月姫転生 【完結】   作:HAJI

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第三十話 「境界」

――――そこは地獄だった。

 

 

残っているのは大量の血痕と獣の跡。生き残った者はいない。その全てが飲み込まれてしまった。たった一人の吸血鬼という名の怪物に。

 

惨状を目の当たりにしながらもできるのは歯を食いしばり、拳を握ることだけ。間に合わなかった自分に対する憤怒と吸血鬼に対する憎悪。その全てを押し込みながらただ代行者としての自分を取り戻す。ここで後悔したところで起きてしまったことはなくならない。犠牲者の無念を晴らすこともできない。

 

今、己が為すべきことは一刻も早く混沌を見つけ出し滅すること。もう二度と、自分と同じような人間を生み出さないために。

 

 

それがかつて許されない罪を犯してしまったシエルの贖罪という名の生き方だった――――

 

 

 

 

そのまま人目に触れぬように注意しながらも建物の屋根を飛び移りながら駆ける。向かう先はアルクェイド・ブリュンスタッドが拠点としているマンション。肩には自らの切り札足る巨大な聖典。本来はこれを取りに行くための外出だったのだが今はそれどころではない。一刻も早く協力者である彼、遠野志貴に事態を伝え動かなければ。

 

本来ならば代行者である自分一人でも動くべき状況。しかし今回ばかりは事情が異なる。何故なら

 

 

(混沌……ネロ・カオス。遠野君の話が事実なら、今のわたしには混沌を滅する術はない)

 

 

相手は二十七祖であり、混沌の名を冠する六百六十六の命を内包する存在。教会にも混沌の情報はあったが実際のそれは予想を遥かに凌駕している。その最たるものが耐久性。六百六十六回殺すのではなく、その全てを同時に殺さなければ混沌は倒せない。事実、万全の状態のアルクェイド・ブリュンスタッドですら混沌を殺し切ることができなかった。だがそれを可能にする例外がここにいる。

 

 

(直死の魔眼……あれを持つ遠野くんなら混沌を消滅させることができる……!)

 

 

直死の魔眼という異能を持つ遠野志貴。彼ならば混沌を殺し得る。事実、先の戦いでは混沌の半身を消滅させた。蛇同様、彼の能力は不死である吸血鬼にとって天敵。彼にとっては忌むべき異能であり、死を意味するもの。だが今はどうしてもその力を貸してもらわなければならない。

 

自らの力不足を呪いながらも部屋へと辿り着く。本当なら出迎えてくれるであろう少女、琥珀を思い、笑みを浮かべるべきなのだがあえて代行者の貌を見せたまま部屋へと入る。だが出迎えはなく、聞こえてくるのはテレビの声だけ。リビングには遠野志貴、アルクェイド・ブリュンスタッド、そして琥珀の姿。しかし誰一人自分に反応を見せない。その意識はテレビへと向けられている。その理由はもはや語るまでもない。違うのは自分はそれを目の当たりにし、彼らは伝え聞いているということだけ。

 

 

 

「――――遠野君、ネロ・カオスが動き出しました」

 

 

簡潔に、それでも今の状況の全てを含んだ言葉を彼に告げる。本当なら一般人である琥珀、そして真祖であるアルクェイド・ブリュンスタッドの前では避けるべきだが今はそうも言っていられない。自らの焦りと憤り。それらが込められた言葉はしかし

 

 

「…………ああ、そうか」

 

 

何気ない、感情を感じさせない遠野志貴の返答によって遮られる。変わらず窓の外を見えがこちらに振り返ることもない。まるでどうでもいいことを聞いたようにそこには何もない。

 

そのことに思わず声を上げそうになるが寸でのところで飲み込む。そう、彼に奇行などもはや見慣れたもの。元々淡々と、まるで機械のように喋るのが彼の在り方。アルクェイド・ブリュンスタッド、そして琥珀がやってきてから徐々にそういった面が薄れてきたため余計にそう感じるのだろう。それでも彼の態度に僅かな苛立ちを感じながらも先に進むことにする。

 

 

「……現場を確認してきました。間違いなく混沌の仕業です。恐らく、先の戦闘で負った傷を癒すためのものです」

 

 

先の戦い、という言葉に力を込めながら彼に告げる。そう、恐らくは今回の事件は混沌にとっては自己回復を計るためのもの。遠野志貴によって半分の命を殺された消耗を癒す目的があるのだろう。だが同時にそれは間接的にとはいえ今回の出来事が自分達に起因していることを意味する。もし自分達があの時混沌を倒すことができていたなら、起こらなかったはず。もしかすれば、傷を負わずとも食事として彼らは殺されてしまったのかもしれない。それでも、結果は変わらない。だからこそ今度こそ見逃すわけにはいかない。

