アクセルワールド;Beyond the Bounds   作:[ysk]a

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4th run:Tactics Exemplar《先達》

 

 

 

☆ 2047年3月某日夕方、墨田区、某レストラン前

 

 

 

 

 

 目的地に着き、ディンゴがリンカーを経由して料金を支払って降りるや否や、タクシードライバーは叩きこむようにアクセルを踏んでその場から脱兎のごとく去って行った。

……ただでさえ強面のディンゴがさらに鬼の様な形相で殺気を放ち続けていたり、ミラー越しに睨まれているような気がしたり、さらには時折不意を突くように舌打ちまでされていたのだから、若干気が弱い方であったタクシードライバーの反応は無理も無いなのだが、ディンゴがそれに気付くはずもない。

 ましてや未だに世界で治安が最もいい国トップ3に入る法治国家日本において、今は現場を離れて休職中とはいえ、いくつも死線をくぐり抜けてきた本物の軍人である白髪の大柄な外国人がそんな態度をとっていようものなら、普通の―――それも今年中学生になる息子と娘を持ち年収600万程度の冴えない運ちゃんを支えてくれる健気でおっぱいの大きいちょっとばかし天然で料理上手な奥さんもいるという、実はひょっとしなくとも勝ち組なんじゃねって思えなくもない平凡な夜のテクニシャンであるタクシードライバーの抱える心労たるや、想像するに余りある。ただし、なんとなく同情できないが。むしろちょっぴり胸が空く世の独身の方々が多い気がする。

 閑話休題。

 まるで国際指名手配犯から逃げるかのように凄まじい勢いで走り去るタクシーを少しだけ怪訝そうな表情で見送ると、ディンゴはすぐにその光景を意識から締め出し改めて目的地である目の前の建物を見やる。

 ディンゴの住んでいるマンションからそう遠くない、メールの指定にあった住所であるその建物は、それなりに瀟洒なイタリアンレストランだった。

 建てられてから比較的新しいのだろう。ややレトロな木製中心の造りや外に出されたのぼり、各所で柔らかい暖色系の光を灯すライトなど、どれもかなり綺麗で汚れは見当たらない。

 既に夕方も終わりに近づき、夜の帳が空を覆い始める頃である。振り返れば、空はその大部分を群青色に染め、沈みゆく夕陽の色と混ざり合って西の空は神秘的な紫色に彩られていた。

 大通りから少し中に入り、車の喧騒から離れつつもしかし寂れた雰囲気からは程遠い立地のこの店は、なるほど。女心を擽りそうな小奇麗な造りもあって、仕事帰りのOL等に人気が高そうだった。事実、外から中を窺った限りでは、ディンゴの様な男性客はほとんど見当たらない。

 軍では効率が良いからとブロック栄養食やゼリー食ばかりを好んで食べていたディンゴにしてみれば、店の小奇麗さなど評価の対象にもならない上、どちらかというと店の雰囲気は苦手な部類だった。おまけに内部の客層から鑑みて、入るだけで香水その他の臭いで鼻がどうにかなりそうだな、と推測したディンゴは入店する前からげんなりする。

 

 

 

「けっ」

 

 

 

 覚悟を決めて一つ悪態を吐いたディンゴは、いつしか道行く人々から注目を集めている事実など何一つ気にすることなく、粗野な雰囲気を隠す事もせず乱暴に店の戸口を潜った。

 ドアを開けると共に、そこに設えてある来客を知らせるベルが涼やかな音を立てた。

 同時に、仮想デスクトップの端に店内ローカルネットに強制接続された旨が表示され、続けざまに来店を歓迎するメッセージと来店人数、喫煙席ないしは禁煙席のどちらが希望か、といった簡単な質問事項が記載されたメニューが開く。

 ディンゴはそれらを無視して、メニュー上部にある【その他】のタブから【待ち合わせ】を選択。ポップアップしたリストから目的の名前を見つけタップ。ウィンドウが切り替わり、店内の見取り図が現れると、東の一画の席が赤く点滅した。つまりは、そこに待ち合わせの人物がいる事になる。

