綱手の兄貴は転生者   作:ポルポル

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置いていかれたのは

「うぅん……」

 

 和室の隅に敷かれているのは、一式の豪勢な敷布団。うちはの家紋が描かれた掛け布団を腹に乗せたアカリは悩まし気な声をあげて、小さな身震いをしてみせる。

 朝の寒さに、放り出されていた手足が冷えたらしい。目を瞑ったままに眉根を寄せて、アカリはその長い手足を赤子のように折り曲げると、掛け布団の中で小さく丸まった。

 

「お兄ちゃん私のお団子は……?」

 

 アカリの寝言は、布団の中に吸い込まれて消える。その後しばらくのあいだ、アカリは微睡の中を彷徨っていた。

 

「あ゛ーーー」

 

 それは、気の抜けて間延びした、年頃の女とは思えない濁った低い声だった。

 

「ーーーづい!!」

 

 突如。

 アカリが布団を蹴り飛ばし、勢いよく起き上がったかと思えば、凄まじい勢いで頭を振り乱し始めた。寝癖で跳ね暴れている黒髪が、無造作に暴れている。

 

「あつい」

 

 ひとしきり暴れて外気に触れたことで、熱を放出することができたらしい。その呟きに、先ほどの間での不機嫌さは見られない。暑いのは暑いが、どうしようもないのでとりあえず言ってみた、といった様子である。

 

「むむ」

 

 前髪が、汗で額に張り付いている感覚がどうにも気持ち悪いらしい。額に滲んだ汗を寝巻の袖で乱暴に拭うと、アカリは自慢の黒髪をかき上げ、でこを外気へと放り出す。手うちわで額に風を送り、次いでうなじを逸らしてその白い首筋を晒し、風を扇いだ。

 

「……?」

 

 そこで、寝ぼけから醒めつつあったアカリの体は、手うちわで送られる微風とは比べ物にならない風量を背中に感じた。

 

 扇風機から送られる風なのは間違いない。確かに電源を付けっぱなしで眠った気はするし、だからこそ風が送られて来ているのだが―――はて、とアカリは小首をかしげる。

 

 ―――扇風機が付いているのに、なぜこうも汗をかいているのか……。

 

 アカリは、自分が布団の中に密閉されていたことを覚えていないらしい。

 

 ―――今夜は近年稀に見る猛暑だったということか。

 

 肩からずり落ちたネグリジェの紐、丸い線を描く肩が剥き出しになっている。

 それを気にもかけず、アカリは寝ぼけ眼をうっすらと開き、のそのそと布団から這いだした。寝相の悪さゆえか、短パンの片側が臀部にまでずり下がっている。けれどもアカリは気にしない。

 

 正直なところ、先程の自己問答など、どうでも良かった。だからアカリは適当な理由をでっちあげ、適当に納得したのである。

 汗でべたつく体の不快感を少しでも紛らわせることができるなら、どんな気休めでもよかった。

 

「あ゛ー」

 

 扇風機の前に陣取って、高速で回転する羽に向かい、大口を開けて声を投げる。羽に切り裂かれた声は、独特の振動を以てアカリの耳に届く。

 

 「全く、なんとも不愉快な目覚めだ」と内心で愚痴りつつ、アカリはしばらくの間、扇風機の前で「あ゛ー」と言う作業を続けたのだった。

 

 それから少しして完全に覚醒したときは、さすがのアカリでも、「いい年して何やってんだろ」と一人、頬を染めることになる。

 

 

「いただきます」

 

 腰を下ろし、行儀よく挨拶をしたアカリは、食卓の上に常備してある漬物と共に、冷えた飯を口に放り込む。

 

「うぅん……、まだ冷たいな」

 

 三日間、タッパに入れて冷凍していたご飯を解凍するには、温める時間が足りなかったようである。アカリは不満げに唇を尖らせた。

 

 やはり行きつけの食堂で朝食を取るべきか、けれどもご飯を粗末にするのは忍びない。

 

 冷えた飯を前に、アカリは腕を組んで首を捻る。本当に悩んでいるらしく、しかめっ面に加えて唸り声までが響いていた。

 

 アカリの兄・カガミはここ数日、任務に出て帰っていない。

 アカリの目の前に在る冷えた飯は、そんなカガミが任務に出かける前に、アカリのために作り置きをして行ったものである。けれどもカガミが作り置きした飯は、多く見積もってせいぜい二食分程度の量だった。それらが何故今も尚残っているのかと言えば―――

