ほむらの長い午後   作:生パスタ

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09_ほむらの水槽脳模擬実験

「まったく、人間というのは愚かな生き物だわ。人の世から争いが消えることはないのかしら」

 

 時は西暦1943年1月1日、Happy New Yearそして新年明けましておめでとう。

 だが、ほむらの眼下では、到底めでたくもないしハッピーでもない催し物が大々的に開催されていた。

 ここは、銃声が轟き爆煙が立ち込める戦場。建物が崩壊して瓦礫ばかりとなった市街地で、力尽きて地に伏した兵達に真っ白な雪が降り積もっていた。

 

「もし君が人類に欲望の種を植え付けなかったなら、もし君が人類に奇跡と魔法を与えなかったなら、少なくとも、こんな事にはならなかったんだろうね。君は、自分が間接的な大量虐殺を行っていることについて、どう思っているんだい?」

 

 空飛ぶクッションの上で丸くなって、ゆったりとくつろいでいるキュゥべえが、そんなことを聞いてきた。

 感情のない宇宙人が、ほむらの思考などに、本当に興味があるのかは疑わしい。ほむらは、すぐ隣で斥力フィールドを展開して雪を反発させている白い小動物に目を向けた。ベージュのクッションが、とても柔らかで暖かそうだったが、それは、エネルギーの無駄遣いではないのだろうか。

 最近のキュゥべえの行動は、どうもインキュベーター的パターンから逸脱しているような気がしてならない。意味のない言葉、理由のない行動が散見される。ほむらは、急に分からなくなった。自分の話している相手が、感情を持っているのかどうかを、どうやったら知ることができるのか。

 インキュベーターには感情がない、と最初に言い出したのは誰だろう。インキュベーターだ。なぜその言葉を疑いもせずに信じているのだろう。

 インキュベーターは、嘘を吐かないからだ。

 では、インキュベーターは嘘を吐かない、と最初に言い出したのは誰だろう。インキュベーターだ。なぜその言葉を疑いもせずに信じているのだろう。

 

 ほむらは、大きく息を吐いて胸中のわだかまりを吐き出した。

 

(なぜ、私がこいつの事を気にしなければならないの? 馬鹿馬鹿しい)

 

「そんなの、奴らが勝手にやっていることよ。私の知ったことではないわ。だいたい、そんなことを言い出したら、この宇宙の創造主である私はあらゆる事の責任を負わなければならないじゃないの。宇宙には人類だけじゃなくて、無数の生命体が存在するのよ。私が宇宙を創造したことによって、生まれて死んだ生き物達がたくさんいる。そいつらの面倒をすべて私が見なければならないと言うの?」

 

「それが、神の責任というものじゃないかな」

 

 キュゥべえが、“神”という絶対的な言葉と、“責任”という空虚な言葉を発した。どちらもほむらには馴染みのない言葉だ。

 ただ、確かに言えることがひとつだけあった。

 

「……私は、神ではないわ。私は――」

 

 場に冷たい沈黙が降りる。ほむらは、瞑目する。キュゥべえが小さな瞳をこちらに向けている。 どこか遠くのほうで、微かな砲撃音が断続的に鳴り響いている。そして、雪が降り続いている。

 

「暁美ほむら」

 

 キュゥべえが、その名を口にした。

 そう、“私”は、暁美ほむら。

 

「僕は、この宇宙に疑問を感じている。君の話によると、穢れを浄化し切れなくなったソウルジェムはグリーフシードと呼ばれる結晶へ変異して、魔法少女は魔女になるということだったね。君の創ったこの宇宙には〈円環の理〉は存在しないはずだし、僕も君の言うとおり魔女が生まれると考えていたんだ。でも、違った。ソウルジェムはなぜか消滅してしまうし、しかも、魔獣という不自然で都合の良い存在もどこからともなく生み出されている。結局、魔法少女の祈りと呪いのサイクルは、元の世界とまったく同じ構造となってしまった。……君は、これをおかしいと思わないのかい?」

 

「何がおかしいの? まどかの力が私の創った宇宙にまで及んでいるだけだわ。さすがまどかね。ああ……、まどかが私を侵食している……。まどかは本当に凄いわ……。はぁ……、まどか……」

 

