綱手の兄貴は転生者   作:ポルポル

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『父』と『母』

 サスケが雷遁瞬身によって初速にて最速の一歩を踏み出した。雷鳴は直線を描き、水を斬り飛沫を巻き散らす。

 同時、おぞましい色のチャクラを纏い、その姿が小さな九尾と化したナルトもまた、雄叫びと共に飛び上がり、川の上に着水する。衝撃波が伝播し、水しぶきが跳ね上がった。

 

 九尾の着水と同時に、サスケが肉薄する。

 お、とサスケの速さに驚きの濁声を漏らした九尾は、しかしサスケの動きと速さが直線のみのものであることを知っている。瞬時に横へ飛び退こうとして―――避けられるならば、苦労はない。

 

 サスケの炎を纏った拳が、九尾の尾に直撃する。

 本当は顔を殴りたかったが、九尾は咄嗟に顔の間に尾を挟んだのである。しかしサスケの渾身の一撃は尾のガードを押し返し、尾越しに顔を殴り抜けた。

 

 勢いに押され、流れる川の上でバウンドを繰り返しながら飛んでいく九尾を、サスケは俊足を以て追いかける。

 直角の移動。無理やりの軌道変更。雷遁の俊足を、火遁の剛脚を以て制御する。

 高度なチャクラコントロール技術が必要となるが、しかし必要なものはそれだけではない。今の挙動は、足に凄まじいまでの負荷がかかる挙動だ。一度の移動だけで、足の関節や筋組織が破壊されても、おかしくはない。ゆえに必要なものは、頑強な健脚。並みの脚では、この挙動には耐えられない。

 

 だが、サスケの速度は衰えない。

 何故なら、その程度で根を上げるほど、サスケの基礎は(やわ)ではないからだ。畳間の修業―――遡れば二代目火影の教え―――と、ガイの指導の下、徹底的に磨き上げて来た『基礎』が、サスケを支えていた。

 

 ここに至る間、様々な苦難が、サスケを襲った。

 体術だけでは、その修行密度でリーには及ばない。瞳術(視る力)と体術の連携では、日向一の天才と謳われるネジには及ばない。サスケは、兄弟子二人にこの二年間の間、一度も体術では敵わなかったし、追いつけることも無かった。ガイに弟子入りするまでにあった一年の差は、そう簡単には覆らなかった。

 当然だ。サスケが死に物狂いで励む鍛錬の内容は、既に二人が一年前に通った道なのだから。

 

 体術のみを徹底的に鍛え上げるリーや、白眼と組み合わせた柔拳による超近距離戦を磨き上げるネジにまるで追いつける様子の無い日々は、サスケにかなりの焦燥ともどかしさ、そして自分自身に対する怒りを抱かせた。実際、(また)力を求めて暴走しそうになり、今度は兄弟子二人に止められるということもあった。

 

 綱手に弟子入りし、圧倒的なパワーを手に入れたサクラに嫉妬し、冷たい態度を取ったこともあった。(また)力を求めて暴走しそうになり、紫電を修めたことで晴れて師と仰いでいた畳間に、懐古の念を含ませた苦笑と共に諭されたこともあった(ちなみにその後、サクラには頭を下げた)。

 こつこつと小さな過ちを積み重ねながら、サスケは心身ともに成長して来た。

 

 ―――もどかしい。

 

 今はまだ下忍クラスでも―――いつか壁を破り、中忍クラスの動きが出来るようになる。

 

 ―――もどかしい。

 

 今はまだ中忍クラスでも―――いつか壁を破り、上忍クラスの動きが出来るようになる。

 

 ―――もどかしい。

 

 今はまだ上忍クラスでも―――いつか壁を破り、影クラスの動きが出来るようになる。

 

