はがない性転換-僕は友達が少ないアナザーワールド-   作:トッシー00

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第26話です。


死神の見る夢は、黒より暗い暗闇か

 ――死神と呼ばれた少女の眼には、世界がどう映っていたのだろうか。

 

 十年前。

 

「ただいま……」

 

 母親が死んで数年経った。

 当時、まだ幼い少女の羽瀬川小鷹。

 幼い女の子らしい、可愛らしさに満ちた。いたって普通の少女。

 飛び抜けて端麗というわけでもなく、かといってそれほど醜い容姿というわけではない。

 ただ普通に生まれ、普通の女の子としてここまで育ってきた少女。

 しかし、たった一点だけ。他の子供たちと比べられてしまう要素がある。

 それがこの髪の毛。金髪なのだが、その金髪は濁っており、他の人から見れば染めたかのような髪の色であった。

 当然、小学生に上がったばかりという年頃の少女が、こんな染め方などしない。

 この髪の毛は地毛である。これは事実で、変えようのないことである。

 

 イギリス人の母親と、日本人の父親の間に生まれた羽瀬川小鷹。

 世間的にいうならハーフというやつだ。なのだが、二つの特徴の配分を誤って生まれてきたのが小鷹だった。

 顔立ちが日本人の父親に依存しており、母親の部分が中途半端な金色の髪の毛の部分だけ。そんな感じで生まれてきた。

 

 けれど小鷹はこの時はまだ、自分のこの特徴を責めることはなかった。

 しかし、いつしかこの特徴を持って生まれてきたことを、呪う日が来てしまうのを、この時の少女はまだ知らない。

 

 彼女には妹がいた。名は小鳩という。

 その妹は、とにかく美しかった。可愛すぎた。輝かしすぎた。

 姉とは違ってイギリス混じりの綺麗な金髪に生まれ、母親譲りの端整な顔立ちに生まれた。

 いけないことだとわかっていても、どうしても比べられてしまう容姿の違い。

 

 容姿が違うだけなら、まだよかった。

 違うだけなら、それが形にならなければ、問題にはならなかった。

 

「お姉ちゃん~」

 

 家に帰ってくると、妹の小鳩が危なっかしく小鷹の方へと走ってくる。

 もうすぐ四歳になるその身体では、走る爛漫さでさえ大人からすれば心配になるもの。

 まだこれからどんどん成長する、未来性溢れるその妹が、笑顔で姉を迎える。

 

「おかえり小鳩、どうしたのそれ?」

 

 小鳩の頭をなで、おかえりを一言。

 そんな小鷹の目に、小鳩が持っているある物が映る。

 

「お父さんに買ってもらった~」

 

 小鳩が持っているのは新しいおもちゃだ。

 これは依然から小鳩が欲しがっていたおもちゃである。

 父親は小鳩が何かを欲しがれば、なんでも買ってあげていた。

 小鳩が何かを望めば、それを一生懸命対応していた。

 小鳩を本気で愛した父親、小鷹はまだこの時は、それに対して思うことはなかった。

 

「そっか、よかったね」

「うん! 一緒に遊ぼうお姉ちゃん!」

 

 いたって普通の家庭だ。

 小鷹は優しい姉だった。小鷹自身もこの時は、可愛い妹のことが好きだった。

 こんなにも可愛い妹が、自分の妹であることが嬉しかった。

 だから小鷹自身は、ずっと優しい姉でいれることを望んでいた。

 

 この時の小鷹の瞳には、光が宿っていた。

 

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 ある日の事。

 

「うえぇぇぇぇん!!」

 

 この日、小鷹は泣きながら家に帰ってきた。

 その服はボロボロで砂まみれ、膝や腕には擦りむいた跡がある。

 いったい何があったと言うのか、すぐさま走ってきた妹の小鳩が心配そうに聞いてきた。

 

「お姉ちゃんどうしたのー?」

「うぅ、いじめられたんだよ……」

 

 そう、この時から、小鷹はこの髪の毛が原因でいじめられるようになった。

 小鷹の泣き声を聞いて、父親である羽瀬川隼人の急いで玄関へ駆けつける。

 

「おいおいなんだ? いじめられたって?」

「うん! この間学校の先生に「小さいのに髪を染めるとは何事だ。不良じゃあるまいし」って言われて。そっから同じクラスの子がいじめてくるようになったんだ!!」

 

 小鷹はいじめられた経緯を一生懸命話した。

 彼女はこの時、父親に助けを求めたのだ。

 きっと父親なら助けてくれるだろうと、そう思っていた。

 ……だが。

 

