Seelen wanderung~とある転生者~ 作:xurons
…これは、もう25年も前…まだ兄、零と私、美弥の奏魔兄妹が幼かった前世の頃のお話。
横浜市みなとみらい地区。海に面した横浜を代表すると言っても過言では無い港街。そんな海沿いの街に、ポツンと建つ一軒家があった。
奏魔の名を冠するその一軒家…何の変哲も無い家に、お兄ちゃんと私…奏魔の兄妹は一つ違いで生を受けた。
決して裕福ではなかったけど貧乏でも無い…極々普通の家庭だったけど、家族は幸せだった。お母さんは料理関係、お父さんは電子機器関係に携わっていて、なんでも無い日常の会話とか、出来心からのイタズラ…本当に当たり前を当たり前に感じる日々だったけど、それでも…幸せだった。…ある事件が起きるまでは。
ある日の休日、何時もの様に自宅で家族4人過ごしていると…突然謎の男達が理由も告げず襲って来たんだ。狙いは私達兄妹の‘‘眼’’。
私達の眼には生まれつき特殊な能力があるらしく、5歳の時に両親から聞かされた時は冗談に思っていた。何故なら…私達の眼は『何らかの転生者の証』だ、と。馬鹿馬鹿しい、漫画じゃあるまいしと当然信じなかったし、今も本当にそうなのかと疑っているのが本音といえば正しい。
でも、それが事実と知った時は…もう遅かったんだ。
父と母は襲って来た奴らを足止め、私はお兄ちゃんに手を引かれとにかく遠くへ…ただひたすら遠くへ走った。その結果、私達はまだ来た事も無かった東京の街へ逃げ込み、その後は東京を含む日本中を転々としながら逃げ隠れする日々だった。
この時、事実は時に無慈悲に襲い来るという事を、私達は僅か小学一年生と幼稚園年長の年齢で知った。後々に故郷より遠く離れた京都の地で知った…両親の死によって。
暗く…誰も救ってなどくれない深い闇を、私達はこれから抱えて生きなければならないのだと。テレビから無感情に聴き取れる声が、文字が、情報の全てが。そう語っていた気がした。
結果、私達は『他人の悪意を感じ取る』奇怪な能力を会得する事となった。耳を塞いでも拒絶しても血の様に流れ込んで来る‘‘悪意’’が、幼い私達の心を侵食するのは時間の問題だった。それを悟ったお兄ちゃんは、私だけに見せる優しい笑顔でこう言った。
「俺は闇…お前は光。俺は薄汚れた闇でいい…だから美弥、お前は光の様に明るく笑って生きてくれ。どんな目に会おうと…それだけは忘れるな」
この時の言葉の意味を、直ぐには理解出来無かったけど、今なら理解出来る。
あの時は意味も理解出来ず只首を縦に振る事しか出来無かったけど、今は違う。あの時、お兄ちゃんは–––––
♢♢♢
「…決別した、でしょ…?」
そう、誰もいない部屋に一人…呟いた。久々に眠り込んでしまったらしく、もう時刻は午前8時と若干遅い朝を指していた。普段の私なら『寝坊したー⁉︎』とか叫んで攻略に乗り出す所だけど、今そんな事はどうでも良い。今考えている事に比べれば…
(…お兄ちゃんは、あの時…)
優しい笑顔で、お兄ちゃんは自分を闇、私を光と言った。決して交われない存在だと…その意味はそのまま言葉の通りだと、あの時からしばらくはそう思っていた。けど、実際は違ってたんだ。
(お兄ちゃんはもう、自分が死んでも私を‘‘光’’で居させたいんでしょ?だから…)
暗く…先の見えない道を先行して歩く事で、後を続く私が危なくない様に、両親と同じ道を辿らない様にしてくれているんだと。
飄々としてて面倒臭がりだけど、不器用ながら私を護ってくれている。自分は薄汚れた闇だと自ら先を譲って、大事な所は叱ってくれる愛情溢れる優しい人なんだ。唯一の肉親とか妹とか、私をそこまで構う理由の候補は幾つかあるけれど、
「‘‘私’’を…見てるんだよね…ホント、馬鹿なのは私じゃない…」
ちょっとした事で直ぐキレたり思い詰めたり、本当に馬鹿な自分が嫌になる。これじゃ立派な妹どころか情緒不安定な変態じゃない…ホント、馬鹿だ…
「けど、お兄ちゃんが思ってる程…私は立派に妹は出来てないんだよ…?」
寧ろ全然…普段らしからないネガティヴな妄想を展開させようとしていると、
「…ん?」
キンコーンとチャイム音が鳴り響き、予期していなかった為ビクッと肩を震わせ、同時に《索敵》を発動する。
最近熟練度900を超えたこのスキルは、この死の世界にやって来たその日から欠かさず上げている自慢できるスキルの一つだ。で、その能力の一つであり最近出来る様になった《透視》で玄関辺りを透かし見た…のだが、
「…へ?」
