波の国での戦闘から数日後、木ノ葉隠れの里の病院。
「ほらカカシ、飲め。特製のチャクラ回復薬だ」
白衣を身に纏った綱手は、チャクラ消耗の後遺症によって手足も動かせなくなっているカカシの上体を起こし、手ずから吸い飲みで水を飲ませている。
実年齢が50に迫ろうという綱手だが、その見た目は特殊な術による肉体操作によって20代前半のそれである。加えて、白衣の下は胸元を大きく開けた着物であるため、カカシは視線がそこに吸い込まれないようすることに必死であった。
綱手はそんな”青い”カカシの反応に気づかないふりをしながら、内心で満足げに頷く。戦争で恋人を亡くし、結婚しないまま半世紀を生き、近寄る男と言えば幼馴染のインテリエロ助一人―――哀しい境遇である。今もなお現役の”女”であると自負する綱手としては、若いころであればともかく、酸いも甘いも知り尽くした今、若い男から向けられるそういった視線は、自尊心をくすぐるに値するものであった。
そんな綱手の現在はと言えば、畳間が理事長を務める、木ノ葉隠れの里最大の病院”木の葉病院”の院長の座に君臨している。医療忍者の後進育成を終え、木ノ葉隠れの里における”医療分野の最高司令”の座を次世代に譲り渡し、しばらく後に寄せられた畳間の要望を受けてのことであった。完全に隠居させると何をしでかすか分からない賭博狂いの妹に対し、楔を打つという意味も含まれている。
戦争が終わり12年。五大国は平和条約を結び、戦闘行為を主とする任務の数も減少傾向にある。水面下で戦力を増強し続けている雲隠れや、内戦を続けている霧隠れも、五代目火影を恐れ、火の国を刺激するのは避けているのが現状である。
ゆえにかつてと比べて怪我人が減った現在、木ノ葉病院は高齢者の寄り合い所のような場所となっている。来院する患者は多いが、その内容は定期検診であったり、あるいは修業中や土木任務中に負った軽い怪我の手当てなどが主である。時折、見た目は若い綱手に懸想した若者の来院も見られるが、綱手が診察に出向くことは滅多にない。綱手に会うよりも、綱手の後継者として現場を取り仕切っている薬師カブトや、シズネに会う方が遥かに多いのが現状である。
では綱手は何をしているのかと言えば、暇をしている。日中は院長室で書類仕事をしたり、初代火影の面影を求めて訪れる高齢者たちの話し相手をすることが、今の綱手の日課である。その中には、五代目火影の相談役であるはずの水戸門ホムラ、うたたねコハルの姿も見られており、彼らはかつて凄腕の忍者であったことを忘れているかのように、非戦闘員だった木ノ葉の高齢者たちと昔話に花を咲かせている。コハルとホムラの場合は、年を取ったせいか最近では保守的な考えが見られるようになり、その意見のほとんどを五代目に退けられるため、愚痴をこぼしに来ている側面が大きい。
そんな日々の中、カカシとイタチの入院は、綱手を老人介護から抜け出させるに十分な案件であり、こうして院長直々に二人の世話をしているというわけである。
「しかし、貴様ら二人揃ってその様とは……情けない」
隣同士のベッドで休むカカシとイタチに、綱手が言う。
「いやあ、面目ないです……」
「おっしゃるとおりです……」
申し開きもございませんとばかりに肩を落とすカカシとイタチに、綱手は大きくため息を吐いた。
「お前たちなら分かっているだろう。掟とは守るべきものであるが、時に破るべきものでもある。お前たちが私より強いことは知っているが、上には上がいるものだ。撤退の時を誤るな。あの場には、子供たちもいたんだぞ。逃げることは、恥ではない」
「分かっています。しかし、あの時は任務が……」
「お前の任務じゃない」
イタチが言うが、綱手はそれを切って捨てる。
本来、下忍クラスの忍者を連れたまま、明らかにBランク以上が予想される任務の続行を決めたカカシのみが叱責される。イタチはあくまで休暇中に居合わせた他人でしかないからだ。
畳間は五代目火影としての判断ミスを理由に上げてカカシを庇い、自身の減給および、カカシの数週間の謹慎処分を以て処罰とする旨を交付している。これは若き日の畳間が、たびたび三代目火影にされていたことであり、罰則による謹慎処分を理由に、怪我を癒す時間を設ける―――今回の処罰の意図はここにあった。二代目火影の教えを守るならば厳罰に処すべきかもしれないが、畳間は自身が成長と共に変化し大成したことを踏まえて、若い芽を摘み取るようなことをしたくなかった。
