アクセルワールド;Beyond the Bounds 作:[ysk]a
★2047年某月某日、米国グルームレイク基地、演習空域。
頭蓋骨を抉るようなエラー音が、脳内でやかましく鳴り響く中で、米国グルームレイク空軍基地所属の試験戦闘機テスト・パイロット、ディンゴ・イーグリット大尉は静かに舌打ちをした。
テスト飛行に出撃する間際、整備班のリックと今年の優勝はへスパリア・ゲイルズか、ロッド・タルシスかで口論を交わしたのが懐かしい。まだ数分前の話だ。まさか、出発直後にエンジントラブルに見舞われた挙句、強度不足で右尾翼が吹っ飛ぶなんて運が無さ過ぎる。おまけに何故か知らんが右主翼まで様子がおかしい。
ニューロリンカーによる仮想デスクトップに表示された多機能ウィンドウ/MFWの一つには、機体下部に設えた外部カメラが捉えている、機体が緩やかにロールしている事を示す映像が映し出されている。同時に、それはキャノピーの向こう側の景色も同じであることを意味し、自身の機体が後一歩で錐もみに突入する危険な状態である事を無情に告げていた。
コックピットに取り付けてある右手前の多機能ディスプレイ/MFDを見やる。ニューロリンカーに機体操作の全てを預ける危険性を考慮し、旧来通りに設えてあるそれは、ヘッド・アップ・ディスプレイ/HUDとは別の機体速度が表示されている。間接思考制御アプリが大きなリソースを食うニューロリンカーに、これ以上余計なリソースを割かせるわけにはいかないためだ。緊急時にはリンカー上で起動しなければならないが、まだ使える。起動はしない。
機体速度は徐々に上がっていた。なにせ墜落中だ、無理も無い。再び仮想デスクトップに視線を戻し、左端に寄せてあった機体ステータスウィンドウをチェック。右主翼ステータスエラー。右エンジン停止、左エンジンも止まったり動いたりを繰り返している。
クソ、冗談じゃねぇ。
毒づきたくなるのを堪え、操縦桿を利き手である右手で必死に手前へと傾ける。ペダルは右に踏みっぱなし。少しでも機体を水平に保とうと、さらに左手とぐるぐる回転する視界の中MFDの表示を見ながら計器を操作する。
努力は実らない。機体は相変わらず緩ロールを続け、時間が経つごとに高度を下げている。機体が耐えきれなくなったのか悲鳴を上げてあちこちからイヤな音を軋ませ、その音がまるで風の嘲笑のように聞こえる。
握りしめる操縦桿は言う事を聞かず、危機的状況下におけるストレスと無意識に覚えてしまう恐怖感から心臓は早鐘を打ちっぱなしだ。浅く早い呼吸音もやかましい。
『レヴィー1、機体を放棄し緊急脱出/ベイルアウトしろ』
「―――ざけんなッ!」
テストパイロットである自分に向かって、機体を捨てろと抜かす管制室/コントロールに短く毒づく。その間にも、四肢は忙しなく機体制御に奔走し、視線は四つのディスプレイを休むことなく行き来していた。
右ヨーが利かない事と、上昇が無理。左エンジンはかろうじて生きてる。燃料はまだある。そして、間接思考制御のメイン・フライト・システムに異常はない。
「――――まだなんとかなる……ッ!」
『許可できない。滑走路までもう僅かだ、危険過ぎる』
「どの道堕ちる! やってやる!」
ディンゴはマスクの中で唇を舐めると、覚悟を決めた。テスト飛行開始早々に起きたトラブルの原因等、端から気にしてなどいなかった。こういう仕事/試験機のテスト飛行をしていれば、もはや日常茶飯事とも言える。焦る必要はない。
