綱手の兄貴は転生者   作:ポルポル

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歩き出した未来

 オレのせいで―――そう、ナルトは涙ながらに繰り返した。

 クシナは己の胸で幼子の様に泣き喚く我が子を優しく抱擁し、何を言うでもなく、ナルトの懺悔を聞き続けた。

 ナルトの心の中に堆積した怒りと憎しみを涙と共に流し、その下に隠されてしまっている『見据えなければならないもの』を浮上させ、共に受け止めるために。

 

 角都への憎しみは、他者への責任転嫁をナルトの中に植え付けた。

 すべては角都()が悪い―――確かにそうだ。だが、だからといって、ナルトが判断ミスをしたことには変わりはない。

 アカリの言葉でナルトはそれを受け止め、前へ進もうと自己覚知を行い始めたが、その矢先に里が襲撃され、知人が次々に殺され、家々は倒壊し、そして敬愛してやまない養父が殺されるその光景を、目の当たりにしてしまった。憎しみに、呑み込まれてしまった。

 

 悪いのは、暁である。それは、多角的な正義があったとしても、だ。平穏に暮らしていた人々を虐殺した暁は忍界として見ても、排すべき邪悪であることに違いない。

 ゆえにナルトに必要だったのは―――闇の奔流を前にして、己を見失わないことだった。

 

 ―――まずは己を見つめ、冷静に己を知る。

 

 忍者の精神論―――その基礎にして、極み。感情を持つ人間である以上、それは最も難しい試練となる。

 

 畳間は祖父を、師を、弟を、兄貴分を、友を、幼馴染を、後輩を―――多くの人を失って、そして愛深き者の助力を得て、やっとその領域へと辿り着いた。

 

 アカリは両親と兄を失い、『人は簡単に死ぬ』ということを悟った。

 だからこそ、『危なっかしい思い人』だけは、何があっても絶対に失いたくない、と。そう強く願った。そして、そのためにはそれ(・・)の習得が必須だと悟り、仙人に弟子入りし、数年を精神修業に費やしたことで、『写輪眼の闇』を乗り越えた。

 

 ナルトには畳間が培った経験も、アカリが費やした時間も、与えられなかった。時代のうねりに呑まれた哀れな少年―――そんな人間は、戦時下には腐るほどいた。

 

 では、何故そう(・・)なってしまうのか。

 

「ナルト……。落ち着いた?」

 

 ナルトの嗚咽が収まってきたころ合いを見計らって、クシナが優しく語り掛ける。

 ナルトが小さく頷いたことを確認し、クシナは数歩だけ下がり、ナルトの肩に手を置いた。

 

「ナルト、聞きなさい。残された時間は、少ない。だから……再会の団欒は、ここまで。ごめんなさい。あなたを、九尾の器にしてしまった。あなたが今感じている苦しみは、私のせいでもある……」

 

 その答えを、クシナは己の死を以て、ナルトに伝えんと、口を開いた。

 語るのは、うずまきナルトの誕生日にして、クシナとミナトの命日に起きた、『九尾事件』の全容。

 

 両親の死の詳細を語られる息子の心境を想えば、クシナは胸が苦しくなる。ただでさえ、追い詰められたナルトの心は、決壊寸前だ。

 ナルトの親友―――うちはサスケの献身によって繋ぎ留められたその心は、しかしそう遠くないうちに砕け散るだろう。

 

 だからこそ、伝えなければならない。

 

 サスケより伝播した燃え盛る炎の意志が、迷走するナルトの闇を掃ったことで、クシナはやっとナルトの心に入り込むことが出来たが、しかしそれも一時的なものだ。ナルトの中に残されたうずまきクシナのチャクラは少なく、ナルトを呑み込まんとする憎しみ(九尾)のチャクラは膨大だ。時を置かずして、クシナのチャクラは消滅し、ナルトはまた、一人になる(・・・・・)

 

 うちはサスケが命懸けで作り出した『この時』を、無駄にすることは出来ない。

 『森』の千手と対を為した、『火』のうちは一族―――その炎がナルトの心で輝いているうちに、ナルトの心を囲い、深海が如き闇へと引きずり込まんとする氷塊を、打ち払わなければならない。

 