実際、カカシが里へ戻り、代わりに別の上忍クラスの忍者を畳間が派遣していたとしても、敵は大蛇丸と干柿鬼鮫という影クラスの忍者二人だ。並の上忍では護衛対象であるタズナともども無為に殺されていた可能性が高い。それはカカシとイタチという木ノ葉隠れの里でトップクラスの実力者二人が、実質的に敗北していることから見ても明らかである。木ノ葉最高戦力に数えられる最後の一人、”木ノ葉の青い猛獣”マイト・ガイがいれば、あるいは話は違っていただろうが、ガイにはすでに下忍の弟子がいる。此度の任務がBランク以上と評価され直していた場合、ガイが派遣されることは在りえない。
それに、カカシが持ち帰った”情報”は非常に大きなものである。
人柱力を狙う組織”暁”の存在。
里を抜けてから
そういった事情も踏まえて、カカシの処罰は決定された。
カカシ自身畳間の意図は理解しており、感謝の気持ちを抱くと共に、自身の行いを省みて、同じ過ちは繰り返すまいと強く決意している。
一方で、休暇中に居合わせただけのイタチへの非難の声は少ない。綱手のように、子供たちを連れて逃げるべきだったいう声も上がってはいる。しかし、負傷したカカシと護衛対象を連れ、水遁を得意とする影クラスの忍びを相手に、海を越えた先に位置する木の葉隠れへ逃げ切ることは困難であり、戦闘以外の選択肢は無かった。むしろ火影が合流するまでの時間を稼いだとしてイタチへの評価は高い。
綱手もそこは理解しているが、情が深くお節介なところもある綱手のこと、イタチとカカシのことを思えば、つい口を挟みたくなる老婆心であった。
「いいか? 任務の成否など、お前たちの命に比べれば些細なことなんだ。失敗しても、取り返しはつく。
戦争を知り、医療忍者として、
「しかし、サスケから、五代目に無理を言って受けた任務だと聞いていました。任務失敗は、五代目の顔に泥を……」
「なるほどな……」
イタチの言葉に、綱手が大きく肩を落とした。
「以前から思っていたことだが、お前たちはどうにも極端が過ぎる。若い世代は”火影”という”名”を舐め過ぎだが、戦争を知る世代は”お兄様”個人への崇拝が過ぎる。前者はだいたいお兄様のせいだが、お前たちはもう少し”五代目火影 千手畳間”を客観視すべきだ。気持ちはわからんでもないが―――」
綱手が懐かしむように、惜しむように目を閉じる。
初代火影、二代目火影、三代目火影、四代目火影―――歴代火影たちの背中が、綱手の瞼の裏に浮かび上がる。
皆、里のため、次の時代のために命を賭け、世を去った。その偉大さを思えば、確かに、神聖視もしたくなるだろう。だが、それは正しい在り方ではない。
イタチ、と綱手が続ける。
「お兄様の顔に泥と言ったな? いいか、よく聞け。そんなもの、好きなだけ塗ってやれ。今更、泥の一つや二つ塗られたところで汚れが目立つような顔じゃない」
「実のお兄さんですよね……?」
あまりの言いようにイタチが戸惑ったように言うが、綱手は「だからこそだ」と言い返す。
「顔に泥を塗られるどころか、肥溜めで潜水するような経験をしてきたのが、我らが五代目火影だ。火影とはな、”汚してはならない神聖な名”ではないし、お前たちが命懸けで守るようなものでもない。むしろ逆……”里”のために汚れる―――それこそが、火影の役目。
親は子を守る―――教え、導く―――ものである。その摂理は不変。現役の親を子が守ろうなど、それこそが親の顔に泥を塗ることだ。親から注がれる愛に感謝を抱き、深い敬愛を抱くのならば―――その愛は、親に還すべきではない。子がすべきことは、己が受けた温もりを、絶やさないことだ。次の時代へと受け継がせることだ。
子が孫に、孫がひ孫に、そして子々孫々にその愛が受け継がれていくことこそが、親へ、祖父へ、先祖へと還る愛の返礼。
それこそが、子が出来る最大の親孝行。いつか老いさらばえた皺くちゃになった綱手たちが、新たな木ノ葉の成長を微笑んで見守ることが出来る―――そんな未来こそが、汚してはならない神聖なものなのだから。
