「アカリ、右だ!!」
右翼に展開し、金剛如意を振るい傀儡の群れを薙ぎ払っていたアカリの右側から、突如として砂鉄の波が押し寄せる様子が、畳間の視界に入り込む。畳間が上空を浮遊する土影の背後に、飛雷神を使い回り込んだ瞬間だった。
「―――輪墓ッ」
アカリが万華鏡によって姿を消した。
「っぐ」
畳間の叫びを聞いた土影が背中から土の槍を放出し、意識をアカリに向けていた畳間はそれを避けられず、肩を土槍が掠った。畳間は追撃から逃れるため、瞬時にその場から飛ぶ。
次に畳間が現れたのは、拠点内。畳間の帰還を待っていた日向の忍びから、畳間が消えた後の戦地の情報を聞く。アカリは未だ輪墓の中から出て来ず、土影たちはチャクラの消費が激しかったのか、撤退を選択したようで、畳間たちの奇襲を警戒しつつ、戦場から後退していったとのこと。
しばらくして、畳間が戦地に戻らないことと、土影たちが撤退したことで交戦の終了を察し、アカリが拠点へ帰還する。飛雷神で飛び回る畳間に対し、アカリは時空間忍術を使うと言っても地続きの戦いを強いられており、敵の攻撃を避けるために文字通り転げまわる必要が出てくるためか、その体は土ぼこりで汚れ切っていた。
畳間が岩隠れの戦線に参加し、土影を退けてからしばらく。畳間との交戦での傷が元で死去した三代目雷影の後を継いで、その息子が四代目雷影を襲名した。四代目エーは父を殺した畳間、ひいては木の葉への強い憤怒の情に駆られており、先の決戦で壊滅した主力部隊を強行に編成しなおし、木の葉への攻撃を再開した。四代目エーの、父を殺された激情はすさまじく、四代目エーはあらゆる忍術を捨て去り、ひたすら過酷な肉体強化を自身に課すことで、先代の雷影に迫る強さを短期間で身に着けている。サクモがその侵攻を阻止せんと命懸けの防衛線を構築しているが、鬼気迫る雷影の強さは尋常ではなく、また雲の人柱力2名の猛攻もあり、一度撃退した雲隠れの戦線の防衛にも、暗雲が立ち込めていた。
同時に、千手畳間という新たな防壁の登場を受け、岩隠れは再度砂隠れとの連携を強化。ヒルゼンとダンゾウの決死の戦いにより、砂は人柱力を、岩は先代土影を無くしたとはいえど、両里ともに当代の影は健在である。畳間とミナトは三代目火影を殺した岩と砂の連合の戦力を危惧し、二人体制の防衛線を構築していたが、雲の戦線が再び危うさを見せ始めたことで、体制を変更。ミナトと畳間は”木の葉の青い鳥”うちはアカリを岩隠れの戦線に招集。四代目火影ミナトはこの戦線を二人に託し、攻勢を強めている雲隠れの対応に専念することとなった。
千手とうちはという戦国最強を謳われた二大一族の、当代最強戦力の集中により、戦線は二里を相手取ってなお防衛において現状を維持し続けていた。
先の交戦も、命の取り合いであったことは間違いないが、同時に決戦とは言い難い、互いに互いを探る小競り合いのようなもの。互いに死者は無く、畳間はカカシを侍らせ、戻ったアカリを笑顔で迎え入れる。
「お疲れ様です、アカリ様」
「うむ。ただいま、カカシ」
「はは、ずいぶん泥んこになったな」
「やかましい! 自分だけ瞬身でさっさと帰りおって。見つからないよう気を付けながら、歩いて帰ってくる私の身にもなれ。ばーか!!」
近づいてくる畳間をしっしと手で追い払う仕草を見せる。近くの若いくノ一が濡れタオルを手に、右後ろからアカリに駆け寄ってくる。アカリはそれに気づかない様子で、お前はいつもいつも―――と、畳間を叱責している。
畳間の少し後ろで、またやってるよこの人たち……と、呆れた顔で二人を見ているカカシ。
「お疲れ様です、アカリ様」
くノ一―――夕日紅がアカリに声を掛け、アカリは声の方へ振り向く。
「おお、紅か」