 そうやって一通りの操作が終わると、ウェイトレスが見計らったかのようなタイミングで現れ、恐らくは彼女の仮想デスクトップに表示されているであろう情報に従ってディンゴを席まで誘導する。

 案内されながら、ディンゴはこの〝便利すぎる状況〟に相変わらず慣れない事を自覚しつつ、自身の〝状況〟の危うさを再認識した。

 

 今となっては珍しくなくない、リンカーを介したシステムを用いない所が無いほどに普及を始めた昨今、ディンゴのように身体機能を機械で補い、かつそれらの機械に外部からアクセスされる事に危険性を孕んでいる人々にとって、今の状況はまさに寸閑を問わず命を狙われているに等しい。

 ローカルネットのセキュリティはしっかりしているか、自身のファイヤーウォールに不備はないか、あるいはそれすらも一笑に付すようなハッカーが潜んでいないか――――数え上げたらきりが無いような不安と共に、ディンゴの様な人々は外部からの違法アクセスによるシステムの侵略から身を守らねばならない。

 こと、入店(もしくは入室)するや否やシステムとの接続を強要される場所においては、仮想デスクトップにネットワークとの接続を知らせるポップアップが上がるだけで心臓が縮み上がるような人間もいるのだ。最悪、そのプロセスを利用して侵入に気付かせることもなく違法アクセスをされる場合もある。どちらにせよ、そういった輩から常に身を守らねばならないというプレッシャーは、年に数万人規模でノイローゼ患者を出す程に深刻な問題となっている。注意を怠れば最悪命の危険、そうでなくともウイルスを仕込まれ強迫される等、ロクな事にならないのだから無理も無い。事実、ニューロリンカーで動作を管理していた心臓のペースメーカーを持つ人間が、悪意ある第三者が送り込んだウイルスによってペースメーカーを弄られた末に死亡した事件もある。

 裏を返せば、そういった〝心配性の人間〟達は、セキュリティソフトを開発する者達にとっては蜜の滴る樹木であり、近年では際限無きイタチゴッコを繰り返しつつもかなり重要な規模の市場を築きあげてもいるため、「(人間の業ってのはほとほと救いようが無ぇな)」等とディンゴは思うのだった。

 ディンゴもまた、二か月と少し前の事件を境にそういった〝心配性の人間〟達の仲間入りを果たした訳であり、事実、先程入店した時強制的にローカルネットに接続された時は肝が冷えた。それは、ほんの数十分前の体験もあったからかもしれないが、少なくとも〝この体〟になる前までは体験した事のない恐怖であったことには変わりない。

 救いなのは、ディンゴの脳内のBICと首元のニューロリンカーには既に、世界でも指折りの天才/老人が組み上げた電子防壁アプリケーションがインストール済みである事か。

 米軍の最重要機密が納められているデータベースや米国内のソーシャルカメラの電子防壁の構築、米軍内で正式採用されているシミューレーターのプログラムを提供したり、果てはとある大手企業のサーバーを構築に独自のクライアントプログラムの製作と、広範にわたる活躍の話を聞くだけでもその才能の凄まじさが窺えるが、ハッカー業界(なるものがあるらしい)においてはウィザード等と崇められているらしいことからも、その天才/老人の事をディンゴは信用はせずとも信頼はしていた。

 一つだけ気にかかるのは、まるで〝全て把握している〟かのように、ケンに電子防壁アプリが入ったXSBメモリを渡していた事か。単にディンゴが昏睡中に最新版が出来たので、それを渡すようにケンが頼まれただけかもしれないが。元々あまり連絡のつかない人物であり、大した事でもない―――――ただの偶然だろうとディンゴは納得している。

 他にもインストールに異常に時間が掛った事や、インストール直後にXSBメモリが破損状態になってアクセスできなくなったりと、奇妙な点が二・三はあったのだが、作ったのがあの変人/老人だったのだからそういうこともあるだろうな、ともはや意識の片隅にも残っていなかったりする。

 

