9虚映の使いも一部編集しました(orz)
今回、戦いはありません(焦)
桜ってこんな子だっけ?(震)
「サーヴァント、ですって!?」
目の前にいる、正体不明のナニモノの予想外な返答に凛は驚きを隠せずに顔を青くする。もし、彼女が想像している通りであるのなら衛宮久郎は、二体のサーヴァントを使役していることとなるのだから。
傍らにいるセイバーも周囲にも警戒を強め、制服姿のまま風の鞘に隠された剣を顕現させマスターの壁になるよう前に立ち、不意打ちに対処できるように構える。
しかしセイバーは、目の前に立っている少年に
先夜の住居内で短い間であったが邂逅を果たした時に見た人柄から、凛のガンドを施術者である本人に弾き返した後に、不敵に笑うこの少年が別人、もとい別存在であるのは明らか。
そうである筈なのに、見れば見るほど同一の人物を相手にしているようにしか思えないのだった。
凛の驚きっぷりに満足したクロウは、笑みを崩さずにすぐ言葉を付け足す。
「ああそうそう。私のは『英霊』ではなく単純に『使い魔』という意味ですのであしからず」
「……本当なの、セイバー?」
「ええ、確かに彼は我々サーヴァントとは異なる存在です」
嘘は、言っていないことはセイバー自身の直感スキルで判断できた。だが、肝心の正体については相変わらず不明のままであり、結論を出すのは早計と断じ警戒を続ける。
よく考えてみれば、彼には聖杯によって与えられるステータス看破の透視能力が働いていない。こちらが勝手に解釈し無意味に警戒していたところに態々敵が勘違いを訂正してくれたのだ、焦りは禁物だと気休めながらに深呼吸をする。
凛は、敵がサーヴァントでないこと知り幾分か顔に色を取り戻し、落ち着いて思考を開始する。
魔術師が、人間の思考に似せた使い魔を使役するのは別段、珍しいことではない。
ある魔術師は、自分の影武者として表社会相手に使い魔を当主と扱わせ
ある魔術師は、根源到達の研究に携えるために敢えて自分とは真逆の思考を植え付けて別視点からの意見を取り入れる反面教師として扱い
ある魔術師は、単純に自らの使い勝手のいい手足とした助手として扱き使い
ある魔術師は、人間そのものを使い魔として使役する
しかし、それを態々、自分と見分けが付かないほど完全なまでに似せる魔術師となると相応に絶対数が下がる。技術的な問題もあるが何より無駄が多い。自分に似せた使い魔を使用する機会など早々訪れることない上に、ただ単に似せるだけなら幻術や暗示の使える使い魔を放つ方が効率的であるからだ。
即ち、結論から言えば衛宮久郎は最初から冬木の管理者である
「ちなみに、遠坂さんと私は言葉こそ交わしていませんが初対面ではありませんよ?」
そんな、セイバー陣営の警戒を余所にクロウは、再び愉しげに口を開く。相手を嘲笑う、その口元は大きく吊り上がり笑いが込み上げているのが目に見えて分かった。
「なんですって……」
最早怒りや驚愕を通り越し唖然と凛が呟いた。
「月に二、三度? 多いときは、十日ほど連続で私が代わりに登校して来ていましたから。……おっと、そろそろ昼休みの予鈴が鳴りますね」
その、凛に追い打ちを掛けるようにクロウは、衝撃的事実を伝えるとまるでそれまでのことをどうでも良い世間話であったことのように長針が大きく傾いた時計を見るとあっさりとした口調で扉を目指し、宝具を構えるセイバーの横を通り過ぎようとする。
三年間ずっと、兄弟子である言峰綺礼が後見人として(十分とは言えないが)ある程度のサポートがあったのにもかかわらず、無断にこの地に居付いた魔術師の存在を感知できなかった自分を咎めていた。
一体、いつ入れ替わっていた? これから対峙するときに自分はこの得体の知れない男とその使い魔を見分けれるのか? 他の生徒、教師、この町の住人の中に何人魔術師が紛れ込んでいるのか?
