月姫転生 【完結】   作:HAJI

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第三十五話 「成就」

 

――――ふと、目を覚ました。

 

 

瞳に映るのはいつもと変わらない暗闇と死の線。ただいつもと違うのは目覚めることができたことに自分が安堵しているということ。今まではただ淡々と全てを受け入れてきた。心のどこかでもう目覚めることがないことを望んでいたはずなのに、どうして――――

 

 

「――――志貴さん、ようやく目を覚まされたんですね」

 

 

そんな聞き慣れた声によってようやく現実に引き戻される。同時に意識がはっきりする。これまでの経緯。どうやら自分はまだ生きているらしい。同時に耐えがたい激痛が駆け巡る。身体からのものではない、頭痛。今までないものとして扱ってきたもの。思わず声を上げそうになるのを必死に抑え込む。

 

 

「……琥珀か?」

「はい。本当に良かったです……もしかしたらこのまま目を覚まされないんじゃないのかと」

「そうか……そういえば、いつか翡翠さんにも同じようなことを言われたことがあったような気がする。何でも俺の寝顔は死んでるように見えるとか何とか……」

「し、志貴さん……何でそこで翡翠ちゃんの名前が出てくるんですか? ここは心配していたわたしに何か一言あってもいいところですよ?」

「それはいいとして……今は何時だ? 俺が意識をなくしてからどれぐらい経ってる?」

「志貴さん……わざとやってますね。はあ……もういいです。今はちょうどお昼です。志貴さん達が戻ってきてからは六時間ぐらいでしょうか。ちょっと待ってて下さい、シエルさん達をお呼びしてきますから」

 

 

溜息を吐きながらも安心したのか、いつもどおりの態度を見せながら琥珀はぱたぱたと部屋を出て行く。そんな琥珀の後姿を見つめながら、自分が生きているのだと実感できた。こんな何気ない会話が、やり取りがどれだけ大切な物だったのか。自分がこれまでどれだけそれを蔑ろにしてきたのか。

 

 

「――――これで、よかったんだよな」

 

 

ぽつりと呟く。これまでの自分と、今の自分が選んだ選択。その結果がここにある。何とか身体を起こそうとするも叶わない。腕を上げるのにも時間がかかる。横になったままなのに呼吸が乱れ、冷や汗が流れる。まだ汗が流れるだけマシかもしれない。常に貧血が起こっているかのように、身体が冷たい。死に体と言ってもいい自分の体のあり様をまえにしても不思議と焦りも恐怖もなかった。これは分かり切っていたことなのだから。今はただ、生きてもう一度琥珀に会えたことの方が嬉しかった。

 

 

「遠野君、目が覚めたんですか!? 身体の方は――」

 

 

やってくると同時にシエルさんが捲し立てるようにこちらの状態を伺ってくる。その様子にどこか安堵する。心配なんてしてはいなかったがそれでもあの戦闘の中で無事であった彼女の姿。むしろ心配されっぱなしなのは自分の方だろう。

 

 

「ああ、身体の方は何ともない。それよりも助かったよ、シエルさん。傷を治療してくれたんだろ?」

「え? ええ……ですが遠野君、眼の方はどうなってるんです? 魔眼殺しを巻きなおしましたが……変わりはありませんか?」

「眼……?」

 

 

言われてようやく自分の眼に魔眼殺しが巻かれていたことに気づく。シエルさんが巻いてくれようだが確かに助かった。もし眼を閉じているとはいえそのままであったならもう自分は目覚めることはなかっただろう。しかし、シエルさんが何を言っているのか分からない。一体何を今更気にしているのか。ただ、あの時何か違うモノが見えたような気がするが分からない。

 

 

「とりあえずは大丈夫そうだ。シエルさんの方こそ大丈夫なのか?」

「わたしですか? それこそ心配無用です。わたし、死神に嫌われちゃってますから」

 

 

自信ありげにシエルさんは胸を張っている。その姿はいつもとはどこか違っているように見える。先の戦闘で何か思う所があったのだろうか。だがそんな中、

 

 

「…………」

 

 

一言も発することなくその場に佇んでいるアルクェイド・ブリュンスタッドの姿がある。直接は見えないが瞼の裏から見える死の線から彼女もまた無事であることは間違いない。

 

 