 畳間に弟子入りしてよりずっと、サスケは諭されながら、そうやって己の弱さへの怒りを、歯を喰いしばって耐え忍び、上を目指してやって来た。

 そうやって何度も何度も壁にぶち当たっては、その壁を越えて来た。そしてその壁さえ超えることが出来れば、悔しさと共に思い描いていた動き(・・)は、それまでが嘘のようにスムーズに実践できた。

 何故なら―――基礎は、出来ていたからだ。

 

 今も同じだ。畳間がかつて自分がそう育てられたように、サスケにもそうしていたというだけのこと。

 突発的な成長―――雷遁と火遁の同時使用による体術の超強化を使用する時に必要となる『基礎』は、既にサスケの中に築かれていた。

 

(―――五代目。あなたの教え(・・)で、ナルトを止める。必ず)

 

 九尾は、水上を跳ね飛びながら、8つ(・・)の尾を束ね、鋭利な槍として、サスケへ向けて伸ばした。直線、あるいは直角にしか動けないサスケへの、最適解―――カウンターである。

 

 先端を鋭く伸ばし、刺し殺すつもりだろうそれを、サスケは万華鏡写輪眼を以て見据える。

 カウンターの対策は、当然している。

 

「―――ねじ伏せる」

 

 サスケの左手を覆う雷遁が、鋭く巨大に膨れ上がる。

 束ねられた8本の尾―――その隙間(・・)に、サスケは雷の穂先を差し入れる。

 

 雷鳴と共に、雷が弾ける。

 お゛、と九尾から驚愕の声が漏れる。

 束ねられていた8本の尾により形成された槍が崩れ分散した。尾は避けるようにサスケの身体を掠った。

 

 ようやく体勢を整えた九尾が尾獣玉を生成しようとしたときには、すでにサスケは目前まで肉薄していた。

 

「―――ッ。これは……ッ」

 

 突如、サスケの身体に凄まじい重圧がかかり、その動きが鈍る。

 畳間の得意としていた圏境―――チャクラ量に物を言わせ、膨大なチャクラを放出して纏い、敵の動きを鈍化させる術だ。

 尾獣最強と呼ばれる九尾と、うずまき一族の血を引くナルトのチャクラ量は、畳間をも凌ぎ、初代火影にすら届く。チャクラに糸目をつけない、全力の防御に、それだけ触られたくない(・・・・・・・)のだ。

 サスケは確信する。うずまきナルトが、九尾越しの幻術によって、暴走させられていることを。

 

「ッ」

 

 疑似的な神羅天征とも言えるほどの圧を誇るそのチャクラの防壁に足を留められたサスケの腹部へ、鋭いかぎ爪が放たれた。

 サスケは瞬時に脱力した。自分を押し返そうとしている九尾のチャクラに身を任せ、その力を利用して、後方へと跳躍するためだ。あと一歩、というところで、サスケは九尾に届かなかった。一歩進めば、サスケの腹は引き裂かれただろう。

 

 間一髪―――サスケのはらわたは内に収まったまま、サスケは九尾と距離を取った。

 追撃にと放たれた8つの尾が、サスケを攻め立てる。

 サスケは直角の軌道を繰り返しながら、九尾の尾を避けつつ、攻めに転じる機を探る。だが、縦横無尽に動き回る尾はまるで雲の巣のようにサスケから九尾へ向かうための軌道を塞ぐ。

 サスケの回避行動は、咎めるつもりは無いようだ。だが、九尾本体へと近づかんとすることは、尾の動きは決して見過ごさず、許さなかった。

 

(スタミナ切れを狙うつもりか?)

