ほむらの長い午後   作:生パスタ

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08_ほむらの終わりなき平和

『私は、何でもできる全知全能の存在であるはずなのに、思いの外できないことが多いような気がするわ』

 

『君は、全知でも全能でもないよ。ただ、何度でも好きなだけ繰り返すことができるだけさ』

 

 宇宙の闇に、静かに浮かぶ母なる星、青き惑星地球を眼下に見下ろしながら、ほむらは独りごちる。すると、傍らで浮遊しているキュゥべえが、求めてもいないのに勝手に返事をした。

 ほむらは、どうしようもない虚しさを感じる。何度も繰り返した先に、自分の求めるものはあるのだろうか。それを、確かめるためにも、今はただ前に進むしかない。彼女は、そっと目を閉じる。思いが、新たなる宇宙の夜明けへと遡る。

 

 

 以下、回想の始まり。

 記念すべきひとつ目の宇宙がいつの間にやら失敗に終わり、ほむらとキュゥべえは、再び宇宙誕生前へシフトすることにした。

 人は、失敗から学んで成長する。だから、過ちをいつまでもくよくよ悩んでいても仕方がない。ほむらは、スッパリと気持ちを切り替えて、早速次なる宇宙を創り出した。

 その後は、前回と同様の単純作業である。彼女は、まず、ブラックホールを往復して〈転移ゲート〉を設置した。そして、今度こそ同じ轍を踏まないように細心の注意を払いながら、事象の地平面へ接近して、ようやくのことで、時間をいい感じに早送りすることに成功したのだった。

 

 その何ともまわりくどい方法で地球誕生まで時間を進めたほむらは、とりあえず母星の様子を見ようと、ブラックホールの中心に設置された〈転移ゲート〉を通過した。すると、馬鹿な宇宙人が何を思ったのか、対となる〈転移ゲート〉を太陽の中心核に設置していたため、いきなり1500万℃の灼熱地獄へ放り出されることとなる。

 彼女は、まったく予想していなかった環境の変化に、思わず「ぅゎあつっ!」と叫んでしまったが、ひとつも火傷を負うことなく、自慢の黒髪ロングの毛先が少し縮れた程度で済んだのは不幸中の幸いであった。

 

 ほむらは、自分が今太陽核に閉じ込められているなどとは思いも寄らず、方向感覚を見失って軽いパニックに陥った。

 彼女は、暫くの間、プラズマ状態の超高温高密度ガスの中でジタバタともがいていたが、少し落ち着きを取り戻して現状を確認してみると、自身が何のダメージも受けていないことが分かり、ほっと胸をなでおろした。

 だが、それは一瞬のこと。安堵は直ぐに激怒へと、自分をこんな目に合わせやがったFuckin' white animalへの怒りへと昇華する。

 

 ほむらは、魔力をバーストさせて烈火のごとく超スピードで太陽から脱出し、そのまま急激に加速しながら地球へと飛翔する。そして、出迎えの挨拶をしようと姿を現した白い小動物の顔面へ、思いっきり助走をつけた跳び膝蹴りをめり込ませて、宇宙の遥か彼方へぶっ飛ばした。

 その後、悪を滅ぼしてスッキリしたほむらは、悠然と翼を羽ばたかせて地球へ向かった。そして、久方ぶりの母星を目にして、郷愁の思いと共に自らの不甲斐なさを嘆いたところ、星となって消えたはずのキュゥべえが普通に隣に居て、普通に会話が開始されたのだった。

 以上、回想の終わり。

 

 

『地球は青いわね……。キュゥべえ、人類の様子はどうなの?』

 

『現在は地球が形成されて40億年程度だから、最初の人類が現れるのは約5億9600万年後さ。もうすぐだね』

 

 ほむらが、思ったことをそのまま念話にして発信すると、キュゥべえからの返信が早々にきた。宇宙人的時間尺度では、人類聖誕祭まであとわずか、ということになるらしい。

 

『“もうすぐ”……? まあいいわ。今の地球にはどんな生き物がいるの? 恐竜? マンモス?』

 