「―――なんで。オレに九尾なんて、封印したんだってばよ」

 

「……ッ」

 

 ナルトの呟きは、クシナの心に、深々と突き刺さった。覚悟を決めたクシナの心が、一瞬で圧し折れそうになるほどに、クシナの負い目を正確に狙い打った、鋭い一言だった。

 クシナは震える唇を一度噛み、ぎゅっと目を瞑り、眉根を寄せた。

 

「ごめんね」 

 

 小さく、クシナは謝った。ナルトの言葉は、当然のものだと思った。だからこそ、話さなければならない。

 

「あなたが九尾の器になった日―――。お母さんとお父さんが死んだ日に、何があったのか。それを、今から伝えます」

 

「母ちゃんと父ちゃんが、死んだ日……? そんなの……」

 

「聞きなさい。ナルト。あなたが生まれた日―――あの時、何があったのか」

 

 両親の死んだ日のことを聞かされる子供の気持ちを想えば、クシナは胸が苦しくなる。だが、伝えなければならない。

 今ナルトが苦しんでいるのは、そこに理由があるから。失ったと思っていたものが、まだそこ(・・)にあると、気づかなければならない。

 ナルトの受け取り方次第で、賭けのような側面もあるが―――。信じる他無い。自分たちの、息子を。

 本当は、こんなことを言いたくないし、苦しませたくもない。だが、ナルトのことを心から思うなら、『今』という地獄は、絶対に乗り越えなければならない。

 それが出来なければ、うずまきナルトに、『先』は無い。例え苦しみを与えることになったとしても、息子は絶対に死なせない。

 それが、クシナの母としての覚悟。

 

「オレは―――」

 

「聞きなさい!!」

 

 クシナの一喝が、ナルトの拒絶の言葉を掻き消した。

 びくり、とナルトの動きが止まる。

 

「ナルト。本当に、残された時間は少ないの。一度封印が破られた(・・・・)ことで、私のチャクラも、ミナトのチャクラも霧散した。今私のチャクラが辛うじてあなたの中に残っていることすら、奇跡のようなものなの。ごめんなさい。本当に。あなたに苦しみを押し付けるばかりで。でも―――ナルト。私は―――私たちは。ナルト。あなたを、愛しているわ。それだけは、信じて」

 

「……」

 

「ありがとう。ナルト」

 

 今、ナルトが抱えている苦しみを、クシナは『分かる』とは、言ってあげることが出来ない。既に死んだ身であるクシナには、今を生きるナルトの苦しみを、共に背負ってあげることが出来ない。

 それが母として、とてももどかしく、胸を割くような悲痛を感じさせる。

 なんでこんなことに。なんで私の息子ばかりがと、そう思わずにはいられない。

 

 だが―――。

 

(私たち家族は、忍び。そうよね。ミナト)

 

 そして、クシナは語り出す。

 ナルトが、どれほど周囲から誕生を望まれていたのか。

 ミナトとクシナは勿論、畳間とアカリもまた、ナルトの誕生を待ち望んでいた。千手夫婦が目を掛けていた後輩―――それも畳間にとっては、教え子二人の子供だ。自分たちの息子とも歳が近い。これまでとはまた違った形―――家族ぐるみの付き合いをしていく未来も、四人は夢想していたのだ。

 

 出産時の痛みに怯えるクシナを、天然で脅かすアカリ。それを叱る畳間、苦笑して見守るミナト。両親たちの楽し気な雰囲気を感じながら、乳母車の中でほわほわとまどろむシスイ。

 

 うずまきナルトは、その誕生を心から望まれていた。

 

 そして、ナルトの出生の時、事件は起きた。

 仮面の男が襲撃し、ナルトを囮にミナトを衰弱したクシナから引きはがし、九尾を奪い、里を襲った。多くの犠牲者が出て―――そして、『木ノ葉隠れの決戦』へと繋がった。

 

 語り終えたクシナは、静かにナルトの返答を待つ。

 不安は、あった。

 クシナは、自分が口下手であることを自覚している。でなければ、アカデミー時代に苛められたりはしないだろう。

 口下手で、せっかちで、男勝り。

 そんな自分が、ナルトの心に巣食う、あまりに大きな闇を、短時間で掃うことが出来るのか。ミナトのチャクラが、怒りに呑まれたナルトによって打ち払われたことは、知っていた。

