Seelen wanderung~とある転生者~ 作:xurons
「わっ、とと…」
コロシアムから忽然と姿を消し、《神威》で二回。転移門で一回。計3回の転移の中、彼に連れられて転々と移動を重ね、やがて辿り着いたのは…
「あっ…」
第22層《コラル》。のどかな自然が広がる温暖なこの層は、攻略とは無縁な低レベルプレイヤー達に人気な所謂‘‘田舎町’’と称され、民度は少ない。
が、何事にも例外というものはある。この層では丁度中心に位置する転移門から西方…鬱蒼と生い茂った木々に隠され、人知れず立つ一軒のプレイヤーホームがある。
全体に明るい茶色の木材を使用し、ひっそりと蜃気楼の様に静寂を纏う一軒家…レイ君の自宅。
正直来るのはかなり久しぶりで、今までの切羽詰まった真剣な攻略の状況とは相反する様にのどかな空気を纏い建つこの家を見た瞬間、
「…ただいま」
そう口に出ていた。後々ハッとなる事もなく、至って自然に、零していた。
「…入ってくれ。茶でも淹れる」
「あ、う、うん」
そんな懐かしむ私に何か思ったのか、掴んだままの私の手を離し中へ入って行ったので、私もパタパタと彼の後に続いてドアを開け中に入る。キィ…というリアルな音を立て開かれたドアの先には、デンと中心に置かれた木製のテーブルに左側に黒い横長のソファがあり、右奥手には寝室を隔てるドアが見える。
そう、これは所謂…
「適当に座っててくれ」
「お、お邪魔しまーす…」
ストイック。それが私が毎度ここに来ると浮かぶ言葉であり、彼に良く似合っているとこの家具が必要最低限しかないここに来ると、嫌でもそう思ってしまう。彼は‘‘孤独を望む人’’なんだと、定位置であるソファの左端に座るといつもそう思う。
家具が少ないのもあるけど、何より寂しさが第一に感じられるこの家は、気軽に足を運ぶ以外は特に来た覚えは無い第二のホームと呼べるだろう。…しかし、
(…?何をしてるのかな…)
無言で黙々とメニューを操作する彼は、そんな気軽な会話を交わす雰囲気で無い事は直ぐに解った。けど、今彼がやっているのはお茶を淹れてくれているだけ…と高を括っていた。が、それはある仮説で直ぐに掻き消える事となる。
(…!もしかして、私に何か言おうとしてる…?)
そうならば、わざわざ《神威》で逃げる様にあの場から転移した事も説明がつく。それにこの世界において‘‘情報’’は何よりの生命線であり、人目を気にしなくて良いここは絶好の情報提供場と言えよう。
けど、その‘‘情報’’が解らないことには…
「…茶、入ったぞ」
「あ、うん…」
一度始まった疑問の渦は、まるで今受け取った紅茶の様に深く…底知れずに広がっていくばかり。しかも、彼は無駄な事はしないという特性があり、冷静沈着・頭脳明晰・虎視眈々・大胆不敵…以上の4単語全てが当てはまる程、いつも想像斜め上の予想外な事態を巻き起こす人。
まぁそれは‘‘転生’’という一般にはあり得ない事態を体験した反動故かもしれないが、にしたって彼の所業には驚かされてばかりなのだ。今回も相当な事柄をぶつけて来るに違いない。
そう腹を決め、お茶を啜って必死に感情の起伏を悟られない様落ち着きを装いチラチラと様子を伺っていると、
「…レイナ」
ボソリと名を呼んだ。お互いが本名をそのまま使っている為か、時々区別がつかなくなる事もあるこの名。最近は‘‘名前を変えたい’’という願望に駆られ、第二のアバターネームは…と、実は密かに検討中であったりする。
「なに?」
そういえば、会って暫くは‘‘有宮’’と名前呼びされてたなー…と昔を懐かしみながらも、出来る限り自然体をと意識して返すと、
「……」
返事は無言だった。ぼうっと細められた黒眼を中心に3つの勾玉が三角を結ぶ様に浮かんだその独特の紅い眼は、先程の決闘で見せた猛き猛獣の様な狂気に満ちたモノではなく、ハイライトの無い何物も見ていない様な暗く沈んだ表情だった。
すると、一呼吸を置き…ポツポツと語り始めた。
「…かつて、俺には両親がいた。さも当然の様に優しく接してくれた母と、俺がこの世界に興味を示すきっかけとなった父だ」
「…うん。私の両親とも仲良くしてた…よね?」
その話は聞いた事がある。私と彼と美弥ちゃん、三人が転生して来る2日前、何者かに殺されており現在も犯人の行方は解っていない…と。私の言葉に頷き、続ける。
「母の名は奏魔 零羅。医療関係に尽力し、多大な成果をあげた人物で、俺と美弥にとっては第二の母。父の名は奏魔 祐一。機器関係、及びゲーム関係に強い関心を持ち、弱冠25歳という若さで異例の出世を遂げた秀才だ。両名はお前も知っての通り、既に他界している」
「…うん」
その事実は、今でもとても鮮明に覚えている。何せ転生した直後初めて立ち会った葬式であり、‘‘人の死’’という事柄を初めて間近に感じた貴重な体験でもあったから。
そして葬式の最中、美弥ちゃんが涙も流さず俯いていた事や、零君が文字通り無表情でいた事も、記憶が色褪せない要因だろう。そしてあの時、有宮家は奏魔家とは家族ぐるみの縁があるという事実を知れた機会でもあった。
