【完結】どうしてこうならなかったストラトス   作:家葉 テイク

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第一四話「怪しくなってきた雲行き」

 敗残者の呻き声が聞こえる。

 そこは、数日前とは全く違った様相を呈していた。

 立ち上る火煙、這いつくばる変態、そしてときおり響き渡る爆音と怒声。何だかんだで平和だったIS学園は、今や完璧に戦場と化してしまっていた。

 誰もが苦しんでいるはずなのに、止めることができない。イチカのパートナーという栄誉を前にして、立ち止まることなど彼女達変態にできるはずがなかったのだ。たとえそれが、篠ノ之束によって仕組まれた構図だと分かっていても。まるで誘蛾灯に引き寄せられる羽虫のように、本能的に吸い寄せられてしまう。

 あと、そうしているだけでイチカが微妙な顔をしてくれるのが若干楽しくなりつつある変態なのだった。……のだが。

 

「はぁ……」

 

 昼。

 一夏は食堂で、疲労困憊の様相を呈しつつ溜息を吐く。

 

 あれから、一夏は細心の注意を払って生活するようになった。

 何せ、女の姿でいるとどこからともなく変態が湧き、自分をパートナーにと迫っては他の変態と戦争を始めるのだ。鈴音がいるときは両方ともブン殴って退散させてもらっているが、いない時など――まだそういった事態はないが――恐怖しかない。

 しかしながら、IS操縦の授業の際には変身せざるを得ないのである。結果的に……一夏は一瞬のうちにISの量子化処理を完了させる高速切替(ラピッドスイッチ)という高等技能を習得していた。

 尤も、白式に許された量子化済み兵器――後付武装(イコライザ)は何の変哲もない衣服だけなので、ISの展開速度が向上した以外に実戦では役に立たないのだが……。

 

 周りには普通に女生徒がわらわらいるが、彼女達は一夏にアプローチをかけたりはしない。彼女達にとって性欲の対象はイチカであり、一夏はあくまであまり関わりのない異性、という位置づけなのだ。女所帯の中で生活してきた彼女達は珍しがったり恐れたりすることはあっても、積極的に話しかけたりはしないしできない。イチカのときにだけ群がるのは、女の子の姿だから接しやすいというのと、あわよくばセクハラという意識が働いているのかもしれない。

 ただ、一夏としてはこの露骨な態度の変化が心をささくれ立たせる。

 

「目の前で溜息を吐かないでくださるかしら。こっちまで気が滅入りますわ」

「今はお前のその辛辣ぶりも救いに感じるよ……」

「…………、……これは重症ですわね……」

 

 一夏の対面で食事していたセシリアの歯に衣着せない物言いも、今の一夏にとっては心地よいものだった。

 

「だが、実際の所これは困りものだぞ。何せ、イチカの姿だと他の生徒が四六時中やってくるものだから、すぐに変身を解いてしまう。今までは何だかんだで警戒心が緩かったから、授業後数分くらいはイチカの姿のままおしゃべりできていたのに、だ」

 

 呆れるセシリアの横で深刻な表情をしているのは、箒だ。一〇〇%私情だが、それを本人の目の前で言えるというのはある意味清々しさすらあった。

 

「まあ、良いんじゃない?」

 

 そんな箒とは裏腹に、一夏の隣に座る鈴音はあっけらかんとした調子で言う。

 

「一夏はしばらく大変かもしれないけどさ……この機会に、アイツらも『一夏』と仲良くなれば良いと思うのよね。そうすれば変態行動も少しはおさまりがつくんじゃないの?」

 

 それはそれで一夏に惚れる女子が増えるリスクもあるわけだが、女の状態のイチカにあれだけお熱になるのであれば、そう簡単に男に靡くということもあるまい――と鈴音は考えていたのだが。

 

「いや……それはどうだろうな」

 

 それに対し懐疑的な立場をとったのは、箒だ。

 

「? どういうこと?」

「いや……思い過ごしかもしれないし、今は良い」

「何よ気になるわね……」

 

 そう言って箒は黙り込んでしまう。

 実は、箒には少しだけ、気になることがあった。箒自身も冗談交じりに言っていて、おそらくセシリアも冗談ではあるが何度もイチカに言っていたことだが――最近、『イチカは最初から女の子であった』とする言説が、変態の中で生じているのだ。

