フェリが一人旅を始めて約六ヶ月。
その間にはやはり様々な問題に直面した。
まずは人間、それも盗賊などと呼ばれる存在だ。
フェリは幻術を使い獣耳や尻尾は隠しているが、銀髪というここらの地域では見られない髪の色なので、フェリの近くを通る者たちは化け物を見るような目で見てきた。でも、やはり髪など気にしない物好きという奴がいて、そんな者たち、盗賊はフェリを襲ったのだ。
もちろんのことフェリは盗賊たちを殺して回避した。そこに躊躇いもない。ただ虫を殺すような感覚で殺した。
盗賊をして人を襲うような奴に情けをかけるほどフェリは甘くない。
それはフェリは幼い頃から御魂に善悪をよく教え込まれていたからだ。
御魂が善悪のことをよく教え込んだのは、その前が神様として行動していたからという理由もある。御魂は怪我と作物の神ではあって『
それでこの盗賊たちを殺した後も何度もそういうことがあった。
皆、卑猥な目でフェリの体を舐めまわすように見て、その度にフェリは嫌な気持ちになった。そして、殺した。
もう何人殺したかなんて覚えていない。それだけの数を殺した。
こういう問題のほかにもまだある。
それは食料だ。
フェリの持ってきていた食料はもうなく、背負っているリュックサックは軽くなっていた。
食料というものは消耗品で食べればなくなり、補充するしかない。そうするしかないのだが、食べ物を得るには盗むか山や森へ行って採るか獲るしかない。
そして、獲ったものはそこまで日持ちしないので、その日に食べるか、簡単な調理をして少しだけ保存期間を延ばすかだ。
で、ちなみに獲る手段だがフェリは罠を使わない。
使うのは己の体だ。
フェリは元は狩りをする狼である。狼になれば人型のときよりも嗅覚が優れ、走る速さも上なのだ。なので獲物を早く見つけ、狩ることができる。
フェリに狩られた獲物はフェリの手によって血抜きなどをされて、調理される、もしくは干し肉となるのだ。
ほかにも問題があったがなんとか潜り抜けた。
フェリは初めての旅で色々と戸惑うことがあったが、なんとか続けることができた。
「う、うう~、こ、これが外の世界……。大変です……」
夜になり森の中で焚き火をしていた。
その焚き火のそばにはきれいに周りを剥がされた枝に、明るいうちに獲ってきた魚が二匹串刺しになっていた。
すでに中まで焼けていて食べごろだった。
フェリは一つそれを掴み、それに齧り付く。
「はむっ、んむんむ……んく。はあ……これも、まあまあです」
フェリは食べている魚の丸焼きを見ながら小さく呟いた。
これを美味しくないとは言わない。だが、すでにもっと美味しい食べ物を知っているフェリからするとやはり劣る。
やはり燐が作った料理が恋しい。早く見つけて帰りたい。思わずそう思ってしまう。
フェリの心はすでに折れかけていた。
なにせこの六ヶ月間、フェリが体験したことは主に悪いことばかりだ。
村を通れば石を投げられたり、変な目で見られたりと助けてくれる人なんていなかったし、人気のない道を通れば盗賊に会い、嫌な思いをする。
これだけのことがあればそうなっても仕方ない。
「ぐすっ、お母様……。本当にどこですか? そろそろ耐えられませんよ」
しかし、心が折れかけても決して御魂を探すことを止めようとは思わなかった。
言ってみれば御魂はフェリにとっての生きる目的であるからだ。探すことを止めるということは生きることを止めると言っていいだろう。
「もう……寝よう」
全て食べ終わったフェリは狼の姿になり、体を丸めて寝た。
フェリが狼の姿になったのには理由がある。
燐がそうしろと言ったからである。
燐がそう言ったのはフェリが汚らわしい奴らに寝込みを襲われることを阻止するためである。
いくらなんでもメスの狼で欲を満たそう輩はいないだろうし、動物で満たそうとする輩がいたとしても、獲物を狩る狼で欲を満たす勇気ある者はないだろう。
そういうわけでこうして毎日忘れずに狼になって寝るのだ。
「いい夢が見れますように……」
こんなに嫌なことが続く旅の日々なのだ。せめて夢の中では母と楽しく過ごしたいと思ったのだ。でないともう無理。心が折れる。それほどまでフェリの心は疲労していた。