 ほむらは、ドン引き不可避の台詞を吐きながら、うっとりとした表情で切なそうな溜息をついた。

 彼女は、まどかに関わることになると思考停止状態となって、女神を崇め奉るだけの盲目的な狂信者に変貌してしまう。何百億年もの間、じっくりコトコト煮込み続けて限界まで濃縮された思いが、ドロドロの煮汁となって全身の毛穴から溢れ出していた。

 

 キュゥべえは、頬を赤らめながら「ハァハァ」と荒い息を吐いている悪魔を、凍りついたような無表情で見つめている。宇宙人は、しばらくの間その様子を観察していたが、やがて、ポツリと呟くように言った。

 

「訳が分からないよ」

 

 

 

 閑話休題。

 

「それにしても、戦車というのは凄くうるさいわね。こんなにも上空にいるのに道路工事みたいな音が聞こえてくるわ。それに、あの砲撃音。近くにいる歩兵達は耳がイカれているんじゃないの?」

 

 瓦礫を踏み潰しながらゆっくりと行進している装甲戦闘車輌を眺めながら、ほむらが騒音被害を訴える。彼女の佇まいは、いつの間にかデフォルトのやる気ゼロに戻っていた。

 

「そうだろうね、普通の人間があれほど強い音に頻繁に曝されていると、内耳が損傷を受けて騒音性難聴に――!」

 

 突如、空間を引き裂くような凄まじい衝撃波が伝播して、大気が鳴動した。

 ほむらとキュゥべえは、反射的に干渉遮断フィールドを展開して、戦車の砲撃音などとは比較にならないほど大きな音圧レベルの空気の爆発から逃れることができたが、その地球全体の大気が震えるほどの空振を避けることができたのは彼女達だけだったようだ。破裂音の発生箇所を中心にして拡がった衝撃は、瓦礫も兵器も人間も皆等しくゴミのように吹き飛ばし、強烈な空圧で大気圏外まで巻き上げられた土砂が空を覆い尽くしていた。

 

 そして、ほむらは、見た。

 急激な気圧の変化によって砂塵が荒れ狂う中心部で、蠢く化物を。

 そいつは、全長約5mほどのずんぐりした肉の塊だった。赤っぽい半透明の肉の下で、複雑に絡まりあった内臓組織が不規則に胎動している。ぶよぶよして皺だらけの横腹には、数cmほどの穴が一列に並び、そこから流れ出している黄色の粘液が空気と接触すると白い煙が発生していた。

 

 肉塊が動き始める。化物は、非常に緩慢な動きで大きな図体を芋虫のように伸縮させて、自ら形成した巨大クレーターの外へ向かって腹這いを始める。だが、すり鉢状になった地形を登り切ることができず、アリジゴクに捕らわれた蟻のように無様に穴の底へ転がり落ちた。

 元居た場所へと逆戻りしてしまった肉塊は、苦しげに身を捩っていたが、急に体を硬直させた後、ブルブルと激しく震え出した。そして、苦悶する化物の体に変化が起き始める。芋虫のように手足のなかった体躯から、蟹のように甲殻質な脚が5対生え、それが勢いよく地面へ突き刺さり、巨躯がゆっくりと持ち上がる。化物が、自らの脚で、立ち上がった。

 

 10本の脚を不器用に運びながら、肉塊が移動を開始する。今度こそ地獄の底から脱出すべく、ぎこちない動作で駆け上がっていく。しかし、地上まであと僅かというところで、自重を支えきれなくなった化物は、またしても奈落の底へと滑り落ちて行った。

 穴の底で仰向けにひっくり返った肉塊は、起き上がろうとして必死にもがいていたが、図体に比べて脚が短すぎたせいなのか、懸命の努力もむなしく一向に事態が改善される様子はない。やがて、ワシャワシャと天に向かって元気良くうごめかせていた脚の動きも弱々しいものとなっていき、力尽きたようにダラリと横腹から垂れ下がる。

 

 一見すると、もうどうしようもない状況だが、化物にはあきらめるという概念が存在しなかったようだ。肉塊が再び変異を起こす。仰向けになった芋虫の柔らかそうな腹に、一直線に亀裂が入る。黄色い粘液が開腹部から溢れ出し、内部から青紫色の筋に覆われた薄いピンク色の袋状の大きな臓器がせり上がって来る。直後、凄まじい音を立てて臓器が弾け飛んだ。

 内臓とその内容物が辺りに撒き散らされる。臓器の中身は、大きさ数cmほどのサケの魚卵のような物体だった。空中に飛散した無数の卵は、変形を繰り返し、羽を生やして飛行に適した形状となった個体が次々とクレーターの外へ飛び去って行く。 辺り一帯が気味の悪い羽音で満たされていた。