「う~ん。そりゃ嫌な先生だな。したらこの髪の毛は染めてませんってちゃんと言うことだな」

「言ったよぉ」

「ちゃんと友達にも言ったか? そうやって自己主張も無しにいじめられたいじめられたって言っていたって何も解決しないぞ。いじめられる原因ってのがあるからな」

 

 そう言って、隼人は小鷹の頭をなでるだけ。

 いじめられないようにちゃんと言えと、ただそう助言をくれるだけ。

 隼人は助けてくれなさそうだった。小鷹は何度か縋るが、それでも隼人はただ、そう繰り返すだけだった。

 

「ほら、消毒も済ましたし。ちゃんといじめられている事は先生に話したり、友達に相談したりするんだぞ」

 

 消毒を終え、隼人はリビングから出ていく。

 

「あ、これから小鳩とちょっと買い物に行ってくるから。お留守番よろしくな」

 

 そうさらりと言って、隼人は小鳩を肩車して玄関へ向かう。

 普通、こんな時は自分も連れってくれればいいのに。こんなにも落ち込んでいるのに、父親の対応はそっけない。

 ただそう励ましたつもりで、消毒をして父親らしいことをしたつもりで、最終的にはまったく傷すら負っていない小鳩のところへ向かってしまった。

 

「助けてくれる友達……そんなの……いないよ」

 

 そんな事情も知らず、隼人と小鳩は買い物へ行ってしまった。

 

 その後、小鷹は先生にも相談したが、先生はそれなりに注意をするだけ。

 当然、注意されたことで気を良くしないいじめっ子達のいじめはエスカレートした。要は、ただ悪化しただけ。

 そして、いじめを助けてくれる友達もいない。言ってしまうならば、学校のほぼ全員が小鷹の敵になっていた。

 さらに、他の子供たちの親まで、羽瀬川小鷹とは近づかないようにと我が子たちに言っているらしい。

 全てこの髪の毛が原因だ。それを聞いた子供たちは自分たちの解釈で、羽瀬川小鷹がすごい悪い奴と思いこんだ。

 小鷹がいるだけで場の空気が悪くなる。それは黴菌と同じ扱いだった。

 

 いじめられる日々、そしてそれを父に相談すると。

 

「そんないじめなんていつまでも続くわけがない。てかそんなやつらとなんか話しなきゃいいんだ」

 

 と、それらしい助言しかしない。

 話ししなくてもいじめられる。関わらなくてもいじめられる。

 全ての現場を見ていないからこそ、陰口を叩かれている事すら知らず、父親はただ、父親らしく小鷹に接するだけ。

 その一方、小鳩は恵まれていた。

 

「ほら小鳩! 新しいおもちゃ買ってきたぞ~!!」

 

 最悪だった。

 落ち込む小鷹を励ますならまだしも、隼人はただ小鳩を喜ばせて満足している。

 次第に、小鷹は己の家庭からも居場所を失っていった。そして、その傷に隼人は……気づく気配すらない。

 

 そんな日々が続いたある日。

 

「お姉ちゃん遊んでー!」

 

 今日、隼人は夜出かけていた。

 家には妹と二人っきり。いつもなら父親が遊んでくれるのだが、今日はいない。

 なので、小鳩は小鷹に遊んでとすがる。ただ純粋な、無邪気な瞳で姉を見る。

 見られた姉が、どれだけ傷ついているかも知らないで。

 何も知らないで、何も知ろうとしないで。

 そんな妹の顔を見た時、小鷹は初めて……妹に憎悪を抱いた。

 

「……いやだ」

「えー、遊んでよー」

「今日はちょっとお姉ちゃん忙しいんだ」

「うー、遊んで遊んで遊んでー」

 

 しつこく縋る妹。

 小鷹の中の苛立ちは募るばかり。

 どんどん彼女の中にある、優しい姉という形は失われていく。そして……。

 

「うるさいなーーーーーーーーーーーー!!」

 

 小鷹はこの時初めて、小鳩に手を出した。

 思いっきりその頬にビンタする。そしてすぐさま、己がやったことに後悔が滲み出る。

 

「あ……」

「う……うえええええええええええええええん!!」

 

 泣きじゃくる小鳩。

 こんなにも、簡単に泣いてしまう小鳩。

 自分はこれ以上に辛い仕打ちを受けている。なのに泣かずに我慢している。

 なのにこの妹は、簡単に泣いて助かろうとしている。

 自分よりも明らかに恵まれているのに、これ以上何かを得ようとしている。

 我慢などしない、そんな小鳩に……小鷹の怒りはさらに上昇する。

 

「泣いたって、いいことなんてないよ!!」

 