『時代がまるっきり違うよ。恐竜が繁栄するのは、今からおよそ3億5000万年後だからね。……そうだ、地球に降下して、実際に自分の目で確かめてみたらどうだい? 今の時代は地球上のほぼ全域が海に覆われているから、海中探索をするといいよ。アノマロカリスやハルキゲニアといったカンブリアモンスターと呼ばれるカンブリア紀の多種多様な生物達を直に観測できるいい機会じゃないか』

 

 モンスターが徘徊する危険地帯への観光をお奨めしてくるキュゥべえ。今の地球のトレンドは、海中散歩のようだ。

 

『嫌よ。そんな気味の悪そうな生き物がうろついている薄暗い古代の海を素潜りするなんて。モンスターと呼ばれてるくらいだから、相当化物じみた奴らなんでしょう? 襲われたりしたらどうするの?』

 

『どうもしなくていいんじゃないかな。君以上の化物は存在しないわけだし』

 

『それもそうね……。…………は? あなた今何を――』

 

 ほむらは、今の発言にちょっとした違和感を感じて、思わずキュゥべえの方へ顔を向ける――

 

 物言わぬ真紅の瞳が、じっと、こちらを見つめていた。

 

 彼女は、ギョッとして目をそらす。何か、異様な感じがした。不安になって、もう一度チラリと横目で宇宙人の様子を覗き見ると、キュゥべえの視線は、いつの間にか地球へ向き直っていた。

 地球外生命体インキュベーターは、いつのものごとく、渇いた目つきで地球を見下ろしていた。

 

『それで、どうするんだい? 海水浴をするつもりなら付き合うよ』

 

『……いえ、あいにくと日焼け止めを切らしているの。遠慮しておくわ』

 

『ふうん、それは残念だね』

 

 キュゥべえの口調は、まったく残念そうではなかった。

 ほむらは、今の一幕に、釈然としない思いを抱く。絶対にあり得ないことだが、キュゥべえの思念に微かな感情のゆらぎが見えたような気がした。まさかとは思うが、出会い頭にジャンピング・ニー・バットを亜光速でぶちかまされて、心を持たないインキュベーターが、激しい怒りによって感情に目覚めてしまったのだろうか。もし、そうだとしたら、それは――

 

(どうでもいいことだわ)

 

『よく考えたら、私は恐竜にもマンモスにも化物にもインキュベーターにも興味がないわ。こんなところでぼさっと突っ立っていても時間の無駄よ。そんな無駄な時間は早送りして、さっさと人類を誕生させるべきね。キュゥべえ、あなたに重大な任務を与えるわ。私がブラックホールへ行っている間、あなたはここで片時も目を離さずに地球を監視していなさい』

 

『よく考えたら、僕が君の命令に従う理由はないんじゃないかな。でも、逆らう理由もない。服従と反抗。どちらにするべきかは難解な問題だ。まあ、今回は“服従”を選択するとしよう。ほむら、行ってくるといい。僕はここで“片時も目を離さずに地球を監視して”いるから』

 

 キュゥべえの台詞は、なんだかやけに回りくどくて、ほむらをイラつかせた。だが、宇宙人のこういう性質は今に始まったことではないし、それにいちいち構っていてはきりがない。彼女は、どうでもいい存在のことは放っておくことにして、〈転移ゲート〉が設置してある“太陽の中心”へと跳躍するべく意識を集中し始めた。

 

(……あら? “太陽の中心”って、……あっ!)

 

が、ある重要事項を思い出し、魔力の収束を解除すると、キュゥべえへ向かって剣呑な様子で尋ねた。

 

『そういえば、キュゥべえ。どうして〈転移ゲート〉が太陽の中心に置いてあったのか、納得のいく説明をして貰えるのかしら? まさかあれは、私を亡き者にしようとして、あなたが企てた計画殺人だったのではないでしょうね?』

 

『僕がそんな杜撰な計画を立てるわけないだろう。たかが、核融合反応によるエネルギー開放程度では、君にかすり傷ひとつ付けられないよ』

 

 暁美ほむらという存在を抹殺するためには、もっと別の杜撰でない計画が必要となるらしい。キュゥべえは、既に、自分を闇に葬り去るバッドアイデアを思い付いているのだろうか。そうでないことを祈るばかりだ。

