綱手の兄貴は転生者   作:ポルポル

13 / 156
出会い

 木の葉隠れの里の巨大な門には、「あ」「ん」という巨大な文字が刻まれている。「あ」は始まりの言葉であり、「ん」は終わりの言葉。始まりと終わりを司る”阿吽”という言葉を基に刻まれたその文字は、任務で旅だった者が無事に帰って来るようにという願掛けと、”里の興り”と”争いの終結”が願われている。仙人に伝わるその言葉は、仙術を納めた柱間による粋な計らい。任務から戻った畳間たち6班は、その巨大な門と間の抜けた文字を視界に入れて、肩の力を抜いた。

 

「やっと付いた・・・」

「アカリ、家に着くまでが任務だ」

「先生、遠足みたいに言わないでよ。逆に気が抜けるって」

 

 6班として活動を開始してしばらくたち、彼らの任務歴もそれなりの回数を数える頃となった。肌寒くなってきた季節の風は乾いた冬の匂いを纏い、彼らの疲れた体から熱を攫って行く。門を潜り敷居を跨いだアカリは、背負っていた巨大なリュックを地面に置いた。アカリのだらしない仕草を見兼ねたカガミが苦言を呈せば、畳間が堪え切れないように喉を鳴らして笑う。疲れた様子の2人に比べ、サクモは平然とした表情でカガミに並び立っており、膝に手を置くアカリと、アカリに寄り添うように立つ畳間を見て、情けないと肩を竦めた。

 

 

「毎日毎日、こう同じことの繰り返しでは私といえども疲れる。体力的にではないぞ。精神的にだぞ」

 

 俯いていたアカリが気だるげに顔をあげれば、サクモが呆れたように首を傾げる。アカリの言い分も分からなくはないと言いたいのか、それとも弱音を吐くなと言いたいのかは定かではない。

 一方、アカリの言葉を受けた畳間が気まずげに片眉をあげたのを見て、カガミが口を開いた。

 

「長期任務として契約しているんだ。どうしようもないだろう。それに、この任務は優良案件だとオレは思う」 

「火影様直々の任務だから報酬も良いし、いい仕事だと思うよ」

 

 

 カガミの言葉に乗ったサクモの言葉に、「それは分かっているが・・・」と、アカリが言葉を濁す。

 現在、第6班の面々はとある長期任務に就いている。かつて畳間が扉間と話した、”終末の谷に柱間とマダラの巨大な彫刻を建てる”という案件に関するものだ。任務を受けた当時、うちは一族最強の男の彫刻を作り出す仕事に関われるということで乗り気であったアカリも、今ではこの調子。しかしそれには理由があった。

 

「しかしだな、はたけサクモ。優雅さに欠けるとは思わんのか」

「まあ、最近のやることと言えば職人さんのお弁当持って行くくらいだけどさ」

 

 任務開始当初、現場となる”終末の滝”は、柱間とマダラの戦いがあった当時のまま放置され、荒れ果てた状態であった。

 森の中心に悠然と座している巨大な湖。それを両断するかのように、一筋の地割れが横たわっていた。陸の端から陸の端まで続きそうなほど壮大なそれは、かつてうちはマダラが千手柱間との死闘の中で生み出した、戦いの傷痕。うちはマダラの深淵を象徴するかのような、底の見えない危険な谷であったそれは、長い時を経て川と変貌していた。しかし舗装も整備もされていないそれは、氾濫を容易に呼び寄せる。彫刻作業の現場となる滝の近辺も同様で、かつて断崖絶壁に火影の顔岩を掘った職人達と言えども、すぐさま作業に取り掛かれるような状況ではなかったのである。

 