 勿論、そんなことはない。イチカはあくまで『ISを機動させた状態での姿』であり、本来の姿は一夏。一夏の性別は本来的には男で間違いないのだ。

 だが、一夏にはそんな認識を覆してしまうほどの素養が備わっている。性格は(程度はともかく)純朴かつ純粋、料理洗濯など家事は万能で、おまけに面倒見も良い。およそ『女性的な魅力』と呼べそうなものは大体備えているのである。

 そんな魅力を兼ね備えたイチカに目が眩んだ者が、イチカとしての姿を追い求めるあまり一夏の存在を否定し、イチカこそが本質なのだと思いたくなる心理は、分からなくもない。

 現にセシリアも、一夏に対してかなり辛辣な態度をとっている。鈴音でさえも、一夏に対してよりもイチカの方が対応が柔らかい。その為に一夏が『イチカの方が何かと得』と悟ってしまうような事態にまでなっている。

 だが、この中でもおそらく最も稀有な変態性を持っている箒は、そうは思わない。

 確かに、イチカの存在は魅力的で、それ単体だけでも魅力的であることは間違いない。だが、その魅力を支えている最大の要素は、『TS少女である』という点だ。いかにイチカが可愛らしいとはいえ、彼女が本来的に女性だったとしたら、ここまで惹かれていただろうか? 答えは『否』である。

 TS萌えを司る者にとって、TS娘が男に戻るパートは確かに苦痛だろう。退屈だろう。だが、それが良いのだ。その雌伏の時が、『男の時はこんな態度だった』という積み重ねが、女体化した時の至福に繋がるのだから‼‼

 であれば、いくらイチカが魅力的であっても、翻って一夏がいくら鈍感唐変木女の敵野郎であっても、男の状態を否定して良い理由にはならない。むしろ、男の状態でさえも『男の状態でも可愛く思えてきた』と言えるくらいでなければ、真のTS紳士淑女とは言えない、とまで言っていいはずだ。

 だが、今はその事実に気付いている者は少ない。鈴音は言うまでもなく、セシリアも一夏の存在を本心から否定しているわけではないし、他の生徒も一夏を疎んじる風潮はごく一部に少しだけ現れた程度だが、このまま無理に男のまま突き進もうとすれば――――反動で『排斥』が起こってしまう可能性さえ、考えられる。

 

(流石に、一夏の時にまで安住の地が奪われるような事態は、避けてやりたいしな……)

 

 忘れられがちだが、イチカが絡まなければ箒は幼馴染思いの優しい少女である。

 

「ともかく、俺はこんな息苦しい状況さっさと打開したいんだよ……。トーナメントのタッグ登録日っていつだっけ?」

「織斑、貴方そんなことも忘れてしまいましたの?」

「ちょ、ちょっとど忘れしただけだって」

「はぁ……。……今週が六月の第一週ですから……来週の金曜日ですわね。しょうのない男ですわ」

「ってことは……にしゅうかん……」

 

 あまりの長さに、一夏が絶望的な声を上げる。これから殆ど二週間ずっと、誰かに襲われないように隠れて変身しなければならないのだから、その窮屈さは察するに余りある。五月中殆どを女として過ごして来たこともある一夏だが、それとはまた勝手の違ったプレッシャーだった。

 

「あたしが同じクラスだったら、一夏の隣にずっとい続けることで変態たちを牽制できたんだけどね……」

「わたくし達だってできますわよ!(イチカさん相手なら)」

「それはもう、二四時間ずっと、お風呂の中まで警護するぞ!(イチカ相手なら)」

「そこが信頼できないっつってんのよ‼」

 

 いつも通りの風景に移行していった三人を遠巻きに眺めつつ、一夏は窓の外を眺める。

 ほんの数日前に外出したばかりだったが、もう既に外の世界が恋しくなりつつあった。

 

***

 

「一時帰宅?」

 

 その夜。

 千冬の私室に呼び出された一夏は、そんなことを命じられたのだった。

 