凛は、内容の重みに耐えきれず思考の海に自分の精神を深く沈ませる。
「リン、気をしっかり持って!」
「ぁ、…………」
外見上、頭を押さえて呆然とした凛。出口を遮るように立っている自分達の傍に近づいてくるクロウをどうするのか支持を出そうにも、焦りを隠さず見るからに狼狽えていた。セイバーが、マスターの盾となるようクロウの線対称となるように足を運び、守りながら支持を仰ぐも彼女は動けなかった。
クロウが、セイバーと凛の左横を通り過ぎ、凛の後ろにある扉の前に到達した。
「リンっ!!」
「!?」
セイバーが動かないマスターの呼び名に喝を入れると、スイッチが入れ替わるように凛の瞳に光が戻った。彼女の決して自分を偽らないという強い意志が彼女の理性を叩き起こした。
「待ちなさい」
屋上と校舎内を隔てる扉に手を掛け開こうとするクロウを、唯の魔術師としてではなく冬木の
「あなたの主人は、この霊地冬木の管理を協会より任されている遠坂の許可なくこの土地に工房を構えているわ。これまでの上納金、及び引き続き正式にこの地に居付くのであるのなら、それ相応の対処を取る事となるのは当然理解しているわよね?」
扉に手を掛け押し開けようとしたその動作を取り止め、離れながら感心と呆れが混じった溜息を吐き、凛とセイバーのいる後方へ振り返ると、先程のクロウに振り回されるだけの様子とは打って変わった凛の態度に一目置いていた。
「冷静にこちらの出方を窺っているところ悪いんですけど、魔術のことなど全く知らない一般人『衛宮久郎』として振る舞うように
「……つまり、喋るつもりは一切無いってことね」
「私の一存では判断出来かねる状況である、とだけ言っておきます」
伝えられることは全て語ったといい終わると、再び凛たちに背を向き階段の扉を開けて降り始める。
「待ちなさい。学園の
その言葉に、反応したのか。クロウが歩みを止めてこちらを見る。その表情は、先程の他人をからかう事に欣悦を覚える者のではなく、いつも見慣れている衛宮久郎と同様の否、本人と言及されてしまえば納得してしまう。一般生徒、『衛宮久郎』本人と同じ顔が覗く。
「……何やっているんだよ、遠坂にセイバー。早く戻らないと次の授業に間に合わなくなるぞ?」
それは、学校中に
しかし、凛は彼らがこの件には直接関わってはいないであろうことは、薄々感付いていた。
ランサーから単独で逃げ
その上、単身で、あれほどの高度な使い魔を使役しているのならサーヴァントを
しかし、久郎はそれをしていない。
少なくとも形振り構わずに行動するようなことはしないタイプなのだろう。正体がわからないため保証はできないが、凛が邂逅した使い魔とその主が好戦的でなかった事はなによりの幸運であった。
階段を降りる足音が聞こえなくなるとセイバーが不可視の剣を仕舞い、
「リン、あの
「今は、可能な限り様子を見ることしか出来ないわ。手を先に出したのはこちら側であったことは事実だし、会談の機会に取り繋げられたということは、表面上話を聞く姿勢はあるということだもの。こちらから仕掛ける訳には行かないわ」
「だが、罠の可能性もある! 敵が一人ではないことが分かっているこの状況で受身でいることは危険だ!」
その翡翠色の瞳には、怒りの感情が込められ。その声は、非難と警告が折り重なった厳しいものだった。明らかに今までと様子が、纏う空気が変わった。
凛は、これほどまでに強く自らの意見を押し出したセイバーを見て驚嘆した。騎士王と名高い彼女はその渾名通り騎士然とした立ち振る舞いでマスターである凛を立てていた。その態度が一変し、突き立てるように凛の方針に異を唱える……明らかな否定をし出したのだ。
