新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ダーマ神殿③

 

 

 

「教皇様……」

 

「うむ。ふぉふぉふぉ。この時代に生まれた『賢者』様は実に厳しいお方じゃ。これから我々も忙しくなる。いや、『人』である者ばかりか、『エルフ』も『魔物』も、この世界に生きとし生ける者全てが忙しくなる」

 

 傍に寄って来た自分の後継者の声を受けた教皇は、一つ考えた後、盛大に笑い出した。その笑みは、何かを悟ったような笑い。自分が生きて来た数十年という歴史を破壊した音のような笑いは、この二人以外に誰もいなくなった広間に木霊する。

 

「世界は変わる。それも劇的な程にな」

 

「はい」

 

 広間の向こうに見える扉は、『賢者』となり、この世界に生きる人間に『精霊ルビス』の言葉を伝える事の出来る一人の女性によって閉められた。

 その扉を見つめながら、つい先程までこの広間で繰り広げられていた内容を思い出し、教皇は笑顔を浮かべる。

 彼女こそ、自分が待ち望んだ『賢者』なのかもしれない。

 彼等こそが、我々が待ち望んだ者達なのかもしれないと。

 

 

 

 

 

 遠くを見つめるように優しい瞳を浮かべる教皇に視線が集まる。サラは、自分の身体の中に渦巻き変化して行く魔法力に戸惑いながらも、教皇の言葉を待っていた。

 

「あのお方は、一人の幼子を連れてこの神殿を訪れました。『賢者』と呼ばれる存在がこの世界にはいるという事は先代の教皇様からお聞きしていましたが、そのお姿はどこにでもいる初老の男性でした」

 

 一つ息を吐き出した教皇が語る内容に、サラとカミュは静かな驚きを表す。先代の『賢者』と呼ばれる人間が男性であったこと。そして、その男性が数十年前に生きていた事。そして、幼子を連れていたという事実に関してだ。

 

「そ、その幼子とは?」

 

「ふむ。幼い女の子でな。『賢者』様のお嬢様であるという事でした」

 

 サラの質問に、気を悪くした様子もなく、教皇が答える。

 その答えに、サラとカミュは再び驚きを見せた。

 『賢者』と呼ばれる人間に血の繋がった人間がいるという事実に。

 

「『賢者』様は、ここにルビス様のお言葉をお伝え下された。そして……」

 

『賢者』と呼ばれる男性の行動を話し始めた教皇は、ふと言葉を止めて虚空を見上げる。まるで友を想うように優しい瞳に、サラは思わず見惚れてしまった。

 

「お嬢様をここにお預けになり、<ガルナ>の塔へと向かわれました」

 

「……ガルナの塔へ?」

 

「その娘さんは?」

 

 サラの質問に、ゆっくりと顔を上げた教皇の顔は厳しい物だった。

 それが、その娘の行く末を暗示していた。

 

「子の成された後、若くして亡くなられたそうです」

 

「!!」

 

 教皇の話では、その後十数年は生きた事になる。そして、自らの子の宿し、その子を産んだ後に、何らかの事情で死去したというのだ。

 

「『賢者』様とは違い、お嬢様の方には魔法力が宿ってはいませんでした。通常の『魔法使い』や『僧侶』以下の魔法力では、呪文を行使する事は出来なかったでしょう」

 

 先代の『賢者』の資質は、娘である子には受け継がれていなかったという。それは、その娘にとって悲劇となったのかもしれない。

 父親が偉大であればある程、その子への期待や羨望、そしてその反動の失望は大きくなる。

 それをカミュは知っていた。

 

「しかし、例え才能は受け継がれなくとも、血は消えません。歴大最高の『賢者』とも名高かったあのお方の血を受け継ぐ存在は……」

 

「ま、まさか……」

 

 途中で言葉を区切った教皇に、サラは自分の考えが暴走して行くのを感じる。ここまで悩んで来たサラを嘲笑うかのように、そして突き放すような言葉がこぼれる事を恐れ、サラは言葉に詰まった。

 

「『賢者』様から伝えられたルビス様のお言葉は、『これから先、世は乱れる』という物でした。そのお言葉通り、『魔王バラモス』の登場によって、魔物の凶暴化は進み、『人』の世ばかりか、生きとし生ける者の世界は暗い闇に覆われ始めました」

