月姫転生 【完結】   作:HAJI

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第二十一話 「混沌」

「待たせたな……真祖の姫君」

 

 

コートをはためかせ、どこか探究者を思わせる貌を見せながら男は静かに彼女と対面する。いや、対峙する。そこには既に闘争の空気が満ちている。一秒先に自らの首が落ちていてもおかしくはない、そんな極限状態。にも関わらず男には全く恐れがない。焦りがない。動揺がない。彼、彼らにはそんな物は初めから存在していないかのよう。

 

『混沌』ネロ・カオス。

 

死徒二十七祖の一人にして、彼らの中でも異端とされる存在。

 

その名を知るものならば、彼を目の前にした時点で恐れ逃げ出すだろう。それほどに死徒二十七祖の名は重い。同じ死徒はもちろんのこと、魔術師、埋葬者だったとしてもそれは変わらない。彼らと相対するならば文字通り戦争をするだけの力と覚悟がいる。それでもなお届くかどうか。だがそれを前にしても全く意に介していない、もう一人の怪物がその場にはいた。

 

 

「…………」

 

 

美しい金髪と美貌を持った女性。見る者を魅了してしまうような深紅の瞳。ネロとはあまりにも対照的な在り方。それは、彼女が全く闘争心を見せていないこと。殺気も何もない。ただそこに立っているだけ。感情の起伏も、表情の変化もない。いつ殺し合いが始まってもおかしくない状況にいながら、それでも吸血姫は変わらない。

 

だが、それこそが彼女の存在理由。千年前から変わらない、ただ『死徒を狩る』ためだけに在り続ける兵器。

 

『真祖』アルクェイド・ブリュンスタッド。

 

故に死徒二十七祖ですら彼女に恐怖している。彼女に狙われるということはすなわち、死を意味する。曰く、白い吸血姫には関わるな。だがその忠告を無視し、その理を覆さんとする者がいる。

 

 

「まさかこんなに早く出会えるとは思ってはいなかったが……まあいい。蛇とはまだ相対していないようだが、先に私に見つかったのが運の尽きだ。こんな場所に来たのは、ここならば人目を気にしないで済むからか、アルクェイド・ブリュンスタッド?」

 

 

一度、地面を足で踏みながらネロは問う。ネロはすでに気づいていた。アルクェイド・ブリュンスタッドが自らの存在に気づき、尾行されているのを承知の上でこの人気がない公園までやってきていたことを。本来なら罠であるか警戒する所であるが、あえてネロはここまで着いてきた。何故なら退く理由が全くない。自分はただ目の前の真祖を狩るためにここまで来た。未だ蛇も彼女に接触していない。ならば先に永遠を奪うだけ。そんな中でも、ネロが彼女に話しかけたのは単純な興味。これまで幾多の同胞が恐れ、葬られてきた処刑人。同時に異端ではあるがかつて盟友でもあった蛇が執着する白い吸血姫がいかなる者か。既にヒトであった頃の人格はなく、群生としての人格であるはずの混沌であっても僅かばかりの興味はあった。だが

 

 

「…………」

 

 

彼女は何も答えない。応えない。ただその朱い瞳を金に染めながら、鏡のようにネロを映し出しているだけ。まるで人形のように、アルクェイド・ブリュンスタッドはそこに在り続ける。

 

 

「――――成程。言葉を発することすら無意味、ということか。道理だな。詫びよう、吸血姫。少しばかり興が過ぎたようだ」

 

 

自嘲するような空気を飲みこみながら、ネロはただ吸血鬼として彼女と向かい合う。そこにはもう無駄はない。ただ理解した。目の前の存在がいかなるものかを。

 

そう、あれはただの装置。決められた性能でもって、決められた役目を果たすだけの人形。文字通り処刑人。そこに言葉は必要ない。断頭台のギロチンのように罪人を裁くだけ。誰も石に話しかける者はいない。ならば、こちらも言葉など不要。ただ行動を以って目の前の標的を排除するのみ――――

