綱手の兄貴は転生者   作:ポルポル

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長かった……マジで。
今までありがとうございました!!
ポルポル先生の次回作(ry


あらすじ

「ガ―――」

 

 時空すらも歪ませたガイの渾身の一撃は、うちはマダラの胴体を穿った。

 真数千手の頭部が消滅し、穢土転生体である千手柱間は蒸発した。

 直撃を受けたマダラの体とて、例外ではない。その肉・臓物は消し飛び、そのあまりの威力に蒸発し、再生が許されない。それは、千手柱間の細胞が埋め込まれ、六道仙人に限りなく近い状態へと変化したマダラの体すら、致命傷たりえる一撃だった。

 

 マダラは、気づけば地面に倒れ伏していた。

 気づけただけでも、奇跡だろう。このまま意識を失って死を迎えてもおかしくはない―――むしろ、そうでないほうがおかしいような有様だ。

 写輪眼としての能力を捨て去って発動したイザナギが無ければ、即死だっただろう。本来他者の干渉を許さないイザナギですら貫通して見せたマイト・ガイの一撃は、都合のいい空想を捻じ伏せる―――理不尽を受け入れ、そして立ち向かって来た者の努力の果てにあるものだ。

 

 まずいなと、黒ゼツは思った。ここでマダラを殺されては、計画が頓挫する。

 黒ゼツはマダラの体を覆い、白ゼツを使って、その体の修復を始める。

 

「―――外道、魔像ォ!!」

 

 血反吐を吐きながら、あるいは血反吐に呑まれながら(・・・・・・)、マダラが吠える。

 呼応して、外道魔像から管のようなものが無数に伸び、マダラの体に突き刺さる。

 どくりどくりと、外道魔像から何かがマダラの中へと送り込まれる。

 

 近くに倒れ伏すガイの体は、足元から徐々に塵へと変わり、風に乗り消え果てようとしている。

 連合の者達は花粉の毒で未だ動けず、千手柱間はガイの攻撃によってマダラの拘束から逃れたものの、再生にはまだ時間が掛る。三代目火影もまた大樹の重さと、刺し貫かれた巨大な杭から解放されていない。大蛇丸は、ガイの攻撃によって顔―――どころか、胴体付近までその衝撃波によって消し飛んだ真数千手の足元で、血だまりの中に沈んでいる。心臓に突き刺さった黒い杭が、封印の役割を果たし、大蛇丸を封じていた。輪墓の中にいる者達―――千手扉間はマダラの黒杭によって顔を中心に全身を地へ縫い留められており、行っている自来也への治癒には時間が掛かる。

 回復へ向かおうとしているマダラを倒せる者は―――近くには存在しない。

 このままではマダラは復活するだろう。ガイが為し遂げたこの千載一遇を、無に帰すことになる。

 

 ―――そんなことは許さない。

 

 木へと還ったマダラの分身―――そこから延びる樹によって、逆さ吊りに拘束されていたカカシが、眼球が零れんばかりに、目を見開いた。

 

 ―――神威。

 

 その血涙を流す左目に浮かび上がったのは―――万華鏡写輪眼。

 カカシの脚を縛り上げていた樹が空間の歪みに吸い込まれた。解放されたカカシは重力に従い、地面に叩きつけられる。

 

「―――カカシ、頼む」

 

 這いずりながら近づいてきた綱手が、カカシの体に掌を当てる。毒に侵された体で行えるのは、掌仙術とすら呼べないチャクラの譲渡。

 だが、それで十分だった。カカシの中に、力が沸き上がる。それはただチャクラが回復したからというだけではない。

 綱手は、諦めていない。その事実が、カカシの心に力を与える。

 

 ―――飛雷神の術。

 

 ガイに付けられたマーキング―――カカシが時空を飛び越える。

 カカシは立ち上がろうとして、崩れ落ちた。

 立ち上がる力もない。飛雷神の術は、カカシにとって万華鏡写輪眼と同レベルでチャクラを消費する必殺の手。それに、カカシは―――体中の骨が折れ、多量の血に濡れている。立ち上がるための『脚』が無い。

 

 ―――こんなもの、ガイの痛みに比べれば……ッ!!

 

 カカシは震える腕で、体を支える。這いずる様に、前へと進む。

 足先から消えゆくガイを横目に。もはや呼吸音すら聞こえない、戦い抜いた英雄を横目に。

 

 ―――ガイ。

 

 本当は、ガイに駆け寄りたい。

 その奮闘をねぎらいたい。

 最後の言葉を聞いて、最後に言葉を伝えたい。五代目火影の右腕左腕として、共に切磋琢磨した日々を想起し、別れの言葉を伝えたい。

 今、鮮明に思い起こされる、ガイと過ごした記憶。班員二人を失い、塞ぎ込んでいた自分に、変わらず接し続け―――生きる気力を分けてくれた親友に、感謝の言葉を伝えたい。

 

 ―――ガイ。お前がいたから、オレは、ここまで来れたんだ。

 

 五代目火影の右腕という肩書は、カカシにとって誇りであったが、同時に重荷にもなった。

 それでも、共に里の未来を見守ろうと誓った親友がいたから、カカシはここまで来ることが出来た。

 父・はたけサクモを共に見送った親友が―――父の最期の言葉を共に受け取った親友が居たから、カカシは歩き続けることが出来た。

 共に同じ未来を見て、同じ夢を語り合い、同じ方向に進んでくれる友がいたから―――はたけカカシは、ここまで来られたんだ。

 

 五代目火影が引退を仄めかし、カカシに六代目をと露骨に推してくることが増えた時期。カカシはガイと酒を飲み、少しだけ愚痴をこぼした。

 期待は嬉しかったが、やはり重さも感じていた。自分のようなだらしない忍者がそれ(・・)を望まれて良いのかと、弱音を吐いた日があった。

 その度に、ガイは「馬鹿野郎!!」とカカシを殴り、滂沱の涙を流して、カカシに熱い抱擁を与えた。

 正直、それはやり過ぎだとカカシは思うし、心の底から鬱陶しいとも思った。男同士で何をしてくれてるんだと、殴り返して殴り返され、酒が入っていたこともあってそのまま決闘になり、飲み屋を崩壊させたり、飲み屋を出禁になったり、給料や貯金が吹き飛んだり、五代目火影から厳重注意を受けたこともあった。

 

 だけど―――ガイは普段カカシをライバル視し、事あるごとに勝負を挑んできたが、そういうときは、本心を伝えてくれた。

 オレはお前を尊敬していると、ただ忍者としての才能だけでなく、その在り方を―――五代目火影が認めた、その心の強さを認めていると、ガイは言ってくれた。

 

 ―――立ち止まって……お前に伝えたいことは、山ほどあるんだよ。ガイ。

 

