新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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第四章の始まりです


第四章
イシス地方①


 

 

 

 カミュ達一行は、ロマリアを東に向かって歩き始めた。

 陽は高く上り、既に正午は過ぎている。太陽が真上より西に傾きかけた頃、一行の前に大きな橋が見えて来た。

 それは、アリアハン城がある大陸とレーベの村がある大陸とを結ぶ橋と大差のない物であり、サラはその橋の壮大さに思わず見とれてしまう。

 

「はぁ~、大きな橋ですね……」

 

「そうだな。アリアハンにあるあの橋よりも大きな物だな……」

 

 バコタの叔父が基礎を築いたあの橋よりも大きい。それが、サラの感嘆の声に反応したリーシャの率直な感想であった。

 もしかすると、自分達が考えているよりも、アリアハンは技術的にも文化的にも他国から遅れているのかもしれない。

 <鉄>の様な特産品もなければ、鉄を鍛える技術もない。防具にしても、魔物の皮を伸ばし、形を作った物しかない。

 

「……もしかすると、アリアハンは他国から色々な意味で遅れているのか?」

 

 そんな疑問が思わずリーシャの口から零れてしまう。それは、祖国に対しての誇りは揺るがないまでも、その誇りである祖国が他国から文化的に遅れているという微かな哀しさが窺えるものだった。

 

「……確かに、文化や技術はかなり遅れているのかもしれない。だが、この橋に関しては、そうとは言えないだろうな」

 

「どういうことだ?」

 

 リーシャの考え通り、『文化の遅れ』を肯定したカミュに、リーシャは肩を落とすが、言葉の中に出てきた橋に関しての言葉に疑問を投げかける。そんなリーシャに少し溜息を吐きながらもカミュは言葉を続けた。

 

「アリアハンのあの橋は、海から近い。川となって海に流れ込む激流と海水とがぶつかる場所にある橋だ。この橋とは違い、川の流れは相当に激しい」

 

「……それは……」

 

「つまり、そのような川の状況の中で、あれほど大きな橋をかけた事自体が凄いのだと言う事ですか?」

 

 言い淀むリーシャの代わりに答えたのは、未だに橋の壮大さに目を奪われているサラであった。

 メルエも物珍しそうに橋を見上げている。独特のアーチを描く橋は、メルエの目には不思議な物に映っていたのだろう。

 

「……そう言う事だ。この地方の人間があの場所で橋の土台を作れと言われても、そうそう出来る物ではない。それだけ、あの橋の土台を築いた人間が、素晴らしい発想と技術を持っていたと言う事だろう」

 

「……カミュ様……」

 

 カミュの言葉に、サラの頭にあの柔和な笑顔を浮かべる骨と皮だけになった老人の顔が思い浮かぶ。

 自分の甥とその嫁、そしてその子供をも惨たらしく殺害されて尚、世界を救う一助となる為に、カミュへ<盗賊のカギ>を手渡したあの老人だ。

 

「……だが、それも個人の話だ。アンタの言う通り、完全に他国との関係を断ち、技術や文化の交流を拒否したアリアハンの文化が遅れている事は事実であり、おそらくあの国は、これからも進歩は望めないだろうな」

 

「……」

 

 カミュの言う通り、鎖国前もアリアハンの武器と防具は今とほとんど変わりはない。つまり、文化や技術の向上はこの先もそれ程変化はないと言っても良いだろう。

 それよりも自分の祖国であるアリアハンを『あの国』呼ばわりするカミュの姿が、リーシャの頭に血を上らせていた。

 

「しかし、カミュ様が『魔王』を倒せば、再び他国との交流を持って、文化や技術も進歩するのではないでしょうか?」

 

「……アンタは、自分達を見捨てるように交流を断った者を許す事が出来るのか?……アリアハンは自国を護る為に他国との交流を断った。平和になったからと言って、そのような国を相手にする国があると思うのか?」

 

「……」

 

 世界中の危機の中、自己の為だけに他者を見捨てた者の末路などたかが知れている。最悪、世の中が魔物の脅威から解き放たれた時に、攻め滅ぼされる事もあるだろう。

 唯でさえ、戦闘に使う武器・防具を生産する能力も加工する技術もないのだ。ならば、他国からの侵略に抗う術など、皆無に等しい。

 

「……その為のお前だろう。カミュ、お前が『魔王討伐』に成功すれば、アリアハンの功績となる。それが世界交流への復帰を可能にする切り札だ」

 

「……えっ?」

 

 サラは驚く事となる。彼女の後ろからかかったリーシャの言葉は、今までのリーシャの物ではなかった。

 アリアハンという国に誇りを持ち、その行いは正当であるという認識を持っていた宮廷騎士。それが、サラが考えても納得出来ないような内容を口にしたのだ。

 

「お前の父オルテガ様は、世界でもその名を知られる英雄だ。その息子であるお前が世界を救ったとなれば、アリアハンは『魔王』を倒した国となれる」

 

 リーシャの顔に表情はなかった。

 唯淡々と事実を話しているだけ。

 

「……俺にそのつもりはない。俺はあんな国の為に旅をしている訳でもなければ、あんな男の代わりになるつもりもない……」

 

「くっ! アリアハンはお前の祖国であろう!?」

 

 リーシャと同じように表情を失くしたカミュが話す内容に、遂にリーシャの怒りが爆発した。

 

「……俺に愛国心や忠誠心を求めるアンタの頭の中身がよく解らないのだが……」

 

「……ほぉ……それは、暗に私が馬鹿だと言いたいのか?……私に『かしこさ』が少しもないとでも言いたい訳か?」

 

「……リーシャさん?」

 

 怒りが爆発し、剣を抜きかけたリーシャの話の内容が、急遽大幅に逸れる。そんなリーシャの言動にサラが溢した声は、どこか呆れを含ませている声だった。

 

「…………リーシャ………たべる…………?」

 

 そんなリーシャとカミュのやり取りを傍で聞いていたメルエが、おもむろに肩から提げたポシェットに手を入れて取り出した物は、<カザーブ>で盛り上がった話題の物だった。

 

「メルエ~~~~~~!」

 

「!!」

 

 地の底から響くような声。

 その声にびくりと身体を跳ねさせたメルエは、急いでカミュのマントへと包まって行く。

 あれ程、緊迫していた一行の空気はどこか和やかな物に変わって行った。

 