 そのため、まず第6班が任された任務は、職人達が安全に作業を行える現場作りであった。土遁の術を使えなくなった畳間と、もともと使えないアカリは、サクモとカガミによる整備作業によって生み出される土砂を、ねこ車で廃棄場に運ぶ運搬作業を任された。サクモ、畳間、カガミは影分身を用いてまで作業を効率化したが、湖から滝までの川を整備し終わるまで半年以上の時間がかかり、最近になってようやく職人たちの彫刻作業が開始されたと言う状況だった。彫刻作業が開始されてからは、職人たちの安全確保と、万一のための救助要員としての待機で現場に留まることを余儀なくされ、お昼前になれば6班のうち2人が素早く里へ戻り、温かいお弁当を持ってくるという流れである。お弁当を食べ終われば、少なくない作業員たちから空の弁当箱を回収し、川下で洗浄した後、各々大きなリュックサックに入れて、その日の作業終了時間まで待つことになる。

 率先して任務を願った畳間としてもこんなはずじゃなかったと言ったところであるが、彫刻に関してはずぶの素人である6班の忍びたちが、里の示威行為としての意味合いもある2大彫刻作りに参加できるはずも無い。「ぬかった」とは畳間とアカリの言葉であり、「当たり前だ」とはサクモとカガミの言葉である。

 

「ま、明日は久々のオフだ。久しぶりに6班でご飯でも食べに行こうじゃねーか」

「なにが悲しゅうて、せっかくの休日に千手と過ごさねばならんのだ」

 

 春、夏、秋と過ぎて冬を迎えても、アカリの畳間に対する態度にさほどの変化はない。「こりゃもう意地みたいなものだから、待ってあげてくれないか」と言うカガミの言葉を受けて、大人の余裕を見せている畳間である。サクモも、畳間に勝負を挑んでは軽くあしらわれているアカリの様を見続け、その行動・仕草の節々から覗くアカリの本性であろう間抜け具合になにかを察したらしく、当初ほどの剣呑さは鳴りを潜めている。

 

「ごめん、畳間。アカリじゃないけど、明日はボクも予定があるからさ」

「そうなのか? カガミ先生は・・・」

「オレも、少しな」

「そっかぁ」

 

 結果的にだが全員に振られることになった畳間が軽く落ち込めば、アカリが「ふはははは」と疲れた様子から打って変わって楽しくて仕方がないと言うように笑い声をあげる。「ふはっ、ふはっ、ふはっ」と咽るように笑うアカリの後頭部を畳間が軽く叩けば、パシンと良い音が鳴る。

 

「なにをするーー!」

 

 顔を真っ赤にして後頭部を抑えるアカリをスルーし、任務の報告へ向かう畳間の後ろに、カガミとサクモが苦笑を浮かべて連なった。

 

「千手ー!」

 

 アカリの跳び蹴りを振り返ることなく横に避けた畳間は何事も無かったかのように進んでいく。この半年間でアカリの扱いを覚えたらしい畳間は、友好的に接するときと、突込みを入れるときの強弱が上手くなってきている。何とも言えない友好関係だが、ゆっくり仲良くなっていけばいいかと思い直した畳間である。

 畳間はアカリの言動をすべて笑って受け流していたが、それが必ずしも良いとは限らない。仲良くなるために妥協するということは必ずしも間違いとは言えないが、とはいえ、不快は不快。天性の楽天家であり優しさの塊であった祖父とは違う畳間は、アカリの言動全てを本当の意味で受け流すことは出来ない。溜まったストレスを後でこそこそ愚痴るより、怒るときは怒り、気持ちをぶつけ合ったほうがよりよい関係を結べるだろう。サクモとの友情や、イナとの関係とも違う、喧嘩仲間とでも言うのか、そういう関係も悪くない―――畳間はそう思ったのだ

 

 

「それじゃ、ボクはこれで」

 

 本日の任務報告を終え、弁当箱の入ったリュックを担当の者に返した一向から、まずサクモが早足で家へと帰っていく。

 

「むむ? なにか急ぎの用事でもあるのか、やつは」

「色々あるんだろ。ほっといてやんな」

「うむぅ」

 