 カカシも、口が上手い方ではない。詭弁は得意でも、その本心を伝えることは苦手だった。

 それは幼少期の経験が故か―――カカシはガイに八門遁甲の陣を要請した時、ただ謝ることしか出来なかった。そしてそれは、戦いが始まる直前まで同じ。

 ガイは気にするなと、忍の世のために散ることは本望だと笑って見せてくれたが―――かつてカカシは、『守れ』と友から託された誓いを守れず、守りたかった友をこの手に掛けた。もう二度と仲間を―――大切な人を失いたくないと、五代目火影に正式に弟子入りし、守るための力を求めた。飛雷神の術すら習得し―――この力があれば、全てを守れると思った。少なくとも、手の届く範囲はきっと、守ることが出来ると、そう思った。

 

 ―――ガイ。

 

 だが、世界はカカシに、どこまでも厳しかった。

 敬愛した五代目火影は倒れ、力及ばぬ己のだらしなさによって、友を死地に送る命を下すこととなった。

 ガイを死なせる(殺す)―――その覚悟を決めた時、カカシの中にあったのはずっと、重い重い、自責の念だった。

 ガイには、ただ謝ることしか出来なかった。すまないと、託すことしか出来なかった。本当はもっと―――永久の別れを迎える友へ、その前に、伝えたい言葉があったのに。

 カカシが戦いの前に口にした言葉たちは、亡き友への想いと同時に、ガイへの心も込められていた。ガイはきっとそれを感じてくれただろう。ガイはカカシの肩を叩き、ただ任せておけと熱く笑った。

 

 ―――オレは、だらしない男だ。

 

 今になって、後悔する。いつも、後悔ばかりする。いつもいつも、気づくのが遅すぎる。

 五代目火影のすぐ下で、共に切磋琢磨する日々を、これほど楽しく、大切に感じていたのだと―――今、命尽きんとする友の姿を見てようやく、ようやく、気づけた。

 もしも近しい上司(千手畳間)がおらず、共に修業をするという、ガイとの距離を無理やりに詰めさせられたあの日々が無ければ―――カカシはきっと、幼少期から少しマシになった程度の、醒めた男になっていただろう。涙を流すことを忘れて―――ただ、過去を悔い続ける日々を、過ごしていただろう。

 

 畳間がいたから。ガイがいたから。カカシは墓参りに―――二人の友との死別に踏ん切りをつけ、早い段階で前へと進むことが出来た。

 畳間はきっと、哀しみに囚われたままのカカシを、気にかけていたのだろう。

 執拗に、カカシとガイを一緒にいさせようとしていた。ガイとの組手修業が頻繁に行われたのもきっと、効率的な面もあっただろうが、きっとそのような思惑が少なからずあったと思う。

 もう一人の父に見守られ、一人っ子だったカカシは、まるで兄弟が出来たかのように、騒がしい日々を送り―――いつの間にか、ガイの熱というものが、少しだけ、移ってしまっていたようだ。

 

 漠然と、思っていた。

 カカシ達は忍だ。畳の上で死ねるとは思っていなかったが―――しかし五代目火影の尽力で、世は平和へと舵を切った。殺し合いが極端に減少し、暖かで、これまでとは違った意味で騒がしい日々を生きる中で、カカシもまた甘くなっていたのだろう。

 ガイとはこうして、―――暑苦しくて鬱陶しくて騒がしい、この何気ない日々を過ごし、共に歳を取っていくのだと、そう思っていた。もう誰も、死ななくて済む世が訪れたのかもしれないと―――ふと、共に老いた自分たち(・・・・・・・)を想像することすらあった。

 引退をしたら、温泉にでも行こうか。和平が根付いた暁には、他里の観光なども悪くない。これまで、あれだけ無茶ぶりをされたのだ。五代目火影を引退しても、畳間には楽隠居などはさせてやらない。それは、ガイも同意してくれたことだった。

 

 ―――五代目火影は既に倒れ。今、たった一人残った親友が、世を去ろうとしている。

 

 カカシの瞳から、一筋の雫が流れ落ちる。

 

 ―――ガイ。今までありがとう。来世、なんてものがあるなら……また、あの人(畳間)の下で。木ノ葉隠れの里で……。また……。

 

 カカシは歯を喰いしばった。

 何も言わず、倒れ伏すガイに視線も向けず―――その横を、通り過ぎた。

 カカシは鋭い視線を前へと向ける。体を引きずって、血の道を記しながら、前へ、前へと這いずっていく。

 

 ―――ここで終わらせる。この戦いを。この憎しみを。

 

「はっ、はっ、はっ」

 

 苦し気な呻き声を零すマダラへ、カカシは視線を向ける。

 大の字で天を仰ぐマダラの瞳だけが、カカシへと向けられる。その瞳は黒い。瞳術は発動していない。外道魔像が、マダラへ注ぎ込む何かの速度を上げて―――外道魔像そのものが、マダラの中へと吸い込まれていく。

 そしてカカシは―――その瞳にチャクラを込めた。

 

 ―――神威。

 

 その瞳に焦りを滲ませていたマダラは、己の上半身を包み込んだ時空の歪みを視認すると―――一転して、薄く笑った。

 外道魔像がマダラの中へと完全に入り込むと同時に―――マダラの上半身が時空の歪みに引きちぎられて、消滅した。

 

「―――終わったよ。ガイ」

 

 カカシは持ち上げていた首を力なく降ろし、地に頬を付けた。

 マダラを殺して―――抱いた想いは、虚無だった。喜びも、達成感も無い。生じた犠牲が、あまりに大きい。心の中に、大きな穴が空いたような、片翼を捥がれたような喪失感だけが残る。

 カカシは地面を掴むように拳を握る。指の形に、地面が抉れた。

 

 ―――ガイのところに。

 

 カカシは震える腕を支えに、必死に立ち上がろうとして―――その場に崩れ落ちた。

 

 ―――またオレは、間に合わないのか。

 

 カカシは必死に立ち上がろうとしては、肘が力なく折れて、地面へ体を投げ出した。

 

「カカシ……」

 

 駆け寄ってきたのは、綱手だった。

 綱手は、花粉の毒にやられていただけで、外傷は無い。多少の傷は、すぐに再生する。その身に宿すチャクラ量こそ、傷ついた皆の治療に費やしたがゆえに激減しているが、毒さえ消えれば、動くことに支障はない。そして花粉の毒は、既に解毒しているようだ。

 綱手は労わるようにカカシの髪に優しく触れて、その怪力でカカシを軽々と持ち上げると、横抱きにして、歩き出す。

 

 ―――お姫様だっこかぁ……。

 

