アクセルワールド;Beyond the Bounds 作:[ysk]a
例のごとく長期(間更新)連載です。気長にいきましょう。ええ、気長に。
なお、書きためは四話まで。以降、のいはの並みの亀更新となります。
最初はただの好奇心だった。いや、単純な〝対戦〟のつもりだったのだ。
見慣れないカラーネーム、聞いたことも無いアバター、そして、まさかのレベル9。
元より勝てるとは思っていなかった。なにせ自分のレベルは4。どんなゲームだって、レベル差が一回りもあれば勝てる確率は限りなく低くなる。
三レベル差であれば、地形条件と戦略でなんとかなる可能性が無きにしも非ずなこのゲームにおいて、無論その弱気な姿勢は褒められたものではない。だが、現実問題として、レベル9との差は、それだけ絶望的な〝格差〟なのだ。
それなのに敢えて挑んだのは何故か?
簡単だ。負けた所で奪われるポイントは微々たるものだし、十二分に余裕のある今なら問題とはならない。そして、その程度の〝コスト〟なら、この〝謎のレベル9〟と戦えたという話題性を手に入れる分には十分すぎると判断したからだ。
……そう、最初は、その程度の認識だったのだ。
「―――ハァッ…! ハァ…ッ!」
戦闘開始から既に3分が経過している。いや、3分〝も〟だ。あのレベル9を相手に〝3分も〟生き残れている。工場ステージのオブジェクトを盾がわりにして逃げ惑っていた時間と同義であるその時間は、同時に挑戦者である彼に一つの提案を投げかける。
――――いっそもう、一瞬で負けて終わった方がいいのでは?
このまま勝ち目のない戦いで工場に隠れたまま逃げ続けるよりも、その方が精神的に楽だ。いやでも、それは一人のバーストリンカーとしてどうなのだろう。もしその事が周りに広まりでもすれば、自分は今後ずっと臆病者の誹りを受け続けなければならなくなる。
だが、相手はレベル9だ。もとより勝てる等とは思っていなかったし、ほんの腕試し、話題作りのために挑戦しただけに過ぎない。
そしてよくよく考えてみれば、そのレベル9を相手に3分〝も〟生き延びたのだ。これはもう、十二分に称賛に値する健闘ぶりなのでは?
そんな風に自分で自分を丸めこみながら、やはり自主的降参に見えない程度に抵抗してさっさと終わらせようか、となんとも玉虫色な事を考えた所で、彼は唐突に背筋に寒気を感じた。
「―――――うわ!?」
轟音。同時に高圧縮されたエネルギーの塊――と思しきもの。先もこれで攻撃され、体力を〝5割〟も持っていかれた――がさく裂し、彼が隠れていた工場を暴力的な勢いで吹き飛ばす。
屋根が弾け、壁が吹き飛び、工場内にあったオブジェクトの数々が破壊され、その衝撃で暴風が吹き荒れる。
外は目が痛くなるほどの黄昏色で、空の向こうは鮮烈な茜色から闇へと移る紫色へと染まっている。
「なんなんだ……なんなんだよ、テメェは……!」
惡魔。
奴/あのレベル9の容姿を端的に述べるとしたら、その一言で十分だった。
ともすれば、彼の黒の王と誤解しても無理はないほどに、奴は黒かった。黄昏の夕闇に染まりながらその姿を晒していたせいでもあるかもしれないが、事実、一瞬黒の王ではないのかと見間違えたほどである。
だが、それは違う。奴は、決して黒の王等では無い。
それはアバター名からも――なんらかのチートツールを使っているなら話は別だが――わかることであり、戦闘を開始してからの威圧感、攻撃方法、そして何よりも黒の王と奴/正体不明のレベル9とでは、決定的な違いが一つだけ、あった。
「――――どうした、もう終わりか?」
「――――ひっ!?」
もはや原形さえとどめぬほどに、徹底的なまでに破壊しつくされた工場の屋根の向こうに、奴は現れた。