「なんでまた……あ、生徒達が流石に危険だから俺を遠ざけるようにって指示が出たとか?」

「いや、そこは問題ない。というか、一時帰宅は日帰りだ」

 

『日帰りか……』としょんぼりした一夏は、意気消沈しつつもゴミの詰まったビニール袋の口を結ぶ。

 無論、一夏が出したゴミではない。千冬が散らかしたゴミを、一夏が片づけているのである。

 

「もう六月だ。そろそろ私物が足りなくなってくる頃合いだろう。だから、一旦家に帰って荷物を取りに戻って良いと許可が下りた」

「許可下りるの遅くない? 入学してから二か月だぜ……」

「仕方ないだろう。ゴミ掃除が忙しかったんだ。この間のリーグマッチでやっと見つけたくらいだからな」

「……ゴミ、けっこう散らかってたけど?」

「『外のゴミ』を片付けるのに忙しかったと、言っているんだ」

 

 一夏はそれ以上何も聞くまいと思った。というか、聞いてはいけない領域であった。

 分別したゴミを邪魔にならないように部屋の隅に置き、散らかった雑誌類を纏めつつ、一夏は言う。

 

「千冬姉、仕事を頑張るのも良いけどもう少し自分のこともしっかりしてくれよな。こうやって俺が掃除しないと、いつまで経っても掃除しないんだからさ」

「心配いらん。私には一夏がいる」

「それが駄目なんだって……」

 

 呆れる一夏だが、そこには普段のような緊張はなかった。

 此処は千冬の私室だから、二人は『先生と生徒』ではなく『姉と弟』としていられるのだった。別にそこまでしなくとも良いというのに、この千冬という女性は頑ななまでに公私を別ける。自身をファンとして慕う一般生徒は勿論のこと、鈴に箒に束、たった一人の肉親である一夏でさえ学園内では名字で呼び、『先生として』接しているのだから。その鋼の自制心を、イチカ相手にも働かせてほしい――と一夏は思わなくもないのだが。

 

「しかしこうしていると、昔を思い出すな。私が帰って来たら、一夏が家事をしてくれて……これで一夏が女だったら、新婚夫婦のようだと何度思ったことか」

「そんなこと思ってたのかよ千冬姉⁉ っつか千冬姉の方だって女だろ⁉」

「いや。ISの力を使えば竿の一本や二本くらい、」

「やめー‼ やめやめやめ‼‼ 千冬姉は全体的にストレートすぎ‼ もう少し恥じらいを持って恥じらいを‼‼」

 

 速攻で限界を越えようとして来る千冬に、一夏は慌てて止める。千冬なら得体のしれない能力で部分的な男体化くらい成し遂げかねないので、全然冗談では済まないのだった。

 …………二本、と真顔で言いかけたことに気付いていないのが、せめてもの幸いか。

 

「っていうか、IS学園に入学してからこっち、みんなそれだよ……。鈴も女の俺の方が気兼ねなく接せられるらしいしさ……」

「女というのはそういうものだ。考えるだけ無駄だぞ、一夏」

「でもやっぱり気になるだろ! 箒はまあ……男の時でも優しいけど、セシリアなんて男の俺には凄い風当たり厳しいんだよ……」

 

 それは、実の姉だからこそ言える本音だっただろう。

 一夏だってやはり年頃の少年で、――非常に鈍感だが――人並みに友人関係に悩みを持ったりする。特に一夏は男と女の二つの顔を持つという特殊な事情があるのだから、その悩みも複雑怪奇になる。

 男の時にはあまり顧みられないのに、女になった途端猫かわいがりされる――というのは、男の時の自分を『基本』と考える一夏にとっては、本来の自分を見ずに上っ面だけを見て接せられているような不安感をおぼえてしまうのだ。

 そんな弟に、千冬は生徒の誰も見たことがないような笑みを浮かべ、

 

「それは当然だろう」

 

 ばっさりと切り捨てた。

 

「…………泣けて来たよ……」

「一夏……お前は複雑に考え過ぎだ。()()()()は男か女かで相手の評価を変えたりするほど、薄っぺらい人間性の持ち主ではない」

「いや、思いっきり変わってるけど……」

「そういうことではない。いくらイチカの時の姿がどストライクとはいえ、そもそも人間的に好ましくない相手にあそこまで反応するか? と言っているのだ」

 

