小悪魔日記 ~悪魔に『小』がつく幾つかの事情~   作:puripoti

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第5話 底なし沼の魔女

 小悪魔の朝とはそれなりに早いものであるということをご存じの方は、巷にどれだけいらっしゃるのでしょうか。

 東の空にお天道様が難儀じゃ大儀じゃと現れなさる、まだ仄暗さの残る時間帯。ベッドの中で目を覚ました私は、毛布に包まりながら上体を起こして“つつましやか”な欠伸をこぼしました。

 瞬かせた目をこすりつつ背を反らして大きく伸び。体とおつむの中にしつこく居座る眠気の残滓を追い払い、私はふかふかのベッドに別れを告げて、少し離れたところに置かれたクローゼットに足を運ぶのでした。ついこの間まで、寝床といえば硬くて冷たい土かさもなきゃ石畳の上だった小悪魔が、今やこんな“人並み”の生活を営めるようになろうとは、いやはや、御大層な出世と言うべきでありましょう。

 

 感慨深いものを抱きながら私はクローゼットを開き、今日という日の糧を得るための仕事着に手を伸ばします。

 

   *

 

 “光陰矢のごとし”とはよく言ったもので、パチュリー様のお使いとなるのを承知してから早、二月が過ぎました。

 現在、私はパチュリー様が所有されるねぐら兼・研究施設であるアパートメント二階の一室を借り受け、表向きには小金持ちの寡婦(やもめ)こと、パトリシア・ノールズに雇われた住み込みのメイドとしての姿を与えられながらパチュリー様に師事し、その使い魔たるに必須の技術と知識を蓄え研鑽(けんさん)を積む毎日を過ごしております。

 

 また、それらに平行して人間社会へ自然に溶け込むための処置も採っていただきました。要するに名前と経歴です。私をこのアパートメントに案内する姿が少なからずの人目に留まっているはずなので、その経緯に基づく話が捏ち上げられました。具体的には、

 

 ───生まれも育ちも貧民窟。ドブ水同然の産湯をつかい、親に捨てられ裏路地を、虫けらのごとくに這いずる惨めな身の上。それをたまたま通りがかった、いと慈悲深きお方であらせられるところのパトリシア様が憐れに思い拾ってくだすった。まこと聞くも涙、語るも涙な身の上でござい……

 

 という、実になんともまったくもって、お涙頂戴なお(はなし)です。

 パチュリー様が言うには、適度に不幸な身の上ということにしておけば、遠慮して“あれこれ”根掘り葉掘り聞いてくる奴は少なかろう。もしいたとしてもその時は目でも伏せて口ごもるなりすれば楽にごまかせるし向こうでも勝手に黙ってくれるので都合がいい、のだそうです。そんなもんですかね。他人の不幸は心蕩かす極上の甘露、弱者の苦境は魂震わす至高の娯楽というのが人間というやつの座右の銘だったと思うのですけれど。

 

 ちなみに仮の名ですが、姓はシャーリー名前はアン。赤毛のアンとでもお呼びください。髪赤いんで。

 

   *

 

 着替えを終えた私はバスルームも兼ねた洗面所で顔を洗い歯を磨き、寝癖などを整えた後、クローゼットの扉の裏に貼り付けられた姿見でおかしな所がないかをチェックします。私の雇い主様は、こと魔法や研究に関わる事柄以外の俗事にはあまり細かく注文をつけたり拘りをみせたりする方ではないのでドレスコードも緩いものではありますが、それでも食べさせて頂いている身としては迂闊なことをするわけにはいきません、なので自然、身嗜みには注意せざるをえないのです。

 

 鏡の中には野暮ったい黒色のワンピースと地味な色合いの白いエプロンを組み合わせた、手っ取り早くいうならメイドの格好をしている私の姿。その服装のどこにも、一分の隙さえなし。さすがですね、私。