「……もう良いか? 先に進むぞ」

 

「カミュ! これだけは言っておく。お前がどれ程否定しようと、世界中の人間は、お前をアリアハンが送り出した『勇者』と見る。そして、オルテガ様の息子と言う事実も変えようのない事実だ」

 

 身を翻し、歩き始めようとしたカミュに、後ろからリーシャの声がかかった。

 それは、先程までような怒気を含ませた声ではない。どこか諭すような、そんな声量だった。

 

「……アンタに言われるまでもない。今まで生きて来た中で、それは嫌と言うほど知っている」

 

「……カミュ様……」

 

 サラには何故カミュがここまで、父親であり、世界的な英雄であるオルテガを拒絶するのかが理解できない。

 自分の両親は、<レーベの村>に住む商人だった。そんな普通の両親であっても、サラは両親を誇りに思っているし、敬愛もしている。

 故に、カミュの発言とカミュの心情がサラには推し量る事が出来なかったのだ。

 

 

 

 一行は、会話もなくなり、橋を渡って行った。

 橋の上から振り返ると、遠くにそびえ立つロマリアの城。

 前を向くと、遠くに広がる平原と森。

 それは広大な光景だった。

 

「…………ひろい…………」

 

「そうだな。世界はとても広い。この先は、メルエも私も見た事のない世界が広がっているんだ」

 

 リーシャから手を離したメルエが橋の手すりに掴まり、そこから見える見果てぬ大地を眺めている。そのメルエが呟いた言葉に反応し、メルエの後ろから同じ光景を眺めていたリーシャが発した言葉は、サラの心に残って行った。

 

 

 

「……カミュ……あれは私の幻覚なのか?」

 

 橋を渡り終えた先に広がる平原に足を下ろした一行の前に奇妙な光景があった。その光景を見たリーシャが、前を歩くカミュへと声をかけるが、それはどこか呆然としたもの。

 

「……何がだ?」

 

「…………ねこ…………」

 

「あれっ? メルエは、猫は知っているのですね?」

 

 振り返ったカミュはそっけなく答える。リーシャの傍からカミュの傍へ移動していたメルエが呟きを溢し、その呟きにサラが思わず反応してしまった。

 しかし、どこか間の抜けたやり取りは、リーシャには信じられない物に映る。

 

「お、お前達は、何故そんなにのんびりとしていられるんだ!? 猫だぞ! 猫が空を飛ぶのか!?」

 

 どこか和やかな空気を纏う三人に苛立ちを隠せないリーシャは、混乱を表に出しながら声を荒げた。

 そんなリーシャをメルエは小首を傾げて見上げ、カミュは呆れたように溜息を吐く。

 

「……アンタは毎回毎回魔物が出て来る度に取り乱すつもりか? 水辺でなくても<かに>の魔物は生息するし、<きのこ>に酷似した魔物も存在する。猫のような、空飛ぶ魔物がいても何も不思議ではないだろう」

 

「…………リーシャ………変…………?」

 

 カミュは溜息を吐きながら、ここまでのリーシャの行動をなぞって行く。更にはメルエの追い打ち。そして、後ろでは半笑いのサラ。リーシャは逃げ道を失って行った。

 

「だ、だから、変なのは空飛ぶ猫だろ!? メルエは猫が空飛ぶところを見た事があるのか!?」

 

「…………ん…………」

 

 そんな追い詰められたリーシャの言葉に、メルエは目の前に手を上げ、今見ている空飛ぶ猫を指差してリーシャを見上げた。

 

「そ、それは、今初めて見たと言う事だろう!? くそっ、この中で常識的な考えを持つのは私だけなのか!?」

 

「……それは、心外だな……俺達から見れば、アンタこそ一番常識からかけ離れている言動をしていると思うが……」

 

「カ、カミュ様。とりあえずは目の前の魔物に集中しましょう。確かに、あれは初めて見る魔物に違いはありません。リーシャさんも、相手は魔物なのですから、どんな魔物が出て来ても不思議ではありませんよ」

 

 リーシャの混乱した言動に、少しむっとしたように眉を顰めたカミュであったが、後ろからかかったサラの提案に一つ頷き、背中から剣を抜き、構えを取った。

 リーシャも諦めたのか、腰の剣を抜き、目の前で前足をバタつかせながら飛ぶ猫に向かって構えを取った。

 

<キャットフライ>

リーシャの言う通り、顔や身体は猫そのもの。しかし、猫と違うところは、その前足に大きな水掻きのような翼が生えていること。その前足を動かすことによって空を飛んでいるのだ。まさしく猫とコウモリの身体を交配させたような魔物であり、生息地はロマリアの東に位置する地方でよく見受けられる。

 

「カミュ! そっちの二匹は任せた!」

 

 先程まで混乱していたリーシャが剣を立て<キャットフライ>目掛けて駆けて行く。

 出て来た<キャットフライ>は全部で四匹。

 魔物にもその生息地の住み分けがある。何故かは解明されていないが、大体同程度の強さを持つ魔物達が地方地方に固まって生息しているのだ。

 それは、種族を護って行く為に出来上がった魔物の中での暗黙の了解なのかもしれない。

 地方を移動した魔物達は、強力な魔物に縄張り争いで敗れる事となるが、稀にその中で生き残った魔物は、その地方の風土や、そこに住む魔物達に適応する為に進化して行く事になる。

 

「メルエ、魔法の準備を」

 

「…………」

 

 前へ出て行ったリーシャとカミュの後方で、サラがメルエに呪文詠唱の準備に入るように指示を出すが、メルエは自信なさげに眉を顰めたまま項垂れていた。

 メルエはロマリアを出た後も休憩の度に魔法の練習を行っていたが、一度も杖の先から魔法が発動する事はなかった。

 メルエは今、自分の魔法に対する自信が皆無に等しい。カミュがメルエの為にと買い与えた杖は、奇しくもメルエの自信を根こそぎ奪ってしまう物と化していたのだ。

 

「大丈夫です、メルエ。今度はきっと出来ます。メルエは私よりもずっとずっと魔法の才能があるのですから、メルエに出来ない訳がありません。落ち着いて」

 

 そんなメルエの表情に気が付いたサラが、メルエの前にしゃがみ込み語りかける。いつも自分に勇気をくれるリーシャの様に、いつも自分に優しさと安らぎをくれるメルエに対して。

