新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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イシス城②

 

 

 

 現<イシス>女王であるアンリは、目を瞑り、話を聞いていた。

 その胸の内に渦巻く葛藤と闘いながら。

 男達が話している最中に喚くような声を上げる祖母を、近衛兵に命じて黙らせ、如何に自分達の罪を軽くしようかを考えたような男達の話を静かに聞いていた。

 

「……話はそれだけか?」

 

 アンリは男達の声が途切れて、暫しの時間が過ぎてから、ようやくその双眸を開く。その瞳の中にある光は、<ピラミッド>へ向かう前にカミュ達と謁見した時の物とは全く違う物であった。

 何かに怯えるようなものでもなく、何かに絶望しているものでもない。

 それは、王の威厳に満ちた瞳。

 

 その瞳が、男達の後ろに控える四人の旅人を射抜く。

 一番前に跪くカミュと名乗る『勇者』。

 そして、今回は最初からその『勇者』を護るように隣に跪き、その小さな手でマントの裾を握った少女がいる。

 その少女は、他の人間と違い、真っ直ぐ自分の瞳を見つめていた。それこそ、一国の王であるアンリであっても、その者を傷つける事は許さないとでもいうような宣言にも見える。

 その姿にアンリは、少し瞳に宿る光を緩めた。

 

 

 

 カミュは、<ルーラ>でイシスの町の中へと入った後に、突如倒れた。

 あれ程の怪我をし、サラの<ベホイミ>によって、傷は塞がれたといえども、血液が圧倒的に足りなかったのだ。その上で、戦闘を繰り返し、そして走った。

 その連続した行動が、カミュの身体を確実に蝕んでいたのだ。

 

「…………カミュ…………」

 

 先頭を歩いていたカミュが、町に入った途端、糸が切れたように倒れたのを見て、真っ先に駆け寄ったのは、リーシャの手を握っていたメルエだった。

 『自分の中の絶対的強者が倒れる』

 それはメルエに、<ピラミッド>内で感じた絶望を再び思い起こさせるものだった。

 

「カミュ!」

 

 メルエの動きに気が付き、遅れて駆け寄ったリーシャが、サラを呼ぶ。

 カミュの下に駆け寄ったサラが診察をした結果、貧血によるものであろうという結論が出た為、とりあえずは宿屋で休み、回復を待つ事となった。

 宿屋の一室までリーシャがカミュを運ぶ際の序列は、先頭を歩くサラ、その後ろを二人の盗賊、そして、その盗賊を警戒するように最後尾をリーシャが歩き、その横をメルエが歩いた。

 

 一度、カミュが倒れたどさくさに紛れて逃げ出そうとした一人の男に気が付いたリーシャがメルエに指示を出したという経歴がある。

 その際にメルエの<魔道師の杖>から発生した<メラ>の火球の大きさに、男達は逃げ出す気力すらも削がれていたのだ。故に、最後尾を歩くリーシャの横で、杖を向けて歩く幼い少女に、男達は怯えながら宿屋への道を歩いていた。

 

「…………カミュ…………」

 

「ふふっ。大丈夫ですよ、メルエ。カミュ様も、目が覚めた後に、しっかりと食事を取れば元気になります」

 

 ベッドに横たわるカミュを心配そうに覗き込むメルエの姿にサラの頬は緩み、安心させる為にカミュの状況をメルエへと伝える。サラの言葉に、視線をサラに移し、ゆっくりと頷いたメルエではあったが、結局カミュが目覚めるまで、その場を離れようとはしなかった。

 結局カミュは一晩眠り続け、その為、リーシャが一晩眠らずに盗賊二人の監視を続ける事となる。

 野営等の見張りでは、何度か夢の世界に旅立っていたリーシャではあったが、この日はその鋭い瞳が閉じられる事は一度もなかった。

 

 

 

 そのような経緯があり、メルエはカミュの傍を離れようとはしないのだ。

 メルエの心には、<ピラミッド>内でリーシャに告げられた言葉が残っていた。

 

 『カミュが瀕死の怪我を負ったのは、メルエの責任だ』

 

 自分の行動が起こしたカミュの現状。

 それがメルエの責任感を生んでいた。

 

「……ふっ……心配せずとも良い。そなたの大事な者に危害を加えるつもりはないぞ」

 

「…………」

 

 少し表情を緩め、言葉をかけるアンリは、メルエが暫し時間をかけて頷いた事を確認すると、その表情を再び引き締めた。

 

「……今の話に相違はないか?」

 

 表情を引き締め、王としての顔になったアンリに、側近達は若干の驚きを表す。この数年、何かに諦めたように淡々と話をするアンリしか見た事はないのだ。

 今のアンリが放つ威厳は、正しく王そのもの。

 その威光に、側近達は威圧されてしまっていた。

 

「な、何を言う!……じょ、女王は、この国を支えて来た老臣を疑うのか!? それも、このようなどこの馬の骨とも知らぬ者達が連れて来た、盗賊の様な者達の話を!」

 

「……応か否かを問うておる……」

 

 近衛兵に取り押さえられながらも、アンリへと反論を始めるが、その言葉を静かに聞いていたアンリが再び口を開いた時、老婆はこの女王が既に傀儡ではない事に気付いた。

 

「ア、アンリ……まさか、この私を本気で疑うておるのか?」

 

「……」

 

 不安になった老婆は、言葉を擦れさせながらアンリへと問いかけを発するが、それに対しても、アンリは鋭い視線を向けるだけで何も言わない。

 謁見の間に緊張が走る。

 全ての者達に、この場での発言権は認められていなかった。

 今、この場で口を開いて良い者は、アンリとその祖母である老臣だけなのである。

 

「こ、このような事、許される事ではないぞ! この国の者ではない旅人が連れて来た盗賊の様な卑しい身分の者達の言葉を信じ、国の忠臣を排斥するなど、女王は正気を失ったと人心は離れる事になるぞよ!」

 

 自分を排斥する事で起こり得るデメリットを懸命に説く老婆であったが、アンリはその言葉を聞いていないかのように、静かに瞳を閉じた。

 

「このような事を許すのであれば、この国の秩序は乱れ、いずれ崩壊に……!!!!」

 

「……お祖母様……妾が何も知らないとでも?」

 

 再び口を開いた老婆の言葉は、途中で遮られた。

 他でもないアンリの言葉に。

 

 そして、そのアンリの行動は、この謁見の間にいる人間全てに驚愕の表情を浮かべさせるものであった。

 アンリは、祖母である老婆の目の前に立ち、その言葉を遮ったのだ。

 誰も、アンリが玉座を立ち上がった姿を認識出来ていなかった。

 それこそ、顔を上げて一部始終を見ていたカミュやリーシャであってもだ。

 

 カミュやリーシャはこの謁見の間にいる人間の誰よりも戦闘経験が豊富であり、その相手も人間の能力を遥かに超えた魔物である。

 魔物が生み出すスピードを目で追い、攻撃や防御をしてきた二人ですら認識出来ない程の速さ。それは、時を止めてしまったのではないかと思う程のものだった。

 

「……ア、アンリ……」

 

 カミュ達と同じように驚愕に彩られた表情を浮かべた祖母が、アンリを見上げる。

 そこに居たアンリの瞳に浮かぶ物は、『哀しみ』と『決意』。

 それは相反する物でありながらも繋がって行くもの。

 

「……」

 

「!!!!……そ、それは……」

 

 祖母を見下ろし、何も言葉を口にすることなく、アンリは自分の背に掛るマントを払い、着ている服の袖を二の腕付近まで一気に捲り上げた。

 そこにあったのは、金色に輝く一つの腕輪。

 カミュ達が<ピラミッド>内で見た、<イシス>の国宝が入っていた宝箱の装飾よりも凝った物が彫られているそれは、太陽の光を受け、この謁見の間を眩く照らし出すが如く輝いていた。