欠損した尾翼は一基だけ。このテスト機体には後もう一基尾翼がある。だが、右主翼の操作が利かないだけじゃない。元より、大して動いていないのだ。求める動きの十分の一程度しか、反応していない。そのため、航法管制コンピューターはディンゴの操作に対しエラーのビープ音で応えている。制御系にエラーがあるからか、ないしは――――どうでもいい。まずは、やれる事をやる。
「メインエンジン停止、サブエンジン起動」
間接思考制御システムがディンゴの意図を汲み、メインエンジンであるアークジェットエンジンを停止。予備のラムジェットエンジンに切り替える。どの道両方のエンジンをテストしなければいけなかったのだ。この状況はある意味、工程短縮でもある。ディンゴはそう楽観的に考えながら、再びスティックを握りなおす。感圧式の操縦桿は暖かく、じっとり汗ばんだ手が気持ち悪かった。構わずスティックを倒す。
パワーダイブ。機種が地面へと向き、重力に従って急加速を始める。高度は見る見る下がり、緩いロールのまま機体速度を恐ろしいまでに加速させる。
同時に、機体胴部左右に在るエアインテークが、口を広げるように拡大。このテスト機体が〝鯨/ウェイル〟と呼ばれる所以だ。
酸素吸入率上昇。エンジンに火が灯り、風圧以外によって機体が震え始める。ピッチアップ。同時に右ヨー。機首が徐々に上を向き、ロールはさらに緩やかに。遂に機体が大地と水平にまで持っていかれる。
耳元の通信からやかましいまでの歓声が聞こえた。着陸もしてないのに気の早い奴らだ。
機内のビープ音はまだやかましい。油圧系に異常があるのか、それとも欠けた尾翼以外に何らかの損傷があるのか。主翼フラップが赤くなってるくせに動いてる時点で、もはやステータスは当てにならない。
マニュアル・マニューバ・モードは継続したまま、ランディング・システムを起動した。このままの速度で突っ込めば無論自殺行為だが、ディンゴは一つ、試してみようと思っている。無論、チップは自分とこの機体。失敗は許されず、恐らく成功しても許されないだろう。だが、どの道死ぬのならやれるだけの事をやってから死にたい。
「このまま着地態勢に入る。滑走路にいる奴らは全員退け!」
『待てレヴィー1、着陸は許可しない。繰り返す、着陸は許可しない!』
「ならどうしろってんだ!」
『現在レヴィー1のエアブレーキは機能していない。救助の機体が飛ぶまで基地上空を旋回、待機せよ』
「悠長な事言いやがって……こっちはさっきからエンジン回りが可笑しいんだ! いつ堕ちても可笑しくねぇんだよ!」
『命令は変わらない。その場で旋回待機だ、イーグリット大尉』
「――――断る」
そう言ってディンゴは、有無を言わず着地態勢/アプローチへと入る。ギア・ダウン、ロック。メインエンジンの推進剤を破棄。機体を出来る限り水平に。肉眼で機体ステータスをチェック。右主翼、若干挙動が怪しいがフラップ、エルロン両方稼働確認。左同じ。前翼問題なし。尾翼、問題あるがなんとかする。エンジンのスラスト・ベクタリング・ノズルも問題なし。これだけのコンディションなら、やれる。
機体を左右に傾けたり、ヨーイングによる減速、なによりエアブレーキを利用した減速は普段通りにやるのは危険すぎる。不可能だ。下手をすればつい十数秒前の状態に逆戻りした挙句母なる地球と熱烈なキスをする羽目になる。管制室/コントロールの命令も御免だが、やりたくもないキスをしなきゃならんのはもっと御免だ。
だいたい、管制室/コントロールはエアブレーキが機能していないと抜かしたが、〝一応〟機能はしている。普段より〝少し〟ばかり調子が悪いだけだ。問題ない。
では、この状況でどう減速する?