 

 予想外の出来事に呆気に取られたほむらは、ポカンと口を開けて、口も聞けずに化物の様子を見ることしかできなかった。だが、化物の幼生が遮断フィールドへ次から次にぶつかってくるのを見て、ようやく我に返り、声を震わせながら傍らのキュゥべえに尋ねた。

 

「こ、これは……?」

 

「地球外生命体だね」

 

 キュゥべえは、まったく動揺していなかった。「ふうん」などと言いながら、文字通り虫ケラを見るような目で、遮断フィールドにへばりついた気色悪い虫を冷静に観察している。地球外生命体。ほむらは、その言葉を聞いてから理解するまでにたっぷり1分間を必要とした。

 

「地球外生命体……?」

 

 オウム返しに聞き返すだけのほむら。彼女の顔は青ざめていた。

 

「そうだよ。僕達が間近で観測した個体のほかにも、地球上に100万を超える同種の地球外生命体が出現している。どうやら、彼らは人類の感情エネルギーがお目当てのようだね。世界中にばら撒かれた小型飛行生物が人間に取り付くと、意識を奪って身動き出来ない状態にして、繭のようなものを形成しているんだ。地球外生命体は、繭で取り込んだ人間から感情エネルギーを吸収している。この後、一体どうなるのかは観測を続けてみないと分からないけど、実に興味深いね。彼らが何を目的として感情エネルギーを――」

 

「ちょっと待って!」

 

 堪えきれなくなったほむらが、キュゥべえの話を遮った。

 

「宇宙人の侵略ですって? あまり馬鹿げた事は言わないでちょうだい。マンガじゃあるまいし、そんなことが現実に起こるわけないでしょう?」

 

 ほむらは、宇宙人に宇宙人の胡散臭さを訴える。彼女の頭は混乱の極みにあった。

 

「でも、実際に起きているんだからしょうがないじゃないか。それに、ほむら、僕達インキュベーターは、あの異星生物のことを良く知っているんだ。元の世界で君が僕の母星を訪れたとき、〈転移ゲート〉を不正利用して僕達の母星に転移してきた異星生物が破壊活動を行った、という話をしたことを憶えているかい? 今、地球に空間転移してきた生物は、僕達の母星を破壊しようとした生物と同じ種族だ。どういう経緯なのかは分からないけど、インキュベーターが存在しない宇宙では、彼らは地球へやって来るらしい。もしかしたら、感情エネルギーに引き寄せられているのかもしれないね」

 

 キュゥべえがほむらの方へ振り向いた。

 

「それで、どうするつもりだい? このまま彼らを放っておくのかい?」

 

「……奴らを放っておいたら、人類はどうなってしまうの?」

 

「今、こうして君と会話している間にも、人間達は次々に捕獲されている。おそらく、あと1週間程度で地球上の全人類が虜となるだろう。あの異星生物の環境への適応力は驚異的だ。人類が如何なる対抗手段を用いても、生存競争に勝利することは難しい。それは、魔法少女達も例外じゃないよ、感情エネルギーを吸収されてしまえば、彼女達にはもう為す術がないからね。……しかも、たった今観測したことだけど、彼らは魔獣さえも捕食対象としているみたいだ。魔獣がいなくなってしまうとグリーフシードによる穢れの浄化が出来なくなる。魔法少女達の命運は尽きたといってもいいだろうね」

 

「いえ、まだ“祈り”があるわ。あの化物を排除するように誰かが奇跡を起こせばいいのよ」

 

 平静を取り戻したほむらは。考え込むようにして言った。

 そうだ、魔法少女の祈りは、奇跡を起こす。生き残った少女の内の誰かがその願いを叶えることができれば、あるいは、何とかなるのかもしれない。

 

「残念だけど、現時点でそれほどの願いを叶えることができる魔力係数を持つ少女は、存在しないよ」

 

 これで、人類の未来は永遠の闇に閉ざされた。以上、終わり。

 

(はあ……。私自ら化物どもを物理的に排除してもいいけど、ここまで滅茶苦茶になってしまったら、もう――)

 

「創り直しよ。キュゥべえ」

 

 

 

「あの化物は存在自体を抹消しておいたわ。これで、この私の創る美しい宇宙から、またひとつ余計なものを排除することができたということね」

 

