メメント・モリ   作:阪本葵

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第33話 山田真耶の憂鬱

山田真耶はIS学園一年一組の副担任である。

彼女は元日本の代表候補生であり、千冬にも「次期代表」と言わしめるほどの実力者であり周囲の期待も高かったが、しかし彼女には重大な欠点があった。

彼女は極度の上がり症で、ここぞという大舞台でいつもポカをやらかすのである。

集中しきっている時はそんなこともないのだが、一度集中が切れてしまうともうダメなのだ。

本人も周囲も彼女の上がり症をなんとかしようとアレコレ試したがより良い結果が出ず、真耶は代表候補生で現役を引退した。

ただ、彼女自身それを悔やんではいなかった。

彼女の夢はISの日本代表になるというものと、もう一つ小さい頃からの夢があった。

それは教師もしくは保育士になる、という教育者の道である。

大学でも教育学科を専攻していたし教員免許も取得している。

現役引退後、すぐにIS学園から後進育成としてスカウトされた。

真耶は喜んでIS学園に赴任し憧れの教師生活に胸を躍らせたが、現実はそううまくなかった。

自分の目指す教師像とは、生徒に慕われ威厳ある行動によって導く存在であったが、しかし彼女の見た目は童顔で平均女性より身長も低いため威厳などない。

だから最初こそ生徒にからかわれることもしばしばあった。

生徒の中には真耶が元代表候補生であったことすら知らなかった者もいたほどで、超絶競争率の高い入試試験を突破しエリートであると自惚れるような生徒にはどうしても下に見られていたのだ。

それでも真耶の教育熱心で生徒に親身になる姿勢は生徒からも慕われているが、教師生活二年目でも、未だに生徒から馬鹿にされていることもある。

自分の担当している一年や前年のクラスならそんなことはないのだが、上級生の二年、三年になると真耶の授業を受けたことが無い者や彼女の実力と為人を知らない者も多く、見た目で判断し軽く見られるのだ。

それでも彼女はめげずに生徒のために頑張る。

自分の理想を目指して。

 

そんな真耶にも、最近ある悩みができた。

一年一組の担任であり、自分のあこがれの人物である織斑千冬の家庭事情である。

真耶は知らなかったが、どうも千冬には双子の弟がいて、そのうちの一人である照秋に対し負い目を感じているらしい。

昨年の5月あたりから行動がおかしくなっていることを敏感に察知してた真耶だったが、その時は触れずに過ごしていた。

だが、そんなくすぶった日が続き2月のIS入学試験での織斑一夏にIS適性があると判明、さらに入学式一週間前の織斑照秋の発表である。

照秋の発表に関して千冬は全く聞かされていなかったようで、真耶ですら仰天した。

現在急成長中の新進気鋭IS企業ワールドエンブリオ社のテストパイロットとして所属し、さらに映像に流れる巧みな操縦技術。

明らかに昨日今日IS適性が判明した人間の動きではないことは明白だった。

そしてあの引き締まった肉体。

細マッチョといわれる、脂肪の少ない、しかしはっきりと盛り上がった肩の筋肉、綺麗なシックスパック。

女が男を美しいと感じる程の肉体美で、男に免疫のない真耶は照秋のISスーツ姿を見てまるでミケランジェロの生み出す彫刻のようだと、おもわずため息を漏らした。

 

千冬は、そんな照秋の動向を全く知らされていなかったことに激怒し、何度も日本政府とワールドエンブリオに抗議の電話を入れ、その度に門前払いされていた。

そして日本政府から言い渡されるクラス分けでも一悶着あった。

一夏は政府と学園側からの護衛計画として入学するクラスの担任を千冬、副担任に真耶は配置、生徒の半分以上を日本人、さらに更識家に連なる布仏家の者を配置、他国ではあるが代表候補生と言う戦力を加えた布陣を敷いた。

