【完結】どうしてこうならなかったストラトス   作:家葉 テイク

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第三二話「本編(1)」

 昼過ぎ。

 

「はぁ…………」

 

 そんな変態達の騒動を終え、イチカは他の面々より一足早く旅館に戻っていた。

 変態達はイチカというブースターがあるから今も余裕綽々だが、イチカの体力は通常と同じなのであんなテンションで騒いでいればやっぱり疲れるのである。鈴音? 知らない蛮族ですね……。

 

「千冬姉には言って来たけど、流石に一日ずっと遊び倒しは疲れるよな……ちょっと休憩しよう」

 

 言いながら、イチカはナップザックを肩に引っ掛け、曲がり角を曲がる。

 どん、という衝撃を感じたのは、その直後のことだった。

 

「う、お!」

 

 色気の欠片もない声を上げてよろめいたイチカだったが、IS操縦者として鍛えに鍛えた身体が不意の衝突だけで転ぶほど脆い体幹をしているわけがない。とっ、と軽いステップで後退したイチカは、そのまま体勢を安定させた。

 

「とっ、と、すみません」

「いや、こっちこそ」

 

 咄嗟に謝ったイチカに応じた声は、少年の声だった。

 

(…………? おかしいな、花月荘は貸し切りのはず……)

 

 後退した、ということは彼女がぶつかった相手を視界に収めることができるという意味でもある。怪訝に思ったイチカは、そのまま顔を上げて相手の顔を見る。

 そこにいたのは――――、

 

「あれ、弾?」

「え? イチカか?」

 

 ――五反田弾、その人だった。

 

「弾……? …………いや、それはないだろ。この旅館は貸し切りだ。一般の人は入れないって千冬姉も言ってた……お前、何者だ?」

 

 そう言って、イチカは構える。なんだかんだ鈍感なイチカだが、それは愚鈍という意味とは違う。彼女もここまでそれなりの場数を経験している立派な戦士だ。

 が、

 

「いや…………普通に町内会のガラガラでチケット引いたって蘭が言ってたんだけどよ」

 

 弾の方は、むしろ警戒しているイチカに困惑しているようなリアクションだった。敵ならここまで警戒されておいてこんな能天気なことは言わない――というかここまで精巧に弾に変装できているのもおかしい。いくらISがなんでもありとはいえ――と考え、イチカは若干警戒を緩める。

 

「……って、蘭が? ってことは蘭も来てるのか?」

「おう。今日は家族で来てるよ。なんか団体さんも一緒らしいけどなー」

「………………………………?」

 

 弾だけでなく五反田家全員となると、流石になりすましの可能性は薄いだろう。となると、何かの手違いでやって来てしまっていることになるのだが……。

 

「……そうか……。そりゃ困ったな。明日、この旅館のすぐ近くでISの集団運転試験みたいなのがあって、一般人は立ち入り禁止なんだよ」

「テストってことか?」

「んにゃ、ISの方の試験だな。集団運用することによるコアネットワークの影響の確認……だったかな」

「ごめん、全っ然内容が頭に入って来ないわ」

「まぁ、素人には言っても分かんない内容だったかもな」

 

 と、イチカはちょっと偉そうに胸を張ってみる。弾のツッコミを期待しての言動だったが、弾はちょっと微妙な表情をするだけだった。

 ……ちょっとイヤミすぎたか? いやでもそんな大したことは言ってないし――と、ちょっと怪訝な表情をしたイチカは、そこで()()()()()()()()に気付いた。

 

 …………弾の目線は、明らかにイチカの胸元、つまり白いビキニに覆われた小さな丘へと向けられていた。

 

「…………どこ見てんだ馬鹿」

「え、えっ!? 分かったのか今ので!」

「ガン見しておいてよく言うなお前」

「が、ガン見…………」

 

 弾的にはチラ見だったのだろうが、男のチラ見は女のガン見とはよく言ったものである。

 

「……でもさ、仕方ねえだろ。そんな露出度高いビキニなんて着てたら、そりゃ俺だって男なんだし目が行くって」

「……………………露出度、高い?」

「いやまぁ、ビキニだからな」

 

 少し恥ずかしそうに言うイチカに、弾は頬を掻きながらそっぽを向く。

 イチカは少し照れながら、そんな弾に問いかけた。

 

