ほむらの長い午後   作:生パスタ

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03_ほむらの黄金の林檎

「とりあえず、君達の新しい体をここに転送させるよ」

 

 肉体を捨てろなどということを、何の遠慮もなしに言い放ったキュゥべえは、今度はそんなことを言い出した。そして、宇宙人がその言葉を言い終わるか終わらないうちに、少女達は、ほんの一瞬胃がひっくり返るような凄まじい浮遊感に襲われる。その、空間が捩れるような奇妙な感覚が過ぎ去ってみると、室内の人数が4人+1匹から8人+1匹へと増加していた。

 

 増えた新少女達は、首から上を除く全身を純白の薄い膜でラッピングされており、それは不思議な光沢を放っていた。衣服らしい衣服を身に付けておらず、体の線がはっきりと分かったため、旧少女達は、否応なく思い知らされる。アレは、あまりにも自分そっくりなのだと。

 

 河岸に水揚げされたマグロのように無造作に並べられた自分自身を見て、少女達は、言葉で言い表すことができないほど大きな衝撃を受けた。

 そこに自分がいる。違う、自分はここにいる。でも、そこにもいる。自己の同一性が崩壊する。足元が崩れそうな非現実感だった。そう、何よりも恐ろしいのは、今、自分が、自分自身だと思っている体を放棄して、目の前に用意された新しい体に乗り換えることができるということ、それが、当たり前のようにできてしまうということだった。

 

 少女達は、魔法少女になったら魂がソウルジェムに変質するのだと、キュゥべえから説明を受けていた。そんなことは、できたら願い下げなのだが、願いの代償なのだと無理矢理にでも自分を納得させてきた。それに、普段の日常生活を送る分には、なんら支障はないし、魂の所在など常日頃から気にしているわけでもない。なるべく、思い出さないようにようにしておけば、それで心の平穏を得ることができた。しかし、床に死体のように転がっている自分自身が、目を背けていた〈魔法少女〉という現実を突き付けてくる。ここにいる自分と、そこにいる自分は、まったく同等の人間であり、同等の操り人形なのだ。

 

 少女達は、呆然と立ち尽くし、言葉を失っていた。

 

「そう言えばさやか、あなたが一番、宇宙旅行が楽しみだとか言ってバカみたいに喜んでいたわね。仕方ないわ。名誉ある一番手はあなたに譲ることにしましょう。遠慮なく宇宙へ行って、人類の歴史に名を刻んでくれてかまわないわ。キュゥべえ、そういうことよ。私達は、彼女があなたの星に行って帰って来るのを、ここでお茶でも飲みながら待ってるわ」

 

「あ……、え、と。いやいやいや、輝かしい一番の座は、やっぱり宇宙行きの話の主役であるほむらさんにふさわしいと思うなあ。ほら、考えてみたら、結局私達は、アンタの用事に付き合って別の星までついて行くことになっただけのその他大勢なわけだし。ここは遠慮しておくわ。ほら、そこに置いてあるスペシャルボディーと体を交換したらどう? 今よりかはちっとはマシになるんじゃないの? 色々なものがさ」

 

 ほむらが、場に降りた重苦しい沈黙を破って、ふざけたような態度でさやかに話しかける。急に話を振られたさやかは、どこかに飛んでいた思考の糸を必死に手繰り寄せて、どうにかこうにか返答することに成功したようだ。

 

 ほむらは、さやかの言うところの“スペシャルボディー”達に視線を向けた。寸分の狂いもなく、細部まで精巧に模造されたほむら、マミ、杏子、さやかの等身大人形がリビングの床に横たわっている。彼女は、冷やかに自らの死体を見下ろした。

 

(マネキン人形よりは、マシな造りのようね)

 

「ハァー……。自分そっくりの人形を見ると、こんなにビビッちまうもんなのかよ。正直、スゲー気持ち悪いな、アレは」

 

 杏子が、ほむらとさやかの軽口を聞いてそう言った。先程までの緊迫した空気の中で誰かが泣き叫びだしたとしたら、杏子もつられて激昂したかもしれない。だが、まったく普段と変わらず、世の中を嘗めてかかった皮肉めいた発言をするほむらを見て、自分を取り戻すことができたようだった。

 

「無理よ……。体の入れ替えなんて、そんなの絶対に無理……」

 