 

「…………ん…………」

 

 それでも尚、自信なさ気に頷いたメルエは力なく右手に持つ杖を掲げ、<キャットフライ>に照準を合わせる。

 その時であった。

 

「フニャ――――――――――――――!!」

 

 突如、<キャットフライ>の内の一匹が、メルエとサラの方向に顔を向けて、何か奇妙な鳴き声を上げた。

 それは、距離があるにも拘わらず、サラとメルエの頭の中へ入り込んで来るように響く。

 

「…………ギラ…………」

 

 <キャットフライ>の鳴き声に驚いたサラを余所に、メルエが杖を掲げたまま詠唱に入った。

 何度となく自身の指から発したはずの魔法を唱えたメルエであったが、杖は何の反応も示さない。

 杖の先を憎々しげに睨み、再度メルエは呪文を詠唱するが、それでも杖は沈黙を守り続けた。

 

「…………うぅぅ…………」

 

「メ、メルエ……」

 

 何度も何度も呪文の詠唱をする訳でもなく、右手に持った杖を振ったメルエは、そのまま以前と同じように杖を投げ捨てた。

 

「メルエ、駄目です!」

 

「…………ギラ…………」

 

 杖を投げ捨てたメルエが、怒りにまかせて右手を掲げ、詠唱を始める。それを察したサラが、メルエを止める為に叫ぶが、もはやメルエの感情を押し止める事は出来なかった。

 

「…………???…………」

 

「えっ?」

 

 予想とはかけ離れた結果に、サラは奇妙な声を上げる。メルエも自分の右腕を不思議そうに眺めていた。

 メルエの魔法が発動しないのは、杖を媒体とした時だけだった筈。しかし、今は、杖を投げ捨てて自らの腕を掲げ詠唱したにも拘わらず、メルエの腕に何の変化も見られない。

 

「…………うぅぅ………ぐずっ…………」

 

「メ、メルエ……はっ! も、もしかして……」

 

 自分が完全に魔法が使えなくなってしまったことに、遂にメルエは泣き出してしまう。

 自分が自分である証。

 それがメルエにとっては魔法だったのだ。

 それが使えない。

 自分は用済みとなる。

 そんな考えに陥っているメルエにどう言葉をかけて良いものかを悩むサラであったが、何かに思い当ったのか、顔を上げ、メルエの肩に手を置いた。

 

「大丈夫、大丈夫です、メルエ。今、あの魔物が使った魔法によって、メルエも、おそらく私も、魔法が使えなくなっているだけです。あの魔物を倒せば、また魔法が使えるようになりますから!」

 

「…………ぐずっ………サラ………うぅぅ………ホント…………?」

 

 肩に手を置いたサラの言葉にメルエはようやく顔を上げる。

 サラの話す内容を、涙で滲む視界を拭いながら聞いていたメルエが、サラに確認を取ると、優しく力強い笑顔が返って来た。

 

「本当です。私はメルエに嘘は言った事はありませんよ。大丈夫、メルエはここで待っていて下さい。私もカミュ様達とあの魔物を倒して来ますから」

 

「…………ん…………ぐずっ…………」

 

 そんなサラの笑顔に鼻をすすりながらもしっかりと頷くメルエ。そのメルエを見たサラは、もう一度メルエに笑顔を向けた後、背中の槍を構え、<キャットフライ>と対峙しているカミュとリーシャの下へと駆けて行った。

 サラの背中を滲む視界で見送った後、メルエは投げ捨てた<魔道師の杖>をとぼとぼと取りに行く。

 今、別の魔物が出て来ない限り、もはやメルエの身に危険もなければ、出番もない。杖を拾ったメルエは、その場に座り込むように、カミュ達の闘いを眺めるしか出来なかった。

 

 

 

 サラがカミュ達の下へ辿り着いた時には、すでに二匹の<キャットフライ>が地面に落ちて絶命していた。

 残る魔物は二匹。

 

「サラ! メルエはどうした!?」

 

「後ろで控えてもらっています! おそらく、私もメルエもこの魔物が唱えた<マホトーン>によって魔法を封じられました。今、メルエは魔法が使えません」

 

 サラの発した聞き慣れない言葉にリーシャは驚くが、槍を構えたサラの魔物を見据える視線に、自身も戦闘に集中する事にした。

 如何に新たな地方の魔物とはいえ、カミュ達が三人揃っている状態。しかも、二対四という数的有利も崩れた中、<キャットフライ>はもはや死への秒読みが始まっていた。

 

 サラが突き出す槍をひらりと避けた<キャットフライ>にリーシャの剣が一閃する。それも避けようと身を捩った<キャットフライ>であったが、避けきれずに翼に小さな傷を作られた。

 飛ぶ魔物にとって、翼は生命線である。翼を傷つけられた<キャットフライ>は上手くバランスを取る事が出来ず、ふらふらと飛び上がろうとするが、再び突き出されたサラの槍を避ける事は出来なかった。

 

「ギニャ――――――――――――――!!」

 

 猫の様な、いや、まさしく猫の叫び声をあげ、サラの槍を胸に受け入れた<キャットフライ>は絶命し、地面へと落ちて行く。

 一匹を倒したサラとリーシャが振り向くと、カミュもまた、最後の一匹となった<キャットフライ>の首を刎ねた所だった。

 

「サラも大分腕を上げたな。これなら安心だ」

 

 剣を鞘に納めながらリーシャがサラの所へ近づいて来る。

 サラの成長を心から喜んでいるのだろう。リーシャの顔に浮かんだ笑顔が、それを象徴していた。

 

「それで……メルエがどうしたんだ?」

 

「あ、は、はい。メルエの所に戻りましょう」

 

 その笑顔をすぐに引っ込め、リーシャは先程サラが言った事を確かめるように声を出した。

 その言葉にメルエの事を確認するように振り向いたサラは、遥か後方で平原に座り込んでいるメルエを視界に収め、ほっと安堵の溜息を吐いた。

 魔物の体液を振り払ったカミュは、移動を開始したリーシャ達の後ろを付いてメルエの下へと戻って行く。

 全員が自分の所へ歩いて来ている事に気が付いているにも拘わらず、メルエは座り込んだまま、歩いてくる面々の顔を眺めていた。

 それが、メルエの受けた哀しみの度合いを示しているようであった。

 

