アクセルワールド;Beyond the Bounds   作:[ysk]a

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2nd run;Alousal Desire《覚醒》

 

 

 

 

☆ 2047年、3月某日、日本、東京新宿区。

 

 

 

 

 初めて訪れた国内旅行者、ないしは外国人観光客であれば、十人に八人は出口の解り辛い駅トップ3のアンケート欄にその名を叩きこむ事間違いなしの新宿駅西口に、一人の厳めしいモノクロな外国人男性が降り立った。

 無造作どころかむしろ無頓着の域に入るアッシュブロンドのカジュアルスタイルに、気崩したブルゾンに所々ウォッシュのはいった黒いデニムジーンズという、全身真っ黒かつファッションのふの字からよほど離れた風体だが、元より端整な顔立ちと、軍属故のマッシブな体付き、そして外国人特有の雰囲気が相まって妙なまでの存在感を醸し出している。言い換えると胡散臭い。

 アクセサリー一つ身につけていないのが逆に怪しく、何よりもそのサングラスがより一層の胡散臭さを引き立てている。

 人間の目の動く範囲をすべてカバーし、且つ最大の視野を確保するかの有名なブランド、レイバン。そのアビエイター・モデルのサングラスである。

 19世紀末のとある映画のヒットから爆発的人気を得たこのサングラスは、21世紀が半世紀過ぎた今でなお米国空軍の多くのファンに愛されている。しかも、彼が今身につけているのは、多くの着装型仮想端末/ウェアラブルVRマシンが世に流行り出した頃、その波に乗り遅れることなくレイバン社がアビエイター・モデルのデザインはそのままに造り上げた、今現在もアップデートを続けている最新鋭のウェアラブルVRマシンタイプだ。

 ただし、そんな事をぱっと見で判断できるのは彼のようなレイバン・ファンか、あるいはその道を知っている専門者、ないしはよほどのVRマシンヲタクのみであり、春も終わり、そろそろ新芽が芽吹いてにわかに湿度と温度が上昇を始めるこの六月の初め、いくら日差しが強くなってきたとはいえレイバンのサングラスなどと言う〝本気/マジ〟な日差し対策を取っている者はほとんどいないし、理解者もいない。

 この平日真っ昼間の往来を行き来する一般人の皆々様方にとっては、単なる強面のガイジンサンが人でも殺しそうな雰囲気で新宿駅南口の真ん前で突っ立っている、という風にしか見えないのだった。

 ただでさえ少ない人通りが、彼の所為でより少なくなっていく。ともすれば、上手から下手に向かってタンブル・ウィードが転がりそうな勢いで。

 

 

 

《ちっ……相変わらずわかりにくい場所だ》

 

 

 

 英語でそう毒づきながら、アッシュブロンドの男―――――ディンゴ・イーグリットは仮想デスクトップを操作した。

 既に目的地を設定したナビアプリが起動してあり、あとはそのガイドカーソルに従って進むだけだ。

 かばんも何も持たない、文字通り身一つの身で東京は新宿の街へと降り立ったディンゴは、目的地へと向けて一歩を踏み出しながら回想する。

 無論、それはつい五日前、昏睡している間に何時の間にか連れ去られてきた日本都内のとある病院内で、ケンに聞かされた〝ビジネス〟の話であった。

 

 

 

† 五日前;都内某病院内個室。

 

 

 

 〝足長おじさん〟とやらの胡散臭い脅しを受け入れる羽目になり、看護師のお姉様に肉体言語で締め落とされるまで思う存分暴れたディンゴは、今度はものの数分で目を覚ました。

 傍には、どこから持ってきたのかパイプ椅子に座ったケンがいて、待ちくたびれたように目を覚ましたディンゴを冷たく見据えていた。

 それから面倒事は早く済ませたいとばかりに始めたケンの説明を聞いて、ディンゴは思わず間抜けなオウム返しをしてしまう。

 

 

 