 

 

瞬間、コートの内から黒いナニカが生まれ出す。影、液体。形容しがたい黒い海から無数の彼らが形を為す。それは獣だった。獅子、虎、豹、狼。その全てが四足獣であり肉食獣。大きさもネロを超える巨躯。人など丸のみにして余りある原初の暴力。食物連鎖の頂点に立つ捕食者達。無尽蔵に湧くその全てが彼女を取り囲んでいく。その数は優に五十を超える。誰もいなかったはずの公園は、獣たちの巣窟と化す。その檻の中央にはアルクェイド・ブリュンスタッドただ一人。逃げ場などどこにもない。圧倒的な数の暴力に飲みこまれんとしながらも、それでも彼女は変わらない。

 

 

「――――」

 

 

それははたしてどちらの息遣いだったのか。ただネロはその貌に苛立ちを見せていた。言葉を発さないのはいい。表情を変えないのも許そう。だが、身動き一つ見せないのは見逃せない。これだけの数の自分達を前にして、全く身構えることも、迎撃する気配もないのは許せることではない。今の吸血姫の姿はすなわち、自分達への侮蔑に他ならない――――

 

 

「たわけ――――その身を痴れ、アルクェイド・ブリュンスタッド」

 

 

その驕りを、慢心を正すためにネロは号令を下す。それが合図となったのか、獣達は一斉に彼女へと飛びかかって行く。もはやこれは戦いではない。ただの蹂躙。だがすぐにネロは思い知る。

 

 

――――思い上がっていたのは、自分達であったのだと。

 

 

それは一瞬だった。暴風。そうとしか思えない大気の揺れが巻き起こる。だが何も見えない。あるのは何故か降り注いでいる雨だけ。この公園だけが、嵐に見舞われたかのように暴風雨が荒れ狂う。ただ違うのは、雨の色が透明ではなく深紅であったこと。血の雨に打たれながらも、ただネロはその光景に心奪われていた。

 

 

――――血の雨の中、返り飛沫を一つ浴びず、その場に立っている白い吸血姫の姿。

 

 

その周りには無残に砕かれ、肉片へと変わり果てた獣たちが散らばっている。原形を残しているものは一つもない。あるのはまるでミサイルでも落ちたのではないかと思えるような、放射状の破壊の爪痕だけ。その中心に処刑人は君臨している。最初から一歩も動くことなく。

 

 

(これは――――空想具現化? いや、違う。これはまさか――――)

 

 

一瞬の放心の後、ネロは状況を把握する。自らが放った全ての獣たちが破れ去った。だがそれはいい。相手は真祖にして最強の処刑人。それをただの獣だけで打ち取れると思うほどネロは思い上がってはいない。しかし、その方法こそが彼を驚愕させていた。

 

空想具現化。アルクェイド・ブリュンスタッドが使えると言われる能力の一つ。それを以ってすれば確かに一瞬で五十もの自分達を葬ることはできる。だが違う。彼女はそれを使っていない。その力の流れも何も感じられなかった。その答えが目に映る。それは彼女の手だった。無造作にぶら下げられている彼女の手が、変わっている。美しい指が、そのまま命を狩りとる爪へと変じている。それはすなわち

 

 

先の現象は、ただの爪の一振りであったということ。

 

 

超越した身体能力による物理攻撃。単純であるがゆえにこれ以上にない暴力。それこそが彼女の根幹。復元呪詛を持つ吸血鬼であったとしても再生しきれない、それ以上の力によって葬り去るという力技。ネロが驚愕しているのはただ一点。先の一撃が彼女にとって、虫を払う程度の些事でしかなかったのだという事実。

 

 

「ぬ――――!?」

 

 

それは致命的な隙だった。時間にすれば秒にも満たない思考の隙間。だが処刑人である彼女の前で晒すには、あまりにも長い刹那。

 

