アクセルワールド;Beyond the Bounds   作:[ysk]a

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3rd run:Raging Battle《激戦》

 

 

 

 

 

 

 

 まるで世界を飲みこまんとする霧のような吹雪だった。一つ一つは小さな結晶だが、それらが集まり強風によって巻き上げられる事で、繊細なヴェールのように見渡す限り視界の全てを覆い尽くしている。

 風速は微風から強風へとランダムに移り変わり、その度に吹き荒れる氷雪が冷たく、それでいて厳かに渓谷を彩っていた。

 白と銀。時折空の曇天が垣間見える以外に、色は無い。

 故に、その現象は特異的なまでに異彩を放っていた。

 氷の山からその盆地へ。白銀の絨毯を伝わってスプリンググリーンの光が奔る。

 脈動の如きエネルギーのうねりは、一切の迷いなく方々の氷山から大地を伝い、その盆地のとある一点に向かって収束する。

 そして、エネルギーの収束するただ一点。全方位から集まるエネルギーの奔流が束ねられるその一点には、一つの影が佇んでいた。

 

―――――〝アバター〟だ。

 

 基調となるカラーは黒、ないしはグレーか。

 さらに関節部はややくすんだゴールドに彩られたその〝アバター〟は、不思議かつ独特な金属光沢を持ち、方々から集まったエネルギーを、まるで血脈の拍動の如くその全身に流動させている。

 鳥を思わせる頭部の左右には鋭角的なセンサーマストを備え、目と思しきセンサーアイがある顔面の下部は大きな黒いバイザーで覆われている。

 体躯は細いようで意外にマッシブで、股間の戦闘機のコックピットのような意匠が目に付く。

 脚部は先端に行くほど細くなる特徴的な造りで、今は踝にあたるところからランディングギアを展開して地面と設置している。そして、鋭角的な胸部ブロックとは対照的に柔らかい曲線を描く腕部に、鋭い鉤爪状の手、右腕に設えられた収納状態のブレード、左肘辺りの五角形のデバイス――――人型でありながら実に特異的なデザインで、しかし同時に名状しがたい美しさを備えている。

 いっそヒロイックと言っても良い。それほど芸術的で、繊細さと力強さに満ちあふれた、独特な容姿であった。 

 光の収束は止まない。

 それどころか益々激しさを増し、彼の者の目覚めを祝うかのように、大地を伝う光と全身を流れるエネルギーの脈動はその間隔を徐々に狭めていく。

 そして、初めはゆっくりと長い間隔であった脈動が、ついにはフルマラソンを走りきったランナーの心臓の如く激しく短い間隔で明滅を始めた時。 

 

 

 

「――――――――動けぇええっ!!!」

 

 

 

 頭部とバイザーの内側、二つの双眸を煌めかせ、そのアバターは胸を震わせるような雄叫びを上げる。

 光が弾ける。

 曇天に向かって、大きな風穴を空ける程の光の柱が伸び、音無き衝撃波が周囲の吹雪を吹き飛ばした。

 一瞬前まで吹き荒れていた吹雪が、嘘のように鳴り止んだ。それと入れ替わるように、氷雪を振わせる戦いの調が渓谷内に響き渡る。

 戦いは、銀幕のヴェールが剥ぎ取られるのを合図とするかのように、唐突に始まりを告げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

《敵、LV4バースト・リンカー、シェル・アージェイトを確認。相手との戦力差は明白です。注意してください》

 

 

 

 

 腹の底から声を絞りあげながら、ディンゴは氷雪の平原を転がる。

 此処は何処か。自分はどうなったのか。一体何が起こっているのか。先程から脳裏に響いているこの声は何なのか。それらの疑念全てを後回しにしてでも、ディンゴは〝回避〟を優先した。

 左へ横っ跳びに飛退いた直後、ディンゴがいた場所を何かの影が猛然と突っ切っていったのが見えた。あと一瞬遅れていたら、交通事故よろしく跳ねられていた事だろう。

 側転から膝立ちへと移行し、氷雪の霧を巻き込みながら現れたその姿を見やる。

 吹雪は止んでいた。頭上にはドーナツ状に中心がくり抜かれた曇天が広がっていて、そこから降り注ぐ月光の御蔭で最初に比べてはるかに視界は明瞭である。

 細かい粒子がきらきらと煌めく中、荒々しく巻き上げられた猛獣の吐息のような白煙が、緩やかな風に乗って徐々に晴れて行く。

 

 

 

「―――――ふうん、今の避けるんだ?」

 

 

 

 こちらを見定めているような、それでいて〝予想通りだった〟とでも言いたげな調子の、機械的な合成エフェクトの掛った声が、晴れゆく白煙の向こうから聞こえた。

 次の瞬間、ゆったりと漂っていた白煙を無数のバーミリオン・レッドの光跡が鋭く切り裂く。

 蹴散らすように払われた煙の向こうから姿を現したのは、ブラックとシェル・ピンクを基調とした〝ロボットのような〟モノだった。

 黒い体幹とシェル・ピンクのしなやかな四肢に、頭部には簪状の装飾があしらわれ、背後には無数のパーツからなるバインダー状の強化外装を羽織っている。

 見るからに雅やかなその容姿に無表情なフェイスパーツも相まって、まるで錦絵の日本美人を連想させる。

 その額には規則的な点滅を続ける単眼のアイセンサーがあり、人間で言えば右目の下に泣き黒子のような装飾も見受けられ、一層華やかさに彩りを添えていた。

 四肢は特異な形状で、手は指の部分が異様に長く、足は先端に行くほど細くなっていた。その所為か直接雪原に立つような事はせず、いかなる力によってかはわからないが、ふわふわと雪原の数十センチ上を浮く姿は、あるいは天女と称しても違和感はない。

 全体的に人型でありつつ異形の特徴を併せ持ち、かつ、その中に旨くあしらわれた装飾と決して自己主張の強くない大人しい色遣いによって、不気味さよりも神秘的な美しさが際立っている存在だ。

 その姿を見ただけであれば、ディンゴはソレがロボットである事に疑いは持たなかっただろう。昨今戦闘用の無人ロボットの開発の話はイヤになるほど耳にしているし、何度か〝ソレらしいもの〟はお目にかかった事がある。だが、その独特な容姿の存在が発する声は、ロボット特有の無機質かつ無感情のものではない。エフェクトがかかっていても、はっきりと〝肉声〟であることが分かるほど、その声には〝生々しさ〟が感じられた。

 ならば、アレの中には人間が入っているのか?