「……VR格闘ゲームだぁ?」

「そ、格闘ゲーム。知ってる?」

「んなもん四半世紀も前に廃れたジャンルだろうが。俺がガキの頃にブームは終わってるぞ」

「へぇ、意外とそういうのはしっかりやってたんだ」

「別にそういうわけじゃねぇ。……で、その格闘ゲームとやらがなんなんだ」

「もう一度言うけど、それがクライアントの依頼の要なの。彼らが用意したとあるVR格闘ゲームの中で、彼らが指定するアバターをゲームオーバーに追い込む」

「……はっ。俺の命は今や廃れたジャンルのゲーム以下、ってか。大体、ゲームならとっととそいつのアカウントを剥奪するなりなんなりすればいいだろう。なんで俺にやらせる」

「どうも、それで片が付くような簡単な話でもないみたいだけど……」

「……あん?」

 

 

 

 突然物騒な事をのたまうケンに、ディンゴは怪訝な表情を浮かべた。

 しかし、ケンはディンゴの意図を無視して話を変えた。

 

 

 

「ゲームの名前は〝ブレイン・バースト〟って言うらしいわ。それ以外の事は実際に起動してみてくれればわかるって」

「……クライアントも仲介者も、依頼者として説明が足りなさすぎるな」

「仕方ないでしょ。あなたも気づいているでしょうけど、この依頼事態アレなんだから、渡される情報を最小限にされるのは当然だわ」

「ごもっとも」

「でも、だからって手抜きはしない。一応〝仲介〟した身だし、ある程度のサポートはするつもりよ」

「御立派な経営方針だ。どこぞの〝足長おじさん〟にも見習ってほしいね」

「というわけで、はいこれ。役立ちそうな資料をたくさん集めてきたの」

 

 

 

 そう言って、ケンはどこからか持ちこんでいた紙袋をどさっとディンゴの脇に下ろした。ディンゴが嫌々袋の中を覗き見ると、一体なんの授業を始めるのかと質問したくなるような分厚い――最も薄くて200ページはありそうだ――紙媒体がぎっしり詰まっている。その数、およそ13冊。

 

 

 

「……わかりきったような事を聞きたくはないが、念のために聞いておく。なんだこれは」 

「えーとね、これが20世紀末より今日まで、格闘ゲームというジャンルが歩んできた軌跡についての資料諸々。で、こっちが肝心要の各種VR格闘ゲームについての資料の束で、これが今一番流行ってるゲームのエンサイクロペディア?らしいわよ」

「………………俺は読まねえぞ」

「格闘ゲームについての知識は?」

「VR系のはさっぱりだ」

「なら、予備知識くらいは必要でしょ?」

「いらん。マニュアルは読まないんでね」

「テストパイロットの癖に嘘つかないの」

「……奴らの狙いは何だ。何故俺にこんな事をさせる」

「……言ったでしょ、知らないって」

「だが、胡散臭い」

「まぁね」

「根拠は」

「私の推測。詳しい話はもう少し待って」

「……ふん。わからないことだらけだな。お先真っ暗過ぎてイヤになるぜ」

「あら、そんなあなたに良いニュース。ゲームクリアの条件ははっきりしてるわ」

「とあるアバターを倒せ、だったか」

「そう。対象の名は―――――――メタトロン・アヌビス」

 

 

 

 名を告げながら、ケンはディンゴに向かって一枚のスクリーンショット画像を送信してきた。

 ディンゴは間髪をおかずにメーラーを起動。添付された画像を開き―――――無言のまま、その対象《ターゲット》を脳裏に刻みつけるのだった。

 

 

 

 

 

 

 煙草を吸えない事に苛立ちを覚えながら、ディンゴは頭を振って回想を終えた。

 あの時もらったスクリーンショットはまだ保存してある。あれから自分なりに調べてはみたのだが、なしのつぶてでまるで収穫が無かった。そのため、わざわざこんな所にまで足を運んだのである。

 五日前の病院での出来事を回想しつつも、ナビアプリに従って歩いていたので、既に目的地は目の前まで近づいていた。

 その店は、区画整理が息届いて久しくない西新宿二丁目において、まるでそこだけが時の流れから取り残されたように40年前からさほど景観の変わっていない、雑多なビル群に埋もれるようにして存在していた。

