綱手の兄貴は転生者   作:ポルポル

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英雄は遅れてやって来る

 砂隠れ滅亡から少し時を遡って、雨隠れの里。

 雨隠れの里は、火、土、風の三大国に囲まれた小国に存在する隠れ里である。戦時下において、自国の領土を踏み荒らされたくない大国によって、雨隠れを有する小国の土地が戦場として間借りされることも多く、雨隠れの里の者を含め、その小国の民は理不尽な戦火に晒されてきた。

 第三次忍界大戦において、砂と岩の連合軍を相手に、三代目火影が戦死した戦いは、この雨隠れの里を有する小国の領土内であった。それだけでも、いかに小国が、大国が起こした戦争の煽りを受けていたかが分かるだろう。

 中立を維持しようにも、大国から掛けられる圧は強大なもの。小国のほとんどは火の国か、連合か、どちらかに与することを強いられた。

 そんな中、雨隠れの里が中立を維持できたのは、ひとえにハンゾウという手練れが、雨隠れの長を担っていたからだった。

 ハンゾウという忍者は、第一次忍界大戦を知る古豪である。その実力は、自来也、綱手、大蛇丸と、木ノ葉隠れの里・三代目火影の弟子であり、その後継者と見込まれ、また後にそれぞれ異なる分野で名を馳せることとなる若き俊英たちを相手に、余力を残し勝利を収めることが出来るほどである。

 

 時代を経るにつれ、強さの平均値が下がっているとされる忍界において、第一次忍界大戦、あるいは戦国時代をも知る古強者(ハンゾウ)は、同世代でも突出した実力を誇った三忍をも寄せ付けず、忍界を見渡しても、頭一つ抜ける強さを誇った。

 しかしそんなハンゾウでも、大国の圧力のすべてを跳ねのけることは出来ず、妥協点として、小国内での戦争を許すに留まった。若かりし頃の自来也たちが雨隠れの里へ任務で赴いたのは、雨隠れの切り取りを、ダンゾウが命じたからである。

 しかし自来也たちは敗北し、雨隠れは現状維持を保ち、また火の国からの中立支持を勝ち取った。それはヒルゼンの決断である。愛弟子たちを殺さず、生きて木ノ葉へと帰ることを許したハンゾウへの、感謝と義理ゆえのものであった。

 当時―――風遁のスペシャリストとして雷影を抑えるべく前線に派遣されていたダンゾウに代わり、根の指揮を執っていたコハルとホムラ。彼ら二名は、甘い傾向のあるヒルゼンの政策と指標のバランスを取るべく、厳格を旨とするダンゾウの代役として、最初これに強く反発した。

 

 雨隠れは立地的に、必ず確保しなければならない場所である。敵に奪われてしまえば、火の国の領土は目前となり、ダンゾウの率いる対雷防衛線に、風と土の接近を許すことになる。なんとしてでも、手に入れるべき要所であった。そして、当時の木ノ葉には、まだ動かせる戦力があった。

 綱手達でダメなら、今度はさらに上(・・・・)(チーム)を差し向けるべし、と。

 

 それは彼らなりの思いやりでもあった。

 だが、様々な事情が重なり、それは為されることは無く、第二次忍界大戦は終結した。

 

 雨隠れを守り切ったハンゾウ。彼は、その毒殺を主とする戦法に反して、平和主義者であった。小国に生まれ、小国の長となり、大国間の戦争により生まれた多くの犠牲、小国が被る理不尽を目の当たりにして、しかし大国を恨むのではなく、なんとか争いの無い世を創れないだろうかと、一人奮戦を続けて来た傑物である。

 しかし、戦争が続いた世であるから、小国である雨隠れの里であっても、好戦的な者は多かった。ハンゾウの政策は、雨隠れの同胞たちからすら『ぬるい』と評されるものであり、好戦的な者(報復を望む者)達からの理解は得られず、離反者も多く出たが、それでもハンゾウは『夢』を捨てることをしなかった。

 しかしハンゾウの努力も虚しく、第三次忍界大戦が勃発した。だがハンゾウは続いた戦渦の中でも、平和のために邁進した。

 

 そんなハンゾウが、ある日突然、死んだ。槍のような鋭利な枝で、体中を刺し貫かれ死亡しているところを、発見されたのである。

 

 ―――木遁。

 

 現代において、木遁を使える忍者は、ただ一人。

 大きな疑念が生まれた。

 

 その後、ハンゾウが殺されて少し後に起きた『木ノ葉隠れの決戦』を決定打として、四大国連合が壊滅し、第三次忍界大戦は終結した。

 雨隠れの里においては、多くの者が終戦を喜んだ。理不尽を押し付けて来た大国への報復を望む者は確かにいたが、しかし圧倒的な国力の差を想い知っている者達は、その怒りと憎しみを耐え忍び、新たな未来へ進むことを選んだ。

 雨隠れの里の者達は皆―――大国同士の戦いに挟まれ、理不尽な被害を受けることはもう無いのだと、濁流のような『今』の中から未来を見上げ、ようやく見えた新たな光へと手を伸ばしたのだ。平和という希望の到来に、誰もが打ち震えたのだ。

 

 が、ハンゾウという柱を失った雨隠れに、平和は訪れなかった。希望ある未来など初めから在りはしなかった。

 

 ―――痛みを知れ。

 

 ハンゾウという戦力、抑止力の喪失。ハンゾウという一本の柱のみで成り立っていた雨隠れの里は、法も秩序も知らぬ獣達から見れば、据え膳である。

 雨隠れの里の者達の瞳から、臨んだ光が消え失せるのに、さほど時間はかからなかった。

 身元不明(・・・・)の略奪者が、雨隠れに押し寄せたのである。雨隠れは小国で、孤児も多い貧相な国であったが、しかしハンゾウという強者が外敵から守り、蓄えていた資源は多い。それを狙ってのことだったのだろう。しかし、真実(・・)を知る者は少ない。

 

 弱者はすべてを奪われる。略奪と暴力が支配する地獄へと、雨隠れの里は変貌した。

 当時、自警団であったある組織(・・・・)は、その正体不明の侵略者と必死に戦ったが―――数の暴力を前に、多くの犠牲者が生まれた。

 

 雨隠れの上層部は最初、大国に助けを求めた。火の国に、岩の国に、雷の国に、救援を求めた。しかし、里を出た使者は誰一人として、吉報を持ち帰ることは無かった。

 