「どうしたのセイバー? 確かに私達が遭遇したマスターの中で一番警戒すべきだって、ことは分かるけどあなたのその反応は一体……」
「!? いえ、すみません。少々取り乱してしまいした。ですがリン、彼の使い魔の言葉を鵜呑みにするには些か不安が残る」
「それって、あ!?」
凛が過剰なまでに警戒をしたセイバーにその理由を問うとした時に、昼休みが残り僅かであることを告げる予鈴が響き渡る。その様子を見たセイバーは、目を閉じ過去の自身が体験したあの血と謀略に満ちた救えない昔話をするべきかを考える。
「………………リン、長い話になります。一度拠点となっている遠坂の屋敷に戻りましょう。ここでは安全が保障できない」
長い沈黙の後、再び口を開いたセイバーから出てきた言葉は、言外に安全ではないこの学園にいる数百人を見捨てるといったことも含まれていた。しかし、セイバーはそれをあえて言わない。召喚後のほんの二、三日で自分のマスターがどういった人物なのかは大凡把握していた。気高く悠然と構えたその立ち振る舞いから、自分がこれから話すことを知れば、壮絶に戦地へと赴き彼を糾弾する勢いで立ち向かうことだろう。
―――それでは駄目だ。
もし彼が自分が知る通りのあの男の関係者だとしたらと思うと気が気でない。自分の
セイバーは、一刻も早くこの場から立ち去ろうとマスターの手を掴み早歩きで階段を降りる。
「分かった。……今日は、取り敢えず早退することにするから、ちゃんと全部話してね?」
セイバーに手を引かれた凛は、セイバーのその何かを恐れる懸命な表情に圧されて思わず頷くも、セイバーに隠し事は認めないと釘を刺した。
彼女たちは、互いに困惑の形相のまま家路へと急いで行った。
―――目を盗む
「なるほど、面倒なことになったな」
時計の針が午後五時を過ぎた頃、衛宮久郎は朝の倦怠を拭い去るための寝間着とは異なる、運動を阻害しないジャージに着替えられており、自室で鏡の中から上半身だけその姿を現界させている自らと同じ顔をしている制服姿の使い魔の目の前に立ち、丁度向き合う形で別の今日の出来事を余すことなく見届けていた。
赤く輝いていた瞳が、元の黒に戻ると目を閉じ。ゆらゆらと動作一つに緩急をわざとらしく加えながら四、五歩後ろ向きに後退り、そのまま久郎はベッドに倒れこむように全体重を預ける。
「すみません。人払いが施されていたとはいえ、まさか行き成り攻撃してくるとは思わず。反撃してしまいました」
壁に掛けられている鏡に映る
久郎が第三魔法を応用し創り上げたカード型礼装の中でも、高い知能を持つ使い魔である。鏡を媒体としたことなら大抵のことができ、形態模写、呪い返し(神秘の反射)、鏡から鏡へと自身を映し通って空間移動を行うなど会話を始めとした様々な機能を持つ高位カードの一つである。久郎は、先日の戦闘が要因と思われる魔術回路の酷使から来る倦怠感から睡眠が必要と考え、自分の代わりに学校へと行かせていたのだ。
普段なら、普通に休みの連絡を入れるだけで事が済むのだが、聖杯戦争の最中に敵に弱みを見せるわけには行かないため大役者として
「いや、お前に落ち度はない」
言葉に対し余裕のある口調で久郎は腹筋に力を入れて起き上がった。その言葉には偽りなく焦燥もない。鏡に映った自身の使い魔を見る目には怒りも失望もなく、衛宮久郎が自身の身内に向ける、暖かみのある目であった。
実際、記憶を辿る(盗んだ)限り彼女の行動に迂闊な点は無い。衛宮久郎として学校に登校して授業を受け、桜に今日の夕飯について話し合うといった、衛宮久郎の役を演じ切っている。
いつもと違ったのは、遠坂が聖杯戦争に参加している