 ディンゴが最後にこの店に訪れたのは何年前だったか。思い出そうとして、頭を振って中止する。思い返したい思い出でもなかった。

 溜息を一つ吐き、まともに掃除もされていない汚れたっぷりな扉を押しのけてその店へと足を踏み込む。

 真昼間にも関わらず、店内は薄暗かった。外と繋がる窓は遮光性の黒窓な上、ビル群の間に在る所為でまともな日差しは入りこまない。空調が利いてるおかげか空気は淀んでいないものの、縦に細長い狭苦しい店内では、それだけで息苦しさを感じざるを得なかった。恐らく、レトロでステレオなハッカーの隠れ家みたいなのを意識しているのだろう。あちこちに積み上げられた用途の知れぬ機械部品と、そのガラクタの山の中鎮座している小奇麗な棚が一際異彩を放っている。無論、その中にはウォッカや日本酒といったいくつかの酒類とグラスが並べられている。対照的に、小さな冷蔵庫が設えてあるこれまた手狭なキッチンは妙に小奇麗だ。……というより、長い間使っていない、と表現した方が正しいのかもしれない。単純に生活空間がこの階では無いだけで、恐らくこの上階はそれはもう名状しがたいカオスな空間になっている事だろう。

 店内を見渡せば、それだけで店主の性根を感じざるを得ない、そんなカオスな空間だった。

 ディンゴが店内に入ると同時にナビアプリが終了し、サングラスのすっきりした網膜投影式の仮想デスクトップ上にアイコンが一つ点灯。店内に設置されている独自のローカルネットへと強制的に接続させられる。即座にファイヤーウォールが展開し、ローカルネット側からの違法な接続を遮断する。

 悪趣味な事だ。何の対策もしていなければ、そのまま〝ここの〟ローカルネットにリンカー内の個人情報その他諸々をすっぱ抜かれる事になる。ようするに、〝そう言った連中向け〟の、ちょっとよろしくない〝お店〟だった。

 

 

 

「おいテイパー! いるんだろ、話がある」

 

 

 

 入口のすぐ手前、恐らくは来客迎え用のカウンターテーブルに寄りかかりながら、狭苦しい店内の奥に向かって怒鳴る。こうして直に会うのは何年かぶりだが、ネット上ではそれなりの頻度で顔を合わせた事がある仲だ。ディンゴの態度も、旧来の知人を訪ねに来たそれに近いものがある。

 しばらくして、どたどたと階段をかけ下りる音と共に、一人の恰幅の良い男が現れる。

  

 

 

「なんだ、大声でどなり散らしやがって………押し売りなら間に合って―――――ひぃ!?」

「……相変わらず気の小せぇ奴だな」

 

 

 

 ベリーショートの癖に揉み上げだけが妙に長く、四角い頭にレスラーの似合いそうな体格、そしてインテリを気取るためのスクウェアフレームの伊達メガネ。

 ディンゴの姿を見るなり、軽くのけ反りながら大仰にビビった男は、端的に言えばそんな外見の男だった。

 テイパー。24歳。無論男で本名は不明。元軍属らしいが〝こんな所〟で暮らしているのを見るとどこまで本当かわかったものではない。

 態度はデカい癖にかなりの臆病者で、何かを始める時はまず形から、というのがポリシーの―――――まぁ所謂お調子者だ。

 そんな彼の職業は、昨今リアル世界のみならずネットの世界に置いても氾濫している様々な情報を商材として扱っている〝情報屋〟だ。

 ただし、こう見えて仕事はきっちりこなす信用ある男だ。態度がでかくて怖いもの知らずの癖に、下手な尻尾を出してヘマをするような輩とは比べ物にならない。

 ディンゴは、相変わらずなテイパーの狼狽ぶりに苦笑しつつ、テイパーがおびえる原因となっているであろうサングラスを外す。露わになったディンゴの素顔を見て、テイパーは伊達メガネにもかかわらずメガネを抑えて目を細めると、大声を上げた。

 

 

 

「ん……? その声、にその顔……まさかアンタ、ヘンリー・Gか!?」

「今更かよ。それより、ちと急ぎで調べてもらいたい事がある」

「め、面倒事は御免だぞ! この前はアンタの所為でエライ目に遭う所だった!」

「ちっ……小せぇことを引きずりやがる」

「小さいわけあるか! どこが〝一人の将官を調べるだけの簡単お仕事〟だ! 最終的に国家の軍事機密が満載されたデータベースにハッキングするのと大差ない危険が――――!」

 

 

 