 火の国を含む五大国は、皆おしなべて疲弊している。戦争で疲弊した自分たちの国の復興が第一である。小国などに構っている余裕など、在るはずが無かったのだ。

 そして大国達は、ある程度自国が復興すれば、今度は戦争の再発防止のための条約締結や、外交・貿易による更なる発展を求めた。

 大国は自分たちの利益のためだけに動き続けたのだ。

 

 ―――使者は、出した。そして、里に帰って来ている(・・・・・・・)

 

 助けを求めた。雨隠れの里の状況を、大国は知っている(・・・・・)。それでもなお雨隠れが救われないというのなら。

 答えは明白だ。大国は切り捨てたのだ。雨隠れの里を。

 

 ―――痛みを知れ。

 

 大戦中、利用するだけ利用して、痛めつけるだけ痛めつけて、戦争が終われば素知らぬ振りか。

 もとはと言えば、大国が自分たちの利益のためだけに始めた戦争だった。大国に巻き込まれ、地獄に叩き落された者達の苦しみなど、鑑みることも無い。

 戦争で疲弊した弱小国。ハンゾウという里最強の忍者の暗殺。すべては―――仕組まれていたのだ。

 見れば分かるだろう。火の国は、見る見るうちに豊かさを取り戻し、どんどんと国力を増している。戦争で減った人材以外に、不足するものは既に無い。比例して、雨隠れの里は搾り取られ、やせ細った。

 そして―――ある男(・・・)を里内で見たという、上層部の一人(・・・・・・)の発言が、決定的だった。

 少し遅れて、その男は「自分に化けている者がいる」という声明を各里長へと送ったが―――雨隠れの里に、それが届くことは無かった。

 徹底的に包囲された雨隠れの里へは、あらゆる情報が、出入りすることは無い(・・・・・・・・・・)。閉じられた蟲毒。

 

 ―――ペインという()は、そんな地獄の中で生まれた。

 

 痛みには痛みを。理不尽には報復を。弱者には救済を。驕る獣には裁きを。

 

 日々を怯えて暮らす民衆の前に、突如として現れたその男は、伝説に謳われる瞳を以て、雨隠れに巣食っていた闇を瞬く間に掃った。地獄のような環境にあった雨隠れの里を救った。

 

 ―――面白いほど、呆気なく。

 

 ペインと名乗る者の快進撃は、まさに痛快の一言。その武勇伝は、雨隠れの者達を魅了した。

 

 正体不明の英雄。傍に付き従う美しい人。話題性には、事欠かない。

 

 

 ペイン。

 それは、正体不明ながら里を救った英雄の名。皆がすべからく愛し敬うべしと称えた、『救世主』の名であった。

 

 そんなペインを排除し、『天使』と敬われていた小南を殺した木ノ葉隠れの里の者に従う者などいるものか。

 自来也より『暁』の壊滅と、ペインの逃走、小南の死、そして木ノ葉隠れによる雨隠れの占領を伝えられた雨隠れの民衆は、老人から子供まで、激しく嘆き、そして深い憤怒を抱いた。

 

 ―――痛みを知れ。

 

 民衆たちは、なりふり構わず自来也とシスイを殺しに掛かって来た。ようやく手に入れた平和を踏みにじる害悪へ裁きを。

 ただ奪われたことへの怒り。自暴自棄。もはや、第三次忍界大戦終結当時、未来のために耐え忍んだ者達の心は失われた。未来は再び、奪われたのだ。取り戻すことはもはや叶わない。ならば―――命を以て、報復を(・・・)

 

 ―――畳の兄さんが危惧していたのはこれか……。

 

 自来也は第三次忍界大戦当時、畳間が影たちを殺さずに済ませた理由を目の当たりにした気がした。

 あの戦争(第三次忍界大戦)は、その規模があまりに肥大化しすぎていたのだ。

 憎しみも、哀しみも。

 殺し、殺され、奪い、奪われる。

 人々はあまりに長い年月を、戦争という獣と共に生きてしまった。

 報復することが、戦うという選択が、当然のことになってしまっていた。

 どこかで誰かが踏み留まらなければ、決して終わらぬ地獄と化す―――そんな、瀬戸際にまで来てしまっていた。今の時代が、あと数手で平和へと辿り着けるか否かの転換期であるならば、第三次忍界大戦終結前後はまさに、残り数手で決まる、恒久的な地獄への分水嶺。

 だが、木ノ葉隠れの里は、踏みとどまった。岩も、砂も、霧も、雲も、木ノ葉無くしては、その選択を取ることは出来なかっただろう。だが、木ノ葉は違った。

 

 ―――何故木ノ葉隠れの里だけが例外となり、踏み留まるという選択を下せたのか。

 

 それは一度、消えかけた光だった。

 戦争というあまりに巨大な獣に踏みにじられ、憎しみという濁流に押し流されそうになったものだった。蝋燭の火の様に、吹けば消える程度にまで、縮小させられたものだった。

  

 ―――何故、木ノ葉隠れの里だけが例外と成り得たのか。

 

 掻き消される寸前の(火の意志)。それを、守り続けた者がいたからだ。

 

 ―――火の影は里を照らし、また木ノ葉は芽吹く。

 

 初代火影、二代目火影より受け継がれた火の意志。二代目火影の下で共に未来を語り合った者達や、火の意志を宿し後に続くはずの者達すらも憎しみに染まり、報復を望むようになっていく中、ただ一人、火の意志を守り続けた者がいた。

 例え今は闇の中にいたとしても。いつか必ず、誰かがその『光』を見つけてくれるのだと、未来を信じた者がいた。

 それ(・・)を受け継いでくれる者は、必ず現れる。初代火影が信じた未来を、彼もまた信じ続けた。

 長としての責務を果たさなければならないとしても、それでも胸で燃えるその意志だけは、決して消さなかった者がいた。理解者が減り、孤独になろうとも、いつか来たる時を待ち、忍び耐える戦いを一人続けた者がいた。

 己の魂を篝とし、消えかけの火を胸に灯し、押し寄せる時代の濁流、あらゆる辛苦を耐え忍び―――受け継いだ火の意志()を守り切り、次代へ繋げ抜いた者がいた。

 