 今度は蹴りが入る。

 初めてだった。妹をいたぶったのが初めてだった。

 最初は自分が悪いことをしていると、心を痛めていた。

 なのだが、次第に小鷹の気分が良くなっていく。そんな状況に恐怖を抱きながら、小鳩への暴力を止めない。

 

「いっつもいっつも、お父さんに構ってもらって!!」

「うええええええええええん!!」

「泣くんじゃない!! 泣くな!! 泣きたいのはこっちなんだよ!! 泣いても誰も助けてくれないんだよ!!」

「うえええええええええええええん!!」

「なんでお前ばっかり!! お前ばっかりこんなに幸せなんだよ!! ふざけるな!! お前なんか……お前なんか!!」

 

「お前なんか……いなければよかったんだよ!!」

 

 その翌日。

 

 用事から帰ってきた隼人はこの日、全ての事情を小鳩から聞いた。

 まず家に帰り、小鳩が隼人に泣きついた。

 そして家の散らかりよう、隼人は不審に思い、小鳩に話を聞いた。

 すると小鳩は、「お前なんていなければよかったと言われた」と、素直にそう答え、たくさん暴力されたと父親に話した。

 それを聞いた隼人は、小鷹に事実かと迫った。その父親の迫力にビビり、泣きながら事実と答える。

 

「小鷹ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 全てを聞いたその瞬間。隼人は小鷹を全力で殴りとばした。

 その勢いは並大抵のものではなく、小さい小鷹の身体は吹き飛ばされた。

 当然小鷹は大きく泣き叫ぶ。それは昨日の妹のように。

 しかし、助かった妹と違い、小鷹が助かることはない。

 全てを許してくれるはずの父親が今、小鷹を許さんと暴力に走っているからだ。

 

「小鳩になんて言ったかわかっているのか! おい!! お前小鳩に何をしたかわかっているのか!!」

 

 何度もそう叫ぶ。小鷹も泣き叫ぶ。

 何も答えない小鷹に、隼人は何度か体罰を加える。

 次第に小鷹は泣く体力を失うと、父親もこれにはやりすぎたと思ったようで。

 

「……しばらく反省してろ!!」

 

 そう言って、隼人は小鳩を連れてどこかへと行ってしまった。

 どうして、自分が苦しんでいる時は何もしてくれなかったのに。

 どうして小鳩には、そんなに優しいの。

 どうして自分だけ、こんな目に合うのか。

 

 誰も教えてくれない。誰も助けてくれない。

 誰も力を貸してくれない。誰も……わたしを見てくれない。

 

 次第に小鷹の眼の光が、濁っていった。

 

 その後日、小鷹は夜遅くまで家に帰らない日々が続いた。

 それで家に帰ると、父親に叱られる毎日が続いた。

 叱られるとわかっていても、小鷹は毎日遅くまで外をふらついていた。

 小鷹が入り浸っていたのは、家の近くにある小さな公園。

 学校が終わると、すぐそこへいき、気が済むまで一人で遊ぶ。

 その時間だけが、小鷹の心の癒しとなっていた。時よりそこにはいない誰かに話しかけるように、いない誰かがいるように、遊んでいた。

 

 なのだが、ある日から学校の子供たちがそれを邪魔するようになった。

 

「お前みたいな黴菌がこの公園にいちゃいけないんだよ!!」

 

 そうやって、数人の子供が彼女を公園から排除する。

 それが一週間ほど続いた。少女がようやく見つけた癒しの場所すら、奪われ始めていた。

 家庭から居場所を奪われ、学校から居場所を奪われ。

 どこへ行っても居場所がなくて、誰もわたしを見てくれなくて。

 

 徐々に、小鷹の精神が壊れ始める。

 公園でいじめられる日が続くごとに、彼女から狂気にも似た笑みが浮かびあがる。

 

「わたしは……どこにいたらいいの? わたしはわたしでいいの?」

 

 意味不明な言葉を並べる小鷹。

 この時、小鷹が公園でいじめられること二週間後の話だ。

 

「おい? 何言ってんだよ黴菌!!」

 

 そう言われ、少年たちに付きとばされる小鷹。

 

「わたしから居場所を奪うやつら……。許さない、許したくない。この場所を自分の物にしたい。わたしを、わたしを守れるのは……"ボク"しかいない」

 

 そう呟き、ふらふらになりながら、小鷹は公園のベンチがある方へ向かった。

 わたしを守れるのは……ボクしかいない。

 もう誰も助けてくれない。わたしを助けてくれるのは……ボクしかいない。

 

 ――わたしを守れる、ボクを作るんだ。

 

 壊れた少女は……突如公園のベンチを持ち上げようとした。

 

