【完結】どうしてこうならなかったストラトス   作:家葉 テイク

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第一一話「あるすれ違いの終着点」

 イチカと鈴音の試合から、一日が経った。

 

 結局大爆発こそ起こったものの、被害は殆ど皆無だった。

 大爆発はISのエネルギーによって起こされたものであり、掛け値なしに核爆発級の凶悪度だったが――しかし、それは何の問題もなく千冬がなんか得体のしれない能力によって防御していたのであった。

 下手人の束はあれから音沙汰がないが、千冬が『然るべき報いは受けさせる』と言っていたので、おそらく今日も元気に悲鳴だか奇声だか分からない何かを上げていることだろう。

 

「ったく、あの馬鹿ときたら……」

 

 カツカツと、鈴音は保健室へと続く廊下を歩いて行く。

 殆どの者は無傷だったが、イチカに関してはそうはいかなかった。

 イチカはあの一瞬で機転を利かせて『零落白夜』を発動し、爆風を相殺しようとしてしまっていたのだ。

 無人機――ゴーレムの爆発は、ISエネルギーの過負荷によるもの。であれば、『零落白夜』はその爆風の影響を斬るだけで消し去ることができるのだ。……だが、実際には既に千冬が得体のしれない能力で防御していた。

 結果、『零落白夜』は千冬の得体のしれない能力を相殺し、結果イチカだけは暴風の影響を(部分的にではあるが)受けてしまった。もちろんエネルギーゼロ状態とはいえ、ISの保護は絶対だ。なので別に命に別状はなく、大怪我もしていない(尤も、仮にISの保護がなくとも束のことだし頭がアフロになる不具合しかなかったであろうことは想像に難くない)のだが……自分の力量を大幅に上回るプロとの大立ち回り、公衆の面前で白スク水姿を晒された羞恥などからくる精神的疲労からか、そのあとイチカはすぐに気絶してしまい、そのまま保健室に搬送されてしまっていた。

 当の鈴音や箒、セシリアも昨日は疲労の為(おそらくほとんどが精神的な疲労だ)あのあとすぐに自室でダウンしてしまっていたので、今日、やっとお見舞いにやって来れたのだった。

 

「『零落白夜』を使う余裕があるんだったら、瞬時加速(イグニッションブースト)で少しでも爆発から遠ざかることだって出来たハズなのに、この期に及んであたし達まで守ろうなんて馬鹿みたいなこと考えるからこうなるのよ」

 

 そう言って、鈴音は手に持った果物の入ったバスケットを少しだけ揺らす。しかしやはり、その声色に険はない。

 あの一瞬で、誰よりも早く誰かを守るために動けたあの少女は……勝敗の上では鈴音に負けていたとしても、少なくともあの瞬間だけにおいては、ISの戦闘力とは別のもっと大事な部分で、『次期代表』なんて呼ばれている鈴音よりも先の領域に達していた。

 そして鈴音はそんな、この中の誰よりも弱いくせに、誰よりも一生懸命に誰かを守ろうとするイチカが――大好きだから。

 

「ま、どうせ負けてただろうとはいえ、中国次期代表のあたしに一太刀入れたんだもの。ちょっとくらい褒めてやっても良いかしら。ご褒美に……そうだ、駅前のパフェでもご馳走してあげよっかな。アイツのことだしどうせ『そんな女の子っぽいもの食べたことないよ』とか言い出すんだろうけど……いい加減、少しは女の子させないとね」

 

 ぶつぶつと呟いて行くうちに、鈴音の顔はどんどんと綻んで行った。

 同性の友達と、こんなに仲良くなるなんて経験――鈴音にとっては初めてだった。みんながみんな、鈴音のツンケンした、竹を割ったような性格を嫌悪し、離れて行ったから。中国に行ってからも、めぐり合う同性の殆どがライバルだった。素人同然のところから溢れる才能で駆けあがって行った鈴音をやっかむ声は常に多かったし、嫌がらせを受けることだってあった。それでも、鈴音を助けてくれる者なんていなかったし、鈴音も最初からそんなことは期待していなかった。

 

「あー……でも、どうせあの変態二人がちょっかい出してきそうね。いちいち警戒すんのも面倒だし、一緒に連れて行こうかなー……千冬さんの技を見て、いくつか試したいこともできたし」

 