……アレがある。
この機体でできるかどうかは分からない。エンジンが止まらない事と、バカみたいにデカイ可動式エア・インテーク、そしてこいつの強力なポストストール性能を信じるしかない。
再び唇を舐め、操縦桿を握りしめる。相対速度に目をやり、HUDに表示されるランディング・ガイドに沿うよう機体を調整。エア・インテークを最大角で開口、最低限の出力にエンジンを保ったまま機首を一気に引き上げる。進行方向に対して120度近くまで引き上げると、機体が激しい震動に晒され、途端に安定性を失い始めた。
「――――ぐぅぅっ……!!!」
突然の失速による高負荷と、失速域/ポストストールにおける激しい震動がディンゴと機体を襲う。歯を食いしばり、ディンゴは更に機体を操作した。
機体速度がじりじりと下がり、設計者曰く失速する速度寸前にまで機体を保ち続けたディンゴは、意を決して操縦桿を傾け機体を180度急旋回。そのまま機首を下ろし、最初とは真逆の状態へと機体の向きを入れ替えた。
更に激しいビープ音。衝突警報が仮想デスクトップ上に大々的に表示され、逸る心を更にかき乱そうとするが、ディンゴは努めて無視した。エンジン出力最大。強引に空気吸入を開始させ、酸欠にあえぐエンジンを酷使する。
コブラの亜種マニューバによる機首反転からのカウンターバースト。エアブレーキが無いのであれば、大出力の逆ベクトルの力で減速すればいい。そう思ったが故の、このむちゃくちゃ極まりないマニューバだった。管制室からは、阿鼻叫喚の叫びが聞こえる。笑いが漏れた。
エンジン停止。推進剤も破棄。このまま美味く着陸できるとは思わない。だが、やれるだけの事はやった。
機首を元に戻し、オーソドックスな不時着を試みる方法もあった。だが、下手をすれば機首から飛び込んでコックピットごと潰れる可能性もある。ならば、ケツから突っ込んで生き残る方に懸けたい。無論、ディンゴに自身の穴を突っ込まれるような趣味もなければ、その逆の気もありはしないが。
滑走路が近づく。ビープ音は以前とやかましく、もはや着陸し完全に止まるまで鳴り止む事はないだろう。地表まで残り500、400、300、200、100、50――――今!
凄まじい衝撃がディンゴを襲った。
一瞬のクッションの感触は、間違いなくランディング・ギアの接触によるものだ。だが、機体の落下速度と重量で耐えきれずに潰れたのだろう。機体が地面に衝突し、ミキサーにでも掛けられたかのような震動がディンゴを襲う。
尾翼が前方へと弾け飛ぶ。尾翼だけでは無い。この機体の様々なパーツが千切れ、剥がれ、まるで羽をむしられる鶏のように丸裸になっていくのがわかる。
何故だかそれを悲しく思うと同時に、ディンゴは背を預けているシートから、心臓を殴りつけるような衝撃を受け―――――意識を手放した。
☆
夢だ。これは、夢。
心地よいまどろみの海に揺蕩いながら、ディンゴは呻くように半身を起こす。
首筋に手を当てれば、慣れ親しんだニューロリンカーの感触。面を上げ、ディンゴは絶句した。
空だ。ここはコクピットだ。あの揺蕩うような心地よさは空を飛ぶ独特の感覚であった事を思い出すと、次々に感覚が戻る。パイロットスーツ独特の締め付け感と仮想デスクトップに踊る【ALERT】の文字、そしてミサイル接近を知らせる警報。
慌ててローGヨーヨー。機体が急下降しながら左に急旋回、回避。
安堵を突くと同時に思い出す。
――――あの日だ。あの、悪夢の日だ。
ディンゴに己の無力さを叩きつけ、軍の卑劣なやり方に憤り、所詮自分達は上層部連中の駒でしかなかった事を痛感させた、中東・アフリカ紛争。その、総力戦と言う名の囮作戦。
