新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

95 / 277
オロチの洞窟(ジパング東の洞窟)①

 

 

 

 太陽が完全に沈み切り、夜の闇がジパング周辺を完全に支配してから、かなりの時間が流れた。

 カミュ達が野営を張る森の中にフクロウの鳴き声が響き、月の明かりだけが周囲を照らす中、カミュとリーシャの瞳は、静まりきったジパングの門へと向けられている。

 

「カミュ。そろそろか?」

 

「……ああ……」

 

 既に薪をくべる事を停止させていた焚き火の火は燻り始め、寒さを訴えるように膝の上で丸くなるメルエを、リーシャは軽く揺すって起こした。振動で目を覚ましたメルエは、眠そうに目を擦りながらも、しっかりと起き上がり、既に立ち上がっているカミュのマントの中へと潜り込む。

 

「サラ、起きろ。出発だ」

 

「……あ……は、はい」

 

 浅い眠りに落ちていたサラもまた、すぐに状況を把握し、身支度を整える。三人の視線が集中するジパングの門が、ゆっくりと開かれたのはその時だった。

 

「カミュ!」

 

「……」

 

 リーシャの言葉に視線だけで返答したカミュは、門から出て来る奇妙な箱型の物へ再び視線を向けた。

 篝火を灯した物を持った人間を先頭に、何人かの人間がその奇妙な箱を担ぐように歩いて行く。駕籠のような箱型の物には、奇麗な宝飾が施されており、月の明かりと篝火の明かりに照らされ、遠目に見ても美しく輝いていた。

 

「……残酷な物だな……」

 

 その輝きを目にしたリーシャは、その儚さを嘆く。

 『生贄』とは、その名の通り、『生きたままの供え物』なのである。

 しかも、対象となるのは、まだ男を知らない『生娘』。

 この世の最後に、その年若い娘を着飾らせる。

 それが、この国に暮らす者達のせめてもの贖罪。

 リーシャには、その光景がとても残酷な物に映ったのだ。

 

「このジパングという国でも、誰一人、この『生贄の儀式』に納得している者はいないという事……アンタ方が考えているよりも、この国の人間達は罪を感じてはいる筈だ」

 

「……カミュ様……」

 

 ゆっくりと動いて行く駕籠のような物から視線を外さずに語るカミュの言葉の内容に、サラは顔をカミュに向けて驚きを表す。正直、サラは『生贄』という古びた儀式に目を奪われ、『生贄』を差し出す側のジパングの民の感情に目を向けてはいなかった。

 ただ闇雲に『生贄』に対して感情を剥き出しにするリーシャやサラとは違い、カミュはその『生贄』を自分達の平和との交換条件として呑まざるを得ない民達の心情を考慮に入れていたのだ。

 

 『何故、罪の意識を感じてまで大事な娘達を生贄として差し出すのか?』

 『何故、生贄を要求する者を神として崇めるのか?』

 『何故、そのような決断を下した者を国主として認めているのか?』

 

 その答えは、全て『平和』の為なのだ。

 彼等にとって、『ヒミコ』という国主は、とても慈悲を持った素晴らしい王だったのだろう。彼女の残した功績を考えれば、自分達のような国民の為を想った最善の策が、『生贄の儀式』だったのだと自分達に言い聞かせているのだ。

 それでも、罪の意識は消えない。

 自分達だけが、若い娘の命という物を犠牲にして生き延びている。それは、この国を訪れたばかりの、彼等の言葉を借りれば『ガイジン』には決して解らない苦しみの筈なのだ。

 

「……行くぞ……」

 

 サラの悩みは、時間を追う毎に膨れ上がって行く。カミュが感じていた民の苦しみを理解しようとせずに、自分の知識と感情だけで、『生贄』という物を否定し、更には、ジパングの国民の心を疑った。

 『生贄に対し、疑問にも思わず、立ち向かいもしない』と。

 

「サラ! 遅れるな!」

 

「は、はい!」

 

 声を押し殺したリーシャの呼びかけに応じて、サラもゆっくりと東の方角へと移動する駕籠を追って歩き出す。表情を硬くし、再び心の中で葛藤を始めたサラを見て、リーシャは苦笑を浮かべながら、その背中を軽く叩いた。

 

「サラ、悩むのは後だ。今はまず、イヨ殿を救わなければ」

 

「……はい……」

 

 リーシャの言葉に、サラは納得が行かないように首を縦に振る。もう一度苦笑を浮かべたリーシャは、既に先に行っているカミュの後を追って歩いて行った。

 イヨが乗っているであろう駕籠を先導する篝火は、ゆっくりと東へと抜ける山道へと入って行く。気付かれないように、付かず離れずの距離を保ちながら、カミュ達は駕籠を追って行った。

 駕籠の速度は、とても緩やかで、とても今宵の内に目的地に辿り着けるとは思えない程の物。それは、まるで駕籠の中にいる人物との別れを惜しんでいるようにも見えた。

 

「カミュ!」

 

「……黙っていろ……」

 

 東の空が白みはじめ、先導する篝火の明かりがなくとも駕籠の全貌が見えて来た。そして、その駕籠を担いでいる人物達も。

 その人物達を見て、カミュ達は驚きを表す。何故なら、その担ぎ手は、ジパングにいる若い男達ではなかったのだ。

 

「……何故、担ぎ手が……」

 

「『生贄』となる娘達と付き合いが深いのも若い者だからだろう。それに、おそらくその担ぎ手は、『生贄』となる娘の縁者となるのが慣わしなのかもしれない」

 

 担ぎ手を見て驚くサラに向けて発せられたカミュの言葉を肯定するように、その担ぎ手の中には、『サクラ』を見ていた時に話した老人も加えられていた。他にも、おそらく齢四十を超えているであろう男達が駕籠を担いでいたのだ。

 

「カミュ。あの洞窟に入って行くようだ」

 

「……ああ……」

 

 驚き、固まってしまったサラを置き去りに、カミュはリーシャへと頷きを返し、駕籠が入って行く洞窟へと近付いて行く。もう一度サラの背中を叩いたリーシャも、その後を続いた。

 白み始めた空は、サラの心の中と真逆のように雲一つない。遠ざかるカミュ達の背中に我に返ったサラは、急ぎその後を追って駆け出した。

 

 

 

「なんだ、この洞窟は!?」

 

 洞窟の入り口で立ち止まったカミュの横に立ったリーシャは、洞窟の奥から流れて来る異様な熱気に戸惑い、口を開いた。

 真っ暗な洞窟の先からは、じっとりと汗が滲み出る程の熱風が吹いている。まるで燃え盛る炎に近づいているような暑さに、カミュの頬にも一筋の汗が流れ落ちた。

 

「早く、中に入りましょう」

 

「……いや、暫く待つ……」

 

