「お母様、終わりです」
「げふっ、ごほっ…………はあ…………はあ…………わた、しを……殺すの?」
「いえ、殺しませんよ。私の血を……」
そこでフェリは思った。あれ? 血を飲ませればいいんですよね? だったら普通に血を飲ませたらよかったのでは? 暴走したとはいえお母様はお母様。血だけを飲んでくださいねとか言えば血だけで済んだのではと。
つまりはこんな戦闘をする必要はなかったのだ。フェリはしばらくフリーズしていたが、頭を振って意識を戻す。フェリはいまさら気にしてもしょうがないと思い、手首をサッと切った。
「っ!」
痛みに顔を歪めた。傷からは血が溢れ出る。血はそのやわらかい肌を伝い、人差し指へと流れた。血は流れ続け指の先に血が溜まる。そして、すぐに雫ではなく蛇口から出る水のように流れた。
それを見てすぐにフェリは御魂の口元へと運んだ。吸血鬼だから血の気は多い。すぐには貧血にはならない。
「はぷっ……げほっげほっ」
「あっ」
血がずれ鼻の穴に入ってしまった。すぐに口へと移動する。
「んくんくんくんくんくんく」
御魂はそれを勢いよく飲んでいく。その間にも傷は癒えていく。まだですか? そろそろこっちが限界なんですが。フェリの肌が赤みをおびた色から白へと変化していった。どう見ても貧血だ。
一方の御魂は瞳の輝きが失いつつあった。吸血欲が治まってきているのだ。御魂のぼんやりとしたその目は、
「んくんく…………んんっ!!」
「きゃうっ!!」
いつの間にか再生した手でフェリを突き飛ばすと同時に見開いた。
「フェリちゃん!!」
「フェリさん!!」
黒歌、白音はすぐさまフェリのもとへと駆けつけた。黒歌がフェリの体を支え、白音は御魂のほうをジッと見る。
「大丈夫!? け、怪我は!?」
「だ、大丈夫です。ただ突き飛ばされただけです」
「でも、フラフラよ。全然大丈夫じゃないじゃない!」
立とうとするその足は今にも崩れそうだった。
「これは……貧血です。お母様に血を飲ませすぎました」
「それでその御魂ちゃんを正気に戻すことは失敗したみたいね。どうするの?」
「なにもしません」
「なんで!?」
「なぜならもう吸血欲はなくなりましたから」
「でもそれならなんでフェリちゃんを突き飛ばしたの?」
「それは暴走状態だったときの記憶があるからか、自分の娘の血を飲んでいたからでしょう」
御魂を一番よく知っているフェリは分かっている。もし間違ったことでフェリを傷つければ御魂は、自分を責める。そして一人で泣くだろう。フェリは御魂を見る。起き上がろうとするが咲夜が刺さっているせいで起き上がれない。
御魂は刺さった咲夜を確認。両手を使いゆっくりと引き抜いた。刀身には御魂の血で濡れていた。御魂は咲夜を手にしたまま、すぐさま起き上がる。
御魂の腹部に傷は最初からなかったかのようにふさがっている。しかし、御魂の着ている服にはちゃんと傷はあったんだと主張するように血にまみれていた。その服はボロボロのせいで前部分を隠せていない。
「まさ…………か……………………………………………私が?」
見つめるのは多少ボロボロになった寝巻きを纏うフェリたち。御魂は理解していた。これは自分がやったのだと。自分が三人をボロボロにし咲夜を刀にしたのだと。
「お母様、大丈夫ですか?」
「大丈夫? それはこっちのセリフじゃ!! お主らがそんなにボロボロなのは私のせいじゃろ!! そうだ!! 絶対にそうじゃ!! 私はなんてことを……!!」
「大丈夫です。みんなほぼ無傷ですから」
フェリは御魂を正面から抱きしめる。
「……ごめんね。ひぐ……私がみんなを……傷つけた……。私は……お母さんなのに……うぐ……娘にまで傷つけるなんて……!」
嗚咽の混じった言葉。御魂はフェリの右肩に顔を埋め泣いていた。全く、本当に泣き虫ですね。これじゃどっちが親か分からないじゃないですかとフェリは思った。
「み、御魂ちゃん!! 大丈夫?」
「私たち、結構傷つけました」
「そうよ。本当に大丈夫?」
二人は御魂をよく知らない。黒歌はこれで計三回戦ったがそれも御魂の本当の力の一部にも満たない。しかし、それは実はフェリたちにも言えることだ。御魂は親だ。まさか娘に本気を出すはずがない。
御魂は世界最強クラスの生き物だ。そんな御魂が本気の『ほ』の字を出せば、みんな一瞬にして消滅する。そして、魂には呪いとも呼べる不死がある。そんな御魂にとって傷などは全くの問題はない。