 彼が必死に守り続けた(・・・・・・・・)芽は、火の影に照らされ、新たな木ノ葉を芽吹かせた。

 正しく受け継がれた炎は、新たな薪を得て―――激しく燃え上がり、失われかけた『夢の先』への道を照らし出したのだ。

 

 ―――その者の名は、猿飛ヒルゼン(三代目火影)

 木ノ葉を次代へと繋げた、『中興の祖』としてアカデミーにて語られる、三人目の火影。

 

 里を創設した初代、里の者達にとっての当たり前(里の礎)を創った二代目火影と比べれば、三代目の功績は、皆の目には数段落ちて見えるだろう。

 九尾から里を守った四代目、弱った里を外敵から守り切った五代目火影と比べれば、三代目の功績は、皆の目にはとても地味なものに映るだろう。

 

 だが、自来也は知っている。

 三代目火影は木ノ葉隠れの里にとって最も大切なものを―――『耐え忍ぶという選択肢(火の意志)』を残してくれた。三代目が居なければ、木ノ葉もまた他の里と同じように、報復以外に、選べる道は無かった。

 あの時。砂・岩隠れ撤退戦のタイミングでうちはアカリが死んでいれば、千手畳間(五代目火影)は、きっと―――。

 

 ―――火影とは皆の前を歩き、道を示す者のことを指す。

 

 ―――守るとはすなわち、教え、導くことを指す。

 

 五代目火影を構築する価値観には確かに、それ(・・)があった。言葉にはしなくとも、三代目火影は後に続く者のために、その在り方を示し続けた。

 

 ―――里を慕い、貴様を信じる者達を守れ。

 

 大変だったことだろう。自ら破滅(報復)の道へ進もうとする者達を守ることは。

 苦しかったことだろう。道なき道どころではない、屍に埋め潰された道を切り開くのは。

 

 だが―――もはや知る者のいなくなった二代目火影の最期の言葉を、猿飛ヒルゼンは遂にやり遂げた。自らの死に様すらも、次代への教えとして。 

 平和への願い―――言葉も届かない(聞く耳も持って貰えない)状態の中、ヒルゼンはずっと、語ることなく、その在り方を以て、皆へと示し続けていた。そしてそれは、若き俊英『波風ミナト』を通して、畳間を含め、多くの人へと伝播した。

 

 ―――三代目火影とは。木ノ葉の者達にとって最も地味な火影であり、そして、自来也が最も尊敬する、英雄の名だ。

 

 だからこそ、自来也は大蛇丸を殺すことに固執しているのだ。

 偉大な英雄を黄泉から引きずり出して傀儡とし、その願いや思いすらも踏みにじっている大蛇丸を、自来也は許すことは出来ない。自来也にとって『三代目火影』猿飛ヒルゼンとは、畳間(兄貴分)以上に尊敬する、最も偉大な英雄だった。

 

 ―――しかし雨隠れの里に、三代目火影はいない。

 

 雨隠れの里は、ペインという正体不明の英雄を頂点に、下は皆平等という組織体制を取っていた。この里には、影がいない。敗北を受け入れ、これ以上の犠牲を出さないために、苦渋を呑んで木ノ葉の支配下に入るという決断を下せる、『頭』がいなかった。それが勝者の理屈だとしても、『民を守る長』として、少なくとも『今は忍び耐える』という決断を下せる者が、いなかったのである。

 

 憎しみに取りつかれた群衆は、損得を考えない。憎しみと怒りの感情のままに、暴れまわる。かつて畳間が大国の影を残したのは、徹底的な敗北を『頭』に叩き込み、群衆が暴れまわるリスクを消すためだった。

 しかし今、ペインという『頭』を失った群れは、かつて畳間が痛みと憎しみを呑み込んで踏みとどまらせた暴動を、目前としている。

 小国の民衆が暴動を起こしたところで、たいして被害は出ないだろう。自来也とシスイだけでも、皆殺しにする程度なら、容易いことだ。

 

 ―――が、シスイにそんなことをさせるわけには……。

 

 自来也だけならその選択肢も取れた。

 大蛇丸を―――かつての親友を討つと決めた時から、里のために汚泥を被る腹は括っている。だが、シスイはこれからの里を背負う者。千手とうちはの―――争いの歴史の終止符を打ったという、生きる証だ。美しい旗であって貰わなければならない。

 

 自来也はなんとか群衆を説得しようとした。

 『暁』という組織の実態や、木ノ葉の目的などを説明しようと、群衆に語り掛けた。が、敬愛していた『頭』を失った群衆たちは、聞く耳を持たなかった。

 小南と長門―――かつて自来也が教え育てた者達が心の底から民たちに慕われていたという事実は、確かに嬉しい限りのことであったが、しかし今はそれが大きすぎる障害である。

 捨て身で自来也とシスイを殺しに来る群衆たちを前に、自来也は逃げを選択した。こうなった以上、自分の手には余ると判断し、自来也はシスイを連れて身を潜め、畳間の帰還を待つことを決めた。

 

 五代目火影―――その名の影響力は大きい。

 畳間から改めて話しをすれば、何か変わるかもしれない。自来也はそう考えたのだ。

 だが―――万が一、畳間の到着を待たず、暴徒化した民衆が木ノ葉へ報復行動に出ようとしたのならば。その時は、自来也が責任を以て始末する。

 それを聞いたシスイは顔を曇らせたが、しかし、反論することは無かった。

 

 そうして隠れ潜み、一夜を過ごした自来也とシスイは、畳間を呼び出すべく連絡忍具にチャクラを込めたが―――畳間からの反応は無かった。最初の連絡から時間が経ち、その後何度呼び出しても、畳間が現れることはない。

 

 胸騒ぎがした。九尾事件の夜にも感じた、胸騒ぎが。

 よもや里で何かがあったのではないか、と廃屋の中、自来也から剣呑な気配が滲み出る。それからさらに半日が経った頃、雨隠れの里がにわかに騒がしくなった。

 

「騒がしいのォ……。……畳の兄さんが到着したか?」

 

 飛雷神の術で直接自来也の前に現れないことは疑問だが、と自来也は呟いた。そこには、違うだろうなという諦念と、合っていて欲しいという希望が滲んでいる。

 しかし、それを聞いたシスイは、険しい表情を浮かべ、首を振る。

 

「確かに木ノ葉の忍者のようですが、火影様ではありません」

 

