六日目と七日目は何も無かった。というのも、銀の福音を捕らえる為に待機しているのに肝心のISが消息を絶っているからだ。これではどうしようもない。緊張状態のまま二日間を終えた。
私はと言うと少し落ち着きを取り戻した。銀にまさかあんなことを言ってしまうなんて……と今でも後悔しているが、なんとか自分を落ち着けた。優しい銀ならしっかり謝れば許してくれるから。
しっかり謝ること。その上で結果を受け入れること。許してもらえれば今後気をつければいい事だし、許さないと言われれば少しずつ償いをしていくしかない。
自惚れに聞こえるが、銀は私の事を特別に思ってくれている。男女のそれかはさておき、護衛やルームメイトとして、何より学園生では一番彼の事を理解している自信があるし、信頼を得ている。本来ならあんな言葉を吐いていい相手ではない。
その為にもこんな事さっさと終わらせて帰りたかった。
「簪ちゃん、来たわよ」
どうやらそのチャンスが早速巡ってきたようだ。
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「あは、アハハハハ」
遠目で少年を見る。またしても周囲から部品を集めては形を整えていく不気味な機体を纏い、出来損ないの幻想に縋っていた。
心の支えであった更識簪と入れ替わるように潜入してはや一週間。あっさりと手駒にすることが出来た。スコールの読み通り、更識という盾を失った名無水銀は女尊男卑という迫る壁に押しつぶされ、無駄に理性を残して壊れてしまった。
上級生からのいじめ。それがいじめということに気づかない未熟な精神。そして形見。
いじめってのは二択だ。やられたい放題か、やり返すか。そしてやり返した後に報復があるか、否か。
名無水銀はやり返した。そして形見を含めた全てを壊し尽くされた。
その後は電話で何か揉めたのか、時折狂ったように叫び、最後は言葉も失って気絶した。
心にポッカリと大きな穴が空いた奴に付け入るなんざ朝飯前だ。
「調子は?」
「ぼちぼち」
「そう」
バスローブを纏ったスコールとやり取りする。内容は勿論、彼についてだ。
男性操縦者の存在が明るみに出るもっと前。およそ一年ほどか。日本の中でも指折りの実力を持った構成員が一度に二人も亡くなった。二人は夫婦の関係にあり、子供も四人と恵まれ、反社会的組織に身を置きながらも人並みの幸せを手に入れていた珍しい奴らで、皆がそんな二人を祝福したし、不思議に思った。
なんでこんな世界にいるんだろうって。
ま、聞く前に死んじまったが。
土砂崩れに巻き込まれて一家全滅なんて、相応しくない最後だったな。何せ俺達裏の人間がニュースで取り上げられて死にましたなんて報道されてんだから。
遺体は回収した。通常では有り得ない行為に当たるが不思議と異論は出ず、皆が冥福を祈ったのだ。何せ名無水夫婦に世話になった奴なんて五万といる。今生きていられるのも、立派に仕事が出来るのも、足を洗った奴らも、亡国機業の誰もが恩義を感じているんだ。不満も異論もあるはずがない。
夫婦には病弱な息子がいた事は聞いていた。その息子は……名無水銀は一人遺される事になった。
そんなガキを引き取りたいと言う奴も、これまた五万といた。言わば形見だ、と引っ張りだこ状態に。俺がやる、いや俺だ、私が相応しい、とまぁ荒れに荒れたもんだ。かくいう俺やスコールもその一人だった訳だが。
すったもんだの末にようやく決着がついた時には、篠ノ之束からかっ攫われる直前で、間に合わなかった。そん時は別の意味で荒れたっけ。組織が全力を上げても足が掴めない相手に持ってかれちゃどうしようもなかった。
だからもう一度表に現れた時はチャンスだと思った。一年前に親権を得ていたスコールはすぐに動き出した。それが学園に潜り込む事。
だが、一年前とは違って立場を上げたスコールが自ら行動する事は叶わず、代わりとして俺が派遣された。先ずは潜入し接触する事。徐々に信頼を得て、いつか頃合いを見て真実を打ち明ければ必ず彼はこちらに来ると言うのが作戦だった。
これが思いもよらない方向へ転がる。
臨海学校の為、更識簪が離れるらしい。銀の福音が暴走を起こして学園の専用機にスクランブル、帰りが遅くなる。〆は電話での口論ときた。本人には申し訳ない話だが、俺達にとっては棚から牡丹餅。
「その……悪い」
「いいのよ、仕方のない事だわ。私達が傷を癒してあげればきっと良くなる」
端から見れば無理やり連れてきたと思われるかもしれない。事実、空き巣の真似をしてきた。しかし、方針を話し合って決めた上での行動だったのだ。何かしらの負傷は覚悟を決め、最小限にとどめ必ず完治させると俺達は誓った。