 などとカカシが思ったかは定かではない。

 力なく綱手に体を預けていたカカシは、ガイのもとへ向かい途中に綱手から掌仙術を受け、座り込む程度ならば体を支えられるほどに回復した。

 足元からゆっくりと降ろされたカカシは、項垂れるようにガイの傍で胡坐を組んだ。カカシの横にしゃがみ込んだ綱手は、ガイへ掌仙術を発動する。綱手の掌が、優しく、温かく光を放つ。

 

 この塵化は、死門・八門遁甲の陣の代償だ。かつてガイの父であるダイがそのようにして世を去ったと、綱手は畳間から聞いている。

 約束された死。何をどうあがいても、ガイの死は覆らない。

 だがせめて―――綱手が発動したその掌仙術は、ガイを癒すものでは無く、痛みを取り除くものだった。

 

 己が命を賭して忍の世を守り抜いた偉大な英雄に―――誰よりも立派な木ノ葉隠れの里の(しのび)に、せめて、安らかなる終わりを。

 

 命は救えなくとも、その痛みは取り払える。

 綱手はその血に濡れた美しい(かんばせ)に、慈母の様な穏やかな表情を浮かべ、その瞳には哀しみを滲ませて、塵と消えゆくガイの体に、優しく触れた。

 

 カカシは何も言えず、ただガイを見つめた。

 赤く染まった体。ひび割れた皮膚から覗く筋肉と、節々から突き出した骨。ガイの最後は、あまりに痛々しい姿だった。

 

「ガイ……お前はとっくに、オレを超えてたよ」

 

 ガイの隣で、カカシは静かに目を細める。

 男の別れに、涙はいらぬ。ガイならそう言うだろうと思った。

 これまで、折れそうなことは何度もあった。時に畳間からの助言を、時に綱手からの叱咤を、時に亡き友への想いから、カカシは奮起し、立ち上がって来た。

 たくさんの人に支えられたことを、カカシは自覚している。それでも、カカシの中で最も大きな力となった言葉は、きっと。

 

「お前に、天才だと言われたから―――だろうな」

 

「カカシ……」

 

 綱手はこのままガイと共に消えてしまいそうな、か細い雰囲気を見せるカカシに視線を向けて、心配そうにその名を呼んだ。

 しかしカカシは、にこりと笑った。

 

「大丈夫です。オレは……これからも、頑張っていくんで。ガイの分まで……」

 

「……」

 

 綱手は呆気に取られた様に目を丸くし―――そして慈しむように、安心したように、柔らかく笑みを浮かべた。

 

「マダラの復活から、およそ七日。皆が稼ぎ、繋いだ時間が、この勝利を掴んだ。失ったものはあまりに多く、得たものなど無い。それでも……今、皆が心を合わせ、手を取り合ったという事実は、きっと、私達の今後に大きく影響するだろう。……志半ばで倒れたお兄様もきっと……浮かばれる」

 

「そう……ですね。そう……願っています。オレも……」

 

 ―――少ししたら、輪墓へ向かった者達を探しに行こう。もしかすると、こちら側で、見つけられるかもしれない。

 

 綱手は、そう告げようとした。

 もしも輪墓の中で息絶えていたのだとすれば、精鋭部隊は、その遺体すらも回収されず、異空間にて眠り続けることになる。その可能性の方が高いだろうが―――それでも、綱手には、勇敢に戦った者達を探さないという選択肢はない。それにもしかすると、生きているかもしれない。生きて、あちらの世界で、助けを待っているかもしれない。

 

 そう、告げようとした。

 

「―――時間を稼いだ、か。だがそれは、お前達だけに利することでは無かったようだぞ?」

 

「―――っ」

 

 その声を聴いたカカシと綱手が、息を呑む。

 背筋に、寒気が走る。

 嘘だろうと、そんなはずがないと、心が悲鳴を上げる。

 動悸がした。吐き気もだ。凄まじい絶望がカカシと綱手に重く圧し掛かる。

 ゆっくりと、二人が振り返る。

 壊れかけのゼンマイ人形のように、ゆっくりと―――振り返る。

 

 ―――絶望が、在った。

 

「なんで……」

 

 綱手の声が震える。

 

「なんで……」

 

 綱手の声が震える。

 

 カカシはただ目を見開いて、呆然とそれを見上げた。

 

「さすがに、死にかけたぞ」

 

 マダラの体は、直に再生を終えようとしている。

 カカシが抉り、分断したはずの下半身と上半身は、既に繋がっていた。それについては、異常な回復力を持つから、でまだ説明が出来るとしても―――神威によって消し飛ばしたはずの上半身が、何故ここにあるのか。その理由が分からない。

 

「なんで……」 

 

 絶望に声を震わせる綱手が、次の瞬間、鋭く瞳に力を込めて―――ガイへと振り返る。

 

「ガイ!! 立て! まだだ!! まだ終わってない!! ガイッ!! ―――ガイ……ッ!! 頼むッ!! 頼むッ! 立ってくれ……ッ! 立ってくれ、ガイッ!! 頼む……っ!! ガイ……っ!! たのむ……っ! たのむ……っ!! たのむ……っ!! ガイ……っ!! たのむ……っ!!」

 

 最初は力強く叫んだ綱手は、ガイに全力の掌仙術を発動する。しかし、ガイの体が癒えることは無い。ガイが言葉を発することも無い。ガイが意識を取り戻すことも無い。

 

 ―――マイト・ガイは、死ぬ。

 

 それが分かるから、綱手の言葉から徐々に力が抜けていく。

 

 ―――後進に頼らねばならぬ己の弱さに。こうなり果てる程に、世界のために身を呈してくれた英雄に、まだ苦しめと願う醜さに。

 

 己の身勝手さが分かっているから、綱手は己の不甲斐なさを呪い、その言葉から、力が抜けていった。

 

 ―――綱手は、泣いていた。

 

 涙が止めどなく、流れ落ちていく。

 言葉は、奮起を願っている。言葉は、マダラへの呪いで満ちている。だが心が―――受け入れようとしていた。

 自分の死を。戦いの終わりを。そして―――この世界の、敗北を。

 

「―――ガイ……ッ!! 頼む……ッ!! う、あ……あ、あ……」

 

 綱手が、遂に言葉を発せなくなる。溢れた涙で、視界が歪む。

 これだけやって。これだけの犠牲を払って。ここまで必死に戦って。それでも、届かない。

 破れぬ誓いがある。受け継いで来たものがある。なのに。何一つ、守れない。何一つ、救えない。

 

 己の弱さがあまりに悔しくて―――綱手はガイに掌仙術を発動し続けながら、瞳から止めどなく零れ落ちる涙を、止めることが出来ない。

 

