綱手の兄貴は転生者   作:ポルポル

129 / 156
第四次忍界大戦編
三忍


 かぐや君麻呂の中で、最も鮮明に残っている古い記憶は、暖かな毛布とスープを差し出してくれた女性の、柔らかな微笑みである。

 それよりも前の記憶は、あまり無い。あっても、血と泥で濁り霞んだ―――思い出したくも無い記憶である。

 

 暖かな温もりに包まれ、抑えこんでいた肉体的・精神的な疲労が弾け出し微睡の中へ落ちた君麻呂は、気づけば火の国の領土に足を踏み入れていた。

 自分の手を引いて見知らぬ土地を歩く女性に、「どこへ行くのか」と尋ねた君麻呂には、恐怖などの感情は無く、着いて歩くことへの戸惑いも無い。

 一族は―――君麻呂が人並みに愛した家族は―――闘争という下らぬ本能に敗北し、君麻呂を残して滅んだ。愚かな一族への憐憫はあれど、もはや未練はなく、故郷への愛着も無い。すべてが『どうでもいい』と、目に映る世界のすべてを灰色に変えた君麻呂に、再び暖色を与えたこの女性がどこへ向かおうとしているのか―――君麻呂は、ただ純粋に気になった。

 

 もしも―――その女性が人身売買の商人のような存在だったとしても、あるいは己の血のみを求めた犯罪者であったとしても、君麻呂はそれを粛々と受け入れただろう。

 

 それほどにすべてがどうでもよかった。それほどに、縋りつきたい温もりであった。人は、どれほど劣悪な条件を付きつけられたとしても―――孤独には、勝てない。一度は全てを失い、そして期せずして与えられた温もり。その時の君麻呂にとってその女性は、君麻呂の心の『すべて』であったのである。

 

 移動の最中―――『ノノウ』と君麻呂に名乗った女性は、ずっと、孤独の恐怖に震える君麻呂の手を握り、温もりを分け与え続けた。君麻呂自身が気づけていないその震えを指摘せず、ただ優しく手をつなぎ続けたのである。それがどれほどの安らぎを君麻呂の心に与えたか―――。

 やがて辿り着いた『木ノ葉隠れの里』で、『ノノウ』は君麻呂の母となり、君麻呂はノノウの息子となった。新しい姉ができ、新しい兄ができ、新しい弟妹ができ、新しい父母ができた。同じような境遇の子供たちは、君麻呂に隔意を持たず、新たな兄弟を心からの笑顔で迎え入れた。

 水の国出身である君麻呂には、霧隠れ解放軍の保護を受け、同郷の子供たちと共に育つという選択肢も後に与えられたが―――君麻呂はそれを、二つ返事で断った。

 

 ―――木ノ葉での生活は、心の底から、幸せだった。

 

 木ノ葉にいれば、君麻呂は『君麻呂』でいられる。

 もしも多くの霧隠れの子供たちのいる解放軍で保護されてしまえば、君麻呂は『かぐや一族の君麻呂』としてしか、生きることが出来なくなる。

 君麻呂は自分の闘争本能と血を疎んでいるが、霧隠れの者達からすれば、君麻呂は『かぐや一族の生き残り』以外の何物でもない。それも、霧隠れの里を内乱に導き、水の国を荒れた国に変貌させた、元凶中の元凶の一族、その末裔だ。向けられる悪意は、どれほどのものか、想像に難くない。霧隠れ解放軍へ参入したとして、果たして今以上の幸福があるとは、とてもではないが思えなかった。君麻呂にとって戦火に晒される故郷などもはやどうでもよく、ノノウと共にいることこそが、生きる意味で在り、幸せだったのだ。それがどれほど不義理だったとしても、君麻呂にとっての一番は、この里にあった。

 

 そんな君麻呂が、ある日火影邸に乗り込んだ(・・・・・・・・・)のは、義父として敬愛していた畳間が、ノノウを『哀しませている』ということに気づいたからである。カブトの制止も聞かず、君麻呂は、「敵は火影邸にあり」と、駆けだした。

 

 その当時の畳間は、「お? ナルトかな?」と、騒がしい来訪者に気づいて書類から手を離して肩を回し、いつものセリフ(・・・・・・)を言うべく準備をしていた。

 が、執務室に駆けこんで来たのは全くの別人。しかも、一番そういうことをやりそうにない(・・・・・・・)子であったので、その困惑は一入であった。

 ただ遊びに来たのならば畳間も喜んで受け入れただろうが、何やら怒っている様子。聞いてみればノノウを苛めたとのこと。

 

 「いつの話だ」と畳間はさらに困惑した。

 ノノウとしての彼女は完璧なマザーだが、『歩きの巫女』としての彼女は割と破天荒で、子供たちを守り救うためならば、畳間以上に何でもやった。畳間が木ノ葉の―――自分の権力が届く限りでやりたい放題するならば、ノノウはバレなければいいと、余所の国でも好き放題にやった。どのような手段でも構わない―――その言質を以て。

 

 『歩きの巫女』の掟破りは、割と日常茶飯事である。心当たりが多すぎたのだ。もっとも、君麻呂が言っているのは、そう言うことでは無かったのだが。

 

 ―――ぼくと決闘しろ。

 

 これを聞いた護衛の暗部は、すわ内乱かと速やかに君麻呂を取り押さえ拘束する―――などは別にしなかった。

 むしろ、「なんだまた孤児院の子か。今日はナルトじゃないんだな」程度の認識である。それで良いのか暗部と、たまたま通りかかったカカシは、暗部に呆れた評価を下し―――素通りした。

 

「君麻呂。お前がここに来るなんて、珍しいじゃないか」

 

 どうした?、と笑顔で迎え入れた畳間に鋭利な骨の伸びた腕を突きつけて、君麻呂は言った。

 

 ―――ぼくが勝ったらマザーと結婚して。

 

 よく分からない要求に小首を傾げた畳間だったが、それはそれとして、若干心を閉ざし気味であった君麻呂が本気でぶつかってきているということもあって、畳間はその戦いを受け入れた。

 当然、君麻呂が敵う訳もなく、稽古という形で、君麻呂は畳間に可愛がられた(・・・・・・)