今が幸せならそれで良いじゃないかとも思った。まさしく青春を謳歌しているのだから。だが、銀の世界は極めて狭く、自身の周囲以上の環境には目を向けられていなかった。肌で感じる以上の事を知ろうとしなかったから、いじめが起きて今に至る。
更識簪はよく動いた。だが力不足は否めない。彼女の選択は常に最後の一手を誤り失敗に終わっている。トーナメントはいい例だろう。別にバトルでなくとも良かったのだ、織斑姉弟にさえ強くアピール出来れば、二人がバックに付くだけで学園生活は保障されていたというのに。
俺達は違う。医師もカウンセラーも技術者もいる。
「ところで、銀のISは何かわかったの?」
「何も。篠ノ之束お手製の、現行機を圧倒する機体って事だけだ」
「紅椿とは似ても似つかないフォルムだけどねぇ」
二人して壊れては直っていく機体を見やる。いや、ブロックのように組み替えて遊んでいる。
IS一機は組み立てられるパーツを渡してみたが、一時間ほど繰り返してばかりで、一向に完成に向かっている気配がない。関節を守るようにボロ切れをたなびかせ、装甲は無いに等しく、ショートこそしていないものの配線丸見え。
これは……。
「そういう機体、だろうな」
「恐らく。まるで三流映画に出てくるアンデットやゴーストみたいね」
「見ていた限りではビット兵器を扱えるようだったぞ。コントロールには難ありといったところだが」
「あら。エムと友達にでもなれるんじゃ無いかしら?」
「どうだか」
「スコール」
「あら、噂をすれば」
現れたのは、一言で表すと小さな織斑千冬。スコールチーム三人目のISパイロット。 エム。
「準備が整った」
「そう。ありがとう」
それだけを告げるとエムは踵を返して立ち去り、スコールは銀に近寄った。
「銀」
「はい?」
「あなたに見せたいものがあるの。一緒に来てもらいないかしら?」
「僕に、ですか?」
「ええ」
「行きます」
さっきまで狂ったように笑っていた人間の受け答えとはとても思えないな。
行きましょう、と言って先を行くスコールに歩調を合わせる。銀は後ろからついて来ているようだ。少し距離を開けて。
「なぁ、本当に見せるのか?」
「今更ね」
「良いことなのかわからねぇよ」
「そうね、堅気じゃないものね、私達は」
銀は違う。ってことか。
それ以上は俺も何も言わずに黙って従った。エレベーターに乗り地下からビルの上階へ上がり、厳重なロックを幾つも抜けて、先へ。
両手で数えられる程のドアを抜けてようやくスコールが歩みを止めた。最後のドア……もはや核シェルターのように頑丈なそれを、エムと二人掛かりで開けて汗だくな俺達には心地よい涼しさが部屋から漏れてくる。
「さぁ」
スコールは道を譲るだけで入ろうとはしない。それもそうだ、ここから先は彼だけが入るべきだ。
「亜紀原さん」
「オータムだ」
「オータムさん、あの……」
「行けよ。お前の為の場所だぜ」
困ったように俺を向いてきた銀を前に向けさせ、背中を叩く。恨めしそうな顔で睨んでくる奴を、ニッと笑って行けとジェスチャー。そこでようやく歩き出した。
「あなた、すっかりお姉さんね」
「ま、約一週間は起きてから寝るまで一緒だったんだ。少しはな」
「フン」
「おい待て、何でお前鼻で笑ってんだ」
「喧しい」
「なんだヤキモチ妬いてんのか?」
「喧しいっ!」
スコールが隣でくすくすと笑い出した。最近になってエムの扱い方が分かってきた気がする。話せばそこそこ面白い奴だ。
「……一人にしてやらなくていいのか?」
「そうね」
「たまには気が利くな」
「お前次はその首を捻じ切るぞ」
部屋から漏れる冷気と嗚咽を背にして少し前のエリアまで戻る。
全ての遺体は確かに回収した。が、土砂に揉まれて損傷が激しく指が欠けていたり、肉が抉れ骨が飛び出ていたりと見ていられない状態だった。
一人を除いて。
五人乗りの乗用車(銀の退院まではこいつで頑張ると言っていた、そこそこ年式の古い走行距離二十万キロのカスタムカー)の後部座席真ん中に座っていたであろう彼女は、死ぬ間際に家族全員から守られ打撲と骨折のみという奇跡的な損傷で息絶えていた。窒息死だ。
名無水楓。
まるでこの瞬間のために、綺麗だったかのようだ。
※※※※※※※※※
「遅い!」
エムが痺れを切らした。
「そうだな、流石に身体がヤバいんじゃないか?」
「全くだ」
霊安室は死体が腐らないように低温維持に努めるよう空調が設定されている。一時間も長居するのはあの虚弱な身体でなくとも危険だ。
電話がかかってきたスコールが戻ってくるのを待たずに二人で霊安室まで戻る。
「……おい」
「急ぐぞ」
近づくにつれて嗅ぎ慣れたニオイが漂ってきた。
血だ。
緊張の糸を張り巡らせ、全速力で駆けた。
頼むから自殺だけはしてくれるなよ……!