 そして、その腕輪の中央に彫られている物は、イシス国の紋章。

 

「……この腕輪が妾の腕にあるという事が何を意味するのか……それが解らぬお祖母様ではあるまい」

 

 二の腕に輝く金の腕輪を見せていたアンリの言葉は、未だに祖母を気遣う節のあるものだった。

 自分の呼称に謙ったものを使用している部分にそれが見受けられる。

 

「……ど、どうやって……それを……」

 

「……母上から……先代女王から妾が受け継いだのじゃ」

 

<星降る腕輪>

それこそが、<イシス>王家に伝わる表向きの国宝。王位を継承する際に、先代女王から受け継がれる物。先代の女王が突然崩御した場合などは、遺骸となったミイラの棺の前で、継承の儀式を行い、嫡子が王位を継承した証としてその腕に身につける事になっていた。そして、それは唯の宝飾品ではなく、絶大な付加価値を持っている。身に付けた者の「すばやさ」を天突く程に上げ、通常の人間では目で追う事の出来ない程の速度での行動を可能とするのだ。しかし、その効力を発揮するのも、王家の血がその腕輪と共鳴する為であり、王家以外の人間には唯の宝飾品と化してしまうという物である。

 

「……そんな馬鹿な……」

 

 祖母は認められない。先代女王が死んだ時、その腕輪を真っ先に探した。

 しかし、先代女王の腕になかった為、先代女王の部屋の隅々まで探し、それでも見つからない事から、娘であるアンリの部屋もアンリの身の回りも全て探し尽くす。

 それでも発見出来なかった為、この高位の文官であった祖母は、『殺害を依頼した盗賊が盗んで行ったのだ』という結論に達していた。

 つまり、今、謁見の間にて縛り付けられている盗賊達が追われていた追手には、『口封じ』という目的の他に、『<星降る腕輪>の奪還』という使命もあったのだ。

 

「……母上は……先代女王は、お祖母様を一番信頼しておった。故に、お祖母様を常に傍に置いて置く為に『相談役』という職を与えたのじゃ。女王の責務は、あの偉大な先代女王をも苦しめ、蝕んでおった」

 

「……あ……あああ……」

 

 この先代女王の義母であり、現女王の祖母である女性が、その義理の娘の殺害を企てた最大の理由が、今アンリが話し始めた事だったのだ。

 

 文官として長く<イシス>の国政に携わって来たこの女性は、<イシス>国内で一番の知識とそれを生かす才能を有していると自負していた。故に、女王からの信任も厚く、自分の息子を女王の夫とする事も出来たのだと。

 しかし、息子である女王の夫が早くして病死した頃から様相に変化が見え始めた。

 自分の能力と知識で女王の信任を受け、この地位まで上り詰めたという自負がある女性と反し、周囲の人間は『息子を出汁にして、女王に擦り寄り、権勢を有した浅ましい者』としか映っていなかったのだ。

 

 故にその息子の死は、周囲の側近達の動きを活発化させる。

 後添えに自分の息子を押す者。

 ここぞとばかりに、女性を扱き下ろす様なことを女王に吹き込む者。

 当初は、そのような事を鼻で笑って、気にも留めなかった女王であったが、日増しに増え続ける周囲の人間の言葉に、遂に女王は動かざるを得なくなった。それが、この女性の中では『裏切り』に映ったのだ。

 自分が懸命に仕えて来たこの十数年の時間は、女王にとって何の意味も見出す事の出来ないものだったのだと……

 

「……母上は、妾にお祖母様を恨むなとおっしゃった。お祖母様程、この国を憂い、この国を想っている臣下はおらんと……」

 

「……じょ……女王様……」

 

 もし、本当にアンリが先代女王の魂と会話をしたとするならば、自分はあの頃の側近達が噂していた通りに、浅ましく、汚らしい人間に間違いはない。

 先代女王の義母であるこの女性は、毅然として自分を見下ろすアンリに先代女王の姿を重ね始めていた。

 

 『相談役』に任命された時、『政務の場所から追いやられた』と感じた。

 その為、それ以降、何かを話したそうに女王の部屋へと自分を呼び出す女王の命を、理由を付けて断り続ける事となる。最後の方には、女王自ら義母の部屋に訪ねて来たが、それも仮病を使い、顔を見る事もしなかった。

 しかし、アンリの言う通りに女王が考えていたとすれば、この国の行く末を義母と話し合い、方向性を見出そうと考えていた事になる。

 

「……だが……明るみに出た以上、妾の胸に留めておく訳にはいかん。お祖母様……イシス国王である先代女王の殺害を企て、自らの手を汚してはいないとはいえ、実行の首謀者である以上、それは大罪……」

 

「……」

 

 祖母をじっと見下ろし、口を開いたアンリの言葉は、誰一人口を開く事のない、静けさに満ちた謁見の間に響き渡った。

 罪状を説き、一度瞳を閉じたアンリが言葉を途切る。

 再び開いたアンリの瞳には、もはや『哀しみ』は残っていなかった。

 あるのは、当代女王としての威厳に満ちた光。

 

「……そなたに、死罪を申しつける!」

 

 『決意』と共に告げられた、老婆の処断。

 それは、イシス国で最も罪深き者が告げられるものであった。

 謁見の間に暫しの静寂が広がる。

 心地よい静けさではない。

 誰もが固唾を飲み、緊迫に張りつめた静寂。

 

「……謹んで……お受け致します……」

 

 緊迫の細い糸が切れてしまうのではないかと皆が感じ始めた時、孫娘の瞳を見ながら老婆は静かに口を開き、当代女王に向かって深々と頭を下げた。

 孫娘の瞳に宿る想いを理解し、自分が今、何をするべきなのかを悟ったのだ。

 元々、女王の信を一身に背負った程の高官である。まだまだ幼いと思っていた孫娘の成長を目にし、冷静さを取り戻した時、自分が成すべき事を理解し、それを飲み込んだ。

 自らの犯した罪を認識し、己が愛した国を託すに値する程の孫娘の成長に涙する。

 

 悔いは残る。

 悔やんでも悔やみきれない。

 それでも、老婆は全てを受け入れた。

 

「……但し、その亡骸はミイラとし、<ピラミッド>に安置するものとする。今この時より、他国の者が<ピラミッド>に入る事を固く禁ずる! 我が<イシス国>の礎を築いて来た者達の眠りを妨げる者は、如何なる者であろうと許さん。良いな!」

 

「……ア、アンリ……」

 

 繋げられたアンリの言葉に、もはや近衛兵の拘束も外された老婆は涙する。先代女王の殺害という、許されない大罪を犯した祖母を、<イシス>の礎を築いた者として扱っているのである。

 自らの母親を殺した人間なのにも拘わらず。

 

 余談になるが、先代女王の時代は、他国の者ばかりか、イシス国民であろうと、王家の人間以外は<ピラミッド>へ入る事を許されてはいなかった。

 故に、この地に<魔法のカギ>を求めて訪れた『オルテガ』は、<ピラミッド>の立ち入り許可を得られず、<魔法のカギ>を手にする事は叶わなかったのだ。

 

「アンリ……いえ、女王様……一つお願いが……」

 

「……なんじゃ?」

 

 近衛兵に抱え上げられた老婆は、自分の足で謁見の間にしっかりと立ち上がってから、涙で濡れる瞳をアンリへと向け、口を開いた。

 

「……私が言う事の出来る物ではありませんが……この国を……イシス国をお願い致します」

 