「……どうしたんだ、ブリュンスタッド? どこか調子が悪いのか?」

「……いいえ。身体の欠損はシキに切られた左腕だけよ」

「ア、 アルクェイド・ブリュンスタッド……貴方という人は……」

 

 

アルクェイド・ブリュンスタッドの返答にシエルが言葉を失っているが自分としてはいつも通りのやり取り。彼女は皮肉を口にしたわけではなく、ただ事実を口にしているだけなのだから。できればもう少し空気を読む、言葉をオブラートに包むことを覚えた方がいいのではないかと思うが、すぐに望むべきではないだろう。ある意味、今のアルクェイド・ブリュンスタッドらしさ、とでも言うべきなのかもしれない。

 

 

「そういえばシエルさん……混沌はどうなったんだ?」

 

 

一度大きく呼吸を整えながら状況を確認する。情けないが混沌の死の点を貫いた瞬間からの記憶がない。文字通り気を失ってしまっていたらしい。間違いなく殺したはずだが相手はあの混沌。万が一、ということもあり得るのだから。

 

 

「大丈夫です。間違いなく、ネロ・カオスは消滅しました。代行者として保証します。それと感謝しています、遠野君……貴方のおかげで混沌を滅することができました」

「そうか……よかった。それなら、無駄にならなくて済みそうだ」

 

 

これでようやく一息つくことができた。少なくとも、自分の行動は無駄にならなかったのだと。ただ、もう自分にできることは何もない。蛇を殺す、という命題も叶わない。それは目の前に二人に託すしかない。他人任せにするようで申し訳ないがきっとあの二人なら何とかしてくれるはず。そう思えるほどに混沌との戦いの時の二人は力強かった。そんな中

 

 

「コハク、いつまでそんなところにいるの? 早くしないと間に合わなくなる」

 

 

アルクェイド・ブリュンスタッドがどこか捲し立てるように琥珀に向かって話しかけている。言われてようやく琥珀が何故か黙りこんだままであったことに気づく。いつもなら楽しそうに会話に割って入ってくるというのに、自分達と少し離れた所からこちらを見つめているだけ。自分が意識を失っている間に三人の中で何かあったのだろうか。

 

 

「ブリュンスタッド……何の話をしてるんだ? 琥珀と何かあったのか?」

「いいえ、問題はあなた達のことよ。早くコハクとシキが交「ま、待ちなさいアルクェイド・ブリュンスタッドっ!!」

 

 

鼓膜が破れてしまうのではないかという大声でシエルさんが絶叫する。いつもの彼女らしくない必死さがにじみ出ている。まるで子供を叱りつけている保護者のよう。俺も琥珀もそんな光景に呆気にとられるしかない。もっとも当のブリュンスタッドは全く意に介していないようだが。

 

 

「……何を怒っているの、シエル。早くしないといけないと言っていたのはシエルの方」

「そ、そうですが……何故貴方が言う必要があるんですか!? まったく……どれだけアーパーなんですか……ごほんっ! 遠野君、わたしとアルクェイド・ブリュンスタッドは街の様子を見てきます。混沌を倒したことで蛇が動き出す可能性もありますから」

「そ、そうか……悪いな、そっちは任せっきりになる」

 

 

思わずこちらがのけぞってしまうような剣幕でそう告げた後、シエルさんは部屋を後にせんとする。色々と話したいこともあるのだがあの様子では望むべくもない。だが、いつまでたってもアルクェイド・ブリュンスタッドはその場を動こうとはしなかった。

 

 

「何をしているんですか? 貴方も一緒に行くんです。ここに残っても仕方がないでしょう」

「意味がないのはシエルの方。今は昼間なのに、そんなことをしても意味はない。ならわたしはここに残る。コハクとシキがどんなことをするのか知識では知っているけど、興味がある」

 

 

アルクェイド・ブリュンスタッドはただ淡々とそう告げる。そこにはただ好奇心に満ちた猫がいるだけ。どうやらアルクェイド・ブリュンスタッドの様子がいつもと違うのはそれが原因だったらしい。だがその言葉を聞いた瞬間、部屋の空気が固まる。風船が割れる寸前のような緊張感。そして 

 

 

「こ………の、不浄者ぉっっっっ!!!!! どれだけ悪趣味なんですか貴方は!? いいでしょう、わたしが貴方に道徳が何たるものかを教えて差し上げます! 絶対逃がしませんからね!」