 これっぽっちも歓迎されるとは思っていなかった―――と言えば嘘になるが、しかし改めて歓迎されない態度を取られると腹立たしい物がある。

 テイパーが言っているのは、つい半年前のディンゴの依頼の事で間違いない。とはいっても、頼んだのはせいぜいとある将官の行方の調査だけだったのだが。なにやら色々と危ない目に遭いかけたらしい。口やかましくその時の経緯をまくしたてるテイパーの言葉を右から左へと聞き流しながら、ブルゾンのポケットから予め調べてもらう内容をメモしておいた紙を取り出し、テイパーの目の前へと突き出す。

 

 

 

「その件はきっちり金も払って片が付いてるだろ。それより今回の依頼だ。〝これ〟について調べてくれ。できるだけ早く」

「む……こ、今度は危険な話じゃないだろうな」

「知らん。わからんからこうしてやってきてるんだろうが」

「ネットじゃなくてリアルで、っていうのが信用できん。それだけ〝漏らしたくない〟ということの裏返しじゃないのか」

「間違っちゃいないな」

「お断りだ!」

「あん?」

「イヤな予感がする! アンタがそうやって慎重な手段を取るってことは、よっぽど危険なヤマだって事の証拠だ!」

「……金は払う。それに、調べてもらうのはたかだか格ゲーだ。おまえさんが危惧してるような事にはどう転んでもならねぇよ」

「…………カクゲー? まさか、格闘ゲームの事をいってるのか? なんだってまた……」

「ワケありなんだよ。ちなみに、タイトルはその紙に書いてある。自分でも調べてみたが、さっぱりお手上げだったんでな」

「―――――ブレイン、バースト?」

 

 

 

 怒鳴り散らしていたせいでややズレた伊達メガネの位置を直しながら、テイパーはディンゴの差し出したメモの一文を読み上げる。

 それからテイパーはすぐさま仮想デスクトップからグローバルネットに繋いで軽く検索を始めたようだった。ひとしきり仮想キーボードを叩き続け、あちこちに視線を動かした末、顎に手をやりつつ首をかしげて見せる。

 

 

 

「……タイトルも聞いた事が無い。市場にも名前はない」

「だろうな。公の市場には出回っていない。個人の作ったものか、あるいは一般には流通していない代物か………俺は恐らく、後者だと睨んでる」

「完全ダイブ型を作るとなると、それなりの投資と人員が必要になる。噂くらいはないと逆に不自然だな……そもそも、採算なしにできる道楽じゃないんだが」

「だからお前に頼みに来た。元々俺にとって専門外の分野だからな」

「ふーむ。わかってるのはタイトルだけか?」

 

 

 

 格ゲーについて調べるだけというのが安心材料だったのか、どうやらテイパーは調査を引き受ける気になってくれたらしかった。ディンゴはほくそ笑む。

 

 

 

「あぁ。あとはやってみりゃわかる、だとさ」

「ということは、モノは手に入れたのか」

「……〝渡されたリンカー〟に最初から入ってた」

 

 

 

 ディンゴはそう言って、首の銀色のニューロリンカーを軽く叩いた。元々ディンゴが持っていたものと全く同じデザインであり、中身もまるっきり同じ〝別物〟だ。

 どうやらケン曰く、〝依頼者〟が用意した特注のニューロリンカーらしく、ディンゴの脳内に埋め込まれたBICと特別なアプリで繋がっているとのこと。

 事前にブレインバーストとやらのアプリをインストールしてあった事といい、まるで自分の命が誰に握られているのかわからせるためにあるようなバイタル自己管理アプリが存在している事といい、とことんやる事が汚い連中だ。考えるまでもなく、あの時ディンゴの人工心肺装置を強制停止させたのはBICにプリインストされていた後者のアプリだろう。

 人が死にかけてるのを良い事に無断手術をするだけでなく、移植したBICにも細工を加えて生殺与奪の権利まで握るとは、正に見上げた外道である。昂る感情のままに件のアプリを削除してやろうかと思ったのは二度や三度ではない。ケンに止めた方がいいと窘められたのでその場は諦めたが、今も視界にそのアイコンがちらつく度に苛立ちは募る。

 ともあれ、そんな自分のふざけた境遇をテイパーにぶちまけるわけにもいかない。全てをあらん限りの罵声と共に吐きだしたい衝動をぐっと堪え、ディンゴは涼しげな顔でテイパーの質問に答えていった。