 一種の強化外骨格の類か。それとも、遠隔操作の――――ディンゴがそこまで考えた所で、闖入者が言葉を続けた。

 

 

 

「せっかくの機会なんだから、実力を試させてもらうわ」

 

 

 

 そう言って、そのほっそりとした手を振り上げると、先端から先程見えたバーミリオンの光線が噴出し、細いレーザー・ネイルを形成する。

 ありえねぇ。

 口にはせず、その有り得ないモノ――――どこぞの宇宙戦争で出てきそうな武器を凝視するディンゴ。益々この世界がなんなのかわからなくなってきた。

 そして自然と自分の姿を見下ろして、驚愕した。

 視線を下げれば、そこには自分のいつもの肉体があるはずだった。手も足も、いつもの〝自分の〟肉体があるはずなのだ。

 だが、そこにあったのは全く見たことのない余りにも機械的な体と四肢だった。しかも、全身の彼方此方を脈動のようにエネルギーラインが流動していて不気味な事この上ない。

 自分の頭が可笑しくなったのか、あるいは白昼夢でも見ているのか。ディンゴは自分の正気を疑い、これは夢なのかと推測する。だが、それにしてはやけに感覚がリアル過ぎる。なんなんだ〝此処〟は。なんなんだ、この〝体〟は。

 ……ひと先ず、それらの疑問は後回しだ

 それよりも、突然こちらを襲ってきた奴である。これが現実であれ夢であれ、今もずっと感じ続けている感覚は〝リアル/事実〟だ。

 ディンゴは静かに面を上げ、立ちあがりながら遠くに立つ異形の襲撃者を睨み据える。

 今の攻撃から、こちらを狙っているのは火を見るより明らかだ。まさかアレが友好の挨拶なんてことはないだろう。仮に今のが友好の挨拶だとしたら、そんな習慣を持つ相手はディンゴ個人としてもおつきあいは御免被るので、どちらにしても敵に変わりはない。

 ディンゴは、無駄と知りつつも謎の襲撃者に向かって問いかけた。

 

 

 

「……誰だ、てめぇ」

「〝上〟を見ればわかるでしょ?」

「〝上〟だぁ?」

 

 

 

 小首を傾げつつ、その小さな手を上へと向け虚空を指し示すその姿は、どことなく可愛らしい。そして、ディンゴがそれに釣られるようにして視線を上げると、確かに。

 この世界にやってきてからずっと、ディンゴの視界上部に居座っている不可思議なメーターの左右の下に、アルファベットで何かが記されている。

 右には〝Shell Ardjet〟と、そして左には〝Metatron Jehuty〟とある。どちらも鋼材を無理矢理削ったかのような荒々しい字体だ。

 もしや、このどちらかが名前なのか?

 そういえば、先程脳裏に響いた声が――――、

 

 

 

《敵、接近》

「――――ッ!」

 

 

 

 まただ。脳裏に謎の声が響き渡り、視界前方にあったリングが、明るい橙色から赤へと染まっていく。その〝嫌と言うほど見慣れた〟ものを視認するや否や、ディンゴは反射的にその場から飛退く。

 そして、つい一瞬の間をおいて、寸前までディンゴが蹲っていた空間をバーミリオンの光跡が袈裟懸けに切り裂いた。

 凝縮固定されたレーザー・ネイルの高熱によって、降り積もっていた氷雪が一瞬で蒸気化し、白い煙となって再び二人の間に立ち込める。煙の向こうで、〝敵〟の単眼が妖しく輝くのが見えた。

 警告も何もない、不意打ち同然の攻撃だ。

 ディンゴは避けた勢いで地滑りしながら不作法者の面を睨み据え、獰猛に問いかける。

 

 

 

「―――――何が目的だ!」

「さぁ?」

「襲撃にしちゃぁやり方がお粗末過ぎる」

「でしょうね」

「―――――依頼者は、誰だ」

「……言うと思う?」

 

 

 

 深々とした極寒の世界の中、再び、ディンゴと花魁の如き異形が向き合った。

 吹雪の残滓が深々と舞い散りながらきらきらと輝いている。曇天は変わらないが、盆地には寒々としていながらじんわりと染み込むような光が満ちていた。

 〝花魁〟がそのレーザー・ネイルを振い、空気の揺らぎとバーミリオンの軌跡を残して構え直す。背後のバインダー状のパーツが機械的な効果音を立てて稼働し、その密度からは想像できないような形で背後でまとまった。というよりも、マントと言って良い形状にまで変化している。

 臨戦態勢そのものだ。もはや話が通じる相手では無い。

 ディンゴは即座にそう判断し、一刻も早くこの場から撤退する事に決めた。

 そのためにも、まずは目の前の〝花魁〟を叩きのめす。全身に力を込め、最後通告とばかりに叫んだ。

 

 

 

「―――――そこを退けぇッ!」

「―――――はいだらぁああああ!!!」

 

 

 

 氷雪が爆発したように舞いあがり、白銀の渓谷が震えた。

 

 

 

 

 

 

 花魁のレーザー・ネイルがディンゴの脇を掠め、焼けつくような痛みと共にディンゴの〝装甲〟が抉られる。

 金属片が宙を舞い、スプリンググリーンの粒子が血飛沫のように弾けた。

 ポリゴンとなって溶け入るように消えていくその様を視界の端に留めながら――無論、そこから一つの仮説がひらめいた――、ディンゴは構わず右のミドルキックを見舞う。

 しかし、花魁はすぐさま後方に飛んでそれを避ける。そして、予備動作も無しに再び接近し、両手のレーザー・ネイルを振ってディンゴへと襲いかかった。

 接敵からこれまで、花魁の戦法は終始ヒットアンドアウェイに終始していた。

 ディンゴの近接技能を警戒しているのか、単純に遠距離からの攻撃方法がないのか。

 しかし、近接戦を仕掛けるにしては動きが硬く、どちらかというと苦手さが見受けられる。となると、まだ小手調べの意味合いが強いと考えるべきだろう。

 あえて苦手な分野でディンゴと遣りあう事で、自身の実力を隠す算段もあるのかもしれない。どちらにしろ、〝舐められている〟のは間違いない。それを思うと、何が何でもその鼻っ面をへし折ってやりたくなるのがディンゴの性だった。

 

 

 

「野郎!」

「私は女よ!」

 

 

 

 花魁の右手の攻撃を左手で外へと弾き、突き出された左手の攻撃を今度こそ完全に身を捻って回避。敵が腕を引き戻すモーションに合わせ、敢えて一歩を踏みこんだディンゴは、右の拳に渾身の力を込めて花魁の腹部へと叩き込んだ。

 何時の日か、金属扉を全力で殴りつけた時のような異音と実感を伴って花魁の体がくの字に曲がり、確かなダメージを与えた事を実感する。ディンゴはさらに追い打ちとして右の脇腹へ左拳をねじ込み、先程回避されたミドルキックをもう一度叩き込んでやる。

