ほむらの長い午後   作:生パスタ

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06_ほむらのはじまり

 いつだか分からないあるとき、ほむらは、自身の生体を光量子に置換してブラックホールのシュヴァルツシルト面を周回しているタイプのインキュベーターと出会う。そんな、訳の分からない生活を営んでいるインキュベーターには、おそらく、これまでに出会ったことはなかったが、会話してみるといつものキュゥべえであり、その姿もいつもの白い小動物であったので、要するに結局、いつものとおりの宇宙であった。

 

 しかし、ほむらは、様々な形態のキュゥべえと接触してきたなかで思うことがあった。

 自分が“インキュベーター”という宇宙人を何ひとつ理解できていないから、奴らのことを、どこの宇宙でも変わらない無感情な生き物としか見ることができないのではないかと。

 インキュベーターは、宇宙によって生態は異なるが、人類を遥かに凌駕する科学力を有し、思考形態も人間のそれとは大きく異なっている。そんなインキュベーター達が、ほむらと会話するときは、いずれも等しく可愛い小動物の姿で、日本語を使用することになる。使用言語、会話速度、思考速度などを人類のレベルに合わせているから、“いつものとおり”の変わらぬキュゥべえにしか見えないのではないか。

 

 なぜ人類がインキュベーターを理解できないのか、なぜインキュベーターが人類を理解できないのか、そして、両者はいつか理解しあえる日が来るのか。ほむらは、そんなことにはこれっぽっちも興味がなかった。

 

 

 情報の引継ぎ作業に地球時間で2、3日掛かるから、お散歩でもしながら待っていてね、と光量子インキュベーターにお願いされたほむらは、既に地球での用事を済ませてしまっていたので、特にやるべきこともなく、彼らの言うとおりその辺をぶらつくことに決めた。

 何度も何度も時間を繰り返す度に、引き継がれる宇宙人情報がどんどん増えていったらしく、近頃ではデータの移行に一日以上待たされることも少なからずあった。ほむらは、そのようなときに、情報の継承などというキュゥべえの使い走りを放棄して、次の宇宙に行くべきだと考えたこともあった。

 だが、至上命題であるまどかの探索がまったく進展しないなかで、いつ終わるとも知れない旅を続けるほむらが、唯一積み重ねていることが、このキュゥべえデータの継承であり、彼女は、この行いを終わらせることに漠然とした恐怖を感じていたのだった。

 

 ほむらは、全ての光を飲み込みながら周囲の空間を捻じ曲げている暗黒の天体をぼんやりと眺めていた。ブラックホールは、宇宙空間にぽっかりと真円の穴を穿ち、無限大の重力によってなにもかも引きずり込んでいる。彼女は、魂を吸い込まれてしまったかのように放心して、ずっとそれを見続けていた。

 彼女は、ずっと以前に、無思考状態でいると、時間の経過をいっさい認識しなくなることに気が付いていた。飢えることもなく、疲労することもなく、眠ることすらも必要のない彼女は、星の海を漂いながら、そのまま数年を過ごしたことがある。旅の当初は、一秒でも早くまどかを探し出さねばならぬと、そのような無為な時間経過を嫌っていた。だが、長い年月を生きるうちに、焦燥や悲壮は消え去り、今はただ、満たされない渇きだけが残っていた。

 

『ほむら、確認したいことがあるんだ』

 

 キュゥべえからの念話が、ほむらを無思考から呼び覚ます。その直後、ぐにゃりと時空を歪ませながら白い小動物が姿を現した。

 

『何?』

 

 ほむらは、短く聞き返した。意識が未だ混濁している。どれくらいの時間が経過したのだろう。

 

『君は、“百江なぎさ”という魔法少女を知っているかい?』

 