その日以来、その願いが叶ったのか、時々フェリと御魂が仲良く暮らしている夢をみるようになった。
この夢はフェリの折れかけた心を完全に修復するには十分なものであった。
夢を見るたびにフェリの心は完全復活するようになったので、フェリの心はもう折れることはない。これからは幸せな夢を見ることで回復する。
そして、旅をしてどれだけ経ったか。
相変わらずフェリは旅をした月日を数えていない。
だが、結構な年数が経ったのは確かだ。
その証拠の一つがフェリが着ている新しい服の訳だ。
フェリは今まで着ていた服はすっかりと変わり、人間社会で手に入れた服を着ている。
なぜあの服ではなく、その服なのか。
それは別にあの服が古くなったとかではない。あの服は暇つぶしに作ったものとはいえ、御魂が作ったものだ。どれだけ経とうが耐久度はずっと変わらない。あの服はそういうものなのだ。
だというのに服が変わっているのは人間たちの文明力が上がったせいだ。
昔は、それもフェリが小さい頃は自然で溢れていたのだが、現在は文明力が上がったおかげでよく人工物を見かけるようになったのだ。
それはつまりフェリも人間に関わらなければならないことが多くなったということだ。そして行動が制限されたということ。
さらにここ、ヨーロッパでは貴族と庶民などという身分が出てきた。もちろんのことフェリは庶民に入る。
とにかく、フェリは庶民である。
庶民はあのような服は着ない。そういうこともあってフェリは服を変えたのだ。面倒に関わらないためにも。
で、その服だがフェリは人間に紛れなければならないし、お金という通貨も必要になったので働くことが多くなり、それで服を買ったのだ。
正直、フェリはそんな働く暇はなかったのだが、人間の世界ではお金が全てなのではたらく必要があったのだ。
まあ、フェリなら貴族の家へ忍び込んで金目のものを盗めることができるのだが、御魂に教育されたのでそうはしなかった。真面目にお金を稼いでいるのだ。そのお金は僅かなのだが、フェリは食べ物にお金はかけないので他の者たちよりもお金が余裕ができる。というのもフェリは吸血鬼で実はあまり食事を取らなくてもよい。ただ血の代わりに食事をしていたというだけだ。事実、フェリは血を吸ったときは一年ほど何も食べなくても体には全く問題なかった。
そんな便利な体なのだが、それがある意味問題となり一部の者たちがフェリを追い回すようになった。
それは魔女狩りである。
それのせいであまり長くその場にいることができなくなったのだ。いればフェリを追いかける追っ手が突き止めるのだ。それがずっとである。
しかし、普通はこうもしつこくはならない。なにせ魔女狩りの対象はまだいるのだから。一人よりも別の対象たちを狩ったほうがいい。なのにフェリだけをしつこく追い回すのはフェリが最初に抵抗したときに魔力を使ったからだ。そのせいで本物の魔女とされ、こうなった。
そして今も追われていた。運悪く見つかり、武装した兵士が二十名ほど武器を持って追いかけてきている。
「ああっ、もう! しつこいです!」
フェリは矢の雨が降る中を走っている。
その中で走るのだから矢が当たりそうになるのだが、そのときは身体能力を一瞬だけ上げて避けていた。
フェリが本気を出せば人間程度は一瞬で殺せるのだが、そうはしなかった。
別に御魂の教育のせいではない。この場合正当防衛にあたるので、反撃してもいいのだ。
しかし、やらないのは反撃することで余計に面倒なことが増えると考えたからだ。
「こんなことをしている暇はないのに!! ちっ、しょうがない! えいっ」
フェリは手に魔力の弾を作り、追っ手の足元へ投げた。魔力弾は地面にぶつかると同時に爆発し、土と煙を中へと巻き上げた。
「ぐあっ」
「な、なんだ!?」
「ま、魔女の魔法だ!!」
後ろのほうから兵士たちの悲鳴と叫び声が聞こえた。
(先ほどのは威力はあまりありませんし、死人はいないでしょう)
先ほどのは足止めで使っただけだ。当たったとしても重傷になるだけ。
フェリはこれを機にちょっとだけ本気を出して、一気に距離を作った。
これでしばらくは追ってはこないだろう。
(はあ……精神的に疲れますね)
毎日毎日というわけではないが、こうも本来の目的を邪魔されたり一気に殲滅できないというのはストレスが溜まり、精神的に疲れるものだ。