発動時特有–––例えるとサーモグラフィーの様な色合い–––の視界に収まったのは、思わず口から間抜けな声を溢してしまう程意外な物…いや、プレイヤーだった。
身長は縦2mピッタリのドアの半分よりは上、男性にしてはかなり長く腰近くまで伸びた右目を隠す程の長髪に、全体的に動きやすそうな薄生地の服装。
そんな一風変わったプレイヤーなど、私の知り合いには二人しかいない。その内髪が長いのは…
「…お兄ちゃん?」
今正に私の心中にある人物…お兄ちゃんその人だった。
男にしては細身なシルエットや長髪など、私が知り得る中で彼以外当てはまる人物はいない。
すると、彼も《透視》を発動したのか、壁越しでも伝わる威圧感を発しながらピッタリ眼を合わせパクパクと口を動かす。
「えと…『は・や・く・あ・け・ろ』早く開けろ?…って!」
が、やはり相変わらずな兄に内心『もう少しマシな言い方は無いの?』とツッコミとズッコケたい衝動に駆られかけたが、それより速く玄関のドアを内に引き開ける事で何とか抑えた。若干手足の端々がピクピクしてはいるが。
「どうした?また無茶な攻略で寝不足にでもなったか?」
で、早々にコレである。もちろん冗談なのはフッと僅かに緩められた眼を見れば解る…が、会って早々に皮肉を飛ばす辺りは変わっていない。寧ろ、変わったのは私か…
「…本当にどうした?お前らしくないぞ」
そんな覇気が無い私を疑問に思ったのか、態度を変え静かに質問する彼だが、
「…私らしく無い…か。」
今口を吐くのは、確かに覇気の無い言葉。普段の私が見たら叫びそうな位の後ろ向きな態度と表情。ソレを良く知るお兄ちゃんは何を感じ取ったのか、
「…ひとまず座れ」
「えっ、あっ…」
私よりも下な筈の筋力値でグッと右手引っ張り、ぽすっと奥のベッドへ座らせ、彼自身も隣に腰掛ける。
最近…というか今まで誰かに手を握られた事など無かった私にとって‘‘人の温もり’’というのはかなり衝撃的で、暫く軽い放心状態となっていた。
「…あの…お兄ちゃん…?」
しかしそれでも何とか言葉を口にするが、対する彼は全くの無表情…真剣味を帯びた表情を覗かせたまま無言で眼を閉じているだけ。毎度思うが、感情の読み取れなさは本当に同じ人間か?と疑いたくなる位、いっそ二次元の世界に居そうな何処ぞの冷徹なラスボス並みに読めない。すると、
「…お前、何か悩み事でもあったか?」
「…っ…⁉︎」
その一言に、短く少年にしては低めなテノールボイスに、思わずビクッと肩を震わせてしまった。だが彼はまた、
「お前が俯く時は、決まって何か悩んでる時。…まだ誰にも話して無い様な事だろ?」
「…!」
と、無感情な声で淡々と告げる彼の言葉を聞いて、漸く私は彼が家に来た理由が解った気がした。
只、純粋に私を心配して様子を見に来たんだ。他意は全く無しに、妹である私を心配して。しかし、私が依然反応を示さないのを見て何を思ったのか、
「ま、今言えとは言わない。…が、なんなら少し付き合え」
そうあっけらかんとした口調で言い、
「え?ど、何処…「行くぞ」ってちょ、ちょっと⁉︎」
「そらっ!」
ぐいっと私の右手を引っ張ってドアを開けたかと思えば、急に上に投げ飛ばされ、
「あ…アッシュ?」
「グル!」
巨大化したアッシュの背中に乗せられた。
正直何が何だか頭が追いついて無い私を他所に、お兄ちゃんも背中に飛び乗ると、
「さぁ…全力疾走だアッシュ!」
「ワァオォー!」
「え…ってひゃああああああ⁉︎」
アッシュの遠吠えと共に物凄い勢いで景色が横へ凪ぎ始めた。無論、それは相応に半端ない速度が出ているという訳で…
「止めてえぇぇ⁉︎」
「えー?聞こえないぞー!」
「えぇ⁉︎な、何でよぉぉぉ⁉︎」
その後数時間、私は駆け回るアッシュの背中で地獄のジェットコースター気分を味わったのは言うまでもない。…でも、
「…ぷっ…ふふふ…!あははははは!」
「…へっ、アッシュ!」
「グル♪」
何でかな?物凄い大声で叫んでたら…心にあったモヤモヤがいつの間にか何処かへ消えちゃって、途中からは大声で笑ってたんだ。それから数時間はずっと…楽しかった。まるで、家族で過ごしていた無邪気だったあの頃の様に…
やがて日が暮れ、冬特有の肌を突き刺す様な寒さを回避する為、私はお兄ちゃんの家に来ていた。
その途中は無言だったけど、頭は妙にスッキリしてた。何故かは…私自身が一番良く解らなかったけど、何というか…
「スッキリした…のかな…?」