「おいおい黴菌! お前まさかそれ持ち上げるつもりじゃないだろうな?」

 

 大人でさえ一人で持つのが大変な公園のベンチ。

 それを、まだ小学生になりたての少女が、持てるはずがない。

 後ろで嘲笑い、罵り、滑稽に笑う少年たちの言葉は、もはや小鷹には届いていない。

 今の小鷹は、このベンチを持てると信じ込んでいる。

 じゃないとわたしを守ることができない、守るためには……全てを超越するしかない。

 

「ううううううう!!」

 

 この時、少女の瞳にかすかにあった光が、ほぼ闇に飲まれ始めていた。

 必死の思いでベンチを持ち上げようとする小鷹、一生懸命に、今までの自分を捨て去るように。

 そして……。

 

「うわああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 

 ガコン!!

 

 この時、少女はベンチを持ちあげた。

 この光景を見て、少年たちが驚愕の表情を小鷹に向ける。

 

「……え?」

 

 唖然と口を開けて立ちすくむ少年たち。

 そんな彼らに向けて、少女はベンチを投げ飛ばした。

 

「うらああああああああああああああああ!!」

 

 そのベンチは、少年たちに当たる寸前のところで勢いを失い、地面に落下する。

 もし当たっていたら、まだ小さな身体の少年たちの身が、大変なことになっていただろう。

 

「お、おいあの黴菌。公園のベンチを投げたぞ?」

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 その次の瞬間。

 小鷹は今までにないくらい、凶悪な表情で少年たちを睨みつけた。

 この時、小鷹の瞳は完全な黒に染まっていた。

 もう、少女に光などない。その瞳に染まる世界は……憎しみしかない。

 瞳に映る嫌な世界を、自分がぶっ壊す。自分を守れるのは自分しかいない

 

「うふふ……あはは……」

「お、おいリョウくん……」

「び、ビビんなよ。あんなの最初だけだよ!!」

 

 そう言って、リョウと呼ばれた一人の少年が彼女の方へ走りだす。

 思いっきりとび蹴りをくらわせてやると、少年は小鷹に牙をむく。

 だが、この時の小鷹は……今までの小鷹を遥かの凌駕していた。

 

 彼女はもう、戻れないところまで来ていた。

 

「……」

 

 すっ……と、小鷹はとび蹴りをかわす。

 そう、彼女にはすでに恐怖がない。人は恐怖を感じる時、身体が言うことを聞かなくなるものだ。

 だが、少女にはそれがない。全てがただ腐っていて、全てが敵という彼女の考えにその二文字がない。

 結果、彼女は全てに対し冷静に対処できる。故に少年の迫るとび蹴りを回避できた。

 そして、小鷹は少年の足を掴んだ。

 

「い、いてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 

 その掴む力は、小さな少女の物とは思えないほどのものだった。

 ものすごい握力で少年の足を両手でつかむ、そして今度は……少年を振りまわして投げ飛ばした。

 

「いってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 

 思いっきり地面に投げ飛ばされた少年。

 なんとか仲間たちの力を借り、立ちあがる。

 そしてすぐさま痛みを感じ、大きく泣きじゃくる。

 

「う……うえええええええええええええん! お母さーーーーーーん!!」

 

 少年はお母さんと、助けを呼ぶように叫ぶ。

 小鷹からすれば、助けてくれる母親などいない。

 死んだ母親、家にいるのは腐った父親、自分よりはるかに恵まれた妹。

 泣き叫ぶ少年に、小鷹は苛立ちを覚える。

 同時に……今までいじめてきた少年を倒したことに高揚感を得る。

 それに加え、ここまでやってしまったことに対する後悔による悲しみ。

 その三つが混じり合った笑い声は、もはや優しい姉であった少女の面影を完全に消し去っていた。

 

「ぎゃーーーーーーーーーーーははははははははははは!」

 

 笑いながら、目から涙を流し、うれしいのか悲しいのか全てが分からなくなった少女。

 白いワンピースは砂ぼこりにまみれ、濁った金髪は砂がかぶりさらに闇を増す。

 黒混じった金色、そして光を失った瞳が睨む表情は圧巻そのもの。

 

 少女はやがて死神と呼ばれる。"金色の死神"と……。

 

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 それからというもの、小鷹はお気に入りの公園を占拠するようになった。

 自分に手を出してきたかつてのいじめっ子も、気がつけば彼女に逆らわなくなっていた。

 そして、小鷹が手にした謎の怪力。それは日を増してひどくなっていく。

 ある日、いじめられた小学生の兄である中学生が、仕返しにやってきた。

 小学生の少女に、中学三年生の男子が負けるはずなど、普通はあり得ないことである。

 なのだが、小鷹はその中学三年生の男子すら、投げ飛ばして泣かせて見せたのだ。

 こうなると、彼女に敵はいない。怖いものなどない。

 