万全とは言い難いが、他のクラスとの実力差や差別が無いように配慮しつつも組んだ布陣で決定したある日、照秋は三組に組み込むと日本政府から通達があった。

たしかに護衛対象が増えるとこの布陣では足りない可能性もある。

それに三組は一年のクラスのなかでも一番多国籍に富んでおり日本人はほとんどおらず、さらに代表候補生もアメリカと中国の二名いた。

他国からの勧誘や危害という危険性を訴え、一組に組み込むよう進言した千冬だったが、日本政府は取り合わず、学園の上層も政府の決定に反論しない。

さらに政府は三組に照秋の護衛としてマドカをねじ込み、ISの生みの親である篠ノ之束の妹、箒も三組に変えろと通達。

当初箒は一夏と同じく重要人物であるがゆえに一組で千冬の監視下に置き護衛すると計画していた。

だが政府がそれをノーと言い、三組にねじ込ませたのだ。

だがこれにはれっきとした理由がある。

マドカと箒はワールドエンブリオ社の量産第三世代機と第四世代機発表の際の操縦技術を買われ代表候補生に大抜擢された。

それに二人は照秋と同じくワールドエンブリオ社に所属している。

三人を固めマドカに護衛させやすくさせる配慮としては納得できる布陣である。

さらに、三組の担任がスコール・ミューゼルである。

彼女は真耶、千冬と同時期に赴任してきた教師であり、アメリカの元代表候補生であった。

真耶の世代でも彼女は有名だった。

 

[黄昏の魔女(ウィッチ・オブ・トワイライト)]

 

変幻自在で相手に主導権を握らせない試合運び、奇策を繰り出すが、しかし美しく空を舞う姿は彼女を幻想的に魅せる。

彼女の試合を見た観客たちは一様にこう言う。

 

『まるでショーのようで、アメイジングだ』

 

そんな彼女が突然行方をくらまし、そしてひょっこり現れたかと思えばワールドエンブリオで戦技教導をしていたという。

三組の布陣はほぼワールドエンブリオで固められているが、しかし千冬から言わせれば一組に比べると若干薄いと言わざるを得ないのだが、スコールはこれで十分だと言い生徒会長の更識楯無と学園側もそれに賛同した。

その理由は、照秋自身の身体能力の高さにある。

中学時代帰宅部という、専門的なトレーニングを一切積んでいない一夏と比べ、照秋は中学校で剣道日本一になっている。

さらにワールドエンブリオで護身術として軍隊格闘技を叩きこまれていると聞いた。

以前スコールが千冬に「クラヴ・マガを教えた」と言っていたのを思い出す。

クラヴ・マガとは、20世紀前半イスラエルで考案された近接格闘術であり、様々なイスラエル保安部隊に採用されることで洗練され、現在世界中の軍・警察関係者や一般市民にも広まっている。

一般市民向けのコースでは、軍・警察関係者向けに教えられている殺人術は除外する形で、護身術の一環として防御に重点を置いたレッスンが提供されている。

スコールが照秋に教えたクラヴ・マガは一般市民レッスンらしい。

何も出来ない一夏よりはるかに自分の身を守れる技術を持つため、護衛はこれで十分と判断したようだ。

それを良しとしない千冬は最後まで反抗したが、生徒会長の更識と学園側は決定を覆すことはなかった。

 

そうして、織斑兄弟が学園に入学しそれぞれが学生生活を満喫しているように見えた。

真耶は三組の事はユーリヤやスコール、生徒伝いからしか聞いていないので確認できないが上手くクラスに溶け込んでいるらしい。

一組でも一夏はクラスメイトと仲良くしている。

ただ、イギリスの代表候補生セシリア・オルコットとはそりが合わず最初こそ険悪だった。

代表候補生にあるまじき日本への侮辱発言と、女尊男卑風潮による男への見下した態度で、一夏とのISでの試合を敢行。

日本の生徒がほとんどを占める一組で、予想以上の発言をしたセシリアに対し、さすがに千冬と真耶も注意しようとしたのだが、一夏と一悶着あったその日の夜、セシリア本人がクラスメイト全員(一夏以外)と千冬、真耶に直接謝罪に回ってきた。

千冬と真耶に謝罪に来たのはたまたま仕事が残っていて二人で作業をしていた職員室だった。

 

「日本を侮辱するような浅慮な発言を謝罪します。申し訳ありませんでした」

 

千冬と真耶は驚き、あんな発言をしたその日に謝罪するという心境の変化を問いただした。

 

「三組の同郷の生徒から三組担任のスコール・ミューゼル先生の言葉を聞き、自分の愚かさを自覚したのです」

 

スコールはこう言った。

 

「ISは兵器である。人を殺す道具である。命を摘み取る覚悟のないものはこの場から去れ。他人の命を摘み取る覚悟を持つ者だけが女尊男卑思想を持つことが許される」

 

それをセシリアの口から聞き真耶はその通りだと思い、同時にそれは自分たちが一組の生徒に言わなければならない言葉だと思った。

セシリアの謝罪を受け取り、セシリアがいなくなった職員室で、千冬がぽつりとつぶやく。

 