 そんな物思いが終わるころ、やけに広い店内のさらに奥のブロックまで案内されて、ディンゴはようやく目的地に着いた。

 ごゆっくりどうぞ、などと商業的かつ千遍一律な言葉を残してウェイトレスが去るのを目の端で見送り、ゆっくりとその席の先客を見やる。

 腰まで伸びる長い髪は後頭部で一つに結わえられており、ディンゴの知る私服姿よりも若干ラフな格好で、彼女は既に注文してあったピザ(クリスピータイプでバジルソースが毒々しい色彩を放っている)を咥えていた。

 ディンゴが到着した瞬間、まるで蛇に睨まれた蛙のように硬直していたが、しかしそれも一瞬の事。忘れた時が動き出すようにゆっくりと一口を噛みちぎり、もぐもぐと咀嚼する。

 強調しているつもりはないのだろうが、若干サイズが小さめのシャツの隙間からその豊満な胸の谷間が垣間見え、丈も足りないせいで臍が覗いている。デニムのパンツは着古してあちこちが擦り切れており、傍に置いてあるバッグも色気も何もない、実用重視の無骨なバックだ。

 モデルもはだしで逃げ出しそうなスタイルを惜しげもなく晒している癖に、身につけている物がブランドの〝ブ〟の字も無いというアンバランスさが、却ってその存在感を際立たせている。

 そして、ようやく口の中のピザを呑みこんだ彼女は、少しだけその柳眉を曲げると、待ち合わせに遅れた恋人を避難するような表情で言った。

 

 

 

「遅かったじゃない」

「……なんでテメェがここにいる」

 

 

 

 質問に質問で返すのはもはやディンゴの癖と言っても良いが、それでも今回ばかりは相手の言葉に耳を貸すつもりはなかった。

 ただ威圧的に問いただしながら、彼女の正面の席へドスン!と座る。ついでに右手で拳を作ってテーブルに叩きつけるのも忘れない。

 しかし、そんなディンゴの威圧もどこ吹く風といったように受け流した彼女は、指に付いたバジルソースを舐め取り付近で拭うと、ふと思い出したように続けた。

 

 

 

「あ、ここの支払いお願いね」

「質問に答えろ!」

「……いちいち怒鳴らないでよ。周りに迷惑でしょ」

「んなもん、俺が来る前からお前に注目集まっていた時点で気にするもんじゃねぇだろ」

「え、うそ?」

「鏡で自分見たか? いい年した女がスラムのガキみてぇな恰好しやがって」

「失礼ね。どこが変なのよ!」

「自覚してねぇのか? 全部だ全部!」

「このジャケットに合うのがこういう服しかないんだから仕方ないでしょ」

「バカか? バカなんだなもしくはアホか! 他にも服はあるだろうになんでそのチョイスに拘る!」

「……だって、父の形見なんだもの。そのぐらい、いいじゃない」

「…………ちっ」

 

 

 

 少しだけ目を伏せ、雫一粒一粒を零すように告げる彼女に、ディンゴはバツが悪くなって舌打ちをするしかなかった。

 彼女の父はもういない。かつてディンゴの部隊の先任であり、同時にある作戦中にディンゴを庇って殉死した。そのたった一つの形見が、彼女のバッグの傍らにある無骨な米国空軍の男性用ジャケットである。それを届けたのもまた、ディンゴだった。

 その一言で毒気を抜かれたディンゴは、ひとまず運ばれてきた水を一気に呷って気分を切り替える。

 熱しかけていた思考が冷まされ、優先すべきであった事柄を再認識する。

 迂闊な言葉でしめっぽくなった空気を振り払うように、ディンゴは普段通りの態度を心掛け、わざとらしさの滲み出るような態度で、再度問いかけた。

 

 

 

「それで、なんでテメェがここにいる―――――――ケン」

 

 

 

 ディンゴに呼ばれた彼女――――ケン・マリネリスは、滲みかけていた何かを抑えこむようにディンゴに劣らぬ豪快さで水を一気に煽ると、先程の雰囲気とは打って変わった勝気な表情を浮かべ、手前のピザを指さしながら笑った。

 

 

 

