はがない性転換-僕は友達が少ないアナザーワールド-   作:トッシー00

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特別編です。


理科ストーリー~ORIGIN~

 今から約十年前の話。

 ここはとある施設。ここには数多くの子供が住んでいる。

 ここにいるのは、色んな場所で親をなくした身寄りのない子供達。

 親に捨てられた者。親が不慮の事故で死んでしまい、引き取られないまま天涯孤独の身になってしまった者。

 そういった子供たちが、この施設にて引き取られ、そして個々に育てられていた。

 

 関係者はこの場を――能力開発研究施設所。通称:能力研と呼ぶ。

 ここに引き取られた子供は、個々にそれぞれが持つ特異な能力を伸ばすことを第一目標としている。

 今は子供でも、やがて大人になるにつれ施設を離れなければならない。

 この施設で子供の引き取り手が見つかることは稀な話で、大体が引き取られないまま大人になっていくのだ。

 そんな能力研に引き取られた子供たちの中で、ひと際その能力を伸ばし注目を浴びる少女がいた。

 

「ほう、僅か6歳にしてプログラム言語をマスターするとは……」

「他の子達もそれぞれ頑張っているようですが、あの子だけは特別っすよね」

「あれはまさしく天才という奴だ。あんな子を捨てた親の顔を見てみたいものですよ」

「凡人との間にポッと生まれた一輪の天才を、扱いきれなかっただけでしょ」

 

 その少女の周りでは、ひそひそとそんな会話が繰り広げられていた。

 そう話をしているのは、施設の職員と他の施設の研究員だ。

 この施設は他の企業からの援助の元で運営されており、その援助を行っている会社の一つが、イギリスにある"レッドフィールド社"である。

 先ほどの会話をする大人たちの中に、そのレッドフィールド社の人間もいる。

 

「にしてもあの子、将来は社会を背負う側の人間になることだろう」

「まだまだ伸び代はありますからねぇ。あれは……かの"志熊博士"に匹敵する科学者になりますよ~」

「おいおい言いすぎだろう。志熊博士といえば現代のアインシュタイン。中にはエジソンの生まれ変わりと噂する人もいるくらいだ。あんな天才は百年に一度現れるかどうか……」

「天才の中の天才。噂をすれば本日この施設で講演をなさるそうですよ」

 

 大人たちはその少女を見ながら、一人の天才の名前を出した。

 その人物は業界の中で知る者はいないというほどの人物だった。

 志熊博士と呼ばれる科学者の女性。彼女が社会に与えた影響は計り知れないほど数多くある。

 世界中の企業が彼女の頭を欲したことだろう。そんな天才である彼女が、忙しい合間を縫って本日この施設を訪れるらしい。

 

「……志熊……博士?」

 

 さきほどまでのどうでもいい会話をこっそりと聞いていた少女。

 さほど興味は無かったが、その名前には根強く反応を見せた。

 偉い大人どもが揃って天才と祭り上げるその人物が、どれだけのものか少女は非常に興味を抱いたのだ。

 そんな会話から数時間後、なにやら施設内の大人達の大半が、少女のいる大広間から外へと建物の入り口側へと向かっていった。

 なにやら空気がそわそわしている。そう、噂の志熊博士がやってきたのだ。

 大半の子供たちはそんなことにはまったく無頓着。だが、その中で少女だけは妙にうかうかしていた。

 

「どうしたの?」

「……なんか、有名人が来るんだってさ」

 

 少女はその隣にいた、この施設にいる赤毛の少女に声をかけられる。

 少女にとってこの能力研の子供たちの大抵が下等種であり、触れ合う価値の無いものだった。

 その中で唯一まともに接することができるのが、この赤毛の少女であった。

 彼女は少女と同い年であり、同じくこの施設に引き取られた子供であった。

 

「有名人?」

「すっげぇ頭がいいらしい。天才なんだって。最も……僕の方が天才だけどね」

「そっか……」

 

 それだけ聞いて、赤毛の少女は満足そうな顔をした。

 仲がいいのは事実だ。だけど時より、次元の違う少女の領域についてこれない時があった。

 まさしく今がその時だった。世界的な天才相手に子供ながら引くことの無いその自信。

 それはまだ六歳という少女が抱いていい自信ではなかった。だからこそ赤毛の少女は、そんな彼女を恐怖しながら、同時に尊敬していた。

 だがそういった感情を、子供たちはなんなのかわからずに抱いているのもまた事実。

 

 一方で、入口にて。

 そこには施設の職員数名と来客者数名が、この度に顔を見せる志熊博士を待っていた。

 一台のリムジンが止まると、そこから出てきたのは二人。

 一人は眼鏡をかけて白衣を纏っている少しやせ気味の男性。年は三十代の半ばだというのに、老いを感じさせない程整った顔立ち。

 俗に言うイケてる中年男性といったところか、その気になれば若い女性すら本気で口説き落とされてしまいそうである。

 そして後に降りてきた女性が、皆が噂する天才だった。

 こちらも三十代だというのに若々しく、外見だけ見ればまだ高校生でも十分通用しそうな幼げな顔立ち。

 同じく眼鏡をかけて白衣を身にまとっている。

 

「お待ちしておりました。志熊博士」

 

 そうお出迎えされる志熊博士と隣の男性。

 車から降りると、志熊博士はさっそく異変を訴え始めた。

 

「うぅ~。すいませんちょっと車酔いしちゃいましてぇ~。おトイレ借りていいですかぁ~?」

 

 そう気持ち悪そうにしながらもゆったりな口調で話す志熊博士。

 そんな彼女を見て、隣の男性が呆れ顔を見せる。

 

「志熊くん。毎度思うんだけど、どうして君はリムジンで酔うの?」

「昔っから乗り物が苦手でしてぇ~。個人的に酔い止めを開発しようかと思ったくらいなんですけどねぇ~」

「自分用にわざわざかい? それなら酔いを最小限に留める車の構造とかを考えた方が利益にならないかなぁ~」

「甘いですよ"三日月博士"。小さいものでも数多くヒットすればマネーがユニバースどころかギャラクシーを突破するくらいなんですよぉ~うぇ……」

「あぁわかったわかった。すいませんねちょっとトイレお借りします」

 

 そんなぐだぐだな流れのまま、志熊博士と三日月博士は職員に連れられおトイレへ。

 現れていきなり車酔いを訴えるこの女性が、世界を代表する天才科学者なのだから世の中は広いものである。

 

「は、はい。こちらです」

「すいませんねぇ~」

 

 職員に案内されトイレへと向かう二人。

 その最中、子供たちが集まっている大広間を通り過ぎる。

 

「あの白衣着た人……天才の人?」

「……」

 

 赤毛の少女とその少女が、このような形であるが志熊博士と邂逅した瞬間だった。

 その際、珍しげにものを見る赤毛の少女に対し、少女は敵視するようにそれを見ていた。

 自分は天才。そしてあそこにいるのもまた天才。

 お互いの違いは、その能力が人の信頼に結びついているかいないかである。

 自分の能力は他の人に疎まれ、評価されずに距離を置かれている。

 だがあそこにいる志熊博士は、圧倒的な信頼を得ている。

 そこの違いはどこにあるのか。考えられるのは、自分は子供で、相手は大人だということ。

 こんなみすぼらしい自分に比べ、志熊博士は整っている。それで能力があるのだから、人が纏わりつくのだ。

 

「……気にいらない」

 

 そう頬を膨らませながら、少女はまたも読書に戻った。

 数時間後、特別授業ということで志熊博士が子供たちのいる大広間へとやってきた。

 本日の抗議は、彼女の経験談や社会で個々の能力を生かしている人たちの逸話など、他愛もない話だ。

 大人達からすればためになったりどうでもよかったりする話だが。未来を担う子供達からすれば、将来設計に役立つ話になることだろう。

 

「え~と。初めましてぇ~」

 

 そう志熊博士はゆったりとした口調で子供達に挨拶をした。

 

「私は現在イギリスの研究所で日夜色んな研究をしています~。あ、生まれは日本です~。でも気がついたら色んな国を周ってました~」

 

 そんな自分の人生論を、子供たちにわかりやすいように説明する志熊博士。

 このような話は正直、少女にとってはどうでもよかったのだ。

 

「えっと~。自分ばっかり話していてもあれですかねぇ~。なのであなた達に自己紹介をしてもらいましょうか~」

 