 百江なぎさ。ほむらは、過去を振り返る。その名を聞いた憶えはなかったが、自分の記憶の確かさに自信はなかった。数え切れないほど訪れた並行宇宙について、そのひとつひとつを正確に憶えていられるわけがない。一度も会ったことがないかもしれないし、会って話をしたことがあったのかもしれない。だから、彼女はこう答えた。

 

『知らないわ』

 

『そうかい。まあ、知らなくて当たり前だけどね。君が訪れたことのある全ての宇宙において、彼女は、時系列的に“暁美ほむら”が生まれる以前に消滅しているんだ』

 

『それで、結局何が言いたいの?』

 

 知らなくて当たり前のことなら、なぜ確認したのか。ほむらは、いつものとおり、キュゥべえの意図が掴めなかった。

 

『記録装置に彼女の念話――とよく似た思念のようなものが記録されているんだ。本当に、彼女と会ったことはないんだね?』

 

 ない、とは言い切れないが、あるとも言えない。要するに憶えていないのだが、そもそも、それがどうしたという話だ。会ったこともない魔法少女の声が、ビー玉に記録されていたことが、それほど重要なことだとは思えない。ほむらは、宇宙遊泳をしている動物さんに尋ねた。

 

『その子は、私が生まれる前に消滅しているのだから、会えなくて当然なのでしょう? その声はどの宇宙で記録されたの?』

 

『憶えていないのかもしれないけど、君は、一度だけ僕達に記録装置を渡さなかったことがある。その宇宙で、彼女の思念が、おそらく君に対して発信されていたみたいだね。とりあえず、その記録されている思念を再生するから、聞いてみて欲しい』

 

 キュゥべえはそう言って、背中からビー玉を排出する。宙に放り出された黒いビー玉は、宇宙人の周囲をゆっくりと旋回し始めた。そして、ぐるぐると回り続ける小さな黒球から吐き気のする波動が放射される。ほむらは、この胃がムカムカする独特の感覚に覚えがあった。

 

(……魔女の気配)

 

 シーッという虫の羽音のような雑音に混ざって、微かな声が聞こえてくる。それは、ずっと同じ言葉を繰り返していた。

 

 ……す。う……なの……す。……そ……です。う……な……です。うそな……す。……そなのです。うそなのです。うそなのです。うそなのです。うそなのです。うそ――

 

 ほむらは、顔を上げ、訝しげに尋ねた。

 

『“なのです”?』

 

『いや、そこは気にするところじゃないよ。単なる彼女特有の言葉遣いだ』

 

 ほむらは、この、妙に癇に障る丁寧語じゃない丁寧語が非常に気になった。こんな語尾で話す人物が目の前にいたら、どのような気持ちになるのかまったく想像できなかった。

 

『とにかく、“百江なぎさ”は何かを“嘘”だと訴えていた。その何かについてだけど、彼女の思念を傍受したとき、君は、その宇宙のインキュベーターと念話を交わしていたんだ。多分、その内容について嘘だと言っていたんじゃないかな』

 

 ほむらは、その話の内容を憶えていないどころか、そういうことがあったということすらも憶えていなかった。疑い出したらきりがないのは分かっているが、今、まさにキュゥべえが嘘を言っている可能性もゼロではない。彼女は、この件については話半分に聞くことに決めた。

 

『そのときの念話も記録されているから、それも再生するよ』

 

 何も言わないほむらを放っておいて、キュゥべえは話をどんどんと進めていく。僅かな間の後、ビー玉から念話が放射された。

 

 ……この世界の地球には、暁美ほむらという魔法少女はいるの?……暁美ほむらかい?……ちょっと待って欲しい……ああ、契約した記録はなぜかないけど、暁美ほむらという魔法少女は、確かに存在していたね……存在していた?……彼女は既に消滅している。今、現地の端末と情報同期して確認したから間違いないよ……

 

 やはり、憶えていない。ほむらは、喪失した記憶のことを考えて不安になる。

 

(このまま少しずつ記憶が失われていって、大切な思い出まで忘れてしまうようなことがあったら……)