 そんなことを言っているが、何だかんだで一緒に外出に付き合っても苦ではないと思う程――鈴音は、二人の事も認めていた。同性の友達なんて期待すらしていなかった鈴音が、今はイチカだけでなく、他の相手に心を開けるまでになった。

 思い返すのは、あの買い物の日。

 

『色々あったけど、俺、IS学園に入学してよかったって、今は思う』

 

 あのときは、『……そ』なんて、恥ずかしがって気の利いた返事すら言えなかったけれど、今なら、とびきりの笑顔を浮かべて言える。最初は本気で憎みさえした相手だけれど、こんなに一緒にいて楽しくなれた。一緒に遊んでも良いと思えるような友達が、たくさんできたのだから。

 

(あたしも、IS学園に入学してよかったって――今は、思う)

 

 そんな気持ちを胸に、鈴音は目の前に来た保健室の扉に手をかける。

 第一声は、何にしよう? 多分この時間は起きてるだろうし、退屈もしているだろうから、『鈴様が遊びに来てやったぞー!』だろうか? いや、せっかく見舞いの果物も持ってきていることだし、『差し入れ持って来たぞ有難く思いなさい!』か? いや、この機会にイチカに林檎剥きを教えてやるというのも悪くないかもしれない。いや……それより、まず最初に言いたいことがいくつかあるんだった。よし、ここは――。

 

「ったく、やらかしたわねイチカ! 鈴さんが調子見に来てやったわ、」

 

『よー!』と続けたかった鈴音の言葉は、そこで止まった。

 何故か?

 そこにイチカがいなかったからだ。

 いや、それだけではない。

 イチカがいないだけではなく――――()()()()()からだ。

 

 ……一夏がイチカでいられるのは、ISを展開している間だけ。対抗戦(リーグマッチ)のときまでイチカの姿で日常生活を送っていたのは、ISアーマーを量子化したままISのシステムのみを機動し、シールドエネルギーも極限まで温存していたからだ。

 対抗戦(リーグマッチ)が終わり、ISを展開する必要がなくなった以上――――一夏が、イチカである必要はない。

 

「おう、鈴か。いやあ、まさか千冬姉があそこまで化け物とは思ってなくてさ……」

 

 ベッドの上に横たわり、上半身だけ起こした少年は、そう言って照れくさそうに小さく苦笑する。この一か月で、何度となく見た雰囲気の笑みだった。

 

「……え? あれ、何でアンタここに……いやそうじゃなくて……イチカはどこ……?」

「?? 何言ってんだ鈴。俺なら此処にいるだろ」

「そうじゃなくて‼ アンタじゃなくて……このくらいの身長の、顔は可愛いのに馬鹿でガサツで、変にお人好しなせいで騙されやすくて、自分のことに鈍感で押しが弱い、危なっかしい子が…………‼‼」

「……それ、もしかして俺のこと言ってんの?」

 

 散々女の姿のときに鈍感な部分を指摘され続けていたからか、一夏もそのくらいは自覚が出てきていたらしかった。

 この瞬間、鈴音の中のズレていた歯車が、元の位置に戻った。

 

「何…………言ってんの…………?」

 

 ぼすり、と、手の中からバスケットが零れ落ちる。

 言われてみれば。

 顔は良いのに馬鹿でガサツで、変にお人好しなせいで騙されやすくて、自分のことに鈍感で性欲がないんじゃないかってくらい押しが弱い唐変木が、目の前にいた。

 

「それって……つまり……」

 

 よろよろと、鈴音は一夏のもとへと歩み寄って行く。しかしそこにいるのはイチカではなく、まぎれもなく――IS学園に来たころは、会うのを心待ちにしていた――織斑一夏の姿だった。

 鈴音は、イチカのことを『何らかの方法で一夏と内面的に繋がり、彼に外界の情報を入力する為のデバイス役』だと思っていた。

 だが、もしもそれが間違いなのだとしたら?

『女しか扱えないISに搭乗した結果、ルールを歪めるのではなく、自分が歪むことによって性別が変化した』のだとしたら?

 すべては鈴音の勘違いで――鈴音と同じように『大人の都合』で無理やり訳の分からない環境に放り込まれて、それでもなお鈴音とは違い誰かの期待に応えようと必死に努力する、自罰的過ぎるほどに自罰的な、どこか危なっかしい少女なんて…………鈴音に生まれて初めてできた同性の親友なんて、この世のどこにも存在しないのだとしたら?

 これまで感じて来た友情が、全てただの嘘っぱちの勘違いだとしたら?