いつか、綱手も、綱手の兄も、世を去る時が来る。そのとき、人々がどのような反応を示すのかを、綱手は最近よく考える。
”神の死”は敬虔なる徒を絶望に突き落とし、そして絶望は、人を狂わせる。
しかし親の死であれば違う。それは哀しみの晩鐘であり、同時に、子供たちの巣立ちの暁鐘。その親を失った悲しみは、子を思う愛へつながるだろう。大樹は朽ちれど、その骸が次に芽吹く若葉の養分となるように。
人は”神の御業”を真似ることは出来ないが、”父の生き様”は受け継ぐことが出来るのだから。綱手は、おそらくは次の時代の先頭に立つであろう”若き火の意志”たちに、それを知って欲しかった。
火影は里を守り、里は子供たちを守る。
では火影は誰が守るのか―――誰も守らない。険しい道を切り開く者を火影と呼ぶのなら、火影を守ってくれる者などいるはずもない。それが、在るべき姿なのだ。
だが、孤独ではない。険しい道に傷つき倒れそうになった時、支えてくれる者が後ろにいる限り、火影は決して、一人ではないのだ。だからこそ、火影を差し置いて先に進もうとすることこそが、”顔に泥を塗る”行為だと、綱手は言うのである。
そしていつか火影が力尽き膝をついたとき、バトンを受け取って、新たな火の意志が影となる。その時初めて、火影は微笑みと共に、皆を照らすその任を終えるのだ。
「……思ったより考えてらっしゃるんですね、綱手様」
暗に賭博馬鹿では無かったのかと言い放つカカシに綱手は黙ってデコピンを放った。
カカシが仰け反り、呻き声も漏らす間もなく意識を飛ばす。
畳間は―――綱手の兄は、若い世代に崇拝され、甘い汁を吸うために火影になったのではない。血と泥に塗れてでも次の世代を、長い戦乱を終わらせて平和の世を掴むために、火影の名を受け継いだのだ。
それは、殺すべき仇敵への憎しみを耐え忍ぶ道。
おそらくは命が終わる時まで、その苦しみは戦争の時代を生きた者達の心を蝕み続ける。
―――何故、仇を討ってくれないんだ
殺された者達から届くそんな怨嗟の幻聴は、きっと鳴りやむことはないのだろう。後悔や苦悩は、きっと今もなお、畳間の中で続いている。
綱手とて、戦争で失った恋人や弟のことを、今もなお夢に見ることがある。何が正しいのかなんて、だれにも分からない。
だが、だからこそ、畳間を始め、木ノ葉隠れの忍者たちは、その道を選んだのだ。戦争で失った人たちが守りたかったものを、夢見た世界を―――守るために。あのとき、戦争と報復を続ける道を選んでいれば、この穏やかな”今”はない。あのとき、あの選択こそが、分岐点だった。
初代火影より、火の意志と共に千手畳間へと受け継がれた秘奥―――真数千手。あの決戦により敵の士気は圧し折れ、戦争の気風は一時的に失われた。
あのとき、木ノ葉が報復を選び戦いを続けていれば、他の里は失った仲間の仇を討つべしと、再び戦意を燃やし、立ち上がっただろう。追い込まれた木ノ葉隠れの里が”昇り龍”となって外敵を打ち払ったように、今度は他の里が”猛虎”となり、木ノ葉を喰らわんと、死に物狂いで抗ったはずだ。
そうなれば、もはや和平も終戦もあり得ない。戦争の利益も戦後の復興も考慮せず、ただ憎しみだけが皆を突き動かす。そして、止まることを忘れた獣たちの戦いの後に残るものは、屍の山と焼き払われた大地だけ。そんな戦いが、”最後の赤子”の鳴き声が止まるときまで、続くことになる。
綱手は、窓の外を眺めた。
高い位置にあるこの病室からは、遠くの方まで、里を望むことが出来る。
病院の前に広く取った庭には、”山中花店”から仕入れられ植えられた苗たちが成長し、色とりどりの綺麗な花畑を作り出している。その中央に設置された噴水から溢れる飛沫は、晴れやかな空に小さな虹を掲げている。
そんな花畑の前で、車いすに乗った老人と、それを押す小さな女の子が、庭の花を眺め、微笑みながら散歩をしている。腰を曲げた老婆が花に手を添えて風を感じ、腹が大きく膨らんだ女性が長椅子に座って花を景色を楽しみ、その隣に男性が座り寄り添っている。
もしかしたら、綱手にもあったかもしれない未来の姿。夫と新たな命の誕生を喜び、年を取って腰を曲げ、穏やかな陽だまりの中で孫や子供に世話をされ、風の中鮮やかな花を愛で、そしていつか花と散る。