 マミは、こみ上げてくるものを押さえるかのように口元を手で覆っていたため、その言葉は、くぐもって聞こえた。彼女は、無理だ無理だと繰り返して、何かを否定し続けていた。

 

「無理じゃないよ。操作する肉体が変わるだけじゃないか。換装はスムーズに行くと思うよ、その体に主観を移動すればいいんだ。そうだね……、魔法少女に変身するときのように、別の何かに変わるというイメージで感覚を伸ばせばいけるはずさ」

 

「そうじゃない! そうじゃないのよ……。キュゥべえ、あなたは何も思わないの? 何も感じないの? 何でそんなことを平気でできるの? あんなモノを見せられて、私は、どうしたらいいのか……」

 

「マミ、僕達は、人類が自己の唯一性というものを重要視することは理解しているんだ。でも、思い出して欲しい。君は、ソウルジェムであり、ソウルジェムは、君であるということを。魔法少女となった今の君の本質は、結晶化した魂にある。それは、唯一無二の君自身であって、他の何者かであることはけっしてない。君達は、ソウルジェムこそが自分自身だということを、もっとよく考えてみるべきだね」

 

 ほむらは、少し驚いた。キュゥべえは、慰めとまでは行かないが、少女達の心情に配慮して言葉をきちんと選んでいるようだった。感情がなくても、それくらいのことはできるらしい。しかし、このままぐだぐだとマミを諭していても埒が明かない。彼女には、追い追い慣れてもらうしかないだろう。

 ほむらは、無言のまま、床に放り出されているほむら人形に歩み寄った。そして、ソウルジェムを取り出し、少し思い迷った後に、それを人形の胸にそっと置いた。

 他の少女達は、急に何事かを始めたほむらを固唾を呑んで見守っている。彼女は、意識を集中し始めた。

 

(私には、立ち止まっている暇なんてない。これが、まどかに会うために必要なことだとしたら、何も考えることはない)

 

 思考が明滅しながら、一点に定まっていく。ほむらは、ストンと落下するような感覚を受けて、覚醒した。何の違和感もないことに逆に違和感を覚える。もしかして、失敗したのだろうか。ここで、ようやく彼女は、自分が床に倒れていることを認識した。いったい、いつのまに倒れたのだろうか。

 ほむらは、ゆっくりと立ち上がる。そして、マミ達が呆けたようにこちらを見つめていることに気がついた。滑稽な面だと思った。ふと、床に目をやると自分が倒れていた。やはり失敗のようだ。もう一度試さなければならない。彼女は、ふらふらとした足取りで、なぜかさっきまで自分が着ていた衣服を着用している人形に向かって歩き出す。

 微かなひっかかりを感じながら人形を見ていたほむらの全身に悪寒が走った。ビクリと全身を震わせて硬直する。

 そこに自分がいる。

 ほむらは、慌てて自身の体を検分する。全身が伸縮性の強い白色膜で覆われていた。つまり、ボディチェンジは成功していたのだ。なぜか、自己認識が上手く行かずに、それが分かるまでにやたらと時間が掛かってしまった。彼女は、大きく深呼吸をして気を落ち着かせた。

 

「あなた達も、とっとと済ませなさい。新しい体もなかなか悪くない感じよ」

 

 ほむらは、そう言って魔法少女に変身した。やはり、身を覆うものが薄皮一枚だと恥ずかしかったのだ。

 マミ達は、逡巡していた。そもそも、そこまでして付き合うようなことでもないのだ。宇宙旅行ができないのは残念だが、体を交換してまでも行きたいかと言われれば、答えは否である。

 決して、短くはない時間、誰も言葉を発しなかった。

 

「……何だよ、マミもさやかもやらないのか? じゃあ、次はアタシが体を新調させてもらうとするか。まったく、タダで強くなれるなんて儲けモノだよなぁ」

 

「あんた、正気なの? そんなに宇宙に行きたいってわけでもないんでしょう?」

 

「そうよ、佐倉さん、自分が何をしようとしているのか分かっているの?」

 

「アンタ達は、ちょっとさ、マジになりすぎだって。それに、宇宙に行くとか行かないとかいう話は関係ないね。結局、あたしがこの石ころだっていうのは事実なんだからしょうがねぇだろ。今、そのことから逃げても、なんにも変わらないじゃん。ついさっき、そこのムカつく宇宙人が言ってたじゃねぇか、ソウルジェムこそが自分自身だってさ。それさえしっかりと心に刻んでおけばいい。だから、あたしはやってみることにしたんだ。そうすりゃ、今よりも少しは前に進めるような気がするのさ」