若き身ながら小隊長に任命され、青臭い大義を掲げて戦っていたあの日だ。思い出すだに、ディンゴは血を吐きそうな怒りを覚える。同時に、この次の瞬間におきうる出来事を思い出し、青ざめた。
コール。仮想デスクトップウィンドウ左上に、小さくポップアップ。ゲイル2。ディンゴの小隊の一人。リチャード。
『狙われてるぞディンゴ! ファイブ・オ・クロック! ブレイク! ブレイク!』
リンカー上のウィンドウにも、背部カメラが捉えた敵の映像が映る。さらに、その敵の背後へと迫るリチャード機のF-35。
叫んだつもりだった。来るな、来るんじゃねぇ、と。だが、ディンゴの口は動かず、歯を食いしばって機体をバレルロールさせる。
ロックアラート。この長期戦でフレアはもうない。懸命に機体をジンキングさせ、狙いを定めさせないようにするもアラートは鳴り止まない。
落される。そう思った時、アラートは突然鳴り止んだ。同時に背後で爆音。機体が散華する独特の音と、脳内に響く『ゲイル2スプラッシュ!』という単語が無慈悲にエコーする。
首が捩じ切れそうな勢いで背後を振り返る。敵はいなかった。ゲイル2もいなかった。世界が暗転する。
それから、ディンゴは同じ戦場で何度も〝部隊の仲間達〟の死を見た。最後の一人――――即ち、自分のみが生き延びる、あの瞬間までを。何度も何度も。
戦場はそこだけじゃない。新米の頃、初めての実戦で自分の未熟さゆえに死んだ上官がいた。理由もわからず落とされた仲間がいた。演習中の事故で死んだ者もいる。自分に後を頼んで死んだ者も、死ぬのが嫌だと喚きながらもミサイルの火に包まれた者も、たくさんたくさん、ディンゴは死を目撃し、手渡され、その命の重みを益々重くしてきた。
それなのに、と誰かが叫んだ。
振り返ると、今まで死んだ仲間達がいた。
「お前は逃げ出した」「俺達は死んだのに」「お前は生きていたのに」「戦場から逃げ出した」「俺達から逃げ出した」
口々にかつての仲間達がディンゴを責め立てる。ディンゴは否定する言葉を持たなかった。弁明の余地すらない。
あの戦いが終わって、ディンゴは逃げるように軍を辞めようとした。クソ喰らえな上層部に従う義理など、もはや欠片も持ち合わせていなかったし、これ以上仲間の死を見るのが嫌になったからだ。
だが、その願いは受け取られる事無く、ディンゴはその腕を買われて今のテストパイロットという地位を得た。血みどろの犠牲の果てに、自分が手に入れたのはそんなちっぽけな地位でしかなかったのだ。
いや、違う。
その地位を望んだのは、結局は自分だ。空を捨てきれなかった自分が、みっともなくしがみついたのがその地位だったのだ。
仲間の死を見たくはない。かと言って民間のパイロットなどと言うチャチなモノには収まりたくない。そんな子供のような我儘な心を満たすために、仲間達の死から目を逸らし、テストパイロットというイスに収まった。
仲間達はなおも責め立てる。俺達の死を貴様の踏み台にした。貴様は自分のヨクの為に俺達を殺した。沈め、沈め、俺達の血の重さで沈め。いや、ようやく沈み始めたのか。
最後の一言は嘲笑と共に投げつけられ、気がつけばディンゴは鳥になっていた。
元は白かった羽を鮮血で真っ赤に染め上げた、醜い鳥だ。
魂を載せた枝を咥え、鮮血を吸いこんだ翼をいくら羽ばたかせても、その重さ故に空へと飛び立つ事は叶わない。
誰かの指が右目を抉った。灼熱の痛みが脳髄を抉る。血の海が砂漠へと変わり、体は益々砂漠へと飲みこまれていく。
目を向けると、足元には闇が広がっていた。地獄へと繋がる冥界が大きく口を開け、死者の魂諸共ディンゴを飲みこもうとしている。