 時は西暦1943年1月1日。しんねんあけおめことよろ。

 降雪を嫌って雲上に浮かんだほむらは、ニヤニヤ笑いを浮かべながら、傍らのキュゥべえに話し掛けた。

 

「やれやれ、その余計なものというのはもしかして――!」

 

 突如、空間を引き裂くような凄まじい衝撃波が伝播して、大気が鳴動した。

 ほむらとキュゥべえは、反射的に干渉遮断フィールドを展開しながら、互いに顔を見合わせた。このようなことが、ついさっきもあったような気がする。悪い予感がしてならない。

 ほむらは、爆風で雲が吹き飛ばされ、代わりに砂塵が荒れ狂っている爆心地を遠見した。

 予想通りというべきか、大きなクレーターの底で化物が蠢いていた。

 

「……どういうこと? まさか、あなたが何かしているのではないでしょうね?」

 

 ほむらは、眉をひそめて訝しげに尋ねた。

 

「僕が何かしていたら君が気付かないわけないだろう。ふうん……、アレは、見た目は似ているけど前回とは違う種族のようだね。前回の異星生物を抹消すると代わりにあの生物が現れるみたいだ。これは面白い」

 

 キュゥべえは、急速な成長を遂げて世界中に飛び散っていく地球外生命体を観察しながら、どうでもよさそうに言った。

 

「さすがにこれはおかしいわ。どんな確率の話よ。宇宙人の侵略なんてことが、そう何度もあるわけがないでしょう!?」

 

 これは、単なる偶然で済まされる話ではない。インキュベーターによる陰謀説の他に何か納得のいく説明が付けられるのか。ほむらは、鋭くキュゥべえを睨み付ける。

 キュゥべえは、ほむらの鋭利な刃物ような視線を受けてもどこ吹く風だ。飄々とした口調でこう言った。

 

「感情エネルギーだよ。この宇宙に生きるものは、皆、人類の感情エネルギーが欲しいんだ。そういうことなんだ。ほむら、人類を地球外生命体から保護するために、異星生物を一々消去するような対症療法を続けていてもきりがない。抜本的な部分を解決するしかないよ。例えば――」

 

「それ以上は喋らないで。……私が、自分で考えるわ」

 

 ほむらは、キュゥべえを黙らせる。発言を制止された宇宙人は、大きな尻尾をひとふりした後、黙って空飛ぶクッション上に寝そべってひと休みし始めた。

 左の手のひらを右ひじに添え、右手の指をあごに添えた格好で、ほむらは、思索にふける。誰が見ても、“ははあ、この人は今、考え事をしているのだな”と思うに違いない格好だ。

 どれほどの時間が経ったのか。瞑目していたほむらが、静かに目を開いた。

 

「システムに人類を防衛させましょう。前に構築した魔法少女誘導システムに、人類防衛システムも組み込むわ。……でも、そうなると、もっとエレガントな機構を考えるべきね。んー……」

 

 ほむらは、唸り始めた。そして、ふと顔を上げて、ちらりとキュゥべえの様子を覗き見る。宇宙人は静かに彼女を見守っていた。

 

「キュゥべえ、このシステムに組み込むべき事が他にある?」

 

 ほむらは、クソ真面目な顔つきで質問した。

 彼女は、黙っていろと言ったにもかかわらず、結局、キュゥべえに助言を求めていた。

 

「そうだね……。あえて言わせて貰うなら、システムに宇宙全体のエネルギーバランスを調整する役割を持たせた方がいいだろうね。人類の感情エネルギーは、途方もなく巨大なものだ。でも、当の人類自身はそのことに気が付いていない。何もせずに放っておいて地球にだけ局所的なエネルギー集中が起きてしまうと、時空間の崩壊が起こりかねないだろう。だから、感情エネルギーはシステムに定期的に回収させたほうがいいんじゃないかな」

 

「感情というものはやっぱり恐ろしいわね……。よし、分かったわ。まず、システムには自己判断が可能なように知能を与えましょう。それから、システムは――えー……と、〈調整者〉は――」

 

 システムの名称を思いついたほむらは、軽く咳払いして言い直した。

 

