新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ノアニールの村②

 

 

 

 エルフの隠れ里から出て森へ戻る頃には、陽も傾き、森の中は暗闇を帯びていた。

 思いのほか、カミュ一行は里で長い時間を過ごしていたようであり、カミュを先頭に森の出口に向かって歩き始め、その後をリーシャに手を引かれたメルエが続く。

 一行の間に会話は何もない。それが、全員の心を顕著に示していた。

 そんな落ち葉や枯れ木を踏みしめる音だけが森の中に響く中、不意にサラが呟きを溢す。

 

「……カザーブのアンは、『エルフ』のアンの……生まれ変わり……」

 

 本当に何気なく溢したサラの独り言は、思わぬ結果を生み出す事になる。

 一言も話さずに歩き続けていた一行の雰囲気が明らかに変わったのだ。

 

「……なんだと?」

 

 そして、それは先頭を歩いていたカミュの一言で爆発した。

 振り向いたカミュの顔は、表情を失くし、能面の様な物になっている。何度となく、その顔を見た事があるサラにとって、そのカミュの表情は自分の奥底にある恐怖を呼び覚ます物として十分な威力を誇った。

 

「カ、カミュ!!」

 

 慌てたようにカミュを制するリーシャであったが、もはや、カミュを止める事は出来ない。能面のような表情で、顔から奪った感情を吐き出すようにカミュは口を開いた。

 

「……生まれ変わりだと? 『エルフ』として死んだ者は、『精霊ルビス』に背いた者として、死後もその罪を償っているとでも言うつもりか? 生まれ変わった先でも、その罪によって、十年も生きられずに死ぬ事が決められていたとでも言うのか?」

 

「……そ、そんなことは……」

 

 サラが言う輪廻転生の考えは、この世界では常識ではある。その為、前世で『精霊ルビス』に背いた者は、今生でその罪を償いながら生きるというのが、教会が広める教えでもあるのだ。

 

「アンタが言っているのは、そういう事だ! アンタが僧侶として、どれほど『精霊ルビス』を崇めているのか知らないが、二人のアンの死をくだらない教えで汚すな!」

 

「!!」

 

「カ、カミュ!!」

 

 見た事のない程の激昂。カミュがこれ程感情を露わにするのを、リーシャもサラも初めて見た。

 サラは、そのカミュの感情をまともに真っ直ぐ受けた事によって、その身を強張らせている。そんなサラの近くに駆け寄ったリーシャも、その胸にある動揺を隠す事が出来てはいなかった。

 

「…………アンは…………アン…………」

 

 そんな二人を見上げるように、下から小さな声がかかる。感情を剥き出しにしたカミュとは異なり、哀しさを滲ませながらも、優しく微笑む少女。

 『人』のアンの唯一の友人にして、『エルフ』のアンの心を解放した張本人。

 

「……ごめんなさい、メルエ。そのような意味で言ったのではなかったのですが……それでも無神経でした。本当にごめんなさい」

 

「…………ん…………」

 

 メルエの哀しみを感じさせる笑顔を見て、サラは自分の言った言葉の重みを理解し、頭を下げる。そんなサラにメルエは微笑みながら頷いた。

 

「…………サラ………また………泣く…………?」

 

「な、泣きません! だ、大丈夫です……ぐずっ……」

 

 メルエの茶化すような言葉に、反論するサラであったが、最後には溢れた涙を抑える事が出来なかった。

 自分の発した言葉の重みを理解し、カミュが激昂した理由も理解する。それでも、最も悲しんでいる筈のメルエの笑顔に、サラは感情を抑えきれなかったのだ。

 

「…………カミュ………だめ…………」

 

 サラの泣き顔を見たメルエは、カミュへ振り返り、厳しい目を向ける。それは、いつもの逆の姿。カミュに叱られ、涙を流すメルエという構図を覆すものだった。

 

「そうだな。言っている事は解るが、メルエの言う通り、言い過ぎだ」

 

「…………ごめんなさい………いう…………」

 

 いつの間にかメルエの後ろに立ったリーシャがメルエの援護に回り、メルエはカミュにサラへの謝罪を要求する。

 そんな二人の後ろで、サラは泣き笑いに似た表情を浮かべていた。

 

「……」

 

「…………カミュ………ノアニール………置いてく…………」

 

 無表情のまま、何も言わないカミュに、メルエが追い打ちをかける。それは、メルエがカミュに言われた言葉。しかし、それはメルエが嫌な事であって、決してカミュが嫌がる事ではない。

 むしろ、アリアハンを出た当初であれば、願ったり叶ったりの事であろう。

 

「……わかった、言い過ぎた。すまなかった」

 

 それにも拘わらず、カミュは頭を下げた。そんなカミュの姿にリーシャは多少の驚きはしたが、頭を下げたカミュに柔らかく微笑むメルエと共に表情を和らげる。

 

「い、いえ! 今のは、私が無神経だったのです。カミュ様が謝る必要などありません!」

 