「メルエ、大丈夫でしたか?」

 

「…………」

 

 サラの問いかけにも、メルエは何一つ答えない。

 その双眸からは、未だに哀しみの涙が流れていた。

 

「……何があった?」

 

 リーシャとサラの会話が聞こえなかったカミュは、現状を把握する事は出来ていなかった。

 何一つ話さず、ただ涙を流して座り込むメルエを見たカミュは、困惑する事しか出来ない。

 

「あの魔物が、サラやメルエに何か魔法をかけたらしい」

 

「……マホトーンです……」

 

 先程、リーシャに対して、確かに魔法の名を伝えた筈なのに、それを口にしないリーシャの言葉をサラが言い直す。その魔法の名を聞いたカミュが、今の現状に納得したかのように表情を変えた。

 

「……マホトーンか……」

 

「それで、メルエは落ち込んでしまって……」

 

 未だに座り込み、地面を眺めるメルエをリーシャが優しく抱き締める。リーシャには、何となくメルエの苦しみが理解できたのだ。

 役に立ちたいと願っているのに、役に立てる物がない。そんな自分の無力さを歯がゆく思ってしまっているのであろう。

 メルエの中に『ただ魔法だけが存在意義』という考えがあったとしても、闘いの中で自分でも皆の役に立つ武器を失った衝撃は、リーシャの考えている事が根底にあったのだ。

 

「……大丈夫だ。もう魔法は使えるようになっている筈だ。今回は、メルエが杖から魔法が出せない事とは別。試しに、杖を媒体にしなくても良いから<メラ>を唱えてみろ」

 

「…………」

 

 溜息交じりのカミュの言葉にも、メルエは何も言わずに首を横に振るだけだった。それが、サラにも不思議だった。

 サラは、メルエが全く魔法を使えなくなってしまったと勘違いし、落ち込んでいるのだとばかり思っていた。

 

<マホトーン>

教会が保持する『経典』の中にある魔法の一つ。唱えた術者の魔法力によって、対象の魔法力の流れを狂わせ、呪文の詠唱を不可能にする魔法。それは、術者の魔法力の効果範囲を抜けるか、術者の死によってしか解除する事は出来ない。術者が自ら解く場合はそれには当てはまらない。また、術者の魔法力によって、相手の魔法力を抑える為、極端に力量の差がある者に対してはその効力は薄く、全く効果がない訳ではないが、余程運が良くなければその効力を発揮する事はない。

 

「……私達はメルエが魔法を使えなかったとしても変わらないぞ。魔法が使えようと使えなかろうと、メルエはメルエだ」

 

「…………リーシャ…………」

 

「ほら、おいで」

 

 だがメルエは、サラが思っていたような簡単な事で落ち込んでいる訳ではなかったのだ。

 おそらく最初はそうであったのであろう。しかし、魔法が使えない事により、魔物と戦う三人の姿を後方からただ眺めるだけとなった時、そして座りこんでいるだけで何も出来ない自分を感じた時に、メルエの小さな胸を違う感情が締め付けていたのだ。

 

 『孤独』

 

 そのような感情には、慣れていた筈だ。

 物心ついた頃から、誰からも愛された記憶はなく、そして誰にも必要とはされては来なかった。 

 口を開けば『うるさい』と殴られ、黙っていれば『気味が悪い』『うっとうしい』と殴られる。

 挙句の果てには『奴隷』として売られた。

 メルエのこの数年間の人生は、常に孤独であった。それが、馬車の幌の中で一人の青年に出会った事によって、彼女の人生が急変する。

 優しさを知り、愛を知り、そして仲間ができ、友まで出来た。

 そんなメルエにとって、『孤独』と言う物は、既に当然の物ではなく、恐れさえ抱く物となっていたのだ。

 手を広げ柔らかく微笑むリーシャの顔が更に歪んで行く。

 先程に比べ、更に大粒に変わったメルエの涙は地面へと吸い込まれた。

 

「…………うぅぅ………ぐずっ…………」

 

「さぁほら、おいで、メルエ」

 

 いつもと違い、なかなか自分の胸に飛び込んで来ようとしないメルエに、リーシャは微笑みながら再度促す。

 もはやメルエの瞳にリーシャの姿は映らない。目を瞑ったまま、立ち上がったメルエは、リーシャの胸へと飛び込んで行った。

 

「大丈夫。大丈夫だ、メルエ。メルエは何があろうと私達と一緒だ。いつでも私が傍にいる。それはメルエと私の約束だ」

 

「…………ぐずっ………うぅぅ…………」

 

 リーシャは、メルエの表情を見た時、メルエの胸の中にある『孤独』という感情を読み取っていた。

 何故なら、それはリーシャもまた幼い頃に経験した感情だからだ。

 

 自己の能力に無力さを感じ、そして孤独に陥る。

 それは、リーシャがアリアハンで父親に剣を習っていた頃の事。

 そして、早く父に追いつこうと無我夢中で剣を振るっていた頃の事。

 彼女は父親に剣を教わり、同じ年代の子供の中ではずば抜けた才を発揮していたそれは、男女を問わない程の才能。彼女に勝てる子供がいないどころか、まともに剣を合わせる事が出来る子供すらいなかった。

 子供は時として残酷であり、自分達より特出する存在は排除しようとする。

 当然幼いリーシャはその対象となった。

 誰に話しかけても何も返って来ない。

 そんな孤独な日々。

 しかし、リーシャには剣があった。 父クロノスの下、鍛練を重ね、大人顔負けの実力を保持するようになって行くのだ。

 

「…………リーシャ…………ぐずっ…………」

 

「ん? もう、落ち着いたか?」

 

 父が死んだ時、リーシャは己の無力さに苛まれた。

 『何故、自分には父について行くだけの力量がなかったのか?』と。 

 リーシャがついて行った所で、何が変わる訳ではなかったかもしれない。それでも、リーシャの頭にはそれが後悔となって行った。

 父が己の命を賭して護った者達も、リーシャの家であるランドルフ家に対し、感謝をするどころか、今まで以上の冷遇をするようになる。元々下級貴族の出であったランドルフ家が宮廷騎士隊長になる事を快く思っていなかった人間達だ。