彼女の姿が消える。血の雨が降り止むと同時に、白い吸血姫がネロの視界から消え去ってしまっている。一体どこに。思考するよりも早く、ネロ自身がそれを感知していた。

 

自らの背後。死角から金の瞳をした処刑人が迫っている。ネロをして視認できない程の速度。先の人形のように立ち止っていた彼女からは想像もできないような静と動の落差。完全な不意打ち。無駄のない、最低限の動作のみの一撃。だがそれに彼らは反応する。

 

群体。それこそがネロの正体。例えネロが気づかなくとも、その領域に入ったものにはそのいずれかが迎撃する。すなわちネロに不意打ちは通用しない。その証拠に瞬く間にいくつもの彼らが姿を現す。違うのは先の獣ではない、ということ。

 

幻想種。既に現代には残っていない、系統樹の生命。高次元の存在。ネロの中の混沌にはそれらすら含まれる。角を生やした馬。翼を生やした蛇。蟹のような巨大な蜘蛛。その全てが一つの命としてネロが形にできる最高戦力。獣では持ち得ない、神秘を以ってネロ達は彼女を迎え撃つ。だが、すぐに悟る。

 

 

――――神秘は、さらなる神秘によって屠られることを。

 

 

それはただの爪だった。違う所があるとすれば、それが両手によるものだということ。そしてもう一つが、虫ではなく、敵を葬るための力がそこには込められていたこと。その違いを見誤っていたこと。加えて、彼女の瞳には既に混沌の正体が映っていた。故にこれは不意打ちではない。ただ単純に、力づくで混沌を切り裂くこと。それが彼女が出した答えだった。

 

瞬間、混沌は切り裂かれる。無造作に、呆気なく。幻想種ですら例外ではない。断末魔を上げる暇もなく、ネロは両の爪で粉砕され十と八つの肉片へと成り果てる。先のように血飛沫があがることもない。そんな物があがることすらできない程の速度と力。一度彼女に狙われれば、命はない。

 

 

それが最強の真祖、アルクェイド・ブリュンスタッドの力だった――――

 

 

 

 

静寂が全てを支配する。先程までの出来事が嘘だったかのように、月明かりだけが辺りを照らし出す。立っているのも、形を為しているのも彼女だけ。ここに勝敗は決した。誰の眼にもそれは明らか。にも関わらず

 

 

「――――」

 

 

アルクェイド・ブリュンスタッドはそのまま立ち尽くし、金の眼でネロであった残骸を見つめ続けている。まるでそこに何かがあるのを知っているかのように。同時に

 

 

「よもや――――な。ここまでの醜態を晒すことになるとは。どうやら思い上がっていたのは私の方だったようだ」

 

 

初めからそうだったかのような自然さで、残骸の一つが形を為し、姿を現す。間違いなく、ネロ・カオスそのもの。その姿は全く変わらない。先程間違いなく十八に分割されたにもかかわらず。その証拠にまだ残る十七の残骸は地に伏したまま。

 

だがそれを目にしながらも彼女は眉ひとつ動かさない。殺したはずの相手が生きているのに、まるでそれが分かっていたかのように。

 

 

「やはり最初から分かっていたようだな。私は一にして六六六。その全てのケモノ達の因子を内包している。貴様がいくら私を切り裂いたところで私を滅することはできん」

 

 

既に見抜かれていることを承知したうえでネロは自らの正体を明かす。ネロ・カオスという吸血鬼の成り立ちを。もはや吸血鬼としての意味を持たぬが故の異端。六百六十六もの命を内包し、自我を失いながらもその先に何が生まれるのか。混沌の先に何があるのかを求め続けた魔術師のなれの果て。それがネロ・カオスの正体。

 

アルクェイド・ブリュンスタッドはネロと相対した時点でそのことに気づいていた。ネロが無数の命の集合体であるということ。しかし、どうしても確かめなければならないことがあった。それはネロを滅するための方法。

