はがない性転換-僕は友達が少ないアナザーワールド- 作:トッシー00
「それで夜空くん。その……"頼みたいこと"とは?」
三日月家にて。
この日、遊佐葵は夜空にメールで呼び出された。
その内容は、「どうしても頼みたいことがある。お前じゃないとだめだ」というもの。
葵から見た夜空の印象は、どちらかといえば他人に物事を頼むというよりは、頼まれてもいないのに他人の物事を解決することの方が多かった。
その夜空が葵に頼みごとをする。これは中学時代に一緒に過ごした彼女からしても初めてのこと。異例の事態と大げさに言ってもいいくらいのことであった。
いったい何をしたのだろうか。まさか聖クロニカ学園で傷害事件を起こしたか、もしくはそれ以上の、例えば性的な事件を起こしてしまったとでも言うのだろうか。厄介事を起こして逃げ場を失い、自分に助けを求めてきたのだろうか。
夜空の頼み事というあまりの珍しさに葵は、そんなことを思ってしまうほど。
「葵……よく来てくれた。お前を信じて良かった」
「そ、そんな夜空くん。まさかとは思いますけど……何か学校で厄介事でも?」
意気消沈の夜空。
この事態に加え夜空のこの状態、絶対にただ事ではないはずだ。
恐る恐る葵はそう尋ねた。お願いだからそんなことはあってほしくないと、最後の最後まで願った上での質問であった。
「いや、それはない……」
そしてその質問に対して、夜空は首を横に振る。どうやら事件を起こしたわけではないらしい。
「よ、よかった……。じゃあ、何があったんですか?」
安堵した葵は、改めて夜空に質問。
夜空はというと、まだ気持ちの整理が出来ていないらしい。
本当に何があったのだろうか。今の夜空に対して、葵はそれを無理やり聞きだしてもいい物なのかと悩む。
「な、なんなら無理に言わなくてもいいです。それならそうですね、その頼みごととはいったいなんですか?」
「……いや、やっぱりいい。お前のことだ、間違いなく抵抗する。俺は友達には迷惑をかけたくない」
どうやら頼みごとに対しても躊躇をしているようだ。
葵が抵抗する。頼みごとに関してはそうとうやばいものなのだろうかと彼女は頭を抱えた。
だが、ここで素直に引き下がれば、彼の友達としての質が下がる。
彼女の義理堅さと真面目さはその程度ではない。褒められるためだけに勉学に打ち込んでなどいないし、偉くなりたいから生徒会に入ったわけでもない。
誰かの役に立つため、誰かの笑顔を見たいためだ。葵はそれを思い出し、先ほどより強い口調で言った。
「よ、夜空くん! そんな、迷惑だなんて言わないでください!! 自分は幾度も夜空くんに助けてもらいました。初めて会った時、そして日向さんがいなくなって生徒会長業務に自信を無くなった時。様々な場面で君に助けてもらったのを覚えています!!」
「葵……」
「夜空くん。今度は自分が君を助ける番です。自分も君を助けられるなら……これほどに嬉しいことはありません」
その真っ直ぐな瞳。嘘偽りのない絆が示す一言。
それを聞いて、夜空は一つ深呼吸をした。そして覚悟を決め、
「わかった。その、お願いが一つあるんだ」
「なんですか? 自分にできることなら……いや、少し困難なことだったとしても、自分は夜空くんのために頑張ります」
「……胸を、揉ませてください」
……。
………。
………………。
夜空の底からのお願いが口から放たれた瞬間、先ほどまでの熱い場面が、一瞬にして凍結したのがわかった。
このお願いに関しては、十ないし百くらいの事柄を想定していた葵でさえ、頭にクエスチョンマークを大量に浮かべ固まっていた。
肝心の夜空はというと、この場面にも関わらず、真剣な眼差しを解いてはいない。
「…………」
「……あ、だからその……お前の胸を揉ませてほしいん……だけど」
なぜに二度も言っただろうか。葵が聞き取れなかったとでも勘違いしたのだろうか。