「…前世、俺は両親が死んでから、ずっと…ずっとその事実から逃げて来た。認めたく無かったのもあるが、何より…教えて欲しい事が山ほどあったのに、もうそれが叶わない事を認めたく無かったからだ」
「……」
「…だが、今はこう思う。両親から知り得なかった事は、これからの道で学べば良いのだと。後世へ繋いでいく事も含め、これから知って行けば良いんだと」
「…!」
転生して来てから12年余り、漸く今の生活に慣れてきた今の私にとって、彼の言葉は正に冷水を浴びた様なショックじみたモノだった。精神年齢とか彼が大人びているとか、そんな次元じゃない。…そもそもの格が違う。
「…強いんだね、君は」
「いや、強くなんかない。父さんも母さんも守れなかった…」
「ううん…君は強い。私なんかよりずっと…」
紙メンタルとか硝子製の心など、精神力の脆さを表す単語が世の中にはあるが、彼の場合は鋼鉄の意志…鋼の心と言っても過言ではないだろう。そうでなければこんなにも冷静でいられる筈が無い。
きっと、彼は前世の記憶を引き継いだ魂として生きてきたこの30年間、何人をも寄せ付け無い‘‘人の冷酷さ’’を知ると同時に‘‘人の温かみ’’も知り得たのだろう。
『人間とは、善意も悪意、どちらも半々づつ持ち得て生きる者』と、とある哲学者が言っていたが、正に彼はソレに当てはまる人物だと思う。すると、
「…手、握って良いか?」
ポツリと何の脈絡も無くこう言った。私の座るソファの右隣に腰掛け、左手を差し出しながら。
「…!う、うん…」
もちろん断る事など出来る筈もなく、今すぐ叫びたい気持ちを抑えつつ了承し、出来る限り自然体を装い右手を軽く差し出す。
この行為自体が、『異性と手を繋ぐ』という行為をそもそも友達でやる事とは私自身微塵も思っていないが、頭で理解しているとは裏腹に緊張と内心の嬉しさでトクトクと鼓動が速まっているのが嫌でも解る。
このSAOにおいて、呼吸と鼓動は現実と何ら変わり無く常時行われている。違いといえば‘‘他人には感じられない’’という事位で、へー程度にしか当初は思わなかったが、今程そのシステムに感謝した事は無い。
が、そんな私の葛藤など露知らずに何度もまるで硝子を扱う様に手を握る…というより揉む彼の顔は至って真剣で、
「…ぷっ」
そのギャップに我慢の限界が来て、想い人相手というのも忘れついつい吹き出してしまった。
「……」
「あ…ご、ごめんね?でも…ふふっ」
そんな私を無言でジッと見る彼の眼は冷たい…というよりは羞恥といった感情が込められていて、今し方迄の無感情さは感じられない。
でも笑ってしまうのも無理はないと思う。幾らゲームの中とはいえ、女性の…それも10代後半の女子の手をこうもマジマジと少年の…しかも普段は余り笑わない少年が観察する様には。
「…何か変な事したか?」
「ふふっ…違う違う。でも意外だなぁ〜そんなに不思議?女の子の手」
確かに、彼と私の手は異性であるから違いはある。筋肉の付き方や柔らかさなんかは、男女でハッキリ変わってくるものだろう。
私は所謂細身に当てはまる分類で、女性の中でもかなり線は細い方と自負している。が、そんな私と同等、もしくはそれ以上に細っそりとした指をしていて、一瞬女性と間違えそうになる。
が、良く良く触れば骨張っていたり、女性には無い男性特有の力強さも感じさせる‘‘男’’の手。
「……」
しかし彼は自覚が無いらしく、私の顔と手を視線を何度も往復させている。無言の頷きで肯定の意を示しながら。…というか、
「そろそろ離して欲しいんだけど…」
ずっと異性に…しかも想い人に手を握り続けられるというのは心臓に悪くて仕方ない。もちろん嬉しい方で、だが。
「…!わ、悪い」
が、そんな私の内なる感情に気づか無かった彼はバッと手を離し、そこから再び長〜い沈黙…の、後に
「…レイナ」
「な、何?」
だ、大丈夫。挙動不振になって…ない事を願いつつ返す。心なしか、先程より彼の顔が赤い様な…
(…ま、まさかそんな筈は…無い…よね…?)
これはアレなのか?もしかして…もしかするとアレなの?
「…そ、その…だな…」
(挙動不振⁉︎あ、あのレイ君が⁉︎)
…間違い無い。彼は私に大事な話があるんだ。…ある程度察してはいるけど、ここは知らないフリを敢行した。後々盛大にからかってやると腹を決めて。
そう思わせるには十分な程、今の彼は落ち着きなく視線が泳いでいる。が、
「れ、レイナ!」
「は、はい⁉︎」
急に叫ぶと同時にギュッと手を握られ、ビクッと心臓が跳ね上がり、ドックンドックンと煩い位良く聴こえてくる。
「そ、その…い、一回しか言わないから…良く聞けよ?」
「う、うん…」
もうこうなってしまっては、私は只うんうんと頷くしか出来ない。冷静な普段とは違い途切れ途切れに紡がれても、彼の言葉には反応してしまう。
きっと…いや絶対今、私の顔は真っ赤になっているに違いないだろう。何故なら…彼も耳まで赤くなっているからに他ならない。鼓動も熱も伝わっては来ないのだけど、‘‘視覚という名の情報’’はそれすら超越して現実を認識させる。
「俺は…お前の事…」
–––好きに、なったみたいだ…
…この言葉を聞いてから、その後の記憶は無い…