 取り乱しながら、しかし必死に『一縷の望み』に賭けてガイへの治療を敢行する綱手の隣で、カカシは呆然とマダラを―――マダラの隣に立つ男を、見あげた。

 暁の―――黒地に赤い雲の刺繍が入った外套を纏った男。見えている肌―――顔の左半分が白く濁り、歪んでいる。そしてその右目には、カカシと同じ文様の、万華鏡写輪眼。

 

 現実が、受け入れられない。しかしカカシの明晰な頭脳は、その答えを速やかに導き出す。

 上半身を異空間に飛ばされたマダラが、何故ここに、上半身と下半身が結合した状態で、立っているのか。

 それはきっと、カカシがマダラの上半身を飛ばした『異空間』に、接続できる者がいるからだ。そしてこの左目は、亡き親友から、託されたものだった。であれば、カカシの異空間に干渉できる者は、たった一人。カカシの左目『瞳術・神威』の、もともとの保持者―――。

 

「―――オビト?」

 

 ―――うちはオビトのみ。

 

(ああ、そうか)

 

 あまりに受け入れがたい現実が、心と脳を切り離す。

 カカシの心はぐちゃぐちゃに、ありとあらゆる感情が入り乱れているが、その脳は、一つの悟りを導き出した。

 

 ―――カカシ。お前にもいつか、その眼を持つ『意味』を、知る時が来る。

 

(オレがこの眼を持つ意味は……。オビト、お前を……)

 

 そんなこと、知りたくなかった。

 うちはオビトーーーカカシが『今』のカカシへと成長する、始まりのきっかけを作った親友の名だ。仲間を大切にしない奴は掟を守らない奴以上のクズだという教えは、オビトから受け取ったものだ。

 オビトは最後に言った。

 

 ―――オレがお前の眼になって、これから先を見てやるからよ。

 

 オビトに恥じぬようにと、カカシは常に考えていた。この眼を通してオビトが見ているからと、カカシなりに、励んできたつもりだ。

 里を―――仲間を守るために散った、英雄、うちはオビト。亡き親友との繋がりを守りたくて、カカシはこの戦いに臨んだ。

 

 なのに。いかなる理由か―――カカシが守りたかったオビト(火の意志)こそが、カカシが守りたかったものを、消し去ろうとしている。マダラの隣に立つということは、きっと、そういうことで。

 

 ―――ガイ!! 頼む!!

 

 綱手の声が、酷く遠くに聞こえる。

 綱手の声だけではない。全ての音が、遠くへ離れていく。触覚も、嗅覚も、感覚全てが、遠ざかっていくようだった。まるで暗い深海で一人、揺蕩うように。

 

 ―――オレは今、地獄にいる(・・・・・)

 

 呼吸すらも忘れて、カカシはじっと、オビトを見つめる。

 

「―――諦めるなッ!!」

 

 豪速の弾丸が、咆哮と共に、マダラへ向けて放たれる。

 それは、体の再生を終えた『初代火影』千手柱間だった。

 

 再び仙術チャクラを起動させ、その剛腕を以て、うちはマダラへ襲撃を仕掛けた柱間を、マダラは迎え撃つ。

 

「今、()()()()()()を討たねば! 忍の世に未来はない!! 今、ここでマダラを討つ!! 立ち上がれ、皆の者!! 弱音を吐くな!! 今、マダラが奪おうとしておるのは、()()()()()()()()()ッ!!」

 

 柱間の咆哮が、いのの術を介して、皆に伝わる。もしものときのためにと、扉間にいのとのパスをつないで貰っておいて良かった。少しだけでも、絶望に暮れる者達を鼓舞できればと、柱間は声を張り上げる。

 

「そうだな。弱った今のオレなら、あるいは討てるかもしれんぞ?」

 

 マダラは楽しげに笑う。引きちぎられた上半身と下半身は癒着させ、柱間細胞によって回復したが、消し飛んだ内臓の修復はまだ終わり切っていない。外道魔像は体内に取り込んだが、不完全な状態での人柱力化だったため、その力は起動しておらず、静止している状態だ。

 それでもマダラが身を隠さずにこの場へ現れたのは―――残る七尾と八尾を、奪い取るためだった。

 

 ―――マダラ側も、後がない。

 

 それが、真実である。

 柱間の言うことは正しい。今が、マダラが最も弱っている時であり、マダラを討てる―――現状、最後のチャンスだ。少なくとも、柱間の認識はそうで在る。

 マダラ側の認識は、少しだけ違う。あと一人(・・・・)、マダラに匹敵しかねない存在がいる。その鼓動は活力を増し、今、目覚めようとしている。

 

 ―――マダラ側も、後がないのだ。

 

 ゆえにこそ―――うちはマダラに遊びは無い。

 柱間の拳を潜り抜けるように身を屈めて避けたマダラは、掌底にてその拳を跳ね上げた。腕から伸ばした黒杭を柱間の腕―――その点穴に突き刺し、ぺきりと折る。自由になった腕を引くと同時に、輪廻眼の能力―――万象天引を発動。柱間の体を超至近距離にまで引き寄せる。

 凄まじい引力によって体勢を崩した柱間の顎下から、マダラは自由になった手で作った掌底を突き上げた。黒杭が飛び出す。

 柱間の顎下から突き刺さった黒杭は、柱間の脳天を貫く。

 万象天引は続いている。柱間は退避することが出来ない。

 

 ぺきり、と腕から突き出る黒杭を圧し折ったマダラは、左下方へと回転する。そして、顎下から掌底によって突き上げられ、仰け反った柱間の横っ面に、右回し膝蹴りを叩き込み、その頭をこめかみから地面へ叩きつける。ぐちゃりと潰れる柱間の頭が、塵となって修復を始める。

 直後、マダラは柱間の体を蹴り上げて宙へと飛ばした。柱間の体は天を仰ぐように滞空し―――その背中に、次々と黒杭が撃ち込まれていく。

 

 ―――柱間のチャクラは、既に、穢土転生相応にまで落ち込んでいた。シスイのブーストは、既に切れてしまっていた。

 

 それでも、柱間は頭の修復が終わると同時に、点穴を突かれ不自由を強いられる体を、その強い意思で無理やり動かして反転。地上にいるマダラへ木遁による攻撃を仕掛けようとして、その姿が無いことに瞠目し―――天を向いた背中に発生した凄まじい衝撃によって、地面に叩きつけられる。

 

 軽やかな音を立てて―――柱間の背を蹴りつけて地面へと叩きつけたマダラが、地上へと降り立った。

 

 うつ伏せに倒れ伏す柱間の体の、点穴という点穴を、マダラは黒杭で打ち抜いていく。柱間は地へと縫い付けられ、停止した。

 

「……ッ」

 

 柱間が悲痛に表情を歪める。

 オレが不甲斐ないばかりに、と後悔だけが胸に溢れる。

 