 そんなある日、小鷹の家にはいじめられた子の親が多数押しかけてきた。

 小鷹が他の子供たちをいじめている。そんな事実が父親、隼人に伝わった。

 そんな小鷹に対し、隼人は事情を聞くことはなく。小鳩とは打って変って厳しくしつけた。

 なのだが、小鷹はこの先、隼人に殴られようが、蹴られようが、叱咤されようが、一切泣く事はなかった。

 そう、彼女にはもう"恐怖がない"。下手をすれば、父親すら……手に入った怪力で倒してしまいそうな勢いだった。

 だが、彼女の中にある良心はそれをしなかった。ただ無気力に睨みつけるだけ。

 毎日公園でいじめを繰り返し、毎日隼人に叱られる。

 それを繰り返し一ヶ月。小鷹は直るどころか、日々悪化を辿って行った。

 

 ある日、隼人は小鷹を叱るのをやめた。

 そう、異変に気付いたのだ。今までの事を思い出し、自分がやってきたことが間違っていたことを悟り始めた。

 だが、もう遅い。全てが"遅すぎた"。小鷹はとっくの昔にぶっ壊れており、直る兆しもないところまで来ていた。

 この先、彼女はどんどん歪んでいくだけ。堕ちていくだけ。生半可に救うことなど、できるはずもない。

 

 彼女を救う存在など、現れるはずがない。そう……思っていた。

 

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「あいつの怪力の正体は……ストレスだ」

 

 話は現代に戻る。

 ここまでの話を、夜空は隼人に聞かされた。

 夜空の手は震えていた。手だけではない、唇や全身の震えが止まらない。

 全ての事実を聞き終え、それはもう……怒りや悲しみではあらわしきれない程の、感情が湧きたつ。

 

「……ストレス……だと?」

 

 隼人のその質問に、わなわなと震えながら夜空は答える。

 彼の中ではもう限界が来ていた。小鷹のその過去が……あまりにも悲惨で残酷すぎたものだったから。

 もう数時間前までの、夜空が隼人に感じていた親近感や、好意的な感情など消え去っていた。

 あるのは、この父親に対する怒り、軽蔑、絶望。それらが混じり合い、夜空自身もわからなくなっていた。

 

「ふざけんな、ふざけんじゃねぇよ。なんだよそれ……そんなもん、小鷹があぁなるのは当たり前のことだろうが……」

「そうだ。全てあいつの苦しみに気づくことのなかった俺が原因だ。俺が悪い」

「俺が悪い? そう言ったら解決すんのか? 許す許さないの話じゃねぇだろ。そんな話じゃ……あぁ……」

 

 小鷹が受けたその苦しみが夜空に直に伝わり、次第に目から雫がこぼれ落ちる。

 こんな話を聞かされて、可哀そうで済ませる奴がいるのなら、もうそれは人間じゃないとすら思い始めている。

 

「……じゃあ、今でもあいつの中には……それらの苦しみが残っているっていうのか?」

「あぁ。だが……その苦しみを手放す好機はいくつもあっただろう。だがそれでも、娘の中にはそれが残っている。恐らくお前さんが"自身の正体"を明かしたとしても、あれは消えることはないだろうな」

「……だろうな。だから俺も隠し続けてるわけだが」

 

 そう、夜空が自らの過去を小鷹に話さない理由。

 夜空はなんとなくそれらを察していた。そして考えていた。

 もう小鷹のコンプレックスは、小鷹と夜空の関係でさえ、割りこめない物になり果てていた。

 その理由を、夜空自身の考えでまとめられる。

 

「あいつは、自分の怪力を己の意思で"手放そうとしてない"。俺は……そう考えている」

 

 幾度か小鷹は、この怪力が無くなればと、言い続けてきた。

 最初のうちは、小鷹が自身の怪力を無くしたいと思っている。夜空でさえそう考え、力を貸していた。

 だがある日、夜空の考えが変わった。

 たくさん友達が出来ても、こんなに楽しい日常が生まれても、彼女の瞳に光は戻らない。

 それは、彼女自身がこの日常に満足している反面、突如起こりうる最悪の事態に備え力を保持しつつあるからだ。

 小鷹は、心の全てを夜空たちに許したわけじゃない。言い方を変えるならば、この日常が壊れることを誰よりも恐れている。

 恐れているからこそ、最悪全てが壊れた時に、自分を守るこの力がなければならないと、そう考えている。

 