「まず、食べてからでいいかしら?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前に運ばれてきた料理から立ちあがる湯気に混じった芳醇なチーズと、調理されてもなお褪せない魚介類の香りがディンゴの鼻腔を擽る。

 加えて鼻の粘膜に直接染み込む様を感じるような甘さと、撫でるようなトマトソースの香り。大いなる海の恵みを感じさせる微かな潮の匂いはムール貝やエビといった魚介類のものであり、これから口を満たすであろう味を思うと、普段食に対して何の感慨も抱いていないディンゴであろうとも生唾を飲み込まずにはいられない。

 ディンゴは、ゆっくりと目の前の料理――――地中海風ドリアにスプーンを入れ、チーズを裂きながらその中にある米ごと掬い上げる。

 途端、これまでとは比較にならない程濃厚な香りがディンゴの鼻腔を襲った。

 陸と海の恵みを凝縮したような、大いなる自然の偉大さを無言のままに語る芳しいまでの味は、舌を通さずディンゴの脳髄を一つの欲求に染め上げる。

 腹がなり、唾が満ちる。

 たまらずそれを口に含み、そのあまりの熱さに慌てながらも丹念に舌の上で料理を転がす。

 無言のまま咀嚼を続け、名残惜しげに喉を通し胃へと送り届けてやっと、ディンゴは一息を吐くように漏らした。

 

 

 

「……旨ぇ」

「でしょう? 知人に教えてもらった店なんだけど、想像以上で満足しきりよ」

 

 

 

 得意げに語るケンの言葉は、今のディンゴには届いていない。

 まるで欠食児童が久方ぶりの食事にありつくかのような勢いで食べ散らかす姿を、ケンは微笑ましく見守っていた。

 ケンもまた残っていたピザに手を伸ばす。今度は彼が頼んだドリアを注文してみよう、そう決心しながら。

 物の数分でドリアを完食したディンゴに驚きつつも同じくらいのタイミングでピザを食べ終えたケンは、一先ずサービスである食後のコーヒーをウェイトレスに頼むと、ごそごそとバッグを漁りだした。

 久々に味わう満足な満腹感に浸っていたディンゴは、若干鈍くなった頭でケンに質問する。

 

 

「何を探してる?」

「ケーブル。公で話すのは不味い内容でしょ?」

「……ちっ、メンドクセェ」

「ぶつくさ言わないの。はい、そっちつなげて」

「へいへい」

 

 

 

 ケンが取りだした5メートルのXSBケーブルを受け取ったディンゴは、心底面倒そうな表情で首元のリンカーへと接続した。続いてケンも自身のシェルピンクのリンカーへと接続し、即座に【WIRED CONNECTION】の警告文がポップアップし、ディンゴは気だるげな仕草でソレを閉じる。ちなみに、そんな二人の様子を見ていた周囲が若干色目気だったのは言うまでも無いし、そのことにケンは素で気付いておらず、ディンゴは意図的に無視していたのはもはやお約束と言えた。

 テーブルを横切るように伸びるケーブルを端へと寄せると、タイミング良くコーヒーが運ばれてくる。

 オーダーの忘れは無いかを聞かれ、ケンが答えるとウェイトレスはお手本の様なお辞儀と笑顔を残して去って行った。ちなみに、最初のウェイトレスとは違うウェイトレスである。恐らく先輩だろう。

 ふりふりと揺れるサロンの後姿を見送りながら、ディンゴがそんなくだらないことを考えていると、唐突に思考発声でケンの嫌味が飛んできた。

 

 

 

『ふーん、あぁいう人が好みなのね』

『いや、まだまだだ。ヒップは良いがバストが足りねぇ。あと鉄面皮すぎる。ありゃぁきっと厳しいフロアマネージャーだぞ』

『……なんでそんなくだらないことに観察眼働かせてるのよ。それより、本題に入りたいんだけど』

 

 

 

 そういえば、と。ディンゴは余りにも予想外だった美味しい食事の所為で、これまで軽く忘れかけていた〝本題〟の事を思い出す。元々此処に来たのだって、食事よりもその〝本題〟を問いただすつもりだったのだ。