 

「……」

 

 サラの瞳を見上げた教皇は、哀しみに歪めた表情で言葉を続ける。

 サラもカミュも教皇に言葉をかける事は出来なかった。

 

「『人』の中でも特出した能力を有する『賢者』の血は、魔王にとっても脅威となる物だったのでしょう。何度も魔王軍と戦いながらも引かない『賢者』様の前に、その血筋を絶やそうと考えた魔王バラモスによって、お嬢様は夫となった者と共に命を落としたそうです」

 

「!!……そ、それで……」

 

 アリアハンという辺境の国の英雄ではなく、全世界のルビス教徒にとっての神に近い『賢者』と呼ばれる者の血は、サラやカミュが考えている程に軽い物ではなかった。

 カミュという存在もまた、英雄オルテガという魔王軍に戦いを挑んだ者の血を受け継ぎし者。しかし、彼はアリアハンで成人の歳を迎えるまで、魔王軍の強襲等といった物を受けた事はない。

 対して、『賢者』の血筋は、その痕跡を残したくないと魔王に思わせる程に強い物なのである。

 例え、その血筋の者に、先代のような魔法の才能がなかったとしても、いずれ再現される可能性のある血筋を残す事を良しとしない程の脅威があったのだ。

 

「『賢者』様は、三十年程前に、再びこの神殿を訪れられました。その手は以前と同じように幼い少女の手を握ってです」

 

「……それは……」

 

 もはや、カミュは口を挟まないというよりも、挟めないと言った方が正しかった。

 『賢者』の血を引く者達の末路。それが他人事には思えなかったのだ。

 何も、『自分だけが不幸だ』と思った事などない。それこそ、自分よりも恵まれない人間は多いと考えていた。

 しかし、未だに生きている自分。旅に出るまで、色々な屈辱や苦痛は受けて来たが、それでも旅に出てからの日々はカミュにとって掛け替えのない物になりつつある。そんな中、耳に入った特別な血を引く者達の末路は、何故かカミュの心に抜けない棘として残って行った。

 

「その通りです。その少女は、『賢者』様のお孫様でした。ただ、残念な事ですが、そのお孫様にも、魔法力は備わっておりませんでした」

 

「……では……」

 

 サラが言葉を紡ぐが、その呟きに近い程の小さな声は、広い神殿内に木霊とならずに消えて行く。それがサラの心を顕著に表わしていた。

 その者が辿る末路と、その哀しき結末を。

 

「はい。『賢者』様は、ご自分の編み出した魔法をその『悟りの書』に記すために<ガルナの塔>に赴かれました。そして、この神殿を旅立たれ、お孫様を安全に生きていけるような場所に預けた後、『賢者』様は魔王軍との死闘の末、命を落とされました」

 

 子と同じように、孫にも魔法の才能は受け継がれなかった。

 それは、『人』として、それ以外の種族に抗う術を持たない事と同義。

 『賢者』の血族としての危険を自らの能力で払い除ける事が出来ないという事は、死を意味しているのだ。

 

 そして、それを知っているからこそ、『賢者』と呼ばれる男性は、子と同じ道を歩まぬよう、孫を安全な場所に隠し、そしてその大本を断つために魔王討伐に向かったのだろう。

 しかし、その代償は大きかった。魔王という存在は、『人』の中の傑物でさえも退ける程に強大だったのである。それは、カミュやサラも知っていた。

 何故なら、十数年前に、同じような『人』の中の傑物である英雄が、その任務を全う出来なかったのだから。

 

「……そんな……」

 

「ですが、『賢者』様もご自分の未来は予想されていたのでしょう。最後に『自分の後継となる者は、大きく静かな光と共に必ず現れる』というお言葉を残されました」

 

 『賢者』と呼ばれた者の末路に言葉を失ったサラに、教皇は優しい瞳を向ける。その瞳が見るものは、サラであり、その後ろに控えるように立つ青年だった。

 教皇の耳にも下界の噂は絶えず入って来る。それは、宿屋の管理を任せている者が下界に降りた時などに持ち帰って来るためだ。

 先代の『賢者』が命を落としてから二十年程経過した頃、一人の青年が『魔王討伐』の為に旅に出たという話を耳にした時に、教皇は次代の『賢者』の登場を予感した。しかし、その人物の詳しい噂が耳に入ると、その予感は間違っているものだと悟ったのだ。

