月姫転生 【完結】   作:HAJI

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第二十四話 「性分」

――――今思い返せば、その行動はあまりにも愚かだったかもしれない。

 

 

知らず着物を着直し、ただ人形のようにマンションの一室の前で立ち尽くす。すぐにでもチャイムを鳴らせばいいのに戸惑っている自分。『琥珀』である自分であれば考えられないような無駄。ここへやってきたことそのものが既にまともとは言えない。

 

 

(何をしているんでしょうか……わたし)

 

 

もう何度目になるのか、自嘲と自問自答を反芻しながら思い返す。この場までやってきた経緯。夜の繁華街での秋葉様との探索。見間違いかもしれない彼の姿と、彼が追っていた人物。奇しくもその人物のことを、わたしは知っていた。だからこそわたしはここにいる。

 

金髪の外国人女性。

 

あの日邂逅し、恐らくは命を落としかけた相手。加えて彼が気に掛けていた存在。人間ではない人外。異能を持っているだけで戦うことができない自分でも分かる程、彼女は異質であり同時に惹かれるものがあった。魔性とでも言うべきものと、相反する無機質さ。このドアの先に彼女はいる。

 

でもそれは開けてはいけない扉。もう一度出会えば、間違いなくわたしは殺されてしまう。そう確信できるほどにあの日の出会いは衝撃的であり、一命を取り留めたのは奇跡。もうきっと同じことは起きない。

 

死ぬのは嫌だ。イタイのは嫌だけど、死ぬのは絶対嫌だった。だから人形の振りをしながら、誰かを演じながらここまで生きてきた。なのに何でこんなことをしているのか。

 

ふと、胸にしまっている物に手が触れる。無意識にそれを握りしめる。果たされなかった約束。一方的に押し付けてしまった願いであり八つ当たり。それでも今日まで在り続けたわたしの存在理由。ゼンマイが切れかけているわたしに残っている、たった一つの白いリボン。

 

 

そう。願っているのは一つだけ。フクシュウも何もかもどうでもいい。ただもう一度――――

 

 

気づけばチャイムを鳴らしていた。わたしの体がわたしではないみたい。本当なら今日、シエルさんから連絡があるはずなのに、それを待つことができなかった。もう待つのは嫌だった。八年間ずっと待っていたのに、今はもう一日ですら耐えられない。

 

一瞬の間の後、ゆっくりとドアが開く。返事も何もない。自動ドアが開くように機械的に部屋の主もそれは同じだった。

 

 

「…………」

 

 

金髪に、赤い瞳を持った白い女性。数日前会った時と変わらない一つの完成品。知らず芸術品を前にしたような感覚に襲われながら目を奪われる。次の瞬間には命を奪われてしまうかもしれないにもかかわらず、そんなことはどうでもいいと思ってしまうほど。

 

だがそんな彼女の違和感に気づく。表情は変わらない。だが以前あって今はない物がある。左腕が、ない。初めからそうだったのではと勘違いしてしまいかねない。そしてもう一つ。わずかではあるが彼女の瞳が開かれ揺れている。何かに驚いているように。わたしにとってはそのことの方が気にかかっていた。その光景は、わたしが彼女に抱いていたものとは真逆の反応だったから。

 

彼女はその場から動かない。言葉を発することも、金の瞳を見せることも。

 

わたしもそのまま彼女と向かい合うだけ。以前の出会いとは何かが違う。歯車がかみ合わないような、狂い始めているような感覚。だがいつまでもこのままではいられない。

 

 

「あの……」

 

 

いつかと同じように、自らの目的を明かそうとした瞬間

 

 

「…………え?」

 

 

わたしはそんな声を上げるしかなかった。何もないただの驚き。探していたものがあまりにもあっさりと見つかってしまったから。でもそれが信じられない。

 

もうわたしは目の前にいる彼女を見てはいなかった。瞳に映るのはその奥。部屋に続くまでの短いフローリング。そこに、彼はいた。

 

知らず、そのままゆっくりと部屋に向かって歩いて行く。夢遊病者のように、足取りも思考も定まらない。もう何も分からない。隣で自分を見つめている白い彼女のことも、先程まで自分が何をしようとしていたのかも。その全てが、どうでもよかった。

 

 

「――――志貴、さん」

 

 

彼の名を呼ぶ。本当の名前ではない、それでも彼を現わすもの。

 

 

その姿はわたしが知っているものとは大きく違っていた。目には包帯が巻かれ、左腕は失われている。あまりにも痛々しいその姿。壁に背中を預けたまま座り込みながら微動だにしない。一見すれば死んでしまっているのではと思えるほどに、彼は静かだった。