 姿見の中の自分へと満足の笑みを向けた私は最後の仕上げとして、頭に可愛らしいフリルの付いたカチューシャをのっけました。ここに拾われるまで性別を誤魔化すために伸ばしていた前髪は、邪魔だったので“ばっさり”と切り、替わりに後ろ側の髪を伸ばしはじめています。いつかは、パチュリー様みたいに綺麗なロングヘアーを靡かせるようになれればいいですね。いつになるかは判りませんが。

 

 ちなみに前髪が取っ払われた私の素顔をはじめて見たパチュリー様は、心底、不思議そうに訊ねたものでした。

 

 ───それだけの容姿があるなら、花街にでも行けばよかったのじゃなくて?

 

 これは一応、褒められていると解釈してもよろしいのですかね? 実のところ過去に何度かそういった話を持ちかけられたことはありました。声をかけられる度、お断りさせていただきましたが。性別が判らないような風体に身をやつしていたのは、その煩わしさから逃れるためと、ついでに身の安全を確保するためでもありました。

 

 ───いっそ開き直って、そこで金持ちの旦那にでも取り入ればよかったものを。そうすれば、あんな所(貧民窟)をうろつく必要もなかったでしょうに

 

 あなたの器量なら難しくはなかったと思うわ。パチュリー様はそう仰られましたが、いくら生活に(きゅう)していたとはいえ私にはそこまで割り切ることはできなかったですよ。……とはいえ誤解のないように断っておきますが、別に私としては“そういったお仕事”に就いてらっしゃる方を蔑視したり、ましてや差別したりしてるわけじゃあござんせんのであしからず(そもそもの問題として私にそんな資格どころか価値もない。なんせ『小』悪魔なので)。真っ当なものであるのなら、職業商売に貴賎はないのです。『小』が付くとはいえ、悪魔が言うのですから間違いないですよ。

 

 ───そう思うのなら、なぜにそうしなかったのかしら? 悪魔にとっては何ほどのこともないでしょうに

 

 簡単な事ですよ。さっきも言った通りそこまで割り切れなかったのがひとつ。

 

 ───もうひとつは?

 

 基本“そういうこと”は好いた者同士ですることでしょう。なら、『はじめて』くらいはいつか出会えるかもしれない好きな人としたいじゃないですか。

 とまれ、そんな出会いに恵まれる機会なんて、ただの一度もなく今に到るのですけれど。こちらとしては至極真面目に言ったつもりが、なぜかパチュリー様は気の利いた冗談を耳にしたかのように口元を緩めたものでした。

 

 ───謙虚なんだか卑屈なんだかよくわからん、貞操観念に満ちた悪魔か。つくづく、面白い拾い物をした

 

 今まで知らなかったけれど、ひょっとしたら私には目利きの才能があるのかもしれない。何がそんなに面白かったのか、パチュリー様はさも可笑しいとばかりに笑われたものでした。笑いながらもやはり、“けほけほ”と咳がはさみ込まれていたのはご愛嬌ということでよかったのでしょうか。

 

   *

 

 着替えと身繕いを済ませた私は、あてがわれた部屋を出て階段を降り、1階のエントランス脇にある郵便受けの受入口から新聞や手紙を取り出して食堂へと向かいました。

 

 建物としての体裁を整えるためだけに置かれ、長いこと使われずに放置されていたこの建物の食堂は、始めに使った時と同様に埃っぽかったりすることこそないものの、常に居心地の悪い静けさに満ちています。とはいえ、私としましてはちゃんとご飯が食べられさえすれば、冥府の獄卒に囲まれていたところで気にはなりませんが。

 寒々しい空気だけが漂う食堂を突っ切り、置かれた長テーブルの上に新聞や手紙を置いてキッチンへと入った私は早速、今日の朝ご飯の準備に取りかかります。竈に火を入れ調理器具を用意し、壁に埋め込まれた氷室(冷蔵庫とかいうそうです)から卵やハム、ミルクなどを取り出して手早く調理していきます。