 と、自分のことを一通り語り終えた後、志熊博士は子供達と触れ合うため今度は焦点を子供たちに向けることに。

 まずは誰に話してもらおうか。志熊博士は子供達を見渡す。

 そして最初に目が付いたのは、ひと際目立つ赤い髪をした女の子だった。

 

「そこの赤い髪の女の子。名前はなんと言うの~?」

 

 最初に志熊博士が指名したのは、少女の隣にいた赤い髪の少女だった。

 少女は指名されて、少々恥ずかしそうに名前を名乗る。

 

「……葵」

「あおい……ちゃんですか~。良い名前ですねぇ~」

「でも、私の髪の毛は赤……。赤は嫌い。お母さんだった人がこの色をきもちわるいって言ったの。どっちかというと、透き通る青がよかった」

 

 良い名前と言われ、咄嗟にそう自虐をしてしまった葵。

 意味合いとしては違うが、色の青いとかけてしまったのだろうか。

 そんな葵に対して、志熊博士は励ますように言う。

 

「葵というのはお花の科目名で、その葉を日に向けさせ、周りを照らし輝かせるといった意味があるそうです。その赤い髪の毛がいやなものでもなく、みんなを照らせる光になれるといいですね~」

「……私に、できるかな?」

「これからですよ~。いつかあなたを必要としてくれる日向のような人が現れるはずです~。もしその人が助けを求めてきたら、是非ともその人の光になってあげてくださいね~」

「……ありがとうはかせ」

 

 どうやら葵は、自信の名前に対し少しであるが自信を持つことができたようだ。

 今日から彼女は、また一つの光を求めて歩むことができる。

 火を向けさせる――日向に深い意味を持った名前にかけて。

 そんな調子で、志熊博士は次々と子供たちの心を開いて行く。

 そして最後の方で、志熊博士の目が少女の方へ向いた。

 

「えっと、あなたは……」

 

 そう、目を向けた時、少女がこれまでの子供達とは違う目をしていたこと知った。

 この少女だけが異質だった。この少女だけが違う世界にいた。

 人とは違う世界に入ってしまうことは、どんな人だって怖く感じる物だ。

 最初は愉悦に浸っていても、やがては皆と同じ所に戻りたいと思うこともある。

 もしかしたら、この人と今日出会ったことで、異質から戻れるかもしれない。

 少女はどこかそれがいやと感じていながら、どこか……ワクワクしていた。

 

「……博士は、天才なんですよね?」

「え? 私?」

 

 そう、志熊博士が口を開く前に、少女がそう口にした。

 その質問にはどのような意図があるのか、子供から飛び出す質問は時より奥が深い。

 そんな彼女の質問に対し、志熊博士は多少悩んだそぶりを見せ……。

 

「……天才か。じゃああなたに聞きます。私が天才に見えますか~?」

「え?」

 

 そう、質問で返した。

 その彼女の反応に、少女はすぐには返せなかった。

 

「みんなが天才って言っているから、それに乗じて天才と評価してしまうのか~。それともあなたはあなたの観点で、私という人間を評価してしまうのか~」

 

 そう、志熊博士は子供相手にも容赦なく質問を投げかけてくる。

 その質問の意図はなにか。その論理にどんな意味があるのか。

 少女は論理が嫌いだった。暗黙の了解という物に虫唾すら走っていた。

 論理ばかり並べて相手を封殺する奴が嫌いだった。全てが合理的にいけば解決するのに、そこに感情を入れてしまうことが気に食わなかった。

 今、志熊博士のその言葉にどんな論理や、どんな感情が入り混じっているのだろうか。

 そして、そんな質問に対して、素直に答えるべきか。

 

「……なんか、アホっぽい」

 

 容赦なく、少女は答えた。

 一瞬、職員の大人が焦ったようにも見えた。

 それは志熊博士という天才に媚びているからだ。機嫌を損なわせてはいけないと思っているからだ。

 そんな繋がりは更にくだらない。強いものに媚びて、それが繋がりなんて言えてしまう世の中が、幼い少女にはクソにしか評価できなかった。

 わずかに沈黙が流れると、志熊博士は身体を震わせ……そして。

 

「……あは、あははははははははは!!」

 

 大きく、笑って見せたのだ。

 いったいどうしたのか、少女が唖然となる。

 

「うふふ。素直なのはいいことです~。あなたとてもかわいいじゃないですか~」

「か、かわいい?」

 

 そう志熊博士に言われ、少女が戸惑う。

 自分なんて全く可愛くない。眼鏡で仏頂面で、とても可愛いなんて思われるに値しないクソみたいな容姿だ。

 そう思っていたからこそ、ますます志熊博士の事が気に食わなかった。

 

「え~と、あの子はどういった子なんですか~? 私非常に気になります~。あぁ別に変な感情は入っていないので、ちょっとだけ教えてもらえます~?」

 

 そう、志熊博士は職員に尋ねる。

 すると職員は、子供たちに聞こえないよう志熊博士に耳打ちする。

 

「実はあの子。この能力研でも極めて能力の高い子で、六歳にして一流のプログラム技術や科学の知識を有してまして。まぁちょっとああいう風に捻くれた所が難点なんですが……」

「そうなんですかぁ~。将来が楽しみですねぇ~」

 

 どこか、少女に対して目を輝かせる志熊博士。

 

「あなた、とっても頭がいいんですね~」

 

 志熊博士は、子供を褒めるように言う。

 最もこの場合、少女にとっては気に障るような、馬鹿にされたようにも感じれたという。

 

「む……」

「そうですねぇ。もしあなたがこの近い将来一流の科学者となるのでしたら、是非とも一緒に働いてみたいですね、楽しみです~」

 

 やっぱりどこかマイペースに、気を張れないムードで語る志熊博士。

 この人は裏が読めない。大人特融の矜持が漏れていないし、自分の立場にも無頓着な気もする。

 だから少女は面白くなかったのだ。こいつだけは下に見れないから、こいつにだけは見栄を張れないからだ。

 

「そんなあなたの名前、是非とも知りたいです~。よろしければ、教えてもらえます~?」

 

 改めて、志熊博士は彼女に名を尋ねる。

 この時の彼女のそれは、大人が子供相手に自分の紹介を求めるものではなかった。

 その視線は、大人と子供という境界線ではなく――同じ領域にいる者同士のやり取り。

 そう、志熊博士は少女を対等に目線を合わせたのだ。子供扱いされるのが嫌な少女にとっては、その方が都合がよかった。

 だからこそ少女は名乗った。己の名を……自分に刻まれたその名前を。

 

「――"理科"」

 

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 三年後。

 子供たちは学校に通う真っ最中。

 学校は施設と連携しており、この施設の子供は大体がその学校に通う。

 その中で、理科だけは学校に通わず、一人施設内の自室で個人学習をしていた。

 

「あの子、このまま学校行かないんじゃないの?」

「そりゃ気持ちもわかるさ。小学生の簡単な授業なんか、あの子にとってはくだらないことなんだろう」

「前にのぞかせてもらったが、ありゃ一流の大学が採用しているテキストだった。中学高校のレベルじゃねぇぞ」

 

 そう、職員内でひそひそと噂されていた。

 理科にとって小学校はまるで話にならないレベルだった。だからこそ通う価値が無かった。

 それなら自室で自分の好きな勉強をしていた方が、将来の役に立つ。

 そんな考えで学校に通わなくなった彼女には、当然のごとく友達がいなかったのだ。

 

「あの子と唯一仲の良かった葵ちゃん、数ヶ月前に引き取り手が見つかったわよね」

「それによって孤立しちゃったわけだ。職員としてはなんとか促したけど、どうにもあの子……俺たちまで見下してるよ」

「僕たちとしては能力のある子供たちが育つならそれはそれでいいんだけど、お上が許しちゃくれないわけなんだよね~」

 

 そんな大人の汚さが目立つ会話。

 理科には当然聞こえてはいないだろう、だが……感じ取ることはできる。

 この先、大人たちは自分の事を道具としか認識しなくなるだろう。出来のいいガキでしかないと、能力だけを認識するだろう。

 そうなったら、自分という個の存在はどうなるのだろう。自分はただ、能力を発揮するだけの傀儡と化してしまうのだろうか。

 理科はそういった将来に不安を抱きながらも、子供特有の強がりで誤魔化していた。

 そんな日常が続くある日の事。

 数年ぶりに、志熊博士が施設を訪れた。

 