 

 確かに、的確な策である。サスケに残されたチャクラは少ない。ただでさえ数日かかる距離を半日で踏破した後の戦いだ。開門による無理やりの身体強化と、これまでの厳しい修業を越えて来たという自負―――ド根性により戦えているが、ガス欠と共に停止するまでに残された時間は少ない。

 

(……そこまでの頭は無さそうだ)

 

 しかし、そうではないということは、次の瞬間には分かった。

 距離を取ったサスケの万華鏡に、巨大なチャクラの球体が映り込んだためだ。

 

 ―――尾獣玉。

 

 にわかに膨れ上がったそれが放たれれば、サスケは死ぬだろう。少なくとも、サスケが逃走できるだけの範囲は、その爆発で消し飛ぶだけのチャクラが、そこには込められていた。

 サスケはそこに、九尾の焦り(・・)を見た。

 

「天照」

 

 サスケの万華鏡が見開かれ、目の端から血涙が零れた。

 同時、九尾が生成していたチャクラの球体の『中』に、消えない黒炎が混ざり込む。

 お゛、と九尾の驚愕の濁声が零れると同時に、尾獣玉は起爆した。

 

 凄まじい爆風と暴圧が、サスケを襲った。サスケの身体は水上をバウンドしながら吹き飛ばされ、やがて滝へと投げ出される。それは水上歩法の応用により体を水上に固定しなくても沈まないほどの勢いだった。それはつまり、水切りの石のように、サスケの身体は水上に叩きつけられたということ。サスケの全身は軋み、骨には罅が入り、あるいは折れた。

 

 しかし、それだけで済んだのは、九尾が自分への被害を嫌い、瞬時にチャクラを霧散させたからだ。

 

 宙を浮くサスケの万華鏡に、傷だらけとなった九尾の姿が映り込む。

 追撃を駆けたいが、サスケは空の上。そしてこのまま、滝つぼへと落ちていくことになる。

 

 サスケは痛みと言う危険信号を出す脳を無視し、懐からクナイを取り出した。糸が結びつけられたそれを、サスケは側面の岸壁へと投擲する。

 

 クナイの先端は見事に壁へと突き刺さった。糸を握ったサスケの身体が、宙で一瞬停止する。しかしこのままでは壁に激突することになる。ゆえにサスケは握った糸にチャクラを流し込んで固定化(・・・)させた。チャクラを流し込まれた糸は細い鉄のようにピンと張る。そして糸を握った拳を支点に空中でくるりと縦に回転したサスケは、その固定化された糸の上に着地する。足の裏から、チャクラを流し込み続け、糸はサスケが乗ってなお、一直線に張り詰めていた。

 

「天照」

 

 サスケは地上へ向けて駆けながら、万華鏡の視点を左右に素早く散らす。放たれ向かってくる小さな尾獣玉の群れを、消えない黒炎によって次々と破壊しているのだ。

 

 眼球に走る痛みに目を閉じそうになるが、しかしサスケは耐え抜いた。種類は違えど、痛みにはこれまでの修業で慣れている(・・・・・)

 

 サスケが舌打ちする。

 焦れた九尾が、サスケの駆ける足場である糸の根元を、尾獣玉で打ち抜いたからだ。足場は崩れた。サスケは再び落下する前に、糸を全力で蹴りつけて前方へと勢いよく跳躍した。

 

 これで、サスケは本当に無防備となった。空中で、九尾の待つ地上へと、勢いのままに進んで行くだけだ。九尾が尾獣玉を生成する様子も、サスケは見つめるだけである。

 

「天照」

 

 再び破壊しようとした尾獣玉を、しかし九尾は守った。サスケと尾獣玉の間に尾を数本割り込ませ、尾で黒炎を受け止めたのである。

 九尾が尾で攻撃してくることは無かった。分かっていたからだ。尾という足場を与えれば、サスケは再びその機動力を以て攻勢に転じるだろうことを。

 そして、尾がずらされると同時に―――尾獣玉が放たれた。

 

 ―――尾獣玉は、サスケに直撃した。

 

 お゛、と驚愕の声が再び九尾から漏れた。

 サスケに直撃したはずの尾獣玉は起爆せず、それどころか、サスケの身体をすり抜けるように天へと昇って行ったからである。

 

 時空間忍術か? あるいは幻術か?