にこりと笑顔を浮かべ紅に声を掛けるアカリに、畳間は変わり身の早いことで―――と苦笑いを浮かべる。
紅がすすっと手に持ったタオルを差し出す様子を、アカリはじっと見つめる。
「……」
「……」
見つめ合う二人。
「あの……、濡れタオルを用意しました」
「おお! そうかそうか。そうだったか! 気が利くなあ紅は」
どうぞ、と差し出されたタオルを嬉しそうに受け取ったアカリは、ふきふきと顔を拭う。
「湯の準備をしておきましたので、こちらへどうぞ」
「おお! そうかそうか!」
心底嬉し気に言って、アカリは歩いていく紅の後をついていく。
くノ一二人を見送って、汗臭い野郎二人が場に残る。
「カカシ、オレの風呂は?」
「……アカリ様と入ってくればいいんじゃないですか」
めんどくせ、とでも言いたげに、カカシは頭の後ろで手を組んで明後日の方角へ視線を向けた。
★
「水遁・水断波!!」
「水遁・水断波!!」
畳間が印を結び、口から飛び出した水のカッターが凄まじい勢いで木々を薙ぎ払う。
ほぼ同時に、カカシが全く同じ行動を取る。
「これは……すごい威力ですね」
呆気にとられたように言うカカシに、畳間は当然だと言わんばかりに仰々しく頷いた。
「二代目が考案し、オレが受け継いだ財産の一つだ。さすがに金属や高性能な土遁を貫くことは難しいが、だいたいはこの術一つで方が付く。味方を巻き込む可能性があるから乱戦には向かないものの、多対一の場合これ以上の術はそうはないだろう」
「二代目様の……」
「奇襲性、殺傷能力ともに高いが、コントロールが難しくてな。二代目はこの術を弟子以外に広めることはしなかった。失敗すると口の中がズタズタになるし……」
「いいんですか?」
オレに教えて、という意味を含んだ言葉に、畳間は頷く。
「お前は忍術の才能があるから問題ないだろ」
それに、と畳間が続ける。
「お前は父が”白い牙”だ。見た目もよく似てるから、分かるやつはサクモの息子だって一目見ればすぐ分かる。もともと怨恨で狙われやすい立場だったが、お前自身の実力が高いということもあって、”コピー忍者・写輪眼のカカシ”という名は、新たな脅威として他里にも広まっている。写輪眼で相手の術を真似て心理的な揺さぶりから入るという戦法は厭らしくて面白いが、血継限界以外の術……里の秘伝すら盗むお前の戦い方は、敵からすれば憎々しいものだろう。……今後、戦争ではなく、”カカシ個人”を狙った手練れに囲まれることもあるかもしれない。手数は多い方がいいと思ってな」
かつて扉間が畳間に過酷な修業を与えた理由の大半が、いずれ来たる脅威から己の身を守る術を身に着けさせるためだった。影分身による術の鍛錬でなく、体術の修業を主に行ったのは、当時の畳間の経絡系が安定せず、術の豊富さに頼ることが出来なかったからだ。畳間はそれを修業の基準と勘違いし、後に多くのトラウマを生み出したが、仮に畳間が安定していれば、ともすれば八門遁甲の修業にすら迫る過酷な訓練が行われることはなかっただろう。
カカシは体術に関して、若くして並みの上忍以上に到達しており、格上相手でも最悪逃げ切れるだけのポテンシャルは持つ。ゆえに格上殺しをも可能とし、同時に逃走のための牽制にもなる水断波を伝授することを、畳間は考えた。サクモから預かっているということもあるし、かつての自分と境遇が被ったということもある。それに、おむつをしているころから知っている子だ。この戦争も、その先も、生き残ってほしいと、畳間は思う。
子供たちはみな、かつての畳間のようにひねくれてはいない。注いだ愛情は素直に糧となり、まっすぐ育っていくだろう。
―――里を慕い、貴様を信じる者達を守れ。そして、育てるのだ。次の時代を託すことの出来る者を。