 

 

 

『……で、なんでテメェがここにいるんだ、ケン』

『説明すると短いんだけど』

『短いのか』

『ええ。あなたに仲介する前に、先方から信頼証明みたいな感じで〝こんなモノです〟ってアプリが送られてきてたの。で、ものは試しでインストールしてみたら、できちゃった』

『……試し?』

『そうよ。言ってなかった?』

『あぁ』

『……じゃぁ、起動コマンドも?』

『いいや』

『……おっかしいわね。うっかり忘れちゃってたのかしら。じゃぁ、さっきの戦闘が初めての起動だったの?』

『そうだ』

「…………………………フゥ」

 

 

 

 コーヒーを啜りながら、いっそ尊大とも言える態度で知らないと告げるディンゴに、ケンは長い沈黙の末大きな溜息を吐く事でなんとか自身の呆れを表現して見せた。無論、それに意味は無いと知りつつも。

 

 

 

『じゃぁ質問を変えましょう。正直、あなたが何をどれくらい知っているかわからないから、どこから説明したものか悩ましいの。今現在、あなたが知っていることは?』

『〝対戦をふっかけられたら勝手に起動する〟〝対戦中は思考速度が加速する〟〝中身は恐ろしいまでにリアルな対戦格闘ゲーム〟――――あとは、〝偉そうに講釈垂れるいけすかないメスガキがプレイしてる〟ってことくらいだな』

『……ほとんど何も知らないようなものね。それと最後、喧嘩なら説明終わった後に買ってあげましょうか?』

『その前に、だ。件のアプリを遊んでいるのは放っておくにしても、そもそもなんでお前が此処/日本にいる。大学はどうした』

『早めの夏季休暇。単位の心配はないし、言ったでしょ。ある程度のサポートはするって』

『その合間に海外旅行でゲームのバカンスか。良い御身分だな』

『あら。せっかくあなたをサポートするためにわざわざココまで来たのに、酷い言い草ね』

『頼んでねぇ。そもそも、いつまでも仲介屋なんてヤクザな事をするつもりだ。ガキはガキらしく単位で頭悩ませてりゃいいんだよ』

『余計なお世話ね。大体、あなたが危なっかし過ぎるからいけないのよ。今回だってあんな大事故起こして、私が事故の知らせを聞いてどれだけしんぱ―――――』

「―――――あん?」

「っなんでもない! 父でもないくせに私の将来に口出ししないでくれる!?」

「……声、ダダ漏れだぞ」

「!」

 

 

 

 ズダン!と、勢いよくテーブルに手を叩きつけながら立ちあがるケンに、ディンゴは至極冷めた態度でコーヒーカップを片手に指摘する。

 ちらりとケンが周囲を見渡すと、何時の間にやらこちらに注目していた衆目が雲の子を散らすように霧散した。

 あまりの気恥ずかしさと、今の会話を傍から聞いていたらどんなふうに思われたかを瞬時に想像して、ケンは耳どころか首元まで真っ赤に羞恥の色へと染め上げながら、恐る恐ると席へと腰を下ろした。

 ずずず、と呑気なコーヒーをすする音が聞こえ、ケンは恨みがましそうにその音の発生源を睨みあげる。

 

 

 

『――――と、とにかく。私がこっちにきてるのは、たまたま暇だったのと、あなたがまたヘマをしないかどうか確認にきてるだけ! むしろ、仲介後にこんなアフターサービスをただでやってあげてるんだから感謝してほしいくらいなんだけど!?』

『……へいへい』

『それにね! 今のあなたの言葉を聞く限りじゃ、〝ブレインバースト〟について何も知らないみたいじゃないの。少なくとも私は一か月前にはもう始めてたし、あなたより知ってる事は多いんだから話を聞いておく事に損はないんじゃないかしら?』

 

 

 

 バレバレの言い訳であったが、ディンゴはあえて反論せず、もう一度コーヒーを啜って適当にスルーした。というか、一ヶ月も前から〝コレ〟をやっていたのかと突っ込みたくなる。