 しかし、カミュが頭を下げるなど、考えもしなかったサラは完全に面を食らっていた。

 カミュにしてみれば、エルフの隠れ里で女王との話の中に出て来た存在への苛立ちをサラにぶつけてしまったという、唯の八つ当たりに近い物であった為、素直に頭を下げる事にしたに過ぎないのだが。

 サラも、教会の教えを全て否定する訳ではない。しかし、それが全てだとは、今のサラにもはっきりと断言する事が出来ないのだ。

 『エルフ』という民を見て、それを取り巻く『人』の過去を見て、サラの心は少しずつ変化をきたしていた。故に、面を食らっていたとは言え、教会の教えを『くだらない』と吐き捨てたカミュの言葉を否定しなかったのだ。

 

「…………ん…………」

 

 二人のやり取りを微笑みながら見つめていたメルエが、満足そうにカミュのマントの裾を握り、先を促した。

 剣呑になっていた空気は一気に和み、一行は再度森の出口に向かって歩を進める。メルエという存在の大きさを、リーシャは改めて認識する事になった。

 

 

 

 夜も更けた頃、一行は<ノアニール>の門を潜り、十数年の眠りにつく静寂が支配する村の中に入る事ができ、サラは安堵の溜息を洩らす。夜は完全にノアニールを支配し、只でさえ不気味に映る眠りに落ちた像達が月明かりを浴びて哀しく微笑んでいた。

 

「……カミュ……すぐに『目覚めの粉』を使うのか?」

 

「……いや、明日で良い」

 

 少し表情に疲れの見えるリーシャがカミュへと言葉をかけるが、それは明らかに『明日にしよう』という投げかけに聞こえるものだった。

 案の定、カミュにもその言葉に秘められた想いは届いたのか、カミュは溜息交じりにリーシャの物言わぬ提案に同意した。

 

「そ、そうですね。ギルバードさんのお父様にも立ち会って頂かないといけませんし」

 

「…………メルエ………ねむい…………」

 

 カミュの言葉は、満場一致で可決された。

 そのまま、一行は宿屋に入り、それぞれ湯浴みをした後に就寝する事になる。

 

 

 

「…………ん…………」

 

 翌朝、カミュの目の前に泡の付いた手を突き出すメルエに、カミュは再び自分の着ていた物を渡す事になる。先日、皆で一緒に行った洗濯が気に入ったのか、朝陽が昇るか昇らないかの時刻にメルエによって叩き起こされたリーシャが、カミュの部屋へ怒鳴り込んで来た。

 それは、メルエに対して怒っている訳ではなく、呑気に寝ていたカミュへの理不尽な怒りであった。

 そして、現在に至る。

 

「ふふふっ、村の方々に目覚めてもらうのは、洗濯物が乾いてからですね」

 

「そうだな。十数年眠りについているんだ。目覚めるのが数時間遅れても、文句は言わないだろう」

 

 メルエと共に桶を囲む二人が話しているものは、彼の老人に聞かれでもしたら、それこそとんでもない剣幕で怒り狂うであろう内容だった。

 終始笑顔の零れる二人に挟まれ、メルエは幸せそうな笑顔を浮かべながら、桶の水の中に入った手を懸命に動かし、服の汚れと戦っていた。

 

 

 

「これは、勇者様。朝早くから衣服の洗濯とはご苦労様ですな」

 

「!!」

 

 そんな和やかな空気を一変させる声が響く。それは、先程まで全員の話題の中心にいた人物だった。

 サラは先程までの会話が聞こえていたのではと訝しむが、言語の端々に厭味を含ませてはいるが、村人の解放を後回しにしている事には気が付いていない様子に、ほっと胸を撫で下ろした。

 

「『夢見るルビー』は見つかったのでしょうか?」

 

 まるで、『アンタ達は、やるべき事をやっているのか?』とでも言いたげな老人に、リーシャは苦虫を噛みしめたような表情を浮かべた。

 どちらかと言えば、この常にカミュ達に厭味を吐き続ける老人が、この村の惨状の原因であると言っても過言ではないのだ。それでも、この老人はカミュ達へ厭味を繰り返す。それが、サラに対してカミュが言った『そういう存在』という者である事の哀しさなのかもしれない。

 だが、サラは、老人の表情に嫌悪感を覚える。それが、自らが信じて来た道を、自らで脇へと逸れた証拠である事に気がつかずに。

 

「……はい。『夢見るルビー』をエルフの女王様にお渡しし、この村の呪いを解く事の許可を頂きました」

 

「な、なんですと! では、この村は眠りから覚めるのですね!」

 

 リーシャやサラが感情を表情に出してしまっている中、カミュは静かに老人と相対する。そのカミュの言葉に、老人は目を見開き、そして心からの喜びを表した。

 この老人にとっても、自分だけが取り残され、村の人間が全て眠りという呪いを掛けられた事へ責任を感じていたのかもしれない。もしかすると、それも、『自分の息子が犯した罪のせい』と考えているのかもしれないが。

 

「で、では、何をのんびりと洗濯などをしているのですか!? 早く村人の呪いを解いて下さい!」

 