そしてさらに数秒後、葵はゆっくりと笑みを浮かべた。
これは「いいですよ、揉ませてあげますよ」の笑みではなく、「君、頭大丈夫ですか?」の笑みである。
「……お邪魔しました~☆」
「おいぃぃぃぃぃぃぃ! 待ってくれAoiChang!!」
夜空を見捨てて帰ろうとする葵を必死で止める夜空。
もう底が見えた。こんなくだらないことで呼ばれて真剣ムードやらされて、こんなオチではやってられないと葵は笑顔で怒り心頭。
しかし玄関に付いたら夜空に持ち上げられ部屋へと送還。このやりとりを三回ほどした後、葵は夜空から事情を聞くことに。
「……んで、どうしてそんなお願いを自分にするんです?」
「実はこれには海より深い理由があってな」
「胸を揉むことに深い意味があるんですかそーですか」
「いやそんな、怒らず聞いてくれ」
すっかり葵が主導権を握った状態になり、話の続きが始まる。
そう、それは全てあの日の出来事が原因だった。
三日前ほど、夜空が星奈にランチに誘われたあの日。
当初はただ単に、一緒にご飯を食べて仲直りなのか。そう思っていた。
だが実際は全て星奈の策略であり、上手い流れに乗っかり夜空の右手が星奈の巨肉――もとい巨乳にタッチ。
少しだけ触った状態で振り払えば良かった。だが思いのほかそれはあたっていたため、その感触が夜空に直接伝わったため夜空はそこで戸惑ってしまった。
この距離なら揉める。なんてバカなことを頭が支配し、初めてアダルトビデオの巨乳のお姉ちゃんを見た時に抱いた夢を思い出してしまった。
『うわ~。こんな胸一度でいいから揉んでみてぇ~!!』
人は夢がかなうその瞬間、躊躇や戸惑いを忘れる。例えどれほど滑稽で愚かな瞬間であってもだ。
当時小学六年生の夜空には巨乳の姉ちゃんは絶大なる衝撃だった。子供の時の衝撃とは大人になっても受け継がれていくもの。
すべすべした手を初めて見た時に感じた衝撃が"手フェチ"となり、綺麗なラインの首筋を初めて見た時に感じた衝撃が"うなじフェチ"になるように。
過去に夜空が感じた衝撃を、星奈が上手いことそこに漬け込んだのである(あくまで偶然ではあるが)。
「必死に抵抗したさ。だけどあの時は揉む以外しか選択がなかった。だから俺は"折れた"。あのクソ腹立つ女の胸を……あのでかい肉を"揉んじまった"!!」
「あのすいません。危機迫るように言われてますが内容があまりにもバカらしくてどういう顔をすればいいかわからないんですけど」
「笑えばいいと思うよ」
「笑えるか!!」
これには葵の心も冷え切っていた。そのあまりのくだらなさ、そして最低な男の下心。
終始葵はジト目で夜空を見つめていた。笑うこともできず、かといって怒るのも馬鹿らしかった。
「お……恐ろしい、なにが恐ろしいかって葵。柏崎に負けたはずなのに悔しくないんだ、快感に変わっているんだぜ!!」
「知りませんよそんなの」
「もうだめだ葵。このままじゃ俺、あいつの胸の感触で今夜オ○ニーしそうだ……」
「やったら絶交しますからね。てかそんな話自分にしないでください」
女子相手にするような話を連発する夜空に、葵は呆れることすらやめ、考えるのをやめた。
とりあえず夜空が星奈ともめごとを起こし、それで一杯食わされた。そのことに関しては理解できた。
だが問題はこれからだ。どうして夜空が葵の胸を揉まなければならないのか。
どうしてそのことと自分の胸が関係あるのか。それがまだ残っている。
「それで、そのことと自分の胸がどう関係あるんですか? 自分の胸はその、星奈さんに比べると貧相というか……って言わせんなや恥ずかしい!!」
「それにはちゃんとした理由がある。俺は今……お前の胸を揉まなければならない」
「未然形の上に否定の助動詞をつけないでください。揉むことが前提になりますから」
もうすっかり葵の胸を揉む気でいる夜空。
当然葵としてはそんなことなどさせたくはない、させるつもりはない。