 

でもわたしは知っている。彼が眠っているだけであることを。それを何度も見てきたのだから。それを見つめることが、わたしの密かな楽しみだった。同時に思い出す。彼との何気ないやり取り。もう遥か昔のように思える、遠野家での仮初の生活。

 

 

――――いつもぶっきらぼうで、わたしにだけ厳しくて、それでもわたしの手を握ってくれた誰か。

 

 

もう分からない。自分がどんな顔をしているのかも、どんな顔をすればいいのかも。できるのはただその場に座り込みながら目の前にいる彼を見つめることだけ。触れようと手を伸ばしかけるも届かない。彼が眠っている間にそれをしたくなかったのかもしれない。今のわたしのココロが分からない。でも覚えてる。これはきっと――――

 

 

「――――どうして、泣いているの?」

 

 

その答えを、わたしではない誰かが問いかけてくる。ようやくわたしは顔を上げながら彼女に顔を向ける。そこにはどこか不思議そうな顔をしながらわたしを見下ろしている彼女がいる。まるで、理解できないものを見たかのように。同時にどこまでのその瞳は純粋で無垢だった。だがそこでようやく私は二つのことに気づく。

 

一つが、自分が泣いていること。頬に触れてみてようやく分かった。涙が流れている。でもこれはきっと悲しいからではない。もっと違う気持ちからくるもの。人形のはずのわたしが流すことができないもののはずなのに。

 

そしてもう一つ。それは目の前の彼女が言葉を発したと言うこと。以前のように反芻するようなものではない。自らの疑問を口にしている。本当なら驚くこともない当然のこと。でもそれがどれほど異常なことか、この時のわたしには分からなかった。何故なら

 

 

「――――彼女達から離れなさい、アルクェイド・ブリュンスタッド」

 

 

聞いたことがある女性の、聞いたことがない程冷酷な声がその場に響き渡ったから。

 

 

 

 

 

――――今思い返せば、それはあまりにも理解できない光景だった。

 

 

壁を背にしたまま眠っている遠野志貴。彼はまだいい。左腕を失い、魔眼と体を酷使した後であるなら疲労しているのは当然。

 

アルクェイド・ブリュンスタッド。これもまだ分かる。何を考え、何をしようとしていたのかは定かではないがここは彼女の拠点。

 

故に問題はもう一人の存在。ここにいるはずのない、第三者。奇しくも自分とも面識があり、今日連絡を取るはずだった琥珀という名の遠野志貴にとっても縁のある少女。

 

何故彼女がここにいるのか。だが今それを考える意味はない。問題は琥珀を前にしているアルクェイド・ブリュンスタッドの様子。明らかに普通ではない。そも彼女が言葉を発するなどあり得ない。その理由も不明、加えていつ琥珀、遠野志貴に襲いかかるか分からない。遠野志貴は眠っていることに加え琥珀には戦闘能力はない。ならば自分の役目はただ一つ。

 

 

「彼女達から離れなさい、アルクェイド・ブリュンスタッド」

 

 

代行者として目の前の吸血鬼を排除する。様々な理由によって一時的に休戦状態ではあったが所詮は仮初の物。その大半も遠野志貴に配慮したが故のもの。その彼が今は動けない以上、自分が動くのは当然。

 

そのまま瞬時に黒鍵を取り出し、切っ先をアルクェイド・ブリュンスタッドに突きつける。そこに一切の容赦はない。彼女に対してそんな余裕はない。いくら力を奪われ衰弱しているとはいえアルクェイド・ブリュンスタッドは最強の真祖なのだから。

 

 

「…………」

 

 

その瞳を金に変えながら、アルクェイド・ブリュンスタッドもまたその右手を爪を構える。先程まで見せていた純粋無垢な表情は欠片もない。あるのは処刑人としての顔だけ。自らの目的の障害を排除することだけが今の彼女の行動理念。

 

 

「シエルさん……? あの……」

「琥珀さんはそこから動かないでください。事情は後でお聞きします」

 

 

琥珀は目の前で起こっていることをただ呆然と見つけることしかできない。突然現れたシエル。それと敵対しているアルクェイド・ブリュンスタッド。状況の全てが琥珀にとっては理解できないもの。ただ分かるのは力を持たない自分ではこの場を収めることはできないということだけ。緊迫した空気。その切っ先同士が振れ、互いに切り結ばんとした時

 

 