 言葉の通り、自分の思い通りに作り変えて来た老婆にそれを言う資格などない。しかし、この老婆が悪役に徹しきれていない部分が確かにあったのだ。

 先代女王は、国を想う一番の人間として、この老婆の名を挙げた。

 その理由は、この老婆が、国民から搾取した税や、<ピラミッド>の通行料として取った物、そして闘技場等での利益金などを全て国庫に入れていた事からも解る。決して私腹を肥やす為ではなく、国の蓄えとして保管されていたのだ。

 魔王登場で疲弊する世界の中、それの討伐へと向かうアリアハンという国が送り出した英雄への援助に始まった国庫からの支出。その討伐が不発に終わり、世界は再び魔物の脅威に落とされた。

 そんな中、魔物に親を奪われた孤児達の養育費は全て国庫から捻出されていたのだ。

 <イシス>の町では、皆重税に苦しんではいたが、アリアハンのようなスラム街はない。皆全て等しく生活が出来ているのだ。苦しいながらも生きて行く事は出来る。

 それが良い事なのか、否かは別としても、国民が絞り出した血税は、国民の為に使用されていた事だけは確かである。

 それを、アンリは知っていた。

 

「……ふっ、誰に物を申しておる? 妾は歴代の女王の中でも五指に入ると云われた先代女王の娘であり、イシス国始まって以来の賢者と謳われた文官の孫であるぞ?」

 

「……うぅぅ……は…はい……」

 

 もはや、老婆の口から言葉は出て来ない。

 様々な想いが渦巻き、胸を締め付けているのだ。

 アンリは、小さくなった祖母から視線を外すように一度目を瞑る。

 そして、何かを振り払ったように瞳を開いたアンリの口から言葉が漏れた。

 

「……お祖母様……さらばじゃ……連れて行け!」

 

 アンリの言葉に涙を流し、何度も頷いた老婆を一瞥し、別れの言葉を発した後、アンリは近衛兵に命じ、祖母の退席を指示する。退席を命じられた祖母は、名実共に『イシス国女王』となったアンリを眩しげに見上げ、一度深々と頭を下げた後、謁見の間を辞した。

 残った者は、誰一人口を開く事など出来ない。

 今まで、この国を牛耳っていた者の罪の暴露。

 それは、側近達の心に大きな穴を空け、自分を見失っていたのだ。

 唯一人、カミュ達に<ピラミッド>の謎を伝えた人間だけが、その老婆の後ろ姿を複雑な表情で見送っていた。

 彼女は、オルテガに救われたとはいえ、一家の大黒柱を失っている。その為、生活は貧しく、母の手だけでは、娘一人育てられない状況に陥っていた。

 そんな中、救いの手が伸ばされる。それこそ、先代女王が崩御し、混乱を極める<イシス>の国でその手腕を最大限に発揮し始めたあの老婆なのだ。

 

 初めは気がつかなかった。新女王が孤児や、魔物により働き手を失った者達へ援助を決定したのだと思っていた。

 その恩返しという理由もあり、宮廷での士官を志す事となる。だが、宮廷内に入った時、その中の様子は、彼女の考えていた物とは違っていた。

 傀儡という事が一目でわかる女王。

 権勢を想うがままにするその祖母。

 彼女は、自分の恩人がその祖母である事に、複雑な想いを持っていた。

 

「……さて……残るは、お前達の処遇じゃな……」

 

「!!」

 

 そんな周囲の人間を無視し、振り向いたアンリの顔は、厳しいものだった。

 その表情に、びくりと身体を震わせた二人の男は、視線を後ろにいるカミュへと向ける。

 『俺達は約束を守ったぞ』と。

 

「……恐れながら……」

 

「よい! そなたの言う事は解っておる」

 

 溜息を一つ吐いたカミュが口を開くや否や、アンリがそれを遮った。

 その口調は穏やかではあるが、瞳に宿る光はとても厳しい物であった。

 

「お前達の内、王家の秘宝が入った宝箱を開けたのはどちらじゃ?」

 

 突如口を開いたアンリの言葉に、最初は何を言っているのか理解出来なかった男達であったが、その内容を理解した後、男の内一人が手を挙げた。

 

「……そうか……では、その秘宝自体を最初に手に取った者はどちらじゃ?」

 

 続いたアンリの言葉は、謁見の間にいる人間全てを混乱に陥れる。

 何故、今そのような事を聞くのか。

 それが誰にも理解できなかった。

 そして、内容を理解した男達の内、先程宝箱を開けたと手を挙げた男とは別の男が手を挙げる。それを確認したアンリは、一度目を瞑り、そして口を開いた。

 

「……わかった……お前達が犯した罪は、このイシスを包む砂漠の砂よりも深い。その大罪は、死をもって償う以外ない」

 

「!!」

 

 アンリの言葉は、静かな謁見の間に響き渡る。

 男達には、もはや反論する気力は萎えていた。

 アンリの威光に委縮してしまっていたのだ。

 実際は、何度も逃亡を企てた。

 <ピラミッド>から出た時。

 町に入った時。

 

 しかし、そのどれも実行が不可能だった。

 <ピラミッド>から出た彼等に待っていた物は、数え切れぬ程の魔物。カミュの<ルーラ>でなければ、そこからの脱出は不可能であり、彼等はイシスの町に来る以外はなかったのだ。

 そして、町の中での逃亡は、彼等が最も見下していた幼い少女によって阻まれる。その強力な魔法を持ってすれば、自分達等、すぐにでも灰と化してしまう事を知ったのだ。故に、そこでも逃亡は成功しなかった。

 

「……だが、お前達の話が、このイシス国を解放に向かわせた事も事実……よって、イシス国内の永久追放を申し渡す。今後いかなる理由があろうとも、イシス国内に立ち入る事を禁ずる。この謁見の間を出た瞬間から、二度とこのイシスの城及び、町への立ち入りも禁ず」

 

「!!……ほ、本当か!? 約束する。もう二度とこんな国には来ねぇよ!」

 

「お、おれも誓うぞ!」

 

 アンリの言葉を最後まで聞き終わった二人の男は、何度も首を縦に振った後、アンリが発した退席の命に従い、跳ねるように謁見の間を出て行った。

 そして、残るはカミュ一行だけ。

 

「じょ、女王様。お言葉ですが、あの者達を捨て置く事は、この国の為になりません。先代女王の殺害など、前例のない程の大罪。それを咎めもせずに国外に出すなど、イシスの沽券に係わります」

 

 静けさが支配する謁見の間で初めに口を開いたのは、あの女官であり、アンリを呼びに来た者である。アンリの祖母が決定した施策により命を拾われ、イシス国に全てを捧げる事を誓った者。

 しかし、国を憂うその言葉は、続く女王の言葉で砕かれた。

 

「……よい……いずれにせよ、あの者達は、このイシスを出る事など出来はしない。いや、イシスの町から幾ばくも離れる事など出来ぬであろう」

 

「……ど、どういう事ですか?」

 

 毅然とした女王の話の内容が掴めない。

 聞き返した女官に向かって、アンリは若干表情を緩めた。

 

「……あの秘宝には、王家の呪いがかけられていると言い伝えられておる。その秘宝が納められている箱を開けた者と、秘宝を手にした者には呪いが及ぶとな。その内容は詳しく伝えられてはおらぬが、王家の『護り人』の怒りを買い、魔物を呼び寄せてしまう呪いという事だ」

 

「!!」

 

「……ふむ……そなた達には、何か覚えがあるようじゃの?……そなた達の中に秘宝を手にした物はおるのか?」

 

 アンリが語る『王家の呪い』の内容に、カミュ達全員が驚き、一斉に顔を上げてしまう。その様子に、アンリは一行の中にその秘宝を手にした物がいるのかを尋ねた。

 恐る恐る手を挙げたのは、サラ。そしてそれに遅れるようにメルエも手を挙げた。

 実際、もう一つ<魔法のカギ>と呼ばれる秘宝もあるのだが、アンリの言う『呪い』の内容が起こり始めたのは、黄金に輝く鉤爪に触れてからであった為、カミュは沈黙を通し続けた。