 疲れ果てて動けなくなったころ、話を聞いて駆け付けた『マザー』に回収された君麻呂は、孤児院に連れ帰られ、事情聴取を受けることとなる。

 

 ベッドに腰かける君麻呂の正面に座り、「どうしてこんなことをしたのか」と尋ねたノノウに、君麻呂は一言、謝った。それは何に対しての謝罪なのかを、ノノウが更に問えば、君麻呂は言った。

 

 ―――義母さん(・・・・)と畳間さんを、結婚させてあげられなかったから……。

 

 ぴたりと、ノノウの動きが止まる。どういう意味かと、ノノウが訊ねた。

 

「義母さん、畳間さんのこと、好きでしょ? 見てれば、分かるよ」

 

 みるみるうちに頬が紅潮するノノウだったが、そういうのは本人たちの問題だしアカリさんがいるから、と君麻呂を窘め、そして、そんなこと(・・・・・)のために力を揮ったことを、叱った。

 

「私の……私達(・・)の、可愛い君麻呂。あなたは、才能に恵まれた強い子よ。だからこそ、その力の使い方を間違ってはダメ。私を慕ってくれるのは、とても嬉しいけど……、その力の使い方は、間違ってる。あなたの力は、火影様に―――里の家族に向けるものでは、ありません」

 

「でも、ぼくの一族は―――」

 

 君麻呂の一族は、『里の家族』に力を揮うことを良しとし、多くの家族を惨殺し、そして、滅んだ。

 君麻呂にとって力とは、『揮う』ものなのである。

 ノノウは哀し気に目を伏せて、その小さな手をぎゅっと、握りしめた。

 

「君麻呂。一族は、関係ありません。見てみなさい、この里を。たくさんの一族の、たくさんの方がいる。だけど……誰一人、『一族』に縛られてなんていないでしょう? あなたは、『あなた』なの。かぐや一族がそうだったからと言って、あなたがそうで在る必要なんて、ないのです」

 

「でも……」

 

「君麻呂。あなたは、一族の様に、在りたいの?」

 

「そんなことない」

 

 だったら、とノノウは、君麻呂の両頬を包み込むように、優しく触れた。

 

「木ノ葉隠れの里の、君麻呂。あなたは、優しく生きて(・・・・・・)良いのよ」

 

 君麻呂が、体を強張らせ、目を丸くする。

 眠る闘争本能。血塗られた血脈。

 

 物静かな子だと思っていた。兄弟同士、修業相手として求められた際には乗り気だが、それは戦いが好きだからだと思っていた。そういう子は、孤児院にも少なくない。君麻呂も、そういう男の子なのだと、ノノウたちは思っていた。

 だが、そうではなかった。君麻呂は戦い以外に、伝えるすべ(・・・・・)を、関わる手段を、持たない―――ただ、それだけだったのだ。

 ああ、これがこの子の―――と、君麻呂の中にあった蟠りに遂に辿り着いたノノウは、ぎゅっと、その小さな細い体を抱きしめる。

 

「君麻呂。一緒に、お花を育てましょう。鳥を愛でましょう。もっともっと、たくさんお話をしましょう。もっともっとたくさんの―――『愛』に、一緒に触れましょう。きっとその中に、あなたなりの、新しいあなた(・・・・・・)の、『在り方』があるはずよ」

 

「……新しい、ぼく?」

 

 ノノウが何を言わんとしているのか、それを理解できていない君麻呂は、小さく小首を傾げた。

 今はまだそれでもいいと、ノノウは優しく微笑みかける。

 

「ええ。そして、いつかその意味(・・・・)に気づいて、道に迷いそうになったら……火影様(お義父さん)の背中を、見つめなさい。すべてを真似る必要なんてないけど……というか、真似ないで欲しいけど……きっと、あなたの『()を示し(・・・)導いてくれる(・・・・・・)はずだから」

 

「……」

 

 難しそうに黙り込んだ君麻呂から少し体を話し、再び頭を優しく撫でるノノウは、優しく目元を緩ませて言った。

 

「……君麻呂は、孤児院の兄弟は、好き?」

 

「……好き。特に、重吾は良く話しかけてくれるから」

 

「そう。他には?」

 

「……香憐は、明るくて好き」

 

「うん」

 

「カブトさんは、頼りがいがあって好き」

 

「うん」

 

「喧しい五人組は、面白いから好き」

 

「……うん?」

 

「ナルトは……馬鹿だから好き」

 

「……う、うん」

 

「兄ちゃん兄ちゃんって……素っ気なくしても、付きまとってくるんだ。鬱陶しいけど……なんか、温かい」

 

「やんちゃだもんね、ナルトは」

 

「うん。危なっかしい」

 

「……ふふ。そっか。じゃあ、守ってあげなきゃね。お兄ちゃん(・・・・・)?」

 

「え?」

 

「お兄ちゃん、でしょ? 孤児院の子たちはみんな、家族だもの。君麻呂はみんなの弟で、お兄ちゃんなの。……君麻呂。あなたが『暖かい』って思うものはきっと、もう、私だけじゃない(・・・・・・・)はずだよ」

 

「……」

 

木ノ葉の家(うち)の子たちはみんなやんちゃだから……、君麻呂が、守ってあげて」

 

「……うん。守るよ。ぼくがみんなを守る。お義母さんのことも、ぼくが守るよ」

 

「ふふ、ありがとう。……ねえ、君麻呂。私、思うの。あなたの一族は、力の使い方を間違えてしまったけど……きっとあなたは、そのため(・・・・)に―――強い力を持って生まれて、この里に、やって来たんだよ」

 

 その時のノノウの笑顔を―――自らに与えられ、心に差し込んだ『新たなる使命()』を、君麻呂は生涯、忘れない。

 

 ―――我が骨、舎利に成ろうとも。家族を守る、(ガイ)と在る。

 

 今代における忍界最強と謳われた五代目火影の敗北。

 

 ―――知らない。

 

 木ノ葉隠れの里の滅亡。うちは、日向という木ノ葉隠れの二大一族の壊滅。

 

 ―――知らない。

 

 どれほどの困難が待とうとも、君麻呂には関係ない。ただ、己が使命を果たす。

 