 

『……インキュベーターが“彼女は既に消滅している”と発言する直前から、“百江なぎさ”と思わしき存在の念話が始まっている。順当に考えるなら、その宇宙の“暁美ほむら”が消滅したという発言に対して虚偽を訴えていると考えられるね』

 

『その宇宙の“私”が、実は死んでなかったということ? そのインキュベーターは、なんでそんな嘘をつく必要があったの?』

 

『見当もつかないね。君も知ってのとおり、僕達は基本的に嘘をつかない。その宇宙の僕達は、君に“君”の生存を知らせるわけにはいかなかったから、嘘を吐く必要があったんじゃないかな。今となっては、もう確かめようがないけどね』

 

 そう、それは、遠い過去の話。今更どうしようもない。

 

『記録装置のデータをすべて解析した結果。特に目立った例外的事象がそれだったんだ。君に何の心当たりもないのなら、これ以上はもうお手上げだね』

 

 確かに、何だか少し気になる出来事だ。インキュベーターが嘘をつかなければならない理由なんてものが本当にあるのだろうか。その宇宙では何が起きていたのか。それを知る術は、ない。

 ほむらは、小さく息を吐こうとしたが、肺に空気が存在しなかったため、横隔膜が収縮しただけだった。

 

『……この短い時間で、全てのデータを解析できたのね。この宇宙のあなた達は特別に優秀なのかしら?』

 

 ほかの宇宙のキュゥべえは、情報の引継ぎだけでやたらと時間を掛けていたはずだ。それに比べるとこのキュゥべえの仕事の速さはそこそこ評価できる。ほむらは、及第点を与えてあげることにした。

 

『ほむら、ここは事象の地平面のすぐ傍だ。君の主観では短い時間だけど、ブラックホールから離れた通常空間では、相対論的効果によって途方もない時間が経過している。僕がここに来た時点で、外界ではデータ解析開始から5200万年が経過していたんだ。解析する時間はじゅうぶんにあったのさ』

 

『……は? ちょっと! そんな話は先に言いなさい! 過去に戻れなくなったらどうしてくれるの!?』

 

 ほむらは、本当に久しぶりに驚き、そして、激昂した。何の気なしにブラックホールの近くを観光していると、知らない間にとてつもない時間が過ぎ去っていた。完全に浦島太郎状態である。

 

『君が何を騒いでいるのか分からないね。君の時間遡行の魔法は、一定の時間しか遡れないのかい? 記録されているデータを見る限り、君がいつ時間遡行を行っても、次の宇宙に出現するときは同じ時点に固定されていたよ。まったく問題ないね』

 

 なるほど、ようやく少し思い出してきた。この白い畜生がムカつく存在だという事実を。

 

『“まったく問題ない”のなら、もうここにいる必要はないわね。そろそろ、さよならの時間よ。次の宇宙に記録装置とかいうのを持っていって欲しいのなら、今すぐ渡しなさい』

 

 今回は、自分を観測する人の時間を著しく無駄にしてしまった。つまり、何事もなくいつものとおりの宇宙だったということだ。

 キュゥべえが、旋回していたビー玉の軌道を、顔に掛かった長い髪を煩わしそうにかきあげているほむらに向かうように修正する。彼女は、高速で移動するそれを難なくキャッチした。

 

『ほむら、次の宇宙に向かう前にひとつ、頼みたいことがあるんだ』

 

 ほむらが、時間遡行の魔法を実行しようとした矢先、キュゥべえがそんなことを言い出した。彼女は、正直面倒臭いと思いつつも、慈悲の心を持って宇宙人の頼みごととやらを聞くだけ聞いてみることにした。

 

『そんなに難しいことじゃないよ。ちょっと、ブラックホールの中心まで行って帰ってきて欲しいだけさ』

 

『あなたが行きなさい。さよなら』

 