(縄樹……、ダン……。イナさん……)
若き日に、共に同じ夢を見た人の姿は消えようと―――その”心”だけは、消えてはくれないから。
自分には訪れなかった儚くも尊い未来を―――せめて愛する甥と、そしていつの間にか、生みもしないのに増えていた”子供たち”に残したい。それがきっと、自分だけではない、かつて共に生き、そして先に逝ってしまった大切な人たちのために出来ること。
綱手はそう信じている。
(大蛇丸……なぜそれが分からない……)
カカシ班を襲ったのは、霧の抜忍干柿鬼鮫と、木ノ葉の抜忍大蛇丸の二名。
綱手は、幼き日を共に生きた友のことを想う。誰にも、何の相談も無く、突如として里を抜けた幼馴染。
大蛇丸が”猿飛先生”を敬愛していたことは知っていたし、類稀な才能を誇り、また両親を幼くして失った大蛇丸に対して、ヒルゼンが特に目を掛けていたことも知っていた。二人は確かな絆で結ばれており、本当の親子のようだとすら思えた。
そんな猿飛先生に、大蛇丸が後継者から外されたと聞いたときは綱手も心が痛んだが、だからこそ、大蛇丸が闇を背負う選択をしたと兄から聞いたとき、綱手は落ち込み腐っていた大蛇丸が遂に猿飛先生の思いを受け継いでくれたのだと喜んだ。
大蛇丸の目的は、綱手には分からない。猿飛先生を奪った”忍びの世”への憎しみから生まれる、復讐心が故の行動か。家族を奪われた憎しみは、綱手だってよくわかっている。だが、どこかで断ち切らねば、戦いの螺旋は終わらない。
(大蛇丸……)
もう、かつてのように、三人で笑い合える日は来ないのだろう。大蛇丸は里を抜け、自来也は里に戻っても、長く居座ることはない。”いつか帰る場所”で在りたいと願い、しかしそれが決して叶うことが無い現実を受け入れている。
大蛇丸は変わったが、自来也もまた変わった。飄々としたすけべな子供だった自来也。今もそのまま変わらずに見えて、その実、その瞳の奥に炎が揺らぐ。
里を守ろうとする火の意志。友がそれを備えることを、初代火影の孫にして、五代目火影の妹である綱手は誇りに思う。だが同時に、もう一人の友・大蛇丸への執着によって、自来也のそれが”黒いもの”にならなければいいと―――綱手は心の底から願う。
憂いを帯びた見た目二十歳の綱手の表情に、イタチが見惚れるように息を呑んだ。
★
うずまきナルトは、木ノ葉の街を一人、お気に入りのオレンジ色の服を着てぶらぶらと歩く。
思い出すのは先日の任務で起きた、これまでの常識を覆す、”上忍”というレベルの戦い。下忍ではどうあがいても太刀打ちできぬ、現実という高く険しい壁。そしてその壁を理不尽に破壊してみせた、火影と言うレベルの力。畳間の木遁分身の肩越しに一瞬だけ見えた、千の手を持つ木仏。
逃げ出したナルトたちですら、背中越しに感じた雰囲気の変化。畳間の出現と同時に一瞬で変わった世界の流れ。イタチも、カカシも、千手畳間と言う男の背中を見た瞬間、その肩から力を抜いた。どうしようもないほどに、抗えない”安堵”の空気。あの異様で心地の良い感覚を、ナルトはこれまで知らなかった。
安心した。安心させられた。畳間がいれば大丈夫だと、畳間さえいれば問題ないのだと、思わさせられるだけの力があった。身を委ねてしまう、心を委ねてしまう。あれが、おっちゃん―――”五代目火影”の
「”火影様”はすげえってばよ!!」
ナルトはあの日から、心臓の鼓動がやけに大きく、早く感じていた。思わず胸を抑えてしまうほど、燃え滾るような熱い感情。それは―――信仰だった。
ナルトは自分が下忍の中では抜きんでた力を誇ることを知っていたが、一方でそれが下忍レベルであることを理解している。上には上がいるもので、ナルトより強い兄弟はざらにいた。そしてその頂点に立つのが、孤児院の父である千手畳間である。強くて当然だったのだ。
これまでナルトはその実力を知らず、確かに畳間に対して威厳を感じていなかったが、敬愛の念は確かにあった。よく遊んでくれる親しみのある父に、いざというときの威厳まで加わって、ナルトの中で畳間と言う男は真実”最高の人”となったのである。