「……村人の呪いは、解くつもりです。ただ、もうしばらく、この者達の洗濯が終わり、衣服が乾く午後までお待ちいただけませんか?」

 

 呪いが解かれるという事実を知り、老人はカミュの肩に掴みかかった。揺する老人の手をそのままに、カミュは後ろで作業をしている三人に視線を送った後、その許可を老人に求める。

 だが、そんなカミュ達のささやかな時間も、この老人にとってはどうでも良い事であった。

 

「アンタ達の衣服など、どうでも良い! それよりも十数年の呪いに苦しむ『人々』を救うのが先決であろう!」

 

「このっ!」

 

 そこに、呪いを解く為に奮闘したカミュ達への労いの言葉はない。カミュ達の旅の疲れを癒す時間も与えようとはせず、只々自分達の都合を押し付けるだけ。そして、その老人の態度が、遂に獅子を眠りから覚ました。

 他者との交渉時には絶対に間に入って来ない事を約束した人間。

 アリアハンから出発した『勇者』をアリアハンの英雄の息子とは認めなかった女性が、その青年を庇うように老人の前に立ち塞がったのだ。

 

「ならば、言わせて頂こう。ご老体、貴方が何をしたのか!? エルフの娘を多数で迫害し、実の息子と駆け落ちをしたにも拘わらず、その行方を探そうともせず……」

 

 突然前に出て来たリーシャに、カミュは面を喰らった。

 まさか、この『戦士』が前に出て来るとは思わなかったのだろう。カミュの中でのリーシャの評価は、ここ最近で随分と様変わりしている。それでも、『人』として当然の感情を吐き出す老人に嚙付くとは思わなかったのだ。

 

「お、おい……」

 

「カミュは黙っていろ! そして、その結果、エルフの女王の怒りに触れ、村に呪いが掛けられたのにも拘わらず、エルフの里へ謝罪にも行かない。その上で、赤の他人であり、何の縁もない人間にそれらの責任を丸投げし、その人間が奮闘した事に対し労う事もせず、発した言葉がそれか!?」

 

 サラやメルエはもちろん、カミュですら、ここまで怒気を発しているリーシャを見た事がない。いつもカミュと繰り広げているやり取りの中で、カミュのからかいに怒りを見せる事はあったが、それは納める事の出来るレベルだ。決して、以前交渉の場への介入を禁止したカミュの言葉を無視し、まして怒鳴り上げる事をする程の怒りではなかった。

 老人も、目の前に立つ、腰に剣を差した女性戦士の怒りに怯えを見せる。元来『人』は弱い。弱いからこそ、仲間を集い、そして大義名分を探す。その後ろ盾があってこそ、他者に対し強く出る事が出来るのだ。

 

「だ、だが、それが『勇者』であろう?」

 

「ふざけるな! 例え、『勇者』であろうと『人』である事には違いはない! 傷つけば倒れ、死に至る事もある。それ程の苦労をして来た同じ『人』を労う事すらも出来ないのか!?」

 

「……リーシャさん……」

 

 サラはリーシャの言葉を重く受け止めていた。

 『勇者といえども人』という言葉が、何故かサラの頭から離れない。それは、サラの中にある『勇者』という特別な存在の根底を覆す程の言葉であった。

 

「し、しかし、こうしている間も、村人達は呪いを受け苦しんでいる。その苦しみから救いたいと思うのは間違っているとでも言うのですか?」

 

 リーシャの激昂に劣勢になりながらも、老人は尚も食い下がる。

 しかし、老人のその反論に、リーシャの表情から怒りが消えた。

 そこに残ったのは、哀しみとも憐みともつかない微妙な表情。

 

「……長い眠りについているだけの村人に苦痛を感じる事があるのか? しかも、それに関しても、私から見れば『自業自得』とすら思える。貴方方が行った行為によって受けたアンの傷は、それ以上に深く苦しい物だったろう。私は、ご老体やこの村の人間がアンに行った行為を、同じ『人』として軽蔑する……そして、貴方には真っ先に我々に尋ねる事があるのではないのか?」

 

「なっ!!」

 

 それだけ言うと、リーシャは顔を下げ、俯いてしまう。老人としても、自分達がした迫害という行為の一部始終をこの勇者一行が知っている筈等ないと思っていたのだろう。まさしく言葉を失っていた。

 

「……何故……何故、貴方は実の息子の安否を我々に尋ねないのだ? それこそ、血を分けた息子を想う『人』としての感情ではないのか?」

 

 俯いたまま、絞り出すように呟いたリーシャの言葉は、完全に世界の時を止めてしまう。目の前で言葉を失っていた老人の顔はゆっくりと歪み、後ろに控えていたサラの表情も苦悶の物へと変化していた。

 確かに、長い時間が経過した。それでも、彼の息子が生きている可能性もゼロではなかった筈。諦めの為なのか、それとももはや他人と同様に思っている為なのか、その事を一言も口に出さない老人に最も落胆したのだ。

 

「……もういい……」

 

 止まってしまった周囲の時間を再び動かしたのは、『人』である『勇者』と呼ばれる青年だった。リーシャの前に再び立ち、老人の顔を見る。

 