「変…………か?」

「…………その姿には似合ってると思うけどよ」

「……………………そ、そうか。うんまぁ、せっかくの美少女ボディだからな!」

 

 そう言って、イチカはどんと自分の胸元を叩く。

 自信満々な表情を作ってはいるが、如何せん頬が上気しているので空元気の感が否めなかった。

 

「ま……とりあえず外行こうぜ。弾もその格好だと、元々外に行く予定だったんだろ?」

 

 気を取り直して、イチカは弾に呼びかける。

 おそらく弾については何らかの手違いがあったのだろう。警備の問題もあるので、弾達はすぐに別の旅館に移動ということになるだろうが、だからといってせっかくの旅行なのにすぐに帰されるのを黙って見ているのは友人として忍びないし、外出に付き合ってやるくらいのことはしよう――そう思ったのだ。

 

「お、いいのか? お前も学校の仲間と一緒に来たんだろ」

「あー、まぁな。でもちょっと疲れたから先に旅館に戻ってきてたんだ。ちょうどいいタイミングだったよ」

 

 イチカは苦笑しながら、弾の横に並び立つ。その苦笑だけでもうイチカがどんな目に遭ったのかなんとなく分かってしまうのが、弾としては少し物悲しかった。

 

「…………いつもあの試合みたいな感じなのか、イチカは。いや、その前のクラスマッチも見てたけどよ」

「大体あんな感じ」

「Oh...」

 

 弾は思わず片手で目を覆い天を仰ぐ。以前イチカの境遇を『妬ましい』とさえ感じていた弾だったが、さすがに触手プレイやら疑似時間停止プレイやらが日常茶飯事な世界というのは彼の守備範囲外である。

 あくまで彼がしたかったのは、『女の立場を生かして女子更衣室に潜入』とかそういうラブコメの範疇のスケベであり、凌辱ゲーのヒロイン的なアレではないのだ。

 それはさておき、弾の横を歩きながら、イチカは白のパーカーをどこからともなく引っ張り出す。使わなかったパーカーはISの格納領域に収納していたのだ。

 ちなみに、これは千冬特製のものなので、着ることでイチカの身元をわからなくする効果()存在する。

 

「あ、一応上に一枚羽織るのな」

 

 羽織ったパーカーのチャックを上まできっちり締め、砂浜に来た当初と同じような太ももから上を完全にパーカーで覆った完全防御モードになったイチカを見て、弾はぽつりと呟く。

 

「そりゃそうだろ。あんな格好で人前に出るのは恥ずかしすぎる。っていうか、旅館には関係者しかいないからあの格好でいたわけで……、…………」

 

 そこまで言って、先ほどのことを思い出したのか、イチカはかあっと顔を赤らめた。完全に地雷を踏んでいた。

 

「あっ、あー…………あ、そうだ。あれから、蘭がイチカを遊びに誘えってうるさくてさー。俺は、『アイツは忙しいからそう簡単には会えないんだ』って言ってるけど……」

「ははは……、迷惑かけてごめんな」

「迷惑ってほどじゃねえよ。でも、実際のところ忙しいのか?」

「んー……まぁ、平日はけっこう忙しいことが多いかな。タッグトーナメントの後は少し休みがあったけど、……色々と大変で、それどころじゃなかったし」

「そうだよなぁ」

 

 色々と――というのは女体化のことだったが、イチカはあえてそれを濁して笑った。弾はそんなイチカには気付かず、釣られて笑いながら頷くだけだ。

 

「そういえば、今俺特に何も考えずにお前について行ってるけど、今どこに向かってるんだ?」

「あー、ちょうど街のほうでイベントをやってるんだよ。知らないか?」

 

 そう言って、弾は手持ちのタブレット端末を操作し、イチカのほうに見せてくる。

 そこに書いてあったのは、フリーマーケットの告知――のようなものだった。どうやら、このあたりの町内会が運営しているポータルサイトのようだ。このご時世、町内会の催しも電子化されてこうしてタブレット端末から閲覧できるのである。

 

「鳥風町フリーマーケットだと。お前らは気付いてないかもしれねえけど、IS学園の生徒が臨海学校に来るって言うから周りは結構盛り上がってるらしいぞ。こんな調子でイベントがいくつか開催されてるし」