 

『〈転移ゲート〉を太陽核に設置した理由は、“何者か”によってゲートが発見されることを防ぐためさ。僕や君にとっては、太陽の中心は少し熱めの温泉のようなものでしかないけど、大抵の存在にとって1500万℃のプラズマ状態は、生存に適さない環境だからね』

 

『“何者か”って、何者よ?』

 

『さあね。“何者か”は“何者か”だよ。もっとも、そんなのが居なければそれに越したことはないけどね』

 

 一応、安全性を考慮した結果が太陽核への設置ということになるらしい。ほむらは、片時も目を離さずに地球を監視しているキュゥべえを横目で見ながら、これ以上この宇宙人を問い質しても時間の無駄だと判断して、再度、太陽核〈転移ゲート〉への跳躍のために心を集中する。

 そして、魔力が収束する寸前に、気が付いた。

 

(ちょっと待って。コイツが、ゲートを太陽に置いたことを前もって私に伝えておかなかったのはなぜ――)

 

 ほむらの思考は、そこで途切れて時空間の狭間へ滑り込む。彼女は、もう一度プラズマの海で溺れることとなり、色々とどうでも良くなって細かいことは気にしないことに決めた。

 

 

 

 やる事をやった宇宙の創造主は、再び地球へと舞い戻り、地球監視任務中のキュゥべえに訊問した。

 

『キュゥべえ、人類の様子はどうなの?』

 

『木の実の採取や小動物の狩りをしながら、元気に生活しているよ』

 

『はあ……。ようやく人類が誕生したのね。長かったわ……』

 

『ひとつ目の宇宙創造からリアルタイムで342億年を過ごした僕と比べれば、君の主観時間は、それほど長くはないはずだけどね』

 

 342億年。キュゥべえは、それほどの長時間何をして過ごしていたのだろうか。何かいい暇つぶしの方法を知っているのなら、今度教えて貰うことにしよう、とほむらは思った。

 

『さて、地球へ降りるわよ。ここで、私の祖先の様子を確認しておくのもいいでしょう』

 

『そうかい。気を付けてね』

 

 つれない態度のキュゥべえ。

 

『何を言っているの? あなたも付いてくるのよ』

 

 ほむらは、そう言うと、返答も待たずに白い小動物の首根っこを素早く掴み、魔力を後方噴射して勢いよく大気圏へと突入する。進行方向の空気が急激に圧縮され、空力加熱によってほむらとキュゥべえは赤熱しながら落下した。

 彼女は、輝く流星となって地表面へ急接近し、雲を突き抜けたところで魔力を逆噴射して停止する。高度1000mから地上を見下ろすと、大地は延々と緑で覆われていた。

 爽やかな風が通り抜け、ほむらの長い髪をなびかせる。彼女は、清らかな空気を胸いっぱいに吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。たったそれだけのことなのに、なぜか涙が浮かんで視界をにじませた。

 

「やれやれ、酷い目にあった」

 

 真っ黒に炭化した肉塊が、人類の言葉を発した。

 その物体は、ほむらの手を振りほどいて逃れ出ると、ブルブルッと胴震いして焼け焦げた皮膜を弾き飛ばす。黒い薄皮が剥がれ落ちると、中からつやつやした光沢の真っ白な動物が姿を現した。言うまでもないことだが、一応言っておくとそいつはキュゥべえだった。

 

『今の日本には、人類は居ないのかしら? 森と動物ばかりでそれらしい生き物が見当たらないわ』

 

 魔法で遠見をして、地上を探索しながらほむらが念話を発する。人類の居ない故郷は、とても平和で時間が緩やかに流れているようだった。

 

「そうみたいだね。多分、人類はアフリカ大陸の方に生息していると思うよ。そちらへ行ってみたらどうかな?」

 

『アフリカね。じゃあ空間転移でひとっ飛びしましょうか』

 

 それにしても、瞬間移動とは便利なものだ。心に余裕ができてきたということなのだろう。ほむらは、今になってそんなことを思うのだった。

 

「……それはいいけど。一体、君はいつまで念話を使うつもりなんだい? 僕達は、もうとっくに空気中に居るわけだから、音波として声を伝播させることができるはずだよ。君には、念話を使用して無駄な魔力を消費しなければならない何らかの理由でもあるのかな?」

