綱手の兄貴は転生者   作:ポルポル

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偽りの夢

 ―――奈良、秋道の者が戦死。山中イナが行方不明となり、縄樹までもが命を落とした。

 

 3人は、それぞれキャンプ地から離れた岩陰で、背後から急所を刃物で一突きにされていた。戦地での単独行動という迂闊さに加え、争った形跡がないことから、親しい者に呼び出され不意を打たれて殺された可能性が高かった。山中イナが行方不明であるという状況から、ヒルゼンを除く木の葉上層部は、山中イナの裏切りによる殺害だと推測している。

 その報告をサクモから聞いたとき、アカリは全身が総毛立った。涙がとめどなく溢れ、嘘だと叫び、サクモの胸倉を掴み激しく揺さぶった。しかしサクモの青ざめた表情にアカリは力なくその手を離すと、その場に崩れ落ち、静かに泣いた。

 

 縄樹が戦場へ出て2週間後、サクモが戦場に合流する直前、アカリが退院してすぐのことだった。

 医療忍者を失い混乱する戦場の仲間を守るべく、サクモは予定よりも早く参戦。取り乱し役割を全うしようとしない部隊長に代わって部隊の指揮を取り、撤退を決断。多くの防衛線を放棄し、砂の戦線は大きく火の国へと近づいた。

 

 結果として戦線を下げたサクモは、”掟破り”を恐れた本来の部隊長からその責を押し付けられ、上層部より厳しい叱責を受けた。

 戦時下ゆえにより掟を重視する―――そんな現在の里の方針がために、三代目火影であるヒルゼンも、サクモを表立って庇うことは許されず、また急激に薄くなった砂の防衛線を維持するために、サクモは危機を救った仲間からすら後ろ指をさされるままに1人、戦線を押し上げるべく戦い続けている。

 

 一方、木の葉では、畳間の意向もあって、縄樹の葬儀がひっそりと行われた。縄樹と親しかったアカリは、反目するうちは一族からの唯一の出席者となった。

 綱手たちは任務のため雨隠れに駐屯しており、縄樹の死すらも知らない状態にある。ゆえに畳間は1人、弟の葬儀の喪主を務めた。無表情で幼い弟の棺を見送った畳間の胸中はどれほどのものか。アカリには掛ける言葉が見つからなかった。哀しいかな、アカリにとって、それが里に戻ってみた初めての畳間だった。

 

 そして、その日の夜のこと。月光は分厚い灰色の雲に遮られ、ぽつぽつと小雨が降り始めていた。風上の方角には雷雲と思しき黒雲が立ち込めており、空気は肌に纏わりつくような湿り気を帯びていた。やがて大雨になることが予想され、深夜であることも相まって、里には全くと言っていいほど、人の気配は無かった。

 

 アカリは1人、千手柱間の顔岩の上で、寝静まった里をぼんやりと眺めていた。

 

 ―――久しぶりに帰ってきた里は、淀んだ空気に呑み込まれ、かつての明るさを失っていた。

 サクモは信念を貫くために里との調和を失っている。

 イナは行方不明のまま、裏切り者の汚名を着せられた。

 うちは一族は千手当主の失態を喜び、各一族は我関せずと距離を置いている。

 里の者たちは戦争に疲弊し哀愁を背負い、あるいは親族を殺した敵への憎しみを滾らせる。

 そんな里を照らす火影は、己の右腕を切り離してでも、里を守るために尽力しているが、そのたった一つの背に差す影は暗い。

 

 その温もりで里を照らした、偉大なる初代火影。幼いころに見たその太陽のような笑みは、ひねくれていた当時のアカリであっても、惹きつけられるものがあった。

 一族を率い、敵味方、多くの血に濡れた男。

 戦国時代において殺し合ったうちは一族の者たちでさえ惹きつけた、その笑顔の裏に隠された悲哀はどれほどのものか。

 

 ―――どうすればいいのだろう。アカリは静かに思う。

 