「……」

 

 老人の顔は蒼白だった。

 身体も微かに震えている。

 カミュにまで、先程リーシャにぶつけられた蔑視の言葉を浴びせられるのではと老人は身を硬くするが、カミュから出た言葉はそうではなかった。

 

「……供の者の言葉はお気になさらずに。午後まで待って欲しいと言ったのは、理由があるのです」

 

「……理由……ですか?」

 

 予想とは違った言葉に、老人は呆気にとられたように言葉を溢す。カミュの後ろに下がったリーシャも、カミュの顔を見つめる事しか出来なかった。

 

「はい。女王様から頂いた呪いを解く為の道具は、風が必要なのです」

 

「……風?」

 

 先程の衝撃が抜け切れない老人は、只、カミュの言葉を繰り返すのみ。カミュの話している事を正確に理解しているかどうかも怪しい程に、目は泳ぎ、視線は定まっていなかった。

 それ程に老人の心は抉り取られていたのだ。

 

「はい。ご覧の通り、今はこの村に風が吹いて来ていませんが、午後になれば風も出て来ましょう」

 

 カミュの言葉通り、今この村には風が全くと言って良い程に吹いてはいない。女王が言っていた『目覚めの粉』の使用方法は、『風に乗せて』という物であった事は事実であるのだ。

 何故に風が必要となるのかという事に見当が付いているカミュにとって、今の状況で<目覚めの粉>を使用する事は出来なかった。

 

「そ、そうでしたか……そうとは知らずに、申し訳ございませんでした。では、私はこれで。午後に入り、その道具を使用する時には是非同席させて下さい」

 

「……はい……」

 

 そう言って、老人はそそくさとその場を後にする。まるで、自覚していた自分の罪から逃げ出すように。

 残った一行には気不味い空気が流れていた。

 激昂したリーシャ本人は当然として、それを傍観していたサラにも、そして庇われた形となったカミュにも。

 しかし、それを破ったのは、またしてもパーティーの癒しとなる少女だった。

 

「…………リーシャ…………」

 

「おっ!? な、なんだ? どうした、メルエ?」

 

 今まで、手に泡を付けながら呆然とその光景を眺めていたメルエが、リーシャの腰元に抱きつくように駆け寄って来たのだ。

 突然のメルエの行動に面を食らうリーシャではあったが、メルエをしっかりと抱き寄せ、その背中を撫でつける。

 

「…………リーシャ………すき…………」

 

「ん? そ、そうか……ありがとう……私もメルエが大好きだ」

 

 メルエにとって、老人とカミュのやり取りは、老人が一方的にカミュを攻撃しているように見えていたのであろう。

 そんなカミュを虐める老人に対して立ち上がり、やっつけてしまったリーシャを眩しげに見つめながら、カミュを救ってくれた恩人に自分の気持ちを吐き出したのだ。

 気不味い雰囲気に気持を沈めていたリーシャは、メルエの真っ直ぐな好意に嬉しそうに微笑み、メルエを抱く腕に力を込めた。

 

「さあ、メルエ、洗濯を終わらせてしまおう。昼までに乾かさないといけないからな」

 

「…………ん…………」

 

「そ、そうですね!」

 

 メルエの笑顔に気を取り直したリーシャの掛け声で、三人は再び泡の静まった桶に向かって歩き出した。

 皆がカミュに背を向け、桶へと歩き出す中、その中の一人の背に向かって、カミュが軽く頭を下げていたのを誰も見る事はなかった。

 

 

 

 雲一つない青空の中、カミュ達の洗濯物は順調に乾き、太陽が真上に上がる頃には、洗濯物を薙ぐように風が吹き始めていた。

 乾いた洗濯物を取り込み、それに着替えたカミュ達は、先刻の老人を呼び出し、村の中央に当たる宿屋の入り口付近に集まった。

 

「して、どうなさるおつもりなのですか?」

 

 先程のリーシャの怒りの余韻が残っているのであろう。少し、遠慮気味に口を開いた老人に、カミュは袋の中に仕舞っていた小さな巾着を取り出して見せた。

 

「これは、『目覚めの粉』と呼ばれる物だそうです」

 

「ほう……『目覚めの粉』とは何とも皮肉な……」

 

 あれ程、カミュ達に皮肉を言っていた人間が、その粉を皮肉な物として受け取る神経がサラには理解出来なかった。

 それは、リーシャも同様で、呆れと憐みを浮かべた瞳で老人を見ている。

 

「……では、始めます」

 

「お、お願いします!」

 

 カミュの言葉に返事を返したのは老人唯一人。

 他の三人の胸の内にある想いはそれぞれにしか分からない。

 巾着の様な袋から、カミュは自分の掌に中の粉を出して行く。

 予想と反して、金色(こんじき)に輝くその粉は、見方によっては砂金の様にも見えなくもない。ただ、実際手にしているカミュにしてみれば、その粉は手のひらに山盛りに乗せているにも拘わらず、羽根の様に軽く、何も重みなどを感じさせない物だった。

 

「あっ!?」

 