「……大丈夫。傷はもうない。それよりもお主らじゃ。お主らは吸血鬼じゃないから傷はすぐに治らんじゃろ」
そう言ったが、その目にはまだ涙が溜まっている。それにフェリの服にしがみついているせいで、色々と台無しだ。
「こっちも大丈夫にゃん。そういうのは治癒で治すから。だから気にしなくていいにゃ」
「そうです。それよりも御魂お姉ちゃんが心配なんです。何があったか覚えていますか?」
「なにか?」
「そうです。その様子だと覚えていないようですね。えっと姉さまお願いします」
白音は黒歌に説明を任した。白音はそういう説明が下手なのだ。説明をすれば十人に一人分かるか分からないかというレベルだ。それに加えこの事態を説明するとなるとそれはもう壊滅的だ。
説明したところで余計に混乱を招くだろう。それを知っている黒歌は前に出て、説明を開始した。黒歌は白音と比べ優秀だ。姉と言う立場もあるせいだろう。黒歌の説明を聞くたびに御魂の表情は暗くなっていった。
そして、一筋の涙が流れた。その量は少しずつ多くなる。フェリは気づき頭を撫でる。
「こんな……ことになる……ぐすっ……なんて……! どうして!!」
「お母様、意識を失う前に何を感じましたか?」
「えっ?」
「お母様がこうなったのには原因があります。言ってみてください」
「えっと確かちょっと、む、ムラムラしたような気がする」
「それです!!」
「ひゃっ!!」
フェリの突然の言葉に御魂はビクッと体を震わせた。いきなりでびっくりしたのだ。
「お母様は黒歌と白音のあの熱々な夜があったせいで性欲が刺激され、それとともに吸血欲も刺激されたんです。それが原因です。お母様が最後に血を飲んだのはいつですか?」
「フェリを眷属にしたときが最初で最後だった」
「そんなにですか!? だからです! 普通三大欲求の一つが刺激されても日ごろから血を飲んでいればこうはなりませんでした。いいですか? これからは最低一ヶ月に一回は飲んでください」
「……分かった。でもフェリはどうするんじゃ?」
「私は咲夜のを飲みます。咲夜も一応吸血鬼ですし、飲み合います」
フェリがチラッと見た先には御魂の手に握られた日本刀『咲夜』だった。御魂にずっと握られていたせいで咲夜は人間になれていなかった。その刀身は未だに御魂の血に塗れている。
御魂は気づいていないのか咲夜を放さない。咲夜は刀の状態だが、なんとなく早く人間状態になりたいという雰囲気が出ているような気がする。
「なら私はどうするんじゃ?」
「白音と黒歌のを飲めばいいじゃないですか」
「そうじゃが…………」
御魂は恐れていた。自分がやったことで白音と黒歌に嫌われたのではないのかと。そうなればもうこの関係は終わる。二人は御魂の眷属とはいえ御魂は二人の意見を尊重する。二人が嫌と言えば二人を解放する。
恐る恐る顔を上げ白音、黒歌の顔を見た。だがその心配はまったくの無意味に近かった。
「ふふん、御魂ちゃん。私はそのくらいじゃ嫌いにならないにゃん。だから、私の血を飲んで」
「私もです。御魂お姉ちゃんを嫌いにはなりません。だから私の血も飲んでください」
「本当に……いいのか? 私の本性の一部を見たじゃろ? 怖くないのか?」
自分を安心させるために言ってのではないのか。御魂はそれを心配していた。そんなもので一時的な安心感を得ても、そんなものはすぐに崩れる。例えばこのまま過ごして、空気が重くなる。それは幸せではない。
それならいっそ大嫌い! 出て行く! と言われたほうがマシだと。それならまだ幸せがあるだろう。
「怖くないって言ったらちょっと嘘になるけど、私は御魂ちゃんのことが大好きだから。だから嫌いになんてならない」
「わ、私もです! 御魂お姉ちゃんのことが大好きです! それに私を助けてくれたんです。離れたくないです!」
「ほら白音も御魂ちゃんとは離れたくないそうよ。だから、ね? これかもずっと一緒にゃ♪」
黒歌は微笑み御魂の土埃の付いたざらざらする金髪を撫でた。優しく優しく。
「わ、私を子ども扱いするな……」
そう言うがその表情は少しうれしそうに頬を赤く染めていた。子ども扱いするなと言うが撫でられて喜ぶ御魂を見てどうしたら止められるだろうか? むしろ止めずに撫で続けるだろう。