 命を救われようが、『アイツが勝手にやった事』と括ったのだろう。自分一人ではなく、その場にいた大勢がそう思ったのだから、自分がそう思っても当然。

 『人』は数が多くなると、自己の中の良識が狂う事もある。

 大人がそうなのだ。子供達は、大人の背を見て育つ。当然リーシャへの対応も尚一層冷たい物へと変わって行った。

 父も死に、友もいない。爵位も剥奪され、住む家もなくなった。

 リーシャが抱えた感情は『孤独』。 

 唯一人、昔からランドルフ家に仕える老婆だけがリーシャの心の支えであった。

 メルエにはそんな老婆すらいなかった。故に、リーシャには、メルエの感情が朧気ながらにも把握する事が出来たのだ。

 

「杖は自分で拾ったんだな。偉いぞ、メルエ。ゆっくり行こう。メルエが魔法を使えるその日まで、私がメルエを護ってやる。だが、メルエが魔法を再び使えるようになった時は、メルエが私を護ってくれ」

 

「…………ん…………メルエ………護る…………」

 

「ありがとう」

 

 ゆっくり自分の胸からメルエを引き剥がしたリーシャが目を見て語る内容に、メルエは真剣に頷き、宣言する。

 『この姉であり、母である女性を護る』と。

 

「……陽が傾いて来たな……今日はこれ以上は進まず、この辺りで野営地を探す」

 

「そ、そうですね。まだこの先<アッサラーム>までの距離が解らない以上、無理をする必要はありませんね」

 

 リーシャとメルエの姿を、カミュは茶番だとは思わなかった。彼もまた『孤独』を知っている人間だったからだ。

 サラも同じである。それぞれの『孤独』の度合は違えど、このパーティーは『孤独』の怖さを全員が体験していたのである。

 

 

 

「メルエ、サラと一緒に薪探しをしてくれ。私とカミュは食料を取ってくる」

 

「…………ぐずっ…………ん…………」

 

 平原から少し森の中に入った場所でちょうど良い場所を見つけ、<聖水>を撒いているカミュを横目に、リーシャは先程から自分の手をしっかりと握るメルエへと声をかける。一瞬、寂しそうな表情を見せたメルエであったが、鼻をすすりながらもしっかりと頷いた。

 リーシャの手を離したメルエの反対の手を、今度はサラが握り直す。

 

「さぁ、メルエ、行きましょう」

 

「…………ん…………」

 

 サラに手を引かれ、メルエは森の中へ入って行く。 

 サラとメルエだけであれば、先程遭遇した<キャットフライ>が行使した<マホトーン>のような魔法を浴び、窮地に陥るかもしれないと考えたリーシャがカミュへ同道を提案したが、カミュは『あの僧侶に<鉄の槍>を持たせるならば、問題ない』と相手にしなかった。

 カミュから見ても、サラの力量の向上を認めているのだ。そのカミュの想いを理解したリーシャは、心配は拭えないながらも了承せざるを得なくなる。

 

 

 

 それぞれがそれぞれに分担された仕事をこなし、野営地へと戻って来た。

 カミュはその手に豊富な果物と川魚を、リーシャはうさぎを数羽その手に持っている。サラとメルエは両手に抱えるように木の枝を持って帰って来ていた。

 その様子では、魔物に出会う事はなかったようだ。

 しかし、カミュもリーシャも気がつかなかった。

 メルエの表情が浮かないものであることに。

 

 カミュが火を熾し、リーシャが調理を始める。カミュが取って来た果物にメルエが手を伸ばし、それをサラが窘める。先程楽しく二人で薪集めをしていたにも拘わらず、メルエはサラに対してふくれっ面を見せた。

 その表情がおかしく、そして可愛く、サラは思わず吹き出してしまう。しかし、メルエが若干の不満顔を見せたのも一瞬だった。すぐに眉を下げ、そして俯いてしまう。

 そんなメルエの様子に、笑顔を作っていたサラも表情を曇らせ、ほんの数刻前に遭遇した出来事を思い出す事となった。

 

 

 

 薪を拾いに出たサラとメルエは、順調に枯れ木を集めていた。

 この森に人が立ち入る事はあまりないのかもしれない。枯れ木は至る所に落ちており、二人の腕にはすぐに抱えきれない程の薪となる枝が集まった。

 陽も陰り始め、森を満たす闇が濃くなって来た事から、サラは薪集めを終了し、カミュ達の待つ場所へ戻る為、メルエへと視線を向ける。

 メルエも薪集めに集中していた証拠に、抱えきれない程の枯れ木が、メルエの両腕を満たしていた。

 それでも、昼間の戦闘での事が尾を引いているのか、より多くの枯れ木を拾おうとして手を伸ばすが、地面に落ちている枯れ木を拾い上げる前に抱えている物が落ちてしまう。

 落ちては拾い、拾っては落ちるという、何とも滑稽な仕草を繰り返すメルエに、サラの表情が和らぐ。若干の苛立ちを浮かべるメルエの表情が、更にサラの表情を緩めて行った。

 故に気づくのが遅れてしまう。メルエの後方に立つ木の上から目を光らせている魔物の姿に。

 

「ニャ――――――――――!」

 

 木々を集める事に集中しているメルエに飛びかかるように降りて来た魔物。それは、昼間に遭遇した<キャットフライ>だった。

 

「!!」

 

「メルエ!!」

 

 飛びかかってくる<キャットフライ>。

 メルエの名を叫ぶサラ。

 咄嗟の事に反応が遅れたメルエであったが、<キャットフライ>の後ろ脚はメルエが抱える枯れ木を吹き飛ばしただけであった。

 弾き飛ばされた枯れ木を放り出し、メルエが倒れ込む。

 <キャットフライ>の攻撃を避けたのは、メルエが身につける<みかわしの服>の効力なのか、それともその服の所有者であった『アン』の加護なのかは解らない。しかし、幸運にもメルエの身体に傷は出来なかった。

 安堵の溜息を洩らしたサラは、素早く背中から<鉄の槍>を抜き、構えを取る。メルエもまた倒れ込みながらも、リーシャに結んでもらった紐を解き、背中に背負っていた<魔道師の杖>を構えた。

 

「…………ギラ…………」

 

 構えて早々にメルエが呪文の詠唱を行った。

 しかし、例の如く、メルエの持つ<魔道師の杖>は何の反応も示さない。

 

「…………ヒャド…………」

 

 苛立ちを含ませた声で、メルエが再度違う呪文を詠唱した。

 それでも<魔道師の杖>は、先程と同じように何の反応も示さない。

 