「銀!」
「おい! 何を……して、る」
「あっ、すみませんお待たせして。もう少し待ってもらっていいですか?
にこりと振り向いた銀の身体は赤く汚れていた。身体だけでなく、その周囲全てが真っ赤に染まり、中心で座り込んで何かを手にしている。
それを持ち上げ、顎を開き、歯を突き立て、嚙みちぎり、咀嚼し、喉を鳴らす。
ただそれだけの作業だ、ブレッドを齧るのと何ら変わらないの行為に、俺とエムは凍りついて動けなかった。
歯を突き立てる度にソレからは赤い肉汁が溢れ、銀と部屋を汚し、池を広げていく。時折、あさりの味噌汁をすすった時のようにガリッガリッと硬いものを噛む音が聞こえるが、吐き出す事なくそれも嚥下する。
「おいおい待て何してやがる止めろ!」
「この……!」
大声で自分を奮い立たせ、ISを展開する。エムも続けて機体を展開した。互いの射撃武器で床を狙い撃ち威嚇する。
「「な」」
筈が、俺のガトリングとエムのライフルは瞬いた後に全て両断されていた。全く同じ言葉を呟いたことにも気づかない。
「だから待ってくださいって。もうすぐで食べ終わるんで」
「……それだ、それだ私が言いたいのは!」
エムが叫ぶ。
「何故、名無水楓を食べている!?」
「あ、勿体無い事しちゃったな」
またしてもぶしゅっと血が溢れたことに肩を落とす。エムの叫びは初めから聞こえていないかのように聞き流された。
果物の果汁を吸い取るように肉をしゃぶる銀に、問いかける。
「何故だ!」
「何故って言われても……そうだなぁ」
また一つごくんと取り込んで、やっと語り出した。
「普通は家族を亡くしたら最後にお別れを伝えて火葬するんでしょう? でも僕はずっと病室の中で外にも出られず、死に目にも葬儀にも、いつだってその場に居なかった。何故かお墓も無くて、二度と会えないって思ってた」
「そうしたら、スコールさんとオータムさんとエムさんのおかげでまた会うことができた。とっても嬉しかったです。有難うございます。一年隠れて住んで居たことも、学園であったことも、いっぱい話すことができました」
「お別れもちゃんと言えましたよ? でもやっぱり離れたくないなぁって、思ったんです。家族は大好きだったし、姉さんは特別大好きだったし。姉さんの遺体を傷つけずにずっと一緒に居られる方法がないかなって考えたんですよ」
「それが……それが喰うことだってのか!?」
「天
「姉さんが大好きなんです。好きで空きで隙でスキで透きで鋤で好きで好きですきですきでたまらないんですよ。あの綺麗で魅力的で注目の的だった姉さんの目も髪もまつげも耳も唇も歯も骨も舌も喉も指も爪も肩も鎖骨も胸もへそも腰もお尻も×××も全部全部全部僕の中に吸い込まれていくんですよ。心の中にまで。ほら、ずっと一緒」
開いた口が塞がらないとは、この事だろう。途中から何を言っているのか分からなかった。いや、日本語で喋っていたのか?
怖い、怖すぎるだろこいつ。
食事を再開した奴に焦点を合わせながら、自然と身体が後ずさる。エムの奴は堪えているようだが、膝が笑っていた。
「お前、どこまで考えてた?」
来る途中は自殺してるんじゃないかとか考えていたが、幾ら何でも斜め上すぎる。何周回ったらこんな事考えつく?
知りたくもない。
「俺は左腕くっつけるんじゃないかって思ってたぜ」
「死んで腐り始めた妹で童貞卒業した男なら知ってるが」
「世の中狂ってやがる」
スコールが来るまで前にも後ろにも動けなくなった俺達は、ただ食事を続ける奴を見続けるしか出来なかった。