 

「う、う」

 

 そんな事態に耐えられるほど、鈴音の心は強くなかった。

 

「うえぇぇぇぇ……………」

 

 鈴音の瞳から、涙が零れる。

 

「えっ、ええっ⁉」

 

 一方の一夏は、もはや驚くしかない。何せ意気揚々とやってきた親友が自分の顔を見るなり、この世の終わりと言わんばかりの絶望感と悲壮感を漂わせながら近づいてきて、自分の傍まで来た途端に泣き崩れたのだから。

 

「ちょ、大丈夫か鈴⁉ どうした、何があった? なんか嫌なことでもあったのか⁉」

「イチカぁ、イチカぁ……!」

「俺ならここにいるぞ!」

「アンタじゃなくてぇぇぇ……!」

 

 慌ててベッドから起き上がって鈴の近くに寄る一夏だったが、今まさに親友を失ったばかりの鈴音はただただ子供のように泣きじゃくるだけだった。

 

「なんで、なんで言ってくれなかったのよぉぉぉ……!」

 

 鈴音は、涙をぽろぽろ流しながら一夏に縋りつく。この時点で、一夏はようやっと雲行きの怪しさというか、事態の全貌の輪郭を掴み始めた。

 

「あたしっ、知らなかったからっ、ずっとずっとっ、イチカのこと女の子ってっ、初めての女友達ってっ」

 

 鈴音の脳裏に、色々な思い出がよぎっていく。ほんの一か月弱程度の間だったが……それでも、イチカとの思い出は、彼女の中ではかけがえのないものになっていた。

 鈴音は竹を割ったようなさっぱりした性格と、歯に衣着せぬ物言いのせいで、男友達は多いが同性からの評価は真っ二つに分かれるタイプだった。しかも、好意的な評価にしても『遠くから見ている分には』という但し書きがつく類のもので、中学時代の鈴音がずっと一夏や弾などの男友達とつるんでいたことからもそれは分かるだろう。

 そんな鈴音にとって、イチカは――女の子としてはかなりダメな部類であったが――初めて出来た女友達で、自分と同じようにISを使う者で、親友だったのだ。

 

「それ全部、勘違いだったなんてっ、全部嘘だったなんてっ、そんなのっ、あんまりでしょぉぉぉぉ……‼」

 

 だが、そんな少女はこの世のどこにも存在していない。

 自分がそう思っていたのは少女の姿に変じた中学時代に離れ離れになった幼馴染で、親友で、想い人。当の本人はずっと、昔のノリのままに接しているつもりで、鈴音はたった一人で馬鹿みたいに女同士の友情ごっこをやっていたというわけだ。

 

「ご、ごめん……」

「うわぁぁぁぁぁ‼ イチカぁ、イチカを返してぇぇぇぇ‼‼」

 

 本人を目の前にして『イチカを返して』というのはかなりエグイ発言だったが、誰が彼女を責められよう。『人生を賭けるくらいに強大な恋慕』に匹敵するほどの熱量を持った友情を感じていた相手が、実は恋慕を抱いていた相手と同一人物でしたと言われて、頭の中が混乱しない方がおかしい。一夏とイチカ、それぞれの存在が鈴音の中で大きすぎて、二人が一つにならない。それゆえ、鈴音はイチカを失ったような感覚を味わっているのだ。

 

「ま、参ったなあ……」

 

 だが、一夏としても勘違いは最初の時点で片付いたと思っていたので、それ以降は『織斑一夏として』鈴音と親交を深めているつもりだった。そして、IS学園に入ってから二人は間違いなく中学時代よりも仲良くなっていた。その親交が実は別の誰かとのもので、自分の分は急にチャラになったと言われても、一夏は戸惑うしかない。

 ともあれ、現時点で一夏が問題の解決策として取り得る行動は、一つしかなかった。

 鈴音が悲しんでいるのは、親友だと思っていた『イチカ』が、実際にはどこにも存在しない人物だと分かって、感じていた友情が嘘っぱちだと思ったから。ならどうすればいいかくらいは、鈍感な一夏にも分かった。

 

 一瞬、まばゆい光が部屋中を覆ったと思った、その直後。

 

 鈴音が顔を上げると、そこには困ったように鈴音を見下ろすイチカの姿があった。もう、こうした変身にも慣れたもので、既に肉体のみの展開すら可能になっていた。

 相変わらずの美少女具合で、事情を知らぬものが見れば彼女が男である織斑一夏などとは到底思い至らないであろうが、その男っぽい趣味のぶかぶかの丈余りの寝間着が、彼女の正体を鮮明に伝えていた。