「フニャ―――――――――!」

 

 メルエが苛立ち、杖を地面に投げ捨てた時、昼間の戦闘で聞いた猫の威嚇のような叫び声が森の中で木霊した。

 杖を放り投げたメルエが、自身の右手人差し指を<キャットフライ>に向けて、呪文の詠唱を行う。それすらも、昼間と同じように何の効果も生み出す事はなかった。

 

「…………うぅぅ………うっうっ………ぐずっ…………」

 

 昼間同じように、自分の得意とする魔法が発動しない事で、メルエは泣き出してしまう。

 メルエにしてみれば、サラやカミュが言うには、昼間の魔物を倒せば使えるようになると言われていたのにも拘わらず、全く行使出来ない事に絶望を感じたのだ。

 自分が、永遠に魔法を使う事が出来なくなったと思っても仕方がないのかもしれない。

 

「メルエ、大丈夫です! また<マホトーン>に罹っただけです。メルエは私の後ろに下がっていて下さい」

 

 泣き出してしまったメルエと<キャットフライ>の間に素早く身を投じて来たサラが、手にする槍の切っ先を<キャットフライ>へと向けながらメルエに指示を出す。

 涙を拭いながら杖を拾ったメルエが、サラの後ろに移動した。

 

「大丈夫。大丈夫です、メルエ。私が絶対にメルエを護って見せますから」

 

「…………サラ…………」

 

 上空で翼をバタつかせて威嚇を繰り返す<キャットフライ>は一匹。周囲を見渡しても、この魔物しか見当たらない。

 仲間を呼ぶ気配もない事から、サラは自分が倒す事に決意を固めたのだ。

 

「やぁ!」

 

「シャ――――――!」

 

 サラが突き出す槍を<キャットフライ>は軽やかに避ける。その避け方を見れば、若干の余裕が窺われた。

 しかし、サラも伊達にリーシャの訓練に耐えて来た訳ではない。これで終わる訳はないのだ。

 

「ふん!」

 

 突き出した槍を切り返し、<キャットフライ>を叩き落とすかのように、槍を振り下ろす。その速度は、もはや通常の兵士が繰り出す物を大きく越えていた。

 

「シャ――――――!」

 

 先程とは違い、余裕などない避け方でそれを辛うじて避けた<キャットフライ>は、そのまま槍を持つサラの右腕に牙を剥いた。

 

「きゃ!」

 

「!!」

 

 <キャットフライ>の牙によって抉られたサラの右手から鮮血が飛び、後ろで見ていたメルエが息を飲む。サラの血液が付いた牙を、一つ舌舐めずりした<キャットフライ>は、一瞬嘲笑うような笑みを浮かべ、次の攻撃の為に上空に舞い上がった。

 次で決めるつもりなのだろう。空を飛ぶ魔物はその攻撃方法が似通っている部分がある。上空から一気に下降し、そのスピードにより、相手を息の根を止める攻撃を好んで使う事があるのだ。

 

「大丈夫。大丈夫です、メルエ。そんなに心配しないで下さい。そして、泣いても駄目ですよ。私なら大丈夫ですから」

 

「…………サラ…………」

 

 自分の後ろですすり泣くような嗚咽を漏らすメルエに、サラはゆっくりとした優しい声をかける。

 サラにも解っていたのだ。今、メルエが流しているその涙は、自身が魔法を使えない事によって招いたサラの危機に対しての物なのだという事が。

 

「ギニャ――――――――――!」

 

 メルエがサラの名を溢したその時、上空に舞い上がった<キャットフライ>がサラ目掛けて急降下を始めた。

 もはや、<キャットフライ>の目にはサラしか映っていない。その後ろにいる少女は<マホトーン>によって、魔法を封じ込められているのは先程証明されていた。

 しかし、<キャットフライ>は知らなかったのだ。

 今自分が敵対しているもう一人の少女が、能力の優秀な者達の集まったパーティーの中でも、ずば抜けた『かしこさ』を誇る『僧侶』である事を。

 

「バギ」

 

 先程<キャットフライ>に抉られた筈のサラの右腕からは、もはや血が流れ落ちてはいなかった。

 傷の深さから未だに痛々しい傷跡は残っていたが、傷口は塞がり止血はされている。

 サラは、<キャットフライ>が上空に舞い上がり、メルエに話しかけているその間に、自身の腕に<ホイミ>をかけていたのだ。

 時間もなかった事から、傷口を塞ぐだけの簡単な詠唱ではあったが、そこでサラは自身に<マホトーン>の効力が及んでいない事を確認する。そして、真っ直ぐに自分に向かってくる<キャットフライ>へその右腕を掲げ、詠唱を行ったのだ。

 

「ギャシャ―――――――――――!」

 

 サラの掲げられた右腕を中心に、空気が暴れ始める。真っ直ぐと降りて来た<キャットフライ>は、その風の暴走をカウンター気味に受ける事となった。

 真空と化したその風の刃は、<キャットフライ>の身体を切り刻み、生命線であるその翼にも無数の傷を付けて行く。

 

「やぁ!!」

 

 翼を切り刻まれ、辛うじて生きてはいても、虫の息といった状態で翼をバタつかせる<キャットフライ>に、サラの槍が突き刺さる。断末魔の叫びを上げる余裕もなく、サラの槍によって胸を貫通された<キャットフライ>の目から光が失われた。

 

「…………サラ!!…………」

 

「わっ!?」

 

 <鉄の槍>を引き抜いたサラの背中に、珍しく声を荒げたメルエが抱きついて来る。バランスを崩し、倒れ込みそうになるのを必死でこらえ、サラはメルエの方向に態勢を変えた。

 

「メルエ、大丈夫でしたか?」

 

「…………サラ………痛い…………?」

 

 メルエの安否を窺うサラの言葉を無視し、メルエはサラの右腕を取り、何度も傷跡を確かめていた。

 そのメルエの必死な様子に、サラの頬は自然と綻び始める。自身を守ってくれた者へ心配を隠そうともしないメルエがとても愛おしく映ったのだ。 

 

「ふふっ、大丈夫ですよ。……ホイミ……ねっ? もう傷跡も消えました」

 

「…………ん…………」

 

