インフィニット・ストラトス ~紅の騎士~   作:ぬっく~

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第69話

―――空が割れるかのような音が辺りに響き渡る。

次の瞬間、一夏振った剣の延長線上に当たる全てのものに一本の線が引かれた。

一部を削り取られたアリーナ。その先に広がる校舎。そして視界の奥の奥に見える海に至るまで。

そしてその線を霊力の波が通り抜け、そこに存在したものを一切合切粉砕していった。

何の冗談でも何の比喩でもない。その黒い霊力の奔流に触れてもの全てが、圧搾され粉砕され粒子となって、風に消えていったのだ。

 

「……!」

 

アリーナの床にへたり込んだ楯無は、目の前を通り過ぎていった斬撃の余波に吹き飛ばされないよう身を低くしながら、悲鳴を発した。

アリーナに、校舎に、海に、一直線に虚無の道ができてしまっている。一夏が〈暴虐公(ナヘマー)〉を振るった際に余波で吹き飛ばされてしまったのだろう、空にはライラの姿があった。

だが、いくら視線を巡らせても。そこに、簪の姿は見受けられなかった。

簪が立っていた場所は深く深く抉られ、巨大なクレバスとなってしまっている。

 

「……っ! ……っ!」

 

楯無は声にならない声を上げ、簪の名を呼んだ。

しかし、返事はない。【終焉の剣(ペイヴァーシュヘレヴ)】の一撃によって消し飛んでしまったのか、それとも、アリーナの断裂に飲み込まれてしまったのか。いずれにせよ―――簪は、もう。

 

「ふ―――はは、ははははははっ!」

 

楯無が手のひらを突いた瞬間、上空から一夏の高笑いが響いてきた。

 

「消えた。消えた。ようやく―――消えた。私を惑わす奸佞邪知(かんねんじゃち)の人間が……!」

 

叫ぶように言い、一夏は両手を広げる。

楯無はギリと歯を噛み締めると、鋭い視線を作り一夏を睨み付けた。だが―――そこで目を丸くする。

 

「―――」

 

太陽を背に空に浮かんだ一夏。その、さらに上空に。

 

「ちょっとあまいのじゃない? 勝ち誇るには未だ一手たりないよ」

 

―――真っ白なISを纏った束にお姫様だっこされた簪の姿あったからだ。

 

 

 

 

一夏が【終焉の剣(ペイヴァーシュヘレヴ)】を振った瞬間。束が、寸前のとこで簪を助けてくれたのだ。

 

「あ、あの……」

 

「うん。わかっているよ……」

 

簪の言葉に束は頷くと、簪を一夏の方目がけて下ろした。

 

「―――な」

 

そこで、簪が上空から迫っていることに気付いたのだろう、一夏が顔を上げた。

 

「この―――まだ生きていたか……!」

 

言って【終焉の剣(ペイヴァーシュヘレヴ)】を解除し、〈暴虐公(ナヘマー)〉を振りかぶってくる。

流石に【終焉の剣(ペイヴァーシュヘレヴ)】を連発することはできないのか、それともこの間合いでは力を収束させるのは得策でないと判断したのだろうか。とはいえどちらにせよ、やることは変わらない。

 

「く―――」

 

距離にして、あと30メートル。落下速度から考えれば、数秒とかからず到達するくらいの長さである。

だがその一瞬が、一夏相手には長すぎた。一夏は簪が到達する前に〈暴虐公(ナヘマー)〉を振るい、容易くその身体を両断するだろう。―――しかし。

 

「―――っ」

 

なぜだろうか、一瞬だけ。〈暴虐公(ナヘマー)〉を振り上げた一夏の動きが、止まった。

 

 

 

 

剣を振り上げた精霊は、不意に何かに押さえられる感覚に身体を支配された。

上空から〈絶滅天使(メタトロン)〉を纏った人間が落下してくるのを見た瞬間、閉じこめれてていた人格が、彼女の意識を裂いたのである。

 

「私は―――」

 