 

「……なんていうか、悪かったよ。もっと早くに気付ければよかったんだけど……」

 

 謝りながらも、イチカはぽんぽんと鈴音の頭を撫でる。その感じは――まさしく、鈴音と一緒に笑い合ったイチカそのものだ。……全くの同一人物なのだから、当然なのだが。

 

「イ、チカぁ……!」

「鈴?」

「イチカぁ‼」

 

 それで何故だか安心した鈴音は、そのまま飛び上がってイチカの首に抱き付く。面食らったイチカは『わっ⁉』と短い悲鳴を上げ、ベッドの上に押し倒された。

 驚いたイチカだったが、突き放すようなことはせず、ただ黙って受け入れる。これが普段の変態淑女のそれとは別物だということくらい、鈍感なイチカにも分かる。そのまま、イチカは静かに語り出した。

 

「いろいろ行き違いはあったみたいだけど……俺が言ってたことは、全部、本当の気持ちだからさ……」

 

 鈴音が全くのゼロからイチカのことを親友だと思うようになったのより劇的ではないが、イチカだって鈴音との関わりの中で以前よりずっと鈴音のことを親しく思うようになっていた。お互いの認識に違いはあれど、交わされた言葉の意味に大きな隔たりがあれど、その事実だけは変わらないはずだ。

 鈴音と仲良くなれたことも、IS学園に入学して良かったと思ったことも、全部本当の事だ。だから。

 

「全部嘘なんて、言わないでくれ」

 

 ……ああ、と鈴音は思う。

 色々勘違いはあったけれど、思っていたのとは違う内面だったけれど、それでも、イチカはイチカで、一夏でもあるんだ、ということが実感できる。鈴音に初めてできた女友達は嘘なんかではなく、でも最愛の人がいなくなったわけでもない。

 まだ、二つの別個なイメージを統合させることは難しい。二つのイメージは鈴音の中のあまりにも大きな部分を占めてしまっている。だが、それらが同じ存在であるということも、何となく認められるようにはなって来た。……不思議な感覚だった。

 

「……そう、よね」

 

 イチカに抱き付いたまま、鈴音は小さく呟く。だが、その声はしっかりとイチカにも届いていた。

 

「ああ」

「……ホントに、心配したんだからね。あんたエネルギーも一〇%しかないくせに、『零落白夜』なんて使ってさ……。千冬さんが防御シールドを張ってくれなかったらどうするつもりだったの?」

 

 ぐすぐすと鼻を鳴らしながら、鈴音は言う。イチカはすっかり調子を戻した鈴音の様子に苦笑しながら、頭を掻いていた、

 

「大体、いくらエネルギーを相殺できるって言ったって全部守り切れるわけないじゃない! どのみちアンタは無事じゃ済まないに決まってるでしょ!」

「いやぁ、何とかなるかなって……」

「現実を見てみなさいよ! なってないじゃない!」

「仰る通りで……」

 

 鈴音は相変わらず泣いていたが、その涙の意味は先程と変わっていた。

 

「その上、説教してやろうとしたら勝手にいなくなって……もう会えないかと思ったじゃないのよ馬鹿ぁ……」

「あのなぁ……男だろうが女だろうが、俺は俺だろ」

「そうだけどちょっと違うのよ馬鹿ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………!」

「はいはい、悪かったよ。……反省は、ちょっとしてる」

「ちょっとじゃ駄目なのよ馬鹿ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!」

 

 本格的に泣きじゃくり始めた鈴音をあやしながら、イチカは思い返していた。

 一か月前、セシリアに言われたことを。

 

『良いですか、織斑。「イチカさん」は可愛くてか弱くて初心な女の子。「織斑」はみてくれだけは良いですが脆弱で鈍感な野郎。……なのに同じ「いちか」で呼んだら、「イチカさん」を呼ぶときにあなたの顔がちらついて上手く萌えられないではないですか。そんなことも分からないんですの?』

 

 つまり、『一夏』には優しくしづらいが、『イチカ』に対しては態度を軟化させやすい。そういう傾向が、セシリアや箒といった変態淑女だけでなく、鈴音のような一般人にもある。そういうことだろうか。

 

(女って色々と大変なんだな……)

 