 

(くそう、こんなことなら外食なんてするんじゃなかった)

 

 初日の晩―――カガミが任務で家を出ると知ったアカリは、解放感やらちょっとした寂寥感やら、ともかく複雑な心境で朝から家を飛び出し、修行もかねてイナの家に向かう。その晩は真っ直ぐ外食へと突っ走る。カガミが質素な食事を好んでいた反動か、盛大にやらかした。

 帰宅後作り置きの存在を知ったアカリは、さすがに捨てるのは忍びないと、飯は冷凍保存。

 けれども、おそらく丸一日(・・・)放置されていたおかずだけは、頑張って胃に入れる。

 

 次の日―――食べ過ぎで腹を壊し、食事そのものをとれずに終わる。

 

 三日目―――回復。いざ冷凍飯を食おうというときに、イナに呼び出される。”げん担ぎ”にと、朝食に納豆定食、昼にカツ丼大盛を御馳走になる。晩飯にウインナーカレーを、というところで、前日の悪夢が脳裏を過ぎり、辞退。初日の反省を生かし、晩飯を抜いた。

 冷や飯、食えず。

 

 そして今日―――運命の日。

 はっきり言えば食べたくないが、けれども今日食わずしていつ食うのか、というところ。

 

「火遁の術」

 

 ぽうと、小さな炎がアカリの口から吐き出され、冷えた飯を照らす。

 

「うん、あったかいな」

 

 火遁で炙られた冷や飯は焼き飯へと変わっていた。もっともそれは表面だけの話であり、火は内部まで届いていない。よってアカリは、飯を箸で摘まんでは、それを口に入れる前に火で炙る、という作業を繰り返し、食事を進めたのであった。

 

「―――ごちそうさまでした」

 

 食事を終え、行儀よく手を合わせたアカリは、食器を持って台所へと向かう。

 アカリは炊事が嫌いで基本的にはずぼらだが、こと洗いものと掃除だけはマメにやる。臭いのは嫌いだとは本人の弁。

 食器を水の溜まった流し台に放り込み、少量の洗剤を掛ける。水に広がっている洗剤の動きに妙な幸福感を得たアカリは、満足そうに洗面所へと向かった。

 汗を流したいということもあるが、女性のたしなみである。

 

「よーし、今日も完璧だな」

 

 しばらくして、洗面所から出て来たアカリは、煌びやかな女へと変身していた。

 だらけきっていた衣服は、糊の効いた一張羅に早変わり。ちなみにちょくちょくイナとセンスが被っているのは、イナの着ていた衣服と同じものを買ったりや、実際におすすめしていた衣服を、やはり同じく買っていたからである。

 

 この件に関して気づいていたのも、実はサクモだけである。

 畳間は「こいつら趣味があうなァ」と感心していたし、イナも「やだ、あたしたちって実はちょー気が合う?」と軽く考えていた。カガミからすれば”あの”アカリがファッションに目覚めたと大喜びで。

 サクモだけが、「これは……同性だからセーフか? いや、友情の片鱗……。いや、しかし……これは……。まさかレ○的な……」とずっと思い悩んでいた。

 完全に余談である。

 

 さて、アカリの寝起きでぼさぼさだった髪は整えられて、艶やかな色を放っている。切れ長の瞳はアイシャドウで彩られおり、長いまつ毛が美しく強調されている。唇は真紅の色を乗せ、ほのかに温もりを感じさせる頬の血色は上々。

 短パンから放り出された脚は、片や健康的な張りと艶、片や包帯を何重にも巻つけ、その肌を覆隠している。包帯を巻いた太ももには、その包帯の上から、さらにホルダーが巻きつけている。武器口寄せをするための巻物が収納されているものである。

 

 ―――少し前までは体中に武器を仕込んでおかなければならなかったのに。口寄せとは便利なものよ。

 

「ふっ……」

 

 アカリは大変満足ですとばかりに鼻を鳴らすと、大げさにその長い髪を払って見せた。まるで絹のように滑らかな髪は、一本一本が肌に吸い付くような柔らかな動きを以て、アカリの手から滑り落ちていく。

 

「あ、食器……。洗わないといかんな」

 

 ふと食器を洗い忘れていたことを想い出したアカリは、早足に台所へと向かう。

 哀しいかな。本人には、独り言が身に付いていることの自覚はない。

 

 

 身支度を終えたアカリは、玄関に荷物を広げ、確認作業を行っていた。端っこに置いた小ぶりのポーチに飾られた小洒落たストラップ―――色あせた花びらが閉じ込められたプラスチックのタグは、アカリの宝物の一つ。

 

 広げているのは、ポーチに入れる忍具たち。

 兵糧丸などの忍者食が入った木製の筒に、針や糸などが収納されている小ぶりの救急セット、忍者登録票の写しに、肝心かなめの”受験票”。

 

 ―――本日は中忍選抜試験、第一試験の開催日!!