 柱間の声を聞き、ビーとフウ―――八尾と七尾の人柱力が駆けつける。

 

「ありがたいことだ。手間が省ける」

 

 愉悦に声を揺らすマダラが、その近づいて来るチャクラを感じ取り、凄まじいスピードで駆けだした。

 つ―――、とマダラの口から血が流れ落ちる。ガイが残した傷は、まだ癒え切っていない。それでもなお、この力。

 

 マダラの接近に気づいたビーはすぐさま八本の刀を空中に投げ出すように取り出すと、独自の型でそれらすべてを操って、迎撃態勢を整える。

 マダラは素手でビーへと攻撃を仕掛け、ビーは不可思議な踊りのような動きを以てマダラの攻撃を捌く。フウもビーに加勢し、背面と前面からの同時攻撃を仕掛ける。しかしマダラはそれらを素早くしゃがんで避け、足を回し、フウの脚を蹴り飛ばして体勢を崩させると、倒れこんで来たフウの頭部を鷲掴みにし、振り回す。

 フウが首が捥げそうな負荷と痛みに呻きをあげ、ビーがフウの救助をせんと、刀を構えて突撃した瞬間―――マダラはフウをビーへと投げ飛ばし、その影に隠れて接近する。

 全身から刀を生やしているような状態のビーは、フウを受け止めることなど出来ないし、刀を捨てるという選択肢も無い。

 ビーは仕方なくフウを避け、その影から飛び出したマダラが振り上げた腕に殴りつけられ、吹き飛ばされる。跳ね飛ばされた刀が宙を舞い、地へ転がった。

 飛んでいくビーへ、マダラは腕を伸ばす。マダラの腕から伸びるように現れた須佐能乎の巨大な腕がビーを掴み取った。

 フウは既に、もう一本の須佐能乎の腕で締め上げられていた。手を抜く気は無いとばかりに締め上げられる須佐能乎の腕に強く圧迫され、フウは泡を吹いている。

 

「―――はっつぁん!!」

 

 ―――おう!!

 

 ―――尾獣化

 

それでいい(・・・・・)

 

 須佐能乎の腕を振り払って顕現した八尾の尾獣。呼応して現れた、七尾の尾獣。

 マダラは待ってましたとばかりに、自分の両掌を叩きつけて、チャクラを練り上げる。

 

「―――封印術・外道魔像」

 

「―――ッ」

 

 七尾の体が、マダラの―――大きく広げた口の中へと、吸い込まれていく。

 フウの体から七尾が抜ける。七尾の体から抜け落ちたフウは、白目を向いて地面へと墜落した。力なく、四肢を投げ出している。

 続いて、ビーの体から八尾が抜き出されそうになる。必死の抵抗も虚しく―――八尾はマダラの口へと吸い込まれ、八尾の体から抜け落ちたビーが、フウと同じように、地面に力なく転がった。

 

「―――あとは、九尾だ。あの小僧(君麻呂)に奪われたことが、ここになって効いて来るとはな……」

 

「マダラサマ」

 

 マダラの腹部を覆っていた黒ゼツが、口を開く。腹巻のようである。

 悩まし気に眉を寄せていたマダラが、なんだ、と問い返す。

 

「―――オビトガ、ヨウイシマシタ」

 

「……ほう?」

 

 マダラは嬉しそうに言った。

 急ぎ、オビトのもとへと駆ける。

 

「オビト。九尾を用意したと、ゼツから聞いたが? あの小僧(ナルト)を捕えたというのか?」

 

 じっとカカシを見つめていたオビトが、戻って来たマダラへと視線を向ける。

 

「いや……。九尾はかつて、陰と陽のチャクラに分断された。うずまきナルトに封じられている九尾は、陽のチャクラのみ」

 

「では、『陰』の方を手に入れたということか?」

 

「ああ」

 

「ふ……。復活してみれば、畜生どもの一体も捕獲していないうえに、お前自身は毒にやられて動けないという体たらく。さすがにオレも落胆したが……ようやく役に立ったな、オビト」

 

「……それについては、返す言葉もない」

 

 マダラの右ストレートに、オビトは言い返せず、気まずげに目を逸らした。

 大蛇丸の毒に侵された体を回復させるのに、時間が掛かった。時間が、必要だった。

 

 連合軍は、うちはマダラ打倒のために、纏まり、決起するための時間が必要だった。

 

 うずまきナルトの奮戦により、木ノ葉は霧へと落ち延びることが出来た。

 

 君麻呂の決起により、我愛羅は救われ、九尾は取り戻された。

 

 シスイの覚悟によって、マダラはこの世ならざる世界へと隔離された。

 

 連合はその時間を最大限に活用し、打倒マダラの準備を整えた。

 

 ―――だが一方で。時間が必要だったのは、連合だけでは無かった。

 

 時間は連合側に大きく有利に働いた。それは事実だ。

 だが―――時間とは残酷に平等に、全ての者に等しく与えられるもの。その『時間』という『利』を享受したのは、なにも連合だけでは無かった―――ただ、それだけの話である。

 

 ―――口寄せの術。

 

 オビトが印を結び、地面に手を叩きつけると、『肆』と記された棺桶が一つ、現れる。

 ゆっくりと開かれていく棺。その中から現れたのは―――。

 

「先生……」

 

 カカシが呆然と呟いた。それは九尾事件の際に命を落とした―――四代目火影の姿だった。

 初代から三代目まで、穢土転生の火影達は、連合側として戦った。

 しかし―――死神の腹に封じられた四代目火影を、大蛇丸は口寄せすることが出来なかったのだ。大蛇丸は、四代目火影の死因を知らない。自分の何かが、死神に封じられたということも無い。

 ゆえに―――屍鬼封尽の術の解除方法を調べようなどとは、思わない。

 

 だが、ゼツは違う。

 うちはマダラ復活という手段が早急に叶わなかった場合、九尾を奪い取るには、五代目火影を『暁』の力のみで打倒する必要があった。しかしゼツは、それが困難であることを知っている。故にゼツは保険を掛けた。うずまきナルトではない、もう一つの九尾―――それを、確保する方法を用意した。

 

「―――始めるとしよう」

 

 マダラは物言わぬ四代目火影の腹に手を伸ばし、指先を抉り込む。

 

「―――解」

 

 四代目火影が自らの身に施した八卦封印が崩壊し―――中から九尾の妖狐が出現した。

 九尾は憤怒の形相でマダラへ爪を振り下ろす。

 マダラは詰まらなさそうにそれを見つめ、須佐能乎の腕で払い除けた。

 

「どちらの九尾もやることは同じ……。やはり短絡的な畜生だ」

 

 ―――封印術・外道魔像。

 