「そ、そうだったのか…………」

 

 驚くイチカだが、ISというものの性質を考えればある意味当然かもしれない。

 出版の様式を塗り替えたように、サブカルチャーに新たなジャンルを作り出したように、女性の地位を向上させたように――――ISというものは、ただ動くだけでも広範囲に影響を及ぼす。まるで、作り主である束の行動がいかなるものであっても大なり小なり混沌を齎すという性質を継承しているかのように、だ。

 だからその前提で言えば、IS関係で何かのイベントが起こった時点で、何か別の物事が追加で発生するのは当然の帰結とも言えるのである。

 

「で、フリマに行って何を買うつもりなんだ?」

「特に決めてねえけど、なんかゲームがあったら買おうかなってくらいだ。あと、蘭にお土産だな」

「妹思いの兄貴だなぁ」

「俺だけ掘り出し物を手に入れたら、機嫌悪くなるんだよアイツ…………」

 

 と思いきや、弾の家庭内でのヒエラルキーが低いだけであった。兄というのは悲しいものである。妹でよかった、とちょっぴり思ったイチカだった。

 

「…………いや、俺は弟だよ!! 妹じゃないよ!!」

「……知ってるけど」

 

 危うくモノローグレベルで妹になりかけていたイチカだったが、寸前のところで我に返り首を振る。傍から見ていた弾はちょっと不審そうにしていたが、やがて気を取り直して、

 

「イチカはなんかほしいものあるのか? このフリマ、何でもあるってふれこみだけどさ」

「んー……そうだな。少し小物類がほしいかな? 湯呑とか」

「あれ、お前ってマイ湯呑持ってなかったっけ」

「あれは家に置いて行ったんだよ。だから、学園で使う用のがほしいなって」

「どうでもいいけど、湯呑ってセンスがもうじじくさいよな…………」

「そうか?」

 

 あきれている弾に、イチカはきょとんとして首を傾げた。…………おそらく素でやっているのだろうが、ちょっと元男とは思えないかわいさだった。

 弾は無言で視線を前に戻す。

 

(なるほど、これで男だったときは数多のお姉さまをバッサバッサとなぎ倒していったわけか……。天然ジゴロって称号の意味を今理解したぜ)

 

 元が男だとわかっていても、ちょっとくらっときてしまった弾なのだった。

 

***

 

「わー、意外としっかりしてるなぁ!」

 

 会場に到着したイチカは、そこに並んだ店の数々を見て思わず感嘆の声を漏らす。

 彼女の反応も無理はない。フリーマーケットといえば大概はビニールシートの上に品物を並べる程度のいわゆる『露店』、設備があっても精々『屋台』程度が限度だが、ここはどういうわけか簡易的ではあるものの、きちんとした『店舗』が並んでいる。

 

「企業が参入してるとかなのか? っていうか、よくこれだけ建てれたなぁ……。ここ、多分元々は公園だっただろうに」

「あー、これって基本的にコンテナらしいぞ。それっぽく装飾してるだけで」

「コンテナ!?」

「おう。コンテナを並べて、子供が遊ぶブロックの玩具みたいに店の形をデザインしてるんだと。なんかIS関連の技術が使われてるらしいぞ。なんだっけ、パッケージがなんとかって書いてあるけど」

「へ、へぇ……」

 

 初耳な情報に、イチカは思わずたじたじとなってしまう。ものの一日でこれだけの『街並み』を作れる技術がIS関連とくれば、なるほど確かに『世界のありようを変えた』という触れ込みは少しも大袈裟ではないだろう。

 単純な戦闘力に限っても、決して大袈裟ではないのだが。

 

「しかし、けっこう混んでるなぁ」

 

 弾の横を歩きながら、イチカはあたりを見渡して言う。IS関連技術を使う――なんて仰々しさからも分かるように、フリーマーケットの規模はかなりのものだった。

 こうして歩いている間も人の行き交いは止まらず、身体を傾けないと向かってくる人の肩とぶつかってしまいそうになるほどだ。千冬特製のパーカーがなければ、今頃とんでもないパニック状態になっていたに違いない。

 

「はぐれないようにしろよ?」

「そんなに頼りなく見えるか?」

「見えるから言ってるんだけど……」

「……………………」

 