 ―――兄ちゃんは、弟を守るものだ。ただ、その一心で、君麻呂はマダラに牙を向く。

 

「―――返してもらうぞ。弟の九尾(いのち)

 

 突如として骨から姿を現した君麻呂の急接近を、しかしマダラの輪廻眼は正確に捉えていた。

 凄まじい力で繰り出されたマダラの膝蹴りは、飛び込んできた君麻呂の腹部へ正確に吸い込まれ―――骨の鎧に阻まれる。

 

「……硬いな」

 

 マダラはそうは言いながら、しかしその渾身の蹴りは君麻呂の骨の鎧を容易く粉砕し、その衝撃を肉体へと浸透させた。

 

「ぐっ―――ッ」

 

 君麻呂は血反吐を吐き出したが、しかしその勢いに一切の怯み無し。君麻呂は歯を喰いしばり、血に濡れた口元をきつく結ぶ。そしてマダラの懐へと、手を伸ばした。

 

「ジャリが……」

 

 マダラは突き刺した膝蹴りに合わせるように、肘を君麻呂の背中に叩き込んだ。内臓が弾け飛ぶ音とともに、君麻呂は痛みで目を見開いた。その口が僅かに開き、夥しい量の血液が逆流する。

 

「こいつ―――」

 

 それでも、君麻呂は一切怯まなかった。その手は確かに、マダラの懐にある石に触れたのだ。

 

「―――なに?」

 

 マダラは後方へ飛び下がろうとするが―――突如として現れた土の壁に背中を押し返されて、君麻呂の指先から逃れる(すべ)を失った。

 

「もう一人の―――仙人か」

 

 マダラが鬱陶し気に言った瞬間―――君麻呂の指先から、肉を突き破って骨が飛び出し、小さな石を絡め取った。そして、急激に収縮。九尾が封じられた石は骨に絡め取られ、君麻呂の掌へと引き寄せられ、その体内へと収納された。

 君麻呂は痛みに耐えながら、目的の達成に内心で歓喜し―――。

 

「―――あまり、調子に乗るな」

 

「―――ガッ」

 

 ―――マダラの放った拳によって、頬を殴りつけられた。凄まじい力と、衝撃。顔を覆っていた骨の外装は容易に砕き割られ、その頬は歪に形を変えて、歯は何本も吹き飛び、夥しい量の血液が噴き出した。

 君麻呂の身体は夜の森の木々をなぎ倒し、闇の中へと消える。

 

「……」

 

 マダラは己の背を押し返す土の壁を砕き割ると、君麻呂が消えた夜闇の方へと、視線を向ける。

 

「……驚いたな。手を抜いたつもりは無かったが……。オレから九尾を掠め取るとは。その耐久性……賞賛に値する。―――いいぞ。このうちはマダラが、貴様の相手をしてやろう」

 

 マダラは楽しそうに笑っている。九尾を奪われたというのに、である。

 それは、いつでも取り返せるという余裕であり、また面白いオモチャを見つけたという喜びの笑みでもあった。

 

「―――重吾!!」

 

 君麻呂の叫びが響く。

 

「……それは、つまらんぞ」

 

 一転。マダラの表情が曇った。

 暗闇の中、マダラの両目に映る二つのチャクラが、君麻呂の叫びを合図に、逃亡へと転じたのである。引き際を弁えているというべきだろうが、マダラにとっては不愉快極まりないことであった。

 人の夕飯を邪魔し、一夜の仮家を壊し、所有物(ペット)を窃盗する―――そんな所業が、許されるはずが無い。

 

 ―――木遁・樹界降誕。

 

 君麻呂たちが逃げる方角の地面から、突如として巨大な樹木の壁が出現し、行く手を阻む。

 君麻呂は死骨脈を以て木々の壁を穿ち抜け出そうとする。しかし破壊した傍から、木々は次々に現れた。

 

「―――時間切れだ」

 

 そして、その停滞の時間は、マダラが追い付くには十分過ぎる時間だった。

 すぐ背後にまで迫ったマダラに、君麻呂と重吾は、悔し気に顔を顰める。

 二人は分かっていたのだ。自分たちでは、うちはマダラには決して勝つことが出来ないことを。

 それでも―――君麻呂は決めた。弟が九尾を抜き取られ、死に瀕した姿を見た時に。例え勝てないとしても。弟の命だけは、取り戻す。

 アカリとナルトが心配で戻った君麻呂は、九尾を抜かれ瀕死の状態となったナルトを見て、アカリが止めるのも聞かず、マダラの下へと駆けだした。

 しばらくして、君麻呂の離脱に気づいた重吾が君麻呂を追い、君麻呂を止めようとしたが―――重吾には、定期的にアカリのチャクラによる病気の鎮静化か、あるいはシスイが開発した薬の服薬が必要となる。君麻呂に追いついた時点でその発作が起きた重吾を見て、君麻呂は一度、足止めを余儀なくされた。 

 そして服薬した重吾の症状が沈静化し、マダラの追跡を再開した。重吾は言ってきかない君麻呂に着いて行き、動物たちにマダラの痕跡を聞くと嘘をついて(・・・・)、君麻呂とマダラが接近しないように巧妙に誘導していた。重吾は迷っていたのだ。ナルトは大事だが、君麻呂も大事だ。このまま無駄死にさせるような真似はしたくないと、その足取りは重かった。

 が―――森のざわめきの中、その発生源へと向かった重吾は、それ(・・)を目の当たりにした。息を引き取った我愛羅。そして我愛羅を、必死に蘇生させようとしている老婆の姿。森の動物たちに事の顛末を聞いて、重吾は覚悟を決めた。

 もはや、一人の命(・・・・)に拘っている場合では無い。ナルトの生死も、同様だ。事は、忍界すべて―――世界の未来を左右する事態であることを、理解したのである。

 たとえ自分たちが命を落とそうとも。九尾という最強の尾獣の奪還は、必ず成し遂げなければならない。そう、悟ったのである。ゆえに重吾は己のチャクラを分け与え―――しかし一刻の猶予も無いと、君麻呂と共に、マダラを追って、本気の追跡を開始した。

 

「君麻呂、行け」

 