「お待ちしておりました志熊博士。なんでも先日の学会では大成功を収めたそうで……」

「そんな大それたことはありませんよ~。それよりもそれよりも~」

 

 志熊博士は職員との会話より、楽しみにしていたことがあった。

 他の子供たちにほほ笑みながら、彼女が一番に向かっていった場所が……。

 

「理科ちゃ~ん、元気でした~?」

「……」

 

 そうマイペースに挨拶を交わす志熊博士。

 理科からすれば、うざいことこの上なかった。

 

「あら、今度は量子学の勉強してるんですか~? 付き詰め過ぎはよくないですよ~?」

「博士には関係ないでしょ……」

「そう突っぱねないで~。ってなんかより大人びてますね~。私としてはかわいい理科ちゃんの方がいいのに~」

「……僕なんてかわいくない。お仕事でしょ? 僕なんて構ってないで自分のこと全うしたら?」

 

 そう、激しく拒絶する理科。

 そんな理科に対し志熊博士は、特に気を悪くすることもなく。

 

「そういえば理科ちゃん、聞いたところによると学校に行ってないらしいですねぇ~」

「そうなんです。学校のレベルがあの子のレベルに達していないんですよ」

「なるほど~。ならもうちょっといい学校に入れてあげた方がいいかもしれませんね~。いくら頭が良くても学校には通わないと~」

「そうできれば越したことはないのですが。私たち施設の力ではどうにもできません。仮に大学に飛び級させるとしても、やはり引き取り手が……保証人になれる方がいないと」

「引き取り手……ですか……」

 

 その話を聞いて、志熊博士は真剣に悩んで見せた。

 いったいどうしたというのか、やけに悩んでいる。

 

「あんな頭いいのに~」

「仕方ありませんよ。親になるっていうのは大変なことです。ましてやあんな天才少女、親を全うできる人間なんているかどうか。最悪変な金持ちに買われるなんてことは、我々としても避けたいですからね」

「……なるほど」

 

 そう、納得したように志熊博士。

 そして施設を一周した後、職員室に戻ってきて。

 

「あの、三日後またこちらにお邪魔します~。よろしいですか~?」

「構いませんよ。こちらとしても歓迎です。何か気になったことでも?」

「いやちょっと、覚悟決められるかどうか……」

 

 何かしら謎めいたことを言った後、志熊博士は施設から去って行った。

 そして三日後、その覚悟というのを決めた上で、志熊博士は予想だにしないことを口にした。

 

「あの、是非とも理科ちゃんを……私の"養子"にしたいのですけど~」

「え!?」

 

 唐突すぎるその発言。

 いったい何があったというのか。

 

「色々考えたんですよ。私は研究ばかりで、親というのがどんなに辛いか、全然理解なんてできていません~。けど、親としての先輩に相談したところ、やりたいことはやってみるのが一番だって~」

「そ、それはこちらとしては嬉しい話ですが……」

「それで私としては、あの子をいい大学に入れてあげたいなと思って~。さっそく手続きとか……とその前に、あの子の了承を得ないといけませんね~」

 

 やっぱりマイペースに、志熊博士は理科の元へと足を運んだ。

 そしてやや一方的に、志熊博士は理科のお母さんになりたい旨を伝えた。

 

「ということで、あなたさえよければ私があなたのお母さんになりたいなって~」

「…………」

 

 短い期間でやってきて何を言われるかと思いきや、なんとも大きな話が舞い込んできた。

 確かにこの施設が誇る天才である彼女からすれば、志熊博士は充分親になるに値する人物。

 なぜなら志熊博士は理科以上の天才。理科など目にならない程の天才である。

 そんな天才を親に持てて、なおかつより高いレベルの学校に通えることになるのだ。

 理科としては、なんともうますぎる話であった。

 

「理科ちゃん。決めるのは君自身だが、私たち職員としてはいい話だと思うよ」

「志熊博士の元ならもっとレベルの高い勉強ができるし、どうかな?」

 

 そんな施設職員からの後押しもあってか。

 理科は半分やるせない気持ちのまま、子供らしく首を縦にうなずいた。

 

「……僕に、お母さんができるの?」

「そうですよ~。仕事の方はなんとか有休たくさんもらえるように交渉してみますから~。なるべくあなたと接するように努力します~」

「……」

「それに。将来……あなたが私と同じ立場で同じ研究ができる日が……本当に実現するんじゃないかって思うんですよ」

「僕が、志熊博士と……?」

「だけどその前に……覚えることがたくさんありますからね~。頭がいいだけでは、天才じゃないんですよ~」

 

 そう志熊博士が言った言葉は、親としての最初の教えになった。

 この日、理科に新たな母親ができた。

 同時にこの日、理科は新たに……"志熊理科"となったのだ。

 

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 その日の夜。

 

『へぇ~。まさかあなたが人の親になるとは、正直驚きだ』

「私自身も、まだ実感はありません~」

 

 夜、志熊博士は電話をした。

 あいては彼女の実の姉だ。今は日本の遠夜市にいる。

 

『正直つらいぞ。私も一人息子がいるが、もう毎日いじめられたいじめられたって、泣いてばかりだ』

「そうですか。でも女の子みたいに育てたのは姉さんじゃないですか」

『ははは。まぁあの子は私似で美人だったからな、つい可愛がりすぎてしまった』

「ふふ。まぁでも、"夜空くん"は強い子だと思いますよ~。姉さんに似て」

『おい、それはどういう意味だ?』

 

 そんな会話をしたのは、いつ以来だろうか。

 志熊博士の紹介で知り合った三日月博士と彼女の姉は、順調に交際を積み重ねて結婚した。

 そして一人の男の子を授かり、今に至る。

 

『まぁひと段落ついたら、遠夜市に遊びに来い。その子と夜空は義兄妹になるわけだし、一度顔を合わせておくのもいいだろう』

「そうですね。いつになるかはわかりませんが……楽しみにしていますよ」

 

 そう話をした後、志熊博士は電話を切る。

 

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 こうして志熊博士に引き取られた理科は、博士の進めた大学へと入学した。

 大学にてようやく自信の能力を発揮できるようになった理科は、次々と学位を取得。

 志熊博士の娘ということもあってか、数多くの取材を呼び寄せ、一躍有名人にもなった。

 だがどこか他人と距離を置いていた理科は、大学卒業までに結局、友達という友達を作れずにいた。

 卒業後はとりあえず志熊博士の助手という形で研究所に出入りすることになり、自信の得意分野に着手することに。

 自信の能力があればやがては一人でなんでもできる。この時彼女は、一人でなんでもできると本気で思っていたという。

 そんな彼女に、志熊博士は一人の科学者ではなく、親として悩んでいた時期があった。

 

「理科ちゃん。どうにもあなた、プロジェクトチームとはうまくいってないみたいですね~」

「別に、きちんと指示には従っているし。チームは僕を必要としています」

「ならいいんですけどねぇ~。その、無理に大人を見繕うとしなくていいんですからね。たまには子供らしくわがまま言っても……」

「僕は子供ではありません。この場で子供のわがままは迷惑なだけでしょう」

 

 この時、理科は十三歳になっていた。

 この時期になると、理科は完全に自分を制御し、意を唱えるようになっていた。

 俗に言う反抗期か、だが彼女は世間的には真面目で出来る人間で通っている。彼女的には親に迷惑をかけたこともない。

 そう、彼女は親にとっての理想の子供を演じ続けたのだ。それは志熊博士への恩義もあるが、それ以上に博士の能力の高さへの悔しさも相まっての事だった。

 だからこそ志熊博士が望んだとおりに能力を伸ばし、いい子で、素直で。それでこそ素行の良い、完璧な人間を演じきるに至ったのだ。

 大人は時として自分の感情を制御しなければならない、だがその感情たるやを学ぶのが子供の教育の一環だった。

 子供として踏み行く段階をすっ飛ばしてしまった結果、理科は子供として学ぶべきことを全部放り投げてしまった。

 より高みへと高みへと登るにあたって、彼女は子供としての人生を飛ばして大人になってしまったのだ。

 

「……それとも、母さんがそうやって命令をしてくれるなら、僕はそれにきちんと従いますけどね」

「そんな、命令だなんて……」

「……すいません、親に向かってなんという口を」

 