「――ええと、〈調整者〉は、私の創造する宇宙のどこかで必ず発生するという“ルール”にしましょう。そして、〈調整者〉にはいくつかの役割が与えられる。まずは、感情エネルギーの回収。魔力係数の大きな少女を魔法少女へ勧誘するわ。少女の祈りが生み出す呪いに、人類の負の感情が折り重なり魔獣が出現して、魔法少女達がそれを倒せば呪いの結晶であるグリーフシードが出てくる。グリーフシードにソウルジェムの穢れを吸着させて、それを〈調整者〉が受け取るようにすれば感情エネルギーを回収できる」

 

 ニコニコしているほむらを、表情のないキュゥべえが見つめていた。

 

「次に、人類の防衛という役割。どうやって異星人の脅威から人類を守るのかは、〈調整者〉に任せましょう。私が思いついていないだけで、案外簡単な方法で異星人どもを排除できるのかもしれないし。最後に、さっきあなたが言ったように、宇宙全体のエネルギーについて、調整者〉がちゃんと考えて行動するように条件付けをしておきましょう。フッ、できた……! 完璧だわ……!」

 

 ほむらは、グッと握りこぶしをつくってガッツポーズする。彼女は、何かを成し遂げたような爽やかな顔をしていた。

 

「どうかしら、キュゥべえ。私の華麗なる宇宙創造計画は? とても素晴らしいと思わない?」

 

 キュゥべえは、ほむらの問い掛けに何の反応も示さない。じっと、彼女を見つめたまま、凍り付いていた。

 

「ちょっと、無視しないでちょうだい。……キュゥべえ、どうかしたの?」

 

 宇宙人の様子がおかしい。身じろぎもせず、ただひたすら、ほむらの瞳を覗き込んでいる。彼女は、どうしていいか分からず、戸惑いながら見つめ返すしかなかった。両者は長い間そうして見詰め合っていたが、やがて、キュゥべえが静かに口を開いた。

 

「人類の感情エネルギーを回収して、人類を防衛して、宇宙全体のエネルギーバランスを調整する役割を与えられた存在。……なぜ、僕は、今まで気が付かなかったのだろう。ほむら、〈調整者〉なる存在を組み込んだ次の宇宙を創ろう。これで、ようやく、すべてが分かるような、そんな気がするんだ」

 

「はあ? 何を言っているのかよく分からないわ? まあ、次の宇宙創りはすぐに始めるつもりよ。だから――」

 

 ほむらから滅紫の魔力光が迸った。

 

「創り直しよ。キュゥべえ」

 

 

 

「ふうん、じゃあ、その〈まどか〉という少女の願いで宇宙の法則が改変されて、魔法少女が〈魔女〉とやらになる代わりにソウルジェムが消滅するようになったと、そういうことなのかい?」

 

「そうよ」

 

 ソファーに深く腰掛けながら、湯気が立つコーヒーを静かに口にした少女が、犬でも猫でもない奇妙な小動物の問い掛けに答えている。少女の姿は暁美ほむら、奇妙な小動物はキュゥべえにそっくり――というよりも、それそのものだった。

 

 その様子を、マンションの外で干渉遮断フィールドによる認識阻害を行いながら“暁美ほむら”と“キュゥべえ”が見守っていた。

 ほむらは、どうにも腑に落ちないといった様子で首をかしげている。〈調整者〉を導入した宇宙は、魔の西暦1943年1月1日を無事乗り越えて、時代は、ほむらがかつて暮らしていた現代にまで進んだ。それについては大変喜ばしいことであり、彼女も手を叩いて喜んでいたのだが、なぜかこの宇宙には“インキュベーター”と“暁美ほむら”が存在していて、しかもこの宇宙のほむらは、まどかによって宇宙の法則が改変されたという認識を持っているのだった。

 

『元の世界をベースにしてこの宇宙を創っていたのだから、“私”が存在するのはぎりぎり理解できるわ。でも、存在を抹消したはずのあなたが、なぜ居るの?』

 

 ほむらは、キュゥべえに尋ねた。

 インキュベーターという存在は、最初の宇宙を創造した際に、真っ先に消去したはずだ。存在しないはずの宇宙人がなぜ存在するのか。彼女は、キュゥべえに疑いのまなざしを向けた。

 

『今のところ、僕が予想したとおりの事が起こっているね。ほむら、あとひとつだけ確かめたいことがあるんだ。君の質問に答えるのは、それを確認してからにするよ』

 

『確かめたいことって何よ?』

 

『ほむら、〈調整者〉を内包する宇宙が問題なく進展していくことは分かったんだ。次の宇宙では、〈まどか〉を作り出すつもりなのかい?』

 