 

 

 

「そのリンカーの製造元は?」

「わからん。だが、クライアント曰く日本製らしい。……まぁ概ね間違ってないと見てる。純正品にしちゃバカに性能が良い」

「となると、入手経路も不明か……コピーは?」

「駄目だ。普通のアプリじゃぁない。知り合いの話だと、どうもこのアプリはOSに食い込んでるみたいでな。下手に削除も出来ん」

「起動は……」

「するわけがない。下手すれば自分の命に関わる問題だ」

「……おいおい、今物騒な言葉が聞こえたぞ」

「例え話だ。下手に起動して運が悪けりゃ自分の身が破滅する。そんな危険があるのに、お前だったら起動するのか?」

「まさか。ブラクラとわかっててわざわざ踏みに行くような真似を誰が。にしても、ひでぇ爆弾を抱え込んだもんだな」

「そういうこった。だから、お前さんに調べてもらいたいんだよ」

「なるほど……確かに、聞いてるだけで胡散臭いな。だが、危険はなさそうだし――――興味もある」

「引き受けてくれるか?」

「……仕方ないな。だが、貸しにするぞ」

「助かる。報酬はいつもの口座でいいな」

「期限は?」

「今週中に頼む。それと、言うまでも無いだろうがこれは口外禁止だ。そのメモもよこせ、焼く」

「了解」

 

 

 

 テイパーからメモを返してもらい、懐から取り出したジッポライターで火をつける。そのまま近くにあった灰皿に落とし、完全に燃え尽きたのを確認する。

 これで用事はすんだ。後は仮住まいにしている我が家に帰宅し、ケンから渡された資料をさっさと処理してしまおう。

 そう思って身を翻そうとしたディンゴだったが、早速作業を開始していたテイパーに呼び止められる。

 

 

 

「っと、それよりアンタ、仕事はどうしたんだ。アメリカに住んでるんじゃなかったのか?」

「……長期休暇中だ」

「なるほど―――――〝お大事に〟な、ヘンリー・G」

「………へっ」

 

 

 

 返事はせず、踵を返しながら手を振る。そのままディンゴは、店の外へと出た。

 

 

 

 

 

☆ 三日後;2047年3月某日、墨田区

 

 

 

 

 

 簡素な部屋だった。

 10帖のやけに広い部屋で目に付くのは、ベッド、小さな本棚、デスクくらいのもので、他に目に付く物と言えばジャケットが欠けてあるハンガーくらいだろうか。

 人が住むにはあまりにも寂しく、しかし最低限の生活の臭いを残す部屋の主は、ベッドの上で気だるそうに寝転がりながら、分厚いとあるゲームのエンサイクロペディアを斜め読みしていた。

 ざんばらなアッシュブロンドに、首元のややくすんだ銀色のニューロリンカー。逞しい体躯はグレーのタンクトップに押し込められ、だらしなくベッドに投げ出された下半身はベージュのカーゴパンツを穿いている。

 そして、どこか眠そうなのを必死にこらえている涼やかな双眸――――言うまでも無く、ディンゴだ。

 

 

 

 三日前、新宿でテイパーに調査の依頼をしてから、このマンションの借り部屋に引きこもりっぱなしの為、顎周りにはみっともない無精髭が生えている。

 時々その髭を撫でつけながら、ディンゴはぺらりぺらりと流し読みしている紙媒体のページをめくっていた。

 だがしかし、そんな静寂に満ち満ちた室内とは対照的に、今ディンゴの脳内ではけたたましいロックサウンドが鳴り響き、ディンゴにしか見えていない仮想デスクトップには、少しでも退屈な時間を紛らわそうとかなり必死に努力したであろう痕跡があちこちに散見された。

 音楽再生アプリに各種タスクスケジュール、軍からの自分に対する正式な長期療養期間の認証書面、ディンゴなりに調べたVRゲームの歴史と、格闘ゲームと言うジャンルの有名なソフトのリストとその資料、そして今現在、自分が集める事が出来た〝ブレイン・バースト〟というゲームについてのレポート。