 

 

 

「まだまだァ!」

「キャッ!?」

 

 

 

 完全に体勢が崩れた花魁の頭を勢いよく鷲掴みにしたディンゴは、左足を軸に一回転。

 その遠心力に加えて、さらにリリース寸前で勢いよく腕を振り抜き、全力で花魁をブン投げた。

 花魁がディンゴですら想像しなかった勢いで一目散に雪に覆われた渓谷へとぶっ飛び、その壁面に激突して轟音を奏でる。

 そして、それを引き金に次第に地響きが強く鳴り響きだすと、その上に降り積もっていた雪が雪崩となって花魁の上へと襲いかかった。

 白い津波が押し寄せ、その存在全てを飲み込むかのように白い顎を大きく広げたかと思うと、次の瞬間には盛大な轟音と共に盆地全体を覆う銀幕を作り上げた。

 ディンゴがその結果に驚きつつも、内心でキャッチボールで子供相手に全力を出した程度には「やり過ぎたか」と罪悪感を感じ始めた時、その脳裏にまたしても〝例の声〟が響いた。

 

 

 

《敵、復帰まで約六〇秒》

「――――さっきからなんなんだお前は」

 

 

 

 余裕が出来た事、意味不明な現状への苛立ち、そしてとうとう我慢の限界を迎えたことから、ディンゴはとうとう我慢できず、先程から事あるごとに脳裏へと響く正体不明の声に向かって怒鳴った。

 

 

 

《アバター〝メタトロン・ジェフティ〟の独立型操作支援プログラム〝ADA〟です》 

「支援AIか。なら、戦闘機のナビゲーターよりは役に立つんだろうな」

《一緒にしないでください》

「はっ、それだけ大口が叩けるなら安心だ」

《操作説明を行いますか?》

「――――待て。操作説明ってのはなんだ」

《〝ブレイン・バースト〟プログラムにおける、アバターの操作方法です》

「……ブレイン、バースト?」

 

 

 

 一応、女性なのかもしれない。トーンの高い機械音声が告げるその名に、ディンゴは脳裏に何か引っかかりを覚えた。そして、暫し自身の記憶の棚をひっくり返し、思い出す。

 ――――何故すぐに気付かなかったのか。その名は、この一週間における、ディンゴの悩みの種そのものではないか。

 

 

 

「―――――あの対戦格闘ゲームとやらのアプリか!」

《肯定》

「アレは一体何なんだ。ただの対戦格闘ゲームとやらじゃなかったのか。そもそも俺は今どうなってる」

《正しくは、オンライン型VR対戦格闘ゲームです。貴方は現在、グローバル接続した〝ブレイン・バースト〟プログラムによる〝加速〟下で、通常対戦フィールドにアバター〝メタトロン・ジェフティ〟として完全ダイブしています》

「………起動した覚えはないぞ」

《リンカーに〝ブレイン・バースト〟プログラムをインストールした状態でグローバル接続すると、同戦域に滞在しているプレイヤーから乱入される事があります。その場合、〝ブレイン・バースト〟プログラムを起動していなくても、強制的に〝加速〟が行われ、通常対戦フィールドへと完全ダイブします》

「強制的に……?」

 

 

 つまり、自分は今、自身の知らない間に勝手に起動したアプリによって、この世界に無理矢理完全ダイブさせられているということか。

 であれば、ここはその〝ブレイン・バースト〟が造り上げた3D空間であり、そこへ完全ダイブしているがために、本来の体ではなくこの異形――――アバターの姿へと置き換わっているのだろう。であれば、この現状に全ての説明が付くし、先程ひらめいた仮説――空間に消えていく電子ポリゴンから、ここが電脳空間か何かなのでは、と算段を付けていた――にも納得がいく。

 意識してみれば、なるほど。確かに体を動かす度に完全ダイブ時特有の違和感があるのがわかった。戦闘機の完全ダイブ型シミュレーターの時と感覚が似ている。

 だが、こちらの方がリアルさにおいて遥かに上回っていた。意識して違和感を感じ取ろうとしなければ気付かない程だ。同時に、それはとてつもなく、そして途方も無い技術が必要である事を暗に示している。

 ふと傍にあった雪を掬って注視してみると、はっきりと結晶まで見てとる事が出来る。エッジや曲線、質感や色合いその他全てが、恐ろしいまでの精度で再現されているのだ。現実と比べてみてなんら遜色が無い。ディンゴは感嘆と同時に恐ろしさを感じた。

 

 

 

「冗談じゃねぇ。勝手にダイブさせられて、ダイブアウトしたら病院でしたなんて洒落にならねぇぞ」

《〝ブレイン・バースト〟は、思考速度を約一千倍に加速した上で起動します。通常対戦時間は1800秒。現実時間では約1.8秒です。危惧するような事態になる確率は極めて低いと予測できます》

「思考速度の加速――――だと? はっ、AIも冗談を言えるんだな」

《事実、今がまさにその状態です》

「…………信じられん」

 

 

 

 ということは、今この瞬間にダイブアウトしても、現実時間では一秒も経過していないというのか。

 AIの語るあまりにもSF染みた非現実極まりない話に、ディンゴは軽く眩暈を覚えた。そもそも、ここまで〝人間味〟溢れているAIも聞いた事が無い。益々、自分がどんな〝厄介事〟に巻き込まれているのかわからなくなってくる。

 最悪、埋め込まれたBIC――あるいは人工心肺装置――に、他にも何か厄介な〝代物〟が埋め込まれているのかもしれない――――いかん、頭痛も始まった。

 しかし、すぐさま頭を振って思考を改める。今考えるべき事はそれじゃない。

 

 

 

「――――ひとつだけ聞くぞ、ADA。とりあえず、この完全ダイブから離脱するには、アイツに勝てばいいんだな」

《肯定》

「なら、話は早い―――――まずは、あのクソ生意気な小娘をぶちのめす」

《操作説明を行いますか?》

「手短にな」

《了解》

 

 

 

 モノわかりの良いAIで助かる。そんな感心を覚えながら、存外この非常識な状況に慣れ始めている自分に、ディンゴは苦笑した。

 

 

 

 

 

 

「――――やってくれたわね。いきなりレディの頭を鷲掴みにするなんて」

「悪いが、タキシードとシルクハットは大嫌いでね」

 

 

 

 ディンゴがADAから手短な説明を受け終わった頃、まるでそのタイミングを見計らったかのように雪崩でできた雪山が弾け、中に埋まっていた花魁の如きアバター〝シェル・アージェイト〟が現れる。

 腰に手を当てて立つその姿は無傷そのものであり、多数のパーツで構成されているであろう複雑な形状の機械のバインダー/マントを広げながら佇み、周囲に赤い光跡を残して小さな攻撃兵器のようなものを周回させるその姿は、まるで従者を従える女王か何かの様だ。