「……真耶、私たちはまだまだだな」

 

「そうですね、先輩」

 

教え方は人それぞれだと思う。

真耶にすればスコールの言った言葉は徐々に生徒に諭して行けばいいと思っていた。

だが、セシリアのような過激思想の生徒には最初に言っておくべきだったかもしれない。

しかし千冬には思惑があった。

見下している男、一夏とISで試合をすることによってその考えを身を持って改めてもらうという考えだ。

ただ、これは一夏の技量によるところが大きく、博打に近いものがあった。

そう考えると、スコールのように最初に厳しく言い放つという方がよかったのかもしれない。

日々勉強だなあ、真耶は思うのだった。

 

一週間後、一組のクラス代表決定戦が行われると同時に、三組でもクラス代表決定総当たり戦が行われた。

一組のクラス代表決定戦の内容は特筆するようなことはなく、セシリアの圧勝だったが、その後に行われた三組の試合が衝撃的だった。

結淵マドカの実力、第四世代機[紅椿]の圧倒的性能、そして、織斑照秋の専用機と、それを乗りこなす強さ。

特に三試合目のマドカと照秋の試合は公式試合でも早々お目に掛かれるものではなかった。

それが入学したての生徒二人によって行われたというのだから驚くしかあるまい。

マドカの実力は、真耶の分析でも自分より高いと判断できる。

超高等技術高速多連瞬時加速(ガトリング・イグニッション・ブースト)など麻耶には到底できない技術であるし、世界の代表たちでもこの技を使いこなせるものはほとんどいないだろう。

なにせ千冬ですら成功率3割の技なのだ。

それを易々と使いこなすマドカもそうだが、それを簡単に攻略する照秋も相当だろう。

そして繰り出される無数の剣戟、アリーナを縦横に展開する高速移動。

観客席の生徒たちは二人の高次元な試合に無言で魅入っていた。

最後は蜻蛉の構えから瞬時加速(イグニッション・ブースト)を発動しマドカに接近し、稲妻のごとき剣速の一撃・示現流[雲耀の太刀]によって照秋が勝利した。

雲耀の太刀などISの能力ではなく、操縦者、つまり照秋のもつ身体能力から繰り出される一撃だ。

それに戦慄する真耶。

一夏と照秋、双子なのにここまで実力に差が出るものなのかと思った。

一夏が教室でクラスメイトに対し照秋の事を馬鹿にするような発言をしているのを聞いたことがある。

そもそも、真耶は一夏が苦手だった。

男に免疫がない真耶は、男という異性の前に立つと緊張してしまい、一夏の入学試験でのIS操縦試験でもパニクってしまい自爆してしまった。

それに、一夏からたまに受ける視線がまた不快にさせる。

あの視線は、大学時代での男性教授や街中での軽薄な男から受ける粘着質な視線に似ていた。

特に胸のあたりを見られる。

それが余計に男に壁を作ってしまい接触しないようにさせ、免疫ができないのだが。

だが、照秋とはほとんど話をしたこともないからだろうか、そんな嫌な感じがしない。

試合での高レベルの戦いに見惚れてそんなことを考える暇もないのか、それとも試合に臨むあの真摯な眼差しのためか。

そして、一夏の試合と照秋の試合を見比べても、どちらの実力が上なのかは一目瞭然だろう。

 

 

 

それから平和な日が続き、学園全体でも一夏、照秋という異物を受け入れるようになり落ち着いた日々が訪れる。

そんな日常に二組に中国からの転入生凰鈴音が来て、一夏と仲良さげにしていた。

三組の照秋とも何か一悶着あったそうだが、真耶には知る由もない。

 