 里とは何か。影とは何か。忍とは何か。ここ数年、ずっと考えてきたことだ。

 初代火影は、その生涯で何を見たのか。何を思い、何を信じ、何を目指し、里を興したのか。

 彼の顔岩に乗れば、その心を肖れるかとも思ったが、難しいようだ。

 

 ふわり。風に乗った木の葉が、アカリの頭の上に乗った。

 手に取って、眺めてみる。虫に喰われたのか、葉には穴が空いていた。アカリはなんとなしに木の葉を目の高さに合わせ、空いた穴を覗いて、里を眺めた。

 

「……木の葉隠れの里。まさかな」

 

 呟いて、小さく笑う。

 初代火影はどのような意図を以て、”木の葉隠れ”と名付けたのだろうか。まさかそのままの意味と言うわけではないだろう。教科書にも載っていない、今となっては知る術の無い名の由来。

 アカリは写輪眼を以て里を見つめた。誰かに、推されたような気がしたのだ。

 日向の白眼と異なり、写輪眼に透視能力は無い。ゆえに、アカリの視界に入った”色”は、里を歩く人影ということになる。

 その色は見慣れた―――畳間の色だった。

 

 アカリは誰かに背を押されるような感覚を感じながら、その場から飛んだ。修行で培った気配遮断の技術を使い、”色”の主に気づかれぬように近づいていく。

 

「南賀ノ神社……」

 

 畳間が向かう先にあるのは、南賀ノと言う名の寂れた神社。そこはうちはの者しか寄り付かない、うちは一族が管理している何の変哲もない神社―――だと、世間では認識されている。

 しかし、その神社の実態は、うちは一族秘密の集会場。

 南賀ノ神社本堂、その右奥から七枚目の畳の下には階段が隠されており、その奥には隠し部屋が存在している。

 

 うちは一族しか知らないはずの秘密の場所へ、畳間は何故向かっているのか。

 アカリの疑問に答える者は無く、やがて神社へ着いた畳間は、その本堂へと姿を消した。アカリは少し待ち、周囲に人がいないか、何かしらの仕掛けがないかを写輪眼を用いて確認すると、雨の喧騒に紛れ、神社へと入り込む。

 薄暗い本堂に人の気配はない。指先に炎を灯したアカリの視界に入ったのは―――右奥から七枚目、畳が剥がされてむき出しにされた、隠されていたはずの階段だった。

 

 アカリは指先に炎を灯したまま、慎重に階段を降りていく。

 やがてその先に、畳間の背を見つけた。

 

 揺れる蝋燭の灯に映し出された畳間の姿に、アカリは今にも消えてしまいそうな印象を受ける。

 アカリは靴底で地面をこするように歩き、あえて砂利音を立てた。畳間に気づかせるためである。

 しかし畳間は振り返ること無く黙したまま、うちは一族に古より伝わる石碑を―――そこに刻まれた碑文を凝視し続けた。

 石碑に刻まれた碑文は、古い文字なのか一族の歴史上でも読み解けた者がいないとされている。アカリもまた読めたことは無い。

 しかし畳間の様子は、まるで何が書いてあるのか、その意味を読み取れているかのようで、碑文をなぞる視線に淀みはない。

 

「そうか、そういうことか……」

 

「……畳間、何をしている?」

 

 アカリは困惑を含んだ視線を畳間へ向ける。畳間の背から感じられる雰囲気はどこか異様で、写輪眼を使わずとも、その歪んだチャクラの色を感じ取れるようだった。

 観察するように畳間の背に視線を這わせていたアカリへと、畳間が緩慢な動作で振り向いて―――アカリは驚愕に目を見開いた。

 

「―――お前……その目……」

 

「ああ、これか……」

 

 畳間の瞳が、赤く染まっている。

 アカリが驚愕したのは、畳間が写輪眼を持つことではない。

 畳間が見せた写輪眼の紋様が、明らかに一人分ではない(・・・・・・)ことに、驚いたのである。

 

「なあ、アカリ。この碑文、お前に読めるか?」

 

「……」

 