 

 九尾は、憎しみに支配され、ナルトの『術』も使えないほどに低迷した頭で、そんな疑問を抱いた。

 だが違う。サスケの使った術はもっと致命的なものであり、そして取り返しのつかないものだった。

 

 ―――イザナギ。

 

 サスケは片目の光を代償に、『尾獣玉に直撃した』という現実を掻き消した。

 

 すべては―――親友(きょうだい)を、救うために。

 

「ナルトォォオオオオオ!!」

 

 サスケが血の涙を流しながら、凄まじい咆哮を上げる。

 

「オオオオォォォオ!!」

 

 共鳴したのか、あるいは怯えたのか、九尾もまた巨大な雄たけびをあげる。

 同時、8本の尾が放たれたのを、残ったサスケの万華鏡が捉える。

 焦りか、怒りか、でたらめな軌道を描く8本の尾のうち、サスケに直撃するのは、二本。サスケの万華鏡は己に直撃する尾だけを正確に見抜き、サスケは掌を前へと翳した。

 ここだ、とサスケは決めに行く。

 

「―――装威・須佐能乎」

 

 お゛―――再びの、九尾の驚愕の声。 

 

 万華鏡写輪眼の開眼者は、須佐能乎という特殊な術を習得する。それは、九尾も知っていたことである。では何故驚いたのか。

 サスケが今まで、見せなかったからだ。尾獣玉の爆風にさらされたときも、腹を切り裂かれそうになった時も、空中に投げ出されたときも、九尾の尾に追い掛け回されていた時も、サスケは決して、須佐能乎を展開しなかった。

 それは、虚をつくためだ。一度でも見せれば、九尾はそれを警戒し、必ず須佐能乎を勘定に入れた攻勢へと転じるだろう。だが、見せさえしなければ、須佐能乎の存在は、九尾の意識の外に置いておける。ただ知識として知っていることと、実際に目にするのとでは、警戒度は雲泥の差が出る。それにサスケは今の今(万華鏡を開眼する)まで、須佐能乎を発動自体できなかったのだから。ベースがナルトである今の九尾に、サスケの須佐能乎を警戒することは出来ない。

 

 部分展開された須佐能乎の盾は砕かれながらも、九尾の尾を弾き、その軌道を無理やり変えさせて主を守った。

 万華鏡が、再びチャクラの球体を視認する。

 それは、小さいものだった。サスケと九尾の距離は僅かだ。大きな尾獣玉を生成する時間はない。ゆえに、短時間で生成できる、大した威力も無い尾獣玉しか作れなかった。破れかぶれ―――最後のあがきだろう。

 だが、サスケはちょうど、その視界を遮られていた。天照の連続使用による多量の血涙が、物理的にサスケの視界を塞いでいたのである。

 瞬きし、血涙を除去し目を空けた時、尾獣玉は既に、サスケの目前にまで迫っていた。天照を発動するには、間に合わない距離だ。

 直撃したとしても、大した怪我はしないだろう。その程度の尾獣玉だ。だが、空中にいるその体は、跳ね返される(・・・・・)。そうなれば九尾は再び距離を置き、イザナギまで使用してようやくもぎ取ったこの接近の時は、失われる。

 

 ―――覚悟は決めていた。

 

 手を翳したサスケは尾獣玉を握り締めると、尾獣玉が爆発するよりも早く、もう片方の手による手刀で―――腕を斬り飛ばした。

 斬り飛ばされた手が宙を舞い、サスケの後方へ置き去りにされ―――起爆。その小さな暴風がサスケの背を押して―――サスケの片手は、ナルトの(・・・・)頬を、殴り飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか……。不完全とはいえ、九尾が敗れるとは……」

 

 むくり、と地面から起き上がった黒い影が、木々の合間から顔を出した。

 九尾の回収に赴いた黒ゼツだった。

 