 少し言いすぎたことを悔いた理科は、自分を戒める。

 これではまるで機械だ。子供の皮を被った機械でしかない。

 だからこそ志熊博士は困り果てた。飛ばしてしまった時間を、どうやって取り戻そうかを。

 

 その日の夜、志熊博士は電話をかけた。

 相手は実の姉だ。電話するのは何年ぶりかであった。

 

「お久しぶりです姉さん。お元気ですか~?」

『あぁ……ってほどでもないかな』

 

 なにやら姉がため息交じりでそう話す。いったい何があったのか。

 

「どうしたんですか~?」

『等々ね、反抗期ってやつ? オラの夜空ちゃんが不良になっちまっただ』

「あ、あぁ~」

 

 どこかで聞いたようなフレーズでそう自虐する姉の言葉を聞いて、自分と同じ現状に困っている事を知った。

 どうやら中学に上がるに従い、夜空はすっかり反抗期を迎え、学校で喧嘩ばかりするようになってしまったらしい。

 

『え? あなたのところも? 全く大変だな』

「はい~。彼女としては私への恩義を果たそうとしているのかもしれませんが、そんなのを抜きにして子供っぽくしてほしいのですけど~」

『そうだな。子供っていうのはいつしか大人に憧れて強がるものなのだ。私にも覚えがある。そんな子供に対し親として向き合った時、過去の自分を振り返らずにはいられない。だからこそ、叱るのは難しい』

「そうですね。姉さんいっつも一人で読書ばかりしてましたもんね~」

『文化系だったあなたはいつも友達とわいわいやってたな。正直疎ましかったぞ』

 

 話はいつの間にか、親としての立場から自分たちの子供時代の話へと変わっていった。

 自分たちにも子供だった時がある。間違いを犯し、それに対して正しいか間違いかを必死に悩んだ時期があった。

 そんな時、親に縋るのもどこか気に障る何かがあって。気がつけばただ強がっていた。

 姉は友達が少なかった。志熊博士は友達が多かった。

 互いに立場は違っていたが、二人ともが自らで得た答えを今でも大切にしていた。

 やがては知るだろう。人は一人では何もできなくなる。その答えを……。

 

「……姉さん。間違うことって、いけないことなんでしょうかね?」

『いけないこと……と言い切るのは駄目かもな。だって私たちは人間だ。だからこそ間違うこともある。ただ人間という生き物は、正しいことを美化し、間違ったことを悪とする。そこから繋がって、間違いを叩き潰すことを正しいことと美化しようとする。その結果、人に序列や番付が生まれてしまうのだ』

「…………」

『その中で真に必要なのが、間違いを認めてあげられる気持ちだ。その気持ちを真心で引き出すことができる人と、それを真心で受け止めることができる人。その二つが重なり合った時……その者達が"友達"というものに変わる』

「姉さん……」

『だから今は間違ったっていいのだ。子供心で正しくあろうとし続ければやがては大きな間違いにぶつかる。だから人はいずれ……間違い方ってのを覚えなければならない』

 

 それが、親としてここまでやってきた彼女の考え方だった。

 天才と呼ばれこの業界でたくさんのことをやってきた志熊博士は、そういった人としての考え方とは無縁の所に居続けていた。

 ただ科学の発展や、社会の進歩。それを求める者たちと共に自らの能力を発揮する人たちの集まり。

 そこに友達という恵まれた環境が、存在していたのかもしれないが、大人は特にそれを深く意識することはないだろう。

 仲が良ければそれで友達。成熟した今では、それで充分すぎるほど、大人は忙しいのだから。

 

「私……まだまだですね。親としても……人としても……」

『そんなことはないぞ。最初はどうなることかと思ったが、意外と母親できているじゃないか』

「そう……ですかね」

 

 弱気にそう答える志熊博士。

 そんな彼女の言葉の小ささを受け止め、姉はなにやら一つの質問をした。

 

『……そういやあなた、夏は忙しかったりする?』

「え? 別に休みを取ろうと思えば多少強引にでも~」

『三日くらいでいいから、家に遊びに来るか? お互い反抗期同士の子供、見せあいっこしようじゃないか』

 

 そう提案してきたのは姉。

 そういえばいつか約束していた。遠夜市に遊びに行くことを。

 それを思い出し、志熊博士は顔を丸くした。

 これなら理科のいい気分転換になるかもしれないと。

 

「いいですね~。夏、二人で休みとってそっちに行きますよ」

『決まりだな。じゃあ待っているぞ』

「はい~」

 

 こうして今年の夏、志熊博士は理科と一緒に遠夜市へと行くことになった。

 

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 同時期。

 夏に遠夜市に行くことになった理科は、ある人物に電話をかけていた。

 

『お久しぶりですね、志熊理科』

「そちらこそ、元気そうで……え~と」

『あぁそういえば。私のフルネーム教えてませんでしたね。今は"遊佐葵"でお願いします』

「了解しました」

 

 そう、電話の相手はかつて施設で共に暮らした仲間。

 彼女にとって唯一友であった少女。

 時より理科は、彼女と連絡を取っていた。

 

『で、どうしたんです?』

「その、なんか遠夜市ってところに行くことになりまして。確かあなたの……」

『ほんとですか!? 久しぶりに会いたいです! 暇があったら顔を出してください!!』

 

 そう喜びに満ちる葵。

 彼女は今普通の中学生活を満喫している。

 すでに学校を通い終えた理科にとっては、過ぎ去った事象でしかない。

 きっと彼女は、その活発さでたくさんの友を作っている事だろう。

 だが自分はどうだ。友達という友達一人すら作らず、自分のやりたいことばかりをしてきた。

 

『理科は最近はどうなんですか? よく噂は聞きますけども、忙しいんですか?』

「そりゃあ毎日毎日色んな企業から注文が入って、もうてんてこ舞いですよ。葵は学校楽しんでますか?」

『はい。勉強も学校生活も楽しいですよ。とても面白い先輩に出会って、生徒会に入ることになりました』

 

 所々疲れを見せながら語る理科と、毎日を楽しそうに語る葵。

 同じ能力研出身の人間として、互いに恵まれた日常を送っている。

 なのに、どうして互いにこんなにも差が生まれてしまったのか。

 理科からすれば、葵は理想の学生生活を送れている事が羨ましい。

 葵からすれば、理科は世界的に認められる頭脳を社会で生かせている事が羨ましい。

 お互いがお互いの住む世界に憧れを抱き合う。だけど、そこに偏見や違いを感じてはいけないというのが、互いに決めたルールであった。

 どんなに済む世界が異なろうと、二人は同じ屋根の下で育った友達なのだから。

 

『……自分は、ようやく他者に日を照らせる存在になれたんだなって、最近思えるようになりました』

「そう……」

 

 そう語る葵の言葉には、小さくはあるが自信が満ち溢れていた。

 それをただ、今は聞こうとする理科。

 

『物心ついたころには親に捨てられ、正直こんな日が来るなんて……夢にも思いませんでした』

「それは……僕とて同じですよ」

『現在も能力研は年々優秀な子供達を多数育成していると、時々職員から聞いています。自分もあそこに居続けられたら、あなたのようになれたのでしょうか』

「やめてください。葵は葵のままでいいんですよ。そんな得意な能力なんてなくったって、あなたを心から必要としてくれている人がいるのでしょう? だったらもうちょっと自信を持たないと」

 

 そう自分の能力を羨む葵を、今の自分の現状を踏まえて諭す理科。

 確かに自分は天才と呼ばれ、世界一の天才を母親とし、日に日にその能力を上昇させている。

 だがどこか満足しきれない、どこか気にいらない。そんなもやもやした感情を毎日のように抱き続けている。

 理科は生まれつき最上で、最高に位置する人間であることは、彼女が能力を発揮し続けている限り証明される。

 しかし、理科自身からすれば。自分は最上とも、最高とも思ったことが無い。

 生まれつき彼女は……"上限"だっただけ。生まれ落ちて上の限りを与えられ、伸ばすことも進むことすら許されない……天才というレッテルを貼られたそこにただいるだけの人間。

 他の人たちが努力を積み重ねて上に辿りつく喜びすらも抱くことなく、社会に貢献するための道具でしかない。

 それが、理科にとっての最大の自虐であった。

 