 

 

堪忍袋の緒が切れたのか、シエルさんはアルクェイド・ブリュンスタッドの首元を掴み引きずりながら部屋を後にしていく。まるで飼い猫を引っ張っていくような有様。抵抗しても無駄であると悟ったのか、アルクェイド・ブリュンスタッドもされるがまま。もし抗えば黒鍵を投げつけかねない空気が今のシエルにはあった。

 

 

「シエル、痛い」

「――当然です。遠野君、夜には戻ってきます。琥珀さん、後はお願いします」

 

 

そう言い残したまま、シエルさんはブリュンスタッドを連行しながら飛び立って行く。後には嵐が過ぎ去ったような静けさが残っただけだった――――

 

 

 

 

「ふふっ、お二人とも仲良くなられたみたいですね」

「ああ、違いない」

 

 

よっぽど可笑しかったのか、琥珀はクスクスと笑いながら今はいない二人のことを口にする。それに関しては自分も同意するしかない。知識として識っている二人の関係とは異なっているが、あれはあれで息があっているのかもしれない。もっとも苦労するのはシエルさんであるというのは世界が違ったとしても変わらないようだが。

 

その後、取りとめのない会話をぽつりぽつりと琥珀と交わす。意味のないやり取りだが、それでもいい。ただ今は残されたわずかな時間をこうして過ごすことが自分の望みだった。そんな中、ふと気づく。

 

 

「……そういえば、こうして二人っきりになるのは久しぶりだったな」

「そうですね。こちらに来てからはシエルさんとアルクェイドさんがいましたから」

 

 

琥珀も言われて気づいたのか笑っている。遠野の家にいる時にはもっと二人きりの時間があったはずだが、ここのところはそういった記憶がない。その中でも、強く記憶に残っている光景がある。あの時の約束を、ここで果たすのもきっと悪くないだろう。

 

 

「よっと……」

「志貴さんっ!? 急に動かれては身体が」

「大丈夫だ。何とか起き上がるぐらいならできる」

 

 

なけなしの力を振り絞りながら上体を起こして壁を背にし座り込む。それだけで寿命が縮んだような気もするが構わない。心配そうに自分を見つめているであろう琥珀の姿。それを見ながらも

 

 

「横になれ、琥珀」

 

 

琥珀にとっては理解できないであろう命令を下した。

 

 

「――――え?」

「だから横になれって。膝枕してやるから」

 

 

ぽかんとしている琥珀に内心笑いながら手招きする。琥珀は頭を上下しながら自分の顔と膝を往復している。一体何を言っているのか分からないのだろう。当たり前だ。言っている自分も何を口走っているか分からない程、おかしな命令なのだから。男の膝枕という、夢もロマンもないようなもの。

 

 

「…………はあ、仕方ありませんね。主人の命令を聞くのが使用人の務めですから」

 

 

観念したのか、苦笑いしながら琥珀は言われるがまま自分の膝に頭を置いてくる。自然を装っているようだが、それでもどこか緊張を見せながら。自分も柄でもないことをしているな、と自覚しながらも自嘲する。まあ、たまにならこういうのもいいだろう。

 

 

「――――」

 

 

そのまま互いに言葉を発することなく時間が流れる。時折、膝の上にある琥珀の頭を撫でてみる。細やかな髪の感触と、温かさ。琥珀もまた、それにされるがまま。知らず心が穏やかになっていくのを自覚する。同時に思い出す。遠野家の庭で、自分を膝枕してくれた琥珀の温かさ。それには到底かなわないだろうが、ほんの少しでも、あの時の温かさが伝わってくれれば。

 

 

「…………志貴さん、起きてますか?」

「……ああ、起きてる。寝ながら頭を撫でるなんて器用な真似できるわけないだろ」

 

 

あまりにも静かだったからか、琥珀がこちらに顔を向けながら声をかけてくる。自分は窓の外に目を向けながらそれに答える。ちゃんと向き合いたいが、そうすれば琥珀に触れることができない。直死の魔眼がある限り、それは変わらない。でもこのまま眠ってしまうのも悪くない。そう思ったのも束の間

 

 

「……前のわたしが、膝枕をしてほしいと言ったんですね?」

 

 