 

「……そうか……そなた達二人は、その秘宝に触れた後、この場に持って帰って来たのか?」

 

「…………」

 

 呪いの内容に恐怖したサラは、言葉を出せず、全力で首を横に振る。元々口数の少ないメルエは、いつものように否定を表す為にゆっくり首を横に振った。

 

「…………もどした…………」

 

 首を振った後、その秘宝への対処をメルエが口にする。直答を許されていない場面での発言にリーシャは驚くが、女王であるアンリの瞳は柔らかな光を湛えていた。

 

「……そうか……ならば問題はなかろう。手に取っても、それを元に戻した場合、その者達の呪いは解かれる。戻した者が別の者であった場合は、その者の呪いが解かれる事はないがな……」

 

 つまり、落ちていた秘宝を手に取ったメルエは、箱に戻す際にサラに手渡したとはいえ、共に箱に戻し、蓋を閉めた。しかし、あの盗賊達は、盗み出す目的で取り出し、『護り人』達の怒りを買った為、その秘宝を取り落とし、元に戻す事は出来なかったのだ。

 故に、彼等に対する『呪い』はまだ活きていると言うのである。

 確かに、一度は土に還って行った『護り人』達が再度登場したのは、あの盗賊達が合流してからという事になる。

 何とも微妙な線引きではあるが、もし、カミュ達がこのイシスの町を出た際に魔物の大群が待ち受けていなければ、『呪い』は解かれたと言っても良いのだろう。

 しかし、もしそれが事実だとすれば、あの盗賊達の末路は相当に悲惨なものとなる。

 逃げても逃げても現れる大量の魔物。

 立ち向かうには数が多すぎ、逃げるには限がなさすぎる。

 古代のイシス王家もとんでもない『呪い』を残したものだ。

 

「……そなた達には、礼を言う。このイシスを長き眠りから覚まさせてくれた事を。本日はこのイシスでゆっくりと休むが良い」

 

「……ありがとうございます……」

 

 再び玉座に戻ったアンリは、カミュ達一行に労いの言葉をかけ、本日の宿泊を認めた。しかも、それは、イシスの町の宿屋ではなく、このイシス城の客間でという申し出だ。

 それは、旅の者としての扱いではなく、イシスの国賓としての扱いに等しい。

 畏れ多いその言葉に、カミュは遠慮をする事を失礼と考え、素直に頭を下げた。

 カミュが頭を下げた事により、その隣に跪くメルエもまた小さく頭を下げる。その様子に、アンリの表情は優しい物へと変わって行った。

 しかし、メルエは気付いていた。

 頭を下げる前に見たアンリの瞳が潤んでいる事に。

 まるで泣く事を必死に我慢するような、そんな気高い姿がメルエの心に焼き付いて行く。

 

「……カミュとやら……そなたに話したき事がある。陽が落ちた頃、我が部屋に参られよ」

 

 そしてリーシャは聞いていた。

 跪き、頭を下げるカミュの横を通り過ぎる時に呟いたアンリの言葉を。

 それは、逢引の約束。

 いくらアリアハンの掲げる『勇者』といえども、一国の女王と行って良い物ではない。

 『はっ』と顔を上げたリーシャは、去りゆく女王と視線が合ってしまった。

 この世と思えぬ程の美貌を持つ女性。

 『この女性にかかれば、如何に人間味の少ないカミュも虜になるのではないか?』

 『そして、旅をここで終えてしまうのではないか?』

 そんな疑惑がリーシャの胸に残った。

 

 

 

 イシス砂漠の西に太陽が沈み、城内を暗闇の支配が始まった頃、夕食を取り終え、湯浴みを終えたカミュが謁見の間から左に入った所にある階段を上り、一つの部屋の前に立っていた。

 軽いノックの後、返答もなくドアが開く。

 ドアを開いたのは、この部屋の主であり、この国の主でもある女王アンリその人であった。

 

「よう来た。さあ、誰かに見られぬ内に中へ入れ」

 

 アンリの言葉に導かれるようにカミュは中へと入って行く。部屋には、数多くの花々が飾られており、むせ返る様な花の匂いが部屋を満たしていた。

 

「本来ならば、従者がここで寝泊りをするのだが、今宵は下がらせた。これで、心おきなくそなたと話が出来る」

 

「……私のような者に、どのような話が……」

 

 部屋へとカミュを誘った後、部屋の扉に鍵をかけ、自らは中央に位置する場所に置かれているベッドへと腰かけた。

 どこに行けばよいのか判断し辛いカミュは、アンリの対面に立ち尽くしている。

 

「ふっ。そう身構えなくとも良いではないか……ふむ……まずこれをお主に」

 

 薄い笑みを浮かべたアンリは、ベッドの脇から何かを取り出し、カミュへと手渡す。それを受け取る為に一歩前に出たカミュは、手渡された物に驚いた。

 

「……これは……」

 

「それは、このイシスに古来より受け継がれてきた物じゃ。そなたが真の『勇者』であれば、これも役に立つじゃろう」

 

 アンリがカミュに手渡した物は、一冊の書物。

 それは、ロマリアでカミュが持ち出した物と同じものだった。

 書物といえど、ページは二枚しかない簡素なもの。

 古の『勇者』が残した魔法の契約書である。

 

「……このような物を……」

 

「よい。この国にあったとしても無用の長物じゃ。そなたが手にした方が使い道もあろう」

 

 カミュは、手渡された物が、各国が保有する現存の魔法書の中でも希少性が高い物だという事を理解し、驚きに顔を上げるが、アンリはそれに対して首を一つ横に振る事で答えた。

 

「……そのような物の事はどうでも良い。妾は、そなたの事を聞きたい」

 

「……私に女王様を喜ばせる話など出来はしませんが……」

 

 女王の言葉に珍しく困惑を表すカミュの表情にアンリは少し表情を緩ませる。それが、カミュにとっての辛い会話の始まりだった。

 

「……まぁ、良い。では、問おう。そなたの瞳には、『絶望』と『諦め』が今も尚宿っておる。それでも前に進むのは何故じゃ?」

 

 女王の問いかけは、カミュの予想を大きく違えていた。

 しかし、その問いかけの内容は理解が出来る。

 カミュ自体、己の胸の中にある感情は知っているのだ。

 それでも、カミュはそれに答えるつもりはなかった。

 

「女王様のお言葉の……」

 

「逃げ口上はなしじゃ。真剣に答えてください……」

 

 カミュは驚いた。

 アンリの最後の言葉は、今までの様な口調ではなかったのだ。

 年相応のカミュと同年代の女性のもの。

 今日、玉座に上り、謁見の間に広がる光景を見た時、アンリは『覚悟』を決めたのだ。

 真の女王となるべく、その態度を毅然とした物へと変え、そして前を向いた。

 

「……そなたは……そなたの瞳に宿っている物は、変わりつつある。それは何故です?……何の為に、何を想って、そなたは前を向こうと決めたのですか?」

 

 カミュはアンリの姿を見て、視線を落とした。

 暫しの静寂の後、カミュは口を開き、言葉を溢す。

 

「……わかりません……」

 

「そのような言葉……!!!」

 

 カミュの言葉に、自分の真剣さが伝わらなかったのかと怒りを露わにしようとするアンリの瞳に映ったのは、唇を噛み、悔しそうに俯く一人の青年だった。

 それが意味するもの。

 それは、アンリの問いを真剣に受け止め、考え、それでも自分の変化の理由が解らないという意思表示に他ならない。

 