 それは誰の声であっただろう。

 その声が聞こえたと同時に、ノアニールの村から音が消え失せた。

 

 カミュの掌に出された『目覚めの粉』は風にさらわれ、舞い上がり、そして村全体を覆って行く。それは、あたかも金色(こんじき)の絨毯が敷き拡げられて行くように村の上空を覆って行った。

 空に舞い上がった金色(こんじき)の羽が村全体に行き渡り、次第に降り注ぐように舞い降り、人々の上へと落ちて行く。

 

 外で談笑をしている人々に。

 井戸の周りで水を汲んでいる人に。

 

 そして、風は、戸や窓の開いた建物の中まで金色(こんじき)に輝く雨を運び、建物の中にいる人々の上にも『エルフの優しさ』を運んで行く。

 それは、個人の怒りや憎しみを二の次にし、最愛の娘の誇りを護った人物の優しさ。

 どんな種族よりも誇り高く、そしてどんな人間よりも暖かさを持つエルフの慈愛。

 そして、その『エルフの慈愛』は、アンが暮らし、そして短い時間の中でも確かに幸せを感じていたであろう村の営みを戻して行く。

 

「あ、あれ?」

 

「ふぁ~~~あ、あれ?……なんでこんな所で……」

 

 人々は目覚め始めた。

 

 

 

 歓喜の雄たけびを上げ、もはやカミュの隣から移動していった老人の背中を、サラはその胸に色々な想いを抱きながら見ていた。

 リーシャはカミュを見ていた。

 あれだけの仕打ちを受けて尚、『それが人だ』と言い切る事の出来る、全世界の人々の希望と言って良い青年を。

 メルエは見ていた。

 いつもと変わらぬ無表情ながらも、その瞳に微かな優しさを湛えるその青年の瞳を。

 

「……宿屋に置いた荷物を取って、村を出る……」

 

 人々の笑い声、話声が戻り、本来の村としての喧騒が戻った村を背にし、カミュは宿屋へと向かう。その後を三者三様の想いを抱きながら続いて行った。

 

 

 

「あら? この荷物、あなた方のなの?」

 

 リーシャが荷物を置いていた部屋にはすでに人が入って来ていた。おそらく、眠りにつく前に部屋を出ていたのであろう、若い女性であった。

 

「あ、すまない。少し置かせてもらっていた」

 

「それはいいのですけど。なんだ、オルテガ様が忘れ物をして行ったのかと思ったわ」

 

「な、なに!?」

 

 女性のいない間に使っていたのは事実。その事実にリーシャは素直に謝罪をするが、女性から返って来たのは、想像以上の言葉だった。

 戸の外で成り行きを見ていた他の三人も、女性の言葉の内容に驚きを隠せない。

 

「ああ……オルテガ様はやはり行ってしまわれたのですね……森で魔物に襲われていた私を救い出してくれたあの方は、やはり昨日この村を出て行ってしまったのね」

 

「き、昨日だと!?」

 

 リーシャは言葉の内容をそのまま受け止めていた為、驚きの声を上げるが、戸の外に居たカミュとサラは得心が行った。

 おそらく、女王がこの村を眠りにつかせる前日に、オルテガはこの村を出て行ったのであろう。

 

「……行くぞ……」

 

 驚くリーシャに、後ろから冷たい声がかかる。

 そこには、先程瞳に秘めていた優しさのかけらもないカミュが立っていた。

 

「あ、ああ。すぐに行く」

 

 もう一度頭を下げ、部屋を後にしたリーシャが戻った一行は次にサラとメルエの寝ていた部屋へと入って行く。

 

「おお、この荷物はアンタ方のか? 勝手に置いてもらっちゃ困るだろ」

 

「あ、も、申し訳ありません」

 

 この部屋も部屋の主が戻って来ていた。

 その姿は国家の正式な騎士には見えないが、それでもそこそこの実力を備える戦士なのだろう。鍛えられた肉体は、筋肉隆々とまではいかないが、立派な体つきをしていた。

 

「……ふむ。そちらにいるのは連れの人間か? なかなかの面構えをしている」

 

 その男は、後ろに立つカミュに視線を向け、言葉を溢し始めた。四人は、全く聞いてもいないにも拘わらず話し始めた男に呆気にとられていた。

 もしかすると、十数年眠りにつき、会話すらしていなかった事への反動なのかもしれない。

 

「しかし、あのお方程ではないな」

 

「……あのお方?」

 

 男の言葉に、嫌な予感はしていたが、サラは聞き返さずにはいられなかった。

 いや、サラが聞かなければ、リーシャが聞き返していただろう。

 

「うむ。俺は世界中を旅し、色々な戦士を見て来たが、あのアリアハンのオルテガ殿こそ真の『勇者』と言えるだろう」

 

「オ、オルテガ様か!?」

 

 リーシャは驚きの声を上げるが、その横にいるカミュの表情は更に冷たい物へと変わって行く。そんなカミュを心配そうに見上げるメルエの手に力が入った。

 

「ほう、オルテガ殿を知っているとは、アンタ方はアリアハンの出か?」

 