 中に入ろうとするサラを制止するカミュの言葉に、サラは抗議の表情を浮かべる。

 『生贄』として中に入れられたのだ。もたもたしていたら、<ヤマタノオロチ>に喰われてしまうかもしれない。そんな考えがサラを焦らせていた。

 

「ア、アンタ達!」

 

「!!」

 

 しかし、身を隠そうと移動を開始したカミュの背中に、驚くべく人物から声が掛かる。それは、先程まで駕籠を担いでいた筈の、ヤヨイの祖父だった。

 これにはカミュも驚きの表情を浮かべて振り返る。『生贄の祭壇』まで運んだというにしては、余りにも早すぎるのだ。

 

「な、なんだ!? この『ガイジン』は知り合いなのか!?」

 

 担ぎ手の一人が、ヤヨイの祖父へと叫ぶ。異国の者と親しげに会話をしているようにでも見えたのだろうか。『生贄』を置いて来たという負い目もあるのか、自然と語気は荒くなり、まるで攻め立てるような口ぶりになっていた。

 

「今日、ジパングに来た者達だ」

 

「な、なに!? お前らか!? お前らが更なる厄災をこの国に持ち込んだのか!?」

 

「ま、まて!」

 

 ヤヨイの祖父の答えに、一人の中年男性がカミュに掴みかからんばかりに足を踏み出し、もう一人の中年男性がそれを押さえた。

 カミュ達には、彼等の怒りの意図が解らない。<ヤマタノオロチ>という脅威は、もう何年も前から続く<ジパング>の厄災の筈。それを今更、他国から来たカミュ達に背負わせる筈がないからだ。

 

「ど、どういう事ですか?」

 

「……そうか……」

 

 男達の剣幕にサラは、思わずカミュに問いかけてしまう。サラの言葉と共に、リーシャの視線もカミュへと移って行く。しかし、カミュはそんな二人を無視するように、一人何かを考え、納得したように言葉を洩らした。

 そんなカミュの言葉にリーシャやサラが首を捻る。彼女達にはカミュが何に納得し、何を考えているのかが全く解らないのだった。

 

「くそぉ……何故こんな目にばかり……」

 

「言うな……我々は、生かされているんだ……」

 

 カミュ達一行の葛藤を余所に、中年の男達は悔しさを表に出し、もう一人の男が釘を差す。そのやり取りがサラには不思議な物に映った。

 誰かに憤りをぶつけたい気持ちはよく解るが、彼等はそうやって『生贄』を捧げて来たのだ。

 

「……カミュ……?」

 

「『生贄』が誰であったのか、気付いているのですね?」

 

「なっ!? ア、アンタ方は知っていたのか!?」

 

 もう一度リーシャが口を開いた時、カミュはヤヨイの祖父に向かって、問いかけを口にした。その内容に、ヤヨイの祖父は大いに驚き、残る中年男性達も言葉を失う。

 それは、リーシャやサラも同様で、カミュと男達の顔を見比べながら、言葉を発する事は出来なかった。

 

「えっ!? ど、どういう事ですか?」

 

「何故、止めてくれなかったのだ!? 何故、イヨ様を……」

 

 『おろおろ』とするサラの言葉を押し退けるように、ヤヨイの祖父がカミュへとにじり寄る。その表情は鬼気迫るものであり、周囲の男達の口をも閉じさせた。

 カミュは近づいて来る老人をじっと見下ろし、口を開かない。周囲の男達の様子からしても、イヨが『生贄』としてヤヨイの代わりに運ばれていた事を知っている様子だった。

 

「イヨ様がお亡くなりになれば、もう、この<ジパング>は終わりだ。何故……何故、止めて下さらなかった」

 

 まるで、『自分の孫娘ならば仕方がなかった』とでも言うような老人の言葉に、サラは息を飲む。

 サラとしてもイヨという皇女を救いたいと思っているのは事実。しかし、その代わりにヤヨイを『生贄』にするという事は、許容できる物ではなかった。

 

「何故ですか? ヤヨイ様は、貴方のお孫さんではないのですか!?」

 

「サラ!」

 

 サラの叫びのような問いかけは、リーシャによって制される。それは、他人であるサラが口にして良い内容ではないのだ。

 この老人とて、好きで孫を『生贄』にしている訳ではない筈。それでも、『生贄』を捧げなければ、国自体が滅びるのだ。

 

「リ、リーシャさん! イヨ様でなければ、誰が『生贄』になっても良いというのですか!?」

 

「サラ、落ち着け。そうは言っていない」

 

「いや、その通りじゃ。イヨ様さえ残っていてくだされば、私共は孫でも娘でも差し出す。イヨ様さえおれば、この国は再び立ち直る事が出来る」

 

 睨むように叫ぶサラと、その腕を掴んで制止していたリーシャも、ヤヨイの祖父の言葉に言葉を失い、口を開けたまま固まってしまった。それ程に衝撃的で、自分の耳を疑いたくなる程の強烈な内容であったのだ。

 

「……実のお孫さんを……」

 

「それ以上、口を開くな」

 

 それでも口を開きかけたサラに厳しい視線と言葉が飛んで来る。

 言葉と共に一歩前に出た者は、この一行のリーダーであり、一行の道を指し示す者。

 過去の英雄の所有物である兜を被り、過去の英雄では成しえなかった偉業を成そうとする者。

 

「……お嬢さん……アンタには解るまい。この国は、ほんの十年程前までは、美しい自然と温かな笑みに満たされておった。この国は、ヒミコ様という太陽があったのじゃ。ヒミコ様の慈しみは深く、この国を愛し、そして、それ以上にこの国の民を愛されておった」

 

「……」

 

 カミュの陰に隠れてしまったサラに向かって口を開いた老人の言葉を、周囲の男達も止めようとはしない。何かを懐かしむように、何かを悔いるように、そして懺悔をするように沈黙を守っていた。

 

「イヨ様は、その血を、そしてそのお心を継がれておる。イヨ様がこの国を、この国の民を愛して下さっているのと同じく、我らもイヨ様を我が子、我が孫のように愛しておる。我らの国を導く事が出来る者は……ヒミコ様と……イヨ様だけじゃ」

 

 老人の言葉に、サラは何も言葉を発する事が出来なかった。何故なら、ヤヨイの祖父は、その言葉と共に涙を流し、周囲の男達からも嗚咽が漏れていたからだ。

 それ程に、重く、強い想いを胸に抱き、彼等は『生贄』を捧げて来たのだ。

 

「し、しかし……もはや、我らの願いはイヨ様には届かなかった……イヨ様のご意志はお固く、我らにはどうする事も出来なかったのじゃ!」

 

「た、頼む! ガイジンさんよ、イヨ様を救ってくだされ! 我らの太陽をお守りくだされ!」

 

 ヤヨイの祖父の後ろに立つ中年男性は悔しそうに唇を噛み、その隣に立っていたもう一人の男性が、カミュに縋るように願いを発する。その願いに、リーシャは目を見張り、カミュへと視線を向けた。