 

「……なんで」

 

 ぽつりと、ナルトが言った。

 

「なんで父ちゃんはそんな冷静に、『役割』を全うできたんだってばよ……。オレは……」

 

 ナルトの呟きを、クシナは噛みしめるように受け止める。

 ここで返答を間違えれば、ナルトは戻れなくなるだろう。

 きっとここが分水嶺。

 クシナはそれを確信する。

 

「里を―――守るためよ」

 

「それは、オレだって……」

 

「いえ……」

 

 クシナが小さく、首を振った。

 忍者とは、目標のために、忍び耐える者を指す。その目標に何を置くかで、忍者の在り方は変わるが―――。ナルトが今、身を置いている在り方は、本来のナルトの在り方から、決定的に逸れている。

 それを気づかせ、己の心を以て、修正させなければならない。そのために、荒療治と自覚しながら、クシナはそれを告げる。

 

「ナルト。あなたは、『敵を倒すこと』こそを、目標にしてしまっている。そこが、決定的な違い」

 

「……ッ」

 

 ナルトが瞠目し、息を呑んだ。

 

「ミナトはずっと、里を―――未来を守ることを目標に置き、戦い続けて来た。あなたを育ててくれた、畳間先生もそう。未来を守るためには、憎い敵を許さなければならないこともある。殺したい仇を、見逃さなければならないこともある。自分や大切な人の命すら、投げ打たなければならないときがある。ナルト。目の前の敵にだけ、心を囚われていてはいけないの。殺して終わりなんて、この世にはないのよ。敵を殺してハッピーエンドを迎える―――それは、物語の英雄だけに許された、夢物語」

 

「―――」

 

 ナルトが、息を呑む。

 確かに、そうだった。

 うちはマダラを殺せば、全てが終わると思った。

 うちはマダラを殺せば、自身の役割を果たせると思った。

 だから九尾の甘言にも乗ったし、ミズキの言葉を信じて、出奔を選んだ。

 

 ナルトの目標が―――敵を殺すという、英雄染みた思考だったがゆえに。

 

 確かに、それも必要なものだろう。敵を排除しなければ、掴めない未来もある。

 だが―――敵を殺すことだけを目標に置けば、いつの日か周りから人がいなくなる。離れていく、ということもあるが、そうではない。

 敵にだけ目を向け続ければ―――途中で倒れていく仲間たちの存在に、気づけない。

 実際―――マダラに目を向け続けていたナルトは、自分が眠っている間にどれだけの被害が出たかを知らない。

 今、救援を求めている者の声が聞こえない。

 打倒マダラのために準備を整えている仲間たちの決意を、認知していない。

 

「ナルト。今、あなたの進もうとしている道の先に―――あなたの守りたかったものは、残ってる?」

 

 クシナの言葉―――どくんと、ナルトの心臓が大きく跳ねる。

 目頭が熱くなり、唇が震える。

 クシナは労わるように細めて、ゆっくりと語り掛ける。

 

「ミナトは、自分が死んででも―――あなたたちが笑って生きられる『未来』を、守りたかった。畳間先生はミナトのその遺志を、正しく受け取ってくれた。憎しみを耐え忍んで……正しいかどうかは分からない。でも、少なくとも……。ナルト、あなたたちが生きて来た過去の日々……当時から見れば『未来』への道を、選び取ってくれた。私たちは死んでしまったけど……。それでも、私達が守りたかったものは―――今ここに(・・・・)、残っているわ」

 

「それって……」

 

 ナルトが、呟いた。

 本当は分かっているのだろう。ナルトは馬鹿だが、愚かではない。愚かに両足を突っ込んで潜り込もうとしていたが、しかしその本質は火の意志を継ぐにふさわしい精神性を持つ。

 何と言っても。

 

 ―――私たちの子だもの。

 

 だが、言って欲しいのだろうと、クシナは思った。

 クシナは小さく笑い、その言葉を、口にする。

 

「ナルト。あなたよ。あなたが生きていてくれるなら。あなたを守る(・・)ことが出来るなら……私たちは、どれだけの痛みにも耐えられた」

 