 

 

「遠野君、今夜体調が回復し次第ネロを――――」

 

 

彼が睡眠を取り、体力を回復した今夜にこちらから打って出る。未だ混沌の居場所はつかめていないがネロには身を隠すと言う意図が全くない。こちらから動けば間違いなく姿を現すはず。しかしそれは

 

 

「そんなことはどうでもいい。シエルさん、蛇は見つかったのか?」

 

 

遠野志貴の全く予想していなかった答えによって霧散する。いや、それは答えですらない。そもそも彼はこちらの話など全く聞いていなかった。

 

 

「え……? 蛇……ロアのことですか?」

「それ以外何があるって言うんだ。それで、蛇の手掛かりは何か掴めたのか?」

「いえ……今のところ蛇は全く動いていません。死者を使って血を集めることもしていないようですが……」

「そうか……やっぱり、奪った力が扱えるようになるまでは出てこないつもりか……」

 

 

彼はただ黙って聞き入ったまま。先程までとは違う。傍で聞いている琥珀も、アルクェイド・ブリュンスタッドもそんな遠野志貴の姿を無言で見つめているだけ。自分もまた、呆然とするもすぐに我に帰る。

 

 

「遠野君、蛇も気になりますが今は混沌の方が先です! 一刻も早くネロを倒さなければまた多くの犠牲者が」

「……何を言ってるんだ、シエルさん。何で俺が混沌を倒さなきゃならないんだ?」

「…………え?」

 

 

思わず口を開けたまま固まってしまう。対して遠野志貴もどこか要領を得ない雰囲気を纏っている。そう、まるで前提が間違っている。歯車がかみ合っていない。そんな空気。

 

 

「……覚えてないのか? 俺の目的は『蛇を殺す』ことだけだ。確かにそう言ったはずだけど」

 

 

ようやくその正体が判明する。あまりにも単純な、これ以上にない答え。だからこそ驚愕するに足る思考論理。同時に思い出す。初めて彼と出会った公園で交わした協力体制。その際彼から告げられた二つのお願い。一つが魔眼殺しの包帯を手に入れてほしいというもの。そしてもう一つが蛇を殺すのに協力してほしい、というもの。

 

そう、彼の目的は蛇を殺すこと、逆を言えばそれ以外のことは全く関係がない。自分に協力してくれる道理もないのだと。

 

 

「それは……で、ですが先の戦いでは混沌と戦っていたじゃないですか! なら」

「あれは状況的にそうせざるを得なかったからだ。蛇にブリュンスタッドの力を奪わせないためにはああする他なかった。それがない以上、俺が混沌と戦う理由も、意味もない」

 

 

動揺しながら矛盾を突こうとするも遠野志貴は機械のように淡々と理由を口にする。あの時、混沌と戦った理由。結果的には混沌の半身を殺したが、その根本は蛇にあったのだと。確かに辻褄は合う。いや、間違えていたのは、勘違いしていたのはわたしの方なのだろう。知らず誤解してしまっていた。彼が吸血鬼を殺すことを目的にしているのだと。知らず同一視してしまっていた。自分と同じく死ぬことができない運命に囚われた吸血鬼の犠牲者、私怨で動く復讐者なのだと。

 

 

「なら……遠野君は混沌を見逃す気なんですか。このまま放置すれば、街の人々がどれだけ犠牲になるか分からないんですよ」

 

 

故にこれはただの確認。遠野志貴という人間を問うもの。このまま混沌を放置すればどれだけの犠牲が出るか分からない。傷が癒えたとしても、食事として何百もの人間が食われてしまうかもしれない。それを止める術が彼や自分にはある。なのに何もしないのかと。

 

瞬間、部屋が凍りつく。代行者としての気配。詰問にも似た場面。その場にいるはずの琥珀も、アルクェイド・ブリュンスタッドも口を閉ざしたまま。聞こえてくるのはテレビの音声だけ。淡々と、それでも永遠と犠牲者の名前が読み上げられていく。それを耳にしながらも

 

 

「――――ああ。知らない人間が何人死のうと構わない。俺は俺の目的のためだけに動く」

 

 

微塵の揺らぎも見せぬまま、わたしの視線を受けていることも意に介さず立ち上がり、横を素通りしていく。協力関係が壊れてしまいかねない発言をしながらも彼に迷いはない。そんなもの、とうの昔に失くしてしまっているかのように。

 

 

「俺はシエルさんのような代行者でもなければ、正義の味方でもない。無駄なことをしている余裕はない。混沌を追うなら一人でやってくれ」

 

 

そう言い残し、頭を右手で抑えながら遠野志貴はその場を後にする。恐らくは睡眠を取りに行ったのだろう。でもわたしはその場から動くことができない。いや、言葉が見つからなかった。