 同時に、〝足長おじさん〟が一ヶ月も前からケンに接触していたこの方が気になった。

 恐らくは、そっちの世界ではそれなりに名が売れているのが理由だろうが、それにしてもタイミングといい人選といい、ドンピシャリ過ぎる。まるでこうなることがわかっていたかのような事の運び方だ。

 まさか、あのテストの事故も、奴らのちょっかいがあったのではないか―――――いや、さすがにそれはフィクションに走り過ぎだろう。自分のあまりの思考の飛躍っぷりに軽く苦笑いしながら、ディンゴはもう一度目の前のジャリ娘を見やった。

 強気な瞳に頑固そうな真一文字の眉、加えて父親譲りの隠しきれない人の良さを滲ませている少女を、いっそボロクソに言い負かして強制的に帰国させる事も考えたのだが、ふと脳裏にケンの父親の顔がよぎり、決意が鈍った。相変わらず甘いなと自嘲しつつ、ならばと思考を切り替えてより建設的な方向へと思考の進路を変える。

 

 

 

『じゃぁ逆に聞くが、お前はどの程度知ってるんだ?』

『少なくとも、基本的なルールからちょっとした小ネタ、〝あの世界〟での勢力事情、エトセトラエトセトラ……あっちでも〝仲介人/ブローカー〟が出来てるくらいには物知りよ』

『好きだな、その職業』

『情報は力だもの』

『暴力の間違いだろ』

『いいえ。正しく使えば、情報は何よりも勝る力よ。そして、力は正しい事に使うべきだわ。少なくとも、私は私が正しいと思っている事に使っている』

「……フン」

 

 

 

 一丁前に、どこかで聞いた台詞を真摯なまなざしで告げる少女に、ディンゴは軽く鼻を鳴らした。

 

 

 

『そりゃ誰の受け売りだ?』

『え……?』

『軽く言える事じゃねぇぞ』

『わかってるわよ!』

『どうだかな。俺から見りゃ、力に振り回されてるようにしか見えねぇぜ』

『でも私は……!』

『それに、これは俺の問題だ。自分でどうにかする』

 

 

 

 ぐぬぬぬ、とかなんとかそんな悔しげな表情をしながら、ケンは暫し沈黙した。恐らく口ではかなわない事を悟ったのだろう。

 そして今一度溜息を吐くと、今度は先程とはうってかわり真剣な表情で話を続ける。

 

 

 

『あのね、ディンゴ。貴方、自分の命が掛ってるってちゃんとわかってるの?』

『うっせぇな。自分のケツくらい自分で拭く。未成年の小娘にあれこれ指図される謂れは無ぇ』

『対戦相手の捕まえ方もわからないのに?』

『……あん? どう言う意味だ』

『……やっぱり。まさか、目標から対戦を挑まれるまで待ってるつもりじゃないでしょうね』

『それの何が悪い』

『何がって……対戦できるエリアが区切られてて、あまつさえ居場所もわからない目標がわざわざ接触してくるまで待つつもりなの?』

『…………』

『はっきり言って、その前にあなたの心肺機能が止まるわ。間違いなく』

 

 

 

 正論である。

 常識的に考えて、この異常な依頼の持ちかけ具合から、目標は待ちの一手で捕まるような簡単な相手ではないだろう。

 加えて。

 

 

 

『一応説明すると、基本的に戦えるのは同じエリア/戦域にいるプレイヤーだけよ。他のエリア/戦域にいるプレイヤーと戦いたい場合、エリア/戦域を移動しなきゃいけないし、プレイヤーが極端に少ないエリア/戦域も中にはあるわ』

『…………』

『それだけじゃない。エリア/戦域は――理由は後で話すけど――この〝日本全国〟に広がってるの。確かに一番人口が多いのはここ/東京だけど、もし目標がここ/東京にいなかったら? どこにいるかもわからない、いつ来るのかもわからない相手を延々と待っていられる時間的余裕が今のあなたにあるの?』

『……………………』

 

 

 