そしてクラス対抗戦が始まった。

一夏の相手は凰だった。

前回のクラス代表決定戦の時よりも操作技術が向上している一夏だったが、それでも凰に手を抜かれているのは試合内容を見ても明らかだった。

盛り上がりのか欠ける試合内容に、観客席の生徒たちから落胆の声が上がる。

だが、それでも一か月ほどであそこまで動けるならセンスがあると真耶は褒めてやりたい。

事実、一年生はほとんどISと接触する機会がまだない。

授業内容にしても、今は基礎知識を詰め込む時期で、実技はもう少し先だし、普通ISで歩くだけでも慣れるのに相当時間がかかるものなのだ。

だがそこから事態は一変する。

全身装甲のISがアリーナのバリアを破り侵入してきたのだ。

そして同時に学園のシステムがハッキングされアリーナの出入り口が封鎖、遮断シールドレベル4というアリーナへの侵入不可能状態になる。

管制室にいる千冬と真耶も助けに行くことが出来ないでいた。

侵入者はこのアリーナだけでなく、二年や三年のアリーナにも各1体、さらにはグラウンドにも7体と報告を受ける。

二年と三年の方は生徒だけでなんとか対処できると報告を受け、グラウンドの7体は教師陣が対処すると言われた。

あとは一夏達だけであるが、凰と一夏は侵入者に対し攻めあぐねているように見えた。

というか、一夏がなにか攻撃することに躊躇し、決定打を当てられないでいたのだ。

このままでは二人に命の危険が及ぶ。

一夏の姉である千冬など気が気でないだろうが、表面上ではそんなそぶりも見せなかった。

コーヒーに塩を入れたのはスルーしたが。

ただ、その後のマドカからの発言に心が揺さぶられる。

 

「ここのピットだけ遮断されていない。スコールからグラウンドの救援要請を受けたのでそちらに向かう」

 

これに千冬は真っ先に異を唱え、戦力を分散させ一夏の救援に行くよう指示した。

しかし、マドカはこれを拒否した。

 

「織斑一夏がどうなろうが知らん。私らはグラウンドの侵入者を対応しろとスコールに命令されている。お前の命令を聞く義理もない。織斑一夏と凰鈴音が死のうがどうでもいい」

 

マドカの命令系統が三組にあり、さらにワールドエンブリオでの元同僚ということの優先順位で上なのだろうが、この突き放すような言葉は流石に真耶もあんまりだと思った。

そして焦る千冬は、もう一人の弟である照秋に懇願する。

 

結果、グラウンドに居た7体の全身装甲はこちらのアリーナへと移動し、照秋、箒、セシリアの三人が対処し一夏達が苦戦した相手に圧勝したのだった。

照秋の専用機メメント・モリの武装[インヘルノ]の炎熱操作攻撃はISの規定から明らかに逸脱した過剰戦力であったため後日国際IS委員会から封印要請があり、学園側も生徒を守るという使命から承認、ワールドエンブリオも承諾した。

本来ならこれほどの過剰武装は違法になるのだが、インヘルノはメメント・モリの固定武装であり解除不可能であるため封印処置という形になった。

そして数日後、真耶は理由を聞かされていないが何故か三組の照秋と二組の凰の非公開試合が行われたらしい。

結果は照秋の勝利だったそうだが、その試合に一夏が乱入したため、一夏には罰として三日間の謹慎処分を与え、真相は語られることはなかった。

 

なんだかんだとあった4・5月だったが、内容の濃い日々であっという間に過ぎ去って行ったような感覚だった。

さらに驚いたのは国際IS委員会が発表した「織斑一夏・照秋両名の世界的一夫多妻認可法」だろう。

各国の様々な思惑が絡み合いこんな条約が出来たのだろうが、さすがの真耶も口をあんぐりと開けるしかできなかった。

イギリス政府がセシリア・オルコットを、日本政府が篠ノ之箒を即時照秋との婚約発表に千冬は胃を押さえ胃薬を飲んでいた。

さらにその後に発表された、イギリス政府の女尊男卑擁護団体への宣戦布告と、篠ノ之束のイギリス擁護発言に、世界各国は過激派に分類される女尊男卑擁護団体を反政府団体と認定し武力行使によって排除するという力技が世界中で行われ、混沌としてきた。

反政府団体に認定された女尊男卑擁護団体は駆逐されたが、それは氷山の一角でしかない。

女尊男卑思想は根強く残っている。

それも、ISに触れる機会のない一般女性に、だ。

ISに触れる機会があればそのような考えも改めるのだが、それを認めず甘い汁だけを吸おうとするのが女尊男卑思想の輩なのである。

これからも様々な衝突が起こるだろうが、しかし今回の各国の英断はどのように転び、世界はどのように変わるか、それは誰にもわからない。

そして条約発表をした日から一組に押し寄せてくる他のクラス、上級生たちは、なんとか一夏の一夫多妻の候補になろうとしているのだろう。

そう国から命令されているのか、本当に結婚したいのかはわからない。

しかし、千冬と真耶はこれを「愚かな行い」とバッサリと斬り伏せた。

三組でもスコールとユーリヤが同じように対処し辟易していると愚痴っていた。

その後に中国政府から発表された織斑一夏と凰鈴音の婚約発表に、千冬は机に突っ伏した。

 