「だが、好都合だ……。アシュラとインドラの転生体……。どちらか一方でも確保できればいいと思っていたが……両方手に入るとは……」

 

 黒ゼツの視線の先で、サスケとナルトは並んで眠っている。

 川上で決着をつけた二人は、絡み合いながら川を流れ、運よく岸に流れ着いたらしい。

 黒ゼツは舌なめずりをして、二人のもとへと向かっていく。

 

 シスイと共に姿を消したマダラは、まだ戻らない。このまま戻らないという最悪の可能性―――考えたくはないが、しかし考慮はしておかなければならない。

 六道仙人の息子であるインドラとアシュラのチャクラ、そしてどちらかのチャクラを生まれ持った生体と輪廻眼があってようやく、ゼツの野望は前提条件を満たす。

 ゼツの野望成就に最も近かったマダラの代わりは、いない。今後現れるとも思えない。ならば、創ってしまえばいいと、ゼツは考えた。

 幸いにも、インドラのチャクラも、アシュラのチャクラも、細胞と言う形でストックはある。うずまきナルトか、うちはサスケ―――どちらかを手中に出来れば、輪廻眼の開眼も不可能なことではない。故にゼツは比較的陥れられそうなナルトに目を付けて、奪い取ろうと考えた。マダラの幻術が掛かったままの九尾がナルトの中に再封印されたことも僥倖だった。

 ナルトを完全に支配下に置き、マダラの細胞から培養した写輪眼を植え付けて輪廻眼を開眼させ、全尾獣を蒐集し、野望を果たす。手間と時間は再び長くかかるが、次善策としては充分だった。

 

 だが、垂涎の得物は、その両方が無防備にそこに在る。

 これは運気が巡って来たと、これまで畳間と大蛇丸に煮え湯を飲まされ続けて来たゼツは、高揚した精神を隠そうともせず、厭らしく笑った。

 

 二人の傍に歩み寄った黒ゼツは、二人を回収しようと手を伸ばし―――突如として出現した須佐能乎に、跳ね飛ばされた。

 

「なんだ……ッ!?」

 

 サスケはまだ眠っている。動く様子も無い。無意識で発動している、と言うことも無いだろう。片腕を失ったサスケは出血も多く、須佐能乎を再展開するほどの力は残っていないはずだ。ゼツはそう確信している。

 だが、須佐能乎は現に目の前に展開されている。

 

 ―――何故。誰が。

 

 ゼツは困惑を隠し切れない。

 

「なんだ……! 邪魔だ……! もう少しだというのに……!!」

 

 黒ゼツ自体の戦闘能力は高くない。その本分は、他者に寄生し操作する能力だからだ。裸同然の黒ゼツに、この須佐能乎を突破する術はなかった。

 悔しさに歯噛みする黒ゼツは、須佐能乎を何度もたたくが、須佐能乎はびくともせず。

 ―――息子を守る様に(・・・・・・・)、ただ、そこにあった。

 

「う……」

 

 そして、うずまきナルトから呻き声が聞こえた。 意識を取り戻そうとしているのだ。

 

 同時に、こぽり、こぽり、と九尾のチャクラが、その体から漏れ出し始めた。

 ゼツは喜び勇んだ。早く目覚め、須佐能乎を内側から破壊しろと、期待に胸を膨らませる。

 一本、尾が形を成した。

 

 早く早くと、ゼツが内心で急かす。

 二本、尾が形を成した。

 早く早くと、ゼツが急く。

 

 そして―――急速に、チャクラがしぼむ。

 

「は?」

 

 しん、と静けさが漂う。

 ナルトの変化は止まり、元の姿へと戻った。

 

「何故だ……! 何故……! 九尾……!!」

 

 ゼツが声を掛けるが、九尾からの反応はない。何が起きているのか、ゼツには理解が出来なかった。

 ナルトの目じりから、一筋の雫が零れ落ちるのを、ゼツは見た。

 

「う……」

 