 首を傾げながらサクモの背中を見送ったアカリを、畳間は苦笑気味に諌めた。アカリは相変わらずの態度だが、しかしチームとして過ごすうち、然程であっても変化はある。チームメイトの行動に興味を抱き、ある種の独占欲のようなものが芽生え始めていた。

 良い傾向だと思う反面、そこからかよ―――と笑ったことも、畳間にとって良い思い出である。アカリと過ごしていてアカリに抱いたのは、純粋な子供のようだ―――という感想。己を守るための仮面は意地となり中々剥がせない強固なものとなっているが、その内側には素直な自分を出したいと言う思いも見て取れる。

 そういう面でオレと似たところもあるんだよなぁとこそばゆい気持ちになるが、一方で、アカリとの距離を詰める難しさに苦笑する。己を攻略した柱間とイナの偉大さに感服する思いだ。

 

「オレはこのあと火影様と会談がある。アカリ、先に帰っていてくれ」

「言われなくとも帰るに決まっているだろう」

「そ、そうか。畳間、悪いが、アカリを送って行ってもらえるか」

 

 うなずく畳間の隣で、カッ―――と眼を見開くアカリの形相。

 

「いらんぞ、そんなもの!」

「そういうわけだから、頼むよ、畳間」

「いらんと言うとる」

 

 唐突にポケットから財布を取り出したカガミが、札を数枚引き抜いて、畳間に握らせた。

 

「たぶん遅くなると思うから、晩御飯はどこかで食べて欲しい。畳間の分も合わせて、それで足りると思うんだけど」

「いいの? 先生」

 

 確かに、それは1人分の夕飯代にしては多い金額で、畳間は目を丸くする。

 

「なぜ私に渡さない!」

 

 がーと吼えるアカリに、「お前に渡すとお菓子しか買わないからだ」と言い放ったカガミは、叱りつけるようにアカリのもちもちとした頬をぐりぐりと撫でまわす。

 恥ずかしさと理不尽さにオデコまで赤くしたアカリを見て、オレも綱にやってみよう―――と畳間は内心で笑う。

 

「なぜ千手と食事を・・・。しかも2人でだと!?」

「なんなら、火影様とオレと3人で食べるか?」

「来い千手。ぐずぐずするな!」

 

 下忍昇格試験の一件から、扉間に対して強烈な苦手意識を持っているアカリの反応は素早かった。くるりと回ると、すたすたと廊下を歩いていく。

 

「すまないな、素直じゃないんだ」

「分かってますよ」

 

 肩を落とすカガミに笑い返した畳間は、失礼しますと頭を下げて、先を行くアカリの後を追いかけた。

 

「で、何食べる?」

 

 夕暮れの道。行きかう人の波とすれ違いながら、畳間とアカリは並び立って歩いている。視界の端でぴょこぴょこと揺れるツインテールを引っ張りたくて仕方ない畳間は、被害者と化したイナと綱手からお叱りを頂いて発達した自制心を強くする。猫ではないが、どうも動くものを見ると引っ張りたくなる性癖が、畳間にはある。悪い癖だなァ―――と自省しつつも、視界に小刻みに動くものがあると、どうも心惹かれるというのか、落ち着かないものがある。

 

「そんなことも決められないのか? 女に頼るとは甲斐性も無いのか、貴様」

「意見を聞いただけでなんでそこまでいわれにゃならんの?」

 

 デートでもなければ、そういった間柄でもない2人だ。リードが出来ないとか、男らしくないとか、言われる筋合いも無い。呆れ半分、面白半分と言った様子で目を細めて見た畳間は、アカリの口元が少しほころんでいることに気づかないふりをして、立ち並ぶ飲食店へ視線を移した。木の葉定食と書かれた看板を見て、ここにするか―――とアカリに声を掛けて、足を止める。畳間の好物であるきのこのご飯が旨い店であり、柱間の代から贔屓にしている密かな名店だ。