一応理由は聞いておこうと、葵は話を続ける。
「とにかく俺の手にはあいつの胸の感触が残ってる。このままじゃあいつを見るたびにこの感触がうずき学園にいるのもいたたまれなくない。だからあいつとは真逆の、言ってしまえば"無い胸"を揉んで打ち消す必要がある」
「ごめんなさい。一回マジでぶん殴っていいですか?」
「あれだよ、高級ステーキを一度食ったらその味を忘れられなくてそれ以降それしか食えなくなるみたいな。だから一度安くてうまくないお肉を食べて庶民感覚を思い出しておこう的な。そんな感じだ」
「どんな感じだよ!!」
夜空的には失礼のないようにうまく説明したつもりかもしれないが、それでは返って失礼な意味に聞こえてしまう。
葵は自分の背の小ささと胸の小ささにはコンプレックスを抱いている。普段からそこをバカにしてくる夜空がそれを言うのだから、葵の中は怒りと恥ずかしさでいっぱいになった。
やはり見捨てて帰るべきか。しかしくだらないこととはいえ、夜空は結構真剣に悩んでいる。
悩んでいるのなら解決をしてあげたい。それがどんなくだらないことでも、だが自分がやるべき行為によって受ける代償がでかすぎる。そこが問題だった。
「あのね夜空くん。女の子が他人に自分の胸を揉ませるってどれだけの覚悟を要するかわかっていますか?」
「わかっている。お前のその未成熟なひんぬーでも立派な女の武器だもんな。貧乳派にとっては殺人兵器だよまったく」
「よ~し次に何か言ったら殺すぞ」
「とにかくお前じゃなきゃだめなんだ葵! 頼む!! 胸を揉ませてくれたら俺、なんでもするから!!」
それ普通は女の子が言うセリフなんじゃないのかな、と葵は真剣に迫る夜空を見てそう思う。
しかしここまで頼み込まれると、葵自身も女としての本能が疼くところであった。
男が自分の胸を、自分なんかの胸を揉みたいと懇願しているのだ。それは自分の女性としての質が少なからず評価されているということだろう。
それに、この一件を済ませれば、夜空に対して大きな貸しを一つ作れる。
良く考えれば、胸を揉ませるだけでそれ相応の、下手をすればそれ以上の恩恵を受けられるのだった。
「……なんでもする……ですか?」
「あぁ! ファミレスの超特大パフェだっておごってやる! お前が困ってる時はお前の学校まで走って助けに行ってやる!」
「……そうですか」
葵、それを聞いて本気で悩む。
アホすぎる急な展開に葵の頭までどうにかしてしまったのだろうか。
「……"彼氏"になってくれって言ったら……なってくれるかな」
葵、ぼそりとそう呟く。
「あ? なんか決まったのか? なんでも言え!!」
「いいいいいいやいやまだ決まってません!! まだ考え中です!!」
葵は赤面し、先ほど口から出てしまったことを必死にもみ消す。
もう一度考える。そして正面にいる夜空の顔を見る。
本当にいつ見てもかっこよくて、人としてもよく出来ていて。
そう思うと、また葵の顔が赤くなった。
内から出る願望を押し殺した後、やけくそになって夜空の部屋のベッドに仰向けでダイブした。
「お、お礼の件は後日でいいです! その……もうどうにでもしろです!!」
ドサッと、葵は大の字で受けの状態を作る。
男の部屋でこの状況、本来なら何かしらイベントが起こるところである。
「そ、そうか。したら……すまねぇ」
夜空はそう言うと、躊躇なく葵の胸を触り始めた。
途中、何かしら甘ったるいうめき声が聞こえてきた。夜空は葵の顔を見ないように目を反らしている。
今葵はどんな顔をしているだろうか。男として夜空は気になったが、それを見ると場面は次の段階に移行してしまいそうだった。
その猛りを抑えながら。少しずつ、夜空は頭の中にいる星奈を消し去っていく。あの大きな肉の感触を、減らしていく。
そして一分くらい。ずいぶん長い時間胸を揉んでいた。夜空は葵の胸から手を話した。