 

 どうやら、ちょっとばかりやらかしてしまったようだ。あまりにも長い間、念話による意思疎通を行ってきたせいで、声帯を振動させるという人間本来のコミュニケーション方法が完全に忘却の彼方になってしまっていた。

 彼女は、軽く咳払いして「あ、あ」と軽く発声練習をした後、こう言った。

 

「アフリカね。じゃあ空間転移でひとっ飛びしましょうか」

 

「……ああ、うん。了解したよ」

 

 造物主からの啓示は絶対の真実である。都合の悪いことは、全てなかったことにできるのだ。万能宇宙人インキュベーターといえども、天の声に逆らうことはできなかった。

 

 ほむらの中で魔力が渦を巻き収束する。直後、悪魔とその眷属は、時空の扉を開いて1万kmの距離を飛び越えた。

 一瞬で、アフリカ大陸への海外旅行を果たしたほむらは、領空侵犯をしながら緑豊かな大地を見下ろした。

 

「あなたの魔力の軌跡を辿ったらここに出たのだけど、ここはアフリカのどの辺りになるの?」

 

 アフリカ大陸は広大だ。面積は約3022万k㎡で日本のおよそ80倍である。そのアフリカのどこに行けばいいのかよく分からなかったほむらは、時空間の狭間にキュゥべえを先導させて、魔力の痕跡を追跡することにしたのだった。

 

「この場所は、元の世界で言うところの中部アフリカ、チャド共和国に位置している。ちなみにチャドの首都はンジャメナだよ。憶えておいて損はないはずさ」

 

 なるほど、確かにしりとりなどの言葉遊びでは起死回生の一手となる単語かもしれない。

 

(……って、いやいや違うわ。しりとりは「ん」で終わる言葉を言ったほうが負けだったはず。つまり――)

 

 “ンジャメナ”などという固有名詞を憶えていても何の得もないということだ。

 その事実に気付いてしまったほむらは、得意げに知識をひけらかしたキュゥべえに対してどう返答すればいいのか見当もつかず、とりあえず無視して話を進めることにした。

 

「……もしかして、あの大きな洞窟の入口付近で昼寝している“限りなく人間に近い猿”が人類なの?」

 

 地上を遠見していたほむらが見つけたのは、チンパンジーよりもまあまあ人間っぽいお猿さん達だった。彼らは、ぱっと見で15~20人程度のコミュニティを形成して、自然にできた洞窟を住居として暮らしているらしい。ときおり、のそのそと不恰好な二足歩行で洞窟の中と外を行き来する個体が見受けられた。

 

「そうさ、あの“限りなく猿に近い人間”が人類だ。ついでに言っておくと、人類と類人猿の違いは直立二足歩行ができるか否かなんだ。その定義に基づけば、彼らは間違いなく人類だね」

 

「あれが最初の人類……。今はまだ道具の使い方も分からないような彼らが、いずれは高度な科学文明を築きあげることになると思うと感慨深いものがあるわね」

 

 正直、そんなことにはあまり興味がないわけだが、ほむらは真面目な顔を無理矢理作ってそれらしい台詞を言った。

 

「彼らがこの先、文明を発達させる見込みは薄いんじゃないかな。この地球は、形成されてから既に46億年が経過している。今、僕達が観測している彼らは誕生してから700万年間ずっとあの洞穴生活を続けているんだ。元の世界では、もう西暦2000年代後期に差し掛かっている頃合だよ」

 

「……どういうこと? というか、そういうことは先に言えと何度も言っているでしょう!?」

 

「“僕”は言われたことがないよ。別の宇宙の僕達と勘違いしているんじゃないかな」

 

 キュゥべえは、あっけらかんと言った。

 薄々感じていたことだが、今のでハッキリした。この畜生は最近調子に乗っている。

 

「君が創造したひとつ目の宇宙でも、人類が文明を発達させることはついになかった。温度上昇による滅亡の日までずっとあのまま暢気な暮らしを続けて、為す術もなく干からびていったよ」

 