じっとしていられず、ナルトは里に戻ってから毎日、里を練り歩いた。五代目火影が治める、五代目火影の宝”木ノ葉隠れの里”を、ナルトはこれまでとは違った視点で眺めたかった。里を守ることこそが、五代目火影の養子として育てられた自身の役目なのだと信じた。
畳間は事後処理のため、家に戻らない。それが却って、ナルトの中の”五代目火影像”を肥大化させる。もっと強くならなければと、ナルトは里を見て回った後、昼過ぎにはサスケやサクラと合流し、演習場で修業に打ち込んだ。
もっと強く。もっと強く。
五代目火影に及ばなくとも、”五代目の子”という肩書に恥じぬ力を身に着けるのだ。
★
うちはサスケは、夕暮れの木ノ葉隠れの里を一人、泥だらけの姿で、とぼとぼと歩いていた。ナルトとサクラとの自主練を終えて、帰路に就くところなのである。
思い出すのは先日の任務で垣間見た”忍者の頂”と、自身の短慮。兄を盲目的に敬愛するがゆえに窮地を招いたことは、サスケの心に影を落とした。
ナルトに言った、父への甘えを捨てろという自分の言葉が、サスケの心に突き刺さる。
甘えていたのは、サスケの方だった。こんなことでは、火影になることなど出来ない。あの垣間見た”忍者の頂”は、あまりに遠い。今のままでは、たどり着くことは出来ないだろう。
―――ではどうすればいい?
サスケは悩む。
足りないのは力。どうすれば手に入る。何をすれば手に入る。
滾らせるべきは憎しみという闘争心か? あるいは折れぬ志か?
うちは一族は、愛と憎しみによって強くなると、幼いころに小耳に挟んだことがある。憎しみとは
志はある。木ノ葉を守り、世界を守る。幼いころ聞いた忍界防衛隊と言う言葉は、サスケの心に強く残っている。うちは一族は”里の最期の砦”と謳われるが、まだ足りない。兄は世界が平和であることを望んでいる。その一助となり、いずれは兄を越えるならば、その先を見据えなければならない。世界を守ることこそが、サスケの夢。漠然としたその夢に未だ道は見えずとも、純粋で素直なサスケにとって、それは真剣な”未来の姿”だった。
どうしようもなく弱く、興味もないと、敵に言われた。
別にそれは構わない。弱いというのは業腹だが、あの恐ろしく強い妙な雰囲気の忍者に興味を持たれた方が恐ろしい。誰かの関心を引きたいがために強くなりたいのではない。夢のために、うちはサスケは強くなるのだ。
だが、強いとは何だろうか。戦って勝つことは、確かに強さだ。サスケはそれを何故だか自然に受け入れていた。だからサスケは、”戦って勝てない”ことに焦燥を抱くし、自分より”強い”やつを見ると、闘争心が湧き出て来る。是が非でも打ちのめし、最強の名を証明すると、意気込むのだ。
―――だが、それだけで良いのだろうか?
兄の背をずっと見続けてきたサスケは、自身の心のうちから自然と湧き出る”強さへの解”に、どうしてだか疑問を抱いてしまう。
戦国最強を謳われた”うちは一族の名”は、かつての九尾事件の折に示された。しかし、うちは一族より”強い”者はたくさんいる。自来也と言う忍びがいなければ九尾を相手に里を守り切れたとは言い切れず、四代目火影がいなければ封印は為されなかった。
決戦においては五代目火影がいなければ、防衛線は突破されていた。
つまり里を直接的に守ったのは、四代目火影と、五代目火影である。
それでも、うちは一族が里で広く慕われているのは、何故か。そこに、答えがあるような気がする。
「うーん、うーん」
サスケはそれほど良いわけではない頭を抱え、唸りながら町を練り歩く。
「兄さんは最強じゃなかった……? だが……」
うちは一族最強とサスケが謳う兄は、サスケという足手纏いがあったとはいえ、敗北を喫した。直後、イタチすら上回る”強さ”を持つ五代目火影の姿も、サスケは目の当たりにしている。うちはイタチは、最強の忍びでは無かった。それが真実だ。
ナルトとサクラは、千手畳間という男の”力”に惚れたのか、三人で会うたびにその想いを語り合っている。
サスケとて、畳間に対して「たいした人」だと素直に感心しているし、尊敬もし直したが、そこまで騒ぎ立てることであるとは思えなかった。
なぜならサスケにとっての最強は、依然
確かに、五代目火影に比べれば
力とは、物質が起こす事象のことである。
そんな”悟り”が、いつのころからか、サスケの中にはあった。