 申し訳なさそうに、しかしストレートに言った弾に、イチカは急速にむすっとしながら先を急ぐ。弾の歩調を完璧に無視したその動きに、弾は笑いながら後を追う。

 

「ごめん! 今の冗談! イッツジョーク!」

「おらおら早くついて来いよ。頼りないイチカちゃんは目を離したらすぐはぐれちまうぞ。勝手に自分で自分の買い物済ませて旅館に帰るぞ。俺のことを探してる弾だけが置いてけぼり食らうはめになるぞ」

「それ迷子じゃなくてただ俺を振り切ってるだけじゃねーか!」

 

 実は両者ともに『イチカとはぐれたら弾が一生懸命探してくれる』という前提で話を進めているあたりたぶんラウラあたりが見ていたら萌死していただろうが、あいにく二人ともそのことにはまるで気付いていないのであった。

 と、何だかんだですぐ歩調を緩めたイチカに追いついた弾が、前方にある吊り看板に気付く。

 

「お、ここじゃないか? 和風小物売ってますって書いてあるぞ」

「入ってみるか」

 

 適当に言い合って、二人はコンテナを積み上げられて作られたとは到底思えない外観の店舗の中に入っていく。

 店舗の中は、コンテナの壁をぶち抜いているのか、明らかに積み上げられたにしては天井が高く設計されていた。弾の上にイチカが肩車して手を伸ばしても天井には全然手が届かないくらいの高さである。

 内装も和風のインテリアで整えられているせいで、コンテナの無機質な印象は全くない。イチカは『鈴が見ても文句言わないだろうな』――なんて思ったりしていたが。

 

「んで、どの湯呑がいいんだよ?」

「待てよ、今ちょっと見てるから」

 

 入店後数秒で結論を求めだす待てない男五反田弾を制止するように言って、イチカは売り場に近づいていく。待て、と言ったものの、大体ぱっと見でどの売り場に自分がほしそうなものがあるかというのはイチカにも分かる。イチカはキャラクターが描かれている小物売り場にやってきて、

 

「これとかよくないか?」

 

 子猫のデザインの箸置きを手に取った。

 

「湯呑じゃねーじゃねーか!」

「いやでも、この箸置きよくないか?」

「お前……センスが女…………いや、そもそも箸置きをわざわざ買おうとしている時点で女っぽくはないのか…………?」

 

 箸置きを手に取ってきゃーこれかわいーい、なんて言っているのは、弾的には女子と老人の境界線上でうろちょろしている存在にしか見えなかった。

 

「いや、それにしたって子猫はないだろ」

「そうか? けっこうかわいいと思うんだけどなぁ」

「…………お前、女だろ」

「なんでだよ! 男だよ!」

 

 自分のお土産の判断基準に可愛いかどうかを持ち出しちゃうのは、弾的には女の子なのだった。

 

「そうじゃなくて、湯呑だろ湯呑。関係ないもん見ても時間の無駄じゃね? 買うんなら別だけど」

「いや、うーん……。買わないけど、一応見ておきたくない?」

「お前、女だろ」

「なんでだよ! 男だってば!」

 

 買いもしない品物を延々と眺めては品評したりしちゃうのは、弾的には女の子なのだった。

 

「そうだ。この湯呑とかどうだよ? 魚の難読漢字がずらっと書いてあるやつ。面白くね?」

「えー……ないわー……」

「な…………ないか…………?」

「ああ。だってこれ全然かわいくないし」

「やっぱお前女だろ!!!!!!」

「だからなんでだよ! 俺は男だ!!」

 

 自分のお土産の判断基準に可愛いかどうかを持ち出しちゃうのは、弾的には女の子なのだった(数十秒ぶり・二回目)。

 

「こういうところのお土産なんだしちょっとくらいかわいいやつ選ぶだろ! 何も女物じゃなくてもさ……こう、かわいげがあるものっていうの? 分かりやすい女向けじゃなくて、なんかこう……そういうのだよ! あと魚の漢字が書いてある湯呑は単純にダサい!!」

「ださっ…………ダサいか……。………………うん、俺は女と縁がないからな、そういうセンスとか全然ないからな………………」

 