 彼らは、このまま何十億年もずっとあの原始生活を続けるというのか。どう考えても、それはおかしな話だ。今、ここに自分という生きた証拠が存在する以上、人類の隆盛は確定された未来のはずなのに。

 

 ほむらは、少し悩んだ末に原始人達の様子をしばらく観察することにした。

 そして、1ヶ月間ほど気長に彼らの生活を見守り続けるうちに、彼女の胸中に渦巻く不審の念は、徐々に膨らんでいくのだった。

 

「何なの、あの猿どもは? 本当に人類なの? 奴らからは好奇心や向上心といったものが一切感じられないわ。人間というものは、もっとこう……、何と言ったらいいか……」

 

 そう、人間というものは、あらゆる生き物の中でも比類なき欲望の持ち主なのだ。だが、眼下の原始人達は、ほむらがよく知る人類の根本的性質を持ち合わせていなかった。

 彼らは、無欲だった。とても穏やかでのんびりとした生活を営んでいた。それは、とても平和的で幸福そうな暮らしのようだったが、創造主はお気に召さなかった。

 

「元の世界で僕達が人類と接触したときは、もっと文明が発展していたよ。農耕はまだ始まってなかったけど、人類の生活圏は世界各地に広がっていたし、石器を使用しての狩りも行われていた。それと比べてこの地球の人類は、ずいぶん牧歌的だね」

 

(牧歌的……。あなた達は、今のような低レベルな暮らしでいいの? いいえ、いいはずがないわ。このままだと滅び行く星と運命を共にしてしまうのよ。あなた達は、科学の力によって宇宙へ羽ばたく翼を手にしなければならないわ。と、なれば――)

 

「創り直しよ。キュゥべえ」

 

 神託が下された。

 

「彼らの最期を見届けなくてもいいのかい?」

 

「あんな猿どもに、もう用はないわ。奴らは人間ではない。自身の欲求を満たすために、他者を犠牲にする存在。果てしなき欲望の持ち主。それこそが人間というものなのよ。次の宇宙では、その基本的性質を人類に授与するわ」

 

「ふうん。彼らは、それを望んでいるのかな?」

 

 そんなことは、知ったこっちゃない。

 魔力の嵐が吹き荒れて、ほむらとキュゥべえは、再び宇宙誕生前へシフトした。

 

 

 

『さあ、人類の栄華を見に行くわよ』

 

 流れ作業でとにかく色々こなして時間経過をいい塩梅に仕上げたほむらは、静止軌道上で地球哨戒任務中のキュゥべえを鷲掴みにすると、それを盾にしながら問答無用で大気圏へ突入した。

 そして、突入角度を微調整しながらンジャメナへ直行して、地上の様子を覗き見た。

 

「あら、姿もだいぶ人間らしくなったし、毛皮の服も着ているわ。それに、道具よ。石器を使っているわ! すごいわ! なかなかの発展っぷりじゃない。それでこそ人間というものよ」

 

 ほむらは、人類の叡智を目にして無邪気な歓声を上げた。

 

「前回よりも、文明が進んだようだね。でも、彼らの生活があの形態に落ち着いてから、すでに20万年が経過していることを忘れてはいけないよ。前回同様、元の世界では、もう西暦2000年代後期に差し掛かっている頃合さ」

 

「は? 何なの、あの猿どもは? あんなのは人間ではないわ」

 

 ほむらの目の輝きは一瞬で失われ、いつも通りのありとあらゆる物に無関心で冷めきった目に戻った。

 人類の文明が発展しない原因は何か。それを突き止めないと、どのような対策を講じればよいのかが分からない。ほむらは、腕組みをしながら沈思黙考する。

 そして、知る。己の無知を。だが、嘆くことはない。こういうときこそ便利屋さんの出番なのだ。聞けば、知りたい答えを返してくれる。実に都合のいい存在だ

 

「彼らの文明の発展が止まっているのはなぜなの?」

 

「文明の発展の原動力は、技術の進歩にある。この地球では技術の転換期が、ブレイクスルーが起きなかったんだ」

 

 キュゥべえは、一拍置いてからほむらの方に向き直り、話を続けた。

 