 

 あの杏子が自らの心情を真面目に語っていた。彼女の飾らない言葉は、マミとさやかを揺さぶるのに十分だったらしい。二人は、意を決したようにこう言った。

 

「なーにカッコ付けちゃってんの? 今、絶対自分に酔ってたでしょ。ま、あんたひとりじゃ心配だから、あたしもついていく事にするわ」

 

「ふふ……、なんだか、後輩に格好悪いところを見せちゃったみたいね。佐倉さんの言うとおりだわ。今逃げても、事実は変わらない。だったら、いつまでも悩んでいるわけにはいかないわ」

 

 3人は、魔法少女としての絆を確かめ合っていた。

 その様子を、傍らに立ったほむらは、腕組みをしながら仏頂面で眺めていた。下らないことにいつまで時間を使うつもりなのか。いい加減にして欲しいものである。

 

「茶番はそのくらいにしたらどう? 時間は有限なのよ」

 

 マミ達は、その陰気で人格に障害があるとしか思えない言葉に苦笑しながらも、ボディの交換作業を実施することにしたのだった。

 

 

「よし、準備完了! 宇宙への旅に出発だー!」

 

 さやかが、長年の鬱積から開放されたように嬉しげにそう言った。

 新しい体に生まれ変わった少女達は、全員魔法少女の姿となっていた。 一悶着あったが、ようやくスタート地点に立つことができたということである。

 

「ちょっ、ちょっと待って! キュゥべえ、前の体はどうなるの?」

 

 あたふたと、眠るように死んでいる自身を指し示しながらマミが尋ねた。

 

「既に呼吸も血液の循環も停止して10分以上が経過している。脳組織が深刻なダメージを受けているから助かる見込みはないね。このまま放っておいたら腐敗が進んでしまうから処分しておくよ」

 

 死んだ。

 キュゥべえが、あっさりとご臨終を言い渡した。マミは、つい今しがたの決意が早くも揺らぎそうになったようだ。絶望に満ちた声でこう言った。

 

「そ、そう……。キュゥべえ、服とか身に付けているものは、しょ、処分しちゃダメよ……」

 

「分かった。衣服と装身具は回収しておくよ。……さて、そろそろいいかい?」

 

 キュゥべえが、少女達に顔を向け、改めてその意思を確認する。その言葉を受けて、少女達は、それぞれに賛同の意を示すのだった。

 

「待ちくたびれたわ。今すぐに出発しましょう。それで、あなた達の宇宙船はどこに置いてあるの?」

 

 ほむらは、宇宙人の乗り物の在り処を尋ねた。インキュベーターは宇宙人であり、宇宙人はUFOに乗ってやってくると相場が決まっている。円盤型かどうかは知らないが、この地球上の何処かに、コイツらの船が隠されているに違いない。彼女は、そう考えた。

 

「君は、その新しい体が転移してきたのを目の前で見ているのに、そんな質問をするのかい? 残念だけど、僕達は宇宙空間を移動する船に乗って来たわけじゃないのさ。まあ、説明するよりも実際に体験して貰った方が話は早そうだ。今から中継ステーションまで実際に移動することにしよう」

 

「え――」

 

 話を終えたキュゥべえに、誰かが何かを尋ねようとした。そのとき少女達は、ほんの一瞬、自分自身を見失うような異様な感覚にとらわれる。そして、気がつくと目の前の光景は、先程までとはまったく様相を異にしていた。

 

 少女達がいる場所は、歪な球形状をしていた。空間の大きさは直径約10km程度で、灰色の床一面には白い葉脈のようなものがびっしりと通っている。葉脈の太さは小さいもので数cm、大きなものでは1、2m規模のものがあり、それら全てがぼんやりとした白色光を放って、だだっ広い空間内を照らし出している。細い管が寄り集まって太い管となり、最後には太い管同士も一点に向かって収束し、融合してひとつの大木となって立ち上がり、空間の中央付近まで伸びていた。そして、その大木が行き着くところに、巨大なリングが設置されていた。