 何故なら、その者は『太陽のような青年』と云われていたからである。

 『賢者』は教皇に、『次代の賢者は、大きく静かな光と共に現れる』と告げていた。太陽の光は、大きくはあるが静かではない。それこそ、物陰に隠れなければ、誰しもが照らし出される程の強く荒々しい印象を受ける程の光。

 故に、教皇はその青年がこの神殿を訪れる事はないと感じたのだ。

 

「我々は、貴女様が現れるのを、心よりお待ち申し上げておりました」

 

「……わ、わたしは……」

 

 もう一度恭しく頭を下げる教皇に、サラははっきりとした返答が出来なかった。

 生まれてこの方、サラは『期待』という物を受けた事などない。孤児であり、神父の下で学んでいた者達の中でも決して優秀ではなかったサラは、そのような物には無縁であったのだ。

 

「後ろにおられる青年が、『賢者』様のおっしゃっていた、世界を等しく照らし出す、大きく静かな光なのでしょう」

 

「……カミュ様が……?」

 

 教皇は、初めて一行がこの神殿に入った時、次代の賢者となるであろう女性僧侶よりも、先頭を歩く青年に目を奪われていたのだ。

 その者の内から滲み出るような光は、眩いばかりの光ではない。それでも、瞳を奪われ、安堵する事の出来る優しい光。

 その証拠に、彼の後ろから歩いて来る三人の表情の中に安心感が見受けられていた。

 勿論、ルビス教の聖地であるダーマ神殿の中で、彼らのような者達に害意を向ける者等いる筈がない。しかし、先頭を歩く青年の表情には、若干の警戒感が残っていた。

 おそらく、彼はどこへ行っても同じなのだろう。

 後ろに控える者達を包み込み護る光。それがこの青年なのだ。

 教皇は、この青年を見て、次代の『賢者』の到来を確信した。

 

「その『悟りの書』は、古の『賢者』と称された方々の残された呪文の契約方法が記されていると聞きます。それに先代の『賢者』様が編み出された物を含めて編纂された物です」

 

「……」

 

 教皇の言葉に、サラは胸に抱える一冊の書物へと視線を落とす。

 サラには、様々な呪文の内の一つだけしか認識する事は出来なかった。

 

「先程、貴女様は『悟りの書』の一部分しか読む事は出来なかったとおっしゃられましたな。当然です。例え『賢者』様と成られたといえど、失礼ながら、貴女様はまだまだ未熟なのです」

 

「……申し訳ありません……」

 

 知らぬ間に、自分の心の中に『賢者』となった事への『驕り』が生まれていた事に気付いたサラが、頭を下げる。その様子に、柔らかな笑みを浮かべた教皇は、一つ頷いた後、もう一度口を開いた。

 

「いえ。差し出がましい事を申し上げました。これから先、貴女様の歩む道は果てなく、そして険しい。その道中で貴女様が真の『賢者』へと近づくにつれ、『悟りの書』の中に記されている契約方法も自然と見えて来る事でしょう」

 

「……それでは、この書物は……」

 

「それは、『賢者』である貴女様の物です。後世に伝えるにせよ、自らが編み出した呪文の契約方法を記すにせよ、貴女様が決めること」

 

 カミュの言葉通りだった。

 『悟りの書』と呼ばれる書物は、それを手にした瞬間、所有者はサラと決められていた。

 『悟りの書』を手にした者が『賢者』と転職できるのではなく、『賢者』と成るべく人間が手にするからこそ、その書物は『悟りの書』と呼ばれるのだ。

 

「『悟りの書』に記載されている呪文は、とても強力な物ばかりです。故に『賢者』様方は、それを書物の中へと封印し、世に出す事はありませんでした。古からの『賢者』様方が記された呪文は、魔族やエルフでさえも上級の者しか使用できない物も多い……」

 

「……」

 

「それは、世の均整を崩すとお考えになられたのでしょう。その呪文は『賢者』でなくとも、才能のある人間には契約が可能であるとおっしゃられていました。もし、貴女様が危険はないとお感じになられたのなら、先程の少女にも契約させてみるのも宜しかろうと」