 九尾の半身が、マダラの中へと吸い込まれていく。

 雄たけびを上げる九尾の怒りと憎しみはどれほどのものか。

 ―――ただ分かるのは、九尾がマダラの中へと消えゆく間際、『ミナト』と己を封じた者の名を憂うように呼んだ、ということだけだ。

 

 ぶん、とマダラが腕を揮った。

 ミナトの体はマダラの腕によって吹き飛ばされ、燃え上がる木々へと激突し、火炎の中へと消え去った。

 

 どくん―――とマダラの体が鼓動する。

 変化が起きた。

 マダラの体と髪は白く染まり、その額からは、以前の柱間の様に角が生え伸びる。

 

「これは……素晴らしい『力』だ」

 

 縫い付けられた柱間を呆然と見つめる綱手。その手の掌仙術はなお止まらないが―――ガイの体の崩壊を押し留める以外の効力はない。まさに、死を引き延ばしているだけに過ぎない。

 

「―――」 

 

 呆然としていたカカシが、ゆっくりと立ち上がる。

 その膝は今なお疲労と負傷によって震えている。

 それでも、カカシは立ち上がった。

 

「―――オレは、いつも遅い」

 

「……そうだな」

 

 カカシの独白に、オビトが肯定を告げる。

 カカシは静かに、しかし力強い瞳を、オビトへと向けた。

 

「お前がそう(・・)なってしまったことに、オレはまるで気づかなかった」

 

「気づかせなかったんだ。生きていたことも。なにもかも(・・・・・)

 

 カカシは、今ぞんざいに扱われた四代目火影の姿を見て、思った。

 今、ぞんざいに扱われた四代目火影の姿を見て、まるで反応しなかったかつての友を見て、思った。

 

 怒りと、哀しみ。そして、使命感。

 

 里を、未来を守るために散った英雄、『四代目』ミナト。

 友を守るために散った英雄、オビト。

 

 四代目の弟子である自分は、ここで諦めてはいけない。英雄があのように扱われて、赦して良いわけがない。

 そしてカカシは理解した。あるいは、そう思い込むことにした、と言った方が正しいか。

 カカシの知る、親友だった『英雄』オビトは―――もう、いない。やはり、あの『神無毘橋の戦い』にて、オビトは死んだのだ。

 今、カカシの目の前にいる男は―――火の意志を失った抜け殻。戦争が生み出した『闇』。殺すべき、敵。

 

「……ふ。オビト。どうやら、こいつはお前にご執心のようだぞ」

 

 刺すような視線をオビトに向けるカカシを見て、マダラは愉快そうに笑う。

 

「やめてくれ。こんな奴は、どうでもいい」

 

 辟易とした様子で、オビトが言う。

 

 ―――雷切。

 

 カカシが残されたチャクラを解放し、雷を纏う。

 

 ガイは死に瀕し、初代火影は敗れ、人柱力はうずまきナルトを残し、壊滅した。

 マダラはもう倒せない。もはや、連合の―――忍界の敗北は決した。

 だが、それでも。せめて。せめて。

 かつての友の成れの果てだけでも―――。それがカカシに残された、唯一の反抗だった。

 

 カカシは間髪入れずにオビトへと突進し―――瞬身にて飛び出して来た四代目火影ミナトによって、邪魔をされる。

 

「……ッ!! 先生ッ!!」

 

 カカシの顔が、悲痛に歪む。

 何故―――そんなものは、問わずとも分かっている。

 穢土転生の術で操られているからだ。だから、オビトという忍界の敵を庇う。庇わされる。

 

 九尾を引きずり出すためだけに呼び起こされた、非力な亡者だ。カカシの相手にはならない。だが、その体がカカシに引き裂かれ、ぼろぼろになっても、ミナトはオビトを庇い、守ろうとする。それが操られ、強いられていることだとしても―――その姿はカカシにとって、あまりに悲痛なものだった。

 

 カカシの手が鈍る。

 今の状態のミナト―――暁が大蛇丸に渡された弱体化された穢土転生の術式―――と、本来のカカシとでは、もはや歯牙にも掛けぬほどの力の差が存在する。しかしカカシの心は今、ぐちゃぐちゃで纏まらない。溜まり切った疲労は限界に達している。蓄積した傷は、本来は命に関わるものだ。

 ゆえにカカシは、生前に比べれば天と地ほどの差がある穢土転生状態のミナトを前に、攻めきれない。ミナトの、本来ならば弱いと断じられるその攻撃を、凌ぐので精一杯で―――カカシはじわじわと、この場から離されていく。

 

 ―――ヒルゼンが木々を粉砕し、飛び出した。

 

 花樹界が止まったことで再び呼び出された猿魔が変化した金剛如意を揮い、マダラへと襲撃を仕掛ける。

 マダラは眼球だけをヒルゼンの方へと向ける。腕を組んだまま微動だにしない。

 

「……」

 

 マダラがくいと、首を僅かに傾げて、戻した。

 ヒルゼンは金剛如意を振りかぶり、マダラに叩きつけようとするが―――飛び出したオビトに、邪魔をされる。

 ヒルゼンとオビトは縺れ合い、互いに火遁を放ちながら、遠ざかっていく。それは、マダラがオビトへ出した指示―――邪魔者をここから遠ざけろ、というものだ。

 今この時を以て、この世界の終わりを告げる。夢の世界が生まれ落ちる。その最後の別れを―――柱間にするために。

 

「……っ」

 

「綱……」

 

 綱手は充血した瞳で、倒れ伏す祖父を見た。そしてガイから手を離し―――立ち上がる。

 鋭く、マダラを見据える。

 強く拳を握りしめた綱手を見て、マダラが笑う。

 

「やるだけやって死のう、といったところか?」

 

「―――舐めるなッ」

 

 綱手が地を蹴り、飛び上がる。全力で腕を引き絞り、渾身の一撃を以てマダラへと解き放つ。

 

「欠伸が出る」

 

 それはマダラにとって、あまりに単調なじゃれつき(・・・・・)でしかなく―――綱手は腕を組んだままのマダラに腹を蹴りつけられた。

 しかし綱手の体は吹き飛ばない。綱手の体はマダラの脚に突き刺さったかのように、くの字に折れ曲がり、停止する。それは、マダラの蹴りの威力のすべてを、その体で受けたということだ。

 

「―――げぇ」

 

 綱手は呻き声と共に、赤色の混ざった体液を大量に吐き出した。内臓が潰されたのか―――口と鼻から、赤色混じりの体液が逆流し、その顔を染め上げる。

 マダラは綱手を振り払うように、足を振り下ろした。綱手の体がマダラの脚から離れ、地面に激突する。

 

「―――綱ッ!!」

 