それを分かっていてストレス発散を目的とした攻撃をせずに我慢している。
フェリは岩を椅子にしてそこに座った。
今日はここで体を休める。ちょうどよく草木で隠れているので、見つかることはないだろう。
フェリは旅の始めからずっと背負っているリュックサックを下ろし、その中から食べ物を取り出す。それはフェリがちょっと前に作った干し肉である。それを口に入れた。
食べなくていいのに食べるのは、むしゃくしゃしたこの感情を晴らすためである。
そうでもしないと精神がもたない。
フェリは数枚食べた。
お腹は満腹というわけではなかったが、ある程度すっきりした。
フェリはリュックサックを背負う。そして、周りの地形を調べようとした。
と、そのとき、フェリは立ち上がり、戦闘体勢を取った。
「……何者です?」
周りには草木があるだけで誰もいない。しかし、御魂に鍛えられたフェリは近づく誰かに気づいた。
「ほう……完全に気配を消していたのだがな……。まさか気づかれるとは」
フェリが見つめる、いや、睨み付ける先から声の持ち主が現れた。
その者は男だった。だが、男か女かなどはどうでもいい。注目するべきはその姿だ。彼は背中に翼を生やしていたのだ。烏のように真っ黒な二枚の翼を。それはもう人の姿ではない。フェリと同じ人間ではない者の姿だ。だが、だからといってフェリと同じ妖怪というわけではない。
「私もここまで近づけられるとは思っていませんでした」
二人の距離は五メートル。
力を持つ者たちからすれば一瞬で間合いを詰めることができる距離だ。
「くくく、先ほどのを見ていてよかった。まさか人間界にこんな面白いものを見つけるとは……」
男はフェリの体を見ながら笑う。
相手は余裕のようだ。
一方のフェリは違う。表情は睨んでいるが、内心では目の前の男に恐怖し怖いと思っていた。
フェリは相手の実力を理解していた。
相手はおそらく自分と同じかそれ以上の相手。しかも、自分を何かの目的だろうが、尾行してきたということと余裕の姿から戦いの経験はあると見た。
いくら実力が同じ位でも経験があるのとないのとでは、その勝負の結果はほぼ決まっている。
フェリが相手にしてきたのは御魂か自分よりも圧倒的に弱い相手のみだ。勝てるはずがない。
だから、目の前の相手に恐れたのだ。
「と、その前にその幻術を解いてもらおうか」
「よく分かりましたね」
「ああ。しかし、なかなか見事な術だ。私が分かったのは偶然だよ」
この術は御魂が作った術だ。幻術とはいえど、すぐにばれるような術を作るようなことはしない。
フェリは幻術を解き、耳と尻尾を見せた。
「ほう、その耳と尻尾。狐? いや、狼か。これはこれは」
男はなぜかうれしそうな顔をした。
フェリには分からない。
「なぜ私を?」
「それはゲームのためだよ、ゲームのな」
「ゲーム? どういう?」
「ふむ、そうだな、こう言えば分かるかな? 狩り、と言えば」
「狩りとはつまりその対象は私ですか?」
「よく分かっているじゃないか。お前は狼、つまり獣だ。狩りの対象としてはぴったりだ」
つまりはフェリを殺して楽しむということだ。
自分が殺されるために遊ばれると分かり、フェリの心の中はより恐怖が増した。
本当はもうその場で崩れ落ちて、幼い子どものように泣き喚きたいほどだった。しかり、フェリはなんとかそれを抑えて戦って生き抜くことではなく、戦わず逃げることを考えていた。
それは御魂の教えだけではない。ただ単純に怖いから逃げたいというのもあった。生きたいと思ったというのもあった。
(ど、どうしよう……。きっと勝てない! 逃げないと! でも、どうやって? 相手は翼を持っているから空は飛べるし……)
頭の中は逃げることでいっぱいだ。
だが、それでいい。
御魂がいたらそう言っていただろう。
「さあ! 始めようか! 狩りの時間だ!!」
男は背中の黒い翼を勢いよく広げ、宙に浮き高らかにそう言った。その両の手のひらには何か光の槍が出現していて、空気を振動させる音が光の槍から発せられていた。
(あれは……何? 魔力? 霊力? いや、どっちでもない。でも、似たようなものは見たことがある! あれはお母様の……!)