 

 『神を倒す事を成すのも、命じるのも、この国の者だけ』

 

 カミュがジパングで発したその言葉が意味していた事を、リーシャはようやく理解できたと思ったのだ。

 国で『神』として崇められている物を害するのは、その国の者でなければならない。それをカミュは言いたかったのだと、リーシャは理解したと考えた。

 しかし、自分を囲むように願いを口にする中年男性達を見るカミュの瞳は、とても冷たく、まるでアリアハンを出た当初にリーシャやサラに向けていた物と同じ色を宿している。横目にカミュの瞳を見たサラは背筋が凍る程の恐怖を感じ、リーシャは開きかけた口を閉じるしかなかった。

 

「……」

 

 もう一度、ヤヨイの祖父達に冷ややかな視線を向けた後、カミュは無言で洞窟へと足を踏み入れた。

 カミュ達が行っていたやり取りの大部分が理解できなかったメルエが、マントから少し顔を出しながらその後に続いて行く。

 

「……頼む……頼む……」

 

「任せて下さい」

 

 カミュの背中を拝むように願いを口にする男達に、サラは頼もしく答えた。しかし、リーシャにはそんなサラの答えが何故か頼りなく見える。

 それは、先程のカミュの瞳の影響なのか、それともどこか震えているサラの声のせいなのか。

 

 

 

「くっ!」

 

 洞窟内に入ったリーシャは、その熱気に一瞬怯んだ。入口から緩やかな下りになっている道を降りると、大きく開けた場所に出る。そこには、地の底から湧き上がるように噴き出す溶岩が川のように流れる場所であった。

 その熱気は想像を絶する程で、リーシャやカミュの頬を、塩分を含んだ水が流れ落ちる。

 

「…………あつい…………」

 

「メルエ、マントだけでも脱いでおきましょう。盾は着けていないと駄目ですよ」

 

 首に縛ってあるマントの紐に手を掛けたメルエを見て、サラがそのマントを脱がし、畳んで袋に入れるが、左手に装備していた<魔法の盾>さえも取ろうとするメルエを窘めた。

 『むぅ』と頬を膨らませるメルエの額には大粒の汗が噴き出している。それ程の暑さを感じているのだろう。

 

「メルエ、凄い汗だな。も、もしかして、また具合が悪いのか!?」

 

 リーシャの汗の量が、自分達三人よりも多い事に、リーシャは<ガルナの塔>の帰りを思い出し、心配そうに近寄るが、それは、首を横に振って小さく『あつい』と溢すメルエによって否定された。

 

「もしかすると、メルエは私達以上に暑さを感じているのでしょうか?」

 

「私達が装備している物がメルエと……!! テドンで購入したこれか!?」

 

 メルエの様子に首を傾げたサラを見て、リーシャが少し考えた後、自分達が身に着けている物に手を掛けた。

 そこにあるのは、『滅びし村』で購入した<魔法の鎧>。そして、リーシャの言葉に振り向いたサラが身に着けている物もまた、その村で購入した<魔法の法衣>。

 

「……だろうな……まさか、魔法に対してだけではなく、こういう物にも耐性があるとは思わなかったが」

 

「…………ずるい…………」

 

 カミュが肯定した事により、それは一行の中で決定事項となった。自分達が身に着けている物を触れる二人を見て、大粒の汗を流しながらメルエは頬を膨らませる。

 

「メルエは、魔法を使えば良いんじゃないか?」

 

「……アンタはメルエを氷漬けにするつもりなのか?」

 

 氷結の魔法を得意とするメルエの特技を思い出し、良い提案だとでも言いたげに話すリーシャに、カミュは呆れたように溜息を吐いた。

 魔法力の制御を覚えたとはいえ、自分の身の回りだけを冷やすような高等な技術をメルエが出来る訳がない。いや、『賢者』となったサラであっても、そのような芸当は出来よう筈もなかった。

 

「…………リーシャ………きらい…………」

 

 自分の状況を真剣に考えてくれているようには映らなかったのだろう。汗を流しながら、軽くリーシャを睨んだメルエは『ぷいっ』と顔を背けてしまった。

 それに慌てたのは、リーシャである。

 

「ち、違うぞ! 私はメルエならばその位の事が出来るのではと思ったんだぞ!」

 

「ふふふ。ですが、布か何かに<ヒャド>を掛けて、それをメルエの首に巻くぐらいしかできませんね」

 

 慌ててメルエに言い訳をするリーシャと、そんなリーシャから逃げるように顔を背けるメルエに微笑むサラは、持っていた袋から手拭いのような布を出し、自身で<ヒャド>をかけた。<ヒャド>の冷気によって凍りついた布であったが、それは瞬く間に溶け出し、メルエの首に巻こうとした時には、湯を潜らせた程の物に変わっていた。

 

「…………むぅ…………」

 

 余りの熱気にメルエは頬を膨らませながらも、弱々しくカミュを見上げる事しか出来ない。そんなメルエの額の汗を拭きながら、何か良い策がないものかと考えを巡らすが、何も思い浮かぶ事はなく、何度か<ヒャド>を布にかけながら先に進むしかなかった。

 

 

 

「あれは!?」

 

 メルエの汗を拭きながら進む一行は、入口からそう遠くない場所に置かれた物を見て、駆け寄って行く。それは、ヤヨイの祖父達が担いでいた駕籠のような物だった。

 洞窟に入ってすぐの場所に置かれている事から、彼等が中に入って時間を空けずに出て来た事も理解できる。

 

「カミュ! 中には誰も入ってはいないぞ!」

 

 駕籠の中を覗き込むように見たリーシャの叫びが、溶岩によってむせ返る程の熱気の中に響き渡った。一つ頷いたカミュは、汗を大量に流すメルエに水筒の水を与えながら周囲を見渡す。駕籠から降りた人間は既に近くに居らず、溶岩の川を避けるように出来た道を沿って歩いて行った事が窺えた。

 

「……奥へ進む……」

 

 メルエを気遣いながらも、カミュは奥へと進路を取り、歩き出す。サラは、再び凍らせた布をメルエに当て、自らの水筒の水を凍らせた氷をメルエの口に含ませて、カミュの後を歩き出した。

 最後尾には、熱気によって熱くなった柄を握りしめたリーシャが続く。

 

 

 

「おい! 私は右だと言っただろう!」

 

「リ、リーシャさん、落ち着いてください」

 

 いつものように、リーシャに道を尋ねては、その逆に向かって歩き出すカミュに、リーシャの我慢も限界となり、前へ向かって叫ぶが、隣を歩くサラに宥められ、暑さに苛立ちを浮かべるメルエの視線に黙り込むしかなかった。

 

「……メルエ……後ろに下がれ」

 

「…………ん…………」

 