 

「おねがいしまーす」

「はいはい、いらっしゃい・・・。おや、ぼっちゃんじゃないかい!」

「久しぶり、女将さん」

 

 畳間の声に反応して、店の奥からのんびりとした声が聞こえてくる。間をおかず暖簾を押し上げて現れたのは、恰幅の良い初老の女性。木の葉定食の女将さんである。

 

「いつものきのこご飯ある?」

「あるよ、定番だからね。ところで・・・ぼっちゃん、あんた、その子は?」

「こちら、下忍の班で一緒の、うちはアカリさん。家族の人が仕事で晩にいないから、連れて来たんだ」

「おやおや、イナちゃんだけかと思ったら。ぼっちゃんもやるねェ。ちょっと、あんた! あんた!! ぼっちゃんが女の子連れて来たよ!!!」

「あァ? イナちゃんならいつも来てるだろうが・・・って、なにィ!? 畳間、おめえも隅におけねえな!」

 

 暖簾を押しのけて顔を出した定食屋の親父がアカリの姿を認め、我がことの様に喜んだ表情を浮かべる。柱間に引っ付いている幼いころから、畳間を知っている2人にとって、息子が女の子を連れてきたことを喜ぶ親の心境である。

 

「ほらほら、こっちおいで」

「ほ、ほ、ほほ?」

 

 女将に腕を引っ張られたアカリは突然のことに目を瞬かせ、抵抗することも無く連れ去られていく。

 イナを初めて連れて来た時もこんな調子だったなァ―――と当初、アカリと同じように連れ去られたイナの背を思いだし、変わらない店主たちの様子に笑みを浮かべた。

 アカリは一番豪華な食卓へ放り投げられ、対面に座る形で、畳間が座敷に腰を下ろした。渡されたメニューを見つめるアカリに、家庭料理だったら大体のものは作ってくれるから、適当に好きなものを頼んでいいことを伝える。

 

「しゃけおにぎりも、頼めば作ってくれるはずだ」 

「ほんとうか! ならば3つだ」

「女将さん、きのこご飯定食と、しゃけおにぎり3つで定食お願い」

「あいよ!」

 

 お手拭きを持ってきてくれた女将に注文を付け、ぬくぬくのお手拭きで手を清め、暖を取る。アカリは珍しく文句を言わないが、しばらくしたらまた憎まれ口を叩き始めるだろう。

 ここには温もりがあるからな―――と、なにかを懐かしむような表情で、じっとメニューを見つめているアカリを一瞥し、畳間は食事の到着を待った。

 しばらくしてやってきたのは、できたてほやほやの佃煮や炒め物。量が多いと持ち金のことを話せば、サービスだよと笑い返す女将。なにやらアカリのツインテールが気に入った様子で、女将はアカリにやけに世話を焼いている。アカリは「あうあう」と戸惑いながら頬を赤らめ、しかしされるがままになっている。年の功か―――と真似できない包容力を見せつけられた畳間は、少しの敗北感と共に、ほかほかの味噌汁を少し啜った。

 

 食事を終え、2人が店を出るとき、アカリは名残惜しそうな様子で俯いた。口ごもるアカリを急かすわけでもなく、畳間と女将が待つことしばらくして、「ご、ごちそうさまでした」と恥ずかしそうに頬を染めて、アカリがぽそりと呟いた。女将さんは嬉しそうに笑い、また来ておくれとアカリに飴玉を贈った。「うん」と殊勝に頷くアカリを見て、畳間は「誰だこいつ」と思わないでもないが、アカリの新たな一面を知れたことに少し嬉しくなる。妹である綱手を相手にしているときのような、何とも言えない父性・兄性が湧きだして、畳間は無作法にも、アカリの頭をよしよしと撫でた。