フェリが思い出したのは御魂が使う力のうちの一つだ。
それは御魂が使う神の力、
ただ同じなのは光を発し聖なるものだというくらいだ。
「ほら、どうした? 構えないのか? それとも逃げないのか? 私はどちらでもよいのだよ。ただ楽しめられればそれでいいのだ」
「へえ、なら遠慮なく倒して上げます!」
嘘だ。
戦う気なんて全くない。逃げる気満々だ。
フェリは手に魔力を込めた。
「やはり中々の魔力を持っているようだな。悪魔ならば上級悪魔といったところか?」
「悪魔?」
「ああ、そうだ。悪魔だ。もしかして……お前は悪魔、天使、堕天使を知らないのか?」
「……知りません」
「くくく、そうかそうか。まあ、いいだろう。世の中には貴様ら妖怪のほかにもまだ種族があるのだよ。それが堕天使、悪魔、天使だ。ちなみに私は堕天使だ。ほかにもまだ種族はあるが、今はゲームが先だ。それに知っていてもお前はここで死ぬ運命なのだからな」
フェリからすれば話してもらったほうが時間稼ぎになってよかったのだが、男のほうはフェリを殺すことが楽しみのようでそれは無理のようだった。
フェリは逃げることを考えながらも、その中に戦いつつ逃げるという戦術を考えていた。
つまり戦うという道を選んだのだ。
「いいでしょう。始めましょうか。まずは私から!」
フェリは手のひらの魔力を魔力弾にして、それを放った。
頭部ほどの大きさでそれなりに破壊力はある。人間に当たれば爆発四散するだろう。殺傷能力のある魔力弾ということだ。
魔力弾は一直線に堕天使の男の胴体へ飛んでいく。
それに堕天使の男は光の槍を放った。
魔力弾と光の槍は二人の間でぶつかり爆発した。
「きゃうっ」
フェリは爆発の衝撃で思わず悲鳴を上げる。
その爆発の衝撃で二人に距離が開く。
「ほう、中々の威力だな。いいぞいいぞ! 楽しめる!」
堕天使の男はフェリの魔力弾の想像以上の威力に笑みをこぼした。
逆にフェリはもう嫌だと泣き出しそうになった。
フェリは御魂という自分よりも強い相手と戦ったことがあるが、御魂は堕天使の男のように殺す気ではなかった。どちらかというとフェリのほうが御魂を殺す気(御魂からそうしろと言われた)で戦っていた。そういう意味では確実に殺されるほうになったのは初めてなのだ。
男は次はさらに何本かの光の槍を出した。
「さあ、次は私だ!」
男の光の槍がフェリに向かって放たれた。
フェリはその場から飛び、宙へ逃げた。
放たれた槍は先ほどまでいた場所へ突き刺さった。
「ほう、飛べるのか。しかも、速いな」
「そちらは翼を持っているくせに動かないんですね。というか、どうやって宙に留まっているんですか?」
「それはお前と同じさ」
「それは力を使っていると?」
「そうだ」
「なら翼なんていらないでしょう。私が引き千切ってあげます!」
「遠慮しようか。なにせ翼も利用しているからな」
ちょっとだけ余裕ができたフェリは男と会話していた。
次は男はその場から動かずに光の槍ではなく、光の矢を連続して何本も放っていた。
フェリはそれを飛びながら回避した。
そのフェリの軌跡を追うように光の矢が通り過ぎる。
(ちょっとでもスピードを落としたらあの光の矢が刺さる! これじゃ攻撃できない! ん? 待って。あの烏はその場から動かないし、このまま逃げられるんじゃ……)
そう思うとタイミングを見て逃げることにした。
先ほどは挑発をしたが、アレはこちらが逃げずに戦うと見せるためのものだ。まさかあの烏、じゃなくて堕天使の男もフェリが逃げ出すとは考えまい。
それを狙った戦略だ。
「くくく、さてさていつまでもつかな?」
「くっ、うるさい!」
ニヤニヤと笑う堕天使の男にフェリは思わず汚い言葉を言う。
フェリは滅多にうるさいなどという言葉は使わない。いつもならもっと丁寧に言う。だが、日頃のストレスや探し続けても見つからない御魂への怒りによってそれが吐き出されたのだ。おかげでいつもよりも汚い言葉を使うのだ。
「ちょっとは手を休めてください!」
「私はな、いつでも全力さ。相手がウサギだろうが狼だろうがなんだろうがな。だから休むなんてことは無理だ」
「ある意味尊敬できますが、今はいりません!」
フェリは余裕で光の矢を放ちながら話し続ける堕天使の男に苦し紛れの魔力弾を放った。
飛行に集中しているので魔力弾の大きさは拳程度でしか作れなかった。もちろん威力も小さい。いつもなら飛行しながら威力の高い魔力弾を作れるのだが、初めての殺されるという中での戦いでできなかった。
その魔力弾はまっすぐ堕天使の男へと向かったのだが、男は光の矢を放つのを止めもせずに体を傾けるだけで回避した。
「ふっ、先ほどと変わり威力も速さもない。避けるのが簡単だったよ」
「そうですか。ならこれは?」
再び魔力弾を込めて放つ。
だが、次はちょっと細工をしていた。
「またか。芸がないな」
「そうでしょうか?」