 アカリの眼には、石碑に記された碑文は、意味のない文字列にしか映らない。アカリは無言で首を振った。

 畳間が口端を歪め、嘲笑にも似た微笑みを浮かべた。ほの暗い喜びが浮かび出たその表情は、アカリに寒気を覚えさせる。

 

「―――俺には読める。この意味が分かるか、アカリ」

 

「……いや」

 

「俺が特別(・・)だということさ。俺の生まれた意味が、ここに記されている。この腐った世界を終わらせ、新たな境地へ導く―――そのために、俺は生まれて来た」

 

「新たな境地……?」

 

「完全なる理想郷の降臨。……この世界は、あまりに未熟。俺はそれを”完全”なものとするために生まれて来た。……今の世界はその前座。そうだな……言うなれば余興のようなものだ」

 

 小さく含み笑いを溢しながら、畳間は続ける。

 

「……思えば、父と母を失ったときに、気づくべきだった。憎しみこそが今の世の真理なのだと。二代目水影戦において……お前は善戦し、勝利したそうじゃないか。しかし、俺は敗れた。何故か? 俺に足りなかったからだ―――憎しみが」

 

「それは違う。私は憎しみなど―――」

 

「―――違わない!!」

 

 畳間の怒声に、アカリが息を呑む。

 

「『うちは一族』こそが、その最たるものだろうが。―――憎しみが深ければ深いほどに力を増す呪われた一族。お前たちのせいで、俺は……」

 

 鋭い眼光が、アカリに向けられる。業火のような敵意が肌を刺し、アカリはわずかに瞳を揺らす。

 

「噂のことを言っているのなら、それは違う。聴いてくれ、畳間、うちは一族は―――」

 

「噂……? ああ、あのくだらない噂か……。そんなものはどうでもいい」

 

 畳間の醜聞を里に流しているのはうちは一族だ、という噂がある。しかし流された情報はアカリしか知らぬものであったがゆえに、アカリが他者へ伝えた覚えがない以上、他のうちは一族の者が知る術は無く、里へ流布することは出来ない。

 畳間の醜聞を流布したのは、うちは一族の者ではない。姿の見えぬ何者かが、情報を操っている。木の葉隠れの里は今、内部分裂を望む者から、情報戦を仕掛けられているというのが、アカリの考えだった。

 だから、もしも畳間がそのことに怒りを感じているのなら、誤解を解いてほしい。

 そう思ったアカリの言葉を、しかし畳間は短く切って捨てた。

 

「お前たちうちは一族は、俺の苦しみ、それそのものだ。一度は”そこにある”ものとして受け入れた。乗り越えようともした。だが、どうあがいても、ふとしたときに湧き出る憎しみが、枯れることは無かった。俺にとってそれは……最も邪魔な感情だったのに……ッ。だが―――、それももういい。俺は身を委ねることにした。この―――憎しみに」

 

「お前、おかしいぞ。落ち着け、畳間。教えてくれ、お前に一体なにが……」 

 

 情緒不安定な様子を見せる畳間へ、歩み寄ろうとするアカリ。

 しかしその言葉が、続くことは無かった。

 

「―――俺は明日、里を抜ける」

 

 アカリが絶句し、目を見開いた。

 アカリは激昂しそうな心を抑え、畳間の話を聞くべく、激情を押さえつけるように、数度歯噛みして、鋭く視線を向ける。

 

「……お前、その言葉の重み、分かって言っているんだろうな?」

 

「ああ。この里では、俺の夢は叶わない。―――まずは砂だ。”裏切り者”もろとも、夢の礎とする」

 

「……夢? 夢だと? お前の夢は火影という目標の……その先にあるものだったはずだ。私と、うちは一族と、手を取り合い、里を大きくし、他里と手を取り合って―――」

 

「甘い、甘い。そんな子供だましの夢が、叶うはずもない。アカリ、俺には見えたんだ。さらにその先が。―――先の夢が」

 

「何が……、何が見えただっ! 何も見てないじゃないか! 現実も、私のことも! 今はそんなこと言ってる場合じゃないだろう。イナが―――」

 

「―――その名を口にするな」

 

 畳間の体から、重く圧し掛かるような暗いチャクラが噴出する。

 