闇に飲みこまれながら、ディンゴは空を見上げた。
眩しい太陽と、透き通るような青い空。亡者達が耳元で囁いた。
―――――貴様はもう飛べない。
それには答えず、ディンゴは力一杯手を伸ばした。血まみれの羽を打ちつけ、闇に飲み込まれながらもその身を足掻かせる。
手を伸ばした。仲間達は絶えずディンゴを罵る。まだ飛びたいのか。まだ血が足りないのか。俺達では飽き足らず、なお生贄を欲するか。
「―――――違うッ!!」
闇が近い。飲みこまれる。抗う翼は休めない。
「―――――俺は、俺はそれでも……ッ!!」
体の半分が飲みこまれた。亡者達が笑っている、嗤っている、嘲っている。更に激しく、翼をはためかせる。口に咥えた樹の枝は、決して離さない。
『―――――それが、貴方の望みですか?』
誰かの問いかけるような言葉を最後に、ディンゴの意識は、その体諸共闇へと飲まれていった。
★二か月後:2047年3月某日、日本、某所
目を覚ますと、まずバイタルサインの変化と対象の意識が覚醒した事を知らせるメッセージウィンドウが走るのが見えた。目覚め際に随分鬱陶しい表示だな、と思いつつ無視する。
続いて首を巡らし、周囲を見渡す。清潔で真っ白シーツに布団、カーテンやリノリウムの床。どれも真っ白過ぎて目が痛い。同時に、ここが自分のお世話になっていた軍施設ではないことを理解する。
だが、病室だ。それはどこであっても変わらないし、自分の最後の記憶をたどれば、今この場にいる事が可笑しくないと言う事くらいは推察できた。
次に四肢の状態を確認する。右腕、左腕、同様に脚も動かしてみて無事にある事、動く事に安堵する。仮想デスクトップのバイタルステータスにも問題はない。よかった、どれか欠けていようものなら、もう二度と空が飛べなくなる。
そう考えた瞬間、刹那的に心に棘が刺さったような痛みを感じたが、すぐにやってきた医師連中の存在のおかげで忘れる事が出来た。
マスクを外され、視界が良好になる。メガネをかけた白髪のオールドバックという、まさにステレオタイプなインテリドクターが、ディンゴに繋がっている計器をあれこれ確認し、仮想デスクトップで何かを操作していた。
患者が目ぇ覚ましたんだから、まずは声をかけるべきじゃねぇのか藪医者が。無論、そう思ってはいても声には出さない。
あらかた作業が終わったのだろう。インテリドクターはようやくディンゴへと向き直ると、あれこれ事務的な質問を投げかけてきた。気分は、どこか不調は、最後の記憶は、エトセトラエトセトラ。
億劫ながらも、それらが必要事項であると割り切っていたディンゴは素直に全てに応え、それに満足したらしいインテリドクターは最後に「では、詳しい説明は彼女から聞いてください」とだけ残し、その場を去って行った。まさに医者の鏡である。
よっぽどその背中に向かって罵詈雑言を投げつけてやろうかと思ったが、あのインテリドクターの言っていた〝彼女〟とやらが近づいてきた事で、ディンゴはかろうじてその衝動を抑える事が出来た。
「おはよう。話を聞く限りじゃ、随分元気みたいね」
「なんでテメェが此処にいる、ケン」
「あら、御挨拶。でも、自分がどこにいるかわかってるの?」
ケンと呼ばれた女性は、無菌室では無いためむき出しにしていた腰まで届くゴールデンイエローの髪をかき上げながら、得意そうな笑みを浮かべて言った。
ケン・マリネリス。19歳。女。
目を見張るような端整な顔立ちに、そこらのモデルどころかハリウッド・女優にすら比肩する抜群のプロポーションを持つメスガキ。
かつて所属していた部隊の仲間の娘という縁故があって知り合ったが、それ以来腐れ縁のように仲が続いている。