 そして再び、ナルトが小さく呻き声を零す。少し、身じろぎもしている。覚醒の時は近い。

 

「……」

 

 ゼツの沈黙。

 ナルトが闇に堕ちていればいい。だが、もしも違っていれば―――ゼツでは、ナルトには敵わない。殺されることになる。そうなれば、野望は果たせない。

 

 ゼツは逡巡し―――臍を噛みながら、その場を後にしたのである。

 

 

 

 

 

 

「ここは……」

 

 意識を取り戻した(・・・・・・・・)ナルトは、奇妙な空間にいた。何もない空間。そこが自分の精神世界だと気づいたと同時に、目の前に女性が一人、現れた。

 

「ナルト」

 

「え?! 誰だってばよ!!」

 

 突然現れた女性に、ナルトは驚きの声をあげる。

 

「何だ!? どうしてこんなところに人が!? それに、なんで俺の名前を知ってる!?」

 

「……そっか。そうよね……。じゃあ……私が誰か当ててみて。ナルト」

 

 ナルトは訝し気に女性を見た。

 ストレートの赤い長髪。顔立ちは、香憐にも似ている。赤い髪はうずまき一族の血を引く者の特徴だ。香憐に似ているのは、それゆえだろう。

 だからナルトはまさか、と唇を震わせながら、思った言葉を、口にした。

 

「母ちゃん……?」

 

「正解!! ナルト!! お母さん、嬉しい!!」

 

 目の前の女性―――うずまきクシナは、嬉しそうに笑うと、ナルトに駆け寄って、ぎゅっとナルトを抱きしめた。

 ナルトは、驚愕ゆえか、あるいは別の理由か―――その抱擁を阻むことは出来ず、身を任せた。

 

「おっきくなったわねぇ。あのちっちゃかった赤ちゃんが……ほんとに……」

 

 よしよし、と金色の頭が撫でられる。

 その優しい手つきと、体に感じる温もりに、ナルトは何かが込み上げてくるのを感じる。最初に、安心感のようなものが、ナルトの胸を満たした。次に、胸を刺す痛みのようなものが、訪れた。

 

 ―――何か、大きな間違いをしてしまったような。

 

 ぞくりと、背中に寒気が走る。

 後悔や、嫌悪。目を逸らしたい何かが、ゆっくりと、ナルトの中の染め上げていく。

 過呼吸のように、ナルトの呼吸が早くなる。動悸がする。目の前が真っ暗になりそうな絶望感がある。不安。恐怖。深い闇の中にいるかのような、孤独感。

 それは、己の過ちを自覚しそうで、しかし直視できないゆえに訪れた逃避の兆候。すべてから逃げ出し、心を殻の中に閉じ込めようとする、自己防衛の発露だった。

 

「あ、あ……」

 

 ナルトが唇を戦慄かせる。

 思い出してしまった。

 再不斬が死んだ。友の父が殺された。里の家族が殺された。義父が殺された。サスケが、左手を失った。

 そして―――心は憎しみ()に沈んだ。

 

「―――大丈夫」

 

 深海の様に暗く沈んだ心に、暖かな光が差し込んだ。

 

「お母さんが、一緒だからね」

 

 闇に薙いだ心に、光の波紋が広がっていく。

 冷たくなっていた体と心に、温もりが取り戻される。

 

ナルト(・・・)

 

「母ちゃん……っ!!」

 

 自分を呼ぶ、優しい声。慈愛に満ちた音。

 否が応でも、感じ取れる。憎しみに支配されそうな心に、自然に、溶け込むように入って来るそれを、ナルトは心の深いところで、感じ取った。

 

「頑張ったんだね、ナルト。大丈夫。大丈夫……」

 

「オレ……っ!! オレ……っ!! オレ……ッ!!」

 

 よしよし、と変わらず温もり()を注ぎ続ける母の胸で、ナルトは小さな子供の様に―――泣いた。


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