『ちょっと待つんだ。暁美ほむら、僕達は事象の地平面の向こう側をどうしても観測したいんだ。ブラックホールという天体の性質について、理論的な部分はほとんど完成されている。でも、光さえも脱出できない情報伝達の境界面の先に何があるのか、そして、その中心で無限大の重力を持つ特異点がどのような働きをしているのか、今がそれを直接観測する唯一の機会なんだ。君には、自身への破壊作用を持つ物理的効果をすべて無効化する特性がある。だから、超重力にもじゅうぶん耐えることができるし、君の時間停止魔法を使えば、ブラックホールの中心に向かう途中で相対論的効果により外界で無限大の時間が経過してしまいホーキング輻射でエネルギーが喪失してブラックホールそのものが蒸発してしまう事態も回避できる。君は、本当にお気軽に散歩してくるだけでいいんだ。観測は記録装置が自動でやってくれるからね。ほむら、君には好奇心というものがないのかい? 少しでも、知性のある生命体なら、未知なることを知りたいと思うはずじゃないか!』

 

『え、ええ……。わ、分かったわ。やるわ。そう言われてみると、私もブラックホールの中心がどうなっているのか気になってきたし……』

 

『当然だね。じゃあここで待っているから、よろしくね。ちゃんと時間停止魔法を使ってから行くんだよ』

 

 どうやら、キュゥべえの押しちゃいけないスイッチを誤って押してしまったようだ。ほむらが冷や汗をかくと、その汗が絶対零度により瞬時に凍りついた。

 

 ほむらは、改めて宇宙空間にぽっかりと空いた黒い穴を見つめる。ここから、穴の中心までは約1000kmといったところだ。何事もなければすぐに往復できる距離である。彼女は、意を決すると、魔力を込めて久々の時間停止魔法を行使した。

 宇宙の全てが凍りついた。先程までペラペラとお喋りが煩かったキュゥべえも、彫像のように固まっている。彼女は、それを尻目に前進する。黒き翼をはためかせて、およそ1km/sで宇宙を優雅に飛行する。動いているものは、ただ彼女のみ、静寂に支配された世界で、暁美ほむらは、ひとり、暗黒の深部に向かうのだった。

 

 ブラックホールの中心まで残り100km程のところで、ほむらは、凄まじい潮汐力を受ける。ほんの一瞬、上半身と下半身が生き別れてしまうのではないかとヒヤッとしたが、しばらく我慢していると、特に何も感じなくなったので、超重力を無視して先に進むことにした。

 光はもう届かない。前も後ろも暗闇に閉ざされている。方向感覚を失いそうになったが、感覚を研ぎ澄まして、より重力の大きくなる方向へとひたすら進み続けた。そして、彼女は、暗黒の中心へと辿り着く。

 

 ほむらは、観測した。ブラックホールのちょうど中心に“何か”がある。その、物理法則に従わない“何か”は、直径2m程の円環体だった。

 彼女は、このドーナツ型構造物に非常に良く似たモノに見覚えがあった。

 

(これは、〈転移ゲート〉……?)

 

 光の反射を視認できないため魔力で周囲の状況を探るしかないが、その認識できないほど高速で回転しているリングは、大きさは違うが、確かにあの〈転移ゲート〉のようだった。

 ほむらは、困惑する。キュゥべえは、ここにコレが存在することを知っていて、自分を送り込んだのか。それとも、このような構造物があることなど何も知らなかったのだろうか。

 今すぐ引き返して、キュゥべえに報告するべきだ。彼女はそう思ったが、同時に奇妙な興奮も感じていた。

 何かが、起きた。変わらぬ日々に僅かな変化が起きた。ほむらは、思案する。このゲートを通過したら、どうなってしまうのか。それは、命を危険にさらすような無謀な行為なのか。

 今の自分は、限りなく不死身に近い存在だ。それは、永い時を生きるうちに何となく理解できたことだった。それでも、この正体不明の構造物に身を預けることは、愚かなことだろうか。彼女は、凍りついた時間の中で、考えを巡らせた。