―――振っては、だめだ。

それを認識すると同時に、身体が―――彼女の知らないはずの思い出が、彼女を縛る。

海上で抱き合う二人。

 

(一夏……)

 

「一―――夏……」

 

記憶の中、響く名を反芻する。

それは、確か。今空より迫ってくる人間が、彼女を呼称するのに使った名だった。

一夏。一夏。聞き覚えのないはずの言葉。だが、それは―――

 

「く……」

 

瞬間―――彼女の頭に鋭い痛みが走った。

その、一瞬の隙に。

 

「―――一夏!」

 

空から降ってきた少女が、彼女の目の前まで肉薄していた。

 

「お待たせ、一夏。助けにきたよ」

 

「貴様……っ!」

 

彼女は渋面(じゅうめん)を作り、剣を握る手に力を込めた。だが、完全に懐に入られてしまっている。明らかに、少女が〈絶滅天使(メタトロン)〉で彼女の胸を貫く方が早いだろう。思わず歯を食いしばり、痛みに備える。

だが、少女は全く予想外の行動に出た。

天使……ISを。彼女を傷を付けれるであろう唯一の武器を、解除したのである。

少女は敵を目の前にして、完全な無防備状態になったのだ。

 

「貴様、何を―――」

 

「あなたを救うのに、これはいらない」

 

少女はそう言うと、どこか緊張した面持(おもも)ちを作りながら彼女をぎゅっと抱きしめてきた。

 

「な……貴さ―――」

 

少女の意図がわからず、眉をひそめる。だが、彼女の言葉は最後まで発せられなかった。

理由は単純。少女が、彼女の唇に、自分の唇を押し当ててきたからだ。

突然の事態に、頭が混乱する。

―――一体この女は何をしているのだ? 敵に。戦場で。接吻(キス)を? 何のために? 不意を衝くため? ならばなぜ武器を解除した? 意味がわからない。視界がぼやける。意識が混濁(こんだく)する。「簪」簪? 頭を掠めた名前のような単語のようなそれにさらに混乱する。あたまがぐるぐるとまわる。埋もれていた記憶からばらばらと「簪」破片が顔を出して「簪」いく。「簪」まるで自分の身体が自分のものでなくなる感「簪」覚。「簪」その名に、意識が浸食されていく。「簪」その名が響くたびに、気持ち悪くなっテ、「簪」でも、なんダか悪くナイ気分で。「簪」あアなんで忘れていたんだロウ。俺の大切な掛け替えのない存在。「簪」存在がひっクり返サレ―――

 

「―――かん、ざし……?」

 

()()は、喉を震わせ、自分を抱く少女の名を呼んだ。

そして、まるでそれに合わせるように、一夏の纏っていた闇色のISが、手に握っていた剣が、粒子となって空気に溶け消えた。

とはいえ、なぜかあんまり驚きはなかった。あれは一夏のものではない。一夏が纏っていられないのは道理だろう。

 

「……うん」

 

簪は短く答えると、ほっとしたように微笑み―――そのままぐったりとくずおれた。慌ててその身体をぎゅっと抱きしめる。

だが、それはいらぬ心配だったらしい。一夏と簪は束に支えられ、そのままゆっくりと二人を地面まで運んでくれたのである。

一夏は辺りを見回した。地面に大きな穴が開いたアリーナに、半壊した校舎。近くにいるのは専用機持ちと騎士たち、そして地面にへたり込む楯無だった。

何が何だかわからない。オータムにISを奪われ、どうすることもできないことがわかった瞬間、一夏は意識を失ってしまっていたのである。

 

「終わったのね……」

 

だがそんな一夏の思考は、簪の短い言葉によって中断された。

 

「か、簪! 大丈夫か!?」

 

「うん……大丈夫だよ」

 

簪はそう言うと、自分の足でその場に立ってみせた。

 

「ただいま……簪」

 

言うと同時に両断された校舎の間から夕日が差し込み始め―――一つになった二人の影を、アリーナの地面に細く、長く映し出した。


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