そして恐ろしく信用できない事に、この小娘、まだ未成年の癖にカタギではない〝仲介屋〟なぞというものを商いにしていた。早速、ディンゴはイヤな予感を覚える。
それを誤魔化すように首を振り、周囲をもう一度確かめてケンに答えた。
「基地の医務室だろうが。許可もねぇくせにどうやって入った」
「残念。ここはグルームレイクでもなければアメリカでもないわ」
「……なに?」
「二か月。なんの意味かわかる?」
「知るか。今の今まで俺は寝てたんだぞ」
「貴方の眠っていた時間よ」
「な―――――っ!?」
「起きた時自分の筋力が落ちてる事に気付くかと思ったけど、案外気づかないものね」
ふふん、とどこか楽しげに笑いながらそうのたまうケン。ディンゴは何よりも、二か月と言うとんでもない時間の経過に絶句した。
感覚的には、せいぜい二、三日寝ていただけにしか感じない。だるさも無く、ケンの言うほどの筋力の低下も感じられなかったからだ。
だが、ふと違和感を覚えた。慌てて首元に手をやり、ニューロリンカーが無い事を確認する。おかしい。リンカーを付けていないのに、〝仮想デスクトップがある〟のは何故だ?
「ようやく気付いたみたいね」
「なに?」
今度は先とは違う〝さっさと理由を話せ〟という意味を言外に込めた剣呑な返事となった。ケンはそれに動じず、わざとらしく「うーん」と唸って見せた。
「いちいち驚くわね」
「当り前だ!」
「わかってるわ、勿論イチから説明する。ただし、私につっかかるのはやめて。文句を言うなら貴方の上司に言ってくれる?」
「ちっ……わかったからさっさと話せ。その後ぶん殴りに行く」
「なら、話してあげる。質問をどうぞ?」
「……ここはどこだ」
「ジャパンよ。その都内のとある病院。気分はどう?」
「胸糞悪ぃ……」
「死ぬよりマシでしょ」
「……俺はあの時、着陸事故で死んだんじゃなかったのか?」
「いいえ。ただし、心臓も肺もないけど」
「……死んでんじゃねぇか」
「生きてるわ。あなたは今、失った心肺機能を機械で補ってるの」
「んだと?」
「ついでに言うと、その人工心肺装置の制御のために、貴方の脳にBIC/ブレイン・インプラント・チップを移植してあるわ」
ようやく、先程からリンカーも無しに仮想デスクトップが起動している理由に合点が言った。となると、人工心肺装置云々も嘘ではないのだろう。
「人が寝てる間に好き勝手しやがる……!」
「結果生き延びれたのだから感謝しないとね」
「知るか。どこのお人よしがやってくれたか知らんが、俺は頼んじゃいない」
「ところが、そんなお人よしと言うわけでもないのよ。はい、〝それ/人工心肺装置〟を提供してくれたとある〝足長おじさん〟からボイスコール。後の詳しい話はそっちから聞いて」
「また仲介の真似事か」
「立派な仕事よ」
「けっ……」
『やぁ、ディンゴ君。意識が戻ったようでなによりだ』
ケンの〝仲介〟によって、ディンゴの仮想デスクトップに突然〝SOUND ONLY〟と銘打たれた灰色のウィンドウがポップアップする。同時に、耳障りな機械音声による挨拶が始まり、ディンゴは無意識にケンを睨んだ。
睨まれたケンがぷい、っと顔を背け知らん顔をしている。どうやらこの会話は聞こえていないらしい。
諦めて視線をウィンドウに戻す。見ているかどうかはわからないが、この体裁を取った方が集中できる。とりあえず、思考発声でこのふざけた〝足長おじさん〟へと返事を返してみた。
『そりゃどうも。勝手に人の体いじくりまわしていけしゃあしゃあと』
『心外だな。条件次第で無償提供したというのに』
『あん? 条件次第だ?』