だから黒歌は止めずに撫で続ける。好きな相手に喜んでもらいたいから。そして、自分も撫でることを喜んでいた。自分が撫でることで自分と御魂が喜ぶ。まさに一石二鳥。
「あうぅ、姉さまだけなんてずるいです。私も撫でたいです!」
「ならほら、もっとこっちに来なさい。そこからじゃ届かないでしょ」
「は、はい!」
白音も近づき御魂の頭を二人で半分半分で撫でた。
「二人とも? お母様で遊んでいませんか? そして、お母様もです。さっきは子ども扱いするなと言いながら喜んでいるじゃないですか!」
「「あっ……」」
フェリが黒歌と白音の手を払った。撫でられなくなった御魂はしゅんとした顔になった。
「お母様! いつまで子どもになっているんですか!! 私たちを襲ったことでショックを受けたのは分かります。それで撫でられるのも。ですが、そろそろいつもどおりに戻ってくれないと、逆にこっちが泣きます! いいんですか!? こっちはお母様を斬ったんですよ!! 私たちが慰めてほしいです!!」
フェリがそろそろ我慢の限界に来たのか、涙目になっていた。自分の親を殺すつもりで斬ったのだ。その心へのダメージは高い。きっとおそらく人生の中でもっともダメージが大きく、もう二度とやりたくないことだ。
そんなフェリを御魂は逆に抱きしめた。見た目は子どもだがやはり御魂は親なのだ。どんなにショックで誰かに甘えても、自分の子どもを大切に思う。
「ごめんね、フェリ。もうこんなことがないように気をつけるから。私があなたたちを幸せにするためにも」
「お母様?」
フェリはいつもと口調が違う御魂に疑問を覚える。御魂は最後にニコッと微笑みフェリから離れた。
「さて、白音にも黒歌にも迷惑をかけたな。すまない。そして、私と居てくれると言ってくれてありがとう。私もお主らが大好きじゃぞ。償いとしても礼としても何かさせてくれ」
「え!? べ、別にお礼とかはいらないから! ………………………………………だって大好きって言われたし」
「ん? すまんが最後のほうが聞き取れなかった。もう一度言ってくれないか?」
「ダメッ! む、無理だから!」
御魂の大好きという言葉はもちろん黒歌や白音のような異性に対して使われるものではなく、単に家族などに使われるものだ。それに二人は気づいているのか。おそらく黒歌はこの反応からして気づいていない。
白音は……同じだ。御魂の大好きという言葉に頬を赤め少々俯いていた。さすがは姉妹といったところか。同じ人を好きになり、同じように照れる。しかし、白音はすぐに気を取り直して、
「そろそろ咲夜さんを放してあげたほうがいいんじゃないんですか?」
誤魔化すために話を変えた。
「む。そういえばそうだったな。フェリを抱きしめたときも握ったままだった。ほら、咲夜」
なにか聞いてはならないようなものを聞いたようにフェリは感じた。御魂は咲夜を宙に放り投げた。ちょうど頂点へ来たとき、咲夜は輝き人型となった。刀のときは付いていた血はない。
宙から地面へときれいに着地する。服はもちろん寝巻きだった。その表情はなぜか暗い顔だ。咲夜はそのまま御魂の元へとゆっくりと歩く。
「咲夜? どうしたんじゃ? 暗い顔じゃぞ」
「う…………うわああああああん!! 母様!!」
「のわっ!?」
暗い顔から一転し泣きながら御魂に勢いよく抱きついた。御魂はやはり勢いに負け咲夜に押し倒される形で倒れこんだ。
「よかったです! よかったです! ぐすっ……腕を斬ったり脚を斬ったり腹を裂いて中身を出したりしたので、このままいなくなったりするんじゃないのかって思いました!!」
「い、いくら私を止めるためとはいえ、そ、そこまでされていたのか……」
まさかの告白に顔が引き攣る。誰でも自分がそんなことをされていたら、こうなる。咲夜は御魂の胸の中でひたすら泣き続ける。御魂はどうにか手を伸ばし、その背中を撫でた。
もしかしたら、この中で一番心へのダメージを受けたのは咲夜かもしれない。刀状態だったとはいえ、それは意思のある刀、咲夜。咲夜は直接そのやわらかい肉を斬り、大量の血を浴びた。
フェリは咲夜を通して間接的な感触だったが、咲夜はそれも直接だった。それがあったのかもしれない。現に撫でる背中は微かに震えていた。それは泣いているからだけではなく、精神的から来るものだった。