 

 ほどなくして、料理ができあがりました。今朝のご飯はハムエッグとサラダ、温めなおしたパンに蜂蜜を入れたホットミルクです。その気になれば凝った料理も作れるようになった私ですが、いつもの朝のメニューなんてこんなもんです。

 

 出来上がった料理を手に再び食堂に移った私は、クッションが程よく効いた椅子に腰掛け、広げた新聞に目を通しながらご飯を平らげていきます。

 

 ───ふむふむ、ロリストン・ガーデンズ三番地にて殺人事件、被害者は新大陸からの旅行者ですか。世の中物騒になったもんですねえ。

 

 新聞に満ちる活字の海へと視線を潜らせ、私はバターをたっぷりと塗ったパンを齧りました。

 お世辞にも、あまりお行儀がよいとはいえない格好ではありますが、これも私の『お仕事』の一つなので大目に見ていただきたい。パチュリー様に師事しているお陰で、日常的な読み書きへの不自由こそしなくなったものの、それでも求められているハードルはいまだに高く、最近になって雇い主兼師匠からこうして毎日、新聞を隅々まで読むこと、それに併せて一週間に一冊の本の熟読と感想のレポート作成が義務付けられているのです。時間に余裕のある後者はともかく、前者はごく時たまですがパチュリー様から口頭試問のような形で社会情勢等に関する質問を投げかけられるので、念入りに行わなければいけません。

 

 勿論、“ここ”に来たばかりの頃は読み書きはおろかアルファベットの一つも知らぬ存ぜぬ判らぬの、哀れエテ公並みに無知蒙昧なる身でしたので、最初はこの義務が鋼鉄の処女も“かくや”と思わんばかりの苦行でしかなかったものでした。しかしどんなものにも慣れというものはあるもので、最近ではこれが苦痛どころかむしろ楽しいとさえ感じているあたり、非力な小動物小人物小悪魔の持ちうる適応能力には感心することしきり。自らの行動で苦境を打破することさえかなわぬ弱者が、悲惨な境遇に納得するために(正確には納得したと思い込むために)持ち出す類の自己欺瞞(じこぎまん)と云ってしまえばそれまでですが。

 

   *

 

 食事を終え、ホットミルク2杯をおかわりしたところで新聞を読み終えた私は、食器を片付け食堂を後にしました。

 私が読んだものとは別の、パチュリー様がお読みになる分の新聞と手紙(大抵は銀行あたりからやってくる金融商品の案内。パチュリー様は、表の顔が小金持ちの“やもめ”ということなので)を手に階段を登っていきます。

 

 途中、2階から3階に繋がる踊り場の“そこここ”に、昨日までは存在していなかったはずの骸骨が、数名(人骨の数え方がこれでよいのかは知りませんが)ほど座していらっしゃいました。おや、久方ぶりでのお客様ですか。

 

 あまり大きくないところから推察するに、どなたも年の頃は十を少し過ぎたくらいでしょうか。皆様方、おそらくは100年ばかり放ったらかしにされたとみえて、お召になられているあまり上等とはいいがたい衣服も、その得物と思しき“ちゃち”なナイフも、見る影もなくボロボロの有り様です。ここ一月ほどは、この手のお客様も見えられなかったのですが、近頃、巷ではまたぞろ不景気やら世情不安やらが獲物を狙う毒蛇のごとき“とぐろ”を巻きだしているらしいので、これからまたしばらくは来客には事欠かないことでしょう。

 

 忙しさにかまけて、つい戸締まりを怠ってしまった私にも非がありますが……あなた方も“つくづく”運がなかったのですねえ。同情と、僅かながらの自嘲を混ぜた溜息をこぼし、私は食堂へと(きびす)を返しました。

 

   *

 

 お掃除用としてキッチンにいくつか置いてある、大きくて頑丈な革袋を持ってきた私は、来るところを間違えたお間抜けさん達の亡骸をその中にひとつも余さず放り込んでから再び食堂に戻りました。