傲岸不遜に腕を組み、胸を逸らし、腰より伸びる尻尾をゆらゆらと揺らし、紫紺の夕焼けを背後に従え――――宙を〝飛び〟ながら。
赤い双眸が怪しく煌めき、有り得るはずもない口角が引き上げられるのを幻視した。いや、間違いなく、奴は嗤ったのだ。
今にも爆発しそうな緊張感に包まれながらも、もう一度だけ、冷静と言う名の雫を絞り出して奴を凝視する。
もはやこの場において逆転勝ちできる等と言う妄想を抱く余地はない。だが、このままただ蹂躙されるように負けるのでは、自身の矜持が許さない。
奴は、大まかに言えば黒い全体像だった。全身を脈動の様なタイミングで常にエネルギーラインが走り、頭部は犬を模したような形状をしている。
背後に六つの浮遊するユニットを従え、ゆらゆらと揺らめく尻尾があり、足は先端に行くほど細くなっていき、アバターにしては珍しい逆関節タイプだ。
武装は、手に持つ電気属性持ちのロッドだけなのに、バカみたいな――それこそプロミの赤の王クラス――威力の砲撃もでき、何故か知らないが〝常時〟必殺技ゲージが変動している。
ゲージが変動する理由、それこそが問題だ。
かつて一度だけ、常時ゲージが変動しているこの状況を目撃した事がある。
必殺技や強化外装といった何かしらの瞬発的なゲージ消費では無い。
恒常的かつ、減少と上昇が同時に起こるが故に、まるで音紋の揺れのように絶えず微細に変動するゲージ―――――彼の黒の王と、絶対にして確実に存在を異とする証左。
「なんでだ……〝飛行アビリティ〟持ちは、あのカラス野郎だけじゃなかったのか……!」
正体不明のレベル9/奴は、あのカラス野郎のように―――――自力に、かつ恒常的に空を飛んでいたのだ!
この〝加速世界/ブレイン・バースト〟において、唯一無二とされる、誰もが切望したあの特権的アビリティを!
同時に、羨望と驚愕、そしてなにより恐怖がないまぜとなった吐露を耳聡く聞きつけたそいつは、赤い双眸を煌めかせ、高らかに哄笑した。
「―――――フフフ……フハハハハ……ヌゥハハハハハハハハ!!!!」
組んでいた腕を解き、奴は唐突に右手を前へと突き出した。
背筋が泡立ち、脳髄を突きさすような恐怖が全身を駆け廻る。気がつけば、全力でその場から逃げだそうと脱兎のごとく滑りだしていた。
狂ってやがる。狂ってやがるッ。――――狂ってやがる……ッッ!!!
あのモーションは、一度だけみた。その対価に五割の体力を支払って。
もう一度〝あの〟攻撃を食らえば、それでおしまいだ。
もはや敗残兵と称しても可笑しくない、這う這うの体で逃げ出しながらも、仮想デスクトップに表示される体力ゲージへと視線を走らせる。
自身の体力は既に三割以下。大して、奴は十割。一ドットたりとも減っていなければ、増えてもいない。開始から今まで、一瞬たりともその長さを変えてはいなかった。
それを見やりながら、せめて、せめて一矢だけでも、それすらも果たせぬまま終わるのか、と心の中で臍を噛む。
だが、そんな彼の悔しさをあざ笑うように、背後に浮かぶ死神の如き独特の金属光沢を持つ黒のアバターは、耳障りな哄笑を張り上げ―――――。
逃げ惑う柔らかな黄色を基調としたアバター/カーマイン・トラドールの背後から、焔の牙のようなエネルギー塊が襲いかかる。
直後、残り三割弱だった体力ゲージが一瞬で消し飛ぶと同時に、エネルギー塊の着弾した工場もまた、その存在が元よりなかったかの如く、巨大なクレーターに飲みこまれて消えた。
高らかにブレイン・バーストプログラムが勝利者の名前を表示し、塵となってその場に幽体離脱のように存在するクラッドと、彼を観戦登録し今回の戦いを眺めていた観客/ギャラリー達は、まるでその名を自身の魂に刻むように口の中で咀嚼しながら読み上げる。
――――――――――メタトロン・アヌビス、と。