 機動力は、君麻呂の方が高い。重吾は君麻呂に、囮役はオレが行くと、言外に伝えた。

 君麻呂は目を見開いて、しかし悔し気に俯くと、一言、口にした。

 

「……ぼくも、すぐに逝く」

 

「来なくていい」

 

 駆け出した君麻呂を守るように立つ重吾は、己の仙術チャクラを解き放ち、その体を異形へと変貌させながら、うちはマダラの前へと立ち塞がった。

 去って行く君麻呂へマダラは視線を送り―――その両目にチャクラを込める。

 

「逃がすと思うか?」

 

 ―――万象天引。それは対象者を引き寄せる、神羅天征と対を為す、輪廻眼の力だ。この術に捉えられれば、まず間違いなく逃げることは出来ない。ゆえに―――。

 

「―――なに?」

 

 ―――重吾は己の身体を君麻呂とマダラの間に割り込ませ、自らの身体を以て、その術を受け止めた。

 

「なぜ術の発動が分かった? ……いや、仙術チャクラか。木ノ葉はいったい、何人の仙人を囲っている? まあ、いい。こいつを殺し、すぐに九尾を―――」

 

「おおおおおおおおおおおおお!!」

 

 引き寄せられる重吾は、その力を利用して自らの力を高め、全力の一撃をマダラへと振りかぶった。

 

「大振りだな」

 

 重吾の一撃を、マダラは容易に避ける。

 そしてマダラは、すれ違いざまに掌から伸ばした黒棒をその腹に突き刺した。

 

「素質は高いが……経験がまるでない(・・・・・・・・)。これでは、素人の動きと変わらん、なッ!!」

 

 そして―――マダラは重吾の腹に黒棒を突き刺した掌の指を熊手状に曲げ、腕を捻った。重吾の重い体はマダラの腕の動きに従い、地面へと勢いよく叩きつけられる。

 

「―――カ」

 

「―――さて」

 

 背中を襲った激しい痛みに、重吾は声も出ない様子である。

 マダラはそんな重吾を気にも留めず、暗闇へと蔑むような視線を向けた。

 

おかえり(・・・・)

 

 暗闇の中に浮かび上がったのは―――宙に浮きながらマダラへと近づいて来る君麻呂の姿だった。

 

「なに、が……」

 

 四肢を押さえつけられているかのように、君麻呂の身体は動かなかった。

 自由を奪われ、口から血を流しながら、君麻呂が、戸惑いの声を漏らす。

 

 ―――輪廻眼。

 その瞳術。輪墓・辺獄。

 異空間に出現したマダラの分身が、逃げた君麻呂をあっさりと捕まえて、連れ戻した。ただそれだけの―――無情な現実である。

 

「さて、返してもらおうか? オレの九尾を」

 

「……これは、オレの弟の命だ」 

 

「仮にそうだったとしても、既に死んでいると思うが?」

 

「……だとしても、だ」

 

「そうか。素直に渡したほうが、苦しまずに済むと思うが……」

 

 少し高めに、鼻で笑うような、マダラの声。

 

「ではな」

 

 腕から黒棒を出現させたマダラが、君麻呂へと近づいて行き―――雷の一閃が、暗闇を照らした。

 大きな衝撃音。木々が薙ぎ倒される音。

 閃光が過ぎ去った時、君麻呂の前にマダラの姿は無く、褐色肌の大柄の男が、目の前に立っていた。

 

「……え? あっ」

 

 宙に浮いていた君麻呂が、どさりとその場に落ちる。君麻呂を拘束していた何かが、消えたようだった。 

 君麻呂はすぐさま立ち上がり、重吾の傍に駆け寄った。

 

「それは、触らない方が良い……」

 

 君麻呂は重吾を縫い付けている黒棒に触れようとしたが、息も絶え絶えの重吾本人に、それを止められる。

 

「……分かった」

 

 君麻呂は鋭利な骨を飛ばし、遠隔で黒棒を圧し折った。そして、骨を地面から生やして重吾を持ち上げて、体を貫く黒棒から重吾の身体を解放する。

 

「―――貴様ら、何者だ」

 

 そんな君麻呂に声を掛けたのは、月の光に照らし出された、隻腕の大男だった。

 その男は、二人を厳めしい表情で見下ろしている。その隣に、凛々しい顔つきの女性が舞い降りた。君麻呂はその女性を、一度だけ見たことがあった。

 

「―――雷影様。この子たち、火影様の所の子ですよ」

 

 ―――二位ユギト。雲隠れの里の、二尾の人柱力。かつて木ノ葉隠れの里で、ビーと共に人質として暮らしていた女性だった。

 そしてユギトの言葉が正しければ―――今、マダラを轢き飛ばしたのは、雲隠れの里の雷影。

 

 雷影はその強面に訝し気な表情を浮かべて、ユギトへと視線を向ける。

 

「火影の? ということは、例の孤児院のか? 何故雷の国の領内に……おい、説明しろ!! ……チィ」

 

 雷影が振り向いて、怒声を飛ばした。しかし雷影の視線の先には誰もおらず、雷影は苛立たし気に舌打ちをする。

 

「遅いぞ!! 木ノ葉の(・・・・)!! 」

 

 再度発せられた怒声。今度は暗闇の中から数名の人影が、焦りとも、恐怖ともつかない表情を浮かべながら、息を荒げて駆け寄って来た。

 

「雷影様、速すぎますって……。って、お前ら、孤児院の―――。なんでこんなとこにいんだよ!!」

 

 駆けつけたのは、不知火ゲンマ、並足ライドウ、たたみイワシ―――いずれも、木ノ葉隠れの里の忍びである。

 三名はシカクが見繕った使者であり、この数日間の間隙に、雲隠れとの接触を終わらせていたのである。雷影は木ノ葉からの使者より報を受け、ほぼ同時に雷の国境付近に駐屯させていた忍者達からの連絡が途絶えたことで、直々に調査に乗り出していたのである。

 

 ―――本来ならば。雲隠れと木ノ葉隠れの里が接触する時間は、在りえなかった(・・・・・・・)。それは、大陸間の移動を一瞬で可能とする時空間忍術の使い手が、マダラ側にいたからである。木ノ葉から(一尾)へ、(一尾)から(二尾)へ。そして、霧隠れ(三尾)へ。