(ああ……もう大丈夫だ。分かってるよ、おっちゃん)
もしかするといずれ、畳間の教え子の中から、火影を背負う者が現れるかもしれない。そう思うと、温かい気持ちにすらなった。胡乱気な目を向けられることも、今では心地よさすら感じる。そこにある信頼と絆、そして言葉にすることは照れ臭いが―――愛情を、確かに感じているから。
―――今、畳間の中で、多くの憧憬とともに黄金の輝きを放つ炎は、偉大な先人たちの背が守り、育んだものだ。その背は、今なお褪せることはなく、ともすれば以前以上の鮮やかさを以て、その
畳間は思うのだ。いつか己の背が、今芽吹かんとする若き木の葉たちの中で”火の影”となり、さらなる若葉を育む礎となれたなら―――それはどれだけ幸せなことだろうと。
「あとは雷遁がなぁ……出来んことはないが、付け焼刃なオレの雷遁より、お前の方がたぶん練度は高いからな……。アカリは火だし、サクモに教わるのが一番いいが……」
「はい。
「カカシ……」
戦争が終わったら。
カカシは、この戦争が終わることを、信じている。生き残れると信じているのか、あるいは絶対に死なないと強い覚悟があるのか―――甘い、とは言えない。むしろ逆。希望を持ってくれていることが、畳間は嬉しかった。戦争に辟易し、夢も希望も失ったかつての自分と比べて、なんと眩しいことか。
「よし、この勢いで飛雷神も覚えるか?」
「冗談でもそういうこと言うのやめてくださいよ……。畳間様やミナト先生の瞬身なんて、里の最重要機密の一つじゃないですか。オレにそんな機密情報扱えませんって……」
「そっかぁ」
「そうですよ。そもそもそんな簡単に人に教えていい術じゃないでしょそれ。ミナト先生は独学で基礎を修めてしまったからっていう特別だと聞いてますし。それに、オレが父さんの息子だからって、あんまり露骨に贔屓するのもどうかと思いますよ。ありがたいとは思ってますけど……」
「カカシお前、しっかりしてんなぁ……」
呆れのような、感心のような、複雑な気持ちを乗せて畳間が呟くと、カカシが疲労を滲ませて笑った。
「父さん、私生活では結構抜けてましてね……。押しに弱くて、変な勧誘に引っかかりそうになるんですよ。いつも」
「あー……」
思い当たる節はあるなと、畳間はから笑いを零す。戦場では鬼神のような男も、私生活では母に似た息子の方がしっかりしているようだ。それこそカカシの言うように日頃から色々あって、断ることに慣れているのだろう。
とはいえ、人のことを言えるほど、畳間もしっかりしているとは言い難いのでコメントは控えておく。
その後畳間はカカシが現在扱える性質変化、水遁・火遁の術をいくつか伝授し、休憩を挟む。近くの木陰に茣蓙を敷いて腰を下ろし、簡素な握り飯を食べ、水筒から注いだ冷めた茶を啜り、一息を吐く。
話の内容は、戦争のことから、日常のことまで、多岐にわたった。特に、父との軋轢を修復したカカシは、父のことを聞きたがった。幼少期のこと、任務中の様子、会ったことのない母との馴れ初め。畳間はサクモの黒歴史すら含めて、喜んで赤裸々に語った。
初めて会ったころ、アカリとサクモの仲が悪く、よく衝突しており、畳間が間に入っていたこと。いつの間にか立ち位置が変わり、サクモが二人の間に立ち、畳間に突っかかるアカリを諫めていたこと。話をすればするほど、カカシの中で父への敬愛が深まっていくのが、その表情から伺えた。
そして親子の関係が拗れることとなった、サクモの掟破りについての話―――カカシは当時の己を振り返り、精神的に幼かったことを自嘲する。
畳間はそのことについての正否を問わなかった。ただ伝えたのは、自身の師から学んだ教訓。