 イチカにダサいと断言されてしまった女に縁がない非モテ童貞こと五反田弾は、意気消沈しながら矛を収めた。

 確かに、言われてみればお土産にちょっとかわいいものを選んだりすること自体は、男でも普通なのかもしれない。弾は思春期ボーイなのでそういうのを避けがちだが、女の園で暮らすイチカはそういった判断に忌避感がないのだろう。中学の時は同じような思春期ボーイだったはずなのに……と弾は時の流れの残酷さに遠い目をした。

 

(イチカが女みたいなかっこしてるからって、ちょっと考えすぎてたか…………)

 

 冷静になろうと、弾は少し深呼吸する。

 イチカの方はというと、呆れた調子で溜息を吐きながら、

 

「んじゃ、これ買って来るよ。蘭へのお土産に箸置きも買おうかな」

「いや、うち別に箸置きとか使わないから……」

 

 そう言う弾だったが、イチカは特に気にせず箸置きも持って行ってしまった。イチカからのプレゼントだと知れば後生大事に使いそうなので無駄にはならないだろうが。

 

「しかしお土産っつーかプレゼントに箸置きはないだろ……。…………まぁそのへんはイチカらしい、か」

 

 そんな彼女の背中を見送りながら、弾は少しだけ安心したように苦笑した。

 

***

 

「……大分混んできたな」

「もうそろそろ日も暮れて来て、外に出やすくなったからなぁ」

 

 流石に日中は太陽が照っているので人も少なかったが、日が傾いてくると気温も下がってくる。とはいえ下がりすぎると今度は寒くなるから――ちょうどこの時間に、人が多く集まってくるというわけなのだ。

 

「弾のお土産も見ないといけないし、さっさとしないとな」

 

 イチカはそう言って、弾の前を歩き出す。弾も慌ててイチカを追うが、やはり人の多さは如何ともし難かった。

 

「っつか、先に行くなってイチカ!」

「なんでだよ? ゲームが売ってるところに行くんだろ。さっき売り場の場所なら調べておいたから、はぐれたってどうせすぐ合流できるよ」

「そういう……問題じゃ……ねえだろうがっ」

 

 そう言って、弾は必死の思いでイチカを掴む。

 ぐい、とそのまま腕の力でイチカを引き寄せた弾は、そのままイチカに言う。

 

「今のお前、よく分かんないけど、騒ぎになってないってことはまたこの前みたいに正体を隠すなんかをしてるんだろ? そんな状態で人ごみに突っ込んで行ったら、厄介事に巻き込まれるかもしんないだろうが」

 

 具体的に言うと、悪い男の人に目を付けられる的なアレである。ただでさえ水着姿で傍から見たら大分隙が多めなのだし、イチカという『侵しがたい聖域』の認識がない状態で、しかも弾とはぐれた状態だったなら…………誰かにちょっかいかけられるくらいはする可能性が高い。

 男の時は、顔は『そこそこ』というレベルだったので鈍感でも特に問題はなかったが――今は紛れもなく『美少女』だ。イチカも自分が美少女であるという自覚はあるらしいが、やはりそこは鈍感朴念仁唐変木。『美少女である』ということが分かっていても『だから周りがこう反応する』ということにまで考えが回らないからこその織斑イチカである。

 

「わ、分かったから……! 分かったから、悪かったからお前もちょっと落ち着け……!」

 

 イチカは気持ち焦りながら、弾を伴って道の脇に移動し、足を止める。顔を赤くして妙に慌てているイチカに怪訝な表情を浮かべた弾は、そこで自分がイチカの腰に腕を回して引き寄せていたことに気付いた。

 …………端的に言って、かなりの密着度である。

 

「っ……! スマン!」

「ほんっと……! いきなりはやめろ……!」

「……………………何でちょっと照れてんの? 男同士なのに」

「あ? なんだ変態、このタイミングで俺が悲鳴あげたらどうなるか分かってんの?」

「すまん俺が悪かった」

 

 平身低頭である。

 それはそれとして、照れてることを否定しないあたりなんだかなーと思う弾であった。

 

「はぁ……こういう接触みたいなのは学園のセクハラで散々慣れたつもりだったけど、まさか男に抱き寄せられる日が来るとは思ってなかったぞ……」

「面目ない……」

 

 イチカはげんなりとした様子で溜息を吐いて、

 