 自分しかいないのに、父を律義に火影様呼びするシスイに、自来也は苦笑しつつ、しかし真面目な表情を湛えて振り返った。

 

「では、ガイとイタチが戻ったか?」

 

「いえ……。このチャクラは……。いの? シカマルとチョウジも……。何故ここに……」

 

 シスイが困惑気に呟き、自来也はその名を聞いて、訝し気に眉を上げた。

 

「その特徴的な名は、猪鹿蝶か。それも、若い方(・・・)。何をしに来た?」

 

 少なくとも、ここは若造が来るべき場所ではない。畳間が送り出したとは考えにくいと、自来也は内心で思う。

 

「……いや、それよりも、今は急いで合流した方が良さそうだのォ。誤って誰ぞ殺めなどすれば、もはや雨の暴動は抑えられん」

 

 逆も然りである。シスイの言葉が正しければ、今雨に来ているのは、猪鹿蝶の本家筋。誰か一人でも失えば、木ノ葉としても止まるのは難しくなる。猪鹿蝶の一族は、木ノ葉の防衛システムにおいて、非常に重要な立ち位置にある。その本家の死―――すなわち、未来の木ノ葉の防衛を担う人材の死から発生するだろう損失は、あまりに大きいものとなる。感情的にも、実益的にも、木ノ葉はかなり激しい報復措置を取らざるを得なくなる。

 そうなれば、ただでさえ難しいだろう関係修復は不可能。木ノ葉側から歩み寄ることも出来なくなる。

 

「……」

 

「行くぞ、シスイ」

 

「……」

 

「どうした?」

 

「……いえ、感じとれるチャクラが、妙に疲弊しているようなので」 

 

「群衆から逃げ回っとるんだろう。なおさら、速く行ってやらんと」

 

「そうですね。すみません、行きましょう。今雨にいるのは、五名です。先の三名と、油目シノ、犬塚キバ。階位的に、上忍であるシノが班長だと思われます」

 

「頭のキレからすれば、シカクの息子がリーダーだろうのォ。皆、一緒にいるのか?」

 

「はい。ただ、陽動をしているのか、犬塚キバが離れ気味です」

 

「犬塚、か。昔から好戦的な一族だからのォ。間違いを犯しかねん。急ぐとしよう」

 

 シスイと自来也が瞬身でその場から駆けだした。

 

 

 

 

 

「どうすんだよシカマル!! やっちまうか!?」

 

「殺すな!! 今、この里がどうなってるか分からねーが、全員忍者じゃねェんだ!! 国際問題になる!!」

 

「んなこと言ってる場合かよ!!」

 

「キバ、落ち着け。何故なら焦燥は必ず失敗を生ずるからだ。オレ達の実力的に、殺されることは無い。まずは自来也様の捜索を優先しろ」

 

「この状況でかよ!!」

 

「この状況でだ。何故なら、それがオレ達の受けた任務だからだ」

 

「シカマル、あんた影で縛れないの!?」

 

「この人数はきつい。いの、お前は止められねェのかよ」

 

「この人数はきついわ」

 

「知ってる」

 

「この状況でふざけてんじゃねーぞシカマル! いの!!」

 

「いや、過ぎなければ構わない。何故なら、談笑は精神的な余裕を生み、冷静な思考を保つ要因となるからだ」

 

「がーー!! わあったよ!! オレがわるーござんした!! だが、この雨だ! 匂いじゃ無理だぞ!!」

 

 民衆から逃げ惑いながら、五人が言葉を投げ合う。忍犬に乗っているキバが最も早く、だからこそ最後尾で威嚇をしながらの逃走と捜索を担っているわけだが、もともと荒っぽい性格がゆえに、難儀しているようである。

 

「……見つけたわ! 九時の方向! シスイ様のチャクラが近づいて来てる。間違いないわ!」

 

 山中一族は、一族単位で感知タイプの忍者を輩出する、木ノ葉隠れの里でも指折りの名家である。その本家筋たるいのは、一族の中でも殊更感知能力の素養が高く、またそれを伸ばすための修業も幼少期から行って来た。特に、かつての中忍試験にて、親友である春野サクラの戦いを見てからは、より真剣に修業に取り組むようになった。

 

 うずまきナルトと、うちはサスケ。同世代でも突出した天才二人と組み、先生方から目を掛けられていたサクラのことを、いのは『班員に恵まれたから』、程度に思っていた。

 侮辱するわけでもなく、ただ単に、アカデミー時代の春野サクラの実力からして、突出して見るべき才能は無いと思っていたからだ。頭脳だけで言えば、確かにいのよりも遥かに優秀だった。しかし体術はいの以下。さらに言えば、いのには感知能力という、唯一無二の武器があった。

 少なくとも、いのから見て―――春野サクラという少女には、同班の天才二名に比肩するほどの才能は、見当たらなかったのだ。

 

 しかしその評価は、数年ぶりに開かれた、合同中忍選抜試験の決勝を見て、一変する。

 予選のチーム戦において、『猪鹿蝶』として敗北したのはとても悔しいことであったが、しかしナルトとサスケ相手では仕方がないとも思った。シカマルもチョウジも、「まあナルトとサスケが相手じゃ、しょうがない」という評価であり、春野サクラは、オマケ程度の扱いだった。

 しかし中忍試験でのサクラの戦いを見て、いのからサクラへの評価は変わった。ただのオマケではない。立派なくノ一へ成長せんとする親友の姿に、奮起したのである。

 

 そして、サクラとはまた違う、支援者としての方向―――感知タイプとして大きく成長したいのには、雨など関係ない。チャクラを感じ分け、人を探すことが出来る。

 そして、いのの広い感知範囲にシスイと自来也が入った。いのが伝えれば、キバが「よっしゃ!!」と嬉し気に笑う。シカマルとシノは互いに目配りして頷き、少し遅れて、チョウジが言う。

 

「自来也様は?」

 

「いるわよ!!」

 

 五人は九時の方角へと方向転換。合流を目指し、走り出す。

 

 

 

 

 

 

 なんとか合流出来た二組は、いのとシスイの感知能力を以て民衆の攻撃を雨に紛れ、逃れながら、潜伏した。

 

「シスイ様!!」

 