「お前の歳の頃、オレは好き勝手やるしか能がない未熟な小僧でしかなかった。己を見つめ、冷静に己を知る。オレの師の言葉だが……お前は今、それが出来ているんだろう。とても良いことだ。若さゆえの過ちを振り返り、それを教訓にすることは苦しいことでもある。失ったものが大きければなおさらな。その経験をどう活かすかは、人それぞれで正否を問う気はないが……」
憎しみに染まり仇を滅ぼすのも、二度と同じことが起きないよう奮起するのも、抱えきれぬ苦しみから距離を置くのも、人それぞれだ。
冷静に己を見つめ、なお復讐の道を進むことを選ぶ者を止めることは傲慢で、耐えきれぬ苦しみから逃さず責め苦を受け続けさせることは偽善でしかない。
極端な話、畳間の根底がもともと過激なものであったなら、アカリも必死で止めることはしなかっただろう。アカリが畳間を止めたのは、その根底にあるものが、修羅の道を進むにはあまりに脆かったから。
父を疑い、戦友を亡くし、班員を結果的に殺害した―――カカシは明らかに、当時の畳間よりも過酷な人生を歩んでいる。腐っても、仕方のない環境にあって、カカシは里を、仲間を守る道を選んだ。カカシのライバルであるガイもそうだ。
次の世代を背負うのはこの子たちだろうという確信が、畳間の中にあった。ゆえに。
「カカシ、お前の成長は、オレにとって、とても喜ばしい。サクモも、そう感じてるはずだ」
畳間の言葉に、カカシが面食らったように固まる。少し置いて、恐る恐るといったように、カカシが口を開く。
「あの、畳間様……聞いてもいいでしょうか? あなたの持つ、写輪眼のこと……」
「……」
気にならないわけがないか、と畳間は目を伏せる。カカシは、写輪眼を得るにあたって、親友とも言える仲間を亡くしている。千手一族でありながら写輪眼を持つ畳間に、共感を感じているのかもしれない。もしや自分と同じような経験があるのではないかと。それは、喪失という悲嘆を耐えるには若すぎるカカシが伸ばした、救いを求める手なのかもしれない。畳間の持つ写輪眼―――その存在理由を話すということは、自身の出生の秘密を話すことと同義。
数々の出会いと別れを経て成長した今、畳間は”うちはイズナ”という存在を否定するつもりは無く、是が非でも隠したい、という気持ちも既に持たないが、かといって、中々に複雑な事情が絡まるこの事情を、すべて伝えても良いものかとも悩む。かつて里を滅ぼさんとした者が、今現在、四代目火影最強の矛として先頭に立つことを、若者が受け入れられるのかどうか―――不安だった。恐怖とも言っていいが、しかし自己保身のものだけではなかった。これまで関わり、築いてきた絆は、その程度のことで崩れるようなものではないと信じている。しかし不要な混乱を招く恐れは十分にある。岩隠れ・砂隠れを相手取ったこの戦線―――守りに綻びを生むのは避けたい。
畳間の沈黙を拒否だと受け取ったのか、カカシは「すみません」と呟いた。畳間は気を遣わせたことを感じ、「いや……」と優しい口調で話し始めた。
「里で流れていた噂は知ってるか? オレの写輪眼が、亡くなったオレの先生―――うちはカガミから受け継いだもので……悪く言えば、奪ったのではないか、と疑われていることを」
「……はい。ですが、畳間様がそんなことをするとは到底思えません」
真っすぐに畳間を見つめるカカシに、畳間は喜びを感じる。真っすぐに慕ってくれる若者の存在が、これほど勇気を与えてくれるとは、思っていなかった。
「ありがとう。カカシ……少し、迷っていた。この両目の写輪眼のことを話すかどうか―――噂に乗っかって、適当に話してもよかったが……」
畳間は閉じた両目に触れる。
「……やめとくよ。お前は、オレの友の息子だが―――同時に、”オレ”の友でもある。サクモの息子というだけでなく、はたけカカシという一人の忍びに、オレは友情を感じている」