 メルエに微笑みながら、再度自分の右腕にホイミをかけ、サラは傷跡を消して行く。その様子を見ていたメルエの頬には、まだ涙の跡がくっきりと残って入るが、笑顔で頷いた。

 

「…………ごめん………なさい…………」

 

「えっ?」

 

 笑顔で頷いた筈のメルエの表情は、顔を上げた時にはもう雲っていた。そして、そのまま小さな声で謝罪の言葉を漏らす。

 一瞬メルエが何を言っているのか理解出来なかったサラであったが、<魔道師の杖>を握るメルエの右腕に力が籠っている事に気が付き、その理由を理解した。

 

「……メルエ、焦る必要はありませんよ。私もメルエの魔法の才能を疑った事はありません。メルエは凄いのですよ。それこそ私などよりも」

 

「…………魔法………でない…………」

 

 サラの言葉にも、メルエは俯いたままだ。サラは少し考える素振りをした後、戦闘で投げ捨てた枯れ木を再び拾いながらメルエへと語りかける。

 

「そうですね。きっと、私やリーシャさんがメルエにいくら『大丈夫』と言っても、メルエは納得しませんよね。私もそうでしたから……」

 

「…………サラ………も…………?」

 

 不思議そうに小首を傾げたメルエに、サラは拾った枯れ木を渡し、今度は落ち葉を拾い始めた。

 杖を背中に結び直し、サラから枯れ木を受け取ったメルエは、落ち葉を掻き集めるサラを暫く呆然と眺める。

 

「はい。私も自分に自信がありませんでした。う~ん、自信がないのは今も同じですかね。でも、信じるようにしました。私には神父様やリーシャさんが信じてくれるような能力がきっとあるのだと」

 

 搔き集めた落ち葉を、サラは先程倒した<キャットフライ>の上へとかけて行く。それは、死体を見たくない為なのか、それともサラなりの供養なのだろうか。

 サラは、メルエに『自分が変わった』と言っている。それは、何も魔法に関する事ばかりではない。

 『僧侶』としての資質。それは、他者に言われても納得などする事は出来なかった。

 剣の腕なら、リーシャは勿論、カミュの足元にも及ばない。魔法にしても、カミュが<ホイミ>を使える以上、『僧侶』としてパーティーに同道する意味がない。

 それでも、リーシャはサラが旅に必要だと言ってくれる。カミュにしても、最近は衝突こそあれ、『アリアハンに帰れ』とは言わなくなった。

 それは、極端ではあるが、同道を認めてくれた事になるのではとサラは思っていた。

 

「私もまだまだ未熟者です。あぁ、全然駄目という事です」

 

「…………サラ………だめ…………?」

 

 メルエの為にもう一度言い直したサラの言葉に、メルエが反応する。落ち葉を魔物の死体にかけ終わったサラは、今度は自分が持つ枯れ木を拾い集め出した。

 

「ふふふ。ええ、駄目ですね。だから、メルエと同じようにたくさん練習しますし、鍛練もします。私が自分に自信を持てるように。そして、私を信じてくれた人達に胸を張れるように」

 

「…………メルエ………も…………?」

 

 確かにサラは変わったのだろう。アリアハンを出た当初であれば、このような事を口にする事はなかった。

 彼女の目的はただ一つ。魔物への『復讐』だけだったからだ。

 『僧侶』として、人を導く姿に憧れを持ってはいただろうが、それを目標にする事はなかっただろう。まして、自分が倒した魔物の死後の姿を落ち葉で隠すという、情けをかけるような行為は間違いなくなかった。

 

「そうですね。メルエは凄いという事は私もリーシャさんも、そしてカミュ様が一番知っています。でも、それは、メルエが自分に自信を持てるぐらい練習を重ねて行った結果だと思います」

 

「…………練習………いや…………」

 

 サラの言葉にメルエの子供らしい答えが返って来る。

 それがサラには可笑しく、思わず軽口が出てしまった。

 

「ふふふ。私も嫌ですよ。リーシャさんは私を『鬼』と言っていましたが、鍛練の時のリーシャさんは『悪魔』ですよ。それこそ『魔王』の様です」

 

 しかし、その軽口は、とてつもない威力を誇っていた。自身で口に出してから気付いたのだろう。不思議そうに見つめるメルエの瞳を見て、サラは慌ててメルエへと弁解を始めた。

 

「あっ!? 今言った事はリーシャさんに言っては駄目ですよ。私とメルエの秘密にしていてくださいね」

 

「…………」

 

 自分の言った軽口の重大さに気が付いたサラは、メルエに口止めをしようとするが、返って来たのは、無言の視線であり、更にサラは慌ててしまう。

 

「ほ、本当に言っては駄目ですよ!?」

 

「…………ん…………」

 

 枯れ木を集める事を中断して、念を押すようにメルエを見るサラに、ようやくメルエの首が縦に振られた。

 メルエの様子に『ほっ』と胸を撫で下ろしたサラは、小さな笑みを浮かべた後、最後となる枯れ木を拾い上げる。

 

「と、とにかく、練習や鍛練は私も嫌ですが、そのままでは私など何の役にも立たなくなってしまいますからね」

 

 自嘲気味に笑うサラは、ようやく拾い終わった枯れ木を両腕に抱え、立ち上がる。顔を上げたサラは、いつの間にかすぐ横に立っていたメルエに驚いた。

 メルエは何かを宿した瞳でサラを見上げていたのだ。

 

「…………サラ………メルエ………護った…………」

 

「えっ!? は、はい。本当にメルエを護る事が出来て良かったです」

 

「…………ありが………とう…………」

 

 小さくお辞儀をするように頭を下げるメルエの姿にサラは目頭が熱くなる。自分はメルエを護れたのだ。

 アリアハンを出た時には、戦闘など出来なかった。回復呪文が使えるだけ。手に持つ武器も<聖なるナイフ>のみであったし、その使い方も知らなかった。

 そんな自分が、大切な仲間であり妹の様な存在であるメルエを護る事が出来た。それが、サラにとってどれ程自信になる事だったであろう。

 

「…………メルエも………サラ………護る…………」

 

「うっうぅ……は、はい! その時はお願いします」

 

 メルエの言葉に、サラの涙腺が緩んだ。どこか自分に線を引いている様子すらあったメルエが、自分を護る事を宣言したのだ。

 それは、サラにとってこの上ない喜びであり、そして自分がここまでして来た事が間違いではなかった事を証明するもの。

 それがサラには何よりも嬉しかった。

 