ただ、いつもと同じように過ごす様にとしか支持を出していなかった、主である久郎側のミスであり。有事の際は自己防衛も許可していた中で、無闇に遠坂凛を殺害、敗退、ないし再起不能にせず後日交渉にまで話を付けたのは最善でなくとも次善程度ではあった。
しかし、分からない事があった。
ランサーに襲われて、ライダーを召喚した夜から続く遠坂凛の衛宮久郎に対する、まるで無許可に霊地に侵入した魔術師に対するような態度だ。
そこだけが気味悪く喉に引っ掛かりを持った。
許可そのものは、三年前に魔術協会内の登録上の別人に化けて
その際、『衛宮久郎は日常生活、魔術関連事項に於いて
無論、保険として五十数年後の聖杯戦争の時に少々自分が有利となるよう細工した、―――一見して贈り物としては破格な
それでは、この状況に至るまでのある矛盾が生じていた。
「マスター、敵がこちらの出方を伺っているのなら有利となる戦場をどう整えるのか誘い出すのか。何れにせよ、それらをどう悟られずに出来るかが課題となります」
今まで霊体化していたライダーが、ベッドを間に挟み久郎の後ろに現界した。基本的に戦闘時以外は霊体化させて消費する魔力を抑えるのが通例であるのだが、切り札の一つを存分に引き出した今の久郎にとって魔力は無限に等しいため、彼が話を進めるのなら顔を合わせるべきだとライダーに言ってあった。その言葉を受けたライダーは念話を通さずに現界し直接喋る。
「そうだな、問題はそこだ」
久郎はすっかり日の落ちた窓の外を見て考察を始める。彼女の言う通り、これから如何動くべきかが悩みどころであった。
実際、こちらの守りは完璧であるので後手に回ったとしても危険は薄い。
現在、招かれざる邪まな御客人に対して、それ相応の報復と処理を行う衛宮の洋館には、敵意や殺意を持つ輩を決して逃がさず、音を殺し、道を塞ぎ、力を封じ、武器も手段も奪い、怪奇によって精神を削りつくした後、最後には異界化した奥の小部屋に肉体を縛る仕様となっている。
外からこの洋館を覗く一般人や害意無き客人には一見して、いつも通りの少々古臭く大きい建物にしか見えないが、敵の魔術師とサーヴァントには普通の屋敷にしか見えないのに、周囲の空気から滲み出る魔力の量に警戒することであろう。
それも当然である。この衛宮の洋館には五十三体の精霊クラスの礼装とライダーの
対城宝具や戦略級の大魔術を外部から打ち込まれた場合は、この洋館を残して周りが更地となる仕様のため、一般人に気付かれる前に周りの地を元通りにするか、間に合わないのなら洋館も周りの破壊状況に合わせて破壊することとなる。
無論、対界宝具や抑止力にまで有効かどうかは、試すつもりもさせるつもりもなく
久郎がいくら物思えど、その域に達してしまうと後は、そのような規格外に出会わないことを祈ることくらいだ。
久郎のこれからの課題は、聖杯戦争をいかに上手く
話が出来る相手であるのなら余計な禍根は残さない方が久郎自身、都合がいい。
しかし、魔術師を相手取る以上、万全を期して臨まなければならない。
久郎は、自室の窓の鍵を開けると冬の刺すような夜の空気が彼の頬を撫でた。右手には、一枚のカード型の礼装が中にあった。
「
街明りが薄く夜空を覆う厚い雲を見た久郎は、魔力を生成しながら呪文の詠唱を始めた。その声に応えるように、余剰魔力によって吹き溢れた風が白く小さな雪の結晶を纏い久郎の手から離れ、雨雲が覆う曇り空へと飛び立った。
「マスター何を、っ! ……誰かが来ましたので失礼します」
ライダーが、どういった仕掛けを施そうとしているのか聞こうとしたが、久郎が気付く前にこの洋館内に居る一般人の気配を、即座に霊体化して姿を隠し、