 それらを視界の端に押しのけて、ディンゴは今にも死にそうな目でずっしりと重い紙媒体のページをめくり続けている。

 ゲームの紹介から始まり、操作方法、システム、各キャラクター、技表、テクニック、性能データ、開発者インタビュー、エトセトラエトセトラ。三冊目になってもまったく代わり映えのしない本の体裁と、まだ戦闘機のマニュアルを読んでいた方が気が楽なほど面白くも無い駄文の連なり。

 興味も無い、役に立つ情報とも思えないゴミ情報の奔流を無理矢理脳味噌へとねじ込む作業は、もはやディンゴにとって静かな拷問の領域だった。

 これが軍事教練の話や歴史に残る大戦のあらまし、有名将校についての伝記や航空機関連の話題であれば問題ない。むしろディンゴにとって有意義な時間であるとすら言える。

 だが、現実はひたすら興味関心の一切皆無で、かつ彼の職業にほとんど関わりの無い〝ゲーム〟についての与太話のオンパレードだ。シミュレーターを触った事があるから完全に無関係では無いにしても、これではもうクリスチャンがイスラム教徒に説教されるようなものである。

 

 

 

「――――だぁクソ!」

 

 

 

 結局、中身はほとんど似たり寄ったりな格闘ゲームのエンサイクロペディアを3冊まで我慢して読み終えたディンゴは、内心の怒りと共に本を床へと投げ捨てた。彼にしては奇跡的なまでの我慢である。

 そのままベッドから跳ね起きて頭をかきむしると、そこそこスペースのあるキッチンの冷蔵庫から赤い闘牛マークが特徴的な炭酸飲料の缶を取り出し、淀みなくプルトップを開けて一気に呷った。

 喉を焼くような刺激とやたらと味の濃い液体を嚥下し、少しだけオーバーヒート気味だった頭を落ち着ける。

 そのままキッチンに寄りかかり、青と銀の装飾が特徴的な缶をなんともなしに見つめながら、ディンゴはつい昨日、早速テイパーから入ってきた連絡の内容を思いかえした。

 予想通りと言えばそれまでだが、増えた情報はほとんどないようなものだった。

 

――――ブレイン・バーストなるゲームは、公には存在しない。いわば、都市伝説のようなもの。

 

 有り体に言ってしまえば、それがテイパーの調査の結果の全てだった。

 正確に言えば、それに付随して小話が二つほどあったが、どれも〝ブレイン・バースト〟とは直接的な関係はない。

 つまるところ、昨日の時点でもう、ディンゴは直接〝ブレイン・バースト〟を起動する以外に新たな情報を得る手段がなくなっていたのだ。

 それを今この瞬間まで、半ば拷問のような苦痛の時間を過ごしつつ引き延ばしてきたのは、テイパーから後続の報告がある事に一縷の望みを託していたからに他ならない。

 だが、既に日は傾き、仮想デスクトップ上の時計が1600を四分の一程過ぎても、メーラーには何の反応も無い。このまま待ち続ける事もできるが、それはもはや時間の無駄と同義だ。そんな贅沢は、ディンゴには許されていない。

 

 

 

「…………仕方ねぇ」

 

 

 

 クライアントは、今回の案件にある程度期限を設けている。その期限を過ぎればどうなるかなど、わざわざ考えるまでもないだろう。

 本来であれば、病院を退院したその日、即ち一週間前には迷わず〝ブレイン・バースト〟を起動して作業にとりかかるべきだったのだ。なのに、ディンゴがこれまで〝ブレイン・バースト〟を起動するのを躊躇してきた理由は、そのアプリの胡散臭さもそうだが、人の生殺与奪権を握ってまで強制的に参加させようという、その胡散臭い背景にある。

 その〝胡散臭さ〟の裏側を探るために、この一週間悪あがきをしてみたのだが、見事に空ぶったようだ。

 こうなれば、いつ来るかもわからない、例え来たとしても役に立つ情報かどうかも怪しい、そんなあやふやなものに期待するよりも、いっそ危険を承知でこの身を火中に投げいるべきだろう。事実、それ以外にこの状況を脱する手はない……。

 それから暫し黙考したディンゴは、一つ決断を下した。暗中模索、偵察も無しに敵陣に飛び込むようなものだが、やるしかあるまい。

 そして、再び缶を煽って中の液体を一気に飲み干すと、首のニューロリンカーを外してベッドに放り投げ、クローゼットから着替えを掴んで浴室へと向かった。

 