「何を……」

 

 畳間の尋常ではない様子に、アカリが息を呑む。

 

「お前、まさかとは思うが……。イナが縄樹たちを殺したとかいう噂、信じてるのか? そんな馬鹿なこと、あるはずが―――」

 

「山中一族の者が、縄樹たちの死体からその死亡時の情報を読み取った。―――山中イナは、裏切り者だ」

 

「……っ。馬鹿な!! そんなわけがない!! あいつが―――」

 

 アカリは、畳間に覗き込まれるように瞳を見られ、身を竦ませる。

 

「そうだろう。お前もまた、イナを信じていた。苦しいだろうとも。―――安心しろ、安心しろよアカリ。お前の苦しみも……俺が、解き放ってやる。あるいは……アカリ、お前なら、ともすれば届くかもしれん。兄妹を失い、憎しみに身を委ねたお前なら……、同じうちはのお前なら(・・・・・・・・・・)。俺と同じ世界……穢土転生の、その先に」

 

「お前……」

 

 アカリは確信する。以前から感じていた言いようのない感覚の正体を、アカリは今掴んだ。

 うちは一族の―――それも万華鏡を覚醒させるほどに濃い血と、そして深い愛を受け継いでいる者の魂が、畳間の中に住んでいる。

 アカリの視線を受け流し、畳間はアカリの問いに答えることも無く、歪に笑う。

 

「―――明日の明朝、”あの場所”にてお前を待つ。カガミも、縄樹も……お前の父も母も……、”兄”も千手柱間も現世にて再び目覚め、その思いを遂げられる。生贄は腐るほどある。いずれすべての者が目覚め―――そして、皆の夢は成るだろう。喜べアカリ、お前もそこへ連れて行ってやる。深い愛と憎しみによって”影”を討ったお前なら、資格はあるだろう」

 

「みんなの夢って、なんだ。私の夢はお前と共に―――」

 

「―――アカリ」

 

 まるで聞き分けの無い子供をあやし付けるかのような穏やかな声音で、畳間がアカリの名を呼んだ。

 

「―――俺はもう、届いたのさ」

 

 アカリの言葉を遮った畳間に見せられた歪んだ笑みに、アカリは息を呑んで瞳を揺らす。

 畳間は、そんなアカリを一瞥すると、”あの場所”で待つともう一度告げ、もう話す言葉はないと言わんばかりに背を向けて、姿を消した。

 

「畳間……やはりお前は……」 

 

 ぽつりとアカリの言葉が静かに零れる。

 

「イナ……」

 

 ぽつりと、友の名を呼ぶ。

 畳間のことを誰よりも理解して―――恐らくは、畳間と想い合っていた女。イナがここにいれば、また違った展開になっていただろうか。言葉で、止められただろうか。

 しかし、イナは今、この場にはいない。イナは、今何をしているのだろうか。イナが縄樹たちを殺したなどとは露ほども思っていないが、しかし、何かに巻き込まれていることは想像に難くない。

 

「イナ……。今お前に何が起きているのか、私にはわからない。だけど……」

 

 思い出すのは、アカリが中忍になった―――あの中忍選抜試験のときの記憶。

 

「あの時の言葉に、嘘はない」

 

 畳間が試験官となり、権力に溺れ暴走を始めた―――と勘違いさせられたとき、アカリがイナへ告げた言葉。あの時の言葉を、もう一度。

 

「何があっても―――あの馬鹿野郎(たたみま)は私が止める」

 

 

 

 

 太陽が昇る頃、アカリは森を抜け、終末の谷に到着した。

 終末の谷。かつて千手柱間とうちはマダラが争った痕であり、アカリ達が第六班として任務を受けた、始まりの地。

 

 ―――うちはマダラの像。その上に、畳間がいる。

 

「万華鏡写輪眼……」

 

 畳間を視界に捉え、アカリは速度を増して駆け―――輪墓の中へと入り込む。

 アカリは輪墓の世界から一気に畳間に接近し、背後へと入り込む。畳間の腕を掴むように手を差し出して、触れる直前に世界を移動―――畳間の顔を覗き込んだアカリは、万華鏡写輪眼による金縛りの術を仕掛けた。