「……そうですか……」

 

「ただ、女王様がおっしゃるように、私が少しでも変わったとしたのなら……それは、身近にいる人間の変化を目の当たりにしたからかもしれません……」

 

 残念そうに俯き、ベッドのシーツを強く握ったアンリの耳に絞り出すようなカミュの声が聞こえた。

 それは、彼なりに考えた結果の答え。

 それが、アンリの顔を勢い良く上げさせた。

 

「……そなたの瞳には、若干の『希望』も含まれています。それが、そなたの中の変化に繋がっているのか……それとも、そなたの未来を表しているのかは解りません」

 

「……」

 

 カミュは押し黙った。

 自身の胸に生まれ始めている物。

 それに、カミュは気付かないようにして来たのだ。

 『死』という明確な最後が見える旅。

 そこに迷いを生む可能性をカミュは気付いていた。

 

「そなたは、今、前を向いて歩いていますか?」

 

 アンリの表情はとても優しい。玉座に座っていた時のような張りつめたものでもなく、以前見たような全てに諦めたような生気のないものでもない。

 とても慈愛に満ちたその優しい笑みにカミュは暫し見とれてしまう。

 

「……わかりません……」

 

「ふふふっ。そなたは全て『わかりません』ですね」

 

 アンリの問いに先程と同じ答えを繰り返すカミュ。しかし、その答えにアンリは、先程とは異なる微笑みを浮かべている。

 整った絶世の美女の微笑みは、薄暗い部屋を明るく照らし出すような綺麗な微笑みだった。

 

「……本日、そなたの隣に幼い少女が控えていたのに気が付いていますか?……あの者の名は?」

 

「……メルエと申します……」

 

 微笑みを浮かべたまま、少し話題を移動したアンリにカミュは完全に飲まれていた。

 例え女性であろうが、国の要人であろうが、気後れする事のないカミュがペースを乱されている。

 もしかすると、カミュは女王という存在に弱いのかもしれない。

 

「……メルエ……素敵な名。メルエはそなたを護っていました……私やその他の外敵から……彼女が何故、そなたを護ろうとしていたのか。それが、そなたの中にある迷いを晴らしてくれる物となるのかもしれません」

 

「……」

 

 カミュは心底驚いた。アンリの言葉は、種族こそ違えど、アンリと同じ女王としての立場を持つ女性が発した言葉と同じものだったのだ。

 

「そなたは私と違い、色々な場所で、色々な物を見て行くのでしょう。できれば、再びこの地を訪れてほしい……そして、『魔王討伐』という使命を果たし、その迷いも晴れたのならば、この地で……共に暮らしてはもらえないだろうか」

 

「!!」

 

 今度こそ、カミュは息が止まる程の驚きを見せる。常に表情に感情を出さないカミュが、誰でも解る程の驚愕の表情を見せたのだ。

 それもその筈であり、アンリの発したその言葉は、求婚の言葉。

 それも、ロマリアの王女が発したような打算に満ちたものではない。その証拠に、俯いたアンリの褐色の肌は、暗がりでも解る程に赤らんでいるのだ。

 

「……何故?」

 

「わ、わかりませぬ!……ただ……色々な場所に行き、色々な物を見て、そして変わって行くそなたを見て行きたい。そなたの瞳の色がどのように変わって行くのかを妾は見たいのです!」

 

 再び口調が変化したアンリに、カミュは目を丸くする。

 これが、アンリの本性なのかもしれない。

 威厳を見せる為の物でもなく、女性としての体裁を繕っている物でもない。

 そして、ついにカミュの表情が崩れた。

 

「……くくくっ……申し訳ありません」

 

「……むっ……女性の一世一代の真剣な想いを笑うなど、死罪に値するもの」

 

 カミュの仮面が剥がされたのと同様に、アンリの仮面も見事に剥がれて行った。

 そこにいるのは、同年代の男と女。

 十六という、子供と大人の境目にいる者達。

 それは、女王と旅人という垣根をも越えて行く。

 

「……女王様……」

 

「アンリです」

 

 口を開きかけた、カミュの呼びかけに、不満気な表情を作り、自らの名を叫ぶアンリ。それが、カミュの中でメルエと重なってしまう程、幼く映った。

 

「……そなたには、妾の名を預ける。それが、そなたと妾の約定の証。妾の夫となるか否かは別としても、再びこの地を訪れる事の約定……良いな?」

 

 最後は若干不安気な表情を浮かべたアンリに、カミュは笑顔で頷いた。

 カミュの笑顔。

 それは、リーシャやサラですら数える程しか見た事のない希少な物。

 それをアンリは一夜にして、生み出したのだ。

 

「……ただ、おそらく私は、アンリ様の意向に沿う事は出来ないでしょう。この旅の先にあるのは、私の『生』ではないでしょうから……」

 

「!!……そなたは……」

 

 カミュの語った可能性は、『魔王』という強大な存在に立ち向かう者に付き纏う当然の可能性。

 アンリとて、カミュ達の旅の目的を忘れた訳ではない。それでも、当の本人から、悲観的な言葉が出るとは思っていなかった。

 『魔王討伐』という悲願に向かう者とは『英雄』であるという先入観は、アンリという女王もまた持っていたのだ。

 

「……そして、もうよろしいでしょう?……アンリ様が、私に問いかけた問いは、自らに対する問い。謁見の間での自分の決断に対する疑念。私はそれを肯定する事も、否定する事も出来ません」

 

 余裕を取り戻したカミュは、アンリの内にある本来の姿を見出す。

 今宵、カミュを呼び、問いかけた内容は、自問自答を繰り返した物だろう。

 如何に国を前に進める為とはいえ、自らの最後の血縁である祖母を処断し、死罪を告げた。

 それが果して正しかったのか。

 母親の仇といえども、アンリが幼い時にはとても優しかった祖母を処断したという事実は、アンリの心を苦しめていたのだ。

 

 勉強も、(まつりごと)も、アンリは祖母に教わった。

 イシス国随一の賢者と謳われた女性の指南を受け、アンリは育ったのである。

 その祖母の命を奪ったのは、孫娘である自分だった。

 カミュを見上げるアンリの頬を大粒の涙が伝う。

 それは、後悔の涙なのか。

 それとも、哀しみの涙なのか。

 

「……妾は……妾は……」

 

 そのまま顔を伏せ、大粒の涙を落すアンリ。

 それは、あの謁見の間でメルエが見た『気高い姿をした女王』という衣を脱いだアンリの姿。

 祖母が謁見の間を出て行く後姿を見て、アンリは恨む気持ちが湧く事はなかった。母を奪い、自分の自由さえ奪った相手にも拘わらず、アンリの脳裏には笑顔を浮かべる祖母の姿しか浮かんでは来なかったのだ。

 

 必死に涙をこらえ、その場を終えて部屋に戻った時、アンリの胸に大きな穴が空いていた。

 母親の霊に出会い、真実を知らされた時、アンリの心に『復讐』の二文字が浮かばなかったと言えば嘘になる。

 それでも、母親の言う『恨むな』という言葉、そして、母の信じる『忠臣』としての祖母の存在、祖母の行う政治の裏に、数え切れぬ程の国民の苦しみがある反面、それと同様に数え切れぬ程の国民の命が救われている事実、それらが、アンリの心を幾度も思い留まらせた。

 

「!!」

 

「……今宵だけで良い……胸を……」

 

 俯いて涙を流していたアンリが、突如、カミュの胸に飛び込んで来る。それに驚き、戸惑うカミュであったが、一つ溜息を吐いた後、その肩を抱き、アンリに胸を貸した。

 

 

 