「お前さんの考えている通りだろう。あの怪力は小鷹の受けたストレスが反映されて発揮されている。小鷹は未だに、強大なストレスをその身にため込んでいるんだ」

「……どうしてだよ、小鷹」

 

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「ったくこの弱虫!!」

「女みたいな顔しやがって!!」

「やめて! やめてよぉぉ!!」

 

 時は十年前のあの日。

 ある日、一人の少年がいじめられているのを小鷹が発見した。

 けれど、小鷹はそのいじめに対し何も感じない。

 ただこの時思ったのは、自分の公園で誰かが好き勝手やっている事。

 それが気に食わない、だから小鷹はいつものようにそのいじめっ子達を撃退する。

 

「……つまらない。つまらないよ」

 

 撃退した後、いつものようにそう呟く。

 壊れた彼女はこれに悩まされていた。

 自分を守らなきゃならない。だから誰かを排除し続けなきゃならない。

 そのためには誰かを傷つけなければならない。けど、傷つければ誰かが嫌な思いをする。

 それらが混じり合うと、彼女自身に多大な"ストレス"が加算される。

 そしてそのストレスがたまればたまるほど、彼女の怪力は悪化を辿る。

 

「……ねぇ、君」

 

 静けさが纏う彼女にかけられるその声。

 その声は、先ほどいじめられていた少年の声だった。

 それを聞いて、小鷹に生気が戻る。

 この静けさを埋めるために、この少年をいじめてやろう。

 そう思い、小鷹はその少年に牙をむけるのだが。

 

「あの、助けてくれてありがとう!!」

 

 この時少年は、小鷹に助けられたことを感謝した。

 小鷹自身は助けた覚えはない。ただ自分の渇きを癒すために、いじめっ子達を撃退したに過ぎない。

 少年の思いがけない言葉に、小鷹の足が止まる。

 

「た……助け……た?」

 

 小鷹は激しく動揺した。

 そんなありがとうだなんて言葉を、言われたことがなかったからだ。

 小鷹の中で一瞬、嬉しさが弾ける。しかし……これで気を許してはいけない。

 わたしを守れるのはボクしかいない。そう頭の中で念じ込み、少年を遠ざけるように怪力を発揮する。

 

「なにを、甘いこと言っているんだ!? ボクはな、お前という弱虫を自分の手でいじめてやろうとしてあいつらを退けたんだ!! あいつらが邪魔だっただけだ!!」

 

 こうでも言えば、きっと逃げ出す。

 こうでもすれば、自分に恐怖する。

 いつものように、いつも通りに、小鷹はそう少年を威嚇する。

 この少年も、他の少年と同じなんだ。そう思っていた。

 

「ごめんね。僕には君が悪い人には見えないんだ」

「……なんで?」

 

 こうまでしても、ここまで言っても少年は逃げ出さない。

 その少年、耳が隠れるくらいまで伸びた黒い髪、それを隠すように赤白の帽子を被っている。

 紫染みた真っ直ぐな瞳は、小鷹の光無い灰色の瞳すら射抜くほど輝かしい。

 一見すると女の子にも見える弱弱しい黒髪の少年。だが、その中にある優しさが、強さを物語る。

 優しく少年は小鷹にそう声をかけた後、思い切って彼女にこうお願いをする。

 

「僕と、友達になってくれないかな!!」

 

 その願いに、その想いに、小鷹はただ立ちすくむ。

 この言葉を、壊れた彼女は待ち続けていたのだろうか。

 この少年に出会うために、これまでの日々があったのだろうか。

 嬉しかった。嘘のないその言葉が、小鷹の心を動かした。

 

「ひっくぅ……うえええええええええええええええん!!」

 

 この時小鷹が流した涙は、苦しみの涙じゃない。

 痛みじゃない、喜びだ。歓喜に満ちた感情が抑えきれずに、わんわんと泣きだしたのだ。

 それは小鷹が恐怖を失った日からずっとため込んでいた涙だ。それを、この時一気に放出した。そんな気がした。

 この時、小鷹の瞳には一瞬だけ、光が戻った。

 

 ようやく現れた。

 

 君を待っていた。

 

 わたしは君を待っていた。

 

 君に出会うことを望んでいた。

 

 小鷹は、その少年を"ソラ"と呼ぶようになった。

 同時に、少年も小鷹を"タカ"と呼ぶようになった。

 

 ソラとタカ、この二人はその日から、唯一無二の親友となった。

 