「畳間様……」
「その場しのぎの嘘をつきたくない。だから、今は”沈黙”を選ばせてくれるか。いつかお前が弟子を持ち―――里を率いる側に立ったとき、まだ知りたければすべてを話す」
まあ、なんだと空気を変えるように畳間が笑う。
「この両目とオレの先生に因果関係はない。噂はぜんぶ嘘っぱちだ」
お前も苦労するだろうな……と畳間は哀愁に満ちた表情を浮かべる。
「うちは一族は、写輪眼に尋常でない誇りを抱いている。うちはでない者が写輪眼を使うなど、到底許せることではないだろう。それこそオレのように変な噂を立てられる可能性はある。オレの場合素行が悪かったこともあって真実味が増してたが……」
当時は「またうちはかよ、うるせえな」「だからハブられるんだよ叔父貴によぉ」「黙れ潰すぞ」程度にしか思わなかったことも、今になって感じ方が変わっている。はっきり言えば落ち込む。心境の変化を感じられる指針にもなっているが、落ち込むものは落ち込むものだ。
「……まあ、それはいい。ともかくカカシ、お前は一人じゃない。ぼろくそに言われた先達もここにいるわけだしな。ただ一つ言えるのは、オレが写輪眼を持つことには意味がある。お前が写輪眼を持つことにも、必ず”意味”があるはずだ。それはオレにも分からないが、いつかお前自身が、それを知る時が来るだろう。迷うことも折れそうになるときもあるだろうが、オレや、四代目は認めてる。お前は、”木の葉隠れの里の”カカシだ。なんかあったら、いつでも愚痴りに来い。頑張ることに疲れたら酒でも呑んで息抜きだ」
サクモには内緒でな、と小さく続けた畳間に、カカシは嬉しそうに目じりを下げた。
「よし! 体術も、少し見ておくか?」
「お手柔らかにお願いしますよ」
立ち上がった畳間に続いて、カカシが立ち上がる。
少し歩き距離を取って向き合った二人は、互いに忍び組手の印を示す。
突き、回し蹴り、肘打ちに膝蹴りと合わせていく様は、まるで演武のようだった。
畳間は敢えて僅かな隙を作り攻撃を誘い、カカシがどの程度気づき、反応できるかを見た。同時に偽りの隙を作り、釣られないかどうかを試す。
顔面を狙う拳を首を反らし避け、側頭部を狙う回し蹴りを裏拳で弾き飛ばす。鳩尾を狙う肘を膝で崩した。カカシはそのまま体を反転させ、その流れに乗ってわき腹を狙う裏拳を放った。膝を上げたまま肘を曲げ、太ももと腕で壁を作りその裏拳を受け止める。
繰り返す攻防。カカシの額に、汗が滲み始める。一方で畳間は涼し気な表情でカカシの攻撃のすべてを裁き続ける。時が過ぎ、カカシの動きが鈍くなり始めたころ、畳間が一つの印を組んだ。
―――カカシが焦る。
それは火遁に用いられる寅の印。実力差は明確。反撃をしてこないことから、カカシは、自分が根を上げるまで畳間は体術を見定め、後に助言をしてくれるのだと思っていた。そもそも体術の稽古なのに火遁の術を出すなどルール違反も甚だしい。しかし、カカシの目に映る畳間のチャクラに、変化はなかった。術を出す気配は見られないということだ。ならば寅の印は一体―――。
「木の葉秘伝体術奥義――――」
直後、カカシの視界が白に染まる。下半身―――はっきり言えば肛門から、脳天まで突き抜けるような言葉にならぬ衝撃が走る。
「―――千年殺し!」
「ばああああああああああ!!」
遅れて喉を突き破り出て来る叫び。体が文字通り宙へ飛びあがった。カカシの両手は勝手に肛門を抑えていた。顔面から地面に墜落し、尻を突き上げるような態勢で制止する。体が衝撃で痙攣を起こす。カカシの目に、知らず涙がにじんでいた。
しゅっしゅと、畳間が寅の印でシャドーボクシングをしている。
(体術の稽古……? これがやりたかっただけだろ!!)