 

 

「まずは風呂、そして飯だな」

 

 

 

―――――戦闘準備、開始だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 十数分で身だしなみを整えたディンゴは、いつも通りのモノトーンのファッションに身を包むと、現在チャージしてある電子マネーを確認するべくベッドの上に放り投げてあったリンカーを首に装着し、手早く起動する。

 BICの仮想デスクトップ上に、新たなウェアラブルVRデバイス―――ニューロリンカーの量子無線接続が確認された旨と、BIC及びリンカー両者の仮想デスクトップの同期が完了したこと、そしてベースプロセッシングをニューロリンカーモードに切り替えた事を告げるメッセージウィンドウが順繰りにポップアップした。これで、仮想デスクトップ上にはBICとニューロリンカー両者のアプリが複合的かつ重複なしに表示され、操作の処理は基本的にニューロリンカー上で行われるよう設定された。

 元々、BICにもニューロリンカーにも、同時に装着したウェアラブルVRデバイスの複合同期機能はないのだが――無論、悪意的かつ違法な利用等を防ぐためである――、ディンゴに移植されたBICとリンカーには初めからこの同期機能がデフォルトで設定されていた。

 BICとリンカーを同期させ、ベースプロセッシングをリンカーに設定する事で、人工心肺装置の制御と言う重大な役割を担っているBICに出来る限り必要以外の仕事をさせずに、かつ常にBICの状態を管理するためだ。

 加えて、両者にも強固な――それも軍用レベルの――ファイヤーウォールが組み込まれており、外部からの悪意ある接続からも両者を保護している。

 万が一、人工心肺装置の動きを管理しているBICがなんらかのトラブルへ巻き込まれフリーズやクラッシュ等の問題が起きようものなら、それはディンゴの命の危険へと直結する。勿論、そうなった場合に備えて、BICの制御が無くとも人工心肺装置独自の稼働機構は組み込まれているが、出来る限り想定される危険からBICを遠ざけるべきなのは言うまでも無い。

 だが、現在ディンゴの体の中に埋め込まれたものも、BICの中に組み込まれた同期機能も、どれもぶっちゃけ違法ギリギリである。ディンゴが人工心肺装置持ちであり、脳にインプラントしたBICでその制御を行っているという事情が無ければ、問答無用で両手にお縄がかけられてしまったことだろう。どうして手術を行った医師達がこんな横暴をまかり通したのか疑問に残るが、生殺与奪の権利を握られたディンゴはそれを追求できる立場にない。

 とにかく、侵入された場合の危険度が市販のニューロリンカーとは洒落にならないレベルにあるBICの〝安全面〟を考慮した数ある対策の一つが、この同期機能なのだ。ディンゴにとっても命に関わる問題であるため文句は無いし、同期自体はほぼ一瞬で、かつ自動的に行われるので煩わしく思った事もない。せいぜい準備に一瞬手間取る程度だ。慣れれば気にならないレベルだった。

 ただし、この同期機能がニューロリンカー以外――例えばディンゴの持つレイバンのサングラス型デバイス――に対応していないのは唯一の不満だ。スペックの問題なのか、それとも機能そのものの仕様なのか。どちらにしても、ディンゴとしては残念に思うことしきりである。

 準備を終えたディンゴは、リンカーにチャージされた電子マネーの残高を確認する。食事と交通費に必要な最低限の額を遥かに上回っている事を確認し、満足げに一つ頷いてから玄関に向かった。

 履き慣れたブーツの踵で軽く床を叩き、履き心地を整えて扉を開ける。外に出て扉を閉めると、オートロックで鍵がかかる音がした。

 

 まだ築二年の新築マンションであるのと、管理人の管理が行き届いているのだろう。汚れ一つ見当たらない小奇麗なマンションの廊下を歩いて、これまた小奇麗なエレベーターに乗りながら、ディンゴは感心を覚えた。日本人の綺麗好きさは相変わらずだな。それなりに掃除はするディンゴでも、毎朝きっちり七時にマンションを見回っている管理人には到底敵うとは思えなかった。

 そして、一階へと着いたエレベーターから降り、薄い強化ガラス一枚の自動ドアを潜ってメインホールを抜けて外へ。

 マンションの敷地から一歩を踏み出すと同時に、仮想デスクトップの端にマンションのローカルネットからグローバル接続へと切り替わった旨を知らせるウィンドウがポップアップする。