『……続きは、夏にこちらでゆっくり話しましょう。その時は、自分の尊敬する人達を紹介しますよ』

「……わかりました。お元気で……葵」

 

 そして理科は、静かに受話器を切る。

 

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 そして夏のシーズン。

 八月上旬の、周りの学校のほとんどが夏休み真っ盛りの時。

 理科は志熊博士と共に遠夜市へとやってきた。

 

「あ、姉さん~」

 

 長旅で数時間、遠夜駅には博士の姉がいた。

 彼女が三日月博士の妻であり、夜空の母親である。

 

「久しぶりだな。十年は会ってなかった気がするぞ~」

「ですかね~」

 

 相当久しぶりの対面で、話はなんとでも弾む。

 普段から仕事の疲れを表に出さない博士であったが、この日の彼女からは素の笑顔が滲み出ていた。

 だからこそ理科は、この日はなるべく素の自分を出していこうと思った。

 研究所にいる時みたく、猫を被って良い子を演じようかとも思った。

 だが全て博士にはお見通しであり、前のやり取りもあってか、そういうのをやめようかと思った。

 

「えっと。初めまして……。志熊理科です」

 

 そう自分の名前を名乗る理科。

 自分が志熊理科になって、四年ほど経つのか。

 すっかりと馴染んだこの名前。志熊という名字も、記号みたいで気にいっていた。

 

「初めまして。結構可愛い子じゃないか。所々あなたに似てるんじゃない? まるで本当のあなたの子供みたいだ」

「そうですか~。同じ職場にいるから雰囲気が似てきたのかもしれませんね~」

 

 そう褒めてくれた博士の姉。

 そういえば大学に入学した時も、よく可愛い可愛いといじられていたのを思い出した。

 理科自身は自信を可愛いなんて思ったことはない、おしゃれをしたのも今回が初めてなくらい、年頃の女の子としてはそういうことには無頓着だったからだ。

 

「あぁそうだ姉さん。今日一日だけは、ちょっと席を外してもいいですか~? 夜には戻ってきますので、その時にみんなでご飯を食べましょう」

「ん? なにか用事でもあるのか?」

「まぁちょっと……。友達に頼まれたお仕事がありまして~。あ、この住所わかります~?」

 

 なにやら今回、志熊博士は別件の用事があるらしい。

 家まで歩く途中で、地元に詳しい姉に、こちら来る際にもらった用紙を見せる。

 

「ここって確か市の外れの……ここらじゃ有名な豪邸だな。うちの近くのバス停から乗り継いでいけばいけるぞ」

「そうですか~。ありがとうございます~」

 

 そう言って、志熊博士はバス停に付くとすぐさま目的地に向かう準備をする。

 来て早々博士はお仕事。だったら理科はどうすればいいのか、悩み博士に尋ねる。

 

「お母さん。僕はどうすれば……」

「う~ん。姉さんとお話してて。それにほら、あなたのお兄さんになる夜空くんもいるだろうし~」

「あ、そういえば……」

 

 志熊博士が夜空の名前を出した所、姉が思い出したように言った。

 

「あの不良息子。理科ちゃんが来たら教えてくれって言ってたな」

「え? どうしてです~?」

「なんか学校の生徒の中に理科ちゃんに用がある人がいるらしいのだ。そいつに会わせたいから来たら電話よこせクソババアって言ってた。ったく友達の頼み聞いてあげるのはいいことだが少しは母親のことも敬ってほしいものだ」

 

 そう文句を言いながら、姉は夜空に電話をかける。

 理科に用がある生徒がいる。それを聞いて理科はハッとなった。

 恐らくは彼女しかいない。理科は内心そう思った。

 

「もしもし夜空~? 理科ちゃん到着したけど?」

『んあ? わかった今からこいつら連れて家行くわ』

 

 そう一方的に感謝も無しに、夜空は電話をがちゃりと切る。

 噂には聞いていたが、歳相応の反抗期まっさかりであった。

 一方で電話を切られた姉は、不機嫌そうな顔つきで。

 

「……だから一方的に電話を切るな。まったく」

 

 そうぼそりと呟いた。

 親というのは大変なんだなぁと、今まで無自覚に親に面倒をかけていた理科もこの時はそう思った。

 

「あの、それで……」

 

 少し戸惑ったように、理科は姉に声をかける。

 

「え? あぁごめんごめん。もうすぐ来るらしいからそれまで家で待とうじゃないか。したらあなたは仕事とやらに行ってきなさい」

「は~い。じゃあ理科、行ってきますね~」

 

 そういつもの陽気な調子で、志熊博士は仕事へと向かった。

 初めての親戚。全くの他人というわけではないが、見知らぬ人と二人だと緊張する理科。

 男勝りの言葉遣いと眼つきの悪さも相まってか、姉の事が少し怖いと感じてしまった。

 

「……なんか、怖がってる?」

「い、いえそんなことは……」

「ははは。そんなに怖がらなくてもいい、この後顔立ちはいいけどちょっと怖いお兄ちゃんが来るわけだし、もうちょっとリラックスしておくがいい」

 

 そう優しく理科を諭してくる姉。

 やはりどこか偽らないと、素の自分のままでは怯えが前面に出てしまう。

 これからその素行の悪い兄という♂がやってくるというのに、怯えていては襲われてしまうかもしれない。

 どうしよう、兄の前では猫を被ろうか。そう理科は考えていた。

 だけど、その兄の近くには……かならず彼女がいるはずだ。

 だから、彼女の前では素にならなくてはならないのだ。そして……。

 

「熱っちいなもう~」

 

 ふらふらと、その怖いお兄ちゃんがやってきた。

 理科はその人物を見た時、思わず引き込まれた。

 隣にいる彼の母親に似て、男性だが美人という印象が刻まれる。

 眉目秀麗を絵にしたような人物であり。この兄を持ってしての義妹となるのが自分であることが、罪深くなるほど。

 

「……ワイルドだぜぇ~」

 

 その衝撃相まってか、理科が咄嗟に呟いた一言がこれ。

 そして直後に、彼のそばに付いてくる二人の人影を発見した。

 一人は見たことが無いが、もう一人は彼女が良く知る人間だった。

 その赤い髪を、未だに忘れたことが無い。

 

「理科……理科ですか?」

「葵……葵ーーー!!」

 

 会うのは数年ぶりとなる二人。

 一足先に引き取られて離れ離れになってしまってから、もう何年経つだろうか。

 しばらくぶりの再会に、二人は笑顔で抱き合った。

 

「……なんか知り合いだっつうから連れてきたが、どういうことだ?」

 

 この二人の接点がよくわからない夜空は、首をかしげる。

 

「そういえば葵ちゃんも、理科ちゃんと同じ施設出身って聞いたな。なんというか……すごい偶然ってあるものだな」

「偶然か……。俺にはわからねぇ」

 

 母親の言うその言葉に、どう返していいかわからず立ちすくむ夜空。

 そんな彼に対し、もう一人の人物が彼の肩を叩いた。

 

「くはは! これはなんとも朝一で感動のシーンを見せられたな!! 偶然と必然は表裏一体。二人が再会したのには深い何かがあるのだろうな!!」

 

 こんな場で、一人だけやたらと盛り上がってそう断言する人物。

 それは夜空が通う学校の生徒会長であった。

 

「えっと……あなたは?」

「あぁ自分が紹介します! まずこっちの嘘臭いイケメンが夜空くんで……」

「誰が嘘臭いイケメンだこのチビが」

「ち、チビってこの場で言わなくてもいいじゃないですか!!」

 

 そういつものように互いに痴話喧嘩をする夜空と葵。

 自分以外にもこんなに親しくできる友達ができたのかと、理科はどこか嬉しく感じていた。

 そして、紹介されたこの男が……正真正銘自分の義兄となる人物で、従兄妹となる人物だった。

 

「あなたが……夜空……兄さん?」

「……なんかむず痒いな、一応そういうことになるのか」

 

 初めてあった女の子に兄さんと呼ばれ、少し頬を赤らめる夜空。

 夜空から見ても理科はまた、普通に可愛い女の子であると認識していた。

 血は繋がっていないが、立場上親戚になる理科に対し、兄として接するべきか一人の男として接するべきか一瞬悩んだという。

 

「それと、こっちが我が学校の生徒会長。日高日向さんです!」

「くはは! よろしくな理科!!」

 