 女として仲良くなったのだし、鈴音の方も気持ちの整理が必要なのだろう。これからは男の自分にも素直な気持ちが言ってもらえるよう努力しよう――とイチカは思うことにした。

 流石の唐変木っぷりだった。

 

「その、さ」

 

 たくさん泣いて落ち着いたのか、抱き付いて押し倒した体勢のまま、鈴音はイチカに顔を見せずにゆっくりと話し始める。

 

「色々と、ごめん。気が動転しちゃって……」

「良いよ。勘違いしてたのは分かったし、俺だって同じ立場だったらびっくりしただろうし」

「中身が一夏だと思うと途端に腹が立ってくるわね……」

 

 それはそれで理不尽だと思うイチカだが、鈴音は気を取り直して続ける。

 

「これから、少しずつ……慣れて行くから。男のアンタにも、同じことを言えるようになるから……ごにょごにょ」

「まあ、そんな焦らなくて良いって。気長で良いから」

 

 そう言って、イチカは鈴音の頭を撫でる。

 ふと冷静になって、鈴音は気付く。この状況……実は『凄く良い』のではないだろうか? 性別こそアレだが、抱き付いてベッドの上に押し倒して密着しているというこの体勢は、『男女の仲』で言えば、かなり進展している風があって、とてもムードがあるのではないか?

 鈴音の中の乙女回路が、好反応を叩きだした。今のイチカは女の姿だが……だからこそ、男の一夏相手では恥ずかしくて意地を張ってしまって言えないことも言える。言うなら、今だ。雰囲気的にも完璧だし、いくらなんでもこの朴念仁にだって分かるはず。

 

「い、()()! あたしアンタのこと、」

「そういえばさ、鈴」

 

 言いかけた鈴音にかぶせるように、イチカは言う。イチカの中で勘違いのくだりは完璧に終わっていたので、もう別の話である。

 

「あ、ごめん。何だ?」

「いや、イチカからで良いわよ……」

 

 機先を挫かれた鈴音は凹みながら言った。まあ、少しくらい譲ってやってもいいだろうと鈴音は思った。むしろ、ちょっとした小休止を挟んだ方が鈴音の心の準備もできる。既に及び腰になりつつある鈴音だったが、本人にその自覚はなかった。

 

「あ、そう? いや、別に大したことじゃないんだけどさ……お前、前に遠くに好きな人がいるって言ってたよな」

「‼‼‼‼‼」

 

 まさかのイチカからの話題転換に、鈴音の胸が高鳴る。

 確かに、考えてみればイチカからその真実に気付くまでの道筋はあった。『今は遠くにいる人』と言った時に、イチカのことを本物の女の子だと思っていたのなら、当然そこに一夏も候補として含まれることになる。とんでもない朴念仁だということは既に(匂わせる程度に)説明しているのだから、もしかしたら気付いたのかもしれない。

 いや、最悪違ったとしてももうこのまま押し切ろう。『それはアンタのことよ‼』と言ってやればいいのだ。イチカ相手ならそのくらい余裕だ。さあ言ってやる――、

 

「俺の中身が男だって分かった以上、こういうことするのはまずいだろ。離れた方が良いぞ?」

 

 という鈴音の覚悟は、朴念仁の一言によって粉々に打ち砕かれた。

 ――――いくら何でも、苦笑いでやんわりと肩を押して来る少女に告白を叩き込めるほど、鈴音のメンタルは強くない。

 

「いっ」

 

 鈴音は、殆ど泣きそうになりながら、

 

「い?」

「良いのよ今のアンタは女であたしの親友なんだからこのくらいノーカンよ――――――――――っっ‼‼‼」

 

 ヤケクソになってイチカの首にしがみ付き、気道を〆る勢いで抱きしめる。部分展開をマスターしたイチカはシールドエネルギーの展開も普段は削減しているので、不幸なことに絶対防御も発動していないのだった。

 

「あぐっ! 鈴、しまってる、しまっちゃってるからこれ! っていうか今また泣いてなかったか⁉ お前涙腺緩くなってないか⁉」

「今日だけ‼ 今日だけなんだからぁぁぁぁうわぁぁぁぁぁぁぁぁん何であの時のあたしはあんなこと言っちゃったのぉぉぉぉぉ‼‼‼」

 

 これでもう、朴念仁のイチカは鈴音がよほどのアピールをしない限り、『鈴音は中国にいる某のことが好きだから別にこれはそう言う意味じゃない』と勘違いしてしまう。鈴音にとって絶望的な条件が付加された瞬間だった。

