今作一番の被害者こと本音ちゃんのその後です。
****年九月現在、16歳のIS学園に通う一年一組の生徒。席は窓際最後列。友達はそこそこ。
特技は工学。彼女に付き従う事がきっかけになり、話を合わせる程度にするつもりがどはまりしてしまった。中途半端は許されない家系なので、方々に広がる伝手をフル活用して勉強している。その甲斐あって店を構えて飯を食っていけるぐらいの知識を持つことに。
容姿は自分でも悪くないと思ってる。童顔なのが実はコンプレックスで、どうにかしたいと思ってはいるものの、多分無理だろうなと最近になって諦めた。でもスタイルは姉や主人の姉よりも自信があるよ。重たいものを持つことも多いので多少は鍛えているが、女性らしい柔らかさはしっかりあるし。ただし、男性からの卑猥な視線が年々増えていくが。
服はダボついたのをよく選ぶ。というか、身長に合わせてもバストが合わなくてそれしかない。私服もふんわりしたものばかりだ。ちょっと残念だなって思うときもあるけど、そういう服は割と好きらしいのであまり苦にならない。工具や護身用の道具も隠し持てる。
好きなものはお菓子。しょっぱいのも良いけど、甘いほうがもっと好き。食べ好きてちょっと……すごーく後悔する時もあるけど、そういう体質なのか無駄な肉がついたことは今のところ無い。多分手痛いしっぺ返しがどこかで来ると思う。ってことで、嫌いなものは苦い食べ物。
とか、かな。捲し立てた気がするけど、そんなに大事じゃないので。
じゃあ次に、私の家の話をしよう。
更識という日本有数の名家がある。対暗部という裏稼業を生業とした堅気じゃない人達だ。お国とも縁がある。
布仏はそんな更識家と縁のある一族で、ずーっと昔のご先祖様の時代から、更識家を支えてきたんだそう。それは現代でも変わらなくて、私も姉も、両親やご先祖様の様に更識家の僕である。
タイミングが良いのか悪いのか、私と同じ年に更識家にも子供が産まれた。いや、違うかな。更識家が第二子を産むから私が作られた。きっと男の跡取りが欲しかったんだろう。残念ながら、産まれてきたのはどちらも女だったわけだけど。ざまぁない、子供を大人の事情で振り回すからそうなるんだ。
何にせよ、私は産まれてきたし、更識にも同い年の子供が産まれた。簪、と名付けられたその子はその瞬間から私のご主人様で、私は簪の僕になった。
物心ついたころから、私は色々と教育された。礼儀作法から入り、護身や護衛などなど。一般教養も成長と学年に沿って教わっていく。自分が周りと違って面倒なことをしていることに疑問を持つこともあったけど、そんなものは直ぐに忘れた。今更私が何を言ったところでどうしようもないから。
こうやって聞かされると「大変だね」とか「かわいそう」とか言われるけど、そんなに悪いものじゃないと言っておく。字面は悪く見えるかもしれないけど、実際はそう厳しく指導されたことは無い。叱られることはあったけど、大事に育てられたなぁってその時から思ってた。一番うれしかったのは簪が女性だったことかな。もし男だったら接待しなくちゃいけなかったらしいから。
そんなことも無く、すくすくと育ちました。簪……かんちゃんとはうまくやっていけたし、お嬢様も良くしてくれてる。お姉ちゃんは真面目で私はてきとうなところあるから偶に怒られるけど大好きだ。
なんの苦もない16年だったと思う。
だって、裕福な家に産まれた。
だって、お金をかけて育ててもらえた。
だって、容姿が悪くない。
だって、スタイルが良い。
だって、趣味がある。
だって、工具を弄っても良い。
だって、甘いものが食べられる。
だって、苦いものを嫌ってられる。
だって、かんちゃんとうまくやっていけてる。
だって、お嬢様が良くしてくれる。
だって、お姉ちゃんが好きでいてくれる。
だから、布仏本音は今まで生きていなかった。
熱中できる趣味があって、気の合う友人と時間や思い出を共有して、求められる役割を演じ、期待に応え、ちやほやされるだけの毎日を生きているとは言わないんだ。ぼーっと流れるままに夢を見せられるように日々を過ごしていたのは、比喩じゃない。
現実はきっと残酷で過酷で、逃げ出したくなるような……想像もつかないものだ。挫折というものを知らない私には特に。
そんな話をしたらきっと笑われてしまう。で、こう言われるんだろう。
「うらやましい」
楽しいことも嬉しいこともきっとある、甘いお菓子に家族に…大人になれば恋だって。