 そう諭されるが、一夏はいまいちピンと来ない。

 考えてもみよう。

 もし一夏がゲスい性格だったとしたら……確かに、今のような猫かわいがりではなく、ここぞとばかりにいじめ倒されていた……かもしれないという想像が脳裏をよぎったが…………。

 

「いや、それ今と何も変わってないから」

「だが、そこにある感情は間違いなく親愛ではないだろう」

 

 そう言われて、一夏は返答に窮した。確かに、いじめ倒すタイプのセクハラに親愛の情はない。今は、間違いなくイチカに対して親愛の情を抱いていると断言できるセシリアだが……そうなると、セシリアがイチカのことを猫かわいがりするのは、男の時の一夏あってのもの、ということになるのだろうか?

 

「それに、仮にお前の性格がセシリアと相容れないものだったら、今のように男の時のお前と一緒にいたりはしないだろう」

「……確かに、何だかんだ言って、セシリアは男の時の俺とも一緒にいるな……」

 

 思い返してみれば、セシリアは確かに一夏に対しては辛辣な物言いだが、対応だけを見れば、無碍に扱ったりはせずにしっかりと接してくれていたように思える。あれが『セシリアなりの男に対するスキンシップの取り方』なのだとしたら……辛辣な物言いを無視すれば、普通に親切な友達ではないだろうか?

 

「うん……そうだな。ありがとう千冬姉。俺、セシリアのこと誤解してたよ」

「分かれば良い。……それと、今のことは他の連中にも言えるからな。忘れるなよ」

「? 分かったけど」

 

 頷く一夏だったが、その顔には『何を言っているのかちょっと意味が分かりません』と書いてあった。多分、『他のクラスメイトも一夏に対して完璧に無関心というわけではないと諭しているのかな?』なんて的外れなことを考えているのだろう。やはり朴念仁は朴念仁である。

 

「……ところで、お願いがあるんだけどさ……」

 

 意味の分からない言葉について考えていても仕方がないと思ったのか、一夏はおずおずと話を切り出す。一夏に真剣に思いを寄せている某中華系少女はとことん報われなかった。

 

「なんだ?」

「いやさ……」

 

 こんなこと、普段の千冬――『織斑先生』に言っても『自分でどうにかしろ』で一蹴されてしまうだろう。しかし、今なら……先生ではない、ただの織斑千冬ならば。

 

「頼む! 学園の変態たちをどうにかしてくれ‼」

 

 ――変態たちをどうにかしてくれるのではないだろうか。

 そんな淡い期待を胸に、一夏は顔の前で両手を合わせ、千冬を拝む。連絡を受けるだけだったのに部屋を片付け、あまつさえ明日の夜食まで作り置きするという良妻力満点な行為をしていたのは、このためのご機嫌取りという側面もあった。

 数瞬。

 沈黙が続き、一夏が薄目を開けて千冬の様子を伺う。千冬はそんな一夏ににっこりと笑みを浮かべ、

 

「駄目だ」

 

 やっぱりばっさりと切り捨てた。

 

「なんでだよっ⁉⁉ 弟の願いだぞ、このくらい聞いてくれても良いじゃないか‼」

「この部屋を出れば私とお前は生徒と教師になる。そこに私情を巻き込むわけにはいかない」

 

 などと言っているが、実際の所『放っておいた方がイチカいじりがしやすくなる』というところもあるのだろう。何だかんだ言って一夏がそこまで追い詰められていない(このくらいの女難は慣れている)のを姉ゆえに理解しているというのも大きい。

 しばし無言で睨んでみるが、野郎の上目遣いなど千冬にとっては憎しみの対象でしかない。ふっ、と冷笑し、目を逸らしたその瞬間。

 

「……これでもダメ?」

 

 千冬の目の前には、可愛らしく小首を傾げ、上目づかいで見つめる天使がいた。

 高等技術――高速切替(ラピッドスイッチ)。千冬が野郎の上目遣いという失笑モノの行動に思わず目を逸らしてしまったその瞬間に、ISを高速で展開して、驚異の演出を可能としたのだ。