 そして葵はもう一人紹介する。

 会っていきなり呼び捨てという、なんとも度量の高い生徒会長だ。

 理科としては、こういった思い切りのいい人ほど付き合い方に悩む。だからなるべく最初は一歩引いてほしかった。

 初めて会ったというのにどうして会った瞬間友達みたいな扱いができるのか。理科はこの日向の思考をどう考えても理解できなかったという。

 

「日向さん。彼女はこれでも恥ずかしがり屋さんなんです。もう少し距離を置いてあげてくださいよ~」

「おぉ、すまないな~」

 

 そんな風に、日向は軽い感じで謝ってきた。

 他人は第一印象で決まるというのなら、理科にとっての日向はなんとも最悪であった。

 自分比べてめっちゃ美人で人当たりもいい、この調子ならばきっと誰もが彼女を好み付き添っているのだろう。

 自分は社会としての立場も頭脳も圧倒的に勝るのだが、人としての根本では圧倒的に負けている。

 だからこそ悔しかった。内心ではそれはもう悪愚痴ばかり言っていた。

 

「まぁそのなんだ。こんなところで立ち往生もなんだから、市内に遊びに行こうぜ。ってことで母上、夜ご飯は楽しみにしてるぜ~」

「へぇへぇわかりました。危険な目に会わせんじゃないぞ~」

 

 夜空はそう珍しく母親に親しげに声をかけた後、四人で市内に遊びに行った。

 この街の事を一切知らない理科のために街を案内し歩いた。その最中、理科は葵とばかり話をしていた。

 夜空と日向からすれば、久しぶりの友人の再会ということを理解していたから、そっとしてあげていた。

 

「離れ離れになった友人との再会か……」

「ん? 何か思い当たることでも?」

「……いや、なんでもねぇよ。にしても悪いな会長。忙しい中付き合わせちまってよ」

「気にするな。私が勝手に付いてきただけだ。……見届ける必要があるからな、"因果の一端"を」

 

 そういつもの堂々さを発揮しながらも、時より謎めいたことを言う日向。

 そんな彼女に対し、夜空は悪態をつく。

 

「なんつうかあんた、時より中二病発症するよな」

「くはは! これでも私は能力に目覚めた改造人間だからな!!」

「へぇへぇ~。人気絶頂の会長さんはジョークが上手くていいよな~」

「くはははは……あぁ、私はジョークが上手いんだよ」

 

 そう愉快な会話をする二人。

 だがどこか、日向が最後に行った言葉が、どこか儚しげに聞こえた気がした。

 時より、日向は調子のいい部分のほかに、そういう部分を見せることがあった。

 彼女が調子よく発言する全てのたわごとが、まるで本当の事に聞こえるくらいに、感情が籠っている時がある。

 この時の少年は、それに対してずっと……気付かないふりをしていた。

 

 そして夜。

 志熊博士が仕事から帰ってきて、せっかくということでここにいる全員で夜ご飯を食べることになった。

 ご飯を食べた後、博士が帰りに買ってきた花火で遊ぶことに。

 

「にしても葵ちゃんも元気でよかったです~」

「博士こそ……なんか最初にあった時と全然変わっていないような……」

 

 葵も依然、志熊博士に会ったことがある。

 今から結構前になるはずなのだが、その時に比べて志熊博士は全く老いを感じていない。

 それは理科も時より思うことで、もうすぐ四十を超えるというのに見た目は二十代前半という幼さを保っていた。

 

「こいつ、ぶっちゃけ大学の時から容姿変わってないぞ……」

 

 彼女の姉いわく、志熊博士は大学の時からずっとこの容姿が変わっていないとのこと。

 

「え!? その……美容の秘訣とか教えてください!!」

「内緒です~。ちょっと危険なお話になるので~」

 

 葵が乙女心でそう質問をするが、博士から帰ってきた言葉はなんとも恐ろしげなものだった。

 志熊博士は世界的有名な科学者。当然危険な薬品作りとかも関わっているはず。

 もしや老化を止める最先端の技術でも開発したのだろうか、そんな想像だけが膨らむ。

 

「…………」

 

 葵が博士と談笑している間、理科は一人で花火をしていた。

 未だに自分が親しく話せるのは博士と葵のみ、その二人が話をしている間は、親しくできる相手がいない。

 そんな彼女を見かけて、夜空の方から近寄ってきた。

 

「に……兄さん?」

「別に呼び捨てでもいいんだが……。その、色々大変だったらしいな。断片的に聞いただけだが」

 

 そう言って、夜空は理科の隣に座る。

 相手は従兄とはいえ全くの赤の他人だ。だからこそ理科は、一人の女の子として緊張してしまう。

 

「その……ぼ、僕なんかよりも、あの綺麗な会長さんの所に行った方が……」

「あぁん? 別にいいんだよ。あいつは神出鬼没だし、それにお前が思っている間柄じゃねぇよ。どちらかというと腐れ縁だ」

「……そうなんですか」

 

 夜空は特に何か思うこともなく、普通に言った。

 次第に話を進めていくと、徐々に理科も気持ちが和らいでいった。

 

「……兄さんはいいですね。友達がたくさんいて」

「……どうしてそんなこと言う?」

「いやその、僕には葵くらいしかいないし。施設でも大学でも、友達なんていやしなかった」

「……それは、お前があえて望んでそうしたのか?」

 

 そう質問を投げかけられて、理科は押し黙ってしまった。

 その質問が、軽いながらも的確すぎたからだ。

 

「……私は天才と呼ばれてきました。周りから多くの期待を寄せられ、その期待に答えてきた。だからこそ、他のお気楽な奴らが邪魔くさくて、無自覚にそいつらを下に見ていた」

「……そうか」

「失望しました? そうだ……他のやつらなんて論理ばかり並べて、それが成り立つことで関係を形成する。それが嫌いだった。論理という名の御託が大嫌いだった。この世には♂と♀しかいない、無駄に知能を持つだけの♂と♀だ。その中にいる僕は異質で、変人で、選ばれている。だから評価された。他人は僕を讃える。祭り上げる。そうすることで寄生してるんだ。だから……」

 

 正直、理科自身が何を言っているのかわからなくなっていた。

 だが不思議か、自信の母親にすら言ったことがなかったその本音が、夜空に対しては言えたのだ。

 きっと失望されるだろう。なんだこいつと思われるだろう。生意気なクソ妹と引かれることだろう。

 だが、どうしてだろうか。理科は抱いてしまったのだ。彼女が嫌いと思う、確信すらない曖昧なその感情を。

 そう、これが最後の希望だと。これが希望なんだと……。

 そんな彼女に対し、夜空が返した答えがこれだった。

 

「……いいんじゃねぇの。別にそれを、俺がとやかく言うもんじゃねぇ」

「え?」

「てめぇのその人格の悪さを目の前にして、俺がお前を嫌いになるのが普通なのか? 近寄りたくないって思うことが論理に叶っているのか? だと思ってるなら……てめぇは天才なんかじゃない」

「……兄さん」

「俺には天才なんてのは遠いものだ。正直そいつらの何が天才で、何がすごいのかも理解できねぇ。だが……前に父さんが言っていたんだ。「頭がいいから天才ではなく、社会で評価されるから天才ではなく、才能に満ち溢れているから天才なんじゃない」って。結局、何が天才だって言ったか? 天才のお前にはわかるか?」

 

そう、夜空はかつて父親が言っていた言葉を語りだした。

そして投げかけてくる。天才に対して、その質問の答えを問うてくる。

理科は悩む。自信が天才として……どう答えればいいかを。

でも、天才なのにそれがわからなかった。

 

「……わかんない」

「だよな。当たり前だ。それは人個人の考え方だからだ。それがわかってしまうやつは……心を読める超能力者か、人間やめた化け物だけだ」

「……教えてもらえませんか? 三日月博士が言った言葉を」

 

 そう正解を求める理科。

 そして夜空は、その答えを口に出す。

 

「……諦めない奴が……天才だ」

「諦めない……」

「そうだ。エジソンだっけか? 99%の努力と1%の閃きとか言ったの。その1%を99%形にできるから天才ってことなのか。だったら一言で言っちまえば、それは諦めなかったから天才だったってことだろ?」

「…………」

「それは科学の進歩に限ったことじゃねぇ。人が希望という物を見つけた時、その希望に対して諦めずに頑張れる人間。そんだけできれば、どんな馬鹿だろうと天才になれる。凡人風情の俺の考えだが、俺はそう思うのよ」