 

「なにッ!?」

 

 アカリが腕を掴んだ瞬間、畳間は金縛りの術を一瞬で掻き消して、その腕をふりほどこうとする。しかしアカリは力強く畳間の腕を掴み、倒れ込む勢いで輪墓へ引きずり込んだ。輪墓へ入り込んだアカリは、畳間から手を離し、畳間を置き去りにして、再び世界を移動した。さらに地面を蹴りつけ飛び上がると、再び輪墓へと戻り、千手柱間の像の上に降り立った。

 畳間は先の位置から動いていなかった。アカリが輪墓へ戻り、柱間像の上に降り立つ姿を、黙って見つめている。

 

 ―――輪墓の世界。アカリと畳間が向かい合う。  

 

「やはり、似ているな」

 

 かつて憤怒に囚われ、自覚無く里を抜けようとしたアカリは、サクモによって止められた。あのとき、うちはマダラ像の上にはサクモが立ち、アカリは今と同じように、柱間像の上に立っていた。

 今、構図はそのままに、しかしアカリがこの場に立つ意味は逆転した。

 千手柱間から流れ、うちはカガミより継いだ火の意志を守る者―――木の葉隠れのうちはアカリとして、今、友の前に立つ。

 

「こうでもしなければ、お前は逃げるだろうと思ってな」

 

「閉じ込めたつもりかもしれないが……隣接する異界から出ることなど、今の俺にはそれほど難しいことではない。それにこの世界は、今の俺には居心地が良いぐらいだ」

 

「……すぐに出られないなら十分だ」

 

「減らず口を……。まあいい。返答を聴こう」

 

「昔交わした約束を、果たしに来た」

 

「……それで?」

 

「―――お前を止める」

 

「お前も、届かないか。愚かな一族の中では、まともな方だと思っていたが……。所詮、うちははうちは。やはり俺だけがこの世界を変えられるということか……」

 

 畳間の言葉を聞き終えて、アカリは静かに瞳を伏せる。

 

「……今のお前は、かつての私そっくりだ」

 

「なんだと……?」

 

 かつてアカリは、孤独の寂しさにも気づかぬままに、孤独を孤高とはき違え、弱い自分から目を逸らした。他者を貶めることで己の小さなプライドを守り、人と関わることから逃げていた。

 畳間が行こうとしている道は、”それ”だ。

 アカリは大切な友を、そんな道に進ませたくはなかった。

 

「覚えているだろう? かつての私は千手を憎み、兄を許せず、両親を許せず、己を許せず、傲慢な仮面を被り―――ずっと孤独(ひとりぼっち)だった」

 

 イナが、サクモが、たくさんの人たちの心が、アカリに孤独の寂しさと、人の温もりを教えてくれた。失いたくないという恐怖、側に居られる幸せは、アカリにとって大切な宝物になった。

 それらをアカリに始めて教えてくれたのは―――千手一族の少年だった。下忍昇格試験―――あの時に貰った薔薇を封じた耳飾りは、今もなおアカリの耳に揺れている。

 

「私は”今の大切”を、そして、その先に続く未来を守りたい。かつての自分には、もう戻りたくはない。孤独を孤独とも知らぬまま、人を見下げていたあの頃には、戻りたくないんだ。だから―――」

 

 アカリが優しく微笑んだ。 

 

「お前を孤独へは行かせない。畳間……どうか―――私の側からいなくならないで」

 

「……だったら、お前も共に」

 

「お前が本心からそれを望むなら、私もやぶさかではなかったが……。いや、それでも、木の葉には大切なものが多すぎる」

 

「平行線だな。俺には里を出てでも叶えたい夢がある。唯一俺だけが創ることのできる、理想郷だ」

 

「俺が俺がと、今のお前はそればかりだな」

 

「含みのある言い方だな。何が言いたい?」

 

「……分からないか? なら言ってやる」

 

 アカリは畳間に万華鏡写輪眼を向け、畳間もそれに呼応するように、万華鏡写輪眼を発動した。2つの万華鏡―――視線が交差する。

 