 矢継ぎ早に投げかけられる言葉に、ディンゴは反論の余地を見いだせない。

 さすがに今ケンが言った通りの事をそのまま実行するつもりはなかったが、かといって他に妙案があったわけでもないディンゴは、さすがに自分が無計画過ぎていた事を反省した。

 従来のインターネットを介したオンラインゲームであれば、場所がどこであれ一つのネットワークにつながっているのだし、対戦しながら情報を集めて行けばいつかは遭遇できるだろう――――そんなある意味楽観的過ぎる未来予想図を描いていたのだ。

 しかし、実際には区切られた対戦エリアが存在し、かつそれが日本全国にまで広がっていて同じエリアにいなければ対戦できないとなれば、話は変わってくる。少なくとも、こちらから相手に接触するか、相手をおびき寄せるといったアクティブな方法を取らなければならないのは確かだ。無論、その妙案を〝ブレインバースト〟について何も知らないディンゴが思いつけるはずもない。

 何も言い返せずに黙りこくったままのディンゴを暫し見つめ、ケンは少しばかり得意げな笑みを浮かべると、自身のニューロリンカーを軽く指で叩いた。

 

 

 

『意地張ったって無駄よ。大人しく私を頼ったら?』

『……』

『……少なくとも、貴方がどれくらい危険な立場にあるのか理解している協力者がいるのは、悪くないと思うけど?』

『……………好きにしろ』

 

 

 

 にんまりと、勝ち誇ったかのような笑みを浮かべるケン。ディンゴは舌うち一つして顔を背け、今は亡きマリネリス氏に心の中で毒づいた。やっぱりこいつはアンタの娘だ。

 

 

 

『じゃ、早速だけど基本事項の説明から始めるわね。一度しか言わないからしっかり聞いて』

『へいへい』

 

 

 

 さりげなくデザートの追加注文を行いながら、器用に思考発声でレクチャーを始める少女は、心なしか生き生きしているように見えた。

 窓の外を見ると、既に夜の帳が降りた濃紺の空が広がっていた。

 ネバダに比べれば多湿ながらも暖かく、しかしほとんど星空の見えない日本の夜は、やはり未だに慣れない。

 意識の上ではまだ一ヶ月も経っていないが、しかし体は何年も空を飛んでいないような、強い欲求不満を訴えていた。

 事故の前はそれこそ毎日のように空を飛んでいたというのに、酷い落差である。まるで翼をもがれた鷲のようで、そんな自分が惨め極まりない。

 そして、そんな無惨で哀れな元米国空軍テストパイロットは、東の最果てにある異国の地で詳細不明なネットゲームをやるために二十歳にもならない小娘から呪文の様なレクチャーを受けているのだ。

 一体全体、これはどんな悪質なジョークだというのだろう。夢なら早く醒めてほしいが、残念な事にリンカーの仮想デスクトップも自意識も、全て今のこの状況が現実であると無情な事実を突きつけてくる。溜息が洩れた。

 

 

 

『ちょっとディンゴ。聞いてるの?』

『眠気を我慢する程度には』

『そう、なら上等ね』

『だいたいわかった。あとは直接起動してやってみる』

『一応聞いておくけど、起動コマンドは?』

『……馬鹿にしてんのか?』

『心配なの。じゃぁ、とりあえず模擬戦というかたちで実際にやりながら説明するわ。いい?』

『へいへい』

『タイミングは三秒後。三、二、一……』

「「バーストリンク」」

 

 

 

 ケンのカウントダウンに合わせて同時に発声されたその言葉を引き金に、ディンゴとケン両者の意識が加速し、青い世界が弾ける。

 その刹那。

 視線の先に見えた赤毛の少女が、無邪気に微笑んでいるのが見えた。

 それはまるで、親と一緒に遊べる事が嬉しくて仕方が無い子供のようであり、少なくとも、ディンゴが真面目に説明を聞くつもりになるくらいには、魅力的な笑みだったと言える。

 そう。全てにおいて空を飛ぶ事しかしてこなかった男が、暫しソレを忘れても良いと思えるくらいには、魅力的だったのだ――――。

 

 

 

 


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