頭の中がスーッと軽くなって、嫌な事なんて冷水を浴びた時みたいに頭から消えてってた。朝は散々…それこそ夢に出てくる位悩んでたクセにね。ホント、‘‘私’’って女は馬鹿な人間だ。
「…そうか」
お兄ちゃんには、もう思い切って全部話した。
情緒不安定な話し方で、過去の事も…お兄ちゃんの期待する生き方が出来てるか不安な事も…途中からは楽しくなって高笑いしてた事も…全てをありのままに。
その中で彼は笑う事も無く、話を遮る事も無く無言で私の話を聞いていた。途中、頷いたり息を飲んだりはしてたけど。
「…以上が、私の悩み事…です」
で、吐き出せるだけ吐き出した後は言った分だけの羞恥心に襲われ、俯きながらチラチラと隣に座るお兄ちゃんの顔を探っていた。
そんな私を知って知らずか、そうか…と最早お決まりのタイミングで呟いたかと思えば、
「…すまなかった」
「…っ…!」
紅く…見るだけで相手にプレッシャーを与える血色の瞳に『後悔』と言葉通りの『謝罪』の表情を浮かべ、深々と頭を下げたのだ。
もちろん今までこうして謝られた事など無かった。いや、そもそも彼は人に礼を言う様な素直な人間では無かったと記憶している。が、
「…あの時、お前は今にも闇に飲まれてしまいそうだった。だから、少しで良いからそれを救ってやりたかったんだ。…最も、それは一番良くない方向に働いてしまったみたいだがな…」
後悔の色を濃くして語る彼の姿に、またもや何も言えなくなってしまった。それは兄としての責任感や、同じ奇怪な眼を持つ唯一の肉親である彼の感じた‘‘後悔の念’’を強く感じたからでもあるし…
「私を…救いたかった…?」
この一言が、私にとっては意外の一言だった。
今まで人々に疎遠され続け、それを隠す為明るく振る舞って来たのも、全ては兄の…お兄ちゃんのあの時の言葉を守りたかったから。
それは私が好きに生きて来た証でもあるし、その報いを感じ始めていた…と、そう思っていた。
「…あぁ。お前と俺は光と闇。それは腐っても変えられない…ある種の運命の様に感じ、受け入れていた。昔はな」
「……」
「…が、どうやら人間というのは面倒な生き物でな。どちらかを断ち切るなんて事は出来ないらしい。表があって裏がある様に、人間には光という‘‘表’’と闇という‘‘裏’’の両方が必要なんだと、最近ある奴に気付かされた」
でも、結構難しく考えた子供のお飯事だった。
当たり前な事を、当たり前に経験した事が無かった…ただそれだけ。
『出来ない事を悔しがり、ネガティヴになってしまう』という‘‘当たり前’’を、私は経験出来た。只…それだけなんだ。
「…はぁっ…やっぱり私、まだまだ子供だなぁ…」
道理で馬鹿馬鹿しく感じた筈だ。そもそも悩む必要の無い事で悩んでたんだから、これじゃまるっきり子供そのものじゃない…が、
「…良いんじゃないか?」
「え?」
「確かに今回、お前は悩む必要は無かったかもしれない。が、これでまた一つお前は学んだ。それでチャラで…良いんじゃないか?」
この一言である。…ホンット、
「…お兄ちゃんには敵わないよ」
「当たり前だ。そう簡単に超えられてたまるか」
「あはは…そっか」
お兄ちゃんは…やっぱり私の自慢のお兄ちゃんなんだね。…あ、決してブラコンじゃないよ?そっち系じゃないから。純粋に…ね?
「じゃ、明日から私とコンビ組まない⁉︎」
「断る。俺は自由にやりたい派なんだ」
「えー⁈…じゃあお兄ちゃんの‘‘アレ’’、バラすけど良いの?」
「好きにしろ。寧ろ恥ずかしいのはお前だぞ‘‘アレ’’は」
「うっ…」
その日、私は純粋にお兄ちゃんとの会話を楽しんでいた。
使命感からではなく、妹でもなく…只一人の人間として、純粋に。
私の周りは変な人ばかりでお兄ちゃんも漏れなく含まれるけど、何というか…強い人達だなぁと再認識させられた1日だった。そして…
「…あ、お兄ちゃん。明日誕生日だよね?」
「ん、そうだったか…?」
実は明日、兄、零は15歳となる。桐ヶ谷家の長男、キリト(和人)さんとは同い年である。が、当人はその事は記憶に無かったらしく、
「もう…自分の誕生日位覚えときなよ〜」
「ハイハイ…ま、俺も15か…老けたもんだな」
「お爺ちゃんみたいだよお兄ちゃん…ま、誕生日おめでとう」
「…ま、ありがとう」
…人は光と闇、言葉では表しきれない大きな大きなモノを抱えて生きている。
まだまだ私なんかは情緒不安定な部分はあるし、相当大人びた兄に助けられてばかりだけど…でも、
「絶対、この世界から抜け出そうね?」
「…あぁ。必ず」
少しは…前に進めたかな?