こちらの眠気を覚ますように、自然に琥珀は答えを告げる。だが驚きはあれど焦りはなかった。もしかしたらと思っていた。シエルさんかブリュンスタッドか。どちらであっても構わないが、一応こちらにも伝えておいてほしい。まあ、自分が話すことを許すわけがないからこそ、勝手に話してくれたのだろう。

 

 

「ああ……男の膝枕なんていいもんじゃないって言ったんだけどな。頑固なところはどこでも変わらないらしい」

「そうですか、志貴さんも他人のことは言えないと思いますよ? わざわざそんな約束を守ってるんですから」

「それもそうか。お互い面倒なことになったな」

「はい。じゃあ今度はわたしの番ですね。横になってください志貴さん。わたしが膝枕をしてさしあげますから」

「え? いや、それじゃあ意味が」

「いいんです。忘れちゃってるかもしれませんけど、わたしはまだ一度も志貴さんに膝枕をしてあげていないんです。それじゃあ不公平じゃないですか」

 

 

めっ、とこちらに向かって指を立てながらあっという間に立場が逆転してしまう。正直身体が辛かったのもあったので助かったが主導権を握られてしまった形。どうやら自分はやはり目の前の彼女には敵わないらしい。何度繰り返しても、それは変わらなかった。

 

 

「――――あなたは、全部知ってたんですね」

 

 

確かめるように琥珀はそう口にする。全部が、どこからどこまでを指しているかは分からない。でも、全部知っていた。その在り方も、生き方も。世界の終わりも、始まりも。自身の正体も。

 

 

「でも、逃げてもよかったんですよ。知ってるからって、あなたが全部背負う必要なんてないじゃないですか。逃げても、誰もあなたのせいになんてしません。そんなことを言える権利なんて世界中の誰にもありませんから」

 

 

彼女は口にする。逃げてよかったんだと。かつて本物の遠野志貴が青の魔法使いにも言われていた言葉。特別な眼を持っていたとしても、特別に生きる必要など無いのだと。

 

 

「そうだな……でも逃げられなかったんだ。逃げても、いいことは一つもなかった」

 

 

逃げて、逃げて、逃げて、ただ逃げながら生きてきた。でも、その先には何もなかった。それが怖くて、人形になった、人形になって逃げようとした。これは自分ではないんだと言い訳しながら。だけど、羨ましかった。人間として、生きている人々が。自分を持っている人々が。

 

 

「覚えてるか……? 八年前、遠野の家で会った時のこと」

 

 

ただ思い出す。自分にとっての始まりの場所。互いに何も持たず、ただ籠に閉じ込められていたあの頃。

 

 

「俺は……君が羨ましかった。人間の君が。でも、許せなかった。人間なのに、人形になろうとしている君が」

 

 

独白する。かつて自分に全てを明かした彼女のように、嘘偽りない己の本音を曝け出す。

 

 

ただ羨ましかった。妬ましかった。自分と同じ人形のように見えて、自分とは違う彼女の姿。お前では届かないと、現実を見せつけられたかのように。

 

 

「俺も……ただの八つ当たりだったんだ。君が人間になれるなら、俺もきっと……人間になれるんだって……」

 

 

人間は人形になれない。

 

それが自分が彼女の告げた真実。同時に、自らに対しての死刑宣告。それは、人形が人間になれないことを意味しているのだから。

 

それでも、そう生きられたどんなにいいかと憧れた。叶わなくても、自分が人形だったとしても――――

 

 

「よかったです……志貴さん、約束守ってくれたんですね」

「…………え?」

 

 

瞬間、温かい手が頬に添えられる。忘れられない、記憶が蘇る。摩耗しても消え去ることのない、自身の罪。同じように笑いながら自分の頬を撫でてくれた、彼女の姿。

 

 

『志貴さん……泣いてるんですか。よかったです……約束、守ってくれたんですね』

 

 

自分が人間になれてよかったと言ってくれた彼女。ただ、あの時と違うのは

 

 

「――――だって、あなたは泣いてるじゃないですか。人形は、泣いたりなんかしませんから」

 

 

頬に流れているのが彼女の涙ではなく、自分の瞳から流れた涙だったということ。

 

 

瞬間、涙が溢れて来た。ただ声を上げて泣き続けた。子供のようにみっともなく、ただ彼女の膝を濡らしながら泣き続ける。

 

 