 質問に質問で返してくるキュゥべえ。相変わらず、何を考えているのか、その思考がまったく読めない。ただ、まどかを“作る”という表現には若干の忌避感を憶えた。

 

『言われなくてもそうするつもりよ。でも、その前に――』

 

 ――突然、室内に呼び鈴の甲高い音が鳴り響いた。

 

「アレ? チャイムが鳴ったね。これは一体……」

 

「……そうね、誰か来たみたいだわ。少し待ってなさい。まあ、別にもう帰ってくれてもかまわないのだけど」

 

 黒髪少女は、何かに違和感を感じている様子の奇妙な小動物に対してそう言い残すと、疲れた様子で立ち上がり玄関へ向かった。

 

 ほむらは、少女がリビングから出て行ったのを確認して、室内に空間転移する。そして、雑誌の上に置かれたベビーカステラの菓子袋を手に取ると、躊躇なく中身を食べ始めた。白い小動物は、何も言わずに黙ってその様子を見つめている。そして、袋の中身を全て胃袋に収めきったほむらは、どこからともなく取り出した白いハンカチで優雅に口元を拭うと、こう言った。

 

「創り直しよ。キュゥべえ」

 

 

 

『いよいよ、待ちに待ったこの時が来たわ』

 

 何の前振りもなくほむらが宣誓した。

 前回の宇宙において、〈調整者〉の運用が上手く行った事を確認したほむらとキュゥべえは、何度目かもよく分からないが、宇宙誕生以前へと再度シフトした。そして、ほむらは、拍手喝采を浴びているかのような奇妙な様子で念話を放ち出すのだった。

 

『長かった……。本当に長かったわ。実際に何百億年も時間が経過したのだから、長かったことだけは確かだわ。あー……、長かったわね……』

 

 ほむらは、せっかくの大舞台なのだからと色々とスピーチしようとしたのだが、気の利いた台詞がこれっぽっちも出てこなかった。記憶が曖昧になっている彼女は、ただただ“長かった”ということしか言うことができなかった。

 

『今回は〈まどか〉を作るだけなのかい?』

 

『そうよ。いえ、……どうせなら、もっと素晴らしき世界にするべきね。でも――』

 

(私の望みは何?)

 

 ほむらは、キュゥべえの問い掛けに肯定しかけたが、途中で思い直す。そもそも、自分は何を望んでいるのだろう。まどかがどこかで幸せに過ごしていてくれれば、それだけで良かったはずなのに。いつの間にか、まどかと会いたい、彼女の笑顔をもう一度見たいという願望がそれを上回ってしまった。

 

(それどころか私はまどかと、……あ、あんなことや、こ、こんなことまでしてしまうような関係になりたいなんて邪な考えさえ――)

 

『キュゥべえ!』

 

『なんだい?』

 

『お、女の子どうしで……、あの……その……』

 

 ほむらは、両手を胸元に置き、顔を真っ赤に染めながらもじもじと言い難そうにしていた。そんなほむらに対して、キュゥべえは不思議そうに小首をかしげている。

 

『女の子どうしで?』

 

『女の子どうしで、手をつないで街を歩くのはありよね!?』

 

 ほむらが、絶叫した。魂の叫びだった。

 それが、彼女の望みだった。

 

『好きにすればいいさ』

 

 と、言うほかなかったキュゥべえであった。

 

『そうよ……。そうだわ……、次の宇宙は、女の子どうしで手をつなぐのがごく普通の価値観である世界にするわ。ああ……、人間の倫理観を捻じ曲げるなんて、私は何と恐ろしいことをしようとしているの。私はもう人間でも魔法少女でもない、もっと別の邪悪な存在となってしまった……』

 

 キュゥべえは、トランス状態に入っているほむらに余計な口出しなどしない。宇宙人は、こういうときの彼女は放っておくのがベストな選択だと知っているからだ。

 

『さあ、次の宇宙を創るわよ!』

 

 キュゥべえの経験則が的中する。実はまったく悩んでなどいなかったほむらは、上機嫌で宇宙創造のために魔力を練り始めた。

 その間、キュゥべえは、ほむらが奏でる調子の外れたハミングを念話で強制的に聞かされていた。

 

 ずいぶん長い間、ほむらは、魔力を練成している。彼女が、これまでに魔力の収束にこれほど長い時間を費やしたことはない。ほむらは、額に汗を滲ませながら、苦悶の表情を浮かべていたが、突然大きく息を吐いて魔力を雲散霧消させた。