 己の死も。ただ人であれば死を望むだろう苦しみも。九尾に胸を貫かれるという激痛も。ナルトを愛し、守らんと思えば、耐えられた。

 

「……ッ」

 

「ねえ、ナルト……」

 

 クシナは、敬愛した先生のことを思い出す。

 

 ―――千手畳間。

 

 クシナの先生で、ミナトの師。そして、二人の遺志を受け継いでくれた人。

 彼にも、重いものを背負わせてしまったと、クシナは思う。

 情に厚く涙脆いところがあり、変なところでプライドが高い癖に―――だからこそか―――折れやすい、ナチュラルに鬼畜な困った先生。

 ある時期を境に穏やかになって、奥さんに似たのか、ポンコツ具合に拍車がかかった―――クシナの初恋の人。

 クシナとミナトを弟妹のように可愛がってくれていて、きっと、自分の跡を継ぐことを、期待してくれていた。だから四代目火影の席をミナトに譲ったのだろう。

 そんなミナトとクシナに先立たれた彼の胸中を想えば、クシナは本当に申し訳なく思う。それは、ミナトもそうだろう。

 

(でも……)

 

 彼は、遺志を正しく受け取ってくれた。

 きっと、たくさんの葛藤があっただろう。

 理不尽に晒され、いざ反撃と言う段階で白旗を上げた仇敵の降伏を受け入れる苦しみは、計り知れない。

 

 ―――今更……ッ。今更何を……ッ!!

 

 もっと早くそうしてくれていれば、死なずに済んだ者がいたはずなのだ。それを想えば、怒りも哀しみも憎しみも抱いて然るべきであり、それを耐え忍ぶには、どれほどの覚悟が必要だろうか。

 

 ―――それでも。

 

 それでも彼は、それを選んだ。

 ナルトたちが生きて来た、幸福な日々を、掴むために。先に逝った大切な人たちの『心』を、守るために。

 

 ―――だからこそ。だからこそ……ッ。

 

 うずまきナルトが生きて来た日々は―――先達たちの血と涙によって守られたもの。それは―――今ナルトが感じている憎しみや痛みと同等のものを、先達たちが耐え忍んだからこそ実現された、尊い日々で。

 

 それをナルトは。痛みを知って、耐え忍ぶことの意味を知って。

 ようやく、理解した。

 

「畳間先生が死んでも守りたかったもの(・・・・・・・・・・・・)は、なに? 忍者の生き様は、死に様で決まる。畳間先生の生き様(死に様)は、あなたには……どう見えた?」

 

 ナルトが、大きく目を見開いた。

 心の中で、義父の名を反芻する。共に過ごした日々を想起する。それこそが、きっと、彼の守りたかったものであることを、ナルトは気づいている。そしてそれを、奪われてしまったことも。

 

 ―――憎しみなど、抱いて当然で、敵を殺すことの、何が悪い。

 

 ナルトの心中を察しているかのように、クシナが言葉を続ける。

 

「あなたは今、たくさん奪われて、たくさん失った。本当に……っ、本当に……っ、痛いと思う。苦しいと思う……っ」

 

 クシナの目じりから、涙が零れ落ちる。

 息子の感じている痛みを想えば、クシナの胸は張り裂けんばかりの痛みを感じる。それでも―――。

 

「それでも―――あなたに残っているものは、なに?」

 

「オレ……に……」

 

「ナルト。マダラなんかに、囚われないで。過去の怪物に、その心を奪われないで。前を見て……っ、敵を殺すなんて、そんな悲しいものじゃなく……っ、もっと……、夢を(・・)持って(・・・)……っ。」

 

 それは、生前のクシナがナルトに掛けた、最後の言葉の、一部で。

 それを思い出し、クシナは耐え切れず、ぽろぽろと涙を零す。

 

 母の涙。

 母の言葉。

 

 母の―――愛。

 

 ―――口うるさい母さんと、同じかな。

 

(父ちゃん……)

 

 煩いと、振り払ってしまった父の―――愛。それが今、蘇る。

 そして―――ナルトの脳裏に、敬愛した義父の、最後の言葉が響き渡る。

 