 リーシャの叫びを無視していたカミュが、前方に広がる溶岩の川を凝視しながら背中の剣を抜き放った。同時にリーシャ達にも緊張が走る。

 メルエがサラの後ろへと移動を完了させた時、溶岩の川が妙な動きを始めた。

 

「カミュ! 下がれ!」

 

「!!」

 

 溶岩の川の動きを注視していたリーシャから声が響く。もはや聞きなれたその声に、カミュの身体は無意識に反応を返した。

 カミュが後ろへと飛び退くと同時に、今までカミュの立っていた場所に溶岩が降り注ぎ、土を溶かして行くような煙を立ち昇らせる。

 

「ヒャド!」

 

 突如立ち上った煙に視界を奪われたサラが、自身の唱える事の出来る氷結系魔法を詠唱した。

 前方に飛んで行った冷気は、周囲の溶岩が発する熱気に負け、虚しく霧散してしまう。それでも視界を遮る煙は消え、カミュ達の前に現れた者の姿を浮き上がらせた。

 

「……あれは……魔物なのか?」

 

「…………あつい…………」

 

 その姿を見たリーシャは、目の前に佇む不思議な存在に声を失い、リーシャの蔭に隠れていたメルエは、暑さを増した周囲の気温に不満を漏らす。

 それもその筈、リーシャが目にした物は溶岩そのもの。

 溶岩の川から手のような形をした物を突き出し、固められた溶岩の塊からは、こちらを覗うような怪しい光を放つ瞳が向けられていた。

 

<溶岩魔人>

その名の通り、地下を流れる溶岩に、『魔王バラモス』の魔力によって命が吹き込まれた物。魔人という名に偽りはなく、溶岩が人型に変化して襲いかかって来る。炎をも溶かす程の温度を誇る溶岩で構成されているため、その攻撃は脅威であり、一度触れてしまうだけで人の身体は溶解して行くのだ。人型に固まった溶岩は、それでも尚、凄まじいまでの炎を纏っており、隙を見せたその時に、『燃え盛る火炎』を振り撒く事もある。

 

「カミュ! これ程の熱を放たれると、迂闊に近づく事は出来ないぞ!?」

 

 炎を纏った溶岩の塊が、自分達の隙を窺っているのを見て、リーシャは隣のカミュへと視線を送る。闇雲に武器を振るうだけが戦闘ではない。それを、この旅でリーシャは学んでいるのだ。

 

「……残念ながら、私の氷結魔法では歯が立ちません……」

 

 カミュの後方に移動したサラが、申し訳なさそうに口を開く。

 その言葉に、一行の視線が同じ場所へと移って行った。

 

「…………むぅ…………」

 

 急速に上がって行く体感温度に、不機嫌そうな表情を浮かべる少女。

 このパーティー内で最年少でありながら、最高の魔法の使い手。

 

「カミュ! メルエに頼るべきではない。私達で倒すしかないだろう」

 

「……相手は溶岩の中から現れた魔物だぞ? 攻撃を繰り出した俺達の武器の方が溶解する事は目に見えている……」

 

 正直、リーシャとしてみれば、メルエに魔法を使わせる事には反対なのである。

 それは、嫉妬のような浅はかな物ではない。メルエの行使する魔法は、魔法に疎いリーシャであっても理解できる程に異常であった。故に、リーシャから見れば、メルエの身体のどこかに多大なる負担が掛っているのではないかと考えていたのだ。

 しかし、そんなリーシャの提案は、カミュによって冷静に斬り捨てられる事となる。

 相手は溶岩。ならば、それの纏う炎もかなりの温度となる。それこそ、カミュ達が手にする、『鉄』で構成された武器をも溶かしてしまう程の。

 

「メルエ、なんとか……危ない!」

 

「くっ!」

 

 カミュの答えを聞き、サラはメルエへと視線を移す途中、<溶岩魔人>の腕が振り下ろされ、大きな火炎が自分達に向かって来るのを見て、咄嗟にメルエを庇うように抱きしめた。しかし、覚悟していた熱気は、メルエを庇うサラをも庇うように立塞がった二人の人間の持つ盾によって防がれる。

 

「カミュ! 盾がもたないぞ!」

 

 『燃え盛る火炎』を受けたリーシャとカミュの<鉄の盾>の表面が、熱によって溶け出し始めた。

 リーシャに頷いたカミュは、後方に視線を送り、サラとメルエに移動を指示する。カミュの指示の内容を目線だけで理解したサラが、不機嫌そうに眉を顰めるメルエを立ち上がらせ、真横へと移動を完了させた。

 

「いやぁぁぁ!」

 

 サラ達の移動を確認したカミュが、高熱を宿し始めた<鉄の盾>を下げて、<溶岩魔人>へと突進して行った。

 収まり掛けていた火炎の勢いを割って突入したカミュの肌が高温と化した大気によって焼かれて行く。刺すような痛みを頬に感じながら、カミュは構えていた<鋼鉄の剣>を溶岩の塊に向かって振り下ろした。

 

「おぉぉぉぉ!」

 

 乾いた音を立てながら弾き返されたカミュの<鋼鉄の剣>は、溶岩に触れた事によって、真っ赤に変色している。その横をカミュに遅れて駆け出したリーシャがすり抜け、手にした<鉄の斧>を横薙ぎに振るった。しかし、リーシャの渾身の一撃も、カミュと同じ結果を生み出すだけだった。

 洞窟内に、二度目の乾いた音を響かせたリーシャの斧も、やはり真っ赤に変色している。それは、少なくともこの色が元に戻るまでは武器として使う事が出来ない事を意味していた。

 

「くそ! どうする、カミュ!?」

 

「……」

 

 一歩後ろに飛び退いたリーシャの問いかけに、カミュも黙り込む。今、目の前で奇妙な動きを見せる溶岩の塊にどう対処するのかが思い浮かばないのだ。

 

「カミュ様! リーシャさん! 下がって!」

 

 じりじりと迫り来る<溶岩魔人>に赤く染まった武器を構え少しずつ後退するカミュ達に頼もしい声が掛る。振り返ると、そこには声を出すサラと、その横で杖を掲げるメルエ。それが何を意味するのかをカミュとリーシャは、この旅の中で学んでいる。

 

「メルエ!」

 

「…………ん………ヒャダイン…………」

 

 <溶岩魔人>を警戒しながら後ろに下がったカミュ達を確認したサラが、メルエに声をかける。サラの言葉に小さく頷いたメルエは、杖を掲げて、それを真っ直ぐに振り下ろした。

 その詠唱はカミュやリーシャだけではなく、サラでさえ聞いた事のない物。その証拠に、杖を振り下ろしたメルエを、サラは驚愕の表情で見ている。

 

「ちっ!」

 

「なっ!?」

 

 振り下ろしたメルエの杖から飛び出したのは、膨大な冷気。灼熱の溶岩が流れる洞窟内でもその猛威は健在で、真っ直ぐに<溶岩魔人>へと向かって行った。

 その範囲も広大で、サラ達の下へ戻ろうとしたカミュとリーシャをも飲み込みかねない物。盛大な舌打ちをしたカミュは、迫り来る冷気を呆然と眺めるリーシャを抱き、横へと身体を投げ出した。