「そうだ。この男はそのオルテガのむす……うぐっ」

 

 男の問いかけに反射的に返したリーシャの答えは、その口を抑え込むカミュの手によって無理やり止められてしまった。

 

「なんと! そなたはあのアリアハンの勇者オルテガ殿の息子だというのか?」

 

「……いや、人違いだ……」

 

 途中で止まったリーシャの言葉をしっかりと聞いていた男が、カミュへとその真意を問いかけるが、間髪入れず否定が返って来る。そのカミュの答えに、サラは目を見張り、口元を押さえられているリーシャの瞳には怒りではなく、哀しさが宿った。

 

「そうか……確かに、そなたのような大きな子供がオルテガ殿にいるとは考え難い。オルテガ殿はつい昨日まで、その隣の部屋に泊まっていた筈。何でも『魔法のカギ』を求めて<アッサラーム>に向かうと言っておったが……」

 

 男が示す、この部屋の隣の部屋。それは昨日までの数日間、奇しくもカミュが寝泊まりしていた部屋であった。

 村の人々の時間が止まっているだけに、十数年という月日は経っているが、オルテガが出て行ってから誰も泊まっていない部屋に、次に泊まったのが実の息子であるというのも何か運命めいたものを感じずにはいられない。

 

「……しかし、それが果して本当に昨日の事だったか……不思議な事に十数年眠っていたような気もするのだ……」

 

 そんな男の独白に適当に相槌を打った四人は、カミュの泊まっていた部屋へ向かう。

 アリアハンが誇る世界の英雄オルテガが泊まったと言われる部屋に入り、既に纏められていた荷物を取ったカミュは、早々に部屋から出て行く。それは、一刻も早くこの部屋から出ようとしているようにすら見えた。

 

「……カミュ様……」

 

「さあ、行こう、サラ」

 

 カミュを止めるような事をせずに、リーシャは仲間達の背中を押し、部屋を後にする。最後に自分の憧れでもある英雄が泊まっていたと云われる部屋を一瞥して。

 

 

 

 外に出た一行は、昨日までとは全く違う村の雰囲気に驚いた。十数年の埃などが積もっている部分を皆で手分けしながら掃除をし、笑顔を浮かべながら談笑をする。そんなとても暖かな空気。

 サラは、このような暖かな空気を醸し出す村人達が何故あのような行為をして来たのか、それが解らなかった。

しかし、カミュに言わせれば、『それが人』なのだ。時にはどんな者より慈愛を持ち、そして時にはどんな生物より残酷になる。まだ経験の浅いサラには、その考えに到達する事が出来ない。

 

「おっ!? アンタ方、旅人だね? 良い所に来た。何か、しばらく商売をしていなかった気がして、無性にやる気になっているんだ。安くするから見て行ってくれないか!?」

 

 自分の考えに没頭しているサラの耳に突如響いた声。

 それは、宿屋の向かいにある道具屋の主人の声だった。

 主人の言葉通り、やる気になっているのであろう。わざわざカウンターから出て来て、自ら呼びこみの様な事をしている。

 すぐに村を出ようとしていた一行であったが、厄介な相手に目をつけられてしまった。

 

「……いや……」

 

「おっ!? お譲ちゃんが着ている服は、<みかわしの服>と同じ素材じゃないか!?」

 

カミュの返答を遮って発せられた主人の言葉に、一行の視線は一斉に主人が指差したメルエへと向かった。突如、話を振られたメルエは、驚いた表情を浮かべ、リーシャの後ろへ隠れてしまう。

 

「……みかわしの服とは?」

 

「ん?……ああ。この村の特産でな。羽根の様に軽い素材で出来た服で、魔物等の攻撃を避けやすくする服だ。まあ、避けやすくするってだけで、必ず避けられる訳ではないけどな。それに結構丈夫でな。なかなか切り裂く事など出来ないよ」

 

 カミュの質問に丁寧に答える主人。

 その答えにカミュは少し考え込んだ。

 そう考えれば、思い当たる事もある。

 武道の経験もないメルエが、シャンパーニの塔でこうもり男の攻撃を何度となく避けていた。

 メルエの魔法の暴走時に、メルエの右腕に火傷を残したが、服に燃え移る事もなかった。

 それもこれも、<みかわしの服>と同じ素材でできたアンの服のお陰であったのだと考えれば、全て辻褄が合う。

 

「……そうか……もう何度も、トルドとアンに救われていたのだな」

 

「……ああ……」

 

 道具屋の主人の話を聞いたリーシャが溜息と共に溢した言葉に、カミュも同意を示す。メルエがここでこうしていられるのも、全てとは言わないが、トルド一家のお陰と言っても過言ではなかったのだ。

 

「良かったですね、メルエ。メルエはいつでもアンと一緒なのですね」

 

「…………アンと………メルエ………お友達…………」

 

「はい! そうですね」

 

 リーシャとカミュの話を聞いていたサラがメルエへその事を話し、メルエの答えを聞いて、とても綺麗な笑顔を見せる。

 自分達は、四人だけで旅をしている訳ではないのだ。色々な人の想いや願い、哀しみや喜びと一緒に旅をしている。サラの心には、その事が強烈に残された。

 