 

 そして、フッと笑った。

 

 “――少しでも、知性のある生命体なら、未知なることを知りたいと思うはずじゃないか――”

 

(ええ、その通りよ。それに、案外この先にまどかがいるのかもしれない。今までずっと同じ場所を探し続けてきて、それで見つからなかった。だから、たまには違う場所を探してみるのも悪くはないわ)

 

 ほむらは、もう迷わない。

 彼女は、一際強く魔力を込めて羽ばたくと、勢いよく円環体を通過した。

 

 

 

 その先は、“無”だった。

 

 ほむらは、そこへ出現する直前に、自らの存在を継続させるため、外界との干渉を遮断するフィールドを自身の周囲に展開する。一瞬の判断だった。

 時間停止の魔法が、いつの間にか解除されている。どうやら、ここには、“時間”が存在しないらしい。まったく、何も、存在しない。存在しないという概念すらも存在しない完全な“無”だ。

 周囲の状況を認識できない。何もないのだから当然なのかもしれないが。

 

(どうやら、ここにまどかは居なさそうね。でも――)

 

 便宜上“ここ”といっているが、ある特定の場所ではない“ここ”には、ほむらしか存在していない。だが、彼女には、予感があった。

 どこにでもいるし、呼んでもないのに勝手に出てくるし、訳の分からないことばかり喋るし、空気は読めないし、感情はないし、しかも、ムカつく奴。そいつがいないことなんて、これまでに、ただの一度もなかった。そう、そいつは――

 

『やあ、久しぶりだね、ほむら。こんなところで会うなんて、奇遇じゃないか』

 

 ――インキュベーターだ。

 

 干渉遮断フィールドを中和しながら、奴ら特有の思念がほむらの脳裏に侵入してきた。そして、何者も存在し得ない“無”に、突如、白い小動物が浮かび上がる。少なくとも彼女は、そう認識した。

 

『何が“久しぶり”なの? さっき別れたばかりなのに』

 

『ああ、別の宇宙の僕達と会ってたんだね。と、すると無事に違う時間軸への時間遡行が成功したんだね。それで、〈まどか〉は見つかったのかい?』

 

 何もない場所でも、インキュベーターは、いつもの調子でまったくブレない。しかし、ほむらは、このキュゥべえの発言に僅かな違和感を覚えた。

 

『あなたとは、どこかの宇宙で会ったの? もしかして――』

 

『忘れてしまったのかい? 酷いなあ、君のソウルジェムを強化して、時間遡行の魔法を復活させたのは僕達なのに』

 

 やはり、元の宇宙のキュゥべえだ。

 これは、どういうことだろう。こいつと、ここで再び出会うことが単なる偶然なのか、あるいは必然なのか。ほむらは、気持ちを落ち着けて状況確認に努めることにした。

 

『キュゥべえ。聞きたいことがいくつかあるわ。“ここ”はどこなの? あなたは、なぜ“ここ”にいるの? そして、私はなぜ“ここ”にいるの? 私は前の宇宙で、ブラックホールの中心にあった小さい〈転移ゲート〉を通過したら“ここ”に出てきたの。アレを設置したのはインキュベーターなの?』

 

 応えはない。ほむらの問いに対して、何かを思考しているのか、白い小動物は微動だにしない。反応がないことに不安になったほむらは、もう一度問い直そうとしたが、出し抜けにキュゥべえが念話を発信した。

 

『――今、君の所持している記録装置を解析させてもらったよ。他の宇宙のデータはとても興味深いね』

 

『……このビー玉は、渡さなくても解析できたの?』

 

『ここには“空間”がない。物理的距離が存在しないから渡すという行為自体も成立しない。記録装置は、君が所持していると同時に僕も所持していることになるから解析できるのさ』

 

(意味不明ね)

 