 廃屋の中、いのがシスイに抱き着いた。

 「また始まったのか」と、僅かに眉を寄せたシスイは、いのを諫めようとその両肩に手を置いて―――掌を通して伝わってくる本物の震えに、動きを止める。

 自来也はそんな二人を、厳めしく見つめている。

 

「……何があった?」

 

 自来也が低い声で問う。

 

「オレから、話します」

 

 一歩前に出たのは、シカマルだった。

 自来也は頷き、先を促した。

 

「木ノ葉隠れの里が、壊滅しました。下手人はうちはマダラ。五代目火影様は戦死。残った戦力は、霧隠れにいるカカシ忍頭(にんとう)と合流するため、落ち延びました」

 

「―――」

 

「―――」

 

 絶句。

 シスイと自来也が、目を見開いた。

 何をバカなことを、そう言うことも出来なかった。

 シスイは、掌から伝わるいのの震えが激しさを増し、その理由を理解させられる。

 自来也は猪鹿蝶の一族が木ノ葉でどれほどの立場にあるか理解している。その本家筋が言った言葉だ。残念ながら、疑うことは出来なかった。

 だが、にわかには信じがたいことである。前日まで、二人は畳間と言葉を交わしていた。共に戦った。それが、一夜にして里は壊滅し、火影は死んだ。

 あの、四大国の連合すら打ち破った、火影が座す、難攻不落の里が、だ。

 悲痛な表情を隠そうとして、しかし震える体は言うことを聞かず、シカマルは何かに耐えるように、唇を噛みしめる。

 そして、耐え切れず俯いて、拳を強く握り、続けた。

 

「うずまきナルトが、撤退の殿(・・・・)を務め、うちはマダラと交戦。恐らく―――死亡したと思われます」

 

 自来也が、ふらついた。

 

「オレ達は五代目の参謀たる奈良シカクの命を受け、自来也様とシスイさんをお迎えにあがりました。至急、霧隠れの忍頭(しのびがしら)と合流していただきたい。シカクは言いました。五代目火影が破れた以上、四大国連合でも勝機は無い。忍界すべてを動員しなければ、マダラは倒せない、と」

 

 そしてシカマルは、己が役目を果たしたがゆえに、吐き出すように、言葉を続けた。

 

「オレは、何もできませんでした。五代目がやられたときも、ナルトが残ったときも……ッ! うちはマダラ―――奴は、強すぎる……っ。自来也様! 至急、御戻りを!!」

 

「……シカマルとやら、案内せい。詳しい話は、移動しながら聞く。行くぞ」

 

 自来也は低い声で、絞り出すように言った。

 疲れは、微塵も見せなかった。鋭い意思、壮絶な覚悟が、自来也の瞳に宿る。その身から滲み出る覇気は凄まじいの一言。

 シスイを含め、若者たちは皆、自来也という、五代目火影の弟分の、お調子者という仮面に秘められていた姿に、息を呑んだ。恐ろしさすら感じるが、それ以上に、頼もしいとも思った。

 動き出した自来也に、シカマルが続ける。

 

「道中の説明は、いのが山中一族の秘術を用いて、脳内に直接行います。シノとオレはこの後、岩隠れへ向かいます。岩隠れを頼れ―――五代目火影の、最期の言葉です」

 

「兄さんの……」

 

 岩隠れは、かつての戦争において、不可侵の条約を破り攻め込んできた仇敵であった。三代目火影を殺害したのも、岩隠れの三代目たる、両天秤のオオノキだ。今更かつての遺恨を掘り返すほど自来也も子供ではないが、しかし今の状況下、再び裏切らないという保証は無い。それだけ岩隠れの里は、条約の一方的な破棄という木ノ葉にとって最悪の所業を以て、信用を落としたのだ。

 自来也は、畳間がどのような最期を遂げたのか知らない。しかし、畳間がその最期に、岩隠れを頼れと告げたのならば、自来也は信じる。もしも岩隠れが再び木ノ葉の―――畳間の信頼を裏切るようなことがあれば。―――命を賭してでも、落とし前は付けさせる。

 黙っていたシスイが、一歩前に出た。

 

「……シカマル。オレも行こう。岩のオオノキ殿とは、面識がある。それにオレは、五代目火影の実子だ。信用にも足るだろう」

 

 シスイが静かに告げた。落ち着いたような表情だが、しかしその顔色は悪い。

 シスイは物事を冷静に捉え、基本的に自分を失うことをしない。同世代と比べても、一歩も二歩も先を行く精神性をしていると言って良い。しかし―――優しすぎる。

 本来ならば冷徹さに拍車をかけ、二代目火影に勝るとも劣らない鉄の意志を会得していただろう未来は、友人たちの尽力によって遅らされている。

 

 ―――年相応。

 両親たちから尊ばれ喜ばれた、シスイが会得した情緒の豊かさは、今は弱点となる。長所と弱所は表裏一体。平和の中では大切なそれは、戦時下に置いて足枷になる。

 

「それは……。正直、ありがたいです」

 

「助かります」

 

 シスイの実力は、シカマルも知っている。

 シノとシカマルの二人で岩へ向かうことを決めたのはシカマルだが、心細さはあった。

 シノとシカマルは、素直にそれを喜んだ。

 

「……大丈夫か?」

 

 自来也がシスイに問いかける。

 親を亡くしたと聞かされたシスイの胸中を想い、無理はするなと言外に伝える自来也に、シスイは小さく笑った。

 

「大丈夫です。オレは、忍者ですから」

 

「……無理はするな」

 

 自来也が小さく念を押す。

 シスイは、兄貴分の形見となった。そして、この動乱を乗り越えた先で、木ノ葉を支える支柱の一人でもある。

 

「……自来也様も」

 

 自来也が畳間を慕っていたことは、シスイも知るところだ。畳間はシスイの父だが、シスイが生まれる前から、自来也と畳間は兄弟分だった。

 その付き合いは自来也の方が遥かに長い。

 自来也はシスイの言葉に、知らず余裕をなくしていたことに気づき、瞬きをした。

 そして、豪快に笑う。

 

「小僧が生意気言うんじゃないのォ!! ワシを誰と心得る!! 北に南に西東! 斉天敵わぬ三仙の 白髪童子蝦蟇使い!! 自来也様たァ!! ワシのことよ!!」

 

 自来也はがははと笑い、シスイの頭を強く撫でる。

 ほっと、皆の肩から力が抜ける。

 