 ……イチカは、『自分の魅力』を武器にすることを覚えていた。

 代わりに、何か大切なものを一つ失ったような気がしないでもないが。

 

 がくっ‼ と、あらゆる兵器を時代遅れにした超兵器すら生身で屠ることができる『世界最強』が、いとも簡単に片膝を突く。

 ぐい、と口端(から溢れた欲望の雫)を拭った千冬は、震える声で続ける。

 

「……分かった。だが、少しだけ条件がある」

 

***

 

「…………」

「何だイチカ、もう後悔しているのか?」

 

 翌日。

 イチカは千冬と連れ立って一時帰宅に赴いていた。

 既に女の姿になっている彼女は、白いワンピースに茶色い革のブーツという清楚な出で立ちをしていた。鈴音からは『似合わない』と一蹴された『きれい系』の極みのような格好だったが、黒檀のような輝きの黒髪の中に映える白いカチューシャの為か、令嬢のような雰囲気を醸し出しているイチカには不思議と似合っていた。

 

「確かに、良いって言ったけどさ……」

 

 千冬がイチカに提示した条件。

 それは、明日――つまり今日の一時帰宅に自らを同行させること、そして、一時帰宅の間『イチカ』でいること。

 つまり、イチカの状態で自分とデートすること…………だった。

 そのくらいなら、イチカも散々友人達とやってきた。いまさら特段に拒むようなことではない(不承不承なのは間違いないが)。だから了承したものの……一つだけ、計算外があった。

 

「この服は、恥ずかしすぎるだろ!」

 

 この服装。

 ワンピースの丈は太腿の半ばまで。一応ワンピースの中には黒い短パンを穿いてはいるが、あくまでワンピースの中に隠れる程度。つまり、外見的にはミニのワンピースを身に着けているのとそう変わらない。太腿を撫でる感覚も、露出している意識も、この間三人と遊びに行ったときに着ていたものとは段違いだった。

 

「慣れれば恥ずかしくない。我々女性はいつもそういう格好をしているのだからな」

「そういう千冬姉はいつもズボンじゃないか!」

「私は良いんだよ、私は」

 

 そう言って、千冬はイチカの頭を乱暴に撫でる。くしゃりと髪を揉まれると、イチカは何とも言えない気分になってしまう。昔、子供だったころはよくやられた仕草だった。

 子ども扱いされている不満と『庇護者』でいられる安心感がないまぜになって微妙な心情になったイチカに、千冬は笑いかけて、

 

「私はな、妹が欲しかったんだ」

 

 そんなことを言いだした。

 しかしそこに邪な意思はなく、どちらかというと子供の頃の憧憬を語っているようだった。

 そんな千冬の横顔をまじまじと見つめるイチカに気付いたのか、千冬はニヤリとイチカの方に悪戯っぽい笑みを向け、

 

「弟も可愛くて悪くはなかったがな」

「可愛いって何だよ、可愛いって」

「可愛いという言葉は、おそろしく多義的なんだよ」

 

 茶々を入れるイチカの言葉を軽く流して、千冬は続ける。

 

「だが、『同じ女』という連帯感は共有できなかった。束と箒を見ていると、そういった部分も少なからずあるように思えてな。所詮は『隣の芝生』なんだろうと思いつつ、それでも羨ましかったのは覚えている」

 

 ただ、それをこのタイミングで言ったということは、そこまで純度の高いコンプレックスという訳ではなかったのだろう。それに、イチカは自分の性を否定されたというよりは、姉にもそういった『子供らしい望み』があったのか、と親近感がわく思いの方が強かった。

 この姉は、少しばかり完璧超人すぎるきらいがある。

 

「だから、今イチカが女の子として――妹として私の隣に在ってくれるというのは、けっこう満たされることなんだよ」

「体は女でも、一応弟として此処にいるつもりなんだけどな……」

 

 イチカは呆れて言ったが、良い話モードに入っている千冬を止めることはできなかった。

 

「そういえばさ、今度のトーナメントなんだけど」

 