「お……おぉぉぉおっほ! や、やったぞ!! あの感覚がねぇ!! やったぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「そ、それはよかったですね」
夜空は喜びに満ちていた。
心の底から歓喜した。憎むべき女の胸の感触が消えた。これでもうやきもきする必要がない。
追求すると、それだけ葵の胸の魅力がないことになるのだが。そう考えると悲しくなるので葵は考えなかった。
ちなみに、女の子が大の字で男子を迎えたという状況で、夜空は本当に葵の胸を揉むだけで終わらせた。
それだけ夜空にとって自分は眼中にないのだろうか。葵は泣きそうになったが必死にこらえた。
「ありがとう葵。お前がいてくれてよかった……」
「そそそそんな真顔でそんなこと言わないでください! あ、あーーー! さっきの約束忘れないでくださいよ!! 本当になんでもしてもらいますからね!!」
「わあったわあった。決まったらいつでもメールよこせ」
そう言うと、これから何かを話するわけでもなく、あっさりと葵は返されてしまった。
帰りの道中、葵は先ほどの体験を思い出し顔を何度か赤くする。
そして、数回の後悔を口にするのだった。
「……ひょっとして、"最大のチャンス"……だったのかな」
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週明け。
あのランチがあった日以降、学校の郊外新聞には大きく、『皇帝、女王柏崎に敗れる!』と張り出されてしまった。
その結果を受け数多くの女子からは励ましの言葉と同時に、失意の発言が乱れた。
皇帝親衛隊のみなさまも何人かいなくなってしまったが、夜空は特に気にすることはなかった。
彼からすれば群がる女子たちというのは、集団を作っている柏崎に対抗するため自分を種にしただけにすぎない連中。
自分にヘコヘコする連中の考えている事などすぐにわかった。だから返っていなくなってくれる方がせいせいしたくらいだった。
あれから数日、星奈とはあまり関わっていない。
すれ違うことがあっても、夜空の方が一方的に無視し続けた。最初は嫌味ったらしく迫ってきた星奈であったが、夜空が反応しないことに飽きて、気がついたらまったく話しかけてこなくなっていた。
夜空は星奈に関わることをやめた。だがそれでも彼女の学園統制は収まっておらず、たまに女子から相談が持ちかけられる。
「皇帝、また柏崎が……」
「柏崎、先週よりもまた男子の数増やしてますよ」
といった報告が多々あったが、夜空から言ってあげられることも、してあげられることもなかった。
「やめときなよ。この男は何一つしてくれないって」
「所詮顔だけの草食系男子だって。何が皇帝よ。慕ってた自分も馬鹿みたい」
と、彼を批判する女子の声も日に日に多くなっていった。
しかし夜空は気にしない。例え自分を慕う奴らがいなくなろうが関係ない。
そいつらは心の底から自分の傍にいるわけじゃない。自分を散々利用するだけして、捨てただけにすぎない。
むしろ、そんなやつらに対して感情を抱いてあげる方が、夜空にとっては無駄なことこの上なかった。
「皇帝は頼りにならないし、うちらだけで柏崎ぶっ潰さない?」
「所詮あの女の取り巻きって口だけの男子ばかりだし、うちの彼氏ここのボクシング部の部長なんだよね。だからさ……」
「下僕にしている男子どもに見捨てられてやられる。それ最高じゃん」
ある日から、そんな話を耳にするようになった。
それでも星奈は止まらない。当然それに触発された女子たちの恨みも増えていく。
そして、彼女と対立する女子たちのうっぷんが限界に達したある日の昼休み。
「皇帝! 大変です!!」
大声で夜空の名前を呼ぶ女子、それはアキコだった。
四時間目から机で突っ伏して寝ていた夜空は、その声で起こされ不機嫌気味に答える。
「んだようるせぇな。寝てたのによ……」