 本来ならば。その工程は、一日で完遂されていたはずだった。砂隠れも、雲隠れも、単独でうちはマダラに対抗する(すべ)はない。

 そして、五代目火影が言った「霧のカカシと合流しろ」という言葉から、霧隠れが既に解放され、木ノ葉の同盟国へと返り咲いたと、その明晰な頭脳で導き出したシカクの先導で落ち延びた木ノ葉隠れの里の者達が、霧隠れの里へ辿り着くよりも遥かに速く、マダラは霧隠れの里に到達したはずだ。

 そうなれば、畳間にチャクラのほとんどを譲り渡した三尾は為すすべなく敗北し、カカシを始めとした、霧隠れに存在する木ノ葉の残存勢力もまた、虐殺されていただろう。

 

 だが、そうはならなかった。木ノ葉隠れの里は雲隠れと接触し、少しだけだが、迎撃の体勢を整えることが出来た。

 それはなぜか―――。

 

 ―――うちはオビト。

 忍界からは仮面の男と呼ばれる、時空間忍術を使い、四代目火影を間接的に殺害した、うちはマダラの駒の一つ。

 それが封じられていたからこそ、為された接触。

 うちはマダラの動きを緩慢化させ、木ノ葉と雲が接触するまでの『時』を、稼いだ者がいた。誰に知られることなく―――木ノ葉隠れの里のために、そして忍界の未来のために、命を賭した者がいた。

 

 その者の名は―――。

 

 

 

 

 

 

 ―――その日、その男は定期報告のための巻物を呑み込ませた白い蛇(・・・)を、岩山の奥で解き放っていた。

 

 洞窟の中の、さらに奥。積み重なった岩の隙間の中を器用に潜り込み、その白い体を見えなくさせた愛蛇を見送って、その男は振り返る。

 振り返った先には、黒い生地に赤い雲の刺繍が施された外套を纏う二つの人影が、立っていた。

 敵意を滲ませる人影に、その男は最初からその存在に気づいていたかのように、落ち着いた様子を見せている。

 男は蛇のような鋭い瞳と、裂けたような広い口元を緩めた。

 

「こんなところまで、よく来たわね。いらっしゃい。どうかしたのかしら?」

 

 その男はねっとりとしたしゃがれ声で、楽しそうに笑った。

 輪廻眼を持つ赤い髪の男―――長門は、刺すような鋭い、しかしどこか懇願のような色が混ざった視線を、男へと向けている。

 その隣に立つ仮面の男―――オビトの表情は、窺い知れない。

 

 男はふふ、と気にした様子も無く、楽し気に笑った。

 長門が一歩、前に出る。そして、その男の名を、口にした。

 

「―――大蛇丸(・・・)

 

「なにかしらァ?」

 

 べろりと、長い舌を見せてみる男―――大蛇丸は、恐らく狙って煽っている。揶揄っている、と言っても良いかもしれない。

 だが、大蛇丸は分かっている。

 彼らがここを訪れた理由と、そしてこれから自分に訪れる結末を。それらを察知してなお、彼は余裕を崩さない。

 

「ねぇ、リーダー」

 

 大蛇丸は素知らぬ顔で―――心の底から嬉しいと、心配していたとばかりに、猫なで声で、長門へと語り掛け始めた。

 

「あなた、外を歩けるほど回復したのね? 私も治療してあげた甲斐があるわ。どうかしら? 外の世界は」

 

 かつて長門は、外道魔像と呼ばれる異形の物体に体を接続し続けなければ死んでしまうほどに、その体が消耗していた。

 五代目火影抹殺のための戦力を求めていたゼツは、これ以上の人材確保は見込めないと悟り、現存戦力の強化へとその方向性を変えたのである。

 そして、大蛇丸は凄腕の忍者であると同時に、不老不死と死者蘇生の研究・人体実験を旨とする科学者でもあった。ゼツは大蛇丸の、その研究内容と人体改造の腕を買い、長門と柱間細胞の適合手術を依頼したのである。

 大蛇丸が暁に加入してから、大蛇丸の活躍は著しいものであった。何度か木ノ葉隠れの里の妨害を受けはしたが、しかし大蛇丸は木ノ葉隠れの里が敷く分厚い情報網をよくすり抜け、多くの任務を遂行させては、暁に多大な利益を齎したのである。千手畳間―――木ノ葉隠れの里に、多大な損害を与えたことも、数回ある。

 

 そして、ゼツにとって最も決定的だったのは、『口寄せ・穢土転生の術』を、大蛇丸がゼツに横流しすることを、快諾したのである。当然、見返りは求められた。ゼツは多少の柱間細胞を融通することで、穢土転生の術を手に入れたのである。

 

 ガイ達が戦っていたのは、ゼツとオビトが用意した、対畳間用の精神攻撃の切り札であった。

 もともとは老いたうちはマダラが、畳間を闇に落とすため、コツコツと畳間の周囲の人間のチャクラを白ゼツに集めさせ、保存しておいた『似姿』であった。

 

 ゼツはそれを生贄として、本人たちを呼び出したのだ。

 勝手をすれば、マダラに叱責されるかもしれない。

 ゼツもそう考えたが、しかし単なる『似姿』を『本人』へと変えたとあれば、却ってその効力は絶大になる。マダラも納得するだろう。

 そう考えて、ゼツは計画を実行に移した。

 

 ―――その穢土転生の術式が、千手扉間の開発した『死人の力を大きく下げる』という効果を、さらに強くした紛い物だということに、気づかずに。

 

 そして―――数々の実績を基に、ゼツは大蛇丸を信頼し、長門の身体を、預ける決断を下した。

 大蛇丸は、ゼツの信頼に正しく応えた(・・・・・・)

 長門と柱間細胞の適合手術は、見事に成功したのだ。

 大蛇丸はその功績を以て、一躍、暁のリーダーである長門の懐刀となり、同時に、ゼツの信頼を勝ち取ったのである。

 そして、もはや死ぬまで満足に動けないと考えていた長門は、再び自らの足で立ち上がる機会をくれた大蛇丸に、深い感謝を抱いているのである。

 しかし今、そんな長門は、鋭い視線を、大蛇丸に向けている。

 