 

『……何か、変だわ。まどかが、まどかが見つからない。彼女の姿も声も心も何もない。私の記憶の中にいるはずの彼女にも手を伸ばすことができなくなる。どういうことなの……?』

 

 ほむらは、苦しげに息を吐きながら言った。

 

『ほむら、今、君が宇宙を創造しようとしたときの魔力の流れを観測していたんだけど、魔力のベクトルが強制的に変更されていた。どうやら、〈まどか〉という存在の因子は、何者かによって捕捉されているようなんだ。その何者かは、おそらく、全ての並行宇宙の〈まどか〉の因子を一箇所に収束させて、固定している。君が〈まどか〉を見失ったと感じたのはそのためだろう』

 

(どこかの誰かがまどかを監禁している……? そんなことが……)

 

 そんなことが許されていいわけがない。

 

『その愚か者は誰!?』

 

 ほむらは、怒りをあらわにして叫んだ。抑えきれない魔力が全身から噴出している。

 

『まず、考えられるのは〈円環の理〉である〈まどか〉自身だね。〈円環の理〉は全ての並行宇宙を普遍的に見通すことのできる存在だ。全宇宙よりもさらにひとつ上の領域に、自らの因子を固定していたとしてもおかしくはない』

 

『えっ?』

 

 ほむらは、間の抜けた声を発した。

 

『〈まどか〉が君の動向を観察していた場合、自分を勝手に増殖させようとする試みに対して、何らかの妨害をしてくることはじゅうぶんに考えられるね』

 

『えっ? ……えっ?』

 

 ほむらは、間抜けだった。

 

(私の今までの行動が、すべてまどかに筒抜け……? え? どういうこと。さっきとても恥ずかしいことを叫んでしまったような気がするのだけど? というか、何百億年も過ごしている間の出来事を全部見られていたというの? いくらなんでもヤバすぎるでしょう、それは)

 

 ほむらの顔面が土気色となり、目とソウルジェムから輝きが失われた。

 

『ただ、それよりも筋の通りそうな仮説があるんだ』

 

『それは!?』

 

 もうそれに縋るしか、自分の生きる道はない。絶望に彩られたほむらに残された唯一の希望だった。

 

『僕は、宇宙の成り立ちについて、ずっと疑問を感じていたんだ。でも、今ようやくすべてに説明がついた。ほむら、少し長くなるけど僕の話を聞いていて欲しい。とても重要なことなんだ』

 

『前置きはいいから、さっさと結論を言いなさい』

 

 ほむらが知りたいのは、“筋の通りそうな仮説”であって“宇宙の成り立ち”ではないのだが、こいつとはそれなりに長い付き合いだ。話を聞いてやらないこともなかった。

 

『君は、別の宇宙の“暁美ほむら”によって創られた存在だ』

 

 キュゥべえは、静かに語り始めた。

 

 

 なぜ、前回の宇宙に僕達が存在していたのか。

 それは、君の構築した〈調整者〉がインキュベーターであり、僕達は〈調整者〉だったということなんだ。君が〈調整者〉に与えた役割のすべては、僕達の基本的行動原理と一致している。ただし、〈調整者〉が自我を持ち、生存本能を獲得するに至って、ある種のすり合わせが行われたはずだ。実際に僕達は、人類を異星生物から防衛していたけど、それは感情エネルギーという資源を荒らされたくないという目的で行っていたのであって、人類の保護が目的ではなかった。それに、宇宙全体のエネルギーバランスの調整という役割を放棄して、自身の生存を優先した結果、時間を遡行するという選択をしたのも、自我に目覚めたからこそだろう。

 

 なぜ、君が訪れた無数の宇宙でインキュベーターという存在が、まったく違う種族の生物であるにもかかわらず、まったく同じ役割を持っていたのか。

 それは、君が〈調整者〉という役割を持つ存在を自然発生的なものとして構築したからだ。あと、インキュベーターが人類と接触する際に選択する外見が、ひとつの例外もなくすべて、この白い小動物なのは、創造主である君が僕達をそう認識しているからだ。魔法少女を勧誘する存在の外見について、君の印象に最も残っていたのが、この小動物の姿だから〈調整者〉もその姿をとるようになったんだ。

 

 なぜ、君が訪れた並行世界では、“宇宙”、“人類”、“インキュベーター”が必ず存在していたのか。

 そんなのは、君が宇宙をそういうものとして創ったからだ。それ以外のものが、あるわけがない。

 