 

遠野志貴は自分に嘘をつかない。何故かは分からないが、間違いなくそれは真実であり彼が課している己への制約。だからこそ信じられない。いや、信じたくなかった。それはすなわち先の言葉が彼の本音であることに他ならないのだから。

 

ふと思い出す。いつか彼が言っていた言葉。自分は人間ではなく人形なのだと。ただ蛇を殺すためだけに生み出された意志のない操り人形。それが今の彼なのだと。だが道理に合わない。ならどうして彼は――――

 

 

「……シエルさん、大丈夫ですか?」

 

 

そんな思考は心配そうな着物姿の少女、琥珀によって断ち切られる。どうやら知らずその場で立ち尽くしていたらしい。思わず眼をぱちくりさせながらも意識を切り替える。

 

 

「はい。すいません、みっともないところをお見せしてしまいました。ちょっと熱くなりすぎたみたいです」

「そうですか……あの、志貴さんのことですけど……」

「いえ、心配しなくとも協力関係を解消したりはしませんので安心してください。元々わたしが勝手に勘違いしてただけですから」

「そうしてくれると嬉しいです。わたしも少しびっくりしましたけど……あんなことを仰ったのはきっと、志貴さんなりの理由があると思うんです。ですから」

 

 

彼のことを嫌いにならないでほしい、と琥珀は苦笑いしながらわたしへと告げてくる。そこには確かに彼のことを理解し、憂慮している少女の姿がある。だが彼女から見ても先程の彼の言動は驚くものだったようだ。唯一、驚いていないのは

 

 

「…………」

 

 

白い吸血姫であるアルクェイド・ブリュンスタッドだけ。だが遠野志貴が部屋を出て行ったとほぼ同時に彼女もまた立ち上がり部屋を出て行こうとうする。

 

 

「っ!? 待ちなさい、アルクェイド・ブリュンスタッド。どこに行こうとしているんですか。あなたを外に行かせるわけにはいきません」

「……外には行かない。わたしはシキに聞きたいことがあるだけ。それなら構わないでしょう?」

「確かにそうですが……遠野君は今休みに行ったところです。邪魔をするようなら」

「邪魔はしない。少し、話をするだけ」

 

 

そう言い残し、あっという間にアルクェイド・ブリュンスタッドはその場を後にする。制止の声を上げるも聞く耳持たず。誰もかれもが好き勝手に動き去っていく。結局その場には自分と琥珀が残されてしまう。だが逆にいい機会かもしれない。今の自分はあきらかに冷静さを欠いている。混沌の引き起こした惨状を目にしたこと、それに打つ手がなかった自分の不甲斐なさ。協力者である遠野志貴への甘えと誤解。しかし、それでもまだ自分は一息つくことはできそうにない。何故なら

 

 

「……シエルさん。少し、お聞きしたいことがあるんです」

「聞きたいこと、ですか? さっきの遠野君との会話のことでしたら……」

「そうではなくて……さっき、志貴さん達とお話してたんです。吸血鬼退治が終わったら、皆さんで遊びに行きませんかって」

 

 

自分にとって避けることができないもう一つの約束を果たさなければならない時が来たのだから。もう半ば理解しつつある。琥珀が自分に何を聞きたいのか。何を知りたいのか。

 

 

「でも、その時アルクェイドさんが仰ったんです。その時には志貴さんはもういないから、それはできないって」

 

 

同時にここにはいない真祖の姫君に眩暈を起こしそうになる。そう、彼本人がそれを口にするはずもない。なら、答えは一つ。そも彼女に人間の感情の機敏を感じ取ることなどできるはずもない。言葉を紡ぐようになったと言っても、彼女は吸血鬼。わたし達人間とは相容れない存在。事態をややこしくすることしかできないのだろうか。

 

 

いや、これは単なる言い訳でしかない。自分が先延ばしにしてきたことに向き合う時が来たということだけ。アルクェイド・ブリュンスタッドのせいでも、ましてや遠野志貴のせいでもない。遠野志貴は最初から琥珀と会う気はなかった。そうなれば、こうなることは分かり切っていたから。なのに彼女が遠野志貴に会うことを、共にいさせることを良しとしたのは他ならぬ自分なのだから。

 

 

「…………」

 

 

そのまま自分の答えを待っている少女と向かい合う。そこに迷いはない。それでもその手は自らの着物を握ったまま。懸命に自分の感情を押し殺している人形ではない、人間の彼女。それを前にして、偽ることなどできるはずがない。

 

 

「――――分かりました。わたしが知っていることを全て、お話します」

 

 

一度目を閉じながら宣誓する。嘘偽りない真実を告げることを。同時に祈る。願わくばこの選択が、彼女にとって救いになることを――――

 

 

 


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