 仕方ないので、イチカは目下最大の関心事に触れる。

 千冬の表情が、無表情なのににた~りと笑う気味の悪い感じから、正真正銘の無表情に変わった。こういう切り替えが早いので、イチカは完璧に千冬を『変態枠』に入れることができないのだ。

 

「束さん……大丈夫か? 何か企んでたりしない?」

「ああ、そういうことか。安心しろ。企みまくっている」

「安心できる要素が一つもねえ‼」

 

 当然と言えば当然の展開に、イチカも当然吠える。千冬はイチカを宥めつつ、

 

「だから安心しろと言っている。どうせアイツが何かを企まないことなどありえないのだから、企んでいることを気付けない方が問題だろう。私がそれを認知しているということはつまり、ヤツの企みは全て完封しているという意味だ」

 

 しかし千冬がすべての企みを完封できているとは限らないのだから、やっぱり安心できる要素はないのでは? と疑問に思うイチカであったが、千冬にどうにもできないことなら全世界のどの人間がどんな方法を使ったところで対処できないという意味なので、ツッコミを入れるのはやめておく。

 代わりに、

 

「……一応、どんな企みがあったのか聞いておきたいんだけど」

「聞いたところで、お前の精神力が削れるだけだと思うが……」

「それでも聞いておく! 千冬姉の対処が完璧かどうかも分からないんだ! 自分の身に降りかかって来た時の為に、今のうちから傾向を把握して覚悟を決めておきたいんだ!」

 

 そう言い切るイチカは既に若干捨て鉢だったが、千冬も人の子だ。情けはある。そういうことなら仕方がないので説明してやることにした。

 

「基本的に、白式のシステムにハッキングをしかけて試合途中でコスチュームを変形させるタイプの企みだったな」

「おおう……」

 

 覚悟を決める為の行動だったのだが、却って未来に絶望するだけだったイチカである。未来に起こり得ることを事前に知れたらたとえ未来を変えられずとも幸福、なんていうのは狂人の理論である。

 

「ISのハッキングにも色々と手段があってだな。直接コアネットワーク経由で制御を乗っ取る方法については前回束がやった。あの後、私がじきじきに奴を〆て監視のもとにバックドアを潰させたからこちらは問題ない」

「じゃあ、後はどうするっていうんだ……?」

 

 コアネットワーク以外にISに干渉できそうな窓口など、あんまりないような気がする。そもそもISというのは誕生と共に世界の在り方を変えてしまったほどのバケモノだ。開発者にしか使えない裏技的な抜け穴以外で簡単に無力化できます、なんてことができれば世話はない。

 

「あのなあ、ISをあまり過大評価しすぎるな」

 

 千冬は呆れたように笑い、

 

「あんなのは、定規みたいなものだ。その気になれば誰でもできることを補助しているに過ぎない」

 

 そう言って、千冬は指で拳銃の形を作って、空に向けて振る。

 すると、直径一メートルはあるであろう光の束が天空めがけ放たれた。

 ぽっかりと、大空に浮かぶ雲に穴が開いた。

 

 一撃で数キロ先にある戦艦を串刺しにする、ISエネルギーを利用したビーム光線だった。

 

「…………まあ、それはともかくとして」

 

 今、イチカは何も見なかった。

 

「こんな風に、ISによる現象はその気になれば生身で再現できる。武装変更くらい、束なら余裕だ」

「話題切り替えてるんだから蒸し返すなよ‼ あんなの千冬姉くらいにしか出来る訳ないって‼」

 

 如何に束の科学力が常軌を逸していても、それはあくまで科学力がヤバいのであって千冬のように物理法則に喧嘩を売る類のものではない。一緒にされては流石に束も戸惑ってしまうことだろう。

 

「今の所確認できた奴の小細工としては、イチカの脳にバニーガール電波を放ち、意識をバニーガール一色にすることでISの自己進化機能の方向性をバニーガールに固定し、二次移行(セカンドシフト)時の形態をバニーガールに大幅に近づけるというものや……」

「待て‼ ちょっと待って‼ まずおかしいところがあるんだけど! バニーガール電波って何⁉」

 