「……みかわしの服は、今あるのか? それと特産の武器等もあるか?」

 

「お、おお! みかわしの服ならたくさんあるぜ。寸法を整えないといけないから少し時間はもらうが。それと、特産ねぇ……おお! 魔道師の杖ってのがあるぜ」

 

「……魔道師の杖?」

 

 主人が暫し考えた後に言った武器の名前は、全員が聞き覚えのない物であった。

 特産の武器と言えば、大抵は剣や槍だったりするが、杖というのは初めて聞いたのだ。故に、サラはその武器の名前を反芻する。

 

「この杖はな。まあ、『魔法使い』が良く持っている杖と形は似ているんだが……この先端についた石が特殊なんだ」

 

 一度店に入り、戻ってきた主人の手には、木でできた光沢のある杖が握られていた。

 木が捩じられたように一本に纏められた杖で、主人の言うように先端には赤黒い石が嵌め込まれていた。

 

「何が特殊だと言うんだ?」

 

「ふふん。それはな、この杖に嵌め込まれた石を相手に向け、呪文の詠唱ではなく、ただ念じれば、メラが飛び出すって代物だ」

 

 リーシャの問いかけに、自慢気に胸を張った主人が発した一言に、パーティー内での反応は真っ二つに分かれた。

 

「メラですか!?」

 

「魔法力がなくても使えるのか!?」

 

 目を輝かせ、主人が持つ魔道師の杖を食い入るように見つめるサラとリーシャ。

 それとは反対に、明らかな落胆を示すカミュ。

 そんな三人を、小首を傾げながら不思議そうに見るメルエ。

 

「どうだい? 買って行くかい?」

 

「カミュ!?」

 

 親父のセールストークにつられ、カミュへと振り返るリーシャの瞳は爛々と輝いていた。

 同じく、攻撃魔法の幅の狭いサラの目も輝いている。

 

「……メラの魔法ならば、俺も、そしてメルエも使える。第一、アンタに魔法は必要ない筈だ。アンタは剣を片手に持ち、その杖をもう片方に持って魔物と戦うつもりなのか?」

 

「で、では、私が!」

 

 リーシャに駄目出しをするカミュ。

 落胆するリーシャに、今度はその横からサラが名乗りを上げた。

 

「……こう言ってはなんだが……アンタがその杖でメラを唱える暇があるのなら、俺かメルエが詠唱した方が早い。それに、アンタはメラを放つよりもやるべき事がある筈だ」

 

「はぅ!」

 

 カミュが言っているのは、昨日サラがカミュに宣言した内容。僧侶としてのレベルアップの事である。サラにもカミュの言わんとする事が理解出来た為、それ以上は何も言えなかった。

 

「……みかわしの服をこの僧侶に合わせてくれ」

 

「はいよ。ありがとよ。じゃあ、こっちに来てくれるかい?」

 

 カミュの言葉に主人は笑顔でサラに手招きする。いつもと同じように自分だけが装備を整える事に遠慮がちなサラだが、リーシャの手が背中に触れた事で、主人の方へ歩いて行った。

 

 

 

「……そうか……」

 

 サラを待つ間、品揃えを見ていた一行だったが、不意に開いたカミュの口に視線が集まった。

 

「どうしたんだ、カミュ?」

 

「…………」

 

 訝しげにカミュに問いかけるリーシャの足元にメルエまで駆け寄って来る。見上げるようにカミュを見ているメルエの表情は笑顔であった。

 そして、その笑顔には、サラだけではなく、もしかしたらまた自分も何か買ってもらえるのかもしれないという期待が滲み出ていた。

 

「……もしかすると、あの杖がメルエの暴走を抑えるかもしれない」

 

「なに!?」

 

 そのカミュの言葉が、自分に杖を与えられる可能性を含むものであった為、メルエの笑顔が濃い物へと変わって行く。逆に、予想外の言葉に、リーシャの表情は驚きに彩られていた。

 

「メルエの魔法は、これまで、自身の指や腕から発していた。まあ、それは俺も同じだが……魔道師の杖を媒体にする事によって、メルエに被害がいかないようにする事が出来るのではないかと思っただけだ」

 

「で、では、メルエにあの杖を買ってやるのか?」

 

「…………メルエの…………?」

 

 リーシャとメルエの目の輝きの意味合いは違う。自分にも魔法を使う事が出来る道具を手にする事が出来るというリーシャの喜び。

 自分の武器を買って貰えるというメルエの喜び。

 

「お待たせしました……へ? 何かあったのですか?」

 

 奥から戻ったサラが見た物は、爛々と目を輝かせたリーシャとメルエがカミュと見つめ合っている異様な光景だった。

 

「……その魔道師の杖も一本くれ」

 

「お、おお! ありがとうよ。今、みかわしの服を手直ししているところだから、もう少し待ってくれ」

 

 サラと一緒に出て来た主人の手にみかわしの服はない。

 おそらく、この主人の妻などが奥で手縫いをしているのだろう。

 