しかし、
敗北を喫し、”情けない姿”を晒してもなお、依然サスケの中で”最強”を示し続ける兄の背が、サスケの思考をぐるぐるとかき乱す。その解を認めてしまえば、兄は惨めな敗北者でしかなくなってしまう。そんなこと、サスケに容認できるはずがない。
最強ではない兄が、最強である。その矛盾が、サスケを悩ませる。
力は求めるべきだ。強さは持つべきだ。あの戦いを見て、弱いままでいるという選択肢は、サスケには無い。
しかし力だけを求めるべきではなく、強さだけでは何かが足りない。
なんとなく、兄の姿からそんなことを感じるが、しかしそれが何故かまでは、サスケには分からない。
「うーん、うーん……」
考えても答えは出ない。
「知ってそうな奴に聞くか……」
サスケが足を止め、向きを変えた。
「……オレはうちはサスケ」
「……? 知ってるが?」
「挨拶と自己紹介は大事だと、古事記にも書いてあると聞いた」
「それは確かにそうだ。オレは千手畳間だ」
火影の執務室。
書類と格闘していた畳間の前に男の子が立っている。紺色の服を着て、うちはの家紋を背負った小さな忍者。どこか、畳間の―――前世の幼少期にも似た見た目をした、しかし”兄”に似た雰囲気を持つ少年・サスケ。
「あんたに聞きたいことがあって来た」
「……? まあ、答えられることは答えよう」
「いや、その前に。この前は助かりました。ありがとう。それと、すみませんでした」
「……いや、あれについてはオレの判断ミスだ。謝るべきはこのオレぞ」
「そうか。ならいい」
(なんか調子狂うが……これまで周りにこんな素直な人間はいなかったからな……。アカリは素直じゃないことに素直だったが……)
「それで、聞きたいこととは?」
「初代火影の孫、千手畳間。初代から歴代の火影―――その全てを知る”五代目火影”、”歴代最強”と謳われるあんたに聞く。力とはなんだ? ”最強”とはなんだ?」
「……」
思っていた問よりも深刻かつ、忍者の核心を突く問い。サスケの瞳に真剣な色を見て、畳間は瞬時に思考を切り替え、目を閉じる。
「最強……とは何ぞや、か……」
サスケが頷く。
「
「ふむ……。まずは、年寄りの
「ふっ……。そう褒められると照れる」
サスケが頬を赤らめる。
(こいつ本当に素直だな……。イタチが可愛がるわけだ)
「さて……何から話すべきか……。純粋な子供に聞かせるにはちと重い話だが―――」
「純粋でなければ子供でもない。問題ないな」
(その反応が素直な子供なんだよなァ……)
畳間の言葉に瞬時に反応して見せたサスケに、畳間は思わず緩む頬を掌で隠しながら話を続ける。
「しかし歴代最強か……。オレにその名はちと荷が重いが……。道に迷うお前が
畳間は目を閉じ、かつての記憶を呼び覚ます。
祖父の喪失から始まった
そして、戦争を終わらせた
「少し長くなるが、話をしよう。力を追い求め、過ちを犯した男の話を―――」
―――そして時が流れ、日は落ち、里は静けさに包まれている。数人の夜勤者を残し、火影邸から人は消えていた。
蝋燭の火が揺れ動く中、年寄りの長い話は、ようやく、終わりを告げる。
かつて力こそを信奉したうちは一族の若者が、千手の者に”力とは何ぞや”と問う。己の過ちと羞恥に塗れた半生を語り、しかし畳間には満足感があった。
「……」
長いなとは言わず、サスケは話をよく聞いていた。
「力とは、物質の起こす事象のことだ。それはオレも否定しない。だが、それだけじゃない。もう一つ……
一人では出来ないことがたくさんあって、それに気づくのがあまりに遅かった。
畳間が”成功”を収めたのは、いつだって誰かの”力”があったからだった。
若き日に再戦を果たした角都を打倒した時―――”
金角を討伐した時―――不甲斐ない”弟子を守る”、扉間の形見があった。
雲隠れを撃退した時―――”戦争を終わらせる”、アカリの助けがあった。
里を守り抜いた時――――”木ノ葉は終わらせない”という、重なる絆があった。
そして火影になったとき―――”
最初は柱間が、孫に名付けた名の由来とともに畳間に寄り添っていた。以後、畳間は気づいていなかったが、いつだって誰かの”力”が、畳間を支えていた。
