連れ歩いていたが、アーシェはあの花が好きだった。

いや―――正しくは、あの花の咲き散る中で笑う彼女が、好きだった。

 

 

「もしも……」

「ん?」

「もしも、桜妃が思い出しても…俺のそばに居てくれたら、あの木を家に植えようかな」

「……なら、俺があの木を贈ってやるよ。それで、二人で育ててみればいい」

「そうだな―――」

 

 

ふ、と微笑んだアーシェは、舞い上がる花弁をじっと見つめた後に瞼を閉じ、ゆっくりと目を開ける。

 

相変わらず体も心も重いけれど、それでもやるべきことを見失わずに済んだ、安堵感に救われた。

 

 

 

 

 

 

 

―――保食と別れ、足りなくなってきた食料を買い足したアーシェは真っ直ぐ帰路に着く。

隣近所がやっと駆け出しから卒業出来そうなハンター(男)であるせいか、慎ましいアーシェたちの家は余計可愛らしく見える。オトモたちが毎日世話を見てくれているおかげで、今日も庭は可憐だ。

そう、隣家の植木鉢にある瀕死の薬草やら火薬草(これはちょっと植えないで欲しい…)と違って―――となんとなく見ていたら隣人に睨まれたので、歩みを早めた。

 

アーシェはどういうわけか、ご近所さんと良好な関係を築けない男だった。

 

 

「……桜妃、帰ったよ」

 

この時間帯、よくオトモたちは転寝をしている―――のだが、何故か今日は桜妃と一緒に買った覚えのないお菓子を食べている。

桜妃は飲んでいた茶を置いてふわふわした足取りでアーシェに駆け寄ると、「おかえりなさい、アーシェ」と微笑む。

 

「桜妃…どうしたんだ、あのお菓子?」

「えっとね……こう、これくらいの背のね、可愛い顔をした男の子がね……」

「えっ」

「旦那様、リヴェルというお客様です」

「ああ、リヴェ……えっ!?」

 

ふわっとした桜妃の返答を見かねた小梅の説明に、アーシェはどういうことかと桜妃を問い詰めようとした。

あれほど自分がいない時に余所者を入れるなと口酸っぱく言っておいたのに―――と怒ろうとして、桜妃が猫のようにアーシェの胸に抱きついて嬉しそうに笑うものだから、アーシェは開いた口を閉じて桜色の髪を撫でる。

最近の不安定な桜妃ばかりを見ていたせいか、この普段の甘えん坊ぶりを見ると安心してついつい許してしまうのだった……。

 

「旦那様のおかげで幼馴染の方も大事にならずに済んだことと、その件のお金のことで感謝を言いたいと仰っていましたが……」

「え、あ……ああ、あれか……」

「アーシェはやっぱり優しいひとね」

「いや、べつに…」

「私、そんなアーシェが好きよ。優しくて、泣き虫だけど頑張っちゃうあなたのこと」

「……桜妃…」

「こんな私だけど、アーシェが頼ってくれるように頑張るわ」

「……もう、十分だよ」

「いいえ、もっと甘えて欲しいの!ぎゅーってしましょ、ぎゅーって!」

「…それ、桜妃が甘えたいだけだろ?」

「ちが―――きゃあ!あはははっ」

 

慣れた手つきで桜妃をお姫様抱っこすると、アーシェはいつもの二人の席へと歩く。

上機嫌の桜妃につられてほんの少し笑みを浮かべて見下ろし―――ふと、違和感に気づいた。

 

「……桜妃?お前、ここの髪の長さ、おかしいぞ?」

「ああ、それね、男の子にお茶菓子を出そうとしたら転んじゃって…男の子の防具に絡んでしまってね、なかなか取れないから切ったの」

「……切った?」

「ええ」

「………それ、どうした?」

「暖炉に入れたわ。でも、全然燃えなくて。困ったなあと思ってたら、男の子が急に火に手を入れて―――どうしたの?」

 

 

アーシェは、すぐさまソファに桜妃を座らせると暖炉に向かう。

穏やかに燃える火の中にはまだ桜色の髪が数本残っていて、火が幾度髪を撫でても焦げる―――どころか煌めきを増して輝く。アーシェは震える手で、美しいその髪を拾った。

その手は、炎の中にあっても焦げることなくある。

 

 

「………バレたか」

 

 

 

 

 

 

.

 


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