 ―――行け、ナルト。……決して、振り返るな(・・・・・)(未来)を向いて―――()へと、走り続けろ。お前の夢が叶うのを、オレはずっと……見守っている。

 

「あ……っ」

 

 そうか、とナルトが内心で震えた。

 ナルトの下唇が震える。

 その震えを止めようと唇を噛みしめれば、今度は目じりから雫が零れ落ち―――。

 憎しみはある。マダラを殺したいという殺意もある。だが、うずまきナルトが―――火影の息子(・・・・・)を自負するナルトが、真に受け継ぐべきものは……。

 それが分かった時、ナルトの中の何かが、弾けた。

 

「―――おっちゃん……ッ。ごめん、ごめんっ!! オレ―――ッ」

 

 ナルトの目じりから、止めどない雫が零れ落ちる。だがそれは、これまでの流したものとは決定的に違うものであり―――。

 

 ナルトの中の何かに変化が起きると同時に、ふわりと、クシナの身体が光の粒子へと変わり、宙へと舞い上がり始めた。

 

「母ちゃん……ッ!?」

 

「……ここまでみたい」

 

 クシナが、寂しげに微笑んだ。

 それを見て、ナルトが嫌だと首を振り、しかしすぐにそれを止めた。

 そして何かに耐えるようにぎゅっ、と拳を握りしめると、ナルトは消えゆくクシナの姿を、その眼に焼き付けるように見据えて―――言った。

 

「母ちゃん!! ありがとう!! オレ、頑張るから!! ありがとう!! オレ……ッ!! 頑張るから……ッ!! だから、だから!! もう、心配いらねえってばよ!! オレは、母ちゃんの息子だから!! 四代目火影の息子(・・・・・・・・)だから!! 絶対、みんなを守って、母ちゃんたちの想いを守るから……ッ!! ぜってェ、守るから……ッ!! 母ちゃんたちが守りたかったもの、オレが絶対守るから……ッ!! だから―――ッ!!」 

 

 ナルトが必死に、クシナへと思いの丈を叫ぶ。

 クシナはナルトの熱く優しい心を感じ取った。

 クシナが知るナルトは、生まれたばかりの幼子だった。それが、ミナトの面影も見える、立派な忍者へと成長しつつあることが嬉しくて―――本当に、嬉しくて。

 クシナは優しく笑い、そして、泣いた。

 

「ありがとうナルト。生まれてきてくれて、ありがとう。私達の子供に生まれてくれて、ありがとう。ナルト……愛してるよ」

 

 クシナは倒れ込むように、ナルトの体を抱きしめて、その体は―――宙へと溶けるように、消えていく。

 

「母ちゃん……ッ!! ありがとう……ッ!! オレ、ぜってぇ……ッ、ぜってぇ……ッ、諦めねェから……ッ!! ―――ありがとうッ!! 母ちゃん!! ホントにッ、ホントにッ!! ありがとうッ!! ありがとうッ!!」

 

 ―――ありがとう。お母さん。

 

 別れを惜しみ、何度でも何度でも、ナルトはその想いを叫ぶ。行かないでくれと、傍に居てくれと、そう願い―――そしてそれが叶わないからこそ、別れの想いを、決別の心を言葉に乗せて、ナルトはその言葉を繰り返した。

 そして―――うずまきナルトはようやく、『道』へと、辿り着く。

 

 ―――あまりに大きな憎しみと痛みは、それを遥かに上回る、ナルトの中に満ちる『愛』によって、ねじ伏せられる。

 

 そうして―――ふわりと、ナルトの中に確かな温もりだけを残して、クシナは消えた。

 心の世界に、静寂が横たわる。

 ナルトは母の温もりを心に染みこませるように、静かに瞳を閉じて、上を向いた。

 しばらくの間。

 静寂の後、ナルトはゆっくりと、言葉一つ一つを嚙みしめるように、口を開いた。

 

「母ちゃん……。オレも、母ちゃんの息子で……」

 

 そして、ゆっくりと目を開く。

 いなくなった母がいた場所―――過去からの贈り物を越えて、その先を見据える。心の世界であるがゆえに、今は何もない世界が広がっている。

 しかし、ナルトの瞳には確かに、何かが映り込んでいる。

 

「―――この()は、(あかり)が、良く見える」

 