 元よりダメージがあったとは思っていなかったディンゴだが、まさに無傷そのものな姿で現れたアージェイトに、隠すことなく舌打ちをする。あのまま埋まっていてくれたなら、どれだけ楽だった事か。

 

 

 

「雪崩に巻き込まれても無傷なら、益々加減はいらねぇな」

「あら、ならこちらも新顔/ニュービ―だからって手加減しちゃいけないわね―――――〝ウィスプ〟!」

 

 

 

 花魁が両手を広げ、、その背後のマントが妖しく煌めくと同時に、周囲を周回していたものと同じタイプの小型兵器へと無数に分離を始める。

 それがどんな〝代物〟であるのか―――――ディンゴは嫌な予感を感じて慌ててその場から後退し、足を止めることなくフィールドを走りまわる。

 ウィスプと呼ばれた小型の兵器は、そんなディンゴを狙い定めると、凄まじい物量を持ってディンゴに襲いかかった。

 

 

 

「ちぃ――――ッ!!」

《小型の反応制御型多目的誘導端末です。あなたのレベルでの直撃は危険です、避けてください》

「言われんでも!」

 

 

 

 一つ一つは小さな短剣のような形をしている誘導端末が、無数の群れと成って雨の如くディンゴへと降り注ぐ。

 それを必死に回避するが、無論全てを避け切る事は出来ない。数発ほど四肢を掠め、数発の直撃を受けると同時に痛みが走り、ギャリギャリと耳障りな音と共に、ディンゴの視界上部に常に位置している―――ADA曰く、このゲームで肝心な―――〝体力ゲージ〟が削られていく。

 一発一発は大した威力ではないが、これら全てが直撃したらそれだけでゲージをもろもろ持っていかれかねない。

 おまけに、直撃せずともオブジェクトへの弾着と同時に起爆する上、それによる爆風でもダメージを受けるのか、ディンゴの周辺で爆発が起きる度にドットレベルで体力が削られていく。このままでは、なぶり殺しにされるだけだと内心で吐き捨てつつ、ディンゴは一縷の望みを持ってADAへと問いかける。

 

 

 

「ADA! チャフか何かないのか!」

《ありません》

「Shit! どうしろってんだ!」

《シェル・アージェイトは複合型の攻撃属性に属するアバターです。遠距離戦は避け、パドル・ブレードを展開した近距離での戦闘を提案します》

「近づくには!」

《地形を最大限に利用しましょう》

「地形――――そうか!」

 

 

 

 ADAの言わんとしている事に気付いたディンゴは、早速先程の簡易レクチャーで知ったこのアバター/ジェフティの固定兵装を使うべく、ADAに命令する。

 

 

 

「ADA、〝唯一の遠距離武装〟!」

《了解。〝V.G.カノン〟セット》

 

 

 

 ディンゴは降りかかる無数の雨の如き誘導端末の攻撃から身をかわしつつ、ADAの返答と共にディンゴの仮想デスクトップ/視界の右上隅に表示されたガイド・モーションを見やり、その通りに右腕を構えた。

 前腕の外縁部に固定されていた白いブレードと一体の小型銃器が起動し、静かな機動音と共に安全装置を解除。発射準備をコンマ1秒と掛らずに完了させる。

 そして、ディンゴが脳裏で仮想の引き金に指をかけ、威力はどうでもいいから早く弾丸を射出するイメージを描くと、青く眩い光弾が数発、イメージ通りに銃口から放たれた。

 最初の数発はシェル・アージェイトを狙ったものだが、回避しながらの射撃だったうえ、使いなれていない事もあって難なく回避される。

 構わず、続いてさらに数発発射するが、今度はシェル・アージェイトから大きく外れ、その周囲に降り積もっていた雪へと弾着した。

 アージェイトは、それらの外れた攻撃を視界の端に留めながらも、ジェフティ/ディンゴへと視線によるロックを続け、ウィスプによる攻撃の手を緩めない。

 

 

 

「射撃は下手ッぴね!」

 

 

 

 挑発するようにこちらを煽ってくるアージェイトを無視して、ディンゴはなおも攻撃を続けた。

 右後方上部から襲い来る誘導端末の集団を避け、振り向きながら反撃。いくつかは撃ち落とせたが、それでも撃ち漏らしたいくつかが掠め、地面に着弾すると同時に爆発した衝撃で体を煽られる。無論、それに合わせて体力ゲージも削られ、残り6割弱にまで減らされた。

 だが、ディンゴはそれにすら構わず、愚直なまでに何度も同じ事を繰り返す。

 回避しては撃ち、撃っては回避し。そして、そのどれもがアージェイトに当たることなく周囲の雪原へと弾着し、その度に周囲を白く煙らせていた。

 

 

 

「何度やっても無駄よ!」

「……そうか?」

 

 

 

 もはや数えるのも馬鹿らしくなるほど、先程から悉く攻撃を外しているディンゴに向かって嘲るアージェイトに、ディンゴは口角を釣りあげながら―――アバターの頭部バイザー奥にある一対のアイセンサーを妖しく煌めかせて―――意味深に呟く。

 頃合いだと判断したディンゴは、再び襲いかかってきた誘導端末をいくつか撃ち落とし、さらにその場から後方に跳躍しながら、今度は〝わざと〟地面に向かってV.G.カノンを今までの低威力モードから高威力モードへと切り替えて乱射する。

 雪原にこれまでのものよりも二回りほど大きな光弾がいくつも撃ち込まれ、ジェフティとアージェイトの間に降り積もっていた雪が白煙となって舞いあがった。

 アージェイトは最初その意味不明な行動を訝しんだが、一瞬の間をおいて相手の意図に気付き声を漏らす。

 

 

 

「―――――まさかッ!」

 

 

 

 いつの間にか、アージェイトのみならずジェフティまでも覆い隠す程周囲に盛大な雪煙りがたちこめている事に気付き、アージェイトはようやくこれまでのディンゴの不可解な行動の意味を理解した。

  

 

 

「雪を利用して、煙幕を――――!」

 

 

 

 気付いた時には既に遅い。いつしかアージェイトを取り巻いていた雪煙りは、既に濃い所では3メートル先でも見通しがたたない程に立ち込めており、今となっては後退しながら盛大に雪の煙幕を作って隠れたジェフティの姿を視認する事はほぼ不可能だ。索敵能力に特化したアビリティを持っていれば話は別だが、無論アージェイトにそんなアビリティは無い。