 微かに掠めた冷気は、融解しかけていたカミュの盾を凍り付かせ、それを持つ腕までも氷で覆い尽くそうとして行く。倒れ込んだカミュは、未だに赤々と熱を発する<鋼鉄の剣>を左腕に押し当て、凍結しそうになる腕を遮った。

 

「……カミュ……」

 

 カミュの苦労を余所に、リーシャは未だに茫然としたまま、前方にいた筈の<溶岩魔人>へと視線を送っていた。

 腕の凍結が収まったカミュは、<ホイミ>を自身の腕にかけ、リーシャが向けている視線の方向へと目を向ける。

 

「……とんでもないな……」

 

「……メルエは、大丈夫なのか……?」

 

 前方へと目を向けたカミュも、その余りの光景に言葉を失う。

 <溶岩魔人>であった物は、確かに炎をも焼く程の熱を持っていた筈。それが、疑いようもない程に凍りついていたのだ。

 何も、<溶岩魔人>だけではない。周辺の岩や土、そればかりか、あろう事か<溶岩魔人>が出て来た、溶岩で出来た川すらも凍りついていたのだ。

 

 その魔法の凄まじさに、リーシャは詠唱者であるメルエの身体を心配する。

 これ程の威力の魔法をリーシャは見た事がない。それはカミュも同様ではあるのだが、魔法に対する知識が乏しいリーシャにとっては、それは何かを代償にしなければならない程の物に見えたのだろう。

 

「!! 氷が溶け出す前に叩き壊す」

 

 メルエの放った氷結呪文の冷気も霧散し、周囲の温度が戻って行く中、<溶岩魔人>を固める氷も汗を掻き始めている。それに気付いたカミュは、元の色に戻った<鋼鉄の剣>を構え、<溶岩魔人>へと近付いて行った。

 カミュとリーシャの手によって粉々に砕け散った<溶岩魔人>であった物を辺りにばら撒き、復活する事がないかを確認した後、二人は後方で待つ魔法の使い手の下へと移動する。

 

「…………あつい…………」

 

 いつもなら、自分の功績を褒めてもらうために頭を突き出して来るメルエだったが、戻って来た周囲の温度に汗を流し、眉を下げながらカミュの顔を見上げていた。

 

「……メルエ……いつの間に<ヒャダイン>を習得したのですか?」

 

「あの魔法は<ヒャダイン>というのか?」

 

 『むぅ』と唸りながら、周囲の温度にぐったりとしているメルエにサラが尋ね、溢した魔法名にリーシャが反応を返す。そんな二人のやり取りにも、メルエはこくりと一つ頷くだけだった。

 

<ヒャダイン>

『魔法使い』の指導書でもある『魔道書』には記載されていない魔法。氷結系の魔法である<ヒャド>や<ヒャダルコ>を威力に於いて遙かに凌ぐ。その冷気は溶岩をも凍らせる程の物で、古の賢者でしか使う事の出来なかった物。故に現在、この<ヒャダルコ>の上位に位置する<ヒャダイン>という魔法を行使できる人間は誰もいないのだ。

 

「もしかして、この前ですか?」

 

「…………ん…………」

 

 実は、サラはメルエにせがまれて『悟りの書』を共に見た事が何度かあった。文字の読めないメルエは、そこに記載されている一つ一つをサラへと尋ね、回復魔法や補助魔法以外の魔法の魔方陣等を自分の持つ『魔道書』の表紙裏などの空白の部分に描いてもらっていたのだ。

 実際サラは、現在では『悟りの書』の数ページを読む事が出来るようになっている。未だに白紙の部分の方が何倍も多いが、開く度に読めるページが増える事は、サラにとっても嬉しい事の一つだった。

 

 『悟りの書』の中で最初に出て来た攻撃魔法。

 それが、この<ヒャダイン>であったのだ。

 ここ最近、メルエが何時魔方陣を敷いて契約をしているのかが解らない。

 サラはその事に、何か途方もない恐怖を感じた。

 

 それは、『置いて行かれる』とか『何時の間にか強力な物を使えるようになっている』といった劣等感や嫉妬等ではない。むしろメルエの成長を頼もしく思う反面、何故か『この少女には自分がしっかりと付いていないといけない』という義務感が生まれたのだ。

 

「メルエは本当に凄いですね」

 

「…………ん…………」

 

 サラの表裏のない褒め言葉に、ようやくメルエが笑顔を見せる。しかし、笑顔だったサラの表情が真面目な物に変わった事で、メルエも表情を硬くした。

 

「でも、メルエ。今度からは『悟りの書』に記載されている魔法に関しては、私と一緒に契約しましょう」

 

「…………???…………」

 

 屈んで、メルエと視線を合わせるように話すサラの言葉に、メルエは小首を傾げた。今まで自分が新しい魔法を覚える時に、サラがこのような事を言った事はないからだ。

 魔法の契約は常にメルエ一人で行って来た。人目を忍ぶように、カミュやリーシャにも見つからないように行って来たのだ。

 それがメルエなりの拘りだったのかもしれない。『覚えたばかりの新しい魔法を行使し、皆を驚かせる』。そんな小さな喜びがメルエにはあったのだろう。

 しかし、サラとしては当然の事。この世界に今、この魔法を行使できるのは、目の前で不思議そうに小首を傾げ、自分を見上げている幼い少女しかいないのだ。

 

「メルエ、そいつの言う通りにしろ。何もメルエの魔法を禁止する訳ではない。強力な魔法には、それなりの危険を伴う。そいつはそれを心配しているだけだ」

 

「……カミュ様……」

 

 予想外の人物からの助け船に、サラは心底驚いた。

 自身の中にある、気付かない感情を明確に表現され、サラも初めて自分の中に渦巻く『恐怖』の内容に気付く。

 古の賢者しか使えないという事は、それ相応の何かが必要だという事。『賢者』となったサラも何時の日か行使出来るようになるだろう。

 それでも、それは今ではない。読めるようになったとしても契約出来るか出来ないかはサラの内にある物次第なのだ。

 それは単純な魔法力だけではなく、それこそ気力や心力、そしてサラ自身の器の成長が絶対不可欠な条件。

 だからこそ、サラよりも幼いメルエが契約を完了させた事が『恐怖』だったのだ。

 メルエがサラよりも知識があるとは考えられない。魔法力の多さは桁違いではあるが、心の成長に関しては、サラよりも大人だとも考え辛い。

 『何か別の物を犠牲にしているのではないか?』とサラは考えたのだった。

 

「…………ん…………」

 

「しかし、本当に凄かったぞ! ありがとう、メルエ」

 