 床から伸びた管と結合している巨大な輪っかは、光をすべて吸収しているかのように暗く、そして黒い。リングの大きさは、外径約1.5km、内径約1.4kmの円環体であり、そのドーナツ型構造体の穴の部分は、白色と黒色のマーブル模様が常に変化し続けており、混沌としていた。

 

「……キュゥべえ、ここがあなたの星なの?」

 

 得体の知れない光景に半ば放心状態のほむらが、ふわふわと宙を漂いながら宇宙人に尋ねる。その近くで、マミ達もポカンと口を開けて、空中浮遊しながら非現実的な景色に見入っていた。

 

「違うよ。ここは、君達が太陽と呼ぶ恒星の中心部さ」

 

 キュゥべえは、ほむらに対して上下逆さまに浮かびながらそう言った。

 

「ふーん、太陽かぁ……、……ん? 太陽!?」

 

 ほむらとキュゥべえの会話を横で聞いていたさやかが、素っ頓狂な声をあげる。彼女の驚きも最もだとほむらは思った。こればかりは、驚くなといわれても無理というものだ。

 

「なあ、なんで太陽に来たんだ? 寄り道なんかしないで、いっきにアンタの星までワープしていけばいいじゃねぇか」

 

 杏子が、冷静なのか混乱しているのかよく分からない質問をキュゥべえに投げ掛けた。

 

「地球から僕達の星までは、距離が離れすぎているから直接情報転送することはできないんだ。だから、一旦、太陽の中心に設置した基地を中継しなければならない。ここにある〈転移ゲート〉なら超長距離移動が可能なのさ」

 

 キュゥべえは、そう言いながら、直線距離にして500m程先にある巨大なリングを見上げる。あの不気味な異星の構造物は、〈転移ゲート〉というものらしい。その機能は、おそらくその名称のとおりのものなのだろう。ようするに、どこでもドアだ。

 

「その……、どうして〈転移ゲート〉を太陽に設置したの? 地球に置く事はできなかったの?」

 

 マミが、思いついたことをそのまま口にしただけっぽい質問をキュゥべえに投げ掛ける。どうやら、皆、思考が麻痺してしまっているようだ。

 

「ここは、転移のための中継基地であると同時に、エネルギー採取基地でもあるんだ。恒星の中心核では核融合反応が起きているからね。感情エネルギーと比べたら微々たるものだけど、そこそこのエネルギーを回収できるのさ。そして、〈転移ゲート〉を恒星の中心部に設置すれば、その恒星系内程度の距離は任意座標転送が可能となる。わざわざ地球にゲートを設置する必要はないということなんだ」

 

(つまり、コイツらは正真正銘の盗人野郎ということね。感情エネルギーだけでは飽き足らず、太陽エネルギーさえも人類の許可なく無断回収しているなんて)

 

 太陽の地権者が人類なのかどうかは分からないが、少なくともこの宇宙人ではないはずだ。だが、今現在、太陽を実効支配しているのがインキュベーターであることも確かだ。本当に、やることなすことすべてが癇に障る奴だと、ほむらは、改めて思った。

 

「さあ皆、〈転移ゲート〉の前まで移動しよう。魔力の流れを操作して、推力にすれば無重力状態でも前に進むことができるはずさ」

 

 キュゥべえがそう言って、尻尾をフリフリしながらスィーーっと移動していく。少女達は、そのファンシーな様子をしばらく微妙な表情で見つめていた。しかし、このまま何もせず浮かんでいるというわけにはいかないので、彼女らは、キュゥべえの言葉を信じて魔力の流れに意識を集中させる。すると、思いのほか簡単に、舞空術をマスターできたので、先に飛んでいった白い小動物の後を追うことにしたのだった。

 

「転移先は僕らの星に設定済みなんだ。だから、後はもう境界面を通過するだけだよ」

 

 巨大な暗黒ドーナツの前に集合した少女達は、この世のものとは思えないほど不気味な白と黒の饗宴が繰り広げられているゲートの入口をまじまじと見つめていた。この、どう見てもまともな場所に繋がっているとは思えないコレを通過しろというのか。ハッキリ言って、超最悪だ。しかし、ここまで来て、太陽まで来てしまって、今更引き返すことなどできない。ほむらを除く魔法少女一同は、覚悟を決めた。

 

「どうやら、準備は万端のようだね。それじゃあ、行こうじゃないか。僕達の母星へ。5億光年先の世界へ」


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