「……ああ。いくらだ?」

 

「店に入ってもらう時に『安くする』と言っちまったからな。全部で4400ゴールドだが……そうだな、3500ゴールドで良いさ」

 

 気前よく値引きする主人は、本当にやる気に満ち満ちていたのかもしれない。その表情には、商売をする事への力が漲っていた。

 カミュがゴールドをカウンターに置き、受け取った魔道師の杖をメルエへと手渡す。メルエは、嬉しそうに<魔道師の杖>を抱きかかえるように受取り、笑顔をカミュへ向ける。

 

「…………ありが………とう…………」

 

「メ、メルエ、後で一度私にも使わせてくれ」

 

 カミュに向かってにこやかにお礼をするメルエに、横からリーシャが待ちきれないように声をかけるが、メルエは杖を抱きかかえたままリーシャに背を向けてしまう。

 『メルエ~~』という涙声が聞こえて来るが、カミュは残りのゴールドをカウンターに置く事にした。

 

「確かに……ありがとうよ。そろそろ出来る頃だと思うんだが……おっ! 出来たようだ。こっちに来て着てみてくれ。微調整は着てからするからな」

 

「あっ、は、はい」

 

 メルエとリーシャのやり取りを笑顔で見ていたサラは、不意に掛けられた主人の声に慌てて奥へ入って行く。

 

「……アンタが魔法を使っても仕方がないと言った筈だ」

 

「カ、カミュは魔法が行使出来るから解らないかもしれないが、魔法力がない者にとって、魔法を行使する事は憧れなんだ!」

 

 溜息と共に吐き出したカミュの言葉に、リーシャはらしくない反応を示す。そんな自分の心を素直に吐き出すリーシャに目を見開いたカミュではあったが、その口端は徐々に上がって行った。

 

「メルエ、一度ぐらい使わせてやれ」

 

「…………メルエの…………」

 

 カミュの言葉にメルエが小さく反論を溢す。

 子供特有の独占欲。

 それは、微笑ましいものであるのだが。

 

「頼む! メルエ、一度で良いんだ」

 

 小さな少女に懇願する屈強な戦士という構図はかなり滑稽に映る。

 それを見てカミュはもう一度大きな溜息を吐いた。

 

「……この戦士が、それを使ってメラを行使している横で、メルエの<メラ>を見せてやれ。そうすれば、その杖を使ってメラを行使する事が無意味だと解る筈だ」

 

「…………ん…………」

 

 カミュの言葉は、メルエが心の底で持っていた恐怖を的確に指していた。

 それは、自分以外の人間が魔法を使う事への恐怖。

 それが、自分の存在価値を否定する事になるのではないかという恐怖。

 それをカミュは見透かしていたのだ。

 カミュの言葉は、メルエの魔法を否定する物ではない。そればかりか、メルエの魔法の方が強力な事を知っているというような発言。それがメルエには嬉しかった。

 

「ありがとう、メルエ! では、外に出てから、一度使わせてくれ」

 

 メルエから杖を受け取ったリーシャは、自分の身長の半分にも満たない少女に頭を下げる。それは、ただ単に礼を言ったのではなく、リーシャ自身、メルエを唯の子供として見ていない証拠でもあった。

 

「お待たせしました」

 

 そんな三人のやり取りが終息に向かった頃、奥からサラが出て来た。

 今まで来ていた法衣と全く変わらない姿。

 その姿にメルエは小首を傾げる。

 

「中の鎖帷子はこっちで引き取らせてもらうよ。法衣も引き取ろうか聞いたんだが、法衣は脱ぎたくないと言うんでね。<みかわしの服>の中で、法衣と同じ『青』に染めていた物を使ったんだ」

 

 主人のその言葉に、カミュ達三人は、全く変わったように見えないサラの姿に納得がいった。

 僧侶が着る法衣についている前掛けのようなものを付け替えたのだろう。

 

「本当にありがとうよ。何か久々にお客さんを相手にしたような気分だ。また来てくれ」

 

 人の良さそうな主人の笑顔に見送られ、一行は村の外へと歩を進める。サラは、道具屋の主人の笑顔に思うところもあったが、それを表情に出さずリーシャの後について行った。

 

 

 

 ノアニールの村の住民達は、自分達が十数年の眠りについていた事など知る由もない。ロマリア大陸最北端の村故に、他の村や町との交流がある訳でもない為、隣に住む人間の姿が十数年前の物と同じであれば、それに気が付く事はないだろう。

 そして、それは、自分達が犯した罪を自覚する事がないのと同義。

 その罪を雪ぐ為に奮闘したカミュ達一行に感謝する事もないと言う事。

 おそらく、あのギルバードの父親は、決して村人達に事実を告げる事はないだろう。

 自分だけが歳を取ってしまっている状況で、その事実を話す事なく土へと還って行く。

 永遠に報われる事はなく、誰も知る事のない旅は、カミュ達の心と<ノアニール>の西にひっそりと住むエルフ達の心にだけ残って行く事となるのだ。

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

第三章はもう二話程続きます。
宜しくお願い致します。

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