 ―――そうだ。兄さんはこういうときはいつも、馬鹿をして皆を和ませていた。

 

 里を落とされ、五代目火影の死を目の当たりにしたシカマルたちは、伝え聞き、未だ実感が湧ききっていないシスイと自来也よりも長く、そして鮮烈に、絶望を抱いているはずだ。

 年長者たる自分が余裕を持ち、皆の負担を背負ってやれないでどうする―――自来也は自省し、暖かな雰囲気を纏った。

 

「しかし! いのというたか。昔、遠目で観たことはあるが、いや、美人になったのォ!! お―――」

 

 ―――っぱいも大きくなって。

 

「自来也様。やり過ぎです。歳を考えてください」

 

 自来也が言い切る前に、シスイが横槍を入れる。

 自来也の意図は察しているシスイだが、和ませるにしても、やり方があるだろうということである。50代の大男が、うら若き乙女にかけていい言葉ではない。セクハラどころの話ではないのだ。信用も地に落ちる所業。今そうなっては非常に不味い。

 

「……ははは。すまん……」

 

「頼みますよ……」

 

 自来也も、本調子とは程遠いということだろう。

 抜けているところがあるが―――だからこそ、自来也の意図を組むがゆえに、自来也の啖呵を聞いてなお心が強張っていたシスイの肩の力すらも、抜けさせた。

 畳間以上のムードメーカー。自然に人を和ませ、惹きつけるその性質が、役に立った。

 自来也はシスイに咎められたという事実に対しては、恥ずかしそうに頬を掻きながら、しかし少しだけ、自分の性分を誇らしく思った。

 

 ―――しかし、よく似ておるのォ。そのうえでシスイと良い仲とは……兄さんもまた、難儀な縁を……。

 

 成長した、いのの姿を見て―――自来也は一人、懐かしさに目を細めた。

 そして自来也は、シカマルを見て、口を開く。

 

「しかし、ガイとイタチはどこへ……。木ノ葉に、ガイとイタチは戻っておらんのだろう?」

 

「ええ。ガイ先生とイタチさんは、見掛けて居ません。道中も……一緒では無いのですか?」

 

 シカマルの問いに、自来也は頷いた。

 

「イタチは、仮面の男を追って離れたガイを追った。イタチとガイが合流次第、畳の兄さんが向かう予定だったが……。イタチがガイと合流出来ていたなら、迎えが来ないことを不審に思い、すぐにワシ等のもとへ戻るはずだのォ。それが今もなお戻らんということは……あちらでもなにか、起きておるはずだ」

 

「……ガイ先生と、イタチさんは里でも有数の実力者です。……なんとしても、帰還してもらわねェと……」

 

 困ったように俯いたシカマルに、自来也は考え込むように顎に手を当てた。

 

「これ以上部隊を分けるのはマズいのォ。岩へは状況を知るシカマルと、顔パスが出来るシスイは必須。何が起きておるか分らんガイ達の捜索に、中忍を向かわせるわけにも……。ワシが行くというのは……無理か」

 

「ええ。九尾事件の英雄である自来也様の存在は、木ノ葉の者達にとって、希望になります。今後の方針を速やかに決定するにも、自来也様の発言力は必要と思われます」

 

「カカシじゃ纏めきれんか?」

 

 自来也の言葉に、シカマルは困ったように眉を寄せた。出来ないというには、憚られる問いである。

 

「……正直、分かりません。オレはカカシ先生や、上層部をあまり知りませんから。申し訳ありません……」

 

「いや、そらそうだのォ。聞いたワシが悪い。すまんかった」

 

「自来也様」

 

 がしがしと頭を掻く自来也に、シスイが言う。

 

「どう転ぶかは分かりませんが―――いえ、必ず成功させますが、岩隠れの軍勢の案内は、シカマルに任せます。岩隠れでの任務が終わった後、シカマルと別れ、オレが単身でガイさんたちを探します。シカマル、負担は増えるが頼む」

 

「オレもいますよ」

 

「……そうだ。シノも、頼むぞ」

 

 忘れてたなこいつ―――自来也は目を細め、呆れた様にシスイを見つめた。

 

 

 

 

 

 ―――小国の辺境。雨隠れの合流から、さらに時を遡った、夜明け前。

 

「―――木ノ葉剛力旋風!!」

 

 マイト・ガイが放った空中旋風蹴りが、襲撃者の身体を引き裂いた。

 上下に泣き別れた、襲撃者の肉体。上半身が吹き飛ばされ、下半身は地面を転がった。

 

「―――木ノ葉猛攻襲撃!!」

 

 着地したガイが振り向きざまに振るったヌンチャクは、背後からの襲撃者の首をへし折った。そしてその回転の勢いを利用して回し蹴りを放ち、襲撃者の身体を蹴り飛ばす。

 

 

「はぁはァ……」

 

 ガイは、肩で大きく息をする。服に滲んだ染み、額から流れる大粒の汗。ガイはそれらを気にする余裕もなく、周囲に気配を向ける。

 

「切りが無い……」

 

 ガイが先ほど蹴り殺した襲撃者の上半身の裂け目に塵が集まり(・・・・・)、下半身が宙へと溶けるように分解されていく。

 ガイが先ほど殴り、蹴り飛ばした者が立ち上がり、そのへし折れた首が、ゆっくりと元の形に戻っていく。

 

「まずいな……」

 

 ―――四方。左を見ても、右を見ても、前を見ても後ろを見ても、そこには敵の姿があった。

 ガイを中心に、円状に展開された陣形。一人一人の力は弱くとも、不死身(・・・)の兵隊の相手をするには―――忍術を、封印術を使えないガイには、あまりに相性が悪すぎる。

 

「―――」

 

 仮面の男がガイを誘い出したのは、このためだった。

 ガイは歯噛みする。圧倒的なその物理攻撃力は―――お化け(・・・)には、通じなかったのだ。

 

 もう、何時間も戦っている。撤退しようとすれば、どこからともなく仮面の男が現れて、ガイの動きを牽制した。

 体力を削り、確実にガイを殺そうとする、強い意思を感じる。

 

 ガイは思う。

 それほどまでに自分の存在が疎ましいということは―――すなわち、生きて帰らなければならない『何か』があるということに他ならない。

 