 暗闇が支配する廊下で、一人の女性が苛々と指で腕を叩きながら、壁に背をつけ、立っていた。

 カミュ達一行が宿泊を許された客間は二部屋。勿論、一つはカミュの一人部屋であり、もう一つはリーシャ達三人の部屋となる。

 その一つの部屋のドアの前で、その部屋に泊まるはずの青年を待つ一人の女性。

 それは、パーティー内で最強の攻撃力を誇るアリアハン屈指の女性戦士。

 

「……どこに行っていた?」

 

 暗闇の中、その部屋に近づいた影に視線を向ける事なく発したリーシャの言葉は、まるで地獄の底から響くような声。

 自分の部屋のドアの前から突如かかった声に、カミュは顔を上げた。

 

「……ああ……アンタか……こんな夜更けに一体何の用だ?」

 

「お前こそ、こんな夜更けにどこへ行っていたんだ!?」

 

 何事もなかったように口を開くカミュの態度が、リーシャの怒りの導火線に火を点す。突如怒鳴り出したリーシャにカミュは溜息を洩らした。

 

「……アンタの機嫌が何で決まるのか、良く解らないな……」

 

「な、なんだそれは!? 私の質問に答えろ! お前は女王様の寝室へ行っていたのか!?」

 

 もはや、リーシャの質問は『何処に行っていた?』というものではなく、その場所を断定し、確認を取っているだけのものになっていた。

 そのリーシャの発している言葉に、もう一度カミュは深い溜息を吐き出す。

 

「……知っていたのか?」

 

「!! やはりか! 女王様の寝室で何をしていた!?」

 

「それをアンタに話す必要性はないが……」

 

 最近、表情が豊かになり、感情を表に出す事の多くなったカミュを見続け、リーシャは忘れていたのだ。

 今目の前にいる青年が己に干渉される事を嫌うという性質の持ち主である事を。

 

「~~~~!! お前は、アリアハンの掲げる『勇者』ではあるが、一国の女王と釣り合う身分ではないぞ! そのように浮ついた気分では、とてもではないが、オルテガ様の遺志を継ぐ事など出来はしない!」

 

「……」

 

 無表情を強くしたカミュの返答に、リーシャの頭に血が昇る。

 そんなリーシャが発した言葉は、カミュの感情を完全に削ぎ落としてしまった。

 

「……変わったと思っていたが……見誤っていたようだ……」

 

「はっ!?」

 

 カミュの冷たい表情と言葉に、リーシャの頭から一気に血の気が引いて行く。

 自分は何を言ったのだ?

 『身分』?

 『オルテガの遺志』?

 そんな事が言いたくて、このドアの前で数刻もの間、苛々しながら待っていた訳ではない。

 リーシャは自分の感情的な行動に嫌気が差した。

 

「ち、違うんだ。そういう意味ではない!」

 

「……身分の違いで言えば、俺がアンタと話す事すら許されはしないのだろうな……」

 

 カミュは表情を失くしたまま、能面のような顔で、リーシャの脇をすり抜ける。自分の横を通り過ぎるカミュの言葉を聞いた時、リーシャは思わずその腕を取ってしまった。

 

「……まだ、何か用なのか?」

 

 腕を取られた事にも表情を全く変えずに振り向いたカミュの顔に感情は見えない。まるで、その辺にある置物に触れた時の様なもの。それに対し、リーシャは久しく感じていなかった恐怖を感じた。

 だが、それがアリアハンで感じた『恐怖』とは異なる物である事までは気付いてはいない。

 

「すまない。そういう事ではないんだ。話を聞いてくれ」

 

 先程の失言を素直に謝罪するリーシャの言葉が、カミュの表情に変化をもたらす。

 感情を表に出す事の多いリーシャではあったが、自分の発した言葉を即時に撤回する事は珍しい。カミュはその事に驚いていた。

 

「……何だ?」

 

「いや……つ、つまりだな……お前は……イシス国王である女王様の寝室で何をしていたんだ?……ぶ、無礼な事はしていないだろうな?」

 

 もう一度振り返り、リーシャの目を見て立つカミュに、当のリーシャは視線を合わす事をせずに、床に向かってつぶやき始める。

 

「……無礼な事?」

 

「そ、そうだ。お前が何か無礼を働けば、私達全員がイシスの国敵となるばかりか、お前を送り出したアリアハンまでもがイシスと敵対する事になる!」

 

 リーシャの言葉を聞き返すカミュに、リーシャは明らかに今思いついたような理由を話し出した。

 言っている事は当然の事ではあるが、対外的には常に仮面を被るカミュがそのような事をしない事ぐらい、リーシャにも解っている筈だった。

 

「……無礼になるのかは解らないが、これを拝領した……」

 

「そ、それは……?」

 

 カミュが差し抱いた物は、一冊の書物。いや、書物というよりも、表紙と背表紙しかない三枚の紙と言っても良いのかもしれない。

 

「……この<イシス>に伝わる、古代の英雄が残した魔法書らしい……」

 

「なに!?……とすると……あの『勇者』しか使えない魔法の事か?」

 

 差し出された物を見つめながら問いかけるリーシャに対し、カミュは一つ頷いた。

 古代の英雄。つまり、時代と共に『勇者』として語り継がれている者達が残した遺産。

 そして、今この時代でその魔法を行使出来る者を、リーシャは目の前に立つ青年しか知らない。

 もしかすれば、リーシャが知らない土地にその魔法を使える者がいるのかもしれないが、そのような者がいるとすれば、『魔王討伐』という宿命を背負う事になるのは明白である。

 だが、ここ十数年の間で、世界中で『魔王討伐』の旅に出た『勇者』の中で、国を挙げての者となれば、アリアハンの英雄オルテガとその息子であるカミュしかいないのだ。

 

「そ、そうか……それ以外は何もしていないのだな?」

 

「……先程から気になっているが、アンタの言う『それ以外の事』とは何を指している?」

 

 カミュの答えを聞き、どこか安堵の表情を浮かべたリーシャではあったが、もう一度カミュに念を押した際に、聞き返された内容に再び苦い表情を浮かべた。

 

「そ、それは……解るだろ!」

 

「……解らないから、聞いているのだが……」

 

 少し慌てたように返答するリーシャであったが、冷静に、そして本当に理解出来ないかのように問いかけてくるカミュに絶句する。

 

「くっ!……無礼な事だ!」

 

「……いや……何度も聞くが、何が『無礼』に値するのかを聞きたい。アンタが指し示す『無礼な事』と言うのは何の事だ?」

 

 絞り出すようなリーシャの答えにも納得の意を表さないカミュは、尚もリーシャを問い詰める。

 『うっ』と言葉に詰まるリーシャを見つめ、その答えを待つカミュの目を見たリーシャは俯きながら、言葉を呟いた。

 

「……解らないのならば、もう良い。変な事を聞いて、すまなかった……」

 

「……良いのか?」

 

 若干肩を落とし気味に言葉を洩らすリーシャに、もう一度問いかけたカミュは、本当にリーシャが言いたい事を理解していないようだった。

 『つまりはそういう事なのだろう』とリーシャは思う事にしたのだ。

 『自分の考えているようなことは起きていないのだ』と。

 

「あ、明日はもう<イシス>を出るのだろう?」

 

「……ああ……もしかすると、歩く旅はここらで限界かもしれないからな……」

 

 誤魔化すように話題を変えたリーシャを訝しむ事もなく、カミュはその問いに答える。しかし、カミュが呟く内容に疑問を持ったリーシャは、首を若干傾げる仕草をした。

 

「どういう事だ?」

 

「この大陸以外に行くには、アリアハンの時の様な『旅の扉』がある訳ではない以上、『船』等が必要になってくる筈だ」

 