それが『遠野志貴』が初めて流した、あの時、彼女が亡くなった時に流せなかった涙だった――――

 

 

 

 

「落ち着きましたか、志貴さん?」

「ああ……悪いな、着物汚しちまった」

「構いませんよ。これでもう志貴さんはわたしの言うことには逆らえませんから」

 

 

茶化すような琥珀の言葉に返す言葉もない。大の男がみっともなく泣き顔を晒したのだから。もう二度とこの割烹着の悪魔には逆らえないに違いない。だがそのまま琥珀は黙りこんでしまう。それがいつまで続いたのか。

 

 

「志貴さんは、わたしのことも全部知ってらっしゃるんですよね?」

「……?」

 

 

確認するように、琥珀はそんなことを口にする。自分の無言を肯定と受け取ったのか

 

 

「――でしたらわたしを抱いてください。そうすれば志貴さんは命を伸ばすことができますから」

 

 

琥珀は淡々と、何でもないことのようにそんなことを口にした。

 

 

「――――」

 

 

瞬間、時間が止まる。同時に全てを理解した。琥珀が何を考えているのかも。先程のシエルさん達の態度も。だが、そんなことは自分が誰よりも分かっている。琥珀の持つ感応能力。それを使えば自らの延命が計れるだろうということは。

 

だが、今までに一度もそれは行ってこなかった。もし仮にそれを為したところで寿命が僅かに伸びる程度でしかない。自分が死ぬことは変わらない。

 

何よりもその行為は琥珀を利用することに他ならない。琥珀にとってそれは自らの運命を弄んだ者達の根源ともいえるもの。そんな者達と同列になるぐらいなら、琥珀を傷つけることになるぐらいならこのまま消えた方がマシだった。

 

 

「……琥珀、俺は」

「っ! ごめんなさい……志貴さん。ちょっと待って下さい! ふぅ……これじゃあ、アルクェイドさんのことは言えませんね……」

 

 

俺の言葉を遮るように、どこか慌てながら琥珀は挙動不審な動きをし始める。もじもじと何かを言いたくても言えないかのよう。ぶつぶつと意味が分からないことを口走っている。いい加減何か声をかけた方が良いのだろうかと思い始めた時

 

 

「わ、わたしはあなたのことが好きです。だから……そ、その、そういうのは抜きにして、わたしのことを抱いてください……」

 

 

そんな、こちらが赤面してしまうような初心な告白を、顔を真っ赤にしながら琥珀は口にした。

 

 

「……ふっ」

 

 

思わず噴き出してしまった。笑ってはいけない場面だと分かっているのに、我慢ができなかった。だが仕方がないだろう。あまりにも今の琥珀の姿は、いつも知っている琥珀とはかけ離れていた。まるで初恋の人に告白するような少女のよう。

 

 

「な、何で笑うんですか志貴さん!? わ、わたしがどれだけ恥ずかしい思いをしてるか分かってるんですか!?」

「いや、悪い……何だかおかしくて、お互い柄にあわないことはするもんじゃないな」

「どういう意味ですか……志貴さん、もしかしてわたしのこと嫌いなんじゃないですか?」

 

 

本当に怒ってしまったのか、頬をふくらませるように琥珀は拗ねてしまっている。ある意味当然だろう。男としてここまで言われたら答えは決まっている。ただ、こちらもやっておかなければならないことがある。それは

 

 

「――――ああ、俺も、君のことが好きだ」

 

 

好きだ、という言葉。いつかとは真逆の答え。反転したわけではない、初めから変わらない『遠野志貴』の心だった。

 

 

「――――」

 

 

その言葉をどう取ったのか、琥珀は黙りこんだまま俯いてしまう。だがそれがいつまで続いたのか、思い出したように琥珀は正面から自分に向かい合う。

 

 

「――――お帰りなさい、志貴」

 

 

ただ慈しむように琥珀は告げる。どこから帰ってきたかなど、もはや口にするまでもない。本当に長い螺旋だったが、ようやく辿り着いた。

 

 

「――――ただいま、琥珀」

 

 

互いに名前を呼び合いながら唇を重ねる。いつかの冗談のような約束。二人きりの時なら許される呼び方。

 

 

それが『遠野志貴』の螺旋の終着点。ようやく、彼女を失った時から時間が動き出した瞬間。そして二人が共に過ごした最期の時間だった――――

 

 

 

 


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