「……大蛇丸」

 

「なにかしら?」

 

 長門の声には、悲嘆と困惑、戸惑い―――哀しみの色が、強く顕れている。

 しかし大蛇丸はそんなことを気にした様子も無く、薄ら笑いを浮かべて、長門を見つめていた。

 長門は重々しく、口を開く。

 

「……木ノ葉崩しのために潜ませていたスパイが炙り出され、始末された」

 

「あら。質の悪いスパイだったのねぇ」

 

 大蛇丸は、愉快そうに笑った。

 

「これは、今回だけの話ではない。以前から、何度かあったことだ」

 

「なら、もっと慎重に、質の良いスパイを育てるべきだったわねぇ? 木ノ葉もだいぶ温くなったけど、その情報システムは、ダンゾウの時代から、強かなものだった。並みのスパイでは、それを潜り抜けるなんて、無理な話よ。それに……うちはと日向を、そう簡単に欺けるとは思わない方が良いわねぇ。なんなら、私が育ててあげましょうか? スパイ(・・・)

 

「……どの口で」

 

 オビトが苛立たし気に、大蛇丸を見つめている。

 長門は殺気立つオビトを手で制し、大蛇丸へと口を開く。

 

「……確かに、木ノ葉の防衛システムは並ではない。オレも、そう思っていた(・・・・・・・)

 

 長門がさらに一歩、前に出た。

 

「大蛇丸。オレは以前から……いや、最初から、暁の構成員を小南以外信じてはいない。どこから情報が漏れているのか―――全員が、疑念の対象だった。多大な恩のあるお前も、それは例外ではない」

 

「あら、警戒心が強いのね。私は充分な信頼を勝ち取ったと、思っていたけど」

 

「これは……目的のために、リーダーとしての責務として、行っていたことだ。お前のことは、信頼していた(・・・・・・)

 

でしょうねぇ(・・・・・・)

 

 大蛇丸が、楽し気に笑った。

 長門が、苦しみを吐き出すように、続けた。

 

「……大蛇丸。オレは少しずつ、皆に与える情報をずらし(・・・)ながら、どの情報が誰から洩れているのか、その出所を探っていたんだ。そして、今回の情報は、お前と鬼鮫にしか、渡していない。そして鬼鮫には、裏切らない理由(・・・・・・・)がある。……その意味が分かるな? ―――大蛇丸。お前が……お前こそが(・・・)、木ノ葉の、防衛システム(・・・・・・)だ」

 

 言い切った長門は、怒りと、そして哀しみを滲ませている。

 しかし大蛇丸はその蛇のような瞳を妖艶に細めて、小さく笑った。

 

「……そうであって、欲しくはなかった。お前は、オレに、希望をくれた。自らの手で、オレ達(弥彦)の夢を叶える機会をくれた」

 

 誰も信じてはいなかった。そう言ったにしては、長門の言葉には、感情が多大に入り込んでいる。大蛇丸という、自らに再び立ち上がる足をくれた恩人へ、酷く感情移入しているようであった。

 純粋な子ね、と大蛇丸が笑う。

 そんな二人に焦れたのか、オビトが前に出て、大蛇丸を糾弾するように、鋭い言葉を突きつける。

 

「大蛇丸。いい加減、惚けるのは止めにしろ。証拠は、すでに掴んだ。 ―――貴様は、裏切り者だ」

 

 ばさりと、オビトが床に放りだしたのは、大蛇丸の暗躍の証拠―――暁への妨害工作を行ったという、証拠の数々。

 それにはさすがに大蛇丸も驚いて、目を丸くした。

 

「……さすがは、時空間忍術(・・・・・)の使い手というところかしら。この私が、ここまで証拠を握られるなんてねぇ……。ヘマをしたつもりは一切無いんだけど……」

 

 大蛇丸はそう言って、楽しそうに笑った。

 

「私、やっぱり時空間忍術の使い手(・・・・・・・・・)って、あまり好きじゃないわ」

 

「好かれたいとも思わない。長門、覚悟を決めろ。大蛇丸は―――ここで、粛清する。木ノ葉との戦いの邪魔だ。こいつは危険すぎる。ここで殺さねば、対木ノ葉の大きな障害になる。暁の内情を知られ過ぎたということもあるが……、こいつの存在自体が、生かしておくには危険すぎる」

 

「……ああ。分かっている。……だが、大蛇丸。最期に聞かせてくれないか。お前の―――」

 

「―――長門」

 

 長門が何かを尋ねようとするのを遮って、大蛇丸が楽しげに笑った。

 

「私が木ノ葉に通じているとも気づかず、おめおめと情報を流し続けてくれたあなたの姿―――お笑いだったわ」

 

 大蛇丸が長門と、そしてオビトを見下すように、心の底から楽しそうに笑った。

 狡猾な蛇そのものと言っても良い姿に、長門は静かに覚悟を決める。

 

「……死ぬがよい、大蛇丸。お前を、粛清する」

 

 長門のチャクラが、可視化できるほどに膨れ上がるのを見て、大蛇丸は目を細めた。

 

「……さすがに、うずまき一族の血を引くだけあるわね。そのチャクラ量……少し、妬けちゃうわね」

 

 静かに構えを取った大蛇丸は、内心で諦念を抱いた。

 大蛇丸は本当に、暁に自分の動きを知られるようなヘマをした記憶は無い。大蛇丸の高度な警戒を掻い潜り、その尻尾を掴んだ―――オビトが、大蛇丸を一歩上回った。だからこその、『時空間忍術』。あらゆる忍術の頂点に位置する、反則技。

 

 この逃げ場のない場所で囲まれることは、大蛇丸にとって、正直なところ、計算外だった。口寄せである猿飛ヒルゼンは、大蛇丸の本拠地にて、『最も大切な二つの駒』の警護について貰っている。呼び出すことは難しかった。

 

 だが、それでも良かった(・・・・・・・・)

 このまま自分がここで死に、それを機に木ノ葉が攻め込み、『暁』が陥落すれば―――それで、大蛇丸の役割は終わり(・・・)だ。

 