 

六百六十六回殺せばいいのか、それとも六百六十六の命を同時に殺さなければならないのか。

 

一見すれば同じに見える二つの方法。だが両者は天と地ほども違う。仮に、前者が正解なのだとすれば彼女にとって何の問題にもならない。いくら多くの命があろうと無限ではない。加えてネロの獣では自分を殺し得ない。なら六百六十六回殺し続ければいい。それだけの性能差がある。

 

だが後者であれば話が別だ。もしそうなら、彼女であってもネロを殺し切ることはできない。何故なら――――

 

 

「――――どうやら気づいたようだな。だがもう遅い。今度は私が貴様を狩る番だ」

 

 

『混沌』を殺すということは、一つの大陸を、世界を殺すということに他ならないのだから。

 

 

それは黒い泥だった。数多に散らばっていたネロであった物の残骸。その全てが溶けるように形のない泥へと姿を変える。だが彼女は金の瞳によってすぐに見抜く。それがただの泥ではないことに。そもすれば、先の幻想種など比べ物にならないもの。原初の存在。命そのものなのだと。

 

 

「――――!」

 

 

瞬間、初めてアルクェイド・ブリュンスタッドは目を細め、表情を変える。同時にその場を離脱せんとするも叶わない。もはや全方位から泥が襲いかかっている。跳躍することも、駆け抜けることも不可能。だがこれは偶然ではない。全て最初からネロの掌の上。最初の五十の獣も、自らが十八に分割されたことも。気づかれることなくアルクェイド・ブリュンスタッドを包囲するための罠。それは一つの間違い。アルクェイド・ブリュンスタッドが死徒を狩る処刑人であるように、ネロもまたアルクェイド・ブリュンスタッドを処刑するためにこの場にやって来たのだということ。

 

それでも彼女は変わらない。ただ目の前の死徒を滅するべく、爪を振るう。間違いなく全力の一撃。並みの死徒であれば触れただけで消滅してしまうほどの死の暴力。だがそれを受けながらも、ネロの黒い泥を払うことはできない。水を切るように、そこには手ごたえが全くない。

 

 

「無駄だ。これは六百六十六の私達で練り上げた『創生の土』いかに貴様といえどもこの泥を殺すことはできん」

 

 

もはや人の形を為していないネロの声だけが辺りに響き渡る。既にアルクェイド・ブリュンスタッドの周りは黒い泥の海に飲まれている。散らばっていた全ての残骸が命の泥となり彼女を縛っている。いかな超越的な身体能力を持つ彼女であってもそこから抜け出すことは不可能。物理的な要素も、魔術的な要因もここでは意味を為さない。ここは原初の秩序。命の源。

 

それがネロ・カオスが『混沌』と称される所以。かの騎士王の聖剣ですら耐え得る、吸血種の中でも不死とされた存在。

 

その流れに吸血姫は飲み込まれていく。白が黒に穢されていく。もう姿すら確認できない程に泥が彼女を蝕んでいく。後は消化され、混沌の一部になるだけ。この状況を作り出した時点でネロの勝利は約束されていた。そう、相手がアルクェイド・ブリュンスタッドでなかったのなら――――

 

 

それは光だった。形容しがたい、幻想的なナニカ。黒だけが許されるはずの混沌の中に、確かな白が現れる。針ほどのそれが次第に力を、大きさを増しながら侵食してくる。

 

 

「これは――――!?」

 

 

自らの内に生じる異物感に、知らず嘔吐するような感覚をネロは覚える。同時に目にする。自らに取り込まれ、後は消化されるだけの彼女が未だ健在である姿を。

 

その瞳は金に輝きを放ち、それに呼応するようにその周囲には新たな世界が幻想されていく。ネロは瞬時に悟る。それが何なのか、それが何を意味するのかを。

 

『空想具現化』

 