「お前は新しい夢を見つけ、それを追いかけようとしているんじゃない。ただ、逃げているだけだ。自分が特別だと言い訳し、苦しみに高尚な理由をつけ、現実を見ようとせず、楽なほうへと逃げている。そんなお前が、理想郷など創れるものか」

 

 畳間が息を呑み、眼を見開いた。その表情が怒りに染まっていく様を、アカリはじっと見つめた。

 畳間が苦しんでいることは、痛いほど伝わっている。恐らくは水影に敗北したことも、里で流れている噂も、畳間が己を追い詰める原因になっているのだろう。強がっていたが、元来、畳間は繊細で傷つきやすいところがある。

 

「ばか……」

 

 多くの重圧を背負い、かつてのような弱い(ほんとうの)姿を見せられなくなった畳間。強く在らねばならぬと無理をする畳間の心の悲鳴が、アカリには確かに聞こえて来て―――その不器用さすら、今のアカリには心から愛おしい。

 しかし今のまま放っておけば、本来の畳間が大切にしていたものすべてが崩壊する。本当に引き返せない場所へ畳間が行ってしまう前に、止めてやらなければならない。

 三代目火影がかねてより危惧していた畳間の変化―――それは他者を受け入れぬ、他者に助けを求められぬ、修羅の道への邁進。

 

「畳間、お前の進もうとしている先には、何もありはしない。初代火影が断ち切ろうとした憎しみの連鎖を、お前が繋げてどうする!! 憎しみを捨てろとは言わん。だが、耐えねばならんのだ」

 

「―――黙れ!!」

 

 畳間が怒声をあげる。 

 

「……お前には分からねぇよ、アカリ。兄の遺志を継ぎ、復讐を果たせたお前には……。常に付きまとう憎しみの煙。先人の遺志を継げず、満足に仇を討つことも出来ねぇ。あげく敵に踊らされ、弟子と祖母の故郷、その滅亡に加担させられた―――。里は俺を見捨て、そんな俺すらを慕ってくれた弟を守ることすらできなかった。しまいには、好いた女に裏切られる。そんな俺がやっと知った”生まれた意味”―――奪わせねぇぞ」

 

 時は流れ、子供から大人へと成長し、変わってしまったものがたくさんあって―――今、畳間の顔は、酷く歪んでいた。それがアカリの胸を締め付ける。

 それでも、変わらないものは確かにあるのだと、アカリは信じていたいのだ。

本当は酷いことなど、言いたくはない。しかし、今、すべてから逃げようとしている畳間が、唯一寸前で”助けを求めた友”が自分だというのなら、甘んじてその役割を遂行しよう。畳間の抱える闇を、巨大な憎しみのすべてを受け止める。互いに長所も短所も認め、本音でぶつかり合い切磋琢磨したあの頃を、取り戻すために。

 

「では改めて聞こう、千手畳間。貴様はただ敵討ちをしたかったのか? 先人の理想の跡をただ小鴨のようについて歩みたかったのか? 誰がお前にそれらを強制した? しなければならない、やるべきだ、などは聞き飽きた。お前が“本当にやりたいこと“はなんだ? 里の者に恐れられていてなお、三代目火影が貴様を傍に置いたその理由―――言ってみろ、畳間。今の貴様に―――それを口にする勇気があるのなら」

 

 ―――それは畳間の逆鱗に触れた。

 

「―――良いだろう! どうせ、お前もいずれ蘇る!! お前を殺し、今のすべてと決別しよう!!」

 

 

 ―――オレは千手畳間。うちはと千手ってことで思うところもあるかもしれないけど、オレはそういうの気にしてないから。これからよろしくな。

 

 アカリの願いは、ただ一つ。

 

 ―――あの頃の笑顔をもう一度。

 

「アカリぃぃいいいい!!」

 

「畳間ぁぁああああああああ!!」

 

 マダラの、柱間の像から同時に飛んだ2人―――炎の拳と木人の拳が、戦いの鐘を鳴らした。

 


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