 気安く触るな!と何時もの調子を取り戻したアカリに一言謝って、畳間はアカリを帰宅へと促す。後ろ髪を引かれるように歩き出したアカリの背中は少し寂し気で―――。

 「また一緒に食べに来よう」という畳間の言葉に、アカリは不機嫌そうに鼻を鳴らす。だが、「貴様と来るくらいなら、一人で通うわ!」と背中越しに吼えたアカリの耳の火照りに、気づかない畳間では無かった。

 

 

「兄様!」

「分かった。怪力で引きずろうとするのは止めろ」

 

 自室で観葉植物を愛でていた畳間の元へ、綱手が飛び込んでくる。祖母ミトの教育と、忍者養成施設へ入り忍術の基礎を学び始めたことで、綱手が元来持っていた暴力的な行動に怪力と言う要素が加わっている。そのため、綱手のおねだりを断るという行為が恐ろしくて仕方がない畳間は、最近では綱手を論破できる言い分が無いときは、大概の場合、言うことを聞いている状況である。

 一体自分のどこに、ここまで慕われるような要素があるのかねェ―――と、先日思い立ったように購入し、プレゼントした桃色の髪留めが、綱手の頭上で揺れているのを眺めた。

 

「綱手、オレは良いが、あまりその怪力を人に使うのは止めろよ」

「兄様、失礼なことを言わないでくれ。セクハラしてくる自来也と兄様以外に使ったことは無い」

「それはそれで失礼な話だと思うんだがなァ」

 

 少なくともセクハラ少年自来也と同列に扱われていると言うことではないかと、複雑な気分になる兄心。

 

「それで? 今日はどこへ行くんだ?」

「修行だ!」

 

 珍しい―――綱手と言えば博打だと相場は決まっているし、稀に食事などへ誘われても、居酒屋などの大人の店である。無論酒を飲むようなことは無いが、ノンアルコール飲料を飲みながら焼き鳥を頬張る幼女は巷ではそれなりに有名で、食べ放題の居酒屋で商品を貪り尽くし、店に泣きを入れさせたと言う話はある種の伝説と化している。任務上がりの休日で修行と言うのは体力的には―――任務内容がほぼ荷物の運搬だけという軽さがゆえに―――ともかくとして、精神的には辛いものがある。アカリではないが、畳間もまた比較的飽き性であるため、言い出しっぺの割に不甲斐ない心境であった。

 

 綱手の力量を知るのも悪くないかもしれねェなァ―――と承諾の旨を伝え、大きめの救急箱から簡易救急セットを取り出した。綱手の怪力に吹っ飛ばされたときのケアに使う傷薬や包帯と、仮に疲れ果てて動けなくなるようなことがあっても、最低限の力を保つために、兵糧丸などの医療食品が入ったお手製のセットである。

 

 家を出て歩くことしばらく。学校生活の報告や、友達の話、少しマセてイナとの関係をちょいちょい突いたりと、綱手の口は止まらない。気が付けば演習所へと辿り付いていた。柵で仕切られた演習所の入り口付近のベンチに荷物を降ろし、さて準備運動をと言うところで、巻き藁を叩く音が響いていることに気づく。

 

「先客か?」

「みたい。朝から珍しいわね」

 

 とはいえ忍びの里である。修行にいそしむ者の1人や2人いても不思議ではない。それに、先客がいたところで別に問題はない。周囲に影響のある火遁を、畳間が使わなければいいだけの話である。綱手に殴り飛ばされた先にその先客がいないという保証はないが。

 

 荷物を背負いなおした2人は演習所へ入り、小道具の設置されている遊技場のような場所を抜け、広場へと向かった。2人の向かう反対側には、畳間たちが下忍昇格試験を行った丸太が突き立っている場所がある。興味本位であるが、自分たちより先に演習所で訓練を行っていた忍びを見て見たかったのだ。もしも大人なら、その熱心さから何かを学べるのではないかと、畳間には少しの打算もあった。