アルクェイド・ブリュンスタッドが有する超越能力の一つ。身体能力ではない、もう一つの切り札。真祖が自然と自己の意志を直結し、世界を自分の思い通りに改変する力。真祖である彼女だからこそ許される禁忌。

 

それによって、彼女はネロの創生の土に対抗せんとしている。それは彼女の中の無のイメージ。六百六十六の命の混濁の中において、自らが周囲だけに隙間を作り出している。その力が次第に広がり、浸食していく。力という指向性を以ってネロの世界を蝕んでいく。

 

 

「ぐ、ぬううう――――!」

 

 

ネロは自らを内から破らんとしかねない異物を圧殺せんとするも叶わない。確かにアルクェイド・ブリュンスタッドはネロ・カオスを殺し切ることはできない。だがそれはアルクェイド・ブリュンスタッドがネロ・カオスに勝てないことと同義ではない。例え創世の土を殺すことができずとも、抗することはできるのだと。

 

固有結界。自らの心象風景を以って世界を書き換える禁呪。いわばここはネロの世界。だがそこに一つの異物が混ざり、拮抗せんとする。

 

空想具現化。自らのイメージを形とし、世界を改変する力。

 

いわばこれは二つの世界のぶつかり合い。世界とセカイ。心象と空想。人間と自然。互いが互い以外の物はいらぬとせめぎ合う。空間に亀裂が生じる程の矛盾の衝突。

 

だがついにその均衡が崩れ出す。天秤が僅かに傾きを見せ始める。その針の先はアルクェイド・ブリュンスタッド。その空想が次第に混沌から抜け出さんとしていく。

 

ネロはそれを感じ取りながらもどうすることもできない。確かに、自分が殺されることはない。その証拠にアルクェイド・ブリュンスタッドの空想具現化を以てしても混沌は消滅させることはできていない。瞬時に数百の命が消滅させられ続けるも、同時に再生されていく。同時に六百六十六の命を殺すことは彼女でも不可能。だがそれでも、彼女を殺すことはネロにもできない。彼女が自らの内から脱するのを食い止める術はない。

 

故に勝敗はなし。再びネロとアルクェイド・ブリュンスタッドは仕切り直しにも似た状況へと至る。それが両者の一致した未来だった。だがそれは

 

 

『――――この時を待っていたぞ、姫君』

 

 

そんな聞き覚えのある、蛇のせせら笑いによって覆された。

 

 

「――――!?」

 

 

それはアルクェイド・ブリュンスタッドとネロ・カオス、二人だけの驚愕だった。それは一筋の糸。二つの世界以外には入り込めない空間に一匹の蛇にも似たナニカが這い忍び寄ってくる。魔術か、異能か。だが両者は悟っていた。それが間違いなく『蛇』ロアによるものであることを。

 

同時にその蛇が世界を這う。ただ一直線に。混沌と空想。触れれば一瞬で消え去る力のぶつかり合いの中にあって正確に、狡猾に、まるで全てを知っているかのようにその毒牙を向ける。その先はもはや語るまでもない。

 

『永遠』 ロアにとっての命題であり、目的である真祖アルクェイド・ブリュンスタッドだった――――

 

 

「―――っ!」

 

 

瞬間、蛇が彼女の左腕に絡みつき、噛みつく。アルクェイド・ブリュンスタッドは初めて感情を感じさせるような表情を見せるも抗う術がない。何故なら今、彼女はその力を以って混沌と抗している。もしそれを緩めればその瞬間、混沌に飲まれてしまう。身動きも取れる状況ではない。全ては蛇の掌の上。

 

 

「ロア……貴様、私の邪魔をする気か」

 

 

それはネロとて同じ。今、混沌を解除すればその瞬間、アルクェイド・ブリュンスタッドには逃げられてしまう。それどころか下手をすれば大半の命を殺されかねない。アルクェイド・ブリュンスタッドを相手にしてそれは致命的な隙になりかねない。さらに加えるならロアは未だにその姿を見せていない。内に入りこんでいるのはその一部。本体は隠れ身を隠しているのだろう。どちらにせよロアに力を向ける余裕はネロにも、アルクェイド・ブリュンスタッドにもない。