「そこまでだ。全く……目が覚めたらいきなり殺し合いなんて勘弁してくれ。こっちは貧血持ちなんだ」

 

 

そんなどこか気の抜けた遠野志貴の声によってそれは止まってしまった。

 

 

そのまま遠野志貴は大きな溜息を吐いた後、ゆっくりと壁に背を預けたまま立ち上がる。一度バランスを崩しそうになりながらも右手で体を支えながら。そのまま包帯をしたままの眼で辺りを見渡す。その場にいる三人の女性の姿。一瞬の間の後、遠野志貴は口を開く。

 

 

「シエルさん、そっちはどうだった? 蛇の手掛かりは何かあった?」

「い、いえ……残念ながら。ですがもうすぐ夜明けですから蛇も混沌もすぐに動くことはないはずです……」

「そうか……その手に持ってるのは、俺のナイフ?」

「ええ。公園の事後処理の際に回収してきたんです……ですが遠野君、今はそんなことよりも――――」

 

 

あまりにもいつも通りの遠野志貴の姿にシエルは思わず呆気にとられてしまう。確かに彼はいつもそうだった。しかし、今は状況が異なる。恐らくはアルクェイド・ブリュンスタッドに殺されかけたにも関わらず気にした様子がない。しかも包帯をしたままとはいえその視線をずっとアルクェイド・ブリュンスタッドに向けたまま。話しているはずのシエルに顔を向けることはない。

 

 

「ブリュンスタッドもやめておけ。今の状態じゃシエルさんには勝てない。殺されるのがオチだ」

 

 

淡々と事実を遠野志貴はアルクェイド・ブリュンスタッドに告げる。ただ単純に、結果を口にしているだけ。アルクェイド・ブリュンスタッドがどんな状態にあるかなど遠野志貴には手に取るように分かる。

 

 

「まだ回復しきってないだろ。見れば分かる。まあ、回復してもシエルさんを殺すことはできないだろうけど……無駄なことはしない方がいい。それでも殺されたいって言うんなら止めはしない」

 

 

直死の魔眼によって遠野志貴はアルクェイド・ブリュンスタッドの状態を把握する。未だに死が見えることからも衰弱しているのは明らか。それを見越したうえで遠野志貴は告げる。無駄なことだと。言外に今は大人しくしていろと。アルクェイド・ブリュンスタッドの在り方を識っているからこその諭し方。無駄なことはしないという行動理念。矛盾しているのはそう口にしている彼自身。

 

 

「…………」

 

 

自らの状態を見透かされていると悟ったからか、それとも遠野志貴によってシエルの気勢が削がれたのを感じ取ったのか。アルクェイド・ブリュンスタッドはその金の瞳を赤に戻し、爪を下げる。それはシエルも同じ。シエルとしてもこの場で戦闘になるのは避けたいのが本心。このままでは遠野志貴はともかくとして、一般人である琥珀まで巻き込んでしまう。いくら弱っているとはいえアルクェイド・ブリュンスタッドと戦いながら琥珀を庇うのは至難の業。

 

しかし、一触即発の状況からは脱したにもかかわらずシエルは困惑した表情を見せたまま。それは違和感。正確には自然すぎて感じることができないが故の矛盾。それは

 

 

「…………志貴さん?」

 

 

遠野志貴が、その場にいるはずの琥珀をまるでいないかのように扱っていることだった。

 

 

どこか理解できない様子で琥珀は恐る恐る遠野志貴へと話しかける。無理やりここに押しかけてしまった後ろめたさか。それとも待ちわびた再会による喜びと不安か。琥珀の事情を知っているシエルにもその心情は理解できる。だが

 

 

「とりあえず俺はこのまま休む。ブリュンスタッド、隣の部屋を借りるぞ」

 

 

遠野志貴はいつも通りに理解できないペースで動いている。恐らくは彼なりのルールに従って。機械が定められたことしかできないように。優先すべきが己の体調の回復だからこそ。アルクェイド・ブリュンスタッドはそんな遠野志貴の言葉に返事をすることもなくただ視線を返すだけ。もっとも、彼女が視線を返すということだけでも本来なら異常なことなのだがシエルも遠野志貴も気づくことはない。

 

 

「遠野君、待って下さい……!」

 

 

淀みなく琥珀の、そして自分の横を通り抜けながら部屋を出て行かんとしている遠野志貴を何とか引きとめる。

 

 

「どうしたんだ、まだ何か用があるのかシエルさん。前にも言っただろ。昼間は俺は寝るようにしてるんだって。悪いけど、その間は任せっきりになる。何かあったら起こしてくれ」