「その、私の友達が他の女子たちと結託して……柏崎さんを……」
「……なに?」
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三階の女子トイレにて。
「だからさ、いい加減その大きな口閉じろってこの豚!!」
とうとう恐れていたことが起こってしまった。
星奈を良く思わない女子たち、総勢約三十名ほど。
それらが対柏崎の同盟を組み、復讐が始まったのだった。
当然それを良く思わない下僕男子達が反論したが、そこには女子たちの味方をしているボクシング部の部員が数名。
逆らう男子どもを数人殴りとばして黙らせると、それを恐怖した男子達はただただ、崇拝する星奈が女子たちに蹂躙される様を眺めることしかできなかった。
バケツに水をため、容赦なくぶっかけたりする女子たち。だが、星奈は屈服することはなく。
「あ、あたしにこんなことして……ただで済むと思わないことね!」
と強がっている。
星奈の身体能力なら女子一人二人は余裕で相手取れる。しかし相手は数十を超えている。無双ゲーではない限りこの状況は打破できない。
それだけ彼女は敵を作ったということだ。これを自業自得と言わずしてなんと言えばいいのか。
「まだ言ってる。いい? あんたの味方なんてこの学校には一人もいないの! あんたはただ父親の地位を振りまわして偉そうにしてるだけの雑魚よ!!」
「そうよ。理事長の娘だからって偉そうに、なによペガサスですって、そんな名前の理事長の学校だもんね、こんな腐り学園」
「っっっ!!」
己の父親の侮辱を聞いた星奈は、侮辱した女子の一人を思いっきり吹っ飛ばす。
しかしその後三人、四人の生徒に足や腹を蹴られ、またもトイレの地面にもがき倒れる。
「だからさ……調子にのんなこの女!!」
さきほどよりエスカレートする暴力。
下僕の男子約五十名は、この状態を見たり聞いたりするだけで助けようとしない。
集団でかかればボクシング部の部員数名なら勝てるかもしれない。だが、その可能性すら持たない。
「お、おいこれなんとかしないと……」
「星奈様を救わないと、でも……」
「ぼ、僕はいやだぞ!! あんな怖い奴らにぶん殴られるの!!」
愚か、そうとしかかける言葉のない弱者の集まり。
先生か誰か来てくれれば解決なのだが、それすら女子の仲間が阻止している。
殴られ、蹴られ。だが屈服しない星奈。このままでは取り返しのつかない事態になりかねない。
「どう……ごめんなさいは?」
「誰が……言うもんですか……弱者の……分際で……」
「……あぁん!!」
それに本気で腹立った女子の蹴りが、星奈の頭に本気で直撃する。
当たりどころが悪く流血。だが星奈は折れることがない。
次第に、星奈に対立する女子の中の数名が、この状況に怯え後悔し始める。
「ね、ねぇ。もうこのくらいにしておかない?」
「う、うちらマジで学校にいられなくなるって……」
「うっさい!! この女がドヤ顔で居座ってる学校にいるくらいなら、こいつ病院送りにしてやめてやるわ!!」
もう止まれないと、般若のような顔をして女子が叫ぶ。
その女子がもう一撃、星奈の顔に蹴りを入れようとした時だった。
ガシッ!
「なに!?」
「は~いそこまで~」
誰かが女子の肩を掴み阻止した。
女子が振り向くと、そこにいたのは……静寂な怒りを露わにした皇帝――三日月夜空だった。
「てめえら……なにやってんの?」
「こ……皇帝」
ここが女子トイレなのにもかかわらず、というかそれ以前に、ボクシング部の連中がいるのにも関わらず物ともせずにこの場に入ってきた。
唖然とする周りの人たち、これには星奈自身も、状況を良く理解できずにいた。
「あ……あん……た。なにしに……きたの?」
星奈が満身創痍で、そう尋ねると……。
「……バーカ」
「なっ!?」
「だから言っただろうが。「そろそろここらで終わらせておかねぇと後に痛い目見ることになるぞ」ってな」