『さて、君の質問に答えよう。まず、“ここ”は宇宙誕生以前だ。宇宙がないのだから何もないのは当然だね。そして、僕がここにいる理由は、宇宙を誕生させるためなのさ。僕達は、君の魔法を解析して得られた時間遡行の技術を用いて、宇宙が誕生するよりも前にやってきたんだ。生成した新しい宇宙に移住して、その宇宙のエネルギーが枯渇したら再び過去へ遡り、宇宙を創り出す。つまり、ようやく宇宙のエネルギー枯渇問題は解決したということなんだ。君のおかげでね』

 

 自分のせいで、インキュベーターが宇宙を創造可能になったらしい。何だか、とんでもないことをしてしまったような気がする。ほむらは、この事実について、あまり考えないようにしようと思った。

 

『君が、ブラックホールの中心で見たという〈転移ゲート〉についてだけど、正直なところ、よく分からないね。記録装置のデータを解析したけど、君が言うような構造物は観測されていないんだ』

 

『そう。まあ、どうでもいいわ』

 

 アレを誰が設置したのかなど、ほむらには関係がないし興味もない。それよりも、今は、これからどうするべきかについて検討するべきだろう。どうやら、時間停止だけでなく、時間遡行の魔法も使用不可となっているらしく、魔力が収束しない。今よりも過去は存在しないのだから、当然のことなのかもしれないが。

 

『ふぅん。記録されているデータによると、君が時間遡行を行った回数は2兆695億5015万1896回、主観的経過時間は――ちょうど今、56億7000万年となった。……なるほど、面白い符号だ。救世の徒が現れてもおかしくはないわけだね』

 

『何を言っているの? マミの病気が感染したの?』

 

 なにやら、ブツブツと呟いているキュゥべえに対し、ほむらは不気味なものを感じる。だが、現在の状況で頼れるような存在は、この不気味な宇宙人だけだ。何せ、こいつのほかには何もないのだから。

 彼女は、今後の方針について相談することにした。

 

『あなたは、いつ頃、神様気取りで宇宙を創り始めるの? ここにいても仕方がないし、新しい宇宙で地球が誕生するまで待たせてもらいたいのだけど?』

 

 宇宙誕生から人類出現まで待ち続けるのは、少し退屈かもしれないが、現状ではそれくらいしか選択肢がないだろう。ほむらは、果報を寝て待つことにした。

 

『君は今“神”と言ったけど、僕には思い通りの宇宙を創造することはできないよ。僕にできることといったら、せいぜい宇宙が誕生するきっかけを与えてやることくらいさ。……ほむら、君と違ってね』

 

 キュゥべえの真紅の双眸がゆらめいた。

 

『ほむら、今の君なら、自分の思い通りの宇宙を創造することができる。すべては、君の思うがままの世界だ。物理法則も、宇宙史も、人類史もなにもかも全部、君が決めていいんだ。そうさ、君が探し求めていた〈まどか〉がいる宇宙も容易に創造することができる。おめでとう、ほむら。君はようやく〈まどか〉に至ることができたんだ。――君の思うとおりにすればいい。“ここ”には、まだ何も生まれていない。善も悪もない。神も悪魔もない。すべては、君の意思ひとつで決まる』

 

 キュゥべえの声が、ほむらの頭の中で反響した。

 彼女は、震え出しそうになるのを抑えながら、懸命に考えた。追い求めてきた答えが、すぐ目の前にある。だが、頭が真っ白になって上手く思考が働かない。自分の中で、とっくの昔に答えは出ていたと思っていたのに、まどかのことになると、自分が何をしたいのかが分からなくなる。

 彼女は、自身の欲望を抑えながら重苦しい思念を発した。

 

『……私は、まどかの意志を、人格を尊重する。私の願望が創りだしたまがい物のまどかに用はないわ』

 