「それは構いません……ですが、聞かせてください。遠野君には彼女が見えていないんですか?」

 

 

シエルは問う。もしかすれば見えていないからこそそんな態度を彼が取っているのではないかと。だがそれは考えにくい。彼の話が本当なら包帯をしていても死が見える。つまり周りにいる人間も見えるということ。正確には分からなくともこの場に四人いることは分かるはず。加えて琥珀は声を出し遠野志貴に話しかけた。聞こえなかったとは思えない。

 

 

「いや、見えてる。でもいないんだ。あいつは俺が殺したんだから」

 

 

ならば答えは一つ。遠野志貴は自らの意志を持って、彼女の存在をなかったことにしているだけ。その言葉の意味も理解できないもの。だがシエルには半ば理解できていた。

 

 

何故ならそれは自分がかつて通った道。そして未だ辿り着くができない贖罪という名の迷路。

 

 

「っ! 待って下さい、志貴さん!」

 

 

それを知らない琥珀は慌てながら必死にその場から去ろうとしている遠野志貴に手を伸ばす。その脳裏にはあの時、遠野家から出て行く時に引き留めることができなかった後悔がある。同じことを繰り返さないように、琥珀はその手を伸ばすもそれは彼の手によって払われてしまう。明確な拒絶、否定。

 

 

「志貴、さん…………」

 

 

その光景に琥珀は思い出す。かつて自分が彼の身を案じ触れようとした時も自分は拒絶された。違うのはあの時は突き飛ばされ、今回は手を払われたということ。その包帯に覆われた視線も決して自分を映すことはない。変わらず彼の視線はアルクェイド・ブリュンスタッドに向けられている。琥珀はただその場に立ち尽くすしかない。

 

 

「……遠野君、後のことはわたしに任せてもらって本当にいいんですね?」

 

 

そんな二人のやり取りを見ながらも、どこか怒り半分、呆れ半分といった風にシエルは遠野志貴に確認する。そこには明らかに含みがある。まるで言質を取るかのよう。シエルは既に理解していた。遠野志貴は自分に対して嘘をつかない。彼が彼の中で定めた覆さないルールであり戒め。何故彼がそんな縛りをしているのかに興味がないと言えば嘘になるが今は後回し。

 

 

「ああ。後は任せる、シエルさん」

 

 

遠野志貴はいつものようにそう残したまま部屋を去っていく。振り返ることもない。故に彼は気づかない。これまで幾多も繰り返し理解しているはずの事実。彼女が文字通り、どうしようもない程のお節介であるという本当の意味を。

 

 

遠野志貴がいなくなった後、ひとまず黒鍵をしまいながら改めて振り返る。そこには変わらずその場にいる二人の女性の姿。

 

 

アルクェイド・ブリュンスタッドは交戦の意志をなくしてからはただじっと事の成り行きを見つめているだけ。これまでと変わらない姿。だがしばらくした後、一度琥珀に視線を向けた後そのまま奥の部屋に戻って行く。変わらず警戒を解くことはしないが、ある意味でシエルにとって一番分かりやすい相手。

 

 

故に問題はその場に残されてしまっている着物姿の少女だけ。その表情からは彼女の感情は読み取れない。遠野家で見た笑みでもなく、無表情でもない。そのどちらにも傾き得る彼女の仮面。

 

 

腰に手を当てながらこの街に来てから一番の溜息を吐く。当たり前だ。一体どうしてこんな状況に自分が陥るなど想像できただろう。

 

 

自らを省みない、壊れかけた協力者を助けながら

 

 

全てを無にしかねない吸血姫を抑え

 

 

恋する少女の力になりながら自らの目的を果たす。

 

 

どれか一つだけでも困難だと言うのにそれが三つ、三重苦。もしかすれば蛇を探し出して滅するだけの方が幾分楽かもしれないと本気で思ってしまうほど。

 

 

「――――はぁ、仕方ありませんね。乗りかかった船ですし」

「…………シエルさん?」

 

 

だが途中で投げ出すことはできない。飽きたから止める、では子どもと変わらない。どこかで自分をからかう同僚兼上司の少年の姿が浮かぶが無視する。

 

文字通り死ぬまで馬鹿は治らない。いや、死んでも治らない。いくら死のうが、自分の性分は変えられない。

 

 

「――――琥珀さん、とりあえずわたしとお茶でもしませんか?」

 

 

なのでとりあえずは、目の前で困っている少女にお節介を焼くことにしよう――――

 

 

 


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