「あ……あんたには……関係ない」
「うるせえおめぇは黙ってろ。……いい加減終わりにする」
そう言い終わると、夜空は彼女をいじめていた女子たちを睨みつけた。
「あ、あんたも調子に飲んじゃねぇよ。皇帝皇帝って持て囃してたのあたしらだけどさぁ~」
「うっせぇ。てめぇなにその顔……強張って見るに堪えねえぞ」
「……ねぇ、こいつやっちゃってよ!!」
女子がそう言うと、呼ばれたボクシング部の連中がトイレに乗り込んでくる。
全部で五人。それを見た夜空は、一つため息をした。
そして星奈の下僕達にこう忠告する。
「おいお前ら、怪我したくなかったらこっから離れろ。あぁあと先生何人か呼んで来い」
そう言うと、下僕達は夜空の言葉に従うように散らばった。
「さてと。お前っちが噂の皇帝ね。俺ここのボクシング部の部長。素人の喧嘩とは違うってとこ見せちゃるけんね」
「あっそ、なんでもいいからかかってこいよ」
「後悔すんなよ……!!」
と、部長はキレのあるストレートを夜空に放つ。
が、夜空はそれをほんの数センチギリギリによけ、渾身の蹴りで部長の※※※を潰した。
「ぐほっ!!」
「なっ、よくも部長を!!」
「殺す!!」
「あっはっは……かかってこいよオラーーーーーーーーーーーー!!」
それはというもの、見事すぎて言葉にできなかった。
相手は相当のてだれ、五人もいるというのに夜空は一人獅子奮迅。
相手のパンチやキックはなるべくかわす。かわせないなら受け流す。
そして自らの喧嘩流はとにかく、一撃で相手を潰すことが重要となる。
顔面を最初に狙えば回避されて隙だらけになる。だから足の脛か、みぞおちを狙う。
そして怯ませてから顔面を殴るかひざ蹴りで潰し、その他トイレのドアの取っ手に捕まりながらとび蹴りでトイレの外に吹きとばす。
喧嘩場所が広くなった所でさらに動きやすくなった夜空は、残り三人の連中をまとめて相手取る。
一人蹴り飛ばしたところで一人に後ろを取られ捕まる。そして最後の一人が彼の顔面を殴ろうとした際、夜空は頭を掲げた。
するとそのパンチは捕まえていた後ろの奴にヒットし、力が緩まったところでそいつのみぞおちを肘で思いっきり狙い悶絶させる。
残り二人。うちパンチを外したやつの攻撃を回避し、さきほど蹴り飛ばした奴の方へ向かう。
そのままそいつの顔面を踏みつぶした後、最後の一人が後ろから騙し打ちをしかける。
さすがにここまでノンストップで動き続けただけあってか、その一撃をまともに食らう夜空。
「がっ!!」
その衝撃にふらつく夜空。
それを好機と見た最後の一人は駄目押しにもう一発仕掛ける。
が、すんでのところで夜空は意識を取り戻し、かわしきれないのでわざとくらうことに。
そこで夜空は、使わない左手を囮にした。左肩に激痛が走るが夜空は必死に堪える。
左腕がなくとも、彼には両足と右腕が残っている。これだけあれば充分すぎるくらいだった。
「左くらいくれてやるよ!!」
そう叫び、夜空は最後の一人の顔面を思いっきりぶん殴る。
相手側は殴った時の態勢を戻すことができない。そこが勝敗の分け目となった。
結果、夜空は五人のボクシング部を撃破。
後頭部と左肩に激痛が残るものの、悠々とトイレに戻る夜空。
「そ……そんな……」
「弱い者いじめはやめろ。このバカ」
そう女子に吐き捨てると、女子は涙をぼろぼろ浮かべ醜くも謝りだした。
「ごめんなさい……もう……しません」
「ったくよ、あ~こりゃやっちまったな」
よくよく思えば、恩も何もない、どちらかというと忌むべき相手である星奈のために、ここまでできてしまったものだ。
こりゃ間違いなくバレれば退学、運が良くても停学だろうか。
この女子共も何人か罰を受けることになるのだろう。それは免れることのない現実だった。
「さてと、おい……立てよ柏崎」
「…………」
「どうした? まさか血流してまで意地を張るつもりk」
パシンッ!!