 残された『二つの駒』とヒルゼンは世の流れを見届けたのち、自らの意志で秘密裏に天へと還る。大蛇丸という木ノ葉の抜け忍は、この戦争で討ち取られたとして、木ノ葉はすべての憂いを絶ち、完璧な国へと昇り詰める。もしも木ノ葉が敗北しても―――柱間細胞によって限界まで強化された『二つの駒』が起動する。どちらに転んでも―――。

 

 ―――大蛇丸の役割はもう、終わっていたのだ。

 

「……長かったわ。……本当に」

 

 大蛇丸は懐かしむように、目を細めた。

 

 

 

 

 

 

 ―――始まりは、砂隠れの里へ、『根の長』たる大蛇丸直々に、偵察のために出向いたときのことだった。

 九尾により木ノ葉が陥落し、四代目火影が死亡したという報を受け取った時、大蛇丸が抱いたのは、怒りだった。

 

 ―――自分を押しのけて四代目の座に座っておいて、そんなに簡単に死ぬのか。

 

 だが、好都合だとも、思った。

 もともと、いつかは里を抜けようと思っていたところだった。

 大蛇丸の『夢』である『不老不死』と『死者蘇生』の研究―――人体実験をするには、木ノ葉隠れの里は窮屈だった。

 根の―――というより、大蛇丸の私的な調査で『殺してもよさそう』な人間をリストアップし、人体実験の材料にしていたことは事実だし、そのことはミナトには気づかれ、指摘されていた。実験に使った人材が、殺しても問題ない(・・・・・・・・)者だったから、ミナトは畳間には告げず、自分の中でそれを留めていたが―――大蛇丸は潮時だとも、思っていたのだ。

 木ノ葉隠れの里では、大蛇丸の夢は叶わない。

 

 ―――もう一度、猿飛先生と。最初から、里を創り直す。猿飛先生と自分の、理想の里を。猿飛先生は隠居し、自分が影として君臨する、理想の里を、創るのだ。

 

 大蛇丸は確かに、猿飛ヒルゼンの喪失により変わり―――狂った。

 人は変わるものなのだ。よくも、悪くも。

 

 そして、木ノ葉陥落の報告を持ってきた根の諜報員に化けた(・・・)者達を殺し、ついでに里を抜けることを決めた大蛇丸は、その辺の『殺しても良さそうな』人間を拉致し、穢土転生の材料として、さっそく禁じられていた三代目火影の呼び出しを試みたのである。

 そして大蛇丸は、見事にそれを成功させた。

 呼び出されたヒルゼンは、大蛇丸を見て、最初にこう言った。

 

「……そこまで、か」

 

 死者を呼び出さねばならぬほど、木ノ葉が切羽詰まった状態に陥ったのだと、勝手に解釈したらしかった。

 大蛇丸は「違いますよ」と否定し、笑った。

 

「戦争は、木ノ葉の勝利で終わりましたよ」

 

 大蛇丸の言葉に、ヒルゼンは訝し気に眉を上げた。

 

「では、何故ワシを? それに、ここはどこじゃ。木ノ葉では……ないのか?」

 

 薄汚れた洞窟の中に築かれた、研究室を見て、困惑気味に問うヒルゼンに、大蛇丸はあっけらかんと言った。

 

「ちょっと、先生に会いたくて」

 

 絶句。ヒルゼンは口を大きく開けて、大蛇丸を見つめた。穢土転生の発動には、人一人の命を捧げなければならない。ヒルゼンに会いたい。ただそれだけの理由で、大蛇丸は人一人殺して見せたのだ。驚きもする。

 大蛇丸はそんな師の顔が面白くて、口を大きく開けて笑った。 

 

「……お主、狂っとるのか?」

 

「愛弟子にそんな言い方、あんまりじゃないですか? 猿飛先生?」

 

「愛弟子だからこそじゃろうが!!」

 

 そう怒って返したヒルゼンに、大蛇丸は試すような、冷たい視線を向けた。

 

「……では何故。私を、四代目に推薦してくれなかったの」

 

「……。……こうなっては、仕方あるまい」

 

 大蛇丸の、迷子の子供のような、泣き出しそうな声音。ヒルゼンを責めるようでいて、どこか赦しを乞うような口調。

 

 ヒルゼンは疲れた様に溜息をついて、肩を落とした。

 本来ならば畳間の様に自分で気づいて貰いたかったが―――もはや、その段階は過ぎ去ってしまったようだった。

 畳間にとってのアカリが、大蛇丸にはいなかった。

 いや本当はいたのだ―――ヒルゼンは自来也こそがそうだと思っていたが、違う。猿飛ヒルゼンが、そうだった。

 その事実に、ヒルゼンが気づいていなかっただけで。

 

 ヒルゼンは滾々と語り始めた。大蛇丸の子供の頃からの性癖や、思想、言動。

 火影とは何か、どうあるべきか。

 大蛇丸の『意思』と、ヒルゼンでは無く(・・・・・・・・)、『木ノ葉隠れの里』が求める『火影』という器の在り方の相違。

 

「そういうわけで、火影たるワシがお前を推薦するわけにはいかんかった。ワシがお前の師であるだけ(・・)だったなら、他を押しのけてでも、お前を推しただろう。それだけ……お前のことは、可愛く思っていた。……だがな、大蛇丸。ワシは初代様、二代目様より託された『火影』を、正しく次代へ託さねばならん立場にあったんじゃ。……大蛇丸。お前が悪いという訳では無い。ただ、木ノ葉が求める火影像(忍び耐える者)と、お前の目指す火影像(忍術を扱う者)には、あまりに大きな差異があった。適性の問題……ただ、それだけじゃった……」

 

 次々に語られる自身の話に、大蛇丸は戸惑った。

 なんでそんなことまで知っているのか、なんでそんなことまで覚えているのか。そう言いたくなるほど、些細なことすらも、ヒルゼンは並び立てて見せたからだ。

 

 火影なんてものは、もうどうでもよかった。

 何故ヒルゼンが、そんな―――初めて会った時のことから、自分のことを何から何まで、そんなに詳しく語れるのかが、気になって堪らなかった。

 そして大蛇丸は耐えきれず「何故」、と問うて、ヒルゼンは訝し気に、何を当たり前のことをと言わんばかりに、大蛇丸を見つめた。

 

「昔、言ったと思ったが……? お前のことは、息子の様に思っとる(・・・・・・・・・)。それは、死んでも変わらん(・・・・・・・・)。息子の成長記録は、忘れんよ」

 

 ヒルゼンは、火影という責務により多忙で、また偉大な先人から受け継いだものを守るという使命を胸に自覚なく仕事人間で―――実の息子との折り合いが、あまり良いとは言えなかった。

 ゆえにヒルゼンは、大蛇丸に対して、家族というよりは自身の後継者としてだが、厚く心を寄せ、可愛がった。もしかするとそれも、息子の機嫌を悪くする原因だったかもしれないが。

 

 ―――やはり、あの子は天才だ。……だがなァ、なんといっていいのか、『だからこその危険』というものもあるだろう?