 この日から、小鷹は少しずつ笑うようになった。

 相変わらず瞳の光は戻らない、怪力が直ることはないけれど。

 それでも、そんな彼女を映す世界が、今までとは格段に美しく綺麗な物になっていた。

 

「小鷹……その」

 

 ソラと親友になってから数日後に、隼人が初めて小鷹の苦しみに触れた。

 

「ごめんな、ずっと言いたかったんだ。その……今度なんかやられたら、父さんが守ってやる」

 

 本来ならば遅すぎる一言だった。

 もう父親には彼女を救うことなんてできない、けど、小鷹はそう考えることはない。

 むしろ、こんな自分をいまさらながら心配してくれる父親を、小鷹は心配させまいとこう言ってみせたのだ。

 

「お父さん、わたしね……友達ができたんだよ」

 

 それを聞いた時、隼人は嬉しさと申し訳なさに、号泣した。

 大きな手で目を押さえ、全てを後悔するように、そんな自分をも救ってくれることに対し、ただ泣いた。

 本来ならば殺されても文句も言えないのに、そこまで憎悪を抱いているであろう娘の優しさに涙した。

 

「そうか……よかったな。よかったな……」

 

 この日から後日、隼人は初めて小鷹の遊ぶ公園へ小鷹を迎えに来た。

 そこに映るのは、楽しく遊ぶ小鷹と、傍にいる一人の少年。

 この日、隼人はどうしても、その少年にひとこと言いたかったのだ。

 

「君が……ソラくんだな?」

「うん、そうですけど……」

 

「……ありがとな」

 

 そう言って、隼人は少年の頭に手を乗せた。

 その少年はこの時恥ずかしがっていた。本当なら、もっと色んな事をしてあげたかった。

 隼人はそう言うと、小鷹を連れて家まで帰った。

 この少年は、いつまでも小鷹の傍にいてくれる。父親として、その少年に淡い希望を抱いたのだ。

 

「失ったものは……少しずつ直していけばいいものな」

 

 そう呟いて、羽瀬川家に平和は戻った。

 

 ……だが。

 

「……小鷹、その……お前に謝らなければならないことがある」

「え? なに父さん」

 

 隼人はこの時、この残酷な事実をどう告げていいかわからなかった。

 悩んだ。苦しんだ。だが……言わねばならないことであった。

 

「……来週、この街を離れなくちゃならないことになった。だから……ソラとはお別れになる」

 

 この時、小鷹の精神は、以前にもまして闇の堕ちたのだという。

 さらに、小鷹のショックはさらなる悲劇を生んだ。

 小鷹はそのショックで家から出られなくなり、ソラに別れを告げることができなかったのだ。

 そのことに対して、小鷹の心はさらに傷つく。その上減っていったストレスが、急激にフィードバックされたのである。

 

 こうして小鷹はこの街を離れた。親友を置き去りにして。

 小鷹は飛行機の中で、ソラのことばかり考えていた。

 ソラとの日々、ソラとの時間。

 そして……ソラとの大切な約束を……。

 

『だから僕はタカのことを百人分大切にするよ。そしていつか僕は、君を守れるような強い男になる!』

 

 強い男になる。

 そして、もうタカが……誰も傷つけなくてもいいようにする。

 そう言ってくれた少年の約束を、胸に抱えた。

 

「う……ソラ……ソラ……うぅ……」

 

 その後、小鷹はその約束に従い、二度と死神を演じることはなかった。

 数々の所を転校し、色んな学校に行ったが、ソラのような友達を作ることはできない。

 そして何度かいじめの対象になった時だけ、その怪力を発揮して自己の強さをアピールして見せた。

 結果、小学生を卒業し、中学生になっても。友達はできないが辛い思いをすることはなかった小鷹。

 

 しかし……彼女の中のストレスは、どんどん溜まっていく一方だ。

 

 何度か、小鷹の中に破壊衝動が生まれた。

 嫌な気分になった時に、何かを破壊しないと、増え続けるストレスが消化されない。

 しかし、それをしてしまえば、ソラとの約束を破ることになる。

 だから、小鷹はそれらの衝動を……無理やり押さえる。

 その上で、彼の事を考えると裏切ったという罪悪感が生まれ、ストレスがさらに加速し増えていく。

 

 もう、何もかもが限界だった。

 ある時は夢にうなされた。

 ある時は言葉を発することができなくなった。失声症というやつだ。

 自身の中にあるストレスが、小鷹の精神や肉体を蝕んでいき。中学に入ると、小鷹は病むようになっていた。

 ある時は自殺すら考えたという。実際に自殺未遂があったほどである。

 妹の小鳩の必死の叫びが、彼女の自殺を食い止めた。泣き叫ぶ妹の声を聞いて、小鷹は理由なく涙を流した。

 