手を差し伸べる夜空。その夜空に対して、星奈はなんと平手打ちをしたのだった。
このまさかの行動には、夜空ないし他の人たちまで言葉を失った。
「なっ……!」
「……じゃない」
「な、なにすんだてm」
そして、助けてくれたはずの夜空に対して、星奈は涙目になり大声で叫んだ。
「あたしは……『弱いもの』じゃない!!」
そう、彼女は先ほどの夜空の発言に怒ったのだった。
自分を憎む女子たちに浴びせられたどんな暴力よりも――夜空が何気なく言ったその言葉こそが、星奈にとっては最も痛く、苦しいものだったのである。
夜空はその叫びを聞くと、不敵に笑って星奈に背を向けた。
「……はん! 上等だこのバカ。そんだけ言えれば充分」
「ま、待ちなさいよ!!」
「じゃあな柏崎、理事長によろしく言っておいてくれ……」
「ま、待って!!」
そう夜空は"最後の言葉"を告げ、怪我をした体で途中下校した。
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その後、夜空は停学を言い渡された。
その他星奈に暴力をふるった女子数名とボクシング部の五人も同様の処置を与えられた。
なお、星奈は必死に父親に懇願した。夜空の停学だけは無しにしてくれと。
しかしそれは理事長、柏崎天馬なりの彼に対する配慮であった。
彼はきっと、"情け"によって停学を取り消されでもしたら、それこそ嫌な顔をするだろう……と。
「娘が迷惑をかけた。本当にすまない……」
「いや、そんな謝らなくてもいいですって」
数日後、停学により我が家にいる夜空の元に、天馬が詫びの挨拶をしに行った。
ボロいアパートの一室の目の前で、深々と土下座をする天馬。
夜空からすれば本当に申し訳なく、頭を上げるようにお願いをする。
「ここ数ヶ月の事は聞いた。娘には心から厳しくしつけておく」
「そうですか。俺もその理事長には迷惑をかけたってことで、お互いさまってことでお願いします」
「……夜空くん、処置が終わったら迷わず、うちの学校に戻ってきてくれたまえ」
「……いいんすか?」
そう尋ねる夜空の表情には、困惑の色が見えた。
あの事件は、全て夜空が責任を被ったようなもの。正直彼自身も、そのつもりで終わらせたつもりだった。
だが結果一週間の停学で済み、あげくには理事長自らこう挨拶をされる。
自分はそこまで言われる人間ではないと、理事長相手にやりにくさを感じる夜空。
「何度でも言わせてもらおう。私は……君を学園に招いてよかった……と」
「……」
思わず照れてしまう。
頬を指先でぽりぽり掻いて、理事長から目を反らす夜空。
「後に娘を直接伺わせる。あのバカ娘には……その口から君に一言謝らせなければ気が済まない」
「そうっすか。俺は別に気にしてないっすけどね。それに……」
夜空はそう言った後、最後にこう付けくわえた。
「自分の過ちと向き合うのは……自分自身しかいない」
「……三日月くん」
「誰も助けてはくれない。ただ……"力を貸してくれるだけ"です。だけどあいつには力を貸してくれる"友達"すらいなかった。だから歪んだ自分に気づかなかっただけだと思います。俺は……そう思います」
夜空からすれば出過ぎた言葉だったかもしれない。
けど、それを言っておかないと、また星奈が繰り返すだけのような、そんな気がした。
この後理事長に思いっきり叱られるだろう。けど、それでも星奈は変わらないと夜空は思った。
だからこそ敢えて夜空はそう口にした。そんな夜空に対し天馬は、一つ問う。
「……君なら、娘の力になってくれるかね?」
「さて、わかりません。理事長が"力になれ"とおっしゃるなら、それは力になるしかありませんが?」
「ふふふ、今度我が家に来なさい。君とはゆっくりと話してみたいと思ったよ」
「……ありがとうございます」
そう言う天馬の顔からは、笑みがこぼれていた。
本当に器の大きな人だなと、夜空は改めて彼に敬意を送った。
……そして後日。
「……皇帝」
停学処分が終わり、夜空は素直に学校に戻った。
今度からは、彼に付きまとう女子たちはいない。
皆が彼を恐れた。故に彼は……学校で一人ぼっちになってしまった。
そんな彼に対し、最初に話しかけてきたのは星奈だった。
未だにつけられた傷が癒えないのか、頭に包帯を巻いている。
「んだよ? お礼ならいいぞ気持ち悪い」
「気持ち悪いって……。でも言わせなさいよ。その……ありがと」
そのお礼が、夜空かすれば本当に気持ち悪かった。
「なにその「引くわぁ~」みたいな顔」
「引くわぁ~」