『君は、自分ができることをまだ理解していないみたいだね。君は何でも思いのままに創造できるんだ。だから、当然〈まどか〉という存在に自由意志を持たせることもできる。ああ、“自由意志を持たせる”という行いによって形成された人格が、自然発生する人格ではないと考えているのなら、こうすることもできる。君は、君自身の記憶を改竄すればいいんだ。新しい宇宙で、この宇宙を創造したのは自分だ、という記憶を失った君は、56億7000万年の過去を思い出すことなく〈まどか〉と共に人生を送ることができるだろう。ほむら、君の選択肢は無数にあるんだ』

 

 どうするべきか。何をするべきか。思考が無限に循環する。

 答えが、出ない。

 

『あ、……あなたなら、……どうする?』

 

 ほむらは、自身の発言に驚いた。それを聞いてどうするつもりなのか。自分は、いったいどうしてしまったのだろう。

 

『さっき言ったばかりじゃないか。僕は、君と違って宇宙を自由に創造する力を持ってないんだ』

 

『いえ、そうじゃなくて……。もし、あなたが私の立場だったらどうするのかを聞いているの』

 

『へえ……。僕が、君の立場だったら、かい?』

 

 キュゥべえが沈黙する。ほむらの無意味な問い掛けを真剣に考えている。そして、宇宙人は静かに語りだした。

 

『……僕達は、感情と言うものを持ち合わせていないし、同種のほかの個体というものも存在しないから“友達”という概念もない。君の置かれている状況に遭遇することはありえないんだ。だから、もし僕達が感情というものを持っていたならどうするのか、をシミュレートした結果を伝えることにするよ』

 

 感情のシミュレートとは、これはまたずいぶんとインキュベーターらしい行いだとほむらは思った。

 

『僕が君の立場なら、〈まどか〉と会うために宇宙を創造したりはしない』

 

『なぜ? 私は何でもできるし、選択肢は無数にあるのでしょう?』

 

『これは、根源的な真実を重視した結果なんだ。君自身が言っていただろう、自分の都合の良いように人格や記憶を改竄した〈まどか〉は嫌だと。いくら、完璧な自由意志を与えることができても、自分自身がそれを人格改竄だと捉えて負い目を感じているのなら、それは、やるべきじゃない。結局、感情に従うのなら最初に君が感じた“嫌”という感情のままに行動を決定するべきだ。それと、あとひとつ、自分自身の記憶を喪失させれば、人格改竄の負い目を感じることもなくなるということについてだけど、確かに、主観的にしか物事を認識することができない人類なら、記憶喪失は有効な手段となる。でも、今は、記憶を失うかどうかを選択する段階にある。僕が君なら、自分の記憶を都合の良いように書き換えるなんてことは、絶対にしない。なぜならそれは、散々否定してきた人格改竄そのものだからだ。ほむら、宇宙を創った後で色々辻褄を合わせることができても、“今、この瞬間”においては、自分勝手に宇宙を創造した、という真実が確かに存在することになる。そんなものは、君の望むことではない、と僕は勝手に想像したんだけど、どうかな? 僕の話は何か役に立ちそうかい?』

 

『いいえ、まったく』

 

『だろうね』

 

 ほむらは、急に笑いが込み上げてきた。“だろうね”って、こいつはいったい何を考えているのか。わざわざ、感情のシミュレーションまでして、結局、出てきたのは無意味な長話だ。それに対して否定的な意見を述べると、あろうことか、当然のように同意する始末。

 ツボに入ってしまったほむらは、しばらくの間、涙で視界を滲ませて、腹の底から声を出して笑い続けた。

 そして、ようやく笑いが収まると、気持ちもスッキリして、だいぶ落ち着いていた。これなら、最善の選択をできるに違いない。

 異様な笑いを浮かべているほむらに対して、キュゥべえが尋ねた。

 

『ほむら、これからどうするつもりなんだい?』

 

 

 

『決まっているでしょう? 私に都合の良い最高の宇宙を創り出すのよ!』


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