「元の世界では、膨大な量の因果を背負う一部の魔法少女の祈りが、人類へ技術的進歩をもたらしていた。だけど、この宇宙にはインキュベーターが存在しない。そうなると当然、魔法少女は居ないし、祈りと呪いのサイクルも行われない。ほむら、人類は僕達と契約して初めて、歴史を紡ぐことができるようになったのさ」

 

 人類は、感情のない宇宙人に利用されて、そうして、ようやく文明を持つことができたというのか。人類はそんなにも愚かな生き物だったというのか。

 ほむらは、大いに胸糞が悪くなった。

 

「いいわ。人類はインキュベーターなしでも、立派な文明社会を築くことができるということを今から証明して見せましょう」

 

「へえ、どうするつもりだい?」

 

「どうするか、ですって? そんなの……」

 

(……どうしましょう。何も思い浮かばないわ。まあ、でも今回はたまたまその“ブレイクスルー”とやらが起きなかっただけの話かもしれない。と、なれば――)

 

「創り直しよ。キュゥべえ」

 

 

 

『さあ、人類の繁栄を見に行くわよ』

 

 色々と済ませて置いたほむらは、地球巡回任務中のキュゥべえを生け捕りにしようと手を伸ばす。しかし、白い小動物は、優雅に身をかわしてその手をすり抜けると、こう言った。

 

『また、洞穴生活を見に行くのかい?』

 

『創り直しよ。キュゥべえ』

 

 

 

 そんなこんなで、10回ほど繰り返して様子を見てみたが、猿は猿のままであり、一向に文明は発展しなかった。

 そして、ほむらは、この運任せの無意味な繰り返しを中止することにした。彼女は、もう、いい加減にうんざりしていたのだ。

 

 ほむらは、雲の上から地上を見下ろし、思索にふける。

 自分の作る宇宙には、インキュベーターや魔法少女を存在させたくはない。魔法がなくても人は幸せに生きていける。むしろ、奇跡なんてあったら不幸を招くだけだ。だが、このままだと埒が明かない。人類が発展してくれないと、まどかと一緒のクラスになって友情を育み、やがて――という計画が実現できない。

 ほむらは悩んだ。そして、決断した。

 

(奇跡も魔法も、ありにしましょう)

 

「一定値以上の魔力係数を持つ少女を対象にして、願いを叶える自律システムを構築するわ。システムはまず、少女に願いの内容を確認して、成立可能な祈りなら少女自身の感情エネルギーを利用して奇跡を起こす。そして、因果律を捻じ曲げる祈りによってもたらされた呪いについては、感情エネルギーでパワーアップさせた少女自身に何とかして貰うことにしましょう。そうね……、何でも願いが叶う代わりに、この世の呪いを浄化する運命を背負うことになる。とかなんとかシステムの方から説明させればいいわ。フフ、即興で考えたにしては、なかなかいいアイデアのような気がするわね」

 

 どこかで聞いた憶えがあるようなことを、ほむらが言う。

 口元を歪めて薄く笑っている悪魔は、自分が何をしようとしているのか、それをよく理解していた。

 

「うーん。それだと、呪いが具象化した存在と少女が戦ったときに、脆弱な人間の肉体がすぐ損壊してしまうよ。そうだ、祈りを捧げた少女の魂は、高強度の結晶に変化させて、その肉体は魔力で修復可能な操り人形にするというのはどうだろう?」

 

 キュゥべえが、何をどこまで本気で言っているのかが分からない。だが、なぜだか、その言葉を聞いたほむらの口から、微かな笑いが漏れた。

 

「あら、あなたにしては、わりといい発想ね。その案は採用することにしましょう。でも、そうなるとそのソウルジェ――じゃなくて高強度の結晶にどんどん呪いが蓄積されてしまって、いずれはとんでもないことになってしまうわ。どうすればいいのかしら」

 

 ほむらは、とても困ったとばかりに肩をすくめて、傍らの宇宙人に流し目を送る。彼女の扇情的な視線を受けたキュゥべえが、つぶらな赤い目をくりくりさせて言った。

 

「放っておけばいいさ」

 

「それもそうね」

 

 

 

こうして、人類の文明は、次の段階へと進んだ。


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