 

「と想うと……うぅ、なぜか緊張してきたぞ。受かるだろうか……。いや、受かる。私は合格するのだ!」

 

 アカリは拳を握り、弱気な自分を叱咤する。

 

「でも……。試験官があいつじゃあなぁ……。本当にだいじょうぶなんだろうか」

 

 一瞬で、言葉から覇気が失われた。

 アカリはちらりと、靴箱の上に置かれている数個の写真立てに目を向けた。飾られていたのは、第六班の集合写真。

 写真に写った一人の男を、アカリは憎たらしげに睨めつける。その男は、今回の中忍選抜試験試験官である、噂のあいつ―――千手畳間である。

 

「この悪魔め。どこまで私の邪魔をしようと言うんだ」

 

 アカリが睨めつけたのは、第六班で撮った、始めての集合写真であった。知らず、アカリはかつての記憶に想いを馳せる。

 並んだ三人の子供と、その後ろに写る一人の大人。

 

 写真の両端でお互いにそっぽを向くサクモとアカリに挟まれて、真ん中の畳間は笑みを引きつらせている。一見して不仲そうな三人の子供たちだが、頭に乗せたお揃いのたんこぶが微笑みを誘う。

 その後ろに立っているカガミは、これから担当することになる下忍たちの前途多難さに打ちのめされているのか―――アカリには正確な理由は分からないが、やんわりとした苦笑を浮かべている。

 

 この写真を撮ったのは、下忍落第を回避するために火影邸を襲撃し、当時の火影であった千手扉間に叱られた後のこと。正式に”先生”となった兄・カガミの提案で、彼らは不承不承、一つの枠に集まった。まだ、三人の仲が良くなかった頃のことである。

 

 ―――しかし火影を襲撃するとは……。

 

 さすがにアカリもいい年をした大人。今思い返せば、とんでもないことをしたものだと、冷汗が流れる。

 

 そう想えるようになったのも成長だ。少なくともカガミが知れば、妹の成長に感激し、瞳を潤ませて喜ぶだろう。

 アカリは知らせないし、言うつもりも無いが―――負けず嫌いというべきか、はたまた恥ずかしがり屋というべきか、ともかくこの見栄っ張りは健在であった。

 

「確かこの写真は、二代目が撮ったものだったか」

 

 当時、火影の職務がたまたま無くて暇だったのか、はたまた弟子の下忍昇格を(ねぎら)いたかったのかは定かでは無いが、二代目火影・扉間が撮影者を申し出た。

 その提案に一番驚愕を顕わにしたのは他でもない畳間で、”先生”であった扉間のらしくない提案に、畳間は引きつった笑みを浮かべていた。

 

 それを想い出したアカリは、唇の端を歪めた。別に嘲笑っているわけでは無い。彼女の純粋な微笑みが、他人からはそのように見えてしまうというだけである。

 

「ふふ、どろどろじゃないか」

 

 次にアカリが視線を向けたのは、泥だらけの第六班が映る集合写真であった。

 第六班の初めての任務であった、終末の谷近辺の整地。あれはまさに、最初の任務として最適なものだったと今のアカリなら分かる。水面歩法や壁登りなどの基礎を鍛えられるだけでなく、直属の上司であるカガミの術を間近で見ることで、性質変化に慣れ親しむことも出来た。

 

 そんなことにも気づけなかった少年少女時代―――毎日毎日ただ土を運ぶ仕事が嫌で、みんなでよく愚痴をこぼしていたものだ。

 

 ―――と、アカリは想い出に浸っているが、愚痴をこぼしていたのはアカリだけである。畳間とサクモは疲れたとは言いつつも仕事自体を投げたいとは言ったことは無い。むしろその任務の有用性に気づき、作業の合間に率先して基礎修行を行っていた。ゆえにうちはアカリは、写輪眼という血継限界の恩恵が無ければ、当時の色々と危うい時期だった畳間はともかくとして、はたけサクモに一歩も二歩も劣ると評されて来たのである。