 さらには、煙の向こうで未だに雪への攻撃/即性の煙幕精製に余念のないジェフティの攻撃音が聞こえ、フィールドが無風状態であることもあいまって煙が晴れる様子は皆無。どうやら、この煙幕が自分/アージェイトにとって有効である事に、もう気付いたらしい。

 

 

 

「(この短時間で、WISP/ウラエウスの欠点に気づいたの……!?)」

 

 

 

 対戦相手の恐ろしいまでの戦闘センスにアージェイトは言葉なく戦慄した。

 初めて右も左もわからぬ状況へと放り出された上に訳もわからぬまま戦闘を強要されながら、冷静に状況へ対応、適合するのは簡単な事では無い。やはり、この〝男〟は――――。

 だが、その動揺を表には出さず、とりあえず推測で相手/ジェフティのいそうな場所を攻撃して牽制しつつ、努めて冷静に後退する。

 

 アージェイトの固有強化外装〝WISP/ウラエウス〟は、アージェイトの背部でバインダー状となって纏まっている小型の誘導端末であり、リアクティブ・マニューバリングで操作される。

 つまり、ウィスプの一つ一つ、ないしはいくつかを纏めてアージェイトの意志一つで遠隔操作でき、彼我の距離に関係なく攻撃できるだけでなく、複数を組み合わせることで防御壁や障害物にする等、組み合わせによって様々な機能を持つ強化外装へと変化させる事が出来る反応制御型多目的誘導端末である。一昔前のSFロボアニメーションで一躍有名になった遠隔誘導兵器が合体変形できるようになったもの、と考えれば最もイメージに近いだろう。

 しかし、アニメとは違い、この加速世界/ブレイン・バーストでは万能とは言い切れない代物だ。特に、攻撃に用いる場合、ウラエウスにはどうしても克服できない弱点がある。

 それが〝対象の捕捉〟である。

 アージェイトがウラエウスを相手に当てるためには、着弾するまで常に相手を視界内に捕捉し続けていなければいけないのである。裏を返せば、その視線誘導さえどうにかしてしまえば――――極端な話、今のジェフティのように何かに姿を隠す事ができれば、アージェイトからすればあてずっぽうに攻撃するほかなくなってしまう。

 

 まさか、初戦でその事に気付いたとは思いにくいが……どちらにしろ、今の状況はアージェイトにとって圧倒的にではないにしろ非常によろしくない状況だ。

 煙幕に隠れられては視線誘導によるロックもできず、かといってやみくもに攻撃すればこちらの位置を悟られる。仮に相手がウラエウスが視線誘導によるものだと気づいているならば、ウラエウスの飛んでくる方向から攻撃半径を割り出し、こちらの位置を大凡予測する事も出来るだろう。いや、するに違いない。なにせ、相手は〝あの男〟なのだから。

 

 

 

「(とにかく、距離を――――!)」

 

 

 

 攻撃は牽制とこちらの位置欺瞞の囮のみにし、アージェイトは静かに雪煙りの中へと身を隠す。そして、一刻も早くジェフティとの距離を10m以上あけるべく、全速力で後退を始める。

 ゲームの特性として、相手との距離が10m以上開いた場合、互いがどこにいるのか示すガイドカーソルが表示される。

 レーダーもなければ索敵アビリティもない状況において、いったん相手と距離を取りガイドカーソルを利用して相手の位置を探るのは定石である。後退は、その定石に従うと同時に、煙幕から抜け出すためのものでもあった。

 

――――だが、その定石は決してこのゲームのみでの話では無い事を、アージェイトは失念している。故に、その選択はミステイク/間違いだったのだ。

 

 それほど濃度の高くない雪の煙幕から抜け出るのは容易い。ほんの数秒、全力で後退すればあっという間だった。

 煙から抜け出る独特の感覚と共に視界が開け、いっそのこと〝アレ〟を使って煙ごと纏めて薙ぎ払ってやろうか――――アージェイトがそんな事を考えていた矢先のことである。

 

 

 

「Gotcha!」

「なっ――――!?」

 

 

 

 突如左側面から衝撃が走り、腹部を切り裂かれる衝撃と激痛がアージェイトを襲う。がりっと青い体力ゲージが微減するのを無意識に確認すると共に、赤く明滅する視界の端には妖しく二対の双眸を煌めかせる、あのアバターの鳥を模した独特な頭部が見えた。

 まさか、回りこまれた!?

 言葉にはせず、まんまと自分が相手の術中に陥っていた事に気が付き、アージェイトは己の迂闊さを呪った。

 

 

 

「浅いか――――!」

 

 

 

 一方、アージェイトの思考の外から不意打ちを与えたジェフティ/ディンゴは、右腕に展開したパドルブレードを振り抜いた姿勢のまま、忌々しげに舌打ちする。

 ディンゴはこれまでの対戦相手との会話と行動から、この対戦相手が〝場慣れした素人〟であることに気付いていた。同時に、少しでも状況に変化を与えれば、ないしは自身が不利な状況に陥れば十中八九仕切り直しをするに違いないとも。

 故に、〝そこ〟を突いた。

 煙幕を作ると同時に、ディンゴはアージェイトが〝いるであろう〟場所を基点に衛星機動/サテライト・マニューバで大きく回りこんで近づき、パドルブレードを展開。そして、タイミング良く――かつ思惑通りに――煙幕から逃げるようにして飛び出してきたアージェイトに、勢いよく右腕のパドル・ブレードで斬りかかった次第である。

 だが、相手もさるもの、咄嗟にあの誘導端末/ウラエウスを数個展開し、いくつかを盾に、またいくつかを足場にして蹴りつけ回避、ディンゴの一撃による致命傷だけは避けていた。

 あの状況下での咄嗟の判断もそうだが、自身の持つ武器を最大限に利用する〝慣れ〟も生半可なものではない。

 ディンゴは、改めて相手が一筋縄では片付かない相手であると認識し、素直に心の中で敵を称賛した。

 かといって、このままみすみすと逃がすディンゴでは無い。

 追撃の為に腰に力を入れ、そろそろ慣れてきた浮遊移動による加速で逃げるアージェイトを追撃。この間合いではブレードは届かない。もっと近づかなければ。この間合いから逃すのは愚策だ。なんとしても距離を詰める。

 アージェイトもそれを理解しているため、全力で逃げに徹する。牽制と妨害のために遠距離兵装/V.G.カノンで攻撃を続けるジェフティだが、どれもウラエウスに防御されるか回避されるかでまともなダメージにはなっていない。

 元よりアージェイトの防御力は低いうえ、近接格闘戦は不利の極みだ。ここでバカ正直に付き合うほど、彼女は愚かでは無い。とにかく距離を取って仕切り直しを図ろうと、アージェイトは追いすがるジェフティの攻撃をかわし、ウラエウスを展開してその進路を妨害、または利用して変則的な回避と防御をこなしながら離脱を試みる。