 撤退すら封じられたガイは、無数の忍者に囲まれながら―――救援を信じ、待ち続けていた。

 だが、ガイが撤退を選ばなかったのは、邪魔されていたということだけが理由ではない。その気になれば、仮面の男の追撃を逃れ、雨隠れにいる自来也たちの下へ戻ることは可能だった。

 だが、そうできない―――したくない理由が、そこ(・・)にあった。

 

「―――サクモさん……」

 

 ガイは眉根を寄せ、悼むように、少し離れた場所でガイを見つめる、一人の男に視線を向けた。そして、唇を噛みしめる。

 ひび割れた肌。黒い眼光。かつて自分たちを逃がすために散ったはずの親友の父が、変わり果てた姿で佇んでいる。

 

 ―――穢土転生。

 

 山中いのに似た女性。秋道チョウジに似た男性。シカマルに、シノに、キバに、ネジに、ガイの知る木ノ葉の子供たちの面影がどこかに見える、男性女性が、無言で佇んでいる。

 

 ガイが知らない顔、ガイが知っている顔。男女入り乱れた、忍者の軍勢。ただ寄せ集められた忍者達では無いだろう。皆が皆、木ノ葉の額当てをしている。

 だがこの軍勢は、ガイの心を抉るために集められたものではない。その共通点を―――ガイは察していた。

 

 ―――すなわち、五代目火影・千手畳間との、生前の縁。

 

 救援は、求めている。だが、畳間にだけは、来てほしくなかった。だからガイは一人、ここに残り戦っている。イタチ、自来也、シスイ―――誰でも良い。五代目火影以外で、封印術を扱える者の、助けを待っていた。

 

 この光景は、畳間に見せるにはあまりにも―――むご過ぎる。

 

 ゆえに孤独の戦いを続けるガイは、しかしその体力も限界に近い。

 七門を開けて戦い始め、どれほど経ったかもわからない。もとより八門遁甲は、短期決戦のための禁術だ。長時間の戦闘には、適さない。

 

 体力的にもきついが、なにより精神的にも、辛かった。

 

 

 

 

 ―――激化する戦い。飛び散る鮮血と、響き渡る怒号。

 

 『木ノ葉隠れの決戦』。その前哨戦となった、撤退戦のことを、ガイは鮮明に覚えている。

 九尾の解放に気づいた畳間が里に戻り、はたけサクモは、死地に残ることを選んだ。

 そして、戦いが始まった。

 血に塗れ、地に伏していく戦友を。負傷し死を待つだけとなった仲間たちを、サクモは助けることはせず、ひたすらにその牙を振るい続けた。

 「オレもすぐに逝くから」と歯を喰いしばり、己が役目を全うすることを選んだ。ここを退けば、あとは無いと分かっていたからだ。

 

 当時若かったガイも、カカシと共に懸命に戦った。しかし、最終的に千を越えた連合軍の猛攻を前に、残る木ノ葉の忍者は、そう時間を置かずして、二桁を切った。

 

 ここを死地と定めたカカシとガイは―――しかし、最後までサクモの傍に侍ることは、出来なかった。二人の限界が近いことを悟ったサクモは、退避の命令をガイに(・・・)下したのである。

 

 父であるマイト・ダイに似たガイには、忍術の才能が無い。

 ガイは落ちこぼれの補欠としてアカデミーの門を潜った。そして、才能ある者達から虐げられながら、赤点ギリギリで、アカデミーを卒業した。

 だからこそガイは、弱者の気持ちが分かる、情に厚い熱血漢として成長することが出来た。かつての苦難は、ガイの血となり肉となっている。ガイは、自分を心身共に鍛え上げてくれた(・・・・・・・・)者達に感謝こそすれ、恨みなど持ち合わせていない。

 

 それでも、辛くなかったと言えば、嘘になる。ガイは多くの苦難と辛苦を味わい、思い通りにならないことばかりの人生を生きて来た。

 

 ガイはライバルと定めたはたけカカシに比べて―――あまりに忍術の才能に劣った、落ちこぼれだったのだ。

 

 ―――だからこそガイは、どうにもならない現実(・・・・・・・・・・)と言うものを、直視することが出来てしまう。

 

 ガイは、落ちこぼれという、厳しい現実を直視して来た。

 ゆえにガイは、優しさと情熱を滾らせる熱血漢でありながら、しかし誰よりもシビア(・・・)な思考を併せ持っている。

 ネジとリー。中忍試験で、通常ならば再起不能レベルの傷を負った二人の完治のための手術を改めて、綱手とカブトが行うことになった際、失敗すれば二人は死ぬと言われた。怯える二人に、ガイはすぐさま、こう伝えた。

 

 ―――オレも一緒に死んでやる。 

 

 ガイの忍道は、いつしか、弟子たちを立派な忍者にすることへと変わっていた。忍道を失えば、忍者に生きている意味はない。だからガイはためらいなく、そう口にすることが出来た。

 畳間がガイではなく、カカシを後継と選んだのは、そこに最も大きな要因がある。

 ガイの世界は、小さく纏まっている。里は確かに大事だが、それ以上に弟子が大切だった。マイト・ガイという、今となっては火影に次ぐ最高戦力となり、自分が世を去ることで木ノ葉に齎されるマイナスを考慮してなお、弟子たちの心と、己の忍道を取ったのである。

 火影としては、相応しくない思想である。ゆえに畳間は、ガイは現場にいた方が良いと、結論付けたのだ。火影に成れば、身動きが取れなくなる。そうなれば、ガイの良さが死んでしまう。

 善し悪しの問題ではない。適性の問題である。

 

 だが―――ガイの持つ現実をありのままに受け入れる強さは、その当時、カカシよりも遥かに研ぎ澄まされていたと言って良い。

 

 だからこそ、殿戦においてサクモはガイに(・・・)、「カカシを連れて撤退しろ」という命令を下した。

 この状況下―――もはや疲弊した若者二人がいようがいまいが、稼げる時間に差異はない。であれば、未だ若い二人に、サクモは生きて欲しかったのだ。

 

「父さん、何を―――」

 

 カカシはその時、父の言葉を受け入れられなかった。

 なんとかなるはずだ。

 父ならば。

 『木ノ葉の白い牙』ならば。

 この逆境を覆せるはずだ。

 木ノ葉の白い牙は、里の英雄で。里で三番目に強い(・・・・・・・・)男だからだ。

 