でも、それらは常に苦しみや辛さと表裏一体で、コインの裏表の様に、物語が始まって終わる様に、光と影と、太陽と月の様に傍にいる。切っても切れないとはこのことだ。そして、にやりと出番が訪れるのを待っている。いまかいまかとうずうずしている。
誰も彼もがそんな現実の中で、苦しい苦しいとぼやきながら、僅かながらの幸福に一喜一憂し辛さも忘れて心地よい夢に浸り、そしてまた現実へ帰る。そんな繰り返しをまた明日また明日と、今までもこれからも歩んでいくのだ。
そんな人達からすれば、私の16年間がキラキラと眩しく見えるのも仕方がない。誰だってつらい思いはしたくないし、そんな現実よりも毎日幸せだけを齧って生きられるならその方が良い。途中で飽き飽きしても、少なくともつらい思いはしなくて済む。
知らなかったでは済まされない、この世界の本質。
日常がコイントスの連続で、幸福な夢と辛い現実の反復で織りなされているんだと、私はこの時初めて思い知らされた。ハンマーで叩きつけられ、ドリルで貫かれ、鑢で削られ、はんだで焦げるほど刻まれてしまった。一生どころか、死んで生まれ変わっても消えない程に。
そしてあの日を境に全てが変わった。16年間、私は幸福だけを味わって生きてきた。これはそのツケである。
「…………」
ベッドの上で半身を起こし、病室に備え付けの鏡を見る。
つやの無い肌。ぼさぼさでうざったいだけの髪。かさかさの唇。くぼんだ瞳。こけた頬。隈。
まめに訪れる姉が花を活けているが、こんなに似合わない女もいない。意図したものか知らないけど、花とツーショットなんて、嬉しくないったらない。
一般病棟に移されたのが一週間前。それまではまるで監獄の様な部屋のベッドに縛り付けられ、管理されていた。一日三食と食後のトイレ、二日に一回の入浴。どこであろうが武装した女性兵士が付いて回り、ヒステリックも目じゃない発狂を起こせば鎮静剤を打たれる。あのまま重症化すれば射殺されていたかもしれない……いや、そうなるべきだったのかも。
看護師に手をあげた事がある。手入れされていない伸び切った爪で首筋を引っ掻いた。傷が深かった彼女は失血で倒れショック死しかけ、一命をとりとめるも傷跡が消えずに残ったという。隔離されるきっかけになった出来事だ。
親友であり主でもある彼女を手に掛け、無関係の人を相手に発狂し一生モノの傷を負わせるだなんて。死ぬべきだし、死んでしまいたい。
隔離されて最初の面会。ベッドの足にそれぞれ鎖でつながれて大の字に無様を晒す私を見て、姉は信じられないものを見るような目で、呆然としていた。
『ころして』
何も言わずに姉は俯いて立ち去った。
バカな私。殺してと言われてはいわかりましたと妹を殺す姉がどこにいる。
死にたければ勝手に死ねばいい。何も簪の様に大掛かりな自殺をしろと言ってるわけじゃない、舌を噛めば直ぐに逝けるでしょ?
めいっぱいに舌を伸ばして歯で思いっきり噛むだけ。ちょっと弾力のあるお菓子ぐらいに思えばいい。そう、そんな風に、今度は力を込めて、一回で済むように。
さあ。
さあさあさあ!!
死ねっ! 死ね、死ね、死ね!!!
……。
『うっ………ぁああああああぁぁ……』
思いっきり噛むと、痛かった。
それはそうだ、そそっかしい私は間違えて舌を噛んでしまうなんて日常茶飯事。ご飯を食べる程度の力で簡単に出血して痛むのだから、噛み切ろうとすれば痛いでは済まない。
でも痛い。痛くて痛くてたまらない。
痛いのは嫌だ。だから舌を噛んで……というより自殺を諦めた。
あの簪ですら必要以上に身体を痛めつける死を選んだというのに、舌を噛むことすらできない自分が惨めだ。だからって他人に殺してくれと頼む様も惨めだ。
惨め、余りにも。
『わあああああぁぁぁぁぁん……』
泣いてスッキリしてしまおうと選んでしまう、無意識に刷り込まれてしまった甘えすらも。
何もかもがひどく嫌になって、それからは考えることを止めた。そうして大人しくしている内に一般病棟へ戻されたのである。
その時から食欲を失った。何かを口に含むたびにあの痛みが蘇る。点滴を繋がれた私はとうとう歩くことすらせず、ベッド脇にあったはずの車いすはいつの間にか下げられてた。窓の格子も外された。身体は細くなり、支えがあってももう立てない。今思い返せば、断食は最後の抵抗だったのかも。
自分で終わる勇気も気概もなく、二人も人生を奪って、怖いからと情けなくただだらだらと生を繋いでいる。まるで植物の様に。これからもきっとそうだ。どれだけ時間が経っても、私はもう……もう、生きることも死ぬことも選べないまま、その日が来るのを待つんだろう。
ベッドに倒れこみ、瞼を閉じる。
それが私、布仏本音です。