「なっ! この不良……」
ぐむむと星奈が拳を握る。
最初からこんなに素直だったら、ここまで対立することはなかったのになと、夜空は少し笑みを浮かべた。
「悪かったな」
「……それでさ、その」
「んだよ? まだ何かあんの?」
なにやら戸惑っている星奈。
何かを言いたそうにしている。しかし中々言いだせそうにない。
クラスの皆もその状況に注目している。まるでそれは……あのランチの時みたいだった。
「……なさい」
「あぁ? 聞こえねぇよ」
「あ、あたしのものになりなさい! 三日月夜空!!」
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これが、三日月夜空と柏崎星奈の因縁の始まり、その全貌である。
その後、二人は聖クロニカを代表する恋人同士になった。
美男美女のカップル。その二人には誰もが憧れた。
色んな場所に行った。たくさん遊んだ。最初にいがみ合っていた二人とは思えないほど、たくさんのことをした。
――しかし、この二人の関係は長く続かなかった。気がつけば喧嘩を繰り返し、あっという間に別れてしまったのだ。
その際も夜空は自己犠牲で全てを背負って別れた。その噂はすぐさま学園中に広まり、周りからは夜空が星奈に捨てられたことになっていた。
もう近づくなと、最後の忠告をした。
これでもう、彼女と関わることはないだろう。夜空はそう思っていた。
――羽瀬川小鷹と出会う、あの日までは。
七月二十八日。
熱い真夏の夜、SAOを皆でプレイしてから数日後のころ。
夜空の携帯に着信があった。相手は星奈から。
いったいなんの話だと、しぶしぶ電話に出る夜空。
「も……もしもっ!」
「もしも? んだよくだらないことならすぐ切るぞ」
「ち、ちがうわよもしもし!!」
初っ端から噛んだ星奈。
なにやら戸惑っているようであった。
「んで、なに?」
「あのさ、夏休み……パパの所有する別荘に、みんなで旅行行こうかなって計画してるんだけど……小鷹は行くって言ってたんだけど、夜空はどうする?」
「あ~。そりゃ行きたいが、お前から誘いなんて珍しいな。俺なんて省けばいいのに」
「……いじわる」
皮肉のように言う夜空に対して、いじけるように星奈。
「用件はそれだけか? なら切るぞ」
「あ、あのさ夜空! もう少しだけ……」
「……んだよ?」
なにやら夜空を引きとめる星奈。
そして、内容はあの日の……SAOをやった日の最後の事だった。
「あの日は……ごめん」
「……うるせぇ。あのことはあれっきりにしろよな」
「そのさ、その……」
「なんだよ?」
「……どうして、小鷹にあそこまで執着するの?」
その星奈の質問に対して、夜空は少し怒りを見せ答える。
「……どういう意味だ?」
「だからその……ずっと思ってたの。五月のあの日から。夜空、あの子と関わってからなんか……生き生きしてるなって」
「……んなことねぇよ」
「……ねぇ、なんか"隠してない"?」
隠していないか……。
それを問われ、次第に夜空から焦りが滲み出る。
「……お前は何を言いたいんだ?」
「ごめん、その……」
「……はぁ。一つだけお前に言わせてもらうわ」
「……なに?」
電話越しにヒステリックになる星奈。
この数ヶ月、夜空たち三人が築いた絆は大きなものになっていた。
だからこそ、夜空はあえて……彼女が自分たちの過去に踏み込むのを覚悟で、言った。
「もしこの先お前が、小鷹を傷つけるようなことがあったら……俺は絶対にお前を許さない」
「…………」
この言葉に対しては、星奈は何も言い返せなかった。
この時、星奈の中の推測は確信に変わっていた。そう……夜空は小鷹に友情以上のものを抱いていると。
あの二人の間には何かがある。自分の知らない何かがあると。
そして、夜空も少なからず知っている。『金色の死神』を……。
「じゃあさ、あたしも一つ言わせてよ」
「……」
この時、夜空は電話を切ろうと思った。
だが、"切らなかった"。
夜空にとって聞きたくない一言が聞こえてくるだろうとわかっていた。だけど、彼は電話を切らなかったのだ。
「なんだ?」
夜空が尋ねた。そして……。
「あたし、まだあんたのこと……"好き"だから」
がちゃっ!
星奈はそう言い終わると、一方的に電話を切った。
そして夜空も携帯を地に置く。そしてベッドに仰向けになり、自身の部屋の天井を見た。
「……あの……バカが」
天井に向かってそう吐いた数秒後、夜空は何もかも嫌になったように、電気も消さずに寝た。
※腥いと書いて『なまぐさい』と読みます。