『無論だとも。まさか無償でこんなお人よしな真似をしているとは、君も思っていなかっただろう?』
『……そういうの、なんていうか知ってるか?』
『浅学でね。よろしければご教授願おうか?』
『押し売り、って言うんだよ、この詐欺師が』
『ハハハ! これは手痛い』
まるで手痛くもないくせに、機械音声で〝足長おじさん〟とやらは嗤った。
『さて、無駄話はこれくらいにして、商談に入ろう』
『俺にその気はねぇ』
『残念ながら、それは君自身で死を選ぶ事になる。既に説明があったと思うが、今の君の心肺機能は我々が提供した人工心肺装置とBICによって制御されている。では、もしそのBICの制御権を我々が握っていたとしたら?』
『冗談はやめろ』
『試してみるかね?』
『やれるものならな』
鼻で笑い飛ばす。たかだか空軍パイロット一人にそんな大げさな真似をする理由が思い当たらない。こんなのはこちらを脅すための虚仮脅しに過ぎない。ディンゴはそう判断したが、それは間違っていた。
「―――――ッァ!?!」
突如、心肺機能のバイタルサインがフラットへと移行した。同時に名状しがたい窒息感と胸の痛みがディンゴを襲う。
まるで、長時間高G機動に晒されたまま呼吸が出来ない状態と、無理矢理心臓を――あればだが――握って止められているかのような痛みが脳髄をかき乱す。仮想デスクトップで院内ローカルネットと繋がっているバイタルアプリがけたたましく【ALERT】を頭蓋の奥で掻きならし続けている。なのに、さっきのインテリドクター含め誰も来る気配はない。
代わりに隣でケンが何かを叫んでいるが耳に入らない。視界が薄まる。徐々に視界が光で埋まっていき、ついに意識がホワイトアウトしようかと言う時――――、
『信じていただけたかな?』
ピー、という無機質な音と共に、バイタルが正常値へと回復する。得意げな機械音声が無性に腹立たしい。
『―――――ッ馬鹿かお前! 馬っ鹿じゃねえのか!? またはアホか!? なんでこんな事しやがった!!』
『君を生かすためだ』
『頼んでねぇぞ!』
『無論だ。しかし、君の力が必要なのだ』
『知らん! もっとマシなバイタルを付けろ! それかBICを取り替えろ!』
『それでも構わんが……その場合、治療費は全額君が負担する事になる』
『んだと……!?』
何故かそこでケンがタイミングよく、今回の治療とその他諸々の必要経費を計算したテキストデータを送信してきた。
メーラーを開いて手際よく仮想ウィンドウをタップ。開封し、その金額を見てさすがのディンゴも絶句する。
『その額を君が支払えるかどうかは知らないが……どうする?』
『ふざけるな……そもそも何故俺を選んだ』
『君が唯一の希望だからだ。君以外に、適性者は見つからなかった。いや、正確にはもう一人〝いた〟』
『ならそいつに頼めばいいだろう』
『それは不可能となった。故に、唯一たる君へと頼むのだよ』
『死人には関係ないね』
『いいや、君は生きている。その生は、紛れもなく君自身が掴み取ったモノだ。そして、この依頼は同時に、君自身の生への渇望の根源にも繋がっている』
『………………』
『引き受けてくれるかね?』
機械音声の〝足長おじさん〟に向かって、ディンゴは短く吐き捨てた。
『ありがとう。では、詳しい説明はマリネリス女史から聞いてくれたまえ。健闘を祈る』
古典的過ぎる捨て台詞を残して、機械音声の〝足長おじさん〟は通信を切った。
そして、その後ドクター達が駆け付け、ナースの一人が肉体言語/サブミッションで大人しくさせるまで、ディンゴは病室内で暴れ狂った。
もちろん、ケンはディンゴの表情が変わるや否や、病室から鮮やかに逃げ去っていたのは言うまでも無い。