 

 せめても成仏だけはしてくださいね。キッチンに設えてある大きなゴミ箱の前で、私は「なむなむ」といい加減なお祈りの言葉をつぶやき、革袋を放り込みました。もちろん物がモノだけに、こんなもんをそこらに捨てるわけにもいかず、折をみて行き着く先は地下に置かれている焼却炉でございます。

 

 なむなむ。

 

   *

 

 お客様の見送りを済ませた私はあらためて3階に上がり、『Patricia Knowles(パトリシア・ノールズ)』という名前(パチュリー様の偽名です)が刻まれた真鍮製のプレートがかけられたお部屋の扉をノックしました。

 部屋の主からのお返事は、2拍ほどの間を置いて返ってきました。

 

「お入りなさい」

 

 失礼します。初々しさを湛えた少女のようでもあり、骨と皮ばかりにやせ衰えた老女のようでもあり、瑞々しいともとれる、嗄れたともとれる、不思議な声に断りをいれてドアを開けば、そこに広がるのは重みさえ感じるほどに凝縮された闇と、それに感化されでもしたのかほんの僅かな変化も流動もせずに停滞した空気。それらとともに詰め込まれ、あるいは逃さぬように封じ込めているかのような巨大な書棚の大群。

 

 ……ここだけは、いまだに慣れないところです。胸中に“のしかかる”重圧と圧迫感に、胸焼けに近いものを覚えながらも足を前に出すと、最初の一歩でその景色が散らばる雲のように消え失せ、代わりに得体の知れないオブジェや不気味な標本が“そこかしこ”で幅をきかせる実験室が現れ、さらに一歩を踏み出せば、やはりその部屋も白昼の夢のごとくにかき消え、次の瞬間には広くて静かな応接間へと姿を変えます。

 

 そしてもう一歩───

 

 たった3歩ほどの、それでも長い永い道程を歩んだ私が辿り着いたのは、人を落ち着かせる柔らかな明るさに満ちたお部屋でした。

 ここはパチュリー様が一日の大半を過ごされる読書室、その内の一つを改造して造られた私用の『教室』です(改造と云っても、元のお部屋に授業で使う書き込み用のボードに、机と椅子のセットを持ち込んだだけのことではありますが)。広さは庭球のコートほどで、今の私の立ち位置から向かって右の壁に授業用のボードがかけられ、そこから少し離れて私が使う机が置いてあります。

 

 また、真向かいの壁は一面にガラスパネルが敷き詰められていて、一見するとサンルームのようにもみえます。……が、しかしその『窓』によくよく目を凝らしてみれば、ウィンドウの幾つかにあからさまに不自然なものの姿───どこぞの海の中を悠々と泳ぐジンベイザメ、大空を舞う海鳥、あたり一面の雪景色に佇む真っ白な熊───が見て取れたりするのです。パチュリー様の説明によると、この部屋の窓はすべて電子的な技術によって造り出されたモニターであり、映されているのは『別の場所で取り込まれた景色』なのだとかなんとか。原理はさっぱり解りませんが。

 

 パチュリー様はその『窓』の傍らに置かれた、大きくて座り心地の良さそうな椅子に体を預け、なにがしかの分厚い書籍に目を通していらっしゃいました。まるで何百年もの間、誰にも邪魔されることもなくずっとそうしていたかのようなその姿へと、私は行儀よく(正確にはそう見えるように)腰を折って挨拶をしました。おはようございます。

 

 おはよう。こちらに目もくれることもなく返される、気だるそうな声。それを特に気にもせず、私は机に向かい今日の講義に備えます。

 

 少しして、金糸で編んだと思しき栞をページに挟みんで立ち上がったパチュリー様が、読みかけの書物を椅子に投げ出して“ひとりごと”のような口調で言いました。

 

「───では、今日の《授業》を始めましょうか」


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