 残された怪力、失った瞳の光。

 親友との約束により抑えられる破壊衝動、その度に思い出す親友を裏切った罪悪感。

 ぐちゃぐちゃになった小鷹の精神。ソラと出会ったことで一度救われかけたことが、この時となっては逆効果となっていた。

 そうなることも小鷹は拒絶する。彼と出会ったことを後悔などしてたまるかと、自分に言い聞かすのだ。

 

「助けて……ソラ。ボクを……助けて」

 

 助けて……。

 

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 午前二時。

 

 小鷹と小鳩が寝静まった夜中。

 小鷹の寝る自室から、コンコンとノック音が聞こえる。

 

「う……うぅん。どうしたの?」

「……小鷹」

 

 部屋の前に立っていたのは、夜空だった。

 

「どうしたの皇帝、こんな夜中に……」

「……ちょっと、散歩しないか?」

 

 いったい何を言い出すのかと思ったら。

 今から少し外へ出ようと夜空は言いだした。

 これには、寝ぼけていた小鷹もきょとんとする。

 

「ふえぇ?」

「いいからよ、さっさと外出る準備しろ」

 

 夜空に言われ、しぶしぶ小鷹は薄いジャンパーを羽織る。

 リビングでは隼人がいびきをかいて寝ていた。そんな父親を起こさないよう、二人は外へ出る。

 

「急にどうしたの?」

「いいから、ついてこいよ」

 

 夜空に引っ張られ、彼の行くがままを付いて行く小鷹。

 家から少し歩いて数分、ついたのは公園だった。

 ここは、かつて小鷹がソラと出会った公園である。

 公園に付くなり、夜空は滑り台を登り上の方へ行く。

 小鷹は、滑り台の下の方で座っている。

 

「ほら、上を見てみろよ」

「上?」

 

 小鷹はそう言われ、星の光る夜の空を見上げた。

 この日の星は非常にきれいだった。普段はあまり気にしないが、小鷹は星が満ちる夜の空を見て見惚れた。

 

「……綺麗な夜空」

「だろ。俺の名前と同じだ」

「何言ってんだか……」

 

 その名のように、夜空は星の光る夜の空が好きだった。

 小さいころから天体観測が好きで、親に買ってもらった天体望遠鏡を、今でも大切にしているという。

 

「……でも、わざわざなんで、こんな夜中に」

「見たくなったからだよ」

 

 そっけなく、夜空はそう答えた。

 だが、その目には、小鷹に向ける様々な感情が入り混じる。

 小鷹の全てを聞いた。隼人から全てを聞いた彼は今……なにを思い、小鷹とこうして星を見ているのだろうか。

 

「……そっか、この公園でね。いいセンスだね」

「そうか」

「昔、この公園で、大切な親友と良く遊んでいたんだ」

「……」

 

 夜空は星空を見上げながら、小鷹のその話をただただ聞いていた。

 

「今でも全部覚えているんだ。大切な親友。ボクの一番好きだった親友……」

「…………」

「もしも、ボクがこの街を離れなかったら。今でも一緒に遊んでいたかもしれない。皇帝にも紹介したいな……」

「……小鷹」

 

 ここまで聞いて、夜空は滑り台を降りる。

 そして小鷹の所へ行き、彼女に寄り添った。

 

「え? 皇帝?」

「……今度は、みんなで見に来ような」

「え?」

「この星を。この公園で……肉や理科や幸村達とさ。みんなで……」

 

 そう言って、夜空は小鷹の手をそっと握った。

 この手の温もりを、小鷹も心地よく感じて、夜空に寄り添った。

 

「……そっか。楽しみにしてるよ」

「あぁ。絶対に……」

 

 こうして何分か、二人は星空の下で星を眺めていた。

 そして気がつけば、小鷹はこっくりと寝てしまった。

 そんな彼女の寝顔を傍で、夜空は眺めていた。

 眺め、そして彼女にの額に自分の額を合わせる。

 小鷹の間近で、少年はこう声をかける。

 

「……小鷹、俺がずっと傍にいる。俺がお前を百人分大切にする。もう……お前が誰も傷つけなくてもいいようにする。だから……」

 

 少年は泣きながら、その過去を思い出して、何度も小鷹に語りかける。

 かつて、少女にした約束を、何度も何度も口にして。

 

「小鷹、俺がお前を守る。お前を守れるように……強くなる」

 

 だって、俺はお前の事が……。




性別が変わっても、世界が変わっても、三日月夜空が羽瀬川小鷹を思う心は変わらないのだと思います。そんな想いを乗せてこの話を書きました。

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