 柱間が悲痛に叫ぶ。

 まだだと、綱手は血反吐を吐きながらも立ち上がる。しかしマダラは、そんな綱手を、つまらなさそうに見下ろしている。

 マダラはゆっくりと口を開いた。これから口にする言葉を、聞く者の心に染みこませるように、大きく、ゆっくりと、はっきりと、言葉を紡ぐ。

 

「なんだ、お前は?」

 

 侮蔑、落胆、呆れ―――それらを露骨に表情に浮かべたマダラが、口を開く。

 

「先程から見ていたが……お前如きの医療忍術とやらは、死をほんの少し先延ばしにしているに過ぎん。そこに這いつくばっている柱間の、全盛期のそれに比べれば、取るに足らぬ術だ……。柱間は印を結ぶことなく、傷を治すことが出来た。操る術は、全てが桁違い」

 かつての死闘を思い出すかのように哀愁を表情に滲ませて、マダラは瞳を閉じた。

 少しの間を置いて開かれた、綱手へと向けられる瞳には、綱手への軽蔑が湛えられている。

 マダラは続ける。

 

「それに比べて……なんだお前は(・・・・・・・)? 柱間の子孫でありながら、お前には何もない。木遁も使えず、柱間の足もとにも及ばぬ医療忍術。血継限界も持たず……頭も無い(・・・・)。そして何より、か弱い女」

 

 マダラは哀れみの情すら言葉や表情に滲ませて、綱手へと侮辱を吐きかける。

 しかし綱手はよろめきながらも力強く立ち上がり、鋭くマダラを睨みつける。

 

「私は……確かに、木遁は使えない。医療忍術もお爺様に比べれば、たいしたこともない。それに……私は女だ。といっても、か弱い女ってのは違うが……」

 

 ぷっ、と、綱手は口腔内にたまった血反吐を吐き出した。マダラを見上げるその顔には、この絶望の中にあっても消えぬ―――力強い意思が、溢れていた。

 

「単純な力などではない。お爺様から引き継がれ、流れ続けるものが、私の―――私たちの、本当の力(・・・・)だ」

 

 綱手は獣の様に姿勢を低くする。脚の筋肉に力とチャクラが、限界まで込められる。握りしめた拳は、その力強さゆえに真っ白に染まる。

 まるで威嚇する獅子のごとくその表情を険しくし、綱手は咆哮をあげる。

 

「―――火の意志を、なめるなよ!!」

 

 

 綱手が大地を蹴りつけ、マダラへと再び襲い掛かる。

 

「ふん……」

 

 マダラは鼻を鳴らし、くだらないものを見るように、瞳を細めた。

 綱手の動きは―――強かに啖呵を切ったわりには、あまりに遅い(・・)。マダラの輪廻眼は、綱手の動きを完璧に捉えてしまっている。

 少し前ならば、小娘一匹を相手に、多少のお遊戯(・・・)をしてやっても良かったが―――マイト・ガイという、マダラをして『最強』の名を献上させた忍との邂逅を経たがゆえに、今のマダラは、『遊び』に付き合うつもりにもならない。

 勇んで挑んできた小娘(・・)の腕をすり抜けるように紙一重で避け、その腕を脇に抱えるように掴み止めると、一気に腕をひねり上げた。

 ぼきりと、嫌な音が響き、綱手の呻き声が零れる。

 マダラは追撃に、綱手の脛へ向けて踏みつけるように蹴りを放つ。

 再び、嫌な音が響き、綱手の呻き声が零れる。マダラの蹴りが、綱手の脚をへし折った。

 さらに、マダラは膝蹴りを放つ。綱手の腹部に直撃したそれは、綱手の内臓を破裂させた。

 綱手は口や鼻から血反吐を巻き散らし、その体は宙へ浮き上がる。そして綱手の頭を鷲掴みにすると、綱手の身体ごと腕を振り上げて、一気に振り下ろした。

 持ち上げられた綱手は、凄まじい勢いで地面へと激突する。

 

 柱間の悲痛な叫びが、大地を抉った轟音と舞い上がる砂煙の乾いた音の間に響く。

 

「―――まだだ」

 

「……首の骨は折ったはずだがな」

 

 土煙の中、ゆらりと立ちあがった綱手を、マダラは訝し気に見つめた。

 

「……そうか。その呪印は、限定的に柱間に比する再生力を、肉体に付与する術か」

 

 体中の骨をへし折ってなお立ち上がって来たからくりを見抜き、マダラが静かに言った。

 綱手が、マダラを見上げながら睨みつける。

 

「そうだ。お爺様の遺した意志が―――死者の意志が、残された者を突き動かし、力を現す。私の作った医療忍術もその意志の中から生まれ、医療忍者と掟が構築された!!」

 

「―――だからなんだ?」

 

 マダラは再び腕を組んで、綱手を見下す視線を向ける。

 綱手への評価は、まるで変っていない様子である。侮蔑を込めた瞳が、綱手を鋭く射貫く。

 

「―――柱間だけではない。シスイとかいう小僧は血継淘汰を持ち、オレに写輪眼を使わせた。イズナ(畳間)もまた、木遁を継承し、底知れぬ力(真数千手)を見せつけた。もう一度聞く。女……お前には、何がある? 限定的な超再生能力だけで、か弱い女一人が―――このうちはマダラを相手に、何が出来ると言うんだ?」

 

 戦いは、既に最終局面を迎えている。

 うちはマダラを倒せる機会は、今を逃せば二度と無い。そんな状況下において、ただ死に難い(・・・・・・)だけの女に、何が出来るのかと、マダラは問うている。ただの元気自慢(・・・・)など、マダラをして、ここまで命懸けでマダラへと挑んできた者達に憐憫を抱かせる愚行にしか映らない。

 

「―――え?」

 

 綱手が呆然と呟く。

 引っかかったのは、自分への罵倒ではない。

 シスイという小僧―――その一言。

 マダラがシスイを知っている。その事実が示すところは、つまり。

 

「マダラァ!! シスイをどうした!!」

 

「なんだ、急に。吠えるではないか。どうした?」

 

「答えろ、マダラ!! シスイを、どうした!! 私の甥を―――ッ!! どうしたと、聞いているッ!!」

 

 柱間が悲痛に表情を歪め、顔を逸らした。

 マダラは楽し気に、口端を歪める。

 

「なんだ? 知らないのか? ―――シスイは死んだぞ?」

 

 綱手の眼が、見開かれる。呆然と、マダラを見つめた。

 そんな綱手を見下ろして、マダラが笑う。

 

 綱、と柱間が小さく言った。綱手を気遣うような声音であったが、それこそが、綱手に現実を叩きつける決め手となった。

 

 つ―――、と綱手の頬を滴が伝う。

 可能性は、考えていた。もしかしたらとも、思っていた。

 だが、今それを叩きつけられて―――綱手の心に、罅が入る。

 