 

 三日月夜空は、父親に言われたその言葉を、そういう風に受け止めたという。

 だから彼は諦めることをなるべくしようとしない。どれだけ歪もうと、進むべき道に準ずる。

 曲がりながらも遠回りしながらも、先に進めば答えがある。

 その彼の考えに、理科は初めて……共感を覚えたという。

 この時、理科は心から思った。夜空を希望にして……よかったって。

 

「……あ~あ。なんか見た目だけの嘘臭いイケメンかと思ったら、中身もイケメンだったよちっくしょー」

「ちょっ……おい葵! おめぇのせいで俺が嘘臭いイケメンで覚えられてっぞ!」

「え? 知りませんよ~。実際そうじゃないですか~」

 

 夜空が葵に不満をぶつけると、彼女は笑ってそう返す。

 そんなやり取りを見て、周りが笑顔に包まれた。

 理科はこの時、長く被っていた深い皮を、本当に手放すことができたという。

 

「……これで、変われるかな……。僕もいつか……本当に誰かに必要とされる日が来るのかな」

 

 そうぼそりと、理科は希望を呟いた。

 そして袋の中にあった花火を一本取り、火をつける。

 

「くはは。イケメンがイケメンなことを言っているなぁ~」

「んだよ会長。てめぇまで……」

 

 そんな二人の元へ、日向が茶々を入れに行った。

 この時もいまいち苦手としていた彼女を見て、理科が若干不機嫌になる。

 

「う……」

「むっ。嫌われてしまったかな」

 

 そう優雅に、日向は理科にスキンシップを取ろうとする。

 せっかく兄と仲良くなっていい雰囲気だったのにと、変な感情まで抱く始末。

 

「その……別に……」

 

 そう戸惑う彼女の腕を、日向は強引に掴んだ。

 

「ひっ!」

「まぁそのなんだ。せっかくこうして一緒に遊ぶ機会ができたのだ……」

 

 この時、別に理科は親しげに接してきた日向を、嫌と思ったわけではなかった。

 理解はできないが、そんな日向に……底しれぬ恐怖を抱いたのだ。

 なんだ。どうしてこの人からは……こんなにも深い何かを感じるのか。

 一見すれば陽気な生徒会長。だが、奥底に隠してある何かが……理科を戦慄させた。

 

「や、やめてください……」

「む~。私なにかしたか?」

「いや、単にてめぇがお気楽過ぎんだと思うけど……」

 

 若干頬を膨らませながら言う日向に、夜空が戸惑ったように言う。

 他の人たちも、どうして理科がこんなに怯えているのかわからなかった。

 それは理科自身が一番身近に感じられる。

 日高日向が……怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて。

 

「あ……あぁ……」

「まぁそのなんだ……」

 

 そして、次の瞬間。

 理科の目に映った日向の"目の金色"が……彼女を狂わせた。

 

「許してくれ……なぁ」

「い……いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 つい条件反射で、理科は叫びをあげた。

 そして手に持っていた花火を、日向の目に思いっきり向けた。

 その結果。日向の目に火花が入る。

 

「ぐっ!!」

 

 熱さと痛みでもがく日向。

 それを見て、夜空たちはすぐさま反応する。

 

「おい、大丈夫か!?」

「ぼ……僕は何を……。だ、大丈夫ですか!?」

 

 これはまずいと、いち早く日向に近づいたのは理科だった。

 そしてすぐさま、日向の左目を確認する。

 手を押さえていて、やけど跡が良く見えない。

 

「今、冷やす物持ってきます!!」

 

 志熊博士とその姉が家の中へと走る。

 取り残された理科、日向、そして夜空と葵。

 その中で特に取り乱すのは理科。どうしてこんなことをしてしまったのかと、自分を悔いる。

 

「すいませんすいません! そんなつもりは……」

 

 そう謝った直後。

 日向は抑えていた手を離し、先ほど火花が入った左目を露わにする。

 この時、火傷しているはずの日向の左目を見て、理科は言葉を失った。

 

「……え?」

「あ……あったたたた。き、気にするな。そんな大した傷じゃないから。お前さんは悪くない」

 

 そう戸惑う理科をなだめる日向。

 大した傷ではないというが、それはけして強がっているわけじゃない。

 この時この瞬間、理科はとんでもないものを目の当たりにしたのだ。

 一番近くにいたからこそわかる。確かにあの時、火花は間違いなく日向の左目に直撃していた。

 なのに、その手を話した瞬間。そのやけど跡どころか……傷一つ負っていなかった。

 

「なん……で……。目のやけどが……傷が……」

 

 そう呆然となる理科。

 すぐさま寄ってきた夜空と葵は、そんな詳しい状況も知らずに日向の目を確認し。

 

「……なんだよ脅かしやがって。大したことないどころか"無傷"じゃねぇか!!」

「んもう! これだからこの大根役者は!!」

「くはは! 驚かせてすまなかった。夜空の母上と志熊博士にも心配をかけた」

 

 一時は危なかったその雰囲気も、一瞬にして冷めてしまった。

 その後、日向自身は大げさにわざとやったと、みんなに謝っていた。

 だが理科だけは知っていた。あれが奇跡的に目に入らなかったわけではないと。

 無傷だったのではない。その傷が……すごい速さで回復した。

 天才である理科からすれば、それしか考えられなかった。

 

「まったく。しかしどうしたのだ理科ちゃん? ヒナちゃんが怖かった?」

「……あの人、何者?」

 

 そう優しく声をかけてくる姉に、理科はついそう聞き返してしまった。

 

「夜空の通う中学の生徒会長さん。あの子に会ってから、あのバカ息子はちょっとだけ丸くなったのだ。だから正直私としては感謝しているんだ」

「……そうですか。すいません、変な質問してしまい」

 

 そう理科が改めて謝ると、その姉はなんとも神妙な顔つきで語る。

 

「……でもね、なんだかわからないのだが。あの子が……他人のような気がしないんだ」

「え?」

「まるで……ずっと傍にいたかのように、初めて会った時そう思ってしまった。それに日向って名前、私達からすれば思い入れのある名前でな」

「……どういうことですか」

 

 そう理科が尋ねると、姉は悲しそうな顔で、声を震わせてその意味を語る。

 

「――生まれ来る前に死んじゃったあいつのお姉ちゃん。もし……生まれてきていたら……」

 

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 レッドフィールド社所有、第三研究所にて……。

 

「お疲れ志熊くん。ハイコーヒー淹れたよ」

「あ、ありがとうございます~。三日月博士もひと段落ついたんですか~?」

「ま、一応ね」

 

 真夜中の研究所。

 毎日のように日夜研究を進めている、二人の科学者。

 三日月博士――三日月夜空の父親である人物。

 彼は一年の大半、日本に家族を残してここイギリスの研究所に籠っている。

 仕事なので家族サービスが疎かになることは多々あるものの、現在の所夫婦円満、幸せな家庭を築いていた。

 

「そういえば、妻の所に遊びに行ってきたらしいね」

「はい~。三日月博士も来ればよかったのに~」

「はっはっは。僕も色々と忙しくてね、正月にはなんとか帰ろうかと思っているんだが……」

 

 そんな他愛の無い話をしばしの間だけする二人。

 それは科学者であることを抜きにした、親同士の会話。

 

「理科ちゃん、今日はなんだか生き生きとしていたよ。いいことでもあったのかな?」

「そうみたいです~。夜空くんのおかげ……かな?」

「そうか。今はひねくれているが、あいつはあいつなりに大切なことをちゃんと弁えている。小さい時から何一つ父親らしいことをしてやれなかった。だけどそれでも強く育ってくれたことを、感謝しているよ」

「そんなことありません~。博士の父親としての思いは、ちゃんと彼に届いていますから~」

 

 志熊博士にそう励まされ、ため息が混じりながらも、笑顔が綻ぶ三日月博士。

 

「……そういえば、"別件"はどうだったんだい?」

「あ~。ノエルさんのお友達の……」

 

 先ほどまでの世間話とは打って変って、二人は急に科学者の顔つきになる。

 話題は、志熊博士が個人的に請け負った。ある人からの相談ごとだった。

 