痛みに呻きながら、カカシは畳間への評価を下げた。
★
痛みが引いたカカシが恨み節を全開にしながら陣地へと帰っていくのを見送った畳間は一人、岩陰に隠れるように佇んでいた。岩に背を預け、腕を組んで瞑想して時間を潰す。
少しして人の気配を感じ、目を開いた。
影から姿を現したのは、黒い装束に身を包み、フードで顔を隠した人影。
「ご苦労だったな、大蛇丸」
「ふふ……、尊敬する畳間先輩にお会いできるのであれば、苦労などと」
うっすらと笑みを浮かべる大蛇丸。
ダンゾウ亡き後、木の葉の闇を背負える人材は、畳間か大蛇丸の二人に絞られた。しかし畳間は戦力的にも立場的にも、表立って行動せざるを得ない状態で、影に潜み闇を背負うことは難しく―――そんな時、大蛇丸は畳間の思考を読んだかのように、その立場に立候補した。畳間は申し訳なさを感じつつも、大蛇丸の心境の変化に、喜んだものだった。
大蛇丸はかつて、三代目ヒルゼンが引退を宣言した際、四代目火影に立候補したことがある。畳間も、ヒルゼンと四代目火影選考について話し合っていた際、ミナトを強く推すヒルゼンに、訊ねたことがあった。
「大蛇丸はいいのか」と。
ヒルゼンはその問いに対し、「瞳に危うさを感じた」と、寂しげに首を振っていた。
当時、”四代目火影”の治世は、恐らくどの歴代火影をも越えた期間になるだろうと、ヒルゼンと畳間は考えていた。その理由は、四代目火影継承が、先代が落命したことで起きた突発的な代替わりではなく、先代からの引継ぎが可能な状態で行われるものになるはずだったからだ。だから慎重に、万全を期した選考を行う必要があった。
ミナトは確かに優れた忍びであり、火影を背負うにあたって、若さ以外において、欠点はないと言っていい。一方で大蛇丸は確かに以前よりは雰囲気に冷たいものが目立つようになったが、彼なりの優しさはその節々に垣間見えており、ともすれば、二代目火影・扉間のような、厳格ながらも温かさを持った火影に成り得るのかもしれないと畳間は感じていたし、一考の余地は十分にあると考えていたのだが―――。
だが、師であるヒルゼン本人がそれを退けたのである。
―――今の大蛇丸には決定的に、火の意志が欠けている。
かつて、ヒルゼンは畳間にそう言った。
ヒルゼンも内心では次の火影は―――と、期待していた節もあったはずだ。かつては素っ気なくも仲間を思いやる優しい少年だった。だが第二次忍界大戦序盤で両親が命を落としてから大蛇丸は変わったと、ヒルゼンは言った。任務の時以外は自宅に籠って術の研究を熱心に行うようになり、仲間とも疎遠になった―――確かにそのことは、畳間も綱手から聞いていた。そして四代目がミナトに内定してから、より一層、その気は強くなった。
しかしヒルゼンの死後、大蛇丸は率先して畳間に関わるようになった。以前からダンゾウの下で根の諜報員として動いていたから、ダンゾウの後を継ぐなら自分が相応しいと直談判に来たほどだ。実際、今の木の葉の裏方は、大蛇丸の存在で持っていると言っても良い。ダンゾウがいたころに比べれば、確かに情報戦において劣るものはあるが、しかし大蛇丸はよくやってくれている。砂や土の動向を掴み、本陣に近づける前に畳間やアカリが襲撃を掛けて撃退することが出来ているのも、大蛇丸の存在があってこそ。その点で、畳間は感謝しているし、このような表現は語弊が生まれるかもしれないが、師に後継者として選ばれず不貞腐れていた大蛇丸が、ヒルゼンの死で奮起し、里を守ることに尽力してくれていることは素直に嬉しかった。火の意志は確かに受け継がれているのだと、畳間は感じていた。汚いことをさせることにもなるが、忍び耐えてくれている大蛇丸を、いずれは労われるように、戦後はミナトに話をするつもりですらある。
「それで大蛇丸。話とは?」
「はい。ダンゾウ様亡き後、私も必死にやって来ましたが、情報戦での限界が見えてきましてね……申し訳ありません」
「謝らなくていい、大蛇丸。お前はよくやってくれている。オレも、かつては火影直轄として闇で動いていた時期がある。裏方の苦労は知っている。お前だけに任せざるを得ない、オレの不徳だ」
「ありがたいお言葉です、畳間先輩」
感激している、というように頭を下げる大蛇丸を労わるように、畳間は優しくその肩を叩いた。
「よく見れば、顔色が良くない。ちゃんと眠れているか?」
「この顔色は生まれつきです」
「そうか」