 なぜ、人類が感情エネルギーというあまりにも不条理なエネルギーを内包しているのか。

 それは、君の因果だ。君が宇宙を創り始めた当初、人類は感情エネルギーというもの自体を持っていなかった。でも、君は、人類に欲望を植えつけた。人類は、人間はこうあるべきという君の思い込みによる不自然な魂を獲得することになる。それが、人類が感情エネルギーを持つに至った原因だったんだ。

 

 原因と結果が逆転しているね。

 

 なぜ、君の創った宇宙でソウルジェムが消失してしまうのか。

 それは、君の創った宇宙そのものが、さらに言うなら君が訪れた無数の宇宙と僕達の元の世界そのものが、〈円環の理〉の支配する領域に存在しているということなんだ。その事実こそ、君や僕が別の宇宙の“暁美ほむら”によって創られた存在だという証拠にほかならない。その“暁美ほむら”が存在している大宇宙は、僕達の知る全ての小宇宙を内包している。だから、〈円環の理〉という大前提を僕達の小宇宙が覆すことはできなかった。要するに、僕達はずっとお釈迦様の手のひらの上で、違う宇宙を巡ったり、宇宙を創造したりしていたということなんだ。

 

 

『そして、〈まどか〉を補足している存在こそ、その“暁美ほむら”だと僕は考えているんだ』

 

『どうして、そう言い切れるの? あなたがさっき言ったように、まどか自身がそうしている可能性もあるのでしょう?』

 

 ほむらは、こめかみを押さえながら尋ねる。ほかにも色々とおかしな部分がありまくりでちんぷんかんぷんだったが、とにかく、もうそういうものだと納得しておくことにした。

 

『それはね、そんなことをしでかすのは、大抵の場合“暁美ほむら”という存在だからなのさ』

 

 キュゥべえが、ゆっくりと諭すように言った。

 それは、とても説得力のある答えだった。おそらくそれが正解なのだろう。ほむらは、自分自身のことであるからこそ、良く理解できた。

 

(“私”だったらやりかねないわね)

 

『これからどうするつもりだい? このままだと、君は永遠に〈まどか〉に会うことはできないよ』

 

『考えるまでもないわ。悪魔を倒して囚われのお姫様を救出するのよ』

 

 それは、暁美ほむらが必ずやり遂げねばならないこと。神に逆らう愚かな悪魔を滅ぼすことこそ彼女の使命。だが――

 

『どうやって?』

 

 キュゥべえが当然の疑問を口にする。そう、どうやって悪魔の元へ行けばよいのか。行けたとしても、自分の力が通用する相手なのか。自分を創り出した存在を滅することができるのか。ほむらには、分かろうはずがない。

 黙考するほむらに対して、キュゥべえが言葉を継いだ。

 

『僕が、協力しよう』

 

 ほむらは、つと顔を上げた。

 

『あなたが、私に、協力? あなたの方が理解していると思うけど、私がやろうとしていることは、かなり危険な事なのよ』

 

 キュゥべえが自発的にそんなことを申し出たことなど、これまでにはなかったはずだ。自分に協力することによって、何かしらの利益を得ることができると考えているのだろうか。

 訝しげな様子のほむらに対して、キュゥべえはまったくいつも通りの口調で言う。

 

『ほむら、君と僕が出会ってからどれほどの時間が経過したか知っているかい? 正確には計測することはできないけど、少なくとも1000億年以上が経過しているんだ。ぼくは、記録装置を通じて君の巡った56億7000万年の出来事もすべて把握している。僕が、自身以外で、最も長期間接触している存在が君なんだ』

 

 キュゥべえは、ここで一旦言葉を切った。ほむらには、それが戸惑いのように感じられた。

 

『僕は、確かめたくなったのさ。暁美ほむらという存在の結末を』

 

 ほむらは、何と言うべきか言葉が見つからなかった。キュゥべえは、自分に親しみを感じているのだろうか。長い時を共に過ごすうちに、いつの間にか宇宙人に感情が芽生えたのだろうか。彼女は、じっとこちらを見つめている真紅の瞳を見つめ返した。

 

『あなたのことを信用していいのかしら?』

 

 ほむらの問い掛けに対して、キュゥべえの返答はとても納得のできるものだった。

 

 

 

『もちろんさ。僕が今までに、君に嘘を言ったことがあったかい?』


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