 

 かつて、畳間がヒルゼンに言った、何気ない言葉。

 幼くして戦争で両親を失い、力に傾倒し始めた大蛇丸。天才がゆえに、望めば望むだけ、力も、忍術も手に入った大蛇丸に、最も必要だったのは―――()、であった。

 当時の畳間はまだ気づいていなかったが―――自分もまたそうであるがゆえに、感覚で、無自覚に口にした畳間の言葉を、ヒルゼンはきちんと拾い上げて、大蛇丸に伝えていたのである。

 そしてかつて撒かれた種は、今―――芽吹く。

 

 ―――おかしいのぉ。畳間の奴に促されたときに、きちんと言ったと思ったが……。確かあれはワシが火影に就任してすぐの時だったかの……? 自来也が口寄せに失敗して里からいなくなって……。あれはいつだったか……不味い……。寄る年波に……敗ける……。

 

 などとヒルゼンは続けているが、大蛇丸の耳には、もう、そんな言葉は入っては来なかった。

 

「……では」

 

 俯いた大蛇丸は、震える拳を握りしめて、ヒルゼンへと問いかける。

 

「私がミナトに劣ると考えたから、火影に推さなかったのではない、と? 私がミナトより弱い(・・)から……、時空間忍術を扱えないから四代目にはふさわしくない―――そう判断したのではない、と?」

 

「そのような優劣の話をしたことは無かったはずじゃが……?」

 

「……答えてください」

 

「……? 戦えば……お前は、ミナトにも負けぬはずだ。何故ならお前には、ワシのすべてを、叩き込んだからのぉ」

 

 ほほほ、と愉快気に笑うヒルゼンの満面の笑み。

 

 ―――決め手だった。

 

 このクソ爺―――と、大蛇丸の中の、何かが解け落ちる。

 それから、大蛇丸はまた少し、変わった(・・・・)

 ヒルゼンと協力し、戦後の動乱を生きる木ノ葉隠れの里を守るために、暗躍し始めたのである。

 霧隠れの大名に圧力をかけ、雲隠れの大名に牽制を入れ―――同時に、ヒルゼンを生き返らせるために、外道にも手を染めた。

 木ノ葉には、戻るつもりもないし、戻ることは出来ない。大蛇丸は確かに木ノ葉のために動いたが、同時にそれはどこまで言っても、自分のため(・・・・・)であったのだ。

 この年だ。もはや、完全には変われない。猿飛ヒルゼンが火影として推せるだけの精神性を手に入れるには、大蛇丸は闇に浸り過ぎた。それを、大蛇丸は自覚している。

 

 ヒルゼンは黙って、大蛇丸に寄り添った。生前、苦しむ愛弟子に気づかず、出来なかったことを、してあげるように。口では悪ぶって、実際外道に手を染めながら―――それでも、故郷のために必死に戦う、愚かで可愛い、己の弟子を、見守った。

 

 ―――そんなある日、自来也が大蛇丸を殺しに来た。

 

 大蛇丸はそれを察知し、敢えて迎え打った。自分の生存と存在をちらつかせ、木ノ葉に危機感を抱かせ、ぬるま湯に浸らせぬために。

 

 ―――自来也との戦いの折、大蛇丸が自分で言ったように、大蛇丸は本当のことしか(・・・・・・・)、口にしていなかったのである。

 それは、大蛇丸なりの、精一杯の甘え(・・)だった。信じて貰えるはずがなく、信じて貰いたいとも思わない。だが、知っていて欲しかった。

 自来也。大蛇丸の、最も親しい友に。自分の心の内を。純粋で誠実な―――自来也にだけは、大蛇丸は嘘を吐きたくなかったのだ。

 

 ―――大根役者に三文芝居……こうもヘタクソな見世物では、思わず笑ってしまうというものよ。

 

 これも、本心からの言葉だった。

 あんまり酷いことを色々と、次々に口にする自来也に、拗ねていたという側面もある。

 ヒルゼンが、大蛇丸に操られている(・・・・・・)(てい)で、一生懸命に演技しながら、自来也に自分の想いを伝えようとしている様が、あまりに滑稽で、大蛇丸は失笑してしまったのである。

 それが自来也の逆鱗に触れてしまったが―――是非も無し。

 

 そして、ヒルゼンが穢土転生体にしてはかなりの強さを持っていたのは―――術式の強化に成功しては、ヒルゼンの穢土転生を解除し、そして再び蘇生するという行為を繰り返し、徐々にスペックを上げていたからである。

 そのたびに生贄が犠牲になったが―――大蛇丸はそんなことはどうでもよかった。大事なのは、師と共に在ることだ。ヒルゼンは、大蛇丸が言っても聞かないので、せめて抜け忍などの犯罪者にしろと念を押して、諦めた。

 

 ―――大蛇丸は確かに、狂っているのだ。ただそこに師の愛が、注ぎ込まれているだけで。

 

 

 

 

 

 

「死ね、大蛇丸」

 

 オビトが、長門が、大蛇丸へと襲い掛かって来る。

 

 ―――さようなら。

 

 大蛇丸は小さく誰かの名(・・・・)を呼ぶと―――壮絶な笑みを浮かべて、叫んだ。

 

「―――(しのび)の世のため! 木ノ葉のため!! ―――木ノ葉隠れの里、『三忍(・・)』が一人、大蛇丸!! ―――参る!!」

 

 そして―――影に生きた忍びがまた一人、闇の中へと、消えた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。