「人の苦労も知らんと……この馬鹿者どもが……」

 

呪詛のこもった声が職員室に響き、しばらく誰も千冬に近付かなかった。

 

6月に入り、梅雨の季節が到来し今日も曇り空にジメジメした空気の放課後、真耶は会議を終え明日の授業の準備をするために廊下を歩いていると、ふと目に入った存在がいた。

それは、剣道場の外で人の身長ほどの丸太に一心不乱に打ち込みをしている照秋の姿だった。

日照時間が長くなりはじめたが曇りで太陽は見えず、しかしそれでも空は明るい。

照秋の近くには箒とマドカ、セシリアもいた。

箒も照秋の横で同じく丸太に打ち込みを行っていたが、やがて体力が尽きたのか膝をついて大きく肩で息をしていた。

そして箒たち女性三人は照秋と離れていく。

照秋は、離れていく三人に目もくれず、その後も一心不乱に打ち込みを行っていた。

 

どれほど時間が経ったのだろう、一向に打ち込みを止めない照秋を、真耶はずっと見ていた。

 

「……真耶」

 

「ひゃあっ!?」

 

突然声をかけられ飛び上がる真耶。

そこには、千冬が苦笑しながら立っていた。

 

「職員室に戻ってこないから何かあったのかと思ったぞ」

 

「は……あっ……す、すみません」

 

真耶は腕時計を見て、職員室を離れて30分経過していたことに驚き、千冬に謝った。

そして、千冬は寂しそうな目で打ち込みを行っている照秋を見つめている。

いつもそうだ。

千冬は、照秋に関わると、いつも寂しそうな目をする。

一夏には厳しく当たり、毅然とした態度なのに、照秋にはなるべく接触しないようにしている節があるのだ。

 

「……彼のあの打ち込みは、いつ終わるんでしょうか」

 

真耶はふと疑問に思ったことを口にした。

真耶が職員室を離れた時間を差し引いても、20分は見続けていたはずなのに、一向に打ち込みを終える気配がない。

それが気になってぽろっと口に出したが、千冬はその問いに答えた。

 

「あれは示現流の稽古で立木打ちという。照秋は朝に三千回、夕方に六千回、計九千回の打ち込みを行っている」

 

「きゅっ……!?」

 

予想外の数字に驚く真耶。

 

「しかも照秋は立木打ちを中学時代から毎日欠かさず行っている」

 

自分の事のように誇らしげに言う千冬は、どこか嬉しそうだった。

 

「す、すごいですね……」

 

「ああ、照秋は凄いんだ」

 

褒める千冬だったが、表情が曇る。

 

「……私は、照秋の凄さをわかってやれなかった」

 

「え?」

 

「……なんでもない。さあ、戻ろうか」

 

そう言って千冬は足早に職員室へと戻って行く。

その後ろ姿が寂しそうに見えた真耶は、もう一度照秋を見る。

丁度雲の切れ間から太陽が見え、夕日が射しこみはじめた。

 

照秋は、そんな夕日に照らされ、尚も丸太に打ち込みを続ける。

 

「……かっこいい」

 

真剣な表情で一心不乱に打ち込みを行う姿に、真耶は素直にかっこいいと呟く。

それを耳聡く聞いた千冬が、踵を返しものすごい威圧的な表情で真耶に釘を刺した。

 

「言っておくが、照秋に手を出すなよ」

 

「せ、生徒に手は出しませんよぉ!!」

 

真耶は顔を真っ赤にして反論するが、千冬はフンと鼻を鳴らす。

 

「まあ、照秋にはすでに日本から篠ノ之箒が婚約発表をしているから、日本人は無理だがな」

 

千冬は再び職員室へと歩を進める。

 

「私本当に生徒に手なんか出しませんからね!?」

 

真耶は顔を真っ赤にしながら千冬を追いかけ叫び続ける。

そもそも男性経験はおろか、付き合ったこともない彼氏いない歴=年齢の真耶に、生徒に手を出すなんて高レベルな事が出来るはずがない。

 

「どうだかな。真耶のように男を知らん女は暴走するからな。……まったくオルコットといい箒といい……」

 

千冬の呟きと、真耶の抗議は職員室に着いても収まることはなく、しばらく仕事にならなかったという。


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