「それに、そもそも俺はこう見えて手負いの熊程度なら倒せるくらいには強いぞ? それともナンパ男にビビるようなタマに見えたかよ?」

「そうじゃなくて、騒ぎを起こすなっつってんだ。学校の用事で来てるんだろ、暴力沙汰になったら面倒じゃねーか。お前、男相手だとカッとなったらすぐ手が出るだろ」

 

 弾はイチカの額を軽く突く。思わず『うっ……』と呻いたイチカに、弾は思わず苦笑した。

 

「…………お前は変わんねーな」

「……何がだよ?」

「修学旅行の時を思い出してな。そういえばあの時も、お前はナンパされてたウチの学校の女子を助ける為に後先考えず突っ込んで行ってたっけ」

「……あの時は悪いことしたよ」

「ほんとだからな! あれをどうにかこうにか丸く収めるのに俺がどんだけ苦労したことか……! 鈴も一緒になって暴れやがるから大変だったんだぞ!」

「すみませんでした…………」

 

 語気を強める弾に、イチカはただただ恐縮するばかりだった。

 

「…………ま、そん時は鈴が転校する前に、最後に良い思い出ができたけどな」

 

 そんなイチカに、弾は照れくさそうに付け加える。すると、イチカの方もにやりと笑い返した。

 

「それに、いくら追い返すっつったって、お前も男にナンパされるってだけで気分悪いだろ」

「あー…………そりゃ、なぁ……」

 

 そう言われて、初めてイチカは自分がナンパされたときの生理的嫌悪感に思い至ったらしく、若干眉を顰めて見せる。弾はそんなイチカの表情を横目に見ながら、

 

「なんつーか」

「?」

「いや、なんでもない」

「なんだよ、気になるじゃんか」

「なんでもねーって」

 

 ――――お前、今は『どっち』なんだ?

 なんてことを今のイチカに面と向かって聞けるほど、弾は勇気を持っていなかった。

 趣味嗜好、ふとした反応は明らかに女性的な色が滲み出ている。少なくとも今までの『織斑一夏』では全くない。だが一方で――――こうした負けん気の強さや、根底に感じられる精神性は、寸分たがわず『織斑一夏』のままのようでもある。

 ……弾自身、目の前の()()をどう見れば良いのか分からなくなってきていた。

 が、そんな気持ちはおくびにも出さず、

 

「ただちょっと前に会った時よりおっぱい増量したか? と思って」

「…………え、まじ?」

 

 …………適当なセクハラをかまして誤魔化そうとして、自分が致命的な墓穴を掘ったことに気付いた。

 

「いや、冗談だよ。短時間で胸がでかくなったりするわけないだろ」

「………………そ、そうだよな! このやろう、性質の悪い冗談かましやがって!」

 

 イチカはそう言って声を明るくしたが、その笑みは完全に引き攣っていた。

 それ以前に。

 なんで胸が大きくなったなんて荒唐無稽な冗談を真に受けたのか。

 なんでそんな冗談が『性質の悪い』ものになっているのか。

 

 イチカは、嘘が吐けない少女である。

 

「………………………………」

「………………………………」

 

 流石に、もうそこを無視して話を進めることはできなくなっていた。

 

「そういえばさ」

 

 ふと、弾は呟くように言った。

 イチカはその横で、ただ黙って弾の顔を見上げる。その表情は、まるで弾が次に何を言うのか分かっているかのようだった。

 弾はそんなイチカを横目で見て、それから上まで上げられたチャックで今は完全に覆われている胸元に視線を落とし――それから前へ向き直した。

 

「なんで、ビキニなんだよ?」

「変か?」

「そうじゃなくて!」

 

 この期に及んでしらを切ろうと努力しているのだろうか、きょとんと首を傾げるイチカに、弾は首を振る。

 

「そうじゃなくて……何で女の格好でいるんだよ? 男の状態で水着を着ればいいじゃん。…………、……ま、眼福だけどな」

 

 拝みながらそう言って、少し茶化そうとした弾だったが…………やはりどこかその笑みはぎこちない。

 ()()()友人に、イチカは苦笑しながら、

 

「あー…………」

 

 一瞬、どう答えようか迷った。

 素直に『戻れなくなった』なんて言ったら、きっと弾は心配するだろう。そんな心配をかけたくはなかった。

 ただ、一方で今更しらを切り通そうとしたところで、そう上手くは誤魔化されてくれないことくらい、イチカにも分かった。

 