 

 強大すぎる呪文を使う者は、その精神を問われる。

 強大な力は容易く『人』の心を闇へと落してしまうからだ。

 故に、古の『賢者』達は、その所有者を選別したのだろう。

 

 そして、何故か教皇は、その選ばれし者の中にメルエを加えた。

 そこで、サラは先程に教皇がメルエへと告げた『出直して来るが良い!』という言葉を思い出す。

 聞き様によっては拒絶にも聞こえなくはないが、出直す機会を与えたとも言えなくもない。メルエの心が成長し、その強大な力を制御する事が出来るようになった時には、彼女もまた『賢者』としての道を選択する事が可能なのかもしれない。

 

「……しかし……しかし、本当に私で良いのでしょうか? 私は、ルビス様の教えを破っています。この世界の有様を見て、恐れ多くもルビス教の教えに疑問を感じ、その教えに背いています」

 

「考え、悩み、そして答えを出す。それこそ『賢者』と呼ばれる所以です」

 

「……」

 

 今まで溜め込んでいた『恐怖』をここでサラは吐き出した。しかし、その『恐怖』はルビス教徒の頂点に立つ人間に容易く弾かれてしまう。

 それを見て、カミュは薄い笑顔を浮かべた。

 

「『賢者』とは賢き者と呼ばれておりますが、実際は賢くなるために考え、悩む者を言うのです。そして、様々な事象を見て、その考えに答えを導き出す。その者こそ『賢者』。貴女様もこれから先の旅路に様々な物を見て、考え、悩むでしょう」

 

「……わたしに何をお求めなのですか?」

 

 自分が『賢者』という枠に嵌めこまれてしまった事に、サラは喜びよりも恐怖を感じてしまう。それが、『期待』という感情を受けた事のない者の限界なのかもしれない。

 

「我々は、貴女様が拝聴したルビス様のお言葉を待つ身。どうぞ、この世界に暮らす生きとし生ける者を良き方向へとお導きください」

 

「生きとし生ける者?」

 

 もう一度、サラに向かって頭を下げた教皇の発した言葉の中の一語がサラの頭に引っかかりを生み出した。

 それは、サラがここまでの旅路で悩みに悩み抜いた事柄。故に、サラの瞳の中に先程宿っていた怯えがその姿を消した。

 

「はい。この世界で暮らす者ども、全てをです」

 

「それは……『エルフ』や『魔物』も含めてですか?」

 

 サラの質問に対する教皇の言葉に、サラは若干の怒りを含めて言葉を発した。その怒りの内容が理解できない教皇と、それを感じ取ったカミュは対照的な表情を浮かべる。

 

「はい。それ以外の生物も全てです」

 

「し、しかし! ルビス教では、『人』こそルビス様の子として教えられ、『魔物』や『エルフ』等は人外の者として忌み嫌われております。『魔物』に至っては、悪とさえ教えられているではありませんか!?」

 

 サラの叫びは、『慟哭』に近い物だった。

 実際、彼女は心の中で泣き叫んでいたのかもしれない。

 それ程、彼女にとって衝撃を受ける内容だったのだ。

 

「……それは、存じております。しかし、我々が崇める『精霊ルビス』様という存在は、生物に対し、格差をつけるようなお方ではありません。それは、貴女様もご存じの筈」

 

「な、ならば! 何故、『教え』は一方を悪としているのですか!?」

 

 跪いていた教皇は、サラの叫びにようやく腰を上げた。

 顔を上げたその顔は、『賢者』の誕生を喜ぶ好々爺ではなく、教皇のもの。

 それにサラは一瞬気圧された。

 

「……今の『人』の世界は大きくなりすぎました。その中には、熱心にルビス様を信仰する者もおりますが、そうでない者も多い。ルビス様にお仕えする『僧侶』という身でありながらも、本来のルビス様の教えを伝えない者も多くある。私も、この場所に辿り着くまでは、貴女様と同じ『教え』を信じておりました」

 

「そ、それは……」

 