そして、暫くすると久郎の部屋の扉から控えめなノックが響いた。
「先輩、夕飯の支度が出来ました。藤村先生も待っていますので早く来て下さい」
先日の日曜日、久郎が一日中睡眠に勤しんでいる間、夕食を作りに来た部活の後輩である間桐桜が今晩もこの洋館に訪れていたのだ。その日は、
心なしか、桜の呼び声はいつもより機械的でいて且つどこか棘を感じられる。
「分かった、すぐ行くよ」
投影で作られた魔眼殺しの眼鏡を掛けて、部屋を出ると普段なら扉の前に立って待つ桜の姿が見えるのだが、今回は既に階段側の廊下奥を不愛想にこちらに背を向けて歩いていた。
下に降りてリビング行くと、いつもならソファーに寝ころびながらテレビを見て待っている自称義姉、藤村大河は珍しく今日の献立が並べられているテーブルに着いていた。
「ささ、久郎も来たし。食べよ、食べよいっただきまーす!」
見かけ上、空腹を訴えているだけのいつも通りの言葉掛けであった。しかし、その視線は見麗しい料理には向けられずに、桜と久郎を交互に向けられていた。表情は軽く、何かが起きるのを待ちきれずにほくそ笑む悪ガキのような顔をしていた。
「頂きます」
大河の隣に座っていた桜は、対照的に手を合わせて食事の挨拶以降黙って箸を進める。今日は鳥肉をカラッと揚げて自家製のタルタルソースに摩り下ろした人参を入れたチキン南蛮と海藻こんにゃくサラダ、ジャガイモと水菜の味噌汁であった。
「……頂きます」
久郎も二人の後に続き食事を始める。どれも上品に仕上げられており、差し当たり、変わったところもない。
大河は、相変わらず久郎と桜の様子を観察し、桜は沈黙を守り続け、大皿のサラダを小鉢に盛る。
揚げ物を噛み千切る音、海藻を咀嚼し、汁物を啜る音だけが粛としてリビングに奏でていた。
暫く、三人で静かに食事をしているうちに、普段なら今日の料理の出来について尋ねてくる桜がこちらを向かずに黙ったままであることに気兼ねて、久郎は意を決して彼女に語りかける。
「なあ、桜。昼休みのこと……気にしているのか?」
「おやー? 久郎ったら桜ちゃんと私というものがありながら遠坂さんにまで手を出すんだ?」
いつも有り余る元気でおしゃべりをし続ける大河だが、久郎を品定めるように目を細めてソースたっぷりの鶏肉を頬張る。
「気にしていませんよ、先輩。ただ」
手なんか出していないと、反対する前に今まで食事の挨拶以降声を出さなかった桜が沈着に否定した。しかし、箸を持つ手は必要以上に力を加えられていることがわかるほどに震えており、それを落ち着かせるためか、桜が箸を置きお茶の入った湯呑を手に取り口に含んだ。
「私が、先輩にどうやって話しかければいいのか分からなくって、つい黙り込んじゃっていました」
その静かな口調は、序盤は完璧であった。しかし、彼女が言葉を繋げるたびにその表層は剥がれて行き、だんだんとその胸に押し込んでいた心緒が込められる。隣に座っていた大河は、徐々に変わっていく桜の様子を見て冷や汗を掻いていた。
「藤村先生に今日、遠坂先輩が、先輩の事について聞きに来たって聞いて、実際昼休みに先輩が連れて行かれてから休み時間が終わるまで戻ってこなかったから、もしかしたらと思うと、私っ」
大河の名前が出た時に、久郎は、目の前にいる純粋な女子高生を焚き付けた現況を冷めた目で睨む。またお前か―――と。
今までの冷静を装っていた桜は打って変わって、今にも泣きだしそうな張りつめた弦のごとく差し迫った口調に変わった。
場の空気に大河は、この状況から脱することの出来る要素を探して部屋中に視線を泳がす。不意に、居心地の悪さの元凶がはっきりしたお蔭で安心して食事を続行していた久郎と視線が合うも、すぐに逸らされ、小さく何かを呟かれた。唇の動きだけであったが大河にはなんと言われたか理解できた、「自業自得」と。