 

 

『クク……それは私の台詞だ、混沌。私はただ、永遠を手に入れにきただけさ。言っただろう? その瞬間を目の前で見せてやるとな』

 

 

狡猾な笑いと共に、ロアは動き出す。それに呼応するように、アルクェイド・ブリュンスタッドの表情が驚愕に染まる。同時に、その力が弱まって行く。否、吸い取られていくかのように、空想具現化によって作り出された空間が狭まって行く。

 

その全てが、ロアへと流れ込んでいく。絡みついた蛇にも似たラインから、親である真祖、アルクェイド・ブリュンスタッドの力が蛇へと奪われていく。

 

 

「…………っ!」

『無駄だ、姫君。万全の君ならいざ知らず、混沌を相手にしながら私を相手にすることなどできはしない。もっともこれは私にとっても嬉しい誤算だ。まさか気紛れに手を貸した混沌で、永く求めた永遠を手に入れる機会を生み出させるとは』

 

 

アルクェイド・ブリュンスタッドは腕に力を込めながら蛇を振り払わんとするも叶わない。蛇の言う通り、普段であればこんなことはあり得ない。だが今は違う。混沌と対峙している状況では打つ手がない。もし力を抜けばその瞬間、混沌に飲みこまれる。だがこのままでも結果は同じ。秒単位で、自らの力が失われていくのが分かる。そのままでは力を失い、飲み込まれるのは分からない。蛇か混沌か。その違いだけ。

 

 

「……まさかこのまま好き勝手ができると思ってはいまい、蛇よ。私の邪魔をするなら貴様といえども例外ではない」

『そう急くなよ、混沌。私は感謝しているんだ。お前のおかげで私は永遠となれる。姫君を手に入れてから永遠と混沌、どちらが優れているか証明してやろう』

 

 

自らの目的を邪魔され、あまつさえその得物を横取りされんとしている事態を前にしてネロは殺気を以って応えるも蛇は変わらない。それどころか高揚すらしている。

 

互いに動くことができない緊張状態。三竦みにも似た袋小路。

 

『真祖』『混沌』『蛇』

 

三種三様の吸血鬼が絡み合う螺旋。だがそれは今だけ。

 

その中において『真祖』にだけは未来はない。どうなろうと、結末は決まっている。彼女の結末は覆らない。後には『永遠』になった蛇だけが残る。『混沌』でさえ『永遠』には敵わない。世界も変わらない。そこで世界は閉じる。それがこの世界の運命。だが

 

 

――――それを覆すための人形が一体、この螺旋には存在する。

 

 

「―――――」

 

 

それは人影だった。月明かりに照らされた中を、一歩一歩近づいてくる人間。恐らくは気配を消しているのだろう。その歩みにも、全く無駄がない、人間味が、全くない。同じリズムを刻む時計のように狂いがない。取るに足らないはずの、人間。

 

 

だがその場にいる三人の吸血鬼は皆、その姿に目を奪われていた。今まさに死闘を繰り広げているにもかかわらず、ただその人間にだけ目を向けていた。それは直感。この場にいる他の誰よりも、アレこそが自分達にとって脅威なのだと悟ったが故。

 

 

人影、少年はそのまま歩きながら無造作に両手で目元にあるものを解いて行く。白い包帯。右手にはナイフ。少年はそのまま己が両目を解き放つ。

 

 

蒼い双眼。その眼が吸血鬼たちの死を捉える。誰よりも死を理解し、体験したからこそ持ち得る異能。

 

 

吸血鬼達は悟る。あのヒトの形をした人形が決して自分達の味方ではないことを。

 

 

今、最後の螺旋の相克に『遠野志貴』が姿を現した――――

 

 

 


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