 そしてナルトは、消え去った母へ送る様に、静かに、しかし力強く、言った。

 

 ―――しかし。守るとは、力を以て庇護することではない。

 

 畳間はそう悟ったが、しかしその在り方は人それぞれである。

 ナルトがその答えを悟るのは、あとほんの少しだけ、後の話である。

 

 ―――そして。

 

 ナルトは、一歩、踏み出した。

 世界が、変わる。そこはナルトにとっては見知った、暗い檻の前。

 ナルトの精神世界の奥深く―――九尾が封じられた、牢獄だった。

 

「……何をしに来た」

 

 九尾が唸る様に言った。

 その身に掛けられた幻術は、既に解除されているようだった。

 クシナが去り際に解除したのか、あるいはサスケに殴られたときに幻術解除を施されたのかは定かではないが―――ナルトはゆっくりと、檻の前に立った。

 

「怖くないのか?」

 

 ナルトの心はいつも、九尾に怯えていた。

 しかし今は、それを感じない。チャクラの動きに敏感な九尾は、その変化を感じ取り、純粋な疑問として問いを投げかけた。

 いつもなら出せと詰め寄る九尾だが、マダラに良いように翻弄されたことに落ち込んでいるのか、大人しいものである。

 

「正直、怖いってばよ。まだ、な」

 

 ナルトが言った。

 九尾は嫌に素直なナルトに拍子抜けするが、八つ当たりにはいい的だと、声を荒げる。

 

「貴様のような小僧に封じられたせいだ。貴様のような小僧に―――」

 

「ごめん」

 

 九尾が言い終わらぬうちに、ナルトが頭を深々と下げた。

 再び九尾は拍子抜けし、言葉を詰まらせる。

 

「……やっぱな」

 

 ナルトが何かを確信したように、呟いた。

 

「なにがだ」

 

 九尾が問う。

 

「九尾ってさ。実は結構、優しいんだなって。思ったんだってばよ」

 

「はぁ? 気でも触れたか、クソガキ」

 

 へへ、とナルトは苦笑を浮かべる。

 気が触れてたのは、さっきまでの話である。否定しきれないのが、痛いところだった。

 

「九尾は、いつも怒ってるし、何かを憎んでる。それは、分かる。オレはその、理由とか、そういうのが分かんなくて、怖かった。オレに封じられてるから、オレのこと嫌いなのはわかってたってばよ。けど、九尾はもっと、オレじゃなくて……なんつーのかな。世界、みてーなのを、憎んでるんだって、分かったから。もちろん、オレを殺したいってのは分かってるんだけど、でも、九尾の本当の怒りってのは、オレには向けられてねェ。それがやっと分かったから、優しいって、そう思ったんだ」

 

 何だ急にこのガキ……と、九尾が内心で思う。だが、これまでの人柱力とは異なるアプローチの仕方に興味を覚えたのか、九尾は黙してナルトに話を促した。

 

「オレ、今まで何もわかって無かった。分かろうとも、してなかった。九尾の怒りも、憎しみも、哀しみも」

 

「哀しい? ワシがか?! ハ、舐めるなよクソガキ。今ここで食い殺してやろうか!!」

 

 ナルトは苦笑する。

 それが九尾の無自覚な強がりであることすら、今までは分からなかった。

 考えてみれば、九尾は初代火影の時代から―――70年近い時を、人の体の中で過ごしているのだ。どこへも行けず、檻の中で、70年だ。人が生まれ、そして死ぬまでの時間を、暗い檻の中で。

 だが、出すわけにはいかない。それが出来るのは―――九尾の中の憎しみを、どうにかした後でなければならない。そうでなければ、根本的な問題が、解決しないからだ。

 ナルトから解放したとしても、その危険性から、また別の人間の体へと、九尾は封じられる。九尾を本当の意味で封印から解放するには、その憎しみを、解き放ってやらなければならない。

 

「……ごめんな。九尾。ずっと、お前を(・・・)どうにかしてやろうと思ってた。ずっと、オレのことを『飼い主』として、認めさせようと思ってた。お前のことを、何一つ、知ろうともしなかった(・・・・・・・・・・)。それじゃ……マダラと同じだ」

 