 

 

 

「ちッ――――届かん!」

《ダッシュアタックを推奨》

「やり方は!」

《ダッシュ中に攻撃ボタンです。ただし、〝ダッシュアタック〟の発声とバーストゲージが20%以上溜まっていることが条件です》

「今使えるのか!?」

《肯定》

「なら〝ダッシュアタック〟だ!」

《右腕を引いてください》

 

 

 

 考える時間は無い。全速力でアージェイトを追いながら、ディンゴはほとんど反射のようにADAの指示に従って右腕を構える。

 同時に、ディンゴは確認する余裕も無かったが、脳裏にADAの《ダッシュアタック、レディ》というアナウンスと共に、構えたジェフティの右腕に膨大なエネルギーを内包した仄かな青い燐光が纏わり、迸るスパークがまるで雷の飛沫のように雪原の大気へと溶け込んでいた。

 それを視界に留めたアージェイトは、本能的にこれから繰り出される一撃の威力がいかほどのものかを悟り、内心で背筋を凍らせる。

 ちらりと相手の必殺技/バーストゲージを確認すると、4割程溜まっていたゲージが半分ほど減っている。間違いなく、必殺技だ。

 だが、そのゲージ消費量と相手から伝わってくる圧力が釣り合わない。仮にゲージを約20%消費するのに相応の必殺技だとすれば、直撃してもせいぜい体力の1割程度しか削られないはず。だが、現状相手から伝わってくる圧力は、決してその程度の威力に留まらない迫力を伴っている。

 ……いや、あの技の威力がどうであろうと関係ない。全力で回避、ないしは防御するだけの事だ。目まぐるしく加速する思考に導かれるまま、アージェイトは前方に三重のウラエウスの盾を作り上げる――――というよりも、かろうじて三重の盾が間に合った、というべきか。

 ディンゴも目の前に展開される誘導端末の壁に舌打ちをしたくなったが、このまま止まるわけにもいかない。意地でもこの壁をぶち抜くつもりで、怒声と共に右腕を突きだした。 

 

 

 

「――――ブチ抜けぇッ!!」

「くっ――――!?」

 

 

 

 ゲージの消費と高速移動状態での特定モーションの発動によりジェフティの攻撃が正式に成立し、フレーム単位の時間で攻撃判定が発生。

 ジェフティの右腕の肘が刺突と共に唐突に延長し、蒼雷の如きスパークを纏ったパドルブレードが激しいエフェクトを伴って凍てつく大気を突き裂いていく。

 それまで攻撃が届くか届かないかのギリギリの間合いで攻防を繰り広げていたアージェイトにとって、その唐突な間合いの延長は不意打ちに等しい。

 さらに、アージェイトの予想した通り、ジェフティの一撃はもはや冗談と思いたくなるような威力を誇り、突き出された一撃は三重に展開したウラエウスを軽々と貫いて破砕すると、その勢いを全く減じないままアージェイトの腹部へと叩き込まれた。

 

 

 

「きゃぁっ!?」

 

 

 

 ほとんど無防備にジェフティの一撃を胸部に貰ってしまった。

 痛々しい悲鳴と共に盛大に吹っ飛ばされたアージェイトは、体力ゲージを一割半近く――ゲージ消費量と、防御壁を突破した威力の減衰を考えても破格過ぎるダメージだ――削り取られながら大きく後退し、運悪く退路の無い窪みへと押しやられてしまう。

 無論、その好機を逃すディンゴでは無い。

 体勢の崩れたアージェイトに向けてさらに加速すると、再びADAがディンゴへとアドバイスを投げる。

 

 

 

《四撃目はコンボスマッシュです》

「つまり!」

《好きな方向に吹っ飛ばせます》

「GOOD!」

「――――このっ!」

 

 

 

 もうこの距離では逃げる事は出来ないと悟ったのか、迫るディンゴに対しアージェイトは両手の爪先からレーザーネイルを展開し、臨戦態勢を取った。

 無論、それに怖気づくディンゴでは無い。「はっ!」と鼻で笑いながらパドルブレードを振りかぶり――――そのまま踏み出した左足を軸にして回転、反撃とばかりに突き出されたレーザーネイルをなんなく回避し、その右側面へと回りこむ。

 

 

 

「甘いッ!」

 

 

 

 そして、ジェフティがその勢いのまま右腕のパドルブレードを振り抜くと、白磁のように美しい刀身がアージェイトのシェルピンクの服部装甲を切り裂く。

 衝撃音では無く、今度こそ斬撃による装甲の破砕音が響き、スパークとなって飛び散る装甲片が血飛沫のように宙を舞う。

 

 

 

「まだまだぁ!!」

 

 

 

 逆袈裟に振り抜いた姿勢から、今度は左腕を切り落とすつもりで真下に振りおろす。二の腕を深く斬りつけただけだ。ならばと胴体を貫くつもりで突きを放ち、左の脇腹を装甲ごと抉る。

 斬撃が装甲を切り裂き、破砕する音が瞬く間に三度響き渡り、その度にアージェイトの体力が青い飛沫となって消えていく。だが、まだディンゴの勢いは止まらない。

 相手の脇腹へと突き刺さったブレードを無理矢理払うように引き抜き、トドメとばかりに今度は下から掬いあげるようなアッパー気味の斬撃を見舞う。

 

 

 

「吹っ飛べ!」

「――――がッ!?」

 

 

 

 四度目の斬撃音が木霊すると共に、ディンゴの宣言通りに上空へと撃ちあげられるアージェイト。この時点でアージェイトの体力は5割を下回り、ジェフティの体力とほぼ並ぶ事となった。

 これ以上のチャンスは無い。ディンゴの判断は早く、また的確だった。

 振り上げた腕をそのまま伸ばし、パドルブレードを収納してV.G.カノンを展開。威力設定も適当に、とにかく相手に数をたたきこむべく自然落下を始めたアージェイトに向かってあらん限りの光弾を乱射する。

 しかし、それを黙って受けるアージェイトでは無い。連撃によるダメージから意識を取り戻してすぐに、数発程攻撃を受けながらもウラエウスを操作、足場を作り上げて蹴りつけ緊急回避に移る。

 あるいはウラエウスに乗るようにして回避する方法もあったが、それよりも蹴りつける反動で急角度かつ急速な回避をするほうが得策だと判断したためだ。

 そして、その思惑は功を奏し、ジェフティの放つ地上からの集中砲火から逃れただけでなく、そのまま相手から距離を取って地上に降り立つ事が出来た。無論、ダメージは受けたがあのまま無防備に落下するよりはるかに軽傷だ。