「さ、さあ、メルエ。戻りましょう。余り遅くなっては、リーシャさんとカミュ様に心配をかけてしまいますよ」

 

「…………ん…………」

 

 二人は、両手に抱えきれない程の枯れ木を抱え、野営地へと向かって歩き出す。サラは上機嫌で歩くが、その横を歩くメルエの表情は浮かない物だった。

 

 

 

 そんな経緯があった為、メルエが悩んでいる事がサラには解っていたのだ。

 本来、メルエの様な年頃の少女が悩む悩みではない。それでも、メルエはそれに対して真っ直ぐ向き合おうとしているのだとサラは気付いていた。

 ならば、ここではもう自分が口を挟む事が許されないとサラは考えたのだ。

 

「ん?……メルエ、どうした? 果物はもう食べても良いぞ?」

 

「…………ん…………」

 

 獲って来たうさぎや魚を調理し終えたリーシャが、いつもと違い果物に手を伸ばしていないメルエを不思議に思い声をかけるが、返って来たのは気のない返事であった。

 その後も、終始元気のないメルエをリーシャが気遣いながらも食事は終わり、<聖水>の効力がよく効いている事から、皆が眠りにつく事にした。

 

 

 

「……またか……」

 

 森の木々も寝静まる真夜中。

 カミュは目を覚ます。

 皆が眠れるといえども、火を消す訳にはいかないため、カミュやリーシャが何度か薪を補充しながら朝を迎えるのだ。

 そして薪を火にくべて安定させた後、周囲を見渡すと案の定、一人足りない。いつも野営の度に夜中に居なくなってしまう少女がいないのだ。

 

「ん?……カミュ、どうした?」

 

「……また、メルエがいない……」

 

 カミュの声に反応し、身体を起こしたリーシャの問いかけに、既に立ち上がり、剣を背負ったカミュが答える。その答えを聞いたリーシャも立ち上がり、頭の傍に置いておいた剣を腰に差した。

 

「別方向を探すか?」

 

「いや、俺やアンタの横は通っていない筈だ。いくらメルエの気配が探れないとはいえ、傍を通れば流石に気付く」

 

 カミュの言う通り、メルエの動きはカミュやリーシャですら感じる事が出来ない。しかし、それでも傍を通っていれば、何度となく野営を行っている二人が気付かない訳はないのだ。

 

「ならば、あっちの方角か……」

 

 リーシャが指し示す方角はメルエが眠っていた方角。そして、それは夕刻にサラとメルエの二人で薪拾いに行った方角だった。

 

 

 

 メルエはすぐに見つかった。

 リーシャが差した方角へ少し歩くと、小さく呟くような声が聞こえて来たのだ。

 

「…………ヒャド…………」

 

 メルエを見つけたリーシャが駆け寄ろうとしたところをカミュの手が制した。不満そうにカミュを見上げるリーシャであったが、もう一度メルエを見たリーシャは、その足を止めるしかなかった。

 そこから見える何度も何度も小さく詠唱を呟き、右手に持った<魔道師の杖>を目の前の木に向かって振るメルエの姿は、リーシャでも声をかける事を躊躇う程のものだったのだ。

 

「…………メラ…………」

 

 詠唱する呪文を変えては杖を振る。

 しかし、結果は変わらない。

 杖は何の反応も示さず、メルエの詠唱は霧散して行った。

 何度も何度も詠唱しては杖を振り、肩を落としては詠唱する。

 リーシャがそのメルエの姿を見始めて、何度目だったであろうか。詠唱と同時に振った杖が何の反応も示さない事に苛立ったメルエが、杖を投げ捨てた。

 

「…………うぅぅ………うっ………うっ…………」

 

「メ、!!!」

 

 泣き出してしまったメルエの傍に駆け寄ろうとしたリーシャを再びカミュの手が制した。

 今度こそ『何故だ!?』という思いが込められた視線でリーシャはカミュを睨みつけるが、カミュは手を挙げたままメルエを見ているだけ。仕方なくリーシャはメルエに視線を戻す。

 しばらく嗚咽を溢していたメルエではあったが、投げ捨てた杖に歩み寄り拾い上げた。

 そして、再び呪文の詠唱を始める。何度も何度も。

 自分を護ってくれるカミュやリーシャ、そしてサラに対して胸を張れるように。

 いつでも自分が彼らに笑顔を向けられるために。

 

 

 

 それから、どれくらいの時間が経ったであろうか。リーシャがもはや数える事を止めてしまう程にメルエは杖を振っていた。

 それでも一度もメルエの持つ<魔道師の杖>が反応する事はなく、遂にはメルエ自身が座り込んでしまう。精も根も尽き果てたかのように、メルエはそのまま横へ倒れた。

 

「メ、メルエ!!」

 

 流石に今度はカミュが制する事はなかった。

 リーシャに続いてカミュもメルエの傍へと駆け寄って行く。

 リーシャがメルエの傍に辿り着くと、杖を握ったまま地面に倒れ、小さな寝息を立てるメルエの姿があった。

 その姿にリーシャは安堵の溜息を洩らし、カミュもまた胸を撫で下ろしているような様子を見せる。

 

「……カミュ……」

 

「随分、魔法力を消費しているな……メルエの身体から魔法力が出ている事は間違いない……メルエは俺が運ぶ」

 

 メルエの様子を見て何かを溢したカミュであったが、眠っているメルエを起こさないように抱きかかえ、来た道を引き返し始める。リーシャもそれ以上の追及をカミュにぶつける事はなく、カミュの後ろについて野営地へと戻って行った。

 何故メルエが急にこのような事をし始めたのかはリーシャには解らない。もしかすると、昼間の戦闘が影響しているかもしれないし、『孤独』を感じたメルエが、とある道を歩み始めてしまったのかもしれない。

 『孤独』を拭い去るために『強さ』を求めてしまったリーシャの様に。

 それは、カミュの腕の中で小さな寝息を立てる少女にしか分からないもの。彼女が何をどう考え、どこへ向かって行くのか。

 彼女が歩む道の先に『幸せ』という光がある事をリーシャは祈る事しか出来なかった。

 

 

 

 




読んで頂きありがとうございました。

題名通り、第四章は<イシス>編となります。
結構長い章となると思います。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしています。

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