 

 そこにいたのは、汗だくで巻き藁を蹴りつけている1人の少年。眉が凄まじく濃く、長い下まつげが絶妙にマッチしていない。着ている服もまた独特で、体の線が浮き出る緑色のタイツである。

 

「ちょ、なにあれ? こゆぅ・・・」

「あれは・・・」

 

 綱手が嫌悪感を隠さず眉根を寄せたが、畳間はすっと目を細めて少年を見た。首元に巻いた赤いスカーフには凄まじい量の汗が染み込んでいるようで、一面が湿っているようだった。

 今はまだ早朝の時間。あれほどの汗を掻くためには、どれほどの時間が必要だろうか。この少年は早朝どころではない。もっと早くから、この場で一人、巻を蹴り続けていたのだ。

 少年が巻き藁を蹴るために足を振り上げたとき、軸足がすべり、転んだ。綱手はそれを見て堪え切れないというように笑ったが、畳間は少年の足元を見た。少年の軸足があったところ―――そこだけ、土がえぐれている。どれほどの長い間同じ位置に立ち、どれほどの回数蹴りを続けたのか―――。

 

「なァ兄様、あの濃ゆい人―――」

「綱・・・」

 

 珍しく真剣な顔ですごんだ畳間に、びくりと震え、馬鹿にしたような笑みを浮かべていた綱手は言葉を失う。怯えた綱手の頭をぽんぽんと叩いた畳間は、優しい声音で話しかける。

 

「努力してる人を嗤っちゃァ、いけない」

 

 畳間は天才と呼ばれた部類の人間だが、上には上がいるもので、はたけサクモはその上を行く。経験こそ少なくて以前はカガミに後れを取ったが、その時点でもすでに中忍と同等かそれ以上の基礎は身に着けていた。友人でありライバルであるサクモに劣等感を抱いたことが無いとは、畳間とて言えるものではない。

 また、今は忍術を上手く扱えない身の上で、火遁ひとつとってもアカリに馬鹿にされる始末である。かつて”さすがは千手”と呼ばれた畳間も、今では凡百の一。やはり言う者はいるもので、”落ちぶれた千”と揶揄されていることも知っている。思うところが無いと言えば嘘になるし、その辛さも知っている。それでも畳間がひねくれないのは、ひとえに自分を信じ、己を信じてくれる者がいるからである。

 

 彼はどんなもんかな―――と、一瞥する。

 

 額当てを身に着けていないところを見るに、未だ忍者養成施設の人間か、あるいは養成施設にすら入っていないか。畳間が見て来た忍びたちは、祖父である柱間を筆頭に持つ者の輝きを雰囲気の中に宿していたが、はっきりいえば、今巻き藁を蹴り続けている彼に、才能の輝きは見られない。がむしゃらな蹴りにはキレが無いし、体捌きも覚束ない。素人が見様見真似で格闘技をやっているとしか思えない。しかし、畳間と綱手が近づいても気づかない様子は、果たして周囲に気を配れないほどの凡愚か、あるいは研ぎ澄まされた集中力か。

 

「おはようございます」

 

 唐突に少年と挨拶を交わそうとする畳間に綱手は驚いて、目を見開く。どうしていいかもわからず、とりあえず挨拶をした畳間に倣って頭を下げた。

 

「は、はや、はやいな、君たちィ! せ、せい、青春か!」

 

 かなり近づいてようやく気付いたのか、荒げる息も流れる汗もそのままに、突き出した腕でぐっと親指を突き立てる。飛んでくる汗にひえっと綱手が飛び下がった。さすがにそう来るとは思ってなかった畳間も、変わった人だなとまぶたを瞬かせる。

 

「これ飲むか?」

 