 それまで盆地に立ち込めていた白煙は、戦闘の余波によってあらかた吹き散らされ、おあつらえむきのように視界があらわとなった雪原に、二体のアバターが距離を取って対峙する。

 無論、互いに警戒は解いておらず、いつでも攻撃をする、ないしは回避できるよう相手の動きを注視している。

 アージェイトは自身の周囲に展開していたウラエウスを全て引っ込ませ、背後に展開していたバインダーを全身を覆うように変形、展開させて忌々しげに吐き捨てる。

 

 

 

「ッ――――この、やってくれたわね」

「ちっ……これだからゲームは嫌いなんだよ」

《慣れてください》

「簡単に言ってくれる……」

 

 

 

 詮無い事とは知りつつも、文句を言わずにはいられない。そんなディンゴを諌めるADAに、ディンゴは苦笑するほか無かった。

 現実世界の事を仮想世界に持ちこむつもりはないが、それでも職業柄、あれだけの攻撃を受けて〝終わらない〟というのは、どうにも違和感を覚えてしまうものである。

 それこそ、ナイフよりも遥かに優れた切断力を持つパドルブレードで幾度も切りつけただけでなく、グレネード以上の威力を持つ光弾をいくつも浴びせたにもかかわらず、まだ相手が動けているという現実が実に非現実的すぎて、その違和感に気持ち悪さすら覚えてしまう程だ。

 ともあれ、ここはあくまで仮想世界。今は割り切って〝そういうものである〟と納得するほかない。

 そんな私事はおいておくにしても、状況はこちら/ディンゴが有利に見えて、実の所不利であった。

 一連の攻防で分かった事だが、やはり事前にADAの説明から聞いていたように、〝レベル差〟というものは如何ともしがたい。《レベル差が3もの開きがある場合、優勢予測指数マイナス78。つまり強化外骨格を装備した兵士と生身の兵士が戦うくらい不利です》というのは、どうやら大げさでもなんでもなく本当のようだ。

 明らかにダメージを与えた手数はこちら/ディンゴが多かったにもかかわらず、減らせたのは約5割と少し。一方でディンゴは直撃では無い間接的攻撃とかすり傷しか受けていないにもかかわらず既に5割を大きく下回り、ほぼ三割の域に達している。

 火力の差は歴然としているし、なによりこのシステムへの慣れの度合いの差が決定的だ。相手の強さを考えれば、今の様な不意打ちはもう通じないと考えていい。

 さて……どうしたものか。

 油断なく相手の動きを観察しながらも、ディンゴがこれからどう攻めたものかと考えあぐねいていると、痛みが治まってきたのか若干余裕を取り戻したアージェイトが、唐突に語りかけてきた。 

 

 

 

「まさか、これほどなんてね――――ムカつくけど、認めてあげる。貴方、レベル1/ニュービーにしては破格の強さだわ」

「そりゃどうも。なんなら、ここは年長者の余裕としてこっちに勝ちを譲ってくれてもいいんだぜ?」

「冗談。レベル4がレベル1に負けるなんて、そんな恥さらしな真似できるわけないでしょ」

「……そこらへんのプライドはよくわからんが、逆に大人気無いとも言えるんじゃねぇのか?」

 

 

 

 ディンゴの皮肉に、アージェイトは至極真面目に切り返す。無論、その口調には既に、ディンゴに対する侮りの色は無い。

 

 

 

「貴方相手に大人気もクソも無いわ。貴方はもう、ただの獲物/ニュービ―じゃない。脅威度の高い、立派な敵/エネミーよ」

「……そりゃ光栄だ。なら、いつまでもくっちゃべってねぇで、とっとと終わらせようぜ」

「ええ、これで終わらせてあげる! ウィスプ!!」  

 

 

 

 宣言と共にアージェイトのマントが変形を始め、棺の様なものとなってアージェイト全体を覆うと同時に、周囲を無数のウラエウスが取り巻き、赤い光芒を棚引かせながら旋回を始める。

 その旋風は周囲の雪すらも吸い込むように巻き上げ、覆い隠す程の巨大な竜巻へと変貌した。

 轟々と吹きすさぶ突風が、雪を纏った吹雪へと変わるのにそう時間はかからない。

 加えて、凄まじい速度でアージェイトの周囲を旋回しているウラエウスの赤い軌跡が、まるで鮮血の螺旋のように竜巻を彩り、白と赤のコントラストが異様なまでの禍々しさを演出していた。

 仮想の感覚とは言え、それでもディンゴはほとんど現実のそれと錯覚しそうなほど巨大なプレッシャーを感じると共に、これまでの経験と本能から目の前の〝コレ〟がとてつもなくヤバい物である事を直感的に悟っていた。

 

 

 

「……おいおい、いくらゲームでも、やる事が派手すぎじゃねぇか?」

《敵中心に高エネルギー反応、及び敵バーストゲージの減少を確認》

「……それが攻撃の予兆だとして、当たればどうなる?」

《一撃で戦闘不能になります》

「……やる気が削がれる話だ」

 

 

 

 予想が的中して内心ゲンナリするも、すぐさま行動を開始する。

 無駄であるとは予測しつつも、V.G.カノンの最大威力で竜巻の中心にいるであろうアージェイトへと攻撃。だが、時折吹雪の中に垣間見える棺に覆われたアージェイトは、微動だにすることなくその攻撃をその身に受け、例外なく全てをはじき返していた。無論、見た目通り相手にダメージは無い。

 だが、かといってあの竜巻に飛び込んで近接戦を挑む気には、勿論なれなかった。

 竜巻にはいい思い出が無い上に、明らかにアレは〝近づいてはならないモノ〟にしか見えなかったからだ。

 そも、アージェイトはあの状態になってから一歩も動いていない。それは何を意味するのか。単純に裏を返して考えれば、〝動く必要が無い〟からだ。では、何故その必要が無いのか?