「最強とは、ただの言葉だ。忍び耐えた先にあっただけの、結果にすぎん」
「忍び耐える……忍者のことだな」
我が意を得たりと、畳間が頷く。
「忍者とは目標を叶えるために忍び耐える者を指す。”最強”とは目標を叶えた先の結果であり、力とは手段だ。オレにとっての最強は、初代火影に他ならん。かつて結果だけを追い求めていたオレは、彼がオレにとって”最強になった過程”を見落としてしまっていた。それらだけを求めても意味は無い。大切なのは、何を目標に置くかだとオレは思う。サスケ。お前がイタチを最強と感じるのは、当然のことだ。悩む必要もないほど単純な答えだ。イタチは常日頃
まあ、イタチは死んでないが―――という畳間の言葉は、感動に身を震わせるサスケの耳には入っていないようである。
「……五代目火影。あんたに、頼みがある」
感動から戻ったサスケが、唐突に口を開く。
「まだ何かあるのか?」
もう話は終わったとばかり思っていた畳間が訝し気に言う。
「オレを弟子にしてくれ」
「……そう来たか。ふむ……」
畳間は椅子に深く座りなおし、背中を背もたれに預けた。
サスケは熱い視線を畳間に向けている。以前から、考えてはいたことだった。写輪眼の扱いにおいて、サスケはイタチに適うとは思えない。あの計算しつくされた戦い方も、自身に真似できるとは思えない。イタチに追いつくには、別方向からのアプローチが必要だと、サスケは考えていた。兄を越えるには、兄よりも実力のある忍者に師事することが一番であることは間違いない。素直な考え方であった。
「サスケ。なぜオレの弟子になりたいと願う」
「オレは弱い。力が欲しい」
「何のために」
「火影になるためだ!」
「火影に憧れてくれるのは嬉しいが……火影は結果だ。お前は火影になって何をしたい? ただ”火影になる”と吠えるだけなら、そこらの子供と変わらんぞ」
サスケを一人の忍者として認めたうえで、厳しい言葉を投げかける畳間だが、サスケは即答してみせた。
「オレは里を……
耳が痛いなと、畳間は思う。
どれだけ強くなっても、どれだけの地位を得ようとも、一人ですべてに手を伸ばすことは出来ない。だから後進を育て、意志を広く繋げる。争いの種は消せずとも、平和の花は増やすことが出来るから。
「家族を守りたい。そのためには力が必要で、便利そうだから火影の座もいただく」
「その半ばでイタチを失ったとしたら……どうする? お前は、一人になるぞ」
「……一人にはならん。
「なるほど。……厳しい問いを掛けてしまったかな」
想像しただけでも辛いのだろう。サスケの握りこぶしが震えているのを見て、畳間は謝罪しようとするが、サスケが眼で制し、言った。
「オレは木ノ葉隠れの里の、うちはサスケだ」
「……」
気遣いは無用と言いたげなサスケの力強い言葉に、畳間は思わず嬉し気に笑みをこぼす。
「いいだろう。フガクにはオレからも伝えておく。だがそれはお前が中忍になってからだ。オレはカカシを信頼してお前たちを部下に配置した。オレがカカシを差し置いてでしゃばることは無い。まずはカカシから、忍者のイロハを教えて貰え。それと……正式に弟子にする前に、試験を一つ課すことになる。それをクリアできれば、お前を弟子に迎え入れよう」
「はい!」
元気のいいサスケの返事に頷き、畳間が立ち上がる。
「今日はもう遅い。送っていこう」
「む……。オレは子供じゃないが」
むくれるように言うサスケに、畳間は再度声をあげて笑った。
★
「五代目、例の件ですが……」
火影の執務室。書類を睨みつけている畳間の下に、シカクが現れる。畳間は書類を机の上に置くと、頷いて話を促した。
「波の国の諸大名から、火の国の庇護を受けたいという申し入れが来ていると、大名から連絡がありました」
波の国の実権を握っていたガトーが
波の国は隠れ里を持たない。それはつまり、忍者が軍事力の要となるこの世界において、防衛手段を持たない赤子に等しい存在であるということである。これまで海に囲まれ、外界から隔離されていたがゆえに安寧を保つことが出来ていた波の国は、諸外国との交易を以て富みを得ることと引き換えに、その身を猛獣の住まう檻の中に自らに晒すこととなる。波の国の大名はそのリスクも考慮し、橋が完成する前にはいずれかの大国と同盟を結ぶことで身を守るつもりであったが―――それよりも前に大陸よりガトーの魔手が忍びより、瞬く間に実権を奪われてしまった。第一、第二、第三と続いた忍界大戦を対岸の火事とし、戦う力を持たずとも生きて来られてしまったがゆえの”危機意識の低さ”が露呈した形だ。