厨房を見て、ガスの火が着いたままなのではと言おうとするも、先程桜が久郎を呼びに行く際に自分で消したことを思い出して断念し、テレビの方を見て何か衝撃的なリアクションを取ろうとするも、見慣れて飽きたと以前ぼやいていたコマーシャルの最中であり、何かないかと家中を見渡し、この際あの黒い悪魔でもいいからこの場の気まずい状況を打破する何かを!! と、心中で咆哮する。
焦り、混乱して精神が手負いの虎と化した大河に、涙を流しそうな桜の様子を見た久郎は、二人を見兼ねて味噌汁を飲み終えお椀を置くと、そのまま行儀悪くも箸を持ちながら窓を指差し、呟いた。
「雪が降っているけど、二人とも帰りは大丈夫なのか?」
「―――そうよ、いつだって。っえ? でも今日は確か」
「いっけない! 私、バイクだから積もったら歩いて帰らきゃならなくなっちゃう!! ちょっと、久郎! あんたは桜ちゃんを送って上げなさい!!」
顔色が変わるほど追いつめられていた桜は、予想外の久郎の声掛けに疑問の声を上げるも、それを遮るように大河が大声で誤魔化すように自らの提案を捲し立てながら夕飯にがっつく。
それからは流れるように、全員急いで食べて帰る準備を始める、桜が食器を片づけて流しの中にある水の張ったボウルに大きい順に食器を入れた。今日はこのまま置いておくだけでいいと久郎に言われてその好意に甘えさせて貰い桜もエプロンを畳み帰る支度を始めた。
玄関に行き着くと、既に二人は扉の外に出ていた。玄関先でジャージの上に誰かの御下がりだろうか、少しくたびれた黒いコートを着た久郎が傘を差しながらもう一本別の傘を持ち、大河はヘルメットを被りバイクに跨っていた。
「お待たせしました」
「おう、食器片づけてくれてありがとな。桜」
「いえ、いつもならちゃんと洗ってから帰るところなのに」
普段の奥手ながらも明るい感じに戻った桜を見て大河が手袋を嵌めながら先程の自分の失態をなかったことのように頷く。
「うんうん。桜ちゃん本当にいい子よね。そうだ! 雪だけど二人で相合傘して行けばいいんじゃない」
「藤ねえ……。桜の言い分を聞いてからそういうことを言えよ。断っても了承しても両方気まずいだろ」
弟分をからかうということはまだ諦め切れていなかったのか、大河は少し前の恋愛小説では定番中の定番である大き目の傘一つに男女二人が使うアレを冗談半分に提案した。
久郎は口では、否定も肯定もせず当たり障りなく大河を軽く咎め立てると、桜に準備した傘を洋館と扉の窪みに立て掛けて手を放した。
「……あ、あの、私は別に困らない、というか。むしろ大歓迎ですけど、いいんですか?」
久郎の手を離れた傘と久郎を見比べながらも、桜はか細くしっかりと自分の気持ちを肯定し、久郎が黙ったまま体を傘の中央より右手にずれてもう一人入るぐらいのスペースを作った。
「ほら、桜。空いてるぞ」
それを肯定と受け取った桜は、そのまま久郎の隣に、一つの傘の中に入っていった。
「二人共了承しちゃって、まあ。青春しているなこの野郎!! お姉ーさんは、先に帰るけど二人とも道草しないで真っ直ぐ帰るのよ。いいわね!!」
高校生カップルの甘酸っぱい空気に充てられた大河は、
「……じゃあ、桜。行こうか」
「はい!」
さんざん自分たちをからかいつつも、その様子に耐え切れずに走り去った大河を見送った二人は、気を取り直して街頭や自動販売機による街の明りに煌めく雪の中を歩き始めた。
雪道、とはまだ言えないまでも、