「レッドフィールド社長の友人。確か……すごい珍しい名前だったな。天の馬と書いて……なんだったかな? その人の娘さんの件だったよね?」

「はい。ノエルさんから是非とも見てあげてくれと言われたんですが~。とりあえず簡単なテストだけしてあげたんです~」

 

 レッドフィールド社の社長であるノエル・レッドフィールドと、志熊博士は同じ大学にて共に知識を学んだ仲であった。

 そして三日月博士は、その二人の二年上の先輩にあたる。

 三人ともそれぞれの知識と能力を生かし、ノエルは企業を設立する際に、二人に声をかけたのが現在の繋がりであった。

 

「それで……結果は?」

「……それがですね。はぁ~」

 

 三日月博士がそう問うと、志熊博士は予想外の反応を見せた。

 てっきり普通になんともなかったと、そういう顔をするのかと思っていたのだ。

 

「……どうしたんだい?」

「大体は最初の一回で白か黒かわかっちゃうんですけど~。その娘さん、結構まぁ反応を見せるんです~。だからどんどん親密にテストを重ねたんですよ~」

「……それで?」

「その親御さんには詳しくは話さなかったんですけどね……。おそらくは……"直球ど真ん中の当たり"です」

 

 その志熊博士の言葉を聞いて、三日月博士は神妙な顔つきになる。

 

「……ランクはどれくらいだい?」

「そうですね~。反応は示していたし、チカチカと目の虹彩色が変化していましたし~。恐らくA以上は確定かと~」

「そうか。こうなると後は本人次第なんだけどねぇ~」

 

 そう三日月博士がコーヒーを口に運ぶと。

 志熊博士が、その話に追記するように、こんなことを言いだしてきた。

 

「それがですね~。その娘さん、相当珍しい反応を見せるんですよね~」

「……というと?」

「本人は「頭の中で声が聞こえて気持ち悪い」って訴えかけるんですけど、その自覚があるなら常に発動しててもおかしくないはずなんです~」

「まぁ。確かに……」

「あのくらいの年頃なら、元々そこに自覚を見出すこと自体が稀なんですよ。そういった子供たちって、友達が上手いことできずに孤独でさびしい思いをして、それを爆発させて能力を発現させるものです。だからその時期っていうのは、その能力に頼りっきりになるものです」

 

 志熊博士が語る理論はこうだった。

 ごく稀だが、この世には自身が溜めた多大なストレスを、"能力として発現"させることができる子供がいる。

 特に成長期の子供が感じるストレスは、大人と違って処理する方法が極端に限られてくる。そのストレスを理解しきれずに、体内にため続けそこから分岐が始まる。

 そのストレスを子供特有の過ちで発散するか、それを貯め続けることを正しいと思いその道を選択するかの二択だ。

 大体の子供は前者を選ぶ。なぜなら子供は過ちを犯して当然なのだから、過ちを犯さない子供なんて存在しない。

 序列が成り立つ環境の中で、己こそが上に立つと、無自覚な悪意で弱者を付き落とす。その時子供は悪道を覚える。

 しかし家庭の事情や環境次第では、その過ちを犯すことができない場合も存在する。そうなったらストレスはどうなるのか、我慢して貯め続けるのだ。

 だがそこは人間なので、ストレスを永久的に貯め続けることはできない。そんなことを続ければ、それは人としての終わりを意味するからだ。

 その後者を選んだ子供たちのごく僅かな原石が、そのストレスを別の形で表に出す。

 

 それを……専門学者は"超能力"と祭り上げている。

 

 実際に超能力なんていうのはまやかしでしかない。だが他に呼びようがないもんだから大人たちはそう名付けて勝手に盛り上がっているのだ。

 そして今回のその対象も、大人たちの言う超能力を持つ側の人間になったケース。

 そういう子供たちは、ほぼ全員が能力を持てあまして、頼りっきりになり、能力に全ての身を委ねてしまうのだ。

 だが、今回のケースはその異例の中で、さらなる異例を引き起こしたという。

 

「その子。自分の意地でその能力を抑え込んでいるみたいなんです~。自分はこんなものなんてなくてもなんとでもできると、そう泣きながら強がってました~」

「ほ~う。ずいぶんとまぁプライドの高い女の子だね。己の強さで力を抑え込む……か」

「ですね~。でも、それでいいんだと思います。たまたま授かった力に溺れるよりは、自分自身で力を手に入れてみせるなんて。私としてはそっちの方が好きですよ~」

「ま、僕も激しく同意しよう。今度夜空に教えてあげようかな……。力というのは……時として人を溺れさせるってことを……。だからこそ、力と強さはイコールではない」

 

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 一年後……。

 志熊理科は十四歳になった。

 今日もまた、彼女は自身の研究に励んでいる。

 だが去年までと違うのは、彼女は心から自分をさらけ出すことができるということ。

 今年になって、理科は積極的に様々な番組に出演したり、表舞台に顔を出すようになった。

 いつしかネット上ではその愛くるしい容姿も相まってか、アイドルとして扱われるようにもなった。

 もう自分は、ただの天才という名の傀儡ではない。

 自分は自分の信じた道を、先を進むことができる。

 だから自分は上限なんかじゃない。その反面、最高や最上でもない。

 理科はまだ、進むべき道筋のスタート地点に立ったばかりだ。だからこれからも……己の能力を伸ばし続け、そして認めることができる。

 自信を付けた彼女に、悩むべきものは存在しなかった。……はずだったのだが。

 

「……やっぱり、矛盾だらけだ」

 

 そう呟くのは理科。

 一通り仕事を終えた後、自室で自信の調べ物をしていた。

 その調べる対象は、去年の夏に出会った日高日向という人物の事だった。

 

「確かに市の人達の話や彼女の住所や住民票の有無。彼女の存在を立証するには充分すぎる。けど……チグハグだらけ。まるでわざと自分を付き止めさせようとしてるみたいに」

 

 去年の夏。

 理科は目撃してしまった。

 本来なら治るまで時間がかかるような大けがを負った日向の傷が、一瞬にて治った瞬間を。

 いくら傷の治りが早いにしても、あれは人間が持つ再生力の比ではない。

 そのことが頭の事で引っかかっていた理科は、暇があれば調べていた。彼女の正体を……。

 

「日高日向……ひなた……」

 

 ひなた。

 そのどこにでもあるような名前の、なにが引っかかるのか。

 理科は一生懸命思いだそうとした。そして、一つの答えに繋がる。

 

「確か、おばさんが言っていた。三日月夜空には"姉"がいたが、生まれる前に流れてしまったって。そしてその子が生まれた際に付けようとしていた名前……それが」

 

 そう、死産してしまいこの世に生まれることの無かった三日月夜空の姉の名前。

 それが……"日向"だった。

 

「た、確かに見比べてみれば顔つきはそっくり。けど……いや偶然にしてはおかしい。でも、あんな大怪我が一瞬で治る人間なんて、理論上ありえないし」

 

 そんな風に、思考錯誤をしていた時だった。

 理科のパソコンに、一通のメールが届いた。

 

「メール?」

 

 それを開くと、そこには見慣れないアドレスが表示されていた。

 送り主の欄を見て、理科は驚愕する。

 

「!?」

 

 文名には『ORIGIN』と書かれている。

 そこにその送り主名――『HINATA』という名前。

 まさかと思い、理科は急いでそのメールを開く。

 そこに添付されていたのは、数秒間の映像だった。

 

「……」

 

 恐る恐る、理科はその映像を再生した。

 そして理科は、驚愕の映像を目の当たりにする。

 

「……な、なに……これ……?」

 

 そこに写されていたのは、奇々怪々の映像。

 本来映るべきものではない、映るはずの無い、映ってはならない映像の数々。

 天才である科学者の彼女を持ってしても、理解しきれない事象の数々。

 そしてそれらを見終わり、理科は放心しながら、メールのスクロールを下げていくと。

 

 そこには、こう書かれていた。

 

 

 ――ひとつのせかいにこだわるな

 

 

「なんなんだよ……なんなんだよこれはぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 そしてこの年の夏休み。

 少年と少女は、始まりの答えへと辿りつくことになる。




10人目は志熊理科です。この回は特にオリジナルが強く目立つ話となりました。
一応30話、31話、小鳩編、葵編の伏線は回収できたことと思います。
残すところはあと二人。小鷹をメインとする表の世界と、日向をメインとする裏の世界を描く予定です。
それでは残る特別編、是非ともよろしくお願いします。

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