 からん、と何かが綱手の前に転がった。

 綱手の瞳は、吸い寄せられるようにそれを見つめた。

 それは、マダラが放り投げた―――初代火影の首飾り。 

 マダラがシスイの胸を貫いたとき、マダラの手に引っかかり―――見覚えがあったがゆえに、懐に入れておいたものだ。マダラは、なにか余興に使えそうだと、思ったのである。

 

 綱手が呆然と、血に濡れた首飾りを見つめる。

 そして、それはかつて綱手が縄樹に贈ったものであり、ダンに贈ったものでもある。その二度とも、持ち主の死によって、綱手のもとへと戻って来た。

 そして今は、その首飾りは止水のもとにあるはずなのだ。綱手がシスイへとプレゼントしたからだ。シスイの首に、掛けられているはずなのだ。

 

 ―――三度目。

 

 その首飾りは、綱手のもとへと戻って来た。戻ってきてしまった。

 

 三度目の、正直。

 悪い意味で、それが実現した。

 綱手の目の前が、真っ暗になる。

 現実を、受け止めきれない。

 

「オレが殺した……と言えば満足か?」

 

 そして、暗闇の中に響いた、最後の絶望を叩きつけるマダラの言葉が、綱手の耳に入り込む。

 その言葉を聞いて、脱力した綱手は膝から崩れ落ちた。

 綱手は呆然と、血に染まった首飾りを見つめた。

 

「……どうした?」

 

 嘲笑を滲ませて、マダラが言う。

 

「見せてみろ」

 

 マダラが嘲笑う。

 

「死者の意志が、お前を突き動かし、力を現すのではなかったのか?」

 

 マダラが、嗤う。

 呆然と、綱手は首飾りを見つめる。それしか、出来ない。

 

そいつ(・・・)は、オレを止めようとしていたぞ?」

 

 マダラが―――嗤う。

 

「どうした? このうちはマダラに、見せつけてみろ。お前の言う、意志の力というものを」

 

 項垂れる綱手を、マダラは嗤う。

 

「―――マダラァ!!」

 

 柱間が憤怒の表情でマダラへ怒鳴り声をぶつけるが、マダラはどこ吹く風。柱間を一瞥し、綱手を見下ろしている。

 

「もう……」

 

 綱手が何かを呟く。小さな声だ。

 

「なんだ?」

 

 マダラは聞き取れず、訝し気に片眉を上げる。

 

「もう、これ以上……」

 

 項垂れる綱手を、マダラは目を細めて静かに見つめる。

 

「もう、これ以上……。憎しみを、ばら撒かないでくれ……っ」

 

 その言葉を聞いて、マダラは心の底から呆れたとでも言うように、ふんと鼻を鳴らした。

 

「最後は、懇願か。浅ましいことだ。やはりお前は、所詮、か弱い女……。己の眼を抉り潰したお前の甥の方が、よほど肝が据わっていた」

 

 そして侮蔑を宿した瞳を冷ややかに細め、マダラは綱手へと、言った。

 

「弱い者は醜い。弱い者に価値など無い」

 

 力強く、他者を圧倒させる声。覇者の圧。

 それがいかに身勝手で理不尽な物言いでも、マダラが発する言葉に宿る圧は、凄まじい。

 

 マダラは腕を振り上げる。

 その先に顕現した須佐之男の腕には、チャクラの刀が握られている。

 

「―――弱い千手などなおさらだッ」

 

 振り下ろされた須佐之男の腕。綱手に迫る、巨大な刃。

 

「―――綱ぁあああッ!!」

 

 柱間が悲痛に叫ぶ。(子ら)―――それは、柱間が最も守りたかったものだ。かつて、マダラを斬って捨ててでも守ろうとしたものが、それなのだ。例え里に闇を抱えても、守りたかったものが、それなのだ。

 

 それが今、柱間の目の前で、殺されようとしている。

 柱間は力の限り動こうとするが―――マダラの点穴突きは完璧で、動くことが出来ない。

 柱間はただ見ていることしか出来ない。柱間の顔が遂に、絶望で歪む。

 

 ―――もしも。綱手が過去に一度でも、完膚なきまでに折れたうえで立ち直るという経験を経て、その強さを得ていたならば、再び立ち上がることも出来たかもしれない。あるいは「舐めるな」と、啖呵を切り返せていたかもしれない。

 だが綱手は兄の背に守られてきた。ゆえに、いつか訪れるはずだった大いなる挫折が今、この時に来てしまった。

 それを『彼』の責と呼ぶか否かは人に依るだろう。

 だが―――果たすべき役割は、あるはずだ。

 

 ―――それが、綱手の兄貴なら。

 

 時空が歪む。疾風が駆ける。巨大なチャクラの渦が巻き上がり―――綱手を後ろから抱きしめるように、巨大な青白い腕が出現した。

 

 マダラの須佐之男の刀と、手甲を纏った青白い腕が激突する。

 激しい衝撃波が発生し、周囲に散らばった木片を吹き飛ばした。

 

 がちゃりと、金属がこすれる音が、綱手の背後から聞こえた。

 座り込む綱手の後ろから、その音が近づいて来る。 

 

「貴様は……」

 

 その音の主の姿を見つめた柱間が、呆然と呟く。

 

 ―――ところどころ破れ、血に濡れた火の刺繍の施された外套。その下から覗き見えるのは、その中央部―――胸から腹部に掛けて縦長に裂けた、紫の鎧。

 

 がちゃりと音を立てて、その男は歩く。そして男は綱手の横を通り過ぎる。そのとき―――男は綱手の明るい色の髪を、労わるように、優しく撫でた。

 

 ―――揺れる外套。

 

 綱手はその懐かしい感覚に、はっと、顔を上げた。そしてその眼に映り込んだ背中を見て、綱手は顔をくしゃくしゃに歪め、先ほどまでとは異なる涙を流す。

 

「あ、あ……。あ、あぁぁぁッ!!」

 

 綱手の唇が震える。いくつもの感情が溢れ沸き上がり、言葉も出ない。

 

「よく、頑張った。オレが不甲斐ないばかりに、苦労を掛けた。もう、大丈夫だ」

 

 男は綱手の前に立ち、その大きな背中越しに、優しい声音で語り掛ける。

 その声を、綱手は知っている。その背中を、綱手は知っていた。

 

「お兄様……ッ!!」

 

 揺れる外套。その背に刻まれし名は―――『五代目火影』。

 

 吹き荒れる風に、尖った髪が大きく揺れる。

 

「後のことは、オレがやる」

 

 その言葉に呼応するかのように、男の―――千手畳間の前髪が逆立つ。その下から現れた一対の輪廻写輪眼(・・・・・)が、倒すべき敵を―――鋭く、見据えた。


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