 

 ともかく、色々なことがあった。

 この写真を撮ったのは兄、カガミの影分身。

 泥だらけで写る三人の距離は、未だ少し遠かった。

 

「今度は、みんなで行きたいものだ」

 

 一年前、アカリとサクモは偶然にもかつての作業場を訪れる機会があったが、あのときは事情が事情だったため、観光することは出来なかった。今度はみなでゆっくりとあの二人の石像を見てみたいと、アカリは胸がほのかに温かくなる感覚を覚えた。

 

「むむ……」

 

 さらにその隣の写真を見て、アカリは少し頬を赤らめる。

 そこに写っているのは、目を赤く充血させ―――というよりは写輪眼を発現させて、むすっと唇をとがらせている自分自身。

 全力で顔を背けて撮影から逃れようとしている写真の中の自分は、それを阻止しようとする畳間の腕に肩を抱かれ、不機嫌そうな表情の中、頬を少し赤らめていた。

 この写真を撮影したのは、畳間とサクモが中忍に昇格し、アカリが中忍試験を失敗したときのことである。そしてこのすぐ後、はたけサクモは瞬く間に上忍に昇格し、木の葉の白い牙として名を馳せるようになる。 

 

「畳間……か」

 

 もう一人の、班員の名。

 

 始めての中忍試験から数年。

 同期の中で未だ下忍で燻っている身は、”うちは”アカリのみ。

 

 それがどんな意味を持つのか、分からないアカリでは無い。

 兄・カガミと、アカリの”大親友”であるはたけサクモが睨みを利かせ、陰口を黙らせてくれていることを、アカリは知っていた。悪口を言っている者を、アカリ自身、写輪眼を使って黙らせたこともある。

 写輪眼を覚醒し、名門・うちは一族の出身として崇められる一方、未だ下忍の落ちこぼれとして、一部の忍びからは蔑まれていることを、実のところアカリは知っている。

 

 だがそれは、千手畳間も同じだったはず。 

 ほんの一年前までは。

 

「畳間、なぜにお前は……」

 

 アカリとしては認めたくはないが、世間一般の認識において、第六班の”他二名”は、白い牙の”おまけ”でしかなかったはずだ。片や千手の直系、片や写輪眼のうちはということで期待されていたのは事実だが、同時に”その程度”かと落胆を向けられていたこともまた事実。

 アカリは自尊心を傷つけられるとともに、「自分だけではない」ことに、少なくない安堵を抱いていたのである。そして、中忍試験において”同類である畳間を救った”という自負は、己を守るためのアイデンティティとなった。

 

 そんな畳間は、この一年間で、以前とは比べ物にならないほどの名声を得た。

 死んだとされていた、滝隠れの凶悪な抜け忍・角都の首級を挙げた”雲隠れ撤退戦”を皮切りに、畳間は幾人もの抜け忍をこの一年の間に討ち取って、その実力を各国へ示した。

 その突然の台頭を比喩し、付けられた異名が”昇り龍”である。

 

 かつては千手の我がままなおぼっちゃんだった彼も、今や木ノ葉隠れの里が誇る二代目火影の遺産、”白い牙”と並び称されるほどの名声を得た。

 

 ”昇り龍”に、”白い牙”。

 木ノ葉の二枚看板となった彼らに比べて、この身は―――矮小な自分自身に、アカリは悔しさを感じていた。

 

「むぅ」

 

 許せない。

 ―――それが、ずっと以前のアカリの感情である。

 置いていかれた。裏切り者だと、アカリは一人傷ついた。

 

 寂しい。

 ―――それはきっと、少し前のアカリの率直な気持ち。大人になっていく皆と、子供のままでいる自分が、どうにも違って見えた。

 

 負けたくない。 

 ―――それこそが、今のアカリの素直な気持ち。

 一年前、”白い牙”はその行動を以て、命懸けの友情を示した。山中イナは長い時間を忍び、アカリの親愛の目覚めを待った。では畳間は―――。

 

 ともかく、サクモ、イナ、畳間が示したそれぞれの想いを無碍にするなど、アカリには出来ない。同時に、腹立たしく思う。

 

 アカリは、やられたらやり返す女。

 買ったばかりのアイスを通りすがりの男に踏みにじられれば、お返しに○玉を踏みにじる。(阻止されたが)

 戦力にならないから下がってろと言われたら、そっくりそのまま皮肉を言い返す。

 

 そんな女である。

 

 ―――やられっぱなしは、性に合わない!!