道中、久郎がこのままだと明日は積もるとか、視界が悪くなると交通事故とか怖いよな、と話しかける声も右から左へと通り過ぎて行った。自分がどう答えたのか、はっきりと思い出せずにただ会話が成立し続けていたことから支離滅裂なことは言っていないことだけは分かった。
自分がどうしてこんなにも幸せな、普通の女の子としての思い出を作ることができて、そしてそれを自分の言葉で選ぶことができたことに一種の達成感を覚えた。
雪が降るほど寒い夜の中でも、彼女の心は隣から聞こえてくる息衝く白い息に暖められ、昂ぶった心臓の鼓動が耳の内側から聞こえていた。彼女はただ、願っていた。この時期だからこそ、こんな人としての一時の幸せを感じられる日々が続けばいいと。
「―――ぁ、さく、……さくら、桜!」
ぼんやりと、降りゆく雪を見ながら遠くを見ていると、隣から自分の名を呼ぶ久郎の声が聞こえてきた。
「はい、先輩。どうかしました?」
「どうかって、そのまま進むと通り過ぎるぞ」
その言葉に、桜は我に返る。自分は今、どこに行こうとしていた? どこを目指していた? どこへ帰ろうとしていた? 確かこの道に進んで行けば――――――。
「すみません先輩。私ちょっとボーっとしてて……有難う御座いました。気を付けてお帰りください」
自分の有り得ないその行動に、胸が締め付けられるような錯覚を覚えるも、久郎を心配させまいと無理矢理笑顔を作り、お礼と別れの挨拶を済ませ、久郎の返事も聞かずに彼と一緒に使っていた傘から小走りで抜け出し、自分の家に……自分の家に帰って行った。
桜は自分の家である間桐邸の門を潜り、邸内へと繋がる扉へ向かおうとすると、 突として足を止めてしまった。
何故なら。自分の兄である間桐慎二が、館の薄明かりに照らされた扉の向こうから出てきたのだから。
「やっと帰ってきたか。桜」
その、同じ家族に向けるものとは思えない敵意と、嫉妬に塗れた視線に桜は委縮してしまう。
「っえ!? あの……兄さん、どうして?」
桜は目に見えて狼狽した。今日は夜遅くまで帰ってこないと言っていたのに何故今この場にいるのか分らなかったからこその驚きであった。
「家の前であれだけ人の妹の名前を呼ばれれば、いやでも気付くつーの。それより、アイツがいるんだろ?」
嗜虐に満ちたその笑顔だけは、桜はどうしようもなく恐しく、好きになれなかった。
「だれの……ことですか?」
言われなくとも自分は分かっていた、散々鈍いだの鈍臭いだのと言われている自分でもこの場には自分たちの他に一人しか外部の者がいないことくらい。
慎二は、桜の後ろにある柵を越えた先にいる人影を見て声を張り上げる。
「衛宮だよ、衛宮。あいつの声が聞こえてさ。オーイ、家に入れよ、衛宮! お茶くらいご馳走させてやってもいいぞ」
蒼白に桜の顔が血の気を失った。今の慎二は、普通の人間ではとても太刀打ちできない絶対的な力を有している。
自分のせいだと、桜は自分を責める。これから起きること、起こるだろうと思われる慎二の所業は容易に想像できる。
その様子に気付いた慎二は、屋敷の門を潜る久郎を視界の端で捉えながら小さな辞典のような古書を左手で取り出しながら、右手は桜の左肩に置いた。
「安心しなよ。こんな寒い夜に妹を送りに来た奴を痛め付けたりするつもりはないさ」
―――相手の態度次第だけどな。
無防備にやってくる久郎を見る慎二はこの後、思い知る事となる。
自分と相手の実力を誤ったことを
自らの所業が成した苦い後悔を
知識と経験は別のものであることを
神秘を扱う者の生き様と覚悟。そして、どちらが狩人と獲物となっていたのかを
そして、絶望と現実を。
書き手がダメージ受ける文章ってどうなんだろう?