目が覚めたらベッドの上だった。
少なくとも自分の家ではない。分かるのはこの程度の情報だ。
「目が覚めましたか?」
ベッドの隣の椅子にソーナが腰かけていた。手元に読んでいたであろう本がある。
もしかしたら結構な時間ここで寝ていたのかもしれない。
「……会長、ここどこですか?」
「私の自宅です。憶えていませんか?」
「確か生徒会の仕事して、チラシ配りさせられて、訓練うけて……痛ッ!?」
頭が痛い。あれから先を思い出そうとするとズキズキと痛む。
実はこの頭痛は過去にも経験がある。≪記憶≫が強く思い出された時の頭痛だ。
しかし今回のは今までの比ではない。
おそらく≪記憶≫の中でも印象か、思い入れの強かった部分だったからであろう。
「ごめんなさい。少し無理させ過ぎました。椿姫達からも怒られましたし」
「会長の所為ではないですよ。無理したせいで倒れたわけではないですから」
申し訳なさそうな顔をしている。ソーナは匙の≪記憶≫の事を知らない。
悪魔になったばかりで無理をさせたと思っているのだろう。
「あれからどれくらい時間が経ちました?」
「9時間ぐらいですかね。今は次の日の早朝です」
思いのほか眠っていたらしい。
「体の調子はどうですか?」
「最悪ですが、問題ありません。倒れたのは今日が初めてではありませんから」
特に中学生の頃はよくあった。ちょうど≪記憶≫を自覚し始めたころだ。
「……初めてではないですか。サジ、私になにか隠していますね?」
「隠し事のない奴こそいないでしょう?これは俺だけの問題だ。アンタは関係ない」
ソーナを睨む匙。≪記憶≫に関してはこれ以上関わってほしくない。
特に彼女は≪記憶≫の人物に似すぎている。今の状態ではまた思い出してしまうかもしれない。
強く拒絶されたことに驚くソーナは少し悲しそうな顔をする。
「そう……ですね。まだ出会って数日しか経っていないのに、図々しいですよね?」
「……言い過ぎました。大丈夫です。一日経てば元に戻りますから。」
少し気が立っているが、一日もすれば落ち着くだろう。そうすれば何時もの日常に戻れる。
そうだ、今までと何も変わらない。
「こんな時、彼女ならもっと上手くあなたの心の傷を癒せるんでしょうね……」
彼女とは誰だろうか。きっと親しい人物なのだろう。
ソーナは悲しそうな、寂しそうな瞳で匙の目を見つめる。
「ねぇ、サジ。私は頼りないですか?そんなに私が信頼できませんか?」
「それは……」
そんなことはないと思う。なにより信じてもいいかもしれないと思ったのは匙自身だ。だからこそ誘いを受けて悪魔になった。
でもこの人に惹かれたのは≪記憶≫の所為だ。それが頭をよぎり、気まずそうに目を背ける。
「私は貴方のような人の癒し方を知りません。でも、主として眷属の心の傷を、話を聞いて和らげてあげる事ぐらい出来ると思います。そんなことすら許してくれないのですか?」
ソーナの頬に一筋の光が通る。
それを見て匙は胸が締め付けられるような思いがした。
なんでこの人は泣いているのだろうか?
眷属悪魔といえ他人なのに、つい最近まで存在すらも知らなかった筈なのに、なんでそんな自分の為に泣いているのだろうか。
わからない。でも何故か≪記憶≫を除いてもこの人を信じたいと思った。
「……はぁ、わかりました」
「……話してくれるのですか?」
ソーナは涙を拭いながら言う。
「お話しますよ、全部ね。主様ぐらいは知っててもいいでしょう」
こんな話、信じてくれるのかは知りませんがね?
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それから全部話した。
自分には前世と思わしき≪記憶≫があること。
この世に生を受け、両親から元士郎と名付けられたのに、その≪記憶≫がチラつく度に時折自分が誰なのか分からなくなること。
中学生時代から≪記憶≫の事を自覚し始め、荒れに荒れて目の前の者すべてに、自分の精神的ストレスぶつけ喧嘩三昧の日々を送ったこと。
両親に≪記憶≫の話をして、自分を受け入れられ、ある程度≪記憶≫との折り合いが付けれるようになったこと。
全てをやり直すため、中学の人間が誰もいない駒王学園に入学したこと。
しかし≪記憶≫には思い出だけではなく知識も存在し、学生生活のほとんどが味気ないものになってしまったこと。
そんな中なぜかソーナに惹かれ、悪魔になったこと。
ソーナに惹かれたのは≪記憶≫の中の恋人に似ていたからだと分かったこと。
「これが俺の全てです。変な話でしょう?」
「話してくれてありがとうございます。そうですか、貴方にそんなことがあったのですか」
ソーナの目はまだ少し赤いが、涙は止まっており、その顔は嬉しそうだ。
「信じてくれるんですか?こんな与太話」
「嘘をついているのですか?」
嘘はついていない。しかし、自分で言うのもアレだが変な話なのだ。
「ならわかるでしょ!?唯一惹かれたと思った物すら≪記憶≫の所為だったんですよ!!いままでのことだってそうだ!!もう何が自分なのか、そんなことも分からない……」
体温が下がっていき、手が震える。今まで積み上げてきた自分の中の全てが崩れるような感じがする。
「サジ」
「なんですか!?って、へぇ!?」
ソーナに体を抱きしめられる。彼女の体温が冷たい体に伝わる。
「サジ、たとえ≪記憶≫がどうであれ、貴方の人生は貴方の記憶です。いままで歩いてきた道は、あなた自身が選んで進んできた道です。私の眷属になったのも、生徒会に入ったのも、全部あなた自身が決めたことです。あなたの≪記憶≫が判断しているわけではありません」
「……」
「貴方は深く考えすぎです。たとえ≪記憶≫がどうであれ貴方が貴方自身であることに変わりはありません。それでいいじゃないですか」
抱きしめられて温かいからか、震えが止まる。
「≪記憶≫を受け入れろ、なんて言いません。私にはあなたの辛さが理解できないから。でも『自分自身』は受け入れなさい。全てはそれからです」
「皆心配しています。出会って数日でも貴方は大切な仲間なのですから。貴方の・・・匙元士郎の居場所はここにある。だから自分を嫌いにならないで?」
視界がにじむ。泣いてる?俺が?
……そうだ、思い出した。両親に全部を話した時、お袋にビンタされて抱きしめられた。
「貴方は私がお腹を痛めて生んだ子なの。貴方の居場所はここにある。自分が分からないなんて二度と言わないで」って言ってたな。
まさか同じようなこと言われるなんて思ってもなかった。
「……会長」
「なんですか?」
少しだけ強くソーナを抱きしめる。温もりを求めるように。
「もう少し……もう少しだけこのままでもいいですか?」
「ふふふ、今回だけですよ?」
きっと少し困った顔をしているだろう。
俺はここにいる。たとえ≪記憶≫がどうであれ、匙元士郎という存在は嘘じゃない。
この温もりは間違いなく自分自身が感じているものなのだから。