今回の事件を機に波の国は外界を恐れたが、しかし、国家プロジェクトである”大橋”の放棄は在りえない。外界とは交易をしたい。しかし外界の”敵”は恐ろしい。
そんな二律背反に苛まれる波の国の大名の懐にうまく入り込んだのが、木ノ葉隠れの里である。五代目火影は火の国の大名を上手く焚き付け許可を得ると、波の国の大名に格安で木ノ葉の手練れを貸し付けた。
その後、実権を取り戻した波の国の大名は、島国と大陸をつなぐ”大橋”の完成後、外界との交流が増えるにあたって、隠れ里を持たないがゆえに発生するリスク等を鑑み、橋職人タズナのつてを頼りに、火の国の庇護を求めたというわけである。
「なるほどな。……詳細は火の国の大名と詰めなければならないが、火の国の軍事力を預かる五代目火影としては、その申し入れに否やは無い。水の国との国交が途切れている今、水産物に富む波の国との交易は、木ノ葉にとっても有益だ。シカク、お前に名代を任せる。ガトーにつけられた傷を抉らないような、支配ではなく融和の方向で上手い舵取りを……」
「……」
「……」
じとっと、畳間を見つめるシカクに、畳間は居心地悪そうに身じろぎをする。
ナルトたち―――正確には下忍を狙った忍びの雇い主ということで、国際条約の下ガトーを粛正した畳間だが、さすがに世界有数の大富豪に、火影自ら手を下したというのは、外聞的によろしくない。幸い畳間の所業だという痕跡は一切残していないし、真数千手によって破壊された場所は整地して帰った。目撃者はいるかもしれないが、タズナが口を割らなければどうということもないし、今の木ノ葉には、雲隠れとて単独で噛みつくことは難しい。
砂隠れの里は、戦後初の五影会談の時に莫大な貸しを作り懐を緩め、この10年で経済に深く入り込み、人柱力の幼子に火の意志を芽吹かせた。まず木ノ葉に歯向かうことは出来ないだろうし、その気も無いだろう。もはや砂は、木ノ葉なくして今の生活水準を保てない。
岩隠れはオオノキがやけに畳間へ好意的だ。特に岩隠れに何かした覚えなど畳間には無いため、面従腹背かもしれないと警戒しつつ、戸惑いながらも友好を結んでいる。少なくとも、すぐに跳ねるようなことは無いだろうと畳間は考えている。
もっとも、決戦と五影会談での畳間の姿に見た”初代火影の残光”に感化され、かつて捨てざるを得なかった”己”を拾いなおしたなど、畳間には分かるはずもない。
「あー、そういえば、午後から中忍選抜試験の下忍選考があるんだったな。少し早いが、オレも準備しておくかな。便所もいっとこう。長くなりそうだ」
立ち上がって部屋から出ていく畳間の背を、シカクは黙って見送った。
★
「オイ……おいおいおい。聞いたかよ。今度の中忍試験、五年ぶりにルーキーが出て来るって話!」
森の中、オカッパ頭で緑のタイツを身に着けた少年が、イキり口調で口を開いた。
「……!?」
数本の苦無でジャグリングをしていた少女の手が止まる。宙を舞う苦無は、そのまま地面に落下し、突き刺さった。
「しかも……そのうちの三人はあのカカシの部隊だっていう話だぜ」
「リー。その口調、イメチェンか? 違和感が凄まじいからやめてくれ」
「……そうですか?」
リーと呼ばれた少年が、しょんぼりとした様子で肩を落とした。
「ヒナタ様も出るらしい。オレは早いのではと、お止めしたんだが、どうにも意気込んでいてな。この後も再度お止めしに行くつもりだが……」
「ネジあんた、あんまり過保護だと嫌われるわよ」
「何を言うテンテン。嫌われてでも姫を守らんとするのが騎士の役目だ」
「さすがネジ! 素晴らしい考えです!!」
「分かるか、リー!」
ぎゅっと力強く握手をする二人を見て、テンテンは肩を落とし、大きくため息を吐いた。
「……はあ、班分け変えてくれないかな……。シスイ君のところがいいよぉ……」
そう言い続けて一年間、テンテンの願いが叶うことは無かった。
摘み取られるリーの中忍試験デビュー