 カミュとサラの顔を交互に見たメルエは、しっかりと首を縦に振った。それを見たリーシャがメルエの汗ばんだ髪を撫で、笑顔で礼を行う。暑さに参っていたメルエも、リーシャの笑顔と優しい手を受けて、顔を綻ばせた。

 

「本当ですね。私なんて、まだ<ヒャド>しか使えないのに……」

 

「ふふふ。サラはこれからだ。それに、サラの強みである補助魔法は、例え『魔道書』の物でもメルエより上かもしれないぞ」

 

「…………むぅ…………」

 

 自嘲気味に言葉を洩らすサラに笑顔で告げたリーシャの発言は、メルエの笑顔を膨れ面に変えてしまう物だった。頬を膨らませたメルエの表情を見て、リーシャは柔らかな笑顔を作る。

 周囲の温度は相変わらず上がる一方だが、それを感じさせない程、心地よい空気が四人を満たしていた。

 

「……先を急ぐ……」

 

「あ、ああ。そうだな。イヨ殿を救わねば」

 

 軽く笑みを浮かべたカミュが進行方向へと向き直り、歩き出す。その後をリーシャが続き、先程とは違い、汗を大量に流しながらも、軽い笑顔を浮かべるメルエの手をサラが握って歩き出した。

 

 

 

 溶岩の川を避けるように進む一行は、リーシャという最強の道標によって、何度かの戦闘を行いながらも順調に歩を進めた。

 そこに<溶岩魔人>の姿がなかったのは、彼らの持つ運なのかもしれない。

 

「カミュ様……あれは……?」

 

 行き着いた先は完全な行き止まり。しかし、それは過去に行き止まりであったとされる場所であった。

 何かを取り囲むように、人の手で造られた石の囲いは無残に破壊され、その傍には燃えカスのように転がる藁の残骸。

 おそらく、<ジパング>にあったヒミコの屋敷に掛けられていた藁で出来た縄であろうと思われる。何か強い力で護られていたのだろう。これ程の熱気を放つ洞窟内でもその原型を留めてはいた。

 

「…………ん…………」

 

「メルエ、何か拾ったのか?」

 

 破壊されたような囲いに目を向けていたリーシャに向かって、メルエが何かを突き出して来た。リーシャの問いに『こくり』と頷いたメルエの手にある物を見て、リーシャもサラもその正体が全く解らなかった。

 

「……仮面……でしょうか?」

 

 メルエの小さな手に握られた物は、人の顔程度の大きさの物。しかし、その顔の表情はとてもではないが『人』の物ではない。

 『怒り』『哀しみ』『憎しみ』等の様々な感情の入り混じったような顔。

 憤怒に燃えているとも見えるし、憎悪に歪んでいるとも見える。そして、哀しみに涙しているようにもサラには見えていた。

 

「だが、壊れているな」

 

 サラと同じような感想を持ったリーシャであったが、その面には真中から二つに割れるようなひびが入り、少し触れただけでも乾いた音を立てて割れてしまいそうな物と化していた。

 

「…………」

 

「メルエ、その面は俺が持とう」

 

 首を傾げるメルエから、その仮面を受け取ったカミュは、もう一度その仮面の表情見て、自身の顔からも表情を失くした。

 周辺を見渡した後、カミュは奥へと歩き出す。カミュの表情と雰囲気が変わった事を悟ったリーシャは、背中から<鉄の斧>を取り、右手に構えたままメルエやサラを先に行かせ、警戒しながら歩き出した。

 サラやメルエには、何故カミュの表情が変化したのかは解らない。だが、この<ジパング>という国を襲う脅威に、あの仮面が何か関係している事だけは理解出来た。

 そして、それは後に解る事となる。

 

 

 

 壊れた石の囲いを抜けた先は、緩やかではあるが、下方へと下る坂道が続いていた。下へと進むと、上部よりも若干温度が下がったような感覚を受ける。まるで地下の溶岩がどこか一点に集中しているかのように。

 

「……またか……」

 

 少し開けた場所に出た時に、カミュが溜息を吐きながら背中の剣を抜く。それは戦闘の合図に他ならない。

 後ろを歩いていた三人もそれぞれの武器を構え、前方から現れた物体に目を向けた。そして、その物体の全貌を視界に収めた時、サラはカミュが吐いた溜息の理由を知った。

 

「…………リーシャ………だめ…………」

 

「なにっ!? 私とて、何度も同じ手を喰らわないぞ!」

 

 近付いて来る魔物と思しき物体を見たメルエは、視線を上にあげ、リーシャへと言葉を洩らす。そんなメルエの呟きに、リーシャは慌てたように反応した。

 

<鬼面道士>

堕ちた異教徒。<ドルイド>や<幻術師>よりも上の高官の成れの果てとされる物。特徴的には<幻術師>と大差はないが、その内に宿した魔法力の量が<幻術師>よりも多く、行使する魔法の回数も多い。その身体を形成する腐肉は、既に淀んだ色に変色し、まるで顔に手足が付いたような姿は、『人』を恐怖させるのだ。

 

「リ、リーシャさん。気をつけて下さいね。今のリーシャさんが錯乱すれば、私達は全滅しかねません」

 

「な、なにっ!? サ、サラまで私を馬鹿にするのか!?」

 

 <鬼面道士>から視線を外す事なく注意を投げかけるサラに、リーシャの怒声が轟く。しかし、サラからしてみれば、それは馬鹿にした物等ではなく、ただ単純な事実に他ならない。

 現状、リーシャの剣を受け止められる人間はカミュしかいないのだ。サラやメルエが襲いかかられたりしたら、本当に一刀の下に斬り捨てられるだろう。そこに魔法を詠唱する暇などあろう筈がない。

 サラやメルエのような魔法を使う人間は、カミュやリーシャのような武器を扱う人間がいてこそ、その能力を発揮できるのだ。

 一対一の戦いとなった時、同じ性質を持つ者に対してであればそれなりに戦えるが、そうでない場合は、誰かが注意を逸らしている間に詠唱を完成させ、その魔法を行使するしかない。

 それをサラは痛い程に感じていた。

 

「……馬鹿にされても仕方がない事をして来た筈だが……」

 

「ぐっ!」

 

 しかし、サラとは違い、カミュも半分はリーシャを馬鹿にしていたのかもしれない。その証拠に、魔物を目の前にしたカミュの口端が上がっていたのだ。それに気付いたリーシャの額に青筋が浮かび上がる。

 

「くそ! 見ていろ! あんな魔物は私一人で十分だ!」

 

「あっ! リ、リーシャさん!」

 

 サラの制止の声を聞かずに、リーシャは<鬼面道士>へと駆け出した。まさか、単独で突っ込むとは考えていなかったのだろう。そのリーシャの姿にカミュでさえ目を見開き、信じられない物を見るように呆然と佇むしかなかった。

 

「マホト……」

 

「54‘’#0」

 