 我愛羅は孤独と痛みを知っていたから、守鶴の痛みを知り、受け入れた。

 ナルトは孤独と痛みを知らなかったから、九尾の痛みを知らず、押し付けようとした。

 きっとそれが、ナルトと我愛羅―――痛みを受け入れ合った者の、人柱力としての、決定的な違い。我愛羅の飛躍と、ナルトの停滞の、決定的な差。

 ナルトが見るべきだったのは、九尾を、ではなく、九尾の中にある『何か』であった。

 それに気づいたとき、ナルトはすぐに、九尾に会いたいと、そう思ったのだ。

 

「けど、今は、時間がねェ。サスケを、助けなきゃなんねェんだってばよ。だから、ごめん。ちょっと強引だけど、貰ってく(・・・・)。時間が出来たら、話をしよーぜ。一緒に夜更かし(・・・・)してさ。そんときはお前のこと、教えてくれってばよ」

 

 ナルトが、九尾を封じている檻に触れる。その檻からチャクラの鎖が伸び、九尾の身体に巻き付いた。

 その鎖は九尾からチャクラを吸い上げて、ナルトの体に満たしていく。

 九尾が忌々し気に唸り声をあげ、ナルトは申し訳なさそうに表情を歪める。これでは憎まれても仕方ないと思う。だから、今度は死ぬ気で謝ろう。これまでの九尾にとっての横暴をすべて謝って―――今度は本当の友に成ろう。

 九尾が根負けするまで話を聞いて、そしてその後(・・・)に、自分のことを知ってもらおう(・・・・・・・)

 

(もう、諦めねェ)

 

「ごめんな九尾。でも、オレは……」

 

 忌々し気にナルトを睨む九尾に、ナルトは申し訳なさげに頭を下げる。

 そして真剣な表情を受かべて、言った。

 ナルトは、自分の中にある痛みと憎しみに、折り合いをつけた。通すべき道を見据え、目標を定め、意志を固めた。しかしそれは、母と、友の力があったから。

 九尾が先ほどまでのナルトと同等か、それ以上の苦しみを抱いているというのなら、ナルトはそれを放っては置けない。あの苦しみは、決して、味わい続けていてはいけないものだ。そしてそれをどうにかできるのは、人柱力だけ。

 ナルトにはサスケやクシナ、たくさんの絆があったが、九尾にはナルトだけだ。それは九尾が望んでいないものだったとしても、数奇な縁によって結ばれたもの。であればきっと、そこにはきっと―――意味がある。

 

 ―――みんなのおかげで、この憎しみをどうにかできたから。だから。

 

「―――お前の中の憎しみも、なんとかしてやりてェと思ってる」

 

 ふわりと、ナルトが笑った。

 その顔はクシナ譲りの柔らかなものであり、クシナがナルトに向けた笑顔と似通ったものだった。

 九尾はナルトから何か(・・)を感じ、僅かに、眉を上げた。

 

「だから、もうちょっとだけ、時間をくれってばよ。マダラが、お前を狙ってる。時間がねェ。みんなに、合流しねーとなんねェ。でも、安心してくれ。お前のことはぜってェオレが守るから。だからってわけじゃねーけど、この戦いが終わったら、お前の人生……? 狐生? を、ちょっと……、話してくれると、嬉しいってばよ」

 

「お前がワシを守る? 身の程知らずも甚だしい!! 貴様のようなクソガキは、マダラに殺されるのがオチだ!!」

 

「だとしてもだってばよ。オレは、言ったらやる。そう、約束したからな」

 

 ニヒルに笑ったナルトに、九尾はたじろいだ。

 その雰囲気に、その姿に―――九尾を捻じ伏せて封じた、初代火影の面影を見たがゆえに。

 そしてナルトは自身に、そして九尾に誓いを立てるように、九尾を見据え、力強くその言葉(・・・・)を口にした。

 

もう二度と(・・・・・)まっすぐ(・・・・)自分の言葉は曲げねぇ(・・・・・・・・・・)。 ―――それが、オレの忍道だ」

 




難産でした。プロットに『ナルトがクシナと話して改心』として書いてなくて昔の自分にクソがって悪態つきました。未来の自分に投げすぎるの良くない

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