 ニューロリンカーでグローバル接続したのは久しぶりだ。退院してから、基本的にグローバル接続はレイバンのサングラス型デバイスかBICだったのと、新宿から戻ってきて以来引きこもりっぱなしだったのもあって、二ヶ月と一週間ぶりの接続である。

 だからと言って何かが変わるわけでもない。接続元がサングラス型デバイスもしくはBICからニューロリンカーに変わっただけだ。

 そう〝ニューロリンカー〟に、変わっただけなのだ。

 大通りに出てバス停を探す。特に苦労することなく周囲を見回すだけでそれを見つけたディンゴは、何の気構えも無くそこへと向かおうと一歩を踏み出し―――――。

 

 世界を、青い衝撃が襲った。

 

 ディンゴは、突如脳髄を貫くような衝撃音と共に、世界が凍る様を見た。

 視界が暗転し、青く凍りついた世界に色が落ちる。

 傍の道路から車が消えうせる。離れたバス停が地面へと溶け、コンクリートとアスファルトは氷と雪に覆われる。

 遠く離れたビルは雪に覆われた氷山へと変貌し、つい瞬きする一瞬前までは文明の息吹を感じさせた大都市が、生命の息吹すら凍てつく吹雪と極寒の世界へと様変わりしていた。

 

 

 

「な――――――ッ!?」

 

 

 

 突然の世界の変容に、ディンゴは絶句するほかない。

 目の前にあった世界が、突如瞬き一つする間に氷雪吹き荒れる雪山に成り変わったのだ。

 理由も原因も思い当たらないディンゴは、パニックでどうにかなりそうな、暴力的なまでの思考の混乱に見舞われる。体はこの吹雪に凍らされたかのように硬直し、ぴくりとも動かない。

 なんだ、何が起きた。吹雪。雪山。街は。バス停も消えた。人も、車も世界が青く染まったかと思ったら、次の瞬間には別世界が広がった。ありえるのか。こんなことが、いや、待て、落ちつけ。焦るな、狼狽するな、確認しろ。理解しろ。自分が〝どうなっている〟のか、まずはその把握を――――、

 深呼吸と共に努めて冷静になろうとするディンゴが落ち着く前に、またしても世界に変化が訪れる。

 

【HERE COMES A NEW CHALLENGER!!】

 

 見慣れないフォントで、つい最近どこかで見たような文言が、やや弱まりだした吹雪の中で焔と共に弾ける。

 弾けた焔は空へと舞い上がり、ありえないことにガチャガシャと高質な音を立てながらディンゴの視界上部に何かのメーターを形成し始めた。

 左右に長い水色の棒が一本ずつ。その下にも一際細い緑の棒が一本ずつ。そして中央には〝1800〟という数字。

 

 ……待て、これは。

 

 ディンゴの脳裏でフラッシュバックと共にとある画像がひらめく。これは、この〝演出〟は。

 だが、あと少しで答えに辿りつけるところまで来たディンゴの思考に、無慈悲な謎の世界は新たに【FIGHT!!】という文字を弾けさせると共に、さらなる追い打ちをかけた。

 

 

 

≪――――――――おはようございます。戦闘行動を開始します≫

 

 

 

 もはや驚く事さえできない。なんの脈絡も無く頭の中へ響いたその声に――正確には、一つの単語に――導かれるようにして、ディンゴは意識を完全に切り替えた。

 そして見る。

 視界前方、中空に浮かぶ謎の円盤が赤いカーソルで示す先から、吹雪を弾き飛ばすようにして〝何か〟が突き進んできているのを。

 気がつけば、ディンゴは自身の直感が命じるままに思考を弾けさせ、その衝撃に突き動かされるまま雄叫びを上げた。

 

 

 

「――――――――動けぇええっ!!!」

 

 

 

 ディンゴの叫びに呼応し、それまで沈黙を保っていた一体の〝アバター〟が頭部の黒いバイザーに秘められた双眸を煌めかせると共に、脈動のような流動ラインを全身に走らせ、殴りつけるような激しさへと変わりつつある吹雪を蹴散らしながら飛び出した。

 

 

 

 

 

 


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