 リーシャの暴挙に、サラが慌てて詠唱を開始するが、それに被せるように、<鬼面道士>は持っていた杖を振りかざし、詠唱を完成させた。

 流れる不穏な空気。

 止まってしまった時。

 周囲を不思議な空間が支配する。

 

「……まさかとは思うが……」

 

「……いえ……おそらく、そのまさかだと……」

 

「…………リーシャ………だめ…………」

 

 <鬼面道士>に向かって斧を振り上げたまま固まってしまって動かないリーシャを見て、カミュの額から大粒の汗が流れ落ちる。それは、何も周囲の温度のせいばかりではないだろう。

 そして、そんなカミュの最悪の予想は、詠唱を失敗し、呆然と前方を見るサラの言葉と、ぼんやりとリーシャの背中を見つめるメルエの一言で肯定されてしまった。

 

「うおぉぉぉぉぉぉ!!」

 

「くそ! メルエを連れて下がっていろ!」

 

 叫び声と共に、手に握る斧を掲げるリーシャを見て、カミュはサラへと指示を出し、自らも<鋼鉄の剣>を構えた。

 自分の失言を悔やむかのように歪んだ表情を戦闘時のそれへと変化させ、カミュはこれから襲いかかって来るであろう脅威に身構える。以前に相対した時は、リーシャを傷つけないようにという遠慮があったのか、全く歯が立たなかった。

 実際、後ろにいるサラやメルエを護る事を最優先として考えるならば、相手を殺すぐらいの気迫で相対さなければならないという事をカミュは覚悟する。

 

「……カミュ様……」

 

 そんなカミュの覚悟を感じ取ったのだろう。サラは予想外の形で噴出したパーティーの危機に、顔を青ざめさせた。しかし、そんな二人の悲痛な覚悟は、リーシャの振る<鉄の斧>が切る風の音と、肉を斬り裂く不快な音、そして、空中に舞った木で出来た杖によって打ち砕かれる。

 

「えっ?」

 

「……」

 

 重苦しい程の音と共に、<鬼面道士>であった物の胴体部分が、厭らしい笑みを浮かべたまま地面へと落ちて行く。その余りにも予想外な光景に、サラは間の抜けた声を上げ、カミュは声も出せず、メルエは不思議な物でも見るように小首を傾げた。

 

 <鬼面道士>の唱えた魔法は、十中八九<メダパニ>であった事は間違いない。そして、<鬼面道士>の唱えた魔法は、確実にリーシャの脳神経を狂わせ、効果を発揮していたのだろう。

 それは、今、地面に横たわる<鬼面道士>の胴体が浮かべる表情が物語っていた。

 

「……錯乱状態だったという事か……」

 

「えっ? ど、どういうことですか?」

 

 斧を振り終わり、術者の死によって、魔法の効果も切れたリーシャは、静かにその場に倒れ込んだ。

 その様子を見て呟いたカミュの一言は、サラを更なる混乱へと陥れる。全く意味が解らないメルエは、汗を掻きながらカミュを見上げていた。

 

「……敵も味方も区別できない程に錯乱していたという事だろう……」

 

「……そ、そんな……」

 

「…………???…………」

 

 カミュが洩らした答えを聞き、サラの顔は益々青ざめる。敵も味方も区別が出来ない程に錯乱したリーシャの斧は、もはや『武器』ではなく『凶器』。

 可能性として、その凶器が自分やメルエに向けられたかもしれないのだ。それを考えると、他人事として受け取る事など出来よう筈がない。

 

「……しかし、あの頭はどうにかならないのか……?」

 

「そ、それ……!! 今回はカミュ様が悪いのですよ! こうなる事が予想できたにも拘らず、リーシャさんを嗾けたのはカミュ様です!」

 

 危うく、カミュの言葉に同意しかけたサラは、その原因になった人間の発言を思い出し、抗議の声を上げる。

 以前ならば、考えられないやり取り。サラにとってカミュは『恐怖』の対象でもあった。アリアハンを出て初めて対立した時は、カミュの中にある『狂気』にも似た物を見て、身体が硬直した事もある。無表情で『人』を殺して行くカミュに足が竦み、身体が震えた事もあった。

 それでも、カミュと真っ直ぐ向き合い、自分の中にある物をぶつけ合って来たサラだからこそ、今、カミュもサラと目を合わせて言葉を発するのだろう。だからこそ、サラもカミュに対して軽口を叩けるのだ。

 

 それが、彼女が築いて来た『絆』

 

「…………リーシャ…………」

 

 カミュとサラのやり取りの中、糸が切れたように崩れ落ちたリーシャの下にメルエが駆けて行く。

 メルエにとって、カミュ達三人は何物にも代えがたい人物。リーシャがどのように変貌しようと、それに恐れを抱く事なく、リーシャという本質を見る。

 例え、カミュが他人からどう呼ばれようと、その冷たい仮面で内にある物を隠そうとも、サラが悩み、苦しみ、その価値観を変貌させようとも、メルエの想いは変わらない。

 メルエにとって、彼ら三人は既に家族にも等しいのだ。

 

 それが、彼女が築いて来た『絆』

 

「……あの種類の魔物は、あの脳筋戦士に任せた方が良いのかもしれないな……」

 

「そ、そんな……罷り間違えば、全滅してしまいますよ!」

 

 駆け寄って行くメルエを見ながら溜息を吐いたカミュの言葉に、サラは抗議の声を発する。それは、先程のリーシャの攻撃の凄まじさを見た為だろう。

 

 『あの一撃が、もし自分に振り抜かれたら』

 

 そう考えると、サラの背筋に冷たい汗が流れ落ちて行く。

 しかし、抗議を受けたカミュの口端はいつものように上がっていた。

 それは、これから先に語られる言葉が多少の冗談を含んでいる証。

 そんなカミュの姿に、サラも落ち着きを取り戻しかけた。

 

「あれに魔物を押し付けて、先に進めば良いだろう。周囲に味方がいなければ、必然的に相手は敵だけになる」

 

「リ、リーシャさんを置いて行くのですか!?」

 

 しかし、そんな落ち着きかけたサラを、カミュの言葉は再び驚きの谷底に落として行った。

 サラの驚きに、軽い笑みを浮かべたカミュは、倒れているリーシャの身体の態勢を変えようと苦労しているメルエの許へと歩き出す。カミュの笑みの理由が解らないサラは、どこか釈然としない思いを抱きながら、その後を追った。

 

「…………リーシャ…………」

 

「大丈夫だ。気を失っているだけだろう」

 

 苦心しているメルエを退かし、うつ伏せに倒れ込んでいるリーシャの身体を仰向けに直したカミュを見上げ、心配そうに眉を下げるメルエ。カミュはその頭を優しく撫でた。

 カミュの言葉を聞いて尚、心配そうにリーシャを見つめるメルエに、カミュは苦笑する。

 

「メルエ、大丈夫ですよ。それより、メルエの汗を拭かないと」

 