 教皇の言葉に、サラは言葉に詰まった。

 本来のルビス教とは、遥か昔、まだ『人』という種族が『エルフ』に護られ、『精霊ルビス』との距離も近かった時、その光を信じる者達によって創設された物なのだ。

 全ての者に等しい慈悲を与え、その成長を見守る。そんなルビスの教えを信じ、自分達の守護者である『エルフ』に敬意を表し、畏怖に近い念を持ちながらも、『魔物』との生活圏の境界を設けた。

 それが始まりなのだ。

 

「今、下界で信仰されているルビス教は、もはや一人歩きを始めています。手を離れてしまった物を戻す事は不可能……」

 

「……そんな……」

 

 サラの胸に落ちて来たのは『絶望』に近い感情だった。

 ルビス教の頂点に立つ教皇が発した言葉は、『人』を見捨てるような物。間違った『教え』を信じ込み、猛進して行く『人』の行く末に光があろう筈がない。

 サラはそう感じたのだ。

 

「そ、それでも! それでも、人々にルビス様の本当のお心をお伝えするのが教皇様の使命ではないのですか!?」

 

 再び顔を上げたサラの瞳を見たカミュは、『またか』と溜息を吐きたくなった。

 今のサラの瞳は、感情によって理性を失った瞳。ここまでの旅路の中で何度か目にしたサラの瞳だった。

 このサラの特性とも言うべき性質は『賢者』となっても変わっていなかったのだ。

 

「……無茶を言うな……」

 

「カ、カミュ様!」

 

 そこで、ようやくカミュが口を開いた。ここまで、一切口を開く事のなかった、世界を救うと云われる『勇者』の登場に、サラの意識は方向転換する。

 

「……アリアハンを出た頃のアンタが、今の言葉を聞いて納得するのか?」

 

「……そ、それは……」

 

 勢い良くカミュに振り向いたサラの顔が、下へと落ちて行く。カミュの問いに、サラは即答できなかった。

 実際、あの頃のサラが、今のサラの意見を聞いたとしたら、その意見を発した者をも憎んでいただろう。それは、今自分に向かって言葉を発した青年が証明していた。

 思えば、サラが今発した物は、言葉こそ違えど、カミュが以前から洩らしていた物と意味は同じなのだ。それを『人』至上主義の教えを受けて育った人間に理解させる事は不可能に近い。

 

「『人』は弱いのです。『エルフ』のような魔法力もなく、『魔物』のような強靭さもない。我が身を護る為に、身を寄せるしかない。数が集まれば、それが強さとなる」

 

 言葉に窮する年若い『賢者』の表情を見て、教皇は静かに口を開く。

 それは、単体では動けない種族の哀しさを表していた。

 

「カミュ様も、そうお考えなのですか?」

 

「……それが『人』の生き方だ……」

 

 教皇の言葉に対し、悔しそうに唇を噛んだサラは、もう一度自分も強く信じ始めている『勇者』に向かって問いかける。しかし、その答えもサラの期待に応える物ではなかった。

 

「それでは……教皇様もカミュ様も、それが『人』の道だというのですか? 他種族への憎しみを抱いたまま間違った方向に進み、魔王の力に怯えて更にその憎しみを増長させながら滅んで行くのが『人』なのですか!?」

 

「それを神やルビス様が望むのならば……」

 

 サラの疑問に答えたのは、『人』の頂点と言っても過言ではない場所に立つ老人だった。

 もし、『人』を創りし神や、その保護を任された『精霊ルビス』がそれを望むのならば、致し方なしという答え。それにサラは目を剥いた。

 

「違います! 『人』はお二人が考えるよりも、強く、尊いものです! 『エルフ』や『魔物』に比べれば、歴史も浅く、魔法力も強靭な身体もありません。それでも、『エルフ』や『魔物』と同じ様にこの世界で生きて来たのです!」

 

「……アンタは……」

 

 強く、そして哀しく叫ぶサラの瞳は、先程と違い、しっかりとした炎を宿していた。そんなサラの瞳を見たカミュは、とても優しげな表情を浮かべ、薄く笑う。

 その変化を歓迎するように。

 そして、その強さに敬意を表するように。

 

「私は諦めません! この世界は……この世界は一つの種族の物だけではないのですから!」

 

「『賢者』様……」

 

 自分に言い聞かせるように、そして自分を奮い立たせるように、強く言葉を紡ぐサラを、教皇は眩しそうに見上げる。

 この『賢者』は先代とは違うのだと。

 もはや、『人』の世界に浸透した考えを正す事を諦めた自分とは違うのだと。

 