 畳間は自分の持っている水筒を差し出すが、少年はいらないと首を振る。そんなに汗だくなのに何故だと聞けば、水を飲むと精神が軟弱になるとのことだった。なんという根性論と少し引きつつも、精神的にはともかく肉体的にそれは間違っているとして、少年に押し付ける。見たところ周りに水筒などの水分補給に使うものが見当たらず、放って置けばこの汗まみれのまま、ずっと水分を取らないでいそうだったからだ。塩や無味の薬草など、体にいいものが入っているから飲んだ方が強くなれると言えば、「応援ありがとう!」と畳間の水筒を受け取った。勢いよく飲み始めた少年に、それはそれで体に良くないと制止する。

 

「見たところ脱水症状寸前だからなァ。少しずつ口に含むように飲め。胃がびっくりするぞ」

 

 少し怒ったように、しかし優しく言い聞かせる畳間に驚いた様子で、しかし嬉しそうに少年は水筒を傾ける。「だから一気に飲もうとするな!」と畳間が怒れば、「そうだった」と悪びれたように少年が笑った。

 

 周りを見れば、汗を拭くタオルも無い。聞けばまたも、汗を拭かないことで実戦の臨場感を出すとの言葉が帰って来る。風邪をひくぞとタオルを差し出せば、またも同じやり取りが行われた。

 綱手が畳間の分が無いと心配したが、影分身の術で分身を1体作り出し、代わりのものを取りにいかせることで解決する。

 

「なんだ、今の術は! 実体を持った分身!? おまえ! さては忍者だな!」

「秘伝忍術というほどのものではないが、それなりに機密情報だから教えられんな」

 

 びしっと指さした少年と、畳間が示し合わしたように笑う。

 

「突然、悪かったな。オレは千手畳間。下忍だ。こっちは妹の綱手。可愛いだろ?」

「兄様!」

 

 綱手が少し顔を赤らめて吼える。

 畳間は初対面の人に綱手を紹介するとき、一言添えて綱手を持ち上げる癖がある。「そういったところが慕われる理由じゃないの?」とは、呆け交じりに畳間から相談を持ち掛けられたサクモの言葉である。

 

「自己紹介ありがとうォーー!! オレは木の葉の青い獣、マイト・ダイだ! よろしくぅ!!」

 

 しゅびッ―――と伸ばした腕で、親指を立てるダイ。畳間はははっと笑い、ダイを倣って親指を立て、その拳をコツンと合わせた。

 拳のぬめっとした感触に、不思議と不快感は抱かなかった。

 

 

「へえ、俺と同い年なのか」

 

 千手畳間と言えば、里の人間で知らない者はそういない。それは初代火影の孫と言う意味合いが強かったが、ダイもまたいろいろな噂の発信源である畳間を知っていた。特に最近では下忍昇格試験での火影邸襲撃が伝説となっている。

 色々な意味で畳間に興味を持っていたダイからの頼みで、畳間は組手を行ったものの、忍術は使えず、体術も畳間の圧勝。扉間やサクモ、カガミなどと組手を行うことが多い畳間にとって、正直言うと手ごたえは無かったが、悔しがる様子も無く、己の修行をさらに増やさねばとダイは自分を激励した。さらに聞けば、才能が無いという理由で忍者養成施設へ入ることも出来ないという。不味いところを聞いてしまったかと焦った畳間だったが、ダイは施設に入れないなら自分で体を鍛えればいいと胸を張るだけ。

 そんなダイに、畳間は言い知れぬ想いを抱く。それは自分が持ちえない凄まじいポジティブさへの憧れか、それとも腐ることのない気高さへの羨望か。ただ畳間は、こいつは面白い奴だなと、暑苦しさの中に揺れる爽やかさと気高さに惹かれた。畳間の周囲にダイのような人間がいなかったと言うことも一因だった。

 しかし妹である綱手は違う。畳間がダイとは別の方向で微妙に暑苦しい奴だと知っている。なんともいえない微妙な気分で、2人の交友を見守っていたのであった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。