 

「行ってきます!」

 

 燃えてきたぞと、アカリはいそいそと荷物を片付けて、腰にポーチを佩いた。 

 ずっと変わらない自分を、乗り越える。中忍になり、成長するのだと、アカリは心の中で宣言し。

 誰もいない屋敷を背に、元気な声を張り上げた。

 

 

 意気揚々と家を後にしたアカリは、試験会場へ向かう途中、とある飯屋の前で歩みを止めていた。目的は、中忍試験を共に受ける仲間と合流するためである。

 

 畳間、サクモが上忍であるがため、アカリは試験を受ける仲間がいない。

 今更改めて畳間やサクモに頼るのは沽券に関わると、一人頭を抱えていたアカリだが、そんなところに現れた一筋の光明。

 

 ―――話は聞かせてもらった。 

 

 そう口頭を切った三代目火影の提案は、アカリにとって全く不利益のないもので―――この提案を、アカリは喜んで受けいれた。

 つまりは三代目から、「ここで班員と合流するように」とのお達しがあったということだ。

 

「たのもォー!!」

「ちょっと、今は他のお客さんもいるから、静かにしな、アカリちゃん。迷惑かけちゃだめでしょう?」

「すまん……でした」

 

 意気揚々と店の暖簾を潜れば、たまたま入り口近くで掃除をしていた女将さんに注意を受ける。

 一転、しょぼんと肩を落としたアカリに、女将は含み笑いを浮かべる。

 

「え、この声―――ていうか、アカリ……っていうと、もしかしなくても、うちはアカリさん?」

 

 店の奥からひょこっと顔を出したのは、金色の髪をした少女だった。

 意志の強そうなつり目がちなその瞳に、整った眉に、目鼻立ち。彼女の兄とは全く似たところが無い可愛らしい乙女である。

 けれどもその整った(かんばせ)は、今や驚愕に染まっており、大きな瞳は困惑に(またた)いていた。

 

「おお、綱手! 私だ、アカリだ!!」

 

 とはアカリ本人の主観でしかなく。

 

「綱手。私だ」

 

 くらいが、綱手の受けた印象である。

 

 さて、アカリの言葉を受けた綱手はといえば―――

 

『嘘……』

 

 ―――率直な感想であった。

 

 ぐるんと、綱手は勢いよく振り返り―――くきりと、首が嫌な音を立てる。

 おごごと情けない呻き声をあげながら、恨めし気な瞳を、近くの席に座っている大蛇丸へと向けた。

 大蛇丸は大口をあけて間抜け面を晒し、啜っていたらしきお茶を、口からだらだらと溢している。どうやら大蛇丸も綱手と同じく、驚きの事実に打ちのめされているようだった。

 ちらりと、綱手は再びアカリの方へ視線を向けた。

 

「ひ、ひぇぇ……」

 

 綱手が、情けない声を漏らす。

 目が据わっている―――ように見える。あまりに整った容姿ゆえに”氷の美貌”と囁かれる女の無表情は、確かに見る者の背筋を凍らせるだけの迫力がある。

 

「あわわわ」

 

 ずんずんと大股で近づいてくるアカリに、綱手の口から悲鳴のようなものが零れる。

 はっと、綱手が息を呑む。いつのまにか目の前に、アカリのサユリ(・・・)のような指が突きつけられていた。

 怯える綱手を前にしたアカリは、綱手を見下すように、口の端を歪めた。

 

 ―――目を奪われるッ!?

 

 口の端を歪めたのは見下していたのではなく、アカリなりの笑みであったのだが、それを綱手に理解しろというのも可哀想な話である。

 とはいえ目を奪われると言う被害妄想も、失礼極まりない。あの兄にしてこの妹と言うところか。そういう意味では、うちは兄妹の方がまともである。

 

「私のことは、あのインテリエロ蛙だと想って接してほしい。これからしばらく、よろしく頼む」

「……………。こ、こちらこそ!! こちらこそ!!!」

 

 綱手は想っていたものとは違うアカリの言動に一瞬思考が停止した。けれども、アカリの言葉の意味を理解した瞬間、綱手は素早く首を縦に振る。機嫌を損ねないように、光の速さで差し出された手も握る。 

 

 とりあえずは乗り切ったと、綱手は内心で冷汗を拭った。

 