 先代の『賢者』も、『人』の行く末を憂いでいた。

 歴代の『賢者』も同じだろう。

 だからこそ、強力な呪文を封印したのだ。

 

「アンタは自分が何を言っているのか解っているのか?」

 

「……わかっています……」

 

 表情を少し緩めていたカミュの顔が真剣な物に変わって行く。

 そのカミュを見て、サラも冷静さを取り戻した。

 

「アンタが言っている事は、到底不可能な事だ。第一、『人』の繁栄を望むのなら、アンタの言っている『魔物』や『エルフ』といった他種族の繁栄は望めなくなる」

 

「始めから諦めていては何も出来ないではないですか!?」

 

 カミュが口にした一般論は、サラの感情論に掻き消された。

 『甘い』

 そう感じずにはいられない程の理想論。

 それでも、カミュの口元は知らずに緩んでいた。

 

「ならば、どうする?」

 

「か、考えます!」

 

 試すように問いかけるカミュに対する答えを聞いて、カミュはもはや笑顔を隠そうとはしなかった。

 おそらく、彼女はこれからも大いに悩み、苦しみ、考える事になるだろう。それは、ここまでの道程の比ではない。

 何せ、自分の心に悩んでいた今までとは違い、世界に生きる全ての者の為に悩むのだ。

 

 例え、彼女がルビス教の頂点と言っても良い『賢者』になったとしても、彼女の理想を実現する事は不可能だろう。

 一種族の専横を画策する『魔王バラモス』を打ち滅ぼしたとしても、彼女の理想の前に立ち塞がるのは、『人』が作りし国家であり、彼女が属していた教会である。

 いや、彼女が護ろうとする『人』全てかもしれない。

 

 おそらく、それはサラも理解しているのだろう。実現不可能であると知りながらも、前へ進もうとするこの女性が、カミュにはとても眩しく見えた。

 まず間違いなく、彼女の理想は砕け散るだろう。それでも、微かな望みは繋がれた。

 とてつもなく厳しい茨の道の先に、本当に小さな光が。

 

「……」

 

「私に出来る事など、些細な事かもしれません。それでも……」

 

「『賢者』様。我々に出来る事があれば、お命じ下さい」

 

 微笑を浮かべたカミュの視線を見て、サラは驚きと共に、自分に圧し掛かる重圧を再認識する。それは、再びサラの足元に跪いた教皇と、次期教皇の姿で更に強まった。

 そんなサラの表情の変化を見て、カミュの眉間にも皺が寄る。

 カミュの瞳は、先程の温かみを宿しながらも哀しみを感じさせる物になっていた。それは、サラの在り方に対するカミュの懸念の表れ。

 サラは、今の一言で、『人』である事を捨てたのだ。『人』を想い、それ以外の種族を想い、そして自分自身を捨てた。

 この時点で、彼女は本当の意味での『賢者』となる。偶像に近いそれは、『人』によっては都合の良い存在に成り下がる可能性も否定できない。

 それをカミュは憂いていた。

 

「まずは、ルビス様の下へ。この世界の各地に散らばる<オーブ>をお集めください」

 

「オーブ?」

 

 カミュの哀しみの瞳を見て、疑問を感じていたサラであったが、今後の方針を話し始めた教皇の言葉に、向き直る。聞いた事のない名を口にした教皇の意図が解らず、再度カミュへと視線を送るが、サラの視線を受けたカミュも静かに首を横に振った。

 

「はい。世界各地に散らばる六つのオーブがルビス様への懸け橋となります」

 

「……」

 

 カミュとサラは、言葉を発する事が出来なかった。ここまで教皇がはっきりと示唆するのであれば、それはルビス教には伝わっていない物。つまり、ルビス教の教皇となる者に受継がれている伝承なのだろう。

 

「『六つのオーブが集まりし時、その従者は甦る』と伝えられています。これはこの神殿で伝承されている物。下界の者は知らぬ事と思います」

 

「……ルビス様の従者……」

 