 せっかく本編中で初めて二次移行(セカンドシフト)の説明が来たというのに、イチカはそれよりも酷い話を聞いてしまう。

 ちなみに、二次移行(セカンドシフト)とは読んで字の如くISが第二形態に移行することだ。ISは絶えず操縦者の心理状態や操縦技能のデータを記録することで自己学習を繰り返し、そのデータが一定以上溜まったときに新たな形態に進化するのだった。

 なお、この際明らかにアーマーの質量が変わっていたり存在していなかった武装が追加されていたりもするのだが、そこは『ISだから』で納得するしかないのであった。

 

「何って……何がおかしいんだ?」

 

 必死の訴えを行うイチカに、千冬は本気で怪訝そうな表情を浮かべる。もはや異次元言語であった。

 

「最初から最後までおかしいだろ! 何だよバニーガール電波って! 意識をバニーガール一色にするっていうのもおかしいだろ! 洗脳はアウトだろ! ISの操縦者保護機能はどうなってるんだ⁉ 確か授業で聞いた話だとISは薬剤・音波などによる洗脳攻撃もまとめて無効にしてくれるって話じゃなかったか⁉」

「ああ。だから人格や思考能力、感覚機能には影響がない範囲で、脳内をバニーガール一色にすると言っているんだ。操縦者の命を脅かすレベルでない限りにおいては、絶対防御は発動しないからな」

「抜け穴だらけだな絶対防御‼」

 

 この分では『命に危険がないから良いよね?』ってことで性感に訴えかけるタイプのセクハラ攻撃は素通りしてしまうであろう。女性しか乗れない世界最強の兵器に有効な唯一の対抗策がエロ攻撃。実にエロゲーみたいな設定であった。多分、餌食になるのはイチカだけだが。

 

「あとは……」

「いや! 良い! やっぱりもう良い! 千冬姉が全部どうにかしてくれたんだろ⁉」

「まあそうだが」

 

『だから言ったのに』と言わんばかりに溜息を吐く千冬に、『それでも聞く』なんて言っていたイチカは気まずそうに肩を落とした。

 

「他にもいろいろあったんだが……まあ、あまり言いすぎても可哀想だからな、このくらいにしておいてやろう」

「ありがとう……」

 

 礼を言うようなことではないのだが、もはやイチカの基準は通常から大きく乖離してしまっていた。

 

「ところで、バニーガール電波ではなく図書委員の眼鏡っ子ちゃん電波だったらOKだったりしたか?」

「電波の時点でアウトだよ‼」

 

 と、そんなことをツッコんでいたりしている間に、イチカの視界に見慣れた風景が映った。IS学園に入学する前には当たり前だった我が家がある住宅街の風景だ。

 二か月ぶりに帰って来た風景は、イチカに『帰って来た』という実感を与えてくれる。当然のことだが、二か月程度ではあたりの風景は変わっていない。イチカがISを機動できるという報道によって近所に色々と迷惑をかけたと思っていたイチカは、特に変わり映えのない風景に安堵していた。

 なお、近所への被害がゼロなのは、千冬の力技であった。世の中力が全てなのである。

 

「久しぶりの我が家だー」

「私も久しぶりだな」

 

 そう言って、織斑姉妹は家に入って行く。久々に帰って来た家は、何故だか少しよそよそしい雰囲気を感じた。

 

「二一時にはモノレールに乗るから、それに間に合うように支度しておけ。いいか、遅れないようにしろよ」

 

 後ろ手で扉を閉めた千冬は、イチカにそう声をかけて居間の方へ歩いて行く。その言葉に違和感をおぼえたイチカは、こめかみに手を当てる。ISの機能の一つである空間投影式モニターが表示され、現在時刻が表示される。……現在時刻は八時。当然ながら、荷造りなんて一時間とかからずに終了してしまう。

 

「お前も久々に地元に帰って来たことだし、会いたい友人くらいいるだろ」

 

 居間へ歩いて行く千冬は、そう言ってあっけらかんと手を振っていた。

 その後姿に、イチカは人知れず笑みを浮かべる。

 変態で、理不尽なところもあるけれど、こういうところがあるから、イチカは千冬のことを胸を張って『自慢の姉だ』と言えるのだ。

 

「あ! だが約束は有効だからな! 変身解除したらダメだからな!」

 

 ……言える………………のだ…………多分……。


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