 律儀に答えるカミュの言葉に、『あっ!?』と声を上げたリーシャはようやくカミュの紡ぎだす意味を理解したようだった。

 アリアハン大陸から出る為には、強い魔物達が蔓延る海域を渡る船ではなく、『旅の扉』という古からの移動手段を使ったが、この大陸にその扉があると言う噂は聞かない。

 ならば、絶壁のような山を登るか、それとも海を渡るかしか方法がない事は事実だ。

 ならば、山に杭などを打ち込みながら登るよりも、多少魔物が出ようが、海を渡った方が安全である。ただ、問題はどこから船が出ているのかという事と、今も尚、その船は出ているのかという事だけである。

 

「船がどこから出ているのかは、見当が付いているのか?」

 

「……さあな……」

 

 リーシャの疑問に、素っ気なく答えるカミュ。

 その態度に、先程の問題での怒りが再び湧き上がるリーシャ。

 

「『さあな』とは何だ!? この旅は、お前が行く先を決めなければ、路頭に迷うんだぞ!」

 

 カミュは大きく溜息を吐き出した。

 もはや、先程までの無表情ではない。

 

「……アンタには、考える頭はないのか?」

 

「なに!? 私が考えるより、お前が考えた方が良いに決まっているだろ!」

 

 再び、頭に血が上り始めたリーシャが叫ぶ言葉は、全てをカミュに丸投げするようなものだったが、不思議とその言葉にカミュは不快感を覚えなかった。

 それが何故なのかをカミュはおそらく理解出来てはいないだろう。

 

「……この城に居た人間の兄が、世界を旅する事を夢見ていたそうだが、<アッサラーム>へ行ったきり、その町に居付いたらしい。その人物なら、世界を回る手段に心当たりがあるかもしれない」

 

「な、なに?……あの町に戻るのか?」

 

 溜息と共に吐き出されたカミュの答えを聞いた瞬間、リーシャの頭から血が下りて行く。再び、あの町に入る。それは、リーシャにとって、あまり歓迎する事の出来ない決定だった。

 

 メルエの義母がいる町。

 それは、メルエにとって、忌むべき記憶の眠る町という事。

 その町に情報収集の為とはいえ、入らなければいけない。

 メルエは大丈夫だろうか。

 そんな想いが、リーシャの表情に影を落とす。

 

「……心配するな……メルエをあの義母に会わせるつもりはない……」

 

 豹変したリーシャの表情に、カミュの無表情が崩れる。

 彼は知っているのだ。

 この屈強な女戦士が、自分の悩みだけでこのような表情をしない事を。

 彼女が悩む表情をする時は、決まって自分以外の人間を想っての事であるという事を。

 

「そ、そうか……仕方がないな……どうしても寄らなければいけないのだろう? 私達がメルエを護ってやらないとな……」

 

 そんなカミュの考えが正しい事が、リーシャの言葉で証明された。

 リーシャの答えに、少し笑みを浮かべたカミュは、小さく頷き、部屋へと入って行く。ドアの前に一人残されたリーシャもまた、表情を引き締め、明日は苦しみに悩むであろう幼い少女の眠る部屋へと歩き出した。

 

 

 

 

「……船か……ふむ……そうじゃな、もしかすると<ポルトガ国>へ向かう事になるかもしれんな……」

 

 翌日、旅立ちの報告の為に謁見の間に訪れた一行に、イシス女王であるアンリは呟く。その姿には、昨日カミュに接したような気やすさはなく、威厳に満ちた物へと変化していた。

 

「古来より、ポルトガは貿易で栄えた国と聞く。貿易となれば船も必要となろう。妾が文を認めてやろう」

 

 いや、実際はカミュ達に心を許し始めているのかもしれない。その証拠に、アンリの話す一人称が『妾』という自分を下げる為のものとなっていた。

 

「……有難きお言葉……」

 

「むっ! これ、カミュ……その言葉は止めよ」

 

 恭しく頭を下げるカミュに、端正な顔を曇らせたアンリは、一言苦言を呈した後、側近に筆を運ばせ、すらすらと文を認め始めた。

 

「ふむ。これでよかろう……これ、そこの幼き者」

 

 しかし、アンリは書き終えた文を側近に渡す事もなく、今日もカミュの横で跪くメルエに向かって、声をかける。

 昨日とは違い、顔を下げたまま赤い絨毯を見つめるメルエは、その言葉に気付かない。

 

「う~む。これ、メルエ!」

 

「!!」

 

 少し悩んだ様子の後、意を決したように、アンリはメルエの名を口にした。

 突然呼ばれた自分の名に、メルエは驚き、弾かれたように顔を上げる。本来なら、顔を上げる前に返事を返すのだが、幼いメルエにその作法など解ろう筈がない。

 

「ふむ。近う寄れ」

 

「…………???…………」

 

 顔を上げたメルエにアンリは再び声をかけるが、メルエにはその内容が示す意味が理解出来てはいなかった。

 どうしたら良いのか解らずに、小首を傾げながらカミュの方に視線を向ける。小声で『女王の近くに行けるか?』と聞くカミュの言葉に小さく頷いたメルエは、恐る恐る立ち上がり、ゆっくりと玉座に近づいて行った。

 

「もっと近う」

 

 ゆっくりと近づくメルエを歯痒そうに見つめ、アンリは再び声をかけた。

 一歩一歩ゆっくりとではあるが、しっかりと近づくメルエは、ついに、玉座のある祭壇の様な場所の麓に辿り着く。作法の知らないメルエは、そこで跪く事なく、玉座に座るアンリを見上げていた。

 

「その者! 無礼であろう! 女王様の御前であるぞ!」

 

「よい!」

 

 メルエの姿に、不快感を露わにした側近の一人が声を荒げるが、アンリは静かにそれを制する。そして、そのまま玉座を立ち、メルエの立つ場所まで下り、そしてメルエに視線を合わせる為にしゃがみ込んだ。

 それは、一国の国王としては異例の行為である。例え、昨日イシスにとって功績を残した者達であったとしても、その待遇は一国の国王として行ってはならないものだったのかもしれない。

 それでも、アンリはこのメルエという幼い少女と話をしたかった。

 

「……メルエで良いな?」

 

「…………ん…………」

 

 再び名を尋ねるアンリに、言葉少なにメルエは一つ頷きを返す。後ろに控えるリーシャ等は、不安と心配で胸を押し潰されるような感覚を味わっていた。

 

「メルエ、そなたは『魔法使い』なのか?」

 

「…………ん…………」

 

 アンリの問いかけに、今度は若干胸を張って答えるメルエ。

 アンリの問いかけは、メルエの誇りでもあった。

 

「ふむ。ならば、そなたにこれを送ろう。手をこちらに」

 

 メルエの答えに、とても美しい笑顔を浮かべたアンリは、その懐から小さな指輪を取り出す。

 メルエは、何をするのか理解できない様子で、小首を傾げながらも、右手をアンリに向かって差し出した。

 

「これは、『祈りの指輪』と呼ばれる物。この指輪を指に嵌め、『精霊ルビス』様に祈りを捧げれば、その者の気力と魔法力を再び戻すと云われておる。そなたは後ろに控えるカミュ達にとって、これからの旅でなくてはならぬ存在となろう」

 

 メルエには少し大きな指輪であったが、メルエの中指に通すと、その指輪は自然とその形状を変化させて行き、メルエの指にすっぽりと納まった。

 不思議そうにその様子を見ていたメルエは、もう一度アンリを見上げ、首を傾げた。

 

「この指輪は、そなたが皆を護ろうと強く願った時に、必ずそなたの助けとなろう。祈りの捧げ方は、そなたの仲間の僧侶に聞くが良い」

 

「…………ん…………あり………がと……う…………」

 