 悲痛な願いにも似たカカシの予測は、しかし叶わぬ幻でしかない。

 サクモの、息子との別れの時間を、僅かでも取ってやりたいと考えたのか―――未だ生き残っていた秋道一族の者は、持ち得るすべての秘薬を一気に呑み込んで、その体を限界以上にまで巨大化させて敵を薙ぎ払い、やがて力尽きる直前に、その身を爆破させ、多くの敵を巻き込んだ。

 

 ―――畳間が、いつか、二代目火影に言われた言葉があった。

 

「……カカシ、ガイ。あいつ(畳間)を信じろ。あいつは、オレの親友だ。闇の中にいたオレを、あいつは引きずり出してくれた。今……、お前たちは絶望の中にいるだろう。暗雲立ち込め見通せない未来、死の匂いが……すぐ傍にある。この恐怖に耐え続けることは、とても辛いことだと思う。もはや里に戻っても死ぬだけだと……すべてを諦めて、ここで戦って死ぬことを望むことも、あるかもしれない。

 だが―――お前たちは決して、生きることを諦めるな。どれほど怖くとも、どれだけ辛くとも。あいつを、仲間を、木ノ葉隠れの里を―――信じるんだ。畳間ならば、必ずこの逆境を打ち破ってくれる。皆を守り、その炎で……きっと、里を照らしてくれる。あいつは……オレの親友だからな」

 

 苦悩する畳間と、二人、火影岩の上で酒を飲んだとき。霧のかかった未来の果てを、二人で語り合った夜。その時の光景が、サクモの脳裏に浮かんだ。

 

「いつかオレもそう(・・)言いたい。そう言えるような、立派な忍者になりたい」

 

 畳間は言った。

 

「オレもその生き様(死に様)を肖りたい。さすがは扉間様だ」

 

 と、サクモは言った。

 二人は偉大な火影を、共に讃え―――盃を交わした。

 どちらが先に言うか(死ぬか)、なんて、不謹慎な賭けをして―――互いに「縁起でもないことを言うな」と、自分事を棚に上げて相手を叱り、そして、笑いあった夜があった。

 

「父さん―――ッ」

 

 ―――すまんな、畳間。先に、言わせてもらうぞ。

 

「……カカシ、ガイ。その歳で焦ることは無い。いずれ……その時(・・・)が来る。それまでその命―――取っておけ」

 

 もはや時間は無い。

 サクモは一呼吸を置いて、二人に背を向けた。

 

「お前たちは生きて、里の未来を見届けろ。それがオレの、最初で最後の、命令だ」

 

 ガイは様々な思いを深く呑み込んで、サクモに深く頭を下げる。

 サクモは駆け出して―――その姿は山のような大きさの、雷の大狼へと変貌した。駆けるサクモは、触れるものすべてを喰らい、切り裂き、焼き尽くしながら、目前のあらゆるものを薙ぎ払い―――白い波の中へと消えていく。

 

 追いかけようとしたカカシの腕を、ガイは力強く握り、引き留めた。

 

「カカシ!! 生きるんだ、オレ達は!! オレ達にもいずれ訪れるその時(・・・)まで!! 生きるんだ!! 見届けるんだ!!! サクモさんが、父さんが、みんなが愛した木ノ葉の里を!! 里が今火急にあるというのなら、オレ達でも、何かできるかもしれない!! 畳間様の役に……みんなの役に立てるかもしれないんだ!! 戻るぞ!! 里に(・・)!!」

 

「ガイ……ッ」

 

 父を失ったのは、カカシだけではない。

 ガイはもっと前に、父を失っている。カカシは畳間がカカシの姿に強さを貰ったように―――親友の姿に、進むべき道を見た。

 里を守るために時間を稼いだ、はたけサクモ。カカシとガイが今すべきことは、彼に殉死することではない。彼が守らんとする里を、里の未来を守ることだ。それこそが、彼と共に在る(・・・・・・)ということだ。

 

 同じ痛みを知る者同士。二人は滂沱の涙を流し―――獣の咆哮が如き雷鳴が鳴り響く戦地に背を向けて、駆けだしたのだ。

 

 

 

 

「―――穢土転生。この術は許せない」

 

 それを踏みにじる暁の所業。ガイは瞳に怒りを燃やす。

 カカシが居なくてよかったとも思う。これは―――柳の様にすべてを受け流す、掴みどころのないカカシの、明確な弱点だ。

 ガイとて、何も思わないという訳ではない。ただ、シビアに割り切れる強さを持っているだけだ。彼らは既に死んでいる。彼らを再び殺してやることこそが、ガイのすべき弔いであり、彼らの心を守ることなのだと理解しているだけだ。

 

 かつて見た父の背中が、サクモの背中が、ガイに勇気をくれる。彼らの最期の在り方を強く心に焼き付けているがゆえに、操られた彼らを再び殺すことに、ガイは戸惑いを抱かない。

 

 しかし、決め手がない。忍術を使えないガイには、穢土転生の者達を解放する(・・・・)手段がない。

 

 ―――もはや、ここまで。

 

 これ以上時間を掛ければ、撤退のための体力すらも失うことになる。

 この地獄のような光景を畳間が見てしまうことになってでも、撤退すべきだと、ガイは判断した。命惜しさではない。敵がガイの死こそを望んでいるのならば、絶対に死ぬわけにはいかないからだ。

 

 ガイが足に力を込め、深く身を屈めた。

 一点突破。体を一本の槍と見立て、敵の包囲を穿つのだ。

 

 ガイの所作に、その意図を察したのか、穢土転生の者達が一斉にガイに襲い掛かった。

 ガイが逃げ切るか、穢土転生の者達がガイを呑み込むか。

 木ノ葉と、敵―――その命運が決まる、一手。

 

 ―――そしてそれは。

 

「何だ……ッ!?」

 

 ガイが驚愕に目を見開く。

 退却しようとした方向―――前方で、穢土転生の者達が、何かに跳ね上げられたように、宙を舞ったのだ。

 

 ガイの視界に、赤透明な骸骨の巨人の上半身が、入り込む。

 穢土転生の者達を薙ぎ払い、その群れを割きながら近づいて来るのは―――。

 

「―――どんな強者にも、弱点はあるものですね。ガイさん」

 

 無人の野を行くが如く。輝く万華鏡が、ガイの瞳に映り込む。

 ガイが待ち望んだ増援が、辿り着いた。

 


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