 カミュ達の予想通り、その話は<ダーマ神殿>にしか伝えられていない物だった。

 時代の『賢者』から教皇へ、そして教皇から次代の『賢者』へと受継がれて来た話なのだろう。ただ、誰一人、そのオーブという物を集め切った者はいないのかもしれない。

 ならば、歴代の『賢者』は如何にして『精霊ルビス』の下に辿り着いたのか。サラはその疑問を持ったのだ。

 この伝承を信じるのならば、『精霊ルビス』の従者を甦らせなければ、その下へ向かう事も出来ない事になる。ならば、何故今まで誰一人甦らせる事をしなかったのか。

 

「先代までの『賢者』様には、ルビス様の方からお声を掛けて下されたのだそうです。しかし、先代の『賢者』様に最後にお会いした時には、もはやルビス様のお声も届かぬようになってしまわれたとお話されておりました」

 

 サラの表情を見て、疑問の内容を感じ取ったのだろう。

 教皇は悲痛な表情を浮かべながら、『精霊ルビス』の現状を話し出す。

 

「……参上する他ないと言う事ですか……?」

 

「はい」

 

 教皇が苦しそうに吐き出した声を聞き、サラは全てを察する。口には出さぬが、『もしかすると、『精霊ルビス』様は<人>をお見捨てになられるのかもしれない』という想いが見え隠れしていた。

 ルビス教の頂点に立つ人間として、『精霊ルビス』という存在を疑う言葉を吐く事は許されない。故に、教皇は頭を下げて言葉少なに答えを返したのだ。

 その心を理解したからこそ、サラは無言で頷き返した。

 

「……行くぞ……」

 

 二人の会話が終止符を打った事を確認したカミュが踵を返す。

 それに返答を返したサラも祭壇を下りて行った。

 

「待たれよ」

 

 そんな二人の背中に声が掛かる。その声の主である教皇の言葉は、サラが『賢者』となる前の口調に戻っていた。それが、教皇が声を掛けた相手を示している。

 

「……何か?」

 

 ルビス教の頂点に立つ『賢者』ではない存在。

 それは、この場所ではカミュしかいない。

 それが解っているからこそ、カミュは振り返った。

 

「これを持って行くが良い」

 

「これは?」

 

 祭壇を下りてきた教皇の手には一冊の書物。いや、書物というよりは二枚程の紙を纏めた物と言ったほうが正しいかもしれない。

 瞬間的に何を差し出されたのか理解できなかったカミュは、教皇へと視線を向けた。

 

「これも、教皇から教皇へと受継がれてきた物。お主が誠の『勇者』なのならば、これが役に立つじゃろう」

 

「勇者のみ使用可能な魔法……」

 

 教皇の言葉を聞き、呟きを洩らしたのはサラ。ここまでの道程で、カミュはいくつかの特別な魔法を行使してきた。

 一つはロマリア城に保管されていた物。

 もう一つは、イシス城に保管されていた物。

 そして、今、この聖地ダーマに受継がれて来た物をカミュは受け取ったのだ。

 

「……有り難く頂戴いたします……」

 

「うむ。お主達の旅は、更に過酷になるじゃろう。気をつけて行かれよ」

 

 教皇から書物を受け取ったカミュは、一度頭を下げる。

 教皇はカミュの姿を見て頷いた後、その横にいるサラへ深々と頭を下げた。

 顔を上げた教皇と瞳を合わせたサラが頷き返す。

 

 長い謁見は終わった。

 

 

 

 世界を救うと云われる『勇者』

 『人』を救うと云われる『賢者』

 その二人が同じ道を歩み始めている。

 今はまだ、とても小さく頼りない光。

 しかし、それはいずれ世界を照らす光となるだろう。

 

 誰もいない広間で、教皇は一人祈りを奉げていた。

 世界の平和を願い。

 生きとし生けるものの幸せを願い。

 そして、その希望の安全を願い。

 

 陽も落ち、広間にも闇の支配が広がっていく中、跪き、祈りを奉げる教皇を、優しい月明かりだけが照らしていた。

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

本年最後のお話となります。
この後に、勇者一行装備品一覧がありますが、このサイトに移動してきて丸二か月以上。
ここまで読んで頂き、温かなお言葉を頂けた事、本当に感謝しております。
本当にありがとうございました。
皆様、良いお年をお迎えください。

ご意見、ご感想を心からお待ち申し上げています。

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