 ヤバいこれ死ぬ、とイチカの目前で走馬灯が駆け巡るように記憶が浮かび上がりかけたところで、

 

「イチカさん、無事ですの⁉⁉⁉」

「イチカ、大丈夫だったか⁉⁉⁉」

 

 二人の乱入者の声によって、イチカは辛うじて意識を繋ぎとめる。鈴音が虚を突かれて首を絞める腕を緩めてくれたのも大きいが。

 

「……あら? 中国次期代表……もしかしてわたくし達、お邪魔でしたか?」

「どうやら、そのようだな。……馬に気を付けるとしようか、セシリア」

 

 きょとんと首を傾げつつも、セシリアと箒は一切遠慮なく保健室の中に入って行く。

 

「でもまあ、結果オーライですわ。『抜け駆け』はよろしくありませんもの、ねぇ?」

「ああそうだな。イチカは――()()()()()()()()財産だ。だろう?」

「あっあっ、アンタらは『イチカ』目当てであって、『一夏』の方はどうでも良いんでしょ⁉」

「ああ、その通りだ」

「ですが、『一夏』をとれば『イチカ』の方も貴女が独占するでしょう?」

 

 ニヤリと笑いながら問いかけるセシリアに、鈴音は当惑しつつも答える。

 

「あ、当たり前よ! どっちにしたって『いちか』は『いちか』なんだから!」

「それじゃあ結局は同じことじゃないか」

「なんかさっきから俺の名前が飛び交いすぎてて訳が分からんぞ……」

「イチカさんは、気にしなくてもよいのですわ」

 

 そう言って、セシリアはするりと鈴音との間に入り込み、イチカの事を抱きすくめる。

 

「おいおい。ずるいぞ。私だって」

 

 それを見た箒も、イチカの首に腕を巻き付けるようにして添い寝する。……二人とも、地味にイチカの身体を撫でているあたりが悪質だ。

 その上、肝心の鈴音の方はぐいぐいと二人に押し出されるようにしてベッドから転げ落ちつつある。

 

「おい、お前ら、くすぐったっ、ひゃ! どこ触ってんだ馬鹿!」

「そういえば負けたらぺろぺろするって言いましたわよね? 今がその時……ぺろぺろ……」

「あ゛ぁ~、たまらないな……。この膨らみかけの……ああーいい……」

 

 イチカが嬌声を上げる横で、鈴音がゆっくりと立ち上がる。顔は陰になって隠れており、どう考えても危険信号を発していたが――馬鹿二人はセクハラに夢中で気付かない。

 

「この肌艶……すばらしすぎますわ……天使のようですわイチカさん。イチカさんマジ天使」

「いっそここは天国なんじゃないか? このまま永遠にすごしていたい……」

「この、離せ馬鹿! やめろ、揉むなぁ、やめ、手をすべり込ませ、…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………あっ」

「アぁ~ンん~タぁ~らぁ~……‼」

 

 そして、鈴音が構える。

 千冬のプロの対変態ツッコミをその目で見て、我流にアレンジした鈴音の拳が――、

 

「そんなに天国に行きたいなら、あたしが連れて行ってやるわ。この拳でね‼‼」

「はっぷわ――――――――っ⁉⁉」

 

 馬鹿二人の顔面を、過たず撃ち抜いた。

 ガッシャアアアン‼‼ と窓ガラスを叩き割って吹っ飛んでいく変態二匹を眺めていたイチカは、これ、誰が修理代持つのかな――なんてことをぼんやりと考えていた。

 

「……それじゃ、あたし、帰る! アンタももう良くなったんだったら、さっさと部屋に戻りなさいよね! それと、今度の休み……今回のお疲れ様会ってことで、どっか遊びに行くからね! 良い⁉」

「…………お、おう」

 

 イチカが頷くと、鈴音はそのままドスドスと肩を怒らせたまま保健室を出て行く。

 後に残されたのは、粉々に砕け散った窓ガラスの破片と、ベッドに座って着衣を乱したイチカのみ。

 

「…………この惨状、ひょっとして俺がどうにかしなくちゃいけないのか?」

 

 誰かに助けを求めようにも、原因である三人はもう遠くまで行ってしまった。

 少しだけ、この状況をどうしようか考えたイチカは、

 

 女のまま、誰かが来るのを待つことにした。

 女の状態だと、皆は優しくなるから。

 

 ……イチカは少し、大人になった。


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