 考えられる理由は一つ――――先程からあの竜巻の中心に向かって吸い寄せられているのが、何よりの証左である。

 

 

 

「竜巻で動きを制限し、高威力の攻撃で一撃必殺、ってことか!」

《全力で退避する事を推奨しますが――――》

「そのつもりだ!」

《バーストゲージエンプティ。高速移動に移れません》

「っ――――な!?」

 

 

 

 一瞬で敵の狙いを看破し、ADAの言葉よりも先に動こうとしたディンゴだったが、予想外の事態に思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

 腰に力を入れ、ほとんど慣れてきた高速移動に移ろうとするが、何も変化が無い。

 先程まで感じていた風に押されるような加速も無く、ただディンゴ/ジェフティは、風雪吹き荒れる暴風に飲まれないようあがくが、暴風域からは逃れる事ができていない。

 それが、致命的な隙となった。

 ディンゴが原因を確認しようとADAに向かって問いを投げかけようとしたその時、周囲を蹂躙していた暴風が突然止んだ。

 突然の事態の変化に、慌ててディンゴはアージェイトを見やる。

 風が止むと同時に巻き上げられた氷雪がダイヤモンドダストとなって周囲へと降り注ぎ、その中心には不気味な棺にその身を修めたアージェイトが屹立している。

 そして、その中心部には太陽の如き眩い黄金の光が収束し、その照準は間違いなくディンゴ/ジェフティへと向けられていた。

 一瞬の静寂。

 シンと静まりかえった雪の渓谷で、二体のアバターが時を止めたかのように見つめ合う。

 そして、ようやくディンゴが状況を把握し、これがこの上ない窮地であると悟り、とにかくその場から離れようと反応したところで―――――それはもう、遅きに失していたのだ。 

 

 

 

「これで終わりよ――――――〝コフィンブラスター〟!!!」

 

 

 

 高らかに宣言された蛇の女神による死の宣告と共に、全てを焼き尽くす灼熱の光線がジェフティ目掛けて解放される。

 雪を溶かし風を焼き、生きる者へと襲いかかる亡者による、嘆きの怨嗟の如き轟音と共に黄金の光は大気を蹂躙する。

 時間は永遠のように長い一瞬だった。声を発する余裕も、回避に移る準備も、ましてやガードする余力などありはしない。

 ディンゴは、自身の視界を埋め尽くす黄金の光の奔流をその身に受けながら、青い命の光が飛沫となって削れゆく音を確かに聞いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識が戻り、全身に振りかかった倦怠感に軽く眩暈を覚えながらも、ディンゴは踏み出しかけていた一歩を危なげなく地に付けた。

 慌てて辺りを見回し、次いで自分の体を見る事で、ここが現実世界である事を理解する。

 仮想デスクトップの時計を見れば、まだ一分も――――それどころか、五秒も経っていなかった。まさに一瞬の出来事である。

 〝アレ〟が本当に現実にあった仮想世界での事なのか、それとも一瞬のうちに垣間見た白昼夢であるのか……今のディンゴには判別がつかない。

 だが、全身を襲う倦怠感と、あの生々しいまでの戦闘の緊張感は間違いなく本物に近かった。いや、本物そのものだ。

 あの世界にいた時、ディンゴはおくびにも出さず努めて冷静であったが、しかしその内心は爆炎と震動に包まれた空を飛ぶ時の様な、胃を潰し心臓を握る緊張感を覚えていた。

 たった1.8秒。空では時に永遠にも等しいその一瞬で、あのひりつくような戦場の空気と同じものを、あの仮想の現実/ブレインバーストで感じ取れた。 

 

 

 

「ハ――――」

 

 

 

 声が漏れる。意図したわけでもない。しかし、何か言葉を口にしなければ、今この瞬間が〝嘘〟であるかのように感じられたのだ。

 右手を持ちあげ、手を何度か握っては開く。

 最初は全く乗り気ではなかった。いや、実際につい1.8秒前まではやる気等欠片も無かったのだ。

 だが、今は違う。

 俄然興味が出てきた。

 いかなるロジックとテクノロジーを用いて、あのような〝戦場〟を再現せしめているのか。

 結果的に、あの恐ろしいまでの光の奔流にのみ込まれた事で、ディンゴは負けた。

 無論、たかがゲームである。仮想現実で構築された子供の遊戯であり、彼自身がその人生をかけて体験してきた本物の〝戦争〟と比べれば、それこそ臍で茶が湧くような茶番だ。

 だが。

 

 

 

「……久しぶりだな、この感覚は」

 

 

 

 胃がムカムカする。ともすれば頭痛を覚えかねない程の苛立ちが意識を歪め、所構わずぶつけたくなるような乱暴な衝動が次から次へと溢れ出る。

 思い通りに機体を制御できなかった時。整備不良で機体のコンディションが悪かった時。はたまた、撃墜されてベイルアウトし、パラシュートを開いて戦場を眺めている時。

 そう――――〝悔しさ〟だ。

 悔しいのである。たかがゲームで負けただけだと言うのに、ディンゴは自身の戦場で覚えるような、いっそ屈辱とも言える激情を覚えていた。

 

 

 

「…………上等だ」

 

 

 

 もう考えは変わった。

 元よりやられっぱなしは性分に合わない。

 興味関心が無かったなどというのは言い訳にしたくないし、仮にも本気でかかったにもかかわらず、惨敗を喫した己の不甲斐無さに腹も立っている。色んな意味で、自分の認識と準備の不足が招いた、自業自得の結果なのだから。

 そうとなれば、もはや成すべきは一つだけである。少なくとも、療養中にこなさねばならない〝仕事〟としては、テストパイロット並みにやりがいがありそうなのは確かだ。

 まずは腹ごなしをしよう。それから即帰宅して、とりあえず必要な情報を整理しなくては。

 意識を〝仕事モード〟へと切り替え、つい数秒前までのだらけきった思考速度とは比べ物にならない勢いで、今後の自身の行動をスケジューリングする。

 そして、また突然乱入されては困るからと本能的にニューロリンカーのグローバル接続を切断しようとした時。

 見慣れたアドレスから、メールが来た事を知らせるポップアップが軽快な電子音と共にディンゴの視界を掠めた。 

 妙なタイミングでメールが来るものだな、等と疑問に思いつつ、手早く仮想デスクトップを操作しすぐさまグローバル接続を切断。その後、メーラーを開いて届いたメールに目を通す。

 

 

 

「―――――ッ」

 

 

 

 送信者と内容を頭に叩き込んで、ディンゴは言葉にならない呻きを漏らす。

 もし実態があれば、全力で地面に叩きつけたであろう勢いでメーラーを閉じると、ディンゴはすぐさま近くを通りかかったタクシーを捕まえ、車に乗り込むや否やメールに記載されていた住所を運転手へと告げた。その鬼気迫る様子に、本来は気の良いドライバーは横暴な主人におびえる従者の如く二つ返事で了承し車を飛ばした。

 電気自動車特有の極静音エンジンの振動をやや居心地悪く感じながら、ディンゴは再びメーラーを起動し、先程のメールを呼び出す。

 

 

 

《初陣にしては良い動きだったわ。詳しく話を聞くつもりがあるなら、この店に来て》

 

 

 

 簡潔にそう綴られたメールの最後には、先程タクシードライバーに告げた住所が記載されている。

 そして、その送り主のアドレスと登録者の名前欄を睨みつけるディンゴの表情は、まさに鬼をも射殺すような不機嫌さで満ち満ちていた。

 その送り主の名は、彼がかつて所属していた部隊の恩人の忘れ形見―――――ケン・マリネリスとあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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