「…………サラ…………」

 

 そこへ、メルエにとって、身体の状態に関しては最も信頼できる人間から声が掛る。<ヒャド>によって冷たく凍らせた布をメルエの額に当てた後、熱くなっている首筋を拭き取るように当てて行った。

 ひんやりと心地良い感覚に目を細めながら、安心できる声を聞いて、メルエの表情も和らいで行く。

 

「……メルエ……この寝ている奴にも、<ヒャド>を掛けて冷やしてやれ……」

 

「…………ん…………」

 

「カ、カミュ様! メルエの<ヒャド>では、リーシャさん自体が凍りついてしまいます! メ、メルエも、杖を上げては駄目です!」

 

 カミュの言葉に、『リーシャも熱いのだろう』と思ったメルエが杖を掲げるのを見て、サラが大慌てでその杖を下げさせる。

 不思議そうに小首を傾げるメルエに『そんな事をしたら、リーシャさんが死んでしまいますよ!』とサラが叫ぶと、勢い良く首を横に振ったメルエは、カミュを睨むように見上げた。

 

「うぅぅん」

 

 そんな三人のやり取りが進む中、ようやくリーシャが目を覚ます。カミュへ向けていた視線をリーシャへと移したメルエの表情が笑顔に変わって行った。

 目を覚ました直後、目の前にメルエの顔がある事に驚いたリーシャであったが、その花咲くような笑顔に、自然と顔が綻んで行く。

 

「メルエ、大丈夫か?」

 

「…………ん…………」

 

 身体を起こし、メルエの頭を撫でながら問いかけるリーシャの言葉に、メルエは軽く頷く。そんな二人に、カミュは盛大な溜息を吐き出した。

 とてもではないが、魔物の魔法に罹り、その理性を失っていた者の言葉ではない。

 

「それを尋ねたいのは俺達の筈だが?」

 

「ん?」

 

 目を細めてリーシャを見下ろすカミュの言葉の意味が、リーシャは理解できない。錯乱していた時の記憶がないのだろう。本当に何も思い浮かばないかのように首を傾げるリーシャが面白かったか、同じように首を傾げたメルエの顔は笑顔だった。

 

「再び魔物の魔法に惑わされ、錯乱していた人間が取る態度ではないな」

 

「カミュ様!」

 

 容赦のないカミュの言葉に、隣に立っていたサラが叫ぶ。

 それこそ、『魔法に耐性のない人間と知っていて嗾けた者の発する言葉ではない』と。

 そんなサラの心の叫びは届かず、カミュの厳しい視線を受け止めたリーシャの顔が歪んで行く。

 

「……私は、またお前達に武器を向けてしまったのか……?」

 

「い、いえ……」

 

「アンタは、あの魔物が唱えた<メダパニ>であろう魔法に惑わされて武器を振っていた」

 

 自分が犯してしまった罪を感じるリーシャに、それは違う事を伝えようと口を開いたサラを遮って、カミュは更なる追い打ちをかける。再び下を向いてしまったリーシャを見て、サラはどう声をかけようか悩む中、一人の少女が立ち上がる。

 

「…………カミュ………だめ…………」

 

 『むぅ』と頬を膨らまし、カミュを責めるように立ち上がったメルエに、カミュは怯んだ。そんなカミュの姿にサラは大いに驚く。

 おそらくこの世にカミュを怯ませる事が出来る者など、この幼い『魔法使い』しかいないだろう。どれ程恐ろしい魔物であろうと、どれ程地位の高い人間であろうと、それこそこの世の全ての物の『恐怖』の対象である『魔王』であろうと、カミュは怯む事はないだろう。

 そう信じているからこそ、リーシャもサラも、そしてメルエもこの青年の後ろを歩いて行けるのだ。

 そんな『勇者』を怯ませる事の出来る存在。

 自分達の心を変える一石となった少女を見るサラの目が柔らかい物へと変化して行く。

 

「いや、メルエ。良いんだ。カミュの怒りは尤もだ。カミュはメルエやサラの命をも預かっている。だからこそ、私の行動を許す訳にはいかないんだ」

 

「……リーシャさん……」

 

「……アンタ方の命を預かった覚えは微塵もないのだが……」

 

 カミュとリーシャの間に立つメルエの肩を抱きながら発したリーシャの言葉に、サラは何かを感じ、カミュは呆れたように溜息を吐いた。そんなカミュの言葉を無視するように、立ち上がったリーシャは、カミュ達三人に深々と頭を下げる。

 

「すまなかった。イヨ殿を救わなければならない場所で、軽率な行動だった」

 

 リーシャは知っているのだ。カミュが何を言おうと、それこそ自分の命よりもリーシャ達三人の命を優先している事を。

 アリアハンを出た当初は解らなかった。だが、今はそうだと胸を張って言う事が出来るとリーシャは思っている。

 

 それこそが、彼女が築いて来た『絆』

 

「で、でも、あの魔物はリーシャさんが倒して下さったのですよ?」

 

「…………ん………リーシャ…………」

 

 サラの言葉に同調するようにメルエが頷く。

 そんな二人の言葉を、自分を慰める為だと受け取ったのだろう。

 リーシャは柔らかく微笑み、二人の頭を撫でつける。

 

「ありがとう。私は、サラやメルエを護る盾であり、剣でありたい。その役目を担えなかったのだ。カミュの怒りを甘んじて受けるさ」

 

「……リーシャさん……」

 

 空気が変わり、矛先が変化して行く。その証拠に、メルエの厳しい瞳は、リーシャではなくカミュへと向けられた。

 そんなメルエの視線を受け、カミュは盛大な溜息を吐き出す。

 

「……先に進むぞ」

 

 溜息と共に吐き出されたカミュの合図に、全員が頷きを返す。メルエの瞳は緩み、周囲の温度を感じさせない程の笑みを浮かべた。

 その笑顔を受けて、リーシャもまた笑顔でメルエの手を握る。二人の笑顔を見て、サラの顔も綻び、カミュの背中へと視線を向けた。

 

 ここは、<ジパング>という国を滅亡の危機へと落す程の物が住まう洞窟。

 周囲は溶岩が湧き出し、固まった溶岩が転がる。

 幾人もの生贄が、己の不遇を嘆き、恐怖を押し込め、生まれ故郷の平和の為に歩いて来た道を、彼女達は歩いていた。

 

 それでも、彼女達の心は揺るがない。

 『怖れ』がない訳ではない。

 『自信』がある訳でもない。

 前を歩く一人の青年の歩む先に、必ず光が待っている事を信じているのだ。

 

 それが、彼女達三人が築いて来た『絆』

 

 

 

 




読んで頂きありがとうございました。

遂にあの洞窟です。
正直、この先の話は、ここまで以上に力が入っています。
ここまでの話が手抜きという訳ではありませんが、何故かこのジパング編は力が入りました。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。