「畳間先輩……ワタシは、
「ああ、オレも気持ちは一緒だ」
「ですが、人員不足による過労。ワタシはまだ大丈夫ですが、末端が機能不全に陥るのも、時間の問題に感じています」
「……そうだな。雲も、砂も、霧も、岩も―――力で拮抗するだけなら今の木の葉もギリギリとはいえ、何とかなっている。だが、情報戦となると、”根”一つで、四大国を暗部を相手取る必要がある。情報を奪うだけでなく、木の葉から抜かれぬようにすることも必要だ。前線よりも、苛烈な戦いだろう」
「ええ。特に、畳間様やミナトの瞬身の術を始めとする、二代目様が考案し編纂した木の葉の禁術の数々―――これらは、決して敵に漏らしてはならないものだと考えています」
「その考えで間違いない」
「そのためにやむを得ず……本当にやむを得ず、仲間を殺さねばならぬ場合もあります。それが、やはり辛い。ワタシだけでなく、直接手を下す部下たちも……」
「……分かっている。責めはしない」
「畳間先輩。―――根に、疑心暗鬼が、芽生えつつあります」
情報を守る者は、そのために死なねばならぬ時がある。畳間はそれを理解している。忍者も戦争も、遊びではない。今起きているのは、国の存亡を掛けた戦い。甘えは許されず、非情な決断は常に強いられる。畳間が大蛇丸に代わって根にいたとしても、同じことをしたはずだ。どれほど辛くとも、里を、未来を守るために、必要な犠牲だった。言い訳も、飾りもしない。ミナトも、畳間も含めた里の上層部は、犠牲を良しとする。せざるを得ない。だが、そのままで良いとは思っていない。そんな犠牲が生まれない世を作るために、皆が命懸けで戦っているのだ。その最前線にいるのは、ミナトでも畳間でも無い。裏を支える、大蛇丸たち”根”だ。
当然と言えば、当然。昨日背を預けた仲間に、その背を切りつけられる。そんなことが罷り通るのが、裏の世界だ。どれほど厳しい洗脳染みた修業を得て、死への恐怖を乗り越えても、”裏切られるかもしれない”という疑念は生まれる。それが、裏の世界。忍びの闇。
大蛇丸はきっと、
悔しさに震える大蛇丸に、畳間は「お前だけで背負うな」と、声を掛ける。
「……畳間先輩。無理を承知で、お願いがあります」
「聞こう。必要なものがあれば、なんでも言え」
「教えて頂きたい術があります。名を―――」
―――口寄せ・穢土転生。
「大蛇丸、それは……」
驚きに目を開く畳間を前に、大蛇丸が頭を地面に擦り付けた。
「お願いします。仲間を、里を守るには、もはや手段を選んではいられないのです」
畳間があえて使用を避けていた、扉間より継承した最凶にして最強の術、口寄せ・穢土転生。生者の肉体と死者の遺伝子情報を依り代に、死者の魂をあの世から引き戻し使役する禁術。
千手扉間によって開発されたこの術は、「敵の忍を殺して転生させ、自我を縛って情報を喋らせる」「起爆札などを仕込んで敵陣に送り返し、自爆させる」という二つの使い方が主になる。使用する生者は捕獲した敵で良く、死んであの世に逃げた敵からも情報を引きずり出せる。敵に死を確認されていない者を使役し、何食わぬ顔で帰還させ、本陣で自爆させれば、味方の犠牲は一切なく、敵に甚大な被害を与えることが出来る。
ローリスクハイリターンのこの術は、戦国時代および第一次忍界大戦の折、扉間によって使用されていた。あの柱間も「あまり良い術ではない」と評価しながら、使用を禁止しようとはしなかったことからも、その効率性と利便性は群を抜いていると言って良い。 確かに、劣勢に立たされ、滅亡と隣り合わせの木の葉において、この術は救世主成り得るものだ。特に情報戦において、これ以上の術は無いだろう。
畳間が使用しなかったのは、自身の甘さと、戦地で味方からの顰蹙を買い、和を乱すことを嫌ってのこと。
だが、目の前で土下座までして見せた大蛇丸の姿に、そこまで追い詰められていたのかと、認識が甘かったことを痛感する。
「顔をあげてくれ、大蛇丸」
畳間は膝をつき、大蛇丸の顔を上げさせる。
「お前の覚悟、確かに伝わった。本来ならオレがやるべきことを、お前にばかり苦労を掛けることを許してくれ。禁書庫の使用を許可できないか、ミナトに相談してみよう」
「ありがとうございます」
立ち上がった大蛇丸の体についた土埃を掃い、畳間が笑いかける。
「仲間思いなのはあの試験から変わらないな、大蛇丸」
「いいえ……」
少し置いて、大蛇丸が続ける。
「
にこりと、大蛇丸が笑った。