 一国の国王に対する謝礼としては余りにも軽い。その言葉に、女王の後ろに控える側近や文官、武官の人間達が眉を顰めるが、女王自身がとても美しい笑顔を浮かべている事から、何も言えずに黙っていた。

 

「ふふふ。ただ、メルエ。その指輪は何度もルビス様のお能力(ちから)に耐える事が出来る程の強度はない。過信は禁物じゃぞ」

 

「…………ん…………」

 

 笑みを浮かべながらメルエに注意を促すアンリに、メルエは真剣な表情で頷いた。そんなメルエに、アンリの表情は暖かく美しい笑みを濃くする。

 

「それと……メルエ、約束してはくれぬか?」

 

「…………???…………」

 

 続くアンリの提案に、メルエの首が傾いた。

 一国の女王と約束等、メルエには思い浮かばないのだ。

 

「旅が一段落する度にでも、この国に顔を出してくれぬか?……いや、最悪『魔王討伐』を成した後でも良い。必ず、元気な姿を妾に見せておくれ。」

 

「…………ん…………やく……そく…………」

 

 アンリの言葉を一つ一つ頭の中で消化し、内容を把握したメルエは、とても優しい笑顔を浮かべ、大きく頷いた。

 サラやリーシャ、そして唯一の友である『アン』以外との約束。

 それは、メルエの胸に暖かな風を運んで来る約束だった。

 

「ふふふ。ありがとう、メルエ。カミュを頼んだぞ」

 

「…………ん…………」

 

 最後にメルエの耳元で囁いたアンリの言葉は、メルエにしか聞こえないものだった。

 その頼みに、表情を真剣な物へと変えたメルエがしっかりと頷きを返す。書き留めた<ポルトガ>国王への文も一緒に手渡されたメルエがカミュの横へと戻り、そのマントの裾を掴み、カミュへと花咲く笑顔を向けた。

 

 

 

 町に戻り、目を覚ましたカミュの衣服を新調し、カミュの下へと持って行ったのはメルエだった。

 真新しいカミュの衣服を嬉しそうに両手で抱え、カミュの下へと駆けて来たメルエに、カミュが薄く微笑んだ事がメルエは嬉しかった。

 メルエが微笑めば、カミュも薄く微笑む。

 メルエが哀しそうに眉を下げれば、カミュもまた沈痛な面持ちとなる。

 それをメルエは知っていたのだ。

 

 

 

「カミュ。そなた達の旅は、とても険しく長い。その中で様々な物を見、様々な出来事が起こるじゃろう。それを妾へ報告する義務を課す」

 

「!!」

 

 その言葉に、カミュを始め、リーシャやサラも驚いた。

 とても一国の女王が口にする事ではない。いや、国王という『唯我独尊』を自負する人間であれば、言う可能性もある言葉だが、リーシャもサラもこの若き女王が口にするとは思わなかったのだ。

 

「な、なにか、不服があるのか?」

 

「……いえ、『魔王討伐』を果たした暁には、横に控えるメルエと共に、必ず女王様の下へご報告に上がります」

 

 自分の言葉に静まり返る広間。そして、唖然とした顔で、自分を見上げる『勇者』一行の姿に少々気不味い想いを抱いたアンリの問いかけに、少し時間を置き、苦笑のような表情を浮かべたカミュが頭を下げた。

 彼のその行動に、サラは驚き、リーシャはどこか不満顔を表す。

 

「うむ。決して、自分の身を蔑にするな。そなたは、ここに必ず戻って来るのじゃ。良いな。妾との約定、ゆめゆめ忘れるでないぞ」

 

「……はっ……」

 

 アンリの何か含みのある言葉に、カミュは静かに返答を返す。

 それを不思議そうに見るサラ。

 眉を顰め、表情を険しくするリーシャ。

 嬉しそうに微笑むメルエ。

 そして、そんな一行を暖かな瞳で見つめるアンリ。

 それぞれがそれぞれの想いを胸に、女王との謁見が終了する。

 

 

 

「……カミュ……本当に昨夜は、何もなかったんだろうな?」

 

 城を出て、町に入ってから、珍しく先頭を歩くカミュの横に並び、リーシャが口を開く。それは、昨夜と同じ問いかけ。女王の最後の言葉が、再びリーシャの胸に疑惑を持たせたのだ。

 

「……『何も』とは、何を意味しているのかをはっきりさせてくれ……」

 

 そんなリーシャに溜息を吐いたカミュも、昨夜と同じ問いかけをリーシャへと返す。カミュの言動に、リーシャは再び眉を顰めた。

 これでは、昨夜のやり取りと同じ事になってしまうのだ。下唇を噛んだリーシャは悔しそうに顔を歪める。

 

「も、もういい!」

 

「…………???…………」

 

 リーシャの突然の激昂に、カミュの足元にいたメルエが驚き、カミュのマントに潜り込む。そして、マントの隙間から、リーシャを不思議そうに見ていた。

 

「そ、それで、これからどうするのですか?……女王様の言う通り、ポルトガへ向かうのですか?」

 

 そんなリーシャの急変した機嫌による雰囲気を変えるように、サラが今後の方針をカミュへと尋ねる。

 一度サラへと視線を向けたカミュが、少し考えた後に口を開いた。

 

「いや、一度<アッサラーム>へ戻る」

 

「!!」

 

 そのカミュの回答に驚いたのは、メルエ。

 マントの隙間からリーシャを見ていた瞳が、カミュへと移った。

 

 以前に初めて知った、自分が育った町の名前。

 それが、再びカミュの口から出たのだ。

 しかも、次の目的地だという。

 

 『何故?』

 

 そんな疑問と共に、メルエの身体は震え出した。

 どんなに今がメルエにとって幸せな物だとしても、昔覚えた恐怖は消え去る事はない。

 出来る事なら、行きたくはない。しかし、カミュが口にした以上、どんなに自分が反対したとしても、決定事項である。

 それが、メルエの顔を俯かせてしまう。

 

「メルエ、大丈夫だ。今のメルエの傍には、私がいる。それにサラも。ああ……あまり必要ではないが、カミュもいたな」

 

「…………リーシャ…………」

 

 顔を俯かせたメルエを、カミュのマントの中から抱き上げる腕。

 それは、メルエが姉のように慕う女戦士。

 その口調はとても優しいが、どこか棘を含んでいた。

 

「ふふふ。そうですよ、メルエ。メルエが私を護ってくれるように、私も全力でメルエを護ります。それにカミュ様もいますし」

 

「……俺は、あまり必要ではないらしいがな……」

 

 抱き上げられたメルエの瞳にサラが映る。

 優しく、慈愛に満ちた表情で笑うサラに、メルエの震えは自然と治まって行く。そして、サラの言葉に続けたカミュの答えが、メルエの顔に笑顔を生んだ。どこか拗ねたような言葉に、自然とリーシャやサラの表情にも笑顔が浮かぶ。

 

「……ルーラを使う……」

 

 自分に集まる生温かい視線を逸らすように、移動魔法の詠唱に入るカミュを見て、一行は慌ててカミュの下へと集まって行く。

 リーシャの腕から下ろされたメルエも、カミュの腰にしがみ付き、笑顔でカミュを見上げた。

 

 今、自分がいる事を許された場所。

 今、自分を必要としてくれる場所。

 そして、何よりも、今、自分が願っている場所。

 メルエは今、その場所に立っている。

 

「ルーラ」

 

 メルエの視線に苦笑の様なものを返した後、カミュが詠唱を行った。

 砂漠へと暖かな光を降り注ぐ太陽に向かって、一行は浮かび上がる。

 そして、砂漠の東へと消えて行った。

 

 

 

 

 




読んで頂きありがとうございました。

これでイシス編もとりあえず終了です。
第四章はあと一話残っています。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしています。

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