「……どうしたんだ?」

「いやまぁ、これには深い理由が、ね」

 

 誤魔化すように、曖昧な笑みを浮かべるイチカだったが、弾の真剣なまなざしが変わらないのを見て取ると、観念したように目を伏せた。

 

「……実は、戻れなくなったんだ」

「…………え?」

「男にさ、戻れなくなったんだ。理由はよく分かんないけど。さっき、熊を素手で倒せるって話しただろ? あれは俺の地力もあるけど、コイツも関係してる」

「は……、なんだそれ。大丈夫なのか?」

 

 困惑する弾に、イチカは頬を掻きながら、

 

「明日までに戻れなかったら、一生このままらしい」

「はぁ!?!?!?」

 

 弾が思わず素っ頓狂な声を上げて、それから慌てて自分の口を抑える。周りの人達は、歩きながらも弾達に怪訝そうな視線を向けていた。

 弾はコンテナ群の奥の方へイチカの手を引っ張りながら、

 

「どうすんだよ、それ。ヤバいんじゃねーのか?」

「もしも戻れなかったら、弾に嫁にでももらってもらうかなぁ」

「馬鹿野郎! 冗談でもそんなこと言うんじゃねえ!」

 

 のほほんと、いっそ呑気にと言っても良いくらいの調子で言い切ったイチカに、弾は喝を入れるように言う。

 イチカは、別に諦めたわけでもなければ本気でそうしようと思っているわけでもないのだろう――――だが、常の勝気な彼女であれば、間違ってもそんな言葉は決して出てこないはずだった。

 諦めた訳ではない。だが、全く不安を感じていないわけでもない。

 そんなイチカの心情が、弾には感じられた。

 

(こいつ、本当に『鈍感』だからな…………)

 

 弾は、自分が困っている自覚にすら気付けないという、世話の焼ける親友に内心で溜息を吐きながら、

 

「満更知らない仲って訳でもねえ。もしも本当にダメで、お前が女として生きていくしかなくなったら、その時は俺だって考えてやる。だがな、結果が出る前から弱音を吐くなんて、お前らしくねえ。そうだろ」

 

 そう言って、弾はイチカの肩を掴み、その瞳の奥を覗き込むようにして言う。

 

 結局、弾は根本的な部分でただの一般人だ。ISの知識なんかさっぱりだし、技術もないからいざってときにイチカを守ることだってできない。むしろ、弾の方が守られる側だろう。彼がイチカの為にしてやれることなんか、殆どない。

 でも、だからこそ。

 こういうときに、友人が弱っているときに、その背中を支えて、きっちり立たせてやるのが、せめてもの協力だろう。

 

「どんな絶望的な状況でも、諦めない。無鉄砲でも何でも、自分の理想をもぎ取る為に突っ込んでいく。そんでもって最後に憎たらしいほどの成功を掴んでみせるのが、『織斑一夏』だろうが!」

 

 それに対し、イチカは、

 

「…………………………何が、成功なんだろうな」

 

 そう呟いた瞬間のイチカの表情が、あまりにも美しすぎて――――弾の心臓が、大きく高鳴った。

 

「お前、」

「――――なんて、冗談だよ。………………おかげで目が覚めた。そうだよな。最近すっかり甘やかされっぱなしだったから、忘れてたよ。最後まで泥臭く足掻いてこその俺だよな」

 

 呆然と手を離した弾の前で頷くイチカの横顔には、やはり輝かしい意志の光があるように感じられる。一瞬前の美貌なんて、弾の見た幻だったとでも言うみたいに。

 そんな風にあっけにとられている弾に、イチカは悪戯っぽく笑いかけ、

 

「…………だから、精一杯頑張って、それでもだめだった時は……責任とれよ?」

「……………………ごめん、さっきの台詞は取り消しで」

 

 今度はからかう為の冗談だと分かった。

 

「この薄情者ー! だからお前はモテないんだよ!」

「モテないのは今関係ねぇ――だろうがッ!」

 

 二人はそうやって、ただの友達みたいな馬鹿話に興じていく。

 どっちが()()()なのか、何が成功なのか――――。

 

 それは、今の弾には分からなかった。


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