 生来気の強い綱手は、目上の人間に対して、強気な態度を取ることが多い。それは、師である猿飛ヒルゼンに対しても変わらなかった。

 綱手がそのような態度を取らない相手は、兄・畳間を除けば、山中イナくらいだろう。けれどもそれは姉妹のような関係だからであって、”先輩”を敬う態度であるとは言い難い。

 

 そんな綱手が唯一、一歩引いた接し方をする相手こそが、何を隠そう、うちはアカリその人である。

 

 うちはアカリ―――いまや他里から”昇り龍”として畏れられている兄・千手畳間と、かつて互角の戦いを披露し、同等の力を持つ(・・・・・・・)化け物。

 龍に喰らいつく虎。

 なんだかんだで根性の据わっている自来也を”ちびらせる”ほどに恐ろしい女傑。

 

 というのが、綱手の認識である。

 

 実際のアカリは、昇り龍と称されるようになった今の千手畳間に比するほどの強大な戦闘力は持ち合わせていない。けれどもかつての”激戦と言う名の痴話喧嘩”を目の当たりにしてしまったことで、”畳間とアカリは実力的に互角”という図式が、綱手の中で定着してしまっていた。

 これから才能を開花させていけばともかく、いまだ下忍の綱手には、格上のランク付けなど難しい。蟻に猫と虎の違いなど分からないのだ。

 

 よって、畳間の実力、それに伴う評価が上昇すればするほど、綱手の中での”うちはアカリ”のそれらも、畳間の評価に比例して上昇していく。綱手にとって、畳間はどこまでいっても大好きな兄であり、恐ろしさなど欠片も無いが、アカリに対してはそうもいかない。

 つまり綱手は、里の子供達が”千手畳間”に抱いている印象をそのままそっくり、アカリに対して抱いているのである。

 

「……綱手、考えてみろ。自来也に比べれば、よっぽど頼もしいだろ」

「た、確かに、インテリエロ助と比べたら失礼だけど、心強いわ」

 

 綱手・大蛇丸の心境としては一悶着あったが、ともかく、大蛇丸の言葉には、歓迎の意味合いが含まれていた。言われてみればと、綱手も大蛇丸に頷き、ぎこちないながらも、その頬に笑みを浮かべた。

 

 ―――そのとき、アカリに電流走る。

 

(こ、これはァ……!?!?)

 

 綱手たちの歓迎ムードに、アカリは奇妙な高揚感に見舞われる。それはサクモと畳間相手では、決して味わうことの出来ない感覚であった。

 

 ごくりと、アカリは生唾を呑む。脈打つ心臓がうるさく感じ、徐々に体が火照りだす。アカリはばれないようにひっそりと呼吸を整えると、顎を軽く引いて、目元を据える。

 

「中忍試験は厳しい。遊び感覚では合格することは出来んぞ」 

 

 言い放ったアカリは、三つ巴の写輪眼すら浮かべた、渾身の決め顔だった。

 

「……!?!?」 

 

 大蛇丸がアカリに対して抱いている印象は、綱手のそれとそう変わらない。

 かつて自分たちを手玉に取った千手畳間と同等の実力者―――と勘違いしている―――アカリですら、容易に突破することができない試験とは、一体……。

 今度は大蛇丸と綱手が、ごくりと生唾を呑む。

 

「この写輪眼を持ってしても難しい試練……。それが、中忍試験。心して掛かるのだ」

「は、はい!」

 

 綱手の元気な返事に比べ、大蛇丸は不貞腐れたように鼻を鳴らした。

 

(ふ、ふふ、ふふふふふ……。この感覚は一体なんなんだ。私は何故こんなにも高揚しているんだ……)

 

 今まで尊敬されたことが無かった―――ということに、アカリが気づくときは来るのかは分からない。

 ただ、一つだけ理解していた。

 

 ―――高笑いすると、終わる。

 

 それはいわば、本能的な直観であった。アカリは、今すぐにでもはしゃぎたい内心を心の奥に忍ばせて、氷の(かんばせ)を浮かべることで、己の内心を見事に包み隠した。よって、アカリの浮足立った内面は綱手と大蛇丸に届くことはなかった。

 

 言いたいだけ言って、満足げに歩き出したアカリの背中。

 

 遠ざかって行くその華奢な背中は、少年少女にはとてつもなく大きく見